新学期始まってしまいまして。
てんやわんやでしたわ。
ははははは。
はぁ……。
暁萌葱はモノレールに乗っていた。
二十分ほど前に絶賛家出中の三女を迎えに四女、五女を向かわせたは良いものの、なんやかんや思い悩んでしまい、どうしても心配になって堪らず家を飛び出したのだ。「あんまり大人数で行っても、威圧しちゃうだけでしょ」などと澄まし顔で言ってしまった手前、今更追いかけていることを知られたらどんな反応をされるか大体予想はできていたが、それでもいいと覚悟を持って決めたことだ。
本人は必死に隠してはいるが、ようは『シスターコンプレックス』なのである。
「……いや、別にホントは心配とかじゃないし。ちょっと帰りにお使い頼もうかなーと思ったけど、携帯の充電切れてたから直接言いに行こうかなー……みたいな」
誰かと一緒に乗車しているわけでもないのにわりかし大きな声で謎の言い訳を喋っている美女は、ワンピースの上から来た白衣も相まって人も疎らな車内で一際目立っていた。
しかし当の萌葱はそんな周囲に気付いた様子もなく、なおも落ち着きなく乗車口の前をウロウロしている。やがて車内に到着アナウンスが鳴り響き、彼女の目的地 彩海学園が近いことを示した。
モノレールが一つ前の駅からずっと通っていた高層ビル群の中を抜け、比較的見晴らしの良い中、低層の街並みが乗客たちの前に現れる。首都近郊のような、巨大な人工物が持つ迫力に溢れている訳ではないが、自然と建物が適度に調和した風景だ。だが、現在高校生活三年目の萌葱にとっては、通学中に幾度となく見てきたものである。
別段何を思うこともなくふと視線を窓の外に放り出した萌葱は、
そこで思わず、目を見開いた。
明らかに異質な『暗闇』が、街のど真ん中に我が物顔で居座っていたからである。
モノレールが減速を始める。
巨大なドーム型をしたそれは、遠目に見ても半径百メートルはあった。
車窓から目視されたその異常事態に、他の乗客たちもざわめき立つ。どうやら見間違いではないらしい。現実を再確認し、開きかけのドアをこじ開けるようにして萌葱は駆け出した。
否応無く、動機が早くなる。背筋がザワザワと躍動し、指先は僅かに震えだした。
ああ、コレが俗に言う『嫌な予感』か。
「あの辺り……思いっきり彩海学園じゃないッ‼︎」
一瞬の出来事であった。
零菜は、空を覆う赤黒い天蓋を見上げていた。辺りは日没寸前の如く、薄い闇が満ちている。
ここは彩海学園ではないのか。
自分は、あの黒い化け物に何処かへ連れて行かれたのではないか。
そう考えてから、両隣に立つ見慣れた家族に気付いた。亞矢音も奏麻も、一様に目を見開いて周囲を見回している。きっと二人とも同じく状況が全く把握できていないのであろう。
対照的に、二人の顔を見て段々と気持ちが落ち着いてきた零菜は、黒影が何をしたのかを大体理解し始めていた。
「……結界…?」
そこは彩海学園、零菜たち三人は何処に連れて行かれたでもない。曇天の夕闇のような色の物質で、ただ閉じ込められたのだ。その証明のごとく、校舎、アスファルトの道、先刻飲み物を買った自販機、全てが闇に飲まれる前の位置のままである。
次に平静を取り戻したのは奏麻であった。
「……分からない。取り敢えず古城君に電話はで……」
「……今から掛けてみるけど、期待はしない方がいいと思うわ。ここまで大掛かりな仕掛けのくせに電波は遮断してないなんて、抜けてるにもほどがあるもの」
「……きそうにも無いね、やっぱり」
気が付けば、亞矢音もなんとか気持ちを持ち直して、携帯端末から救援を呼ぼうと試みていた。
しかし、合成音声から突っぱねられては掛け直し、突っぱねられては掛け直しを三回繰り返したところで、ついに折れてしまった。
どうやら懸念通りのようである。
本格的に、三人が顔を付き合わせての作戦会議を開催しようとした時、零菜は電波の有無などより、ずっと前から気になっていた疑問を──他の二人に答えられるとも思っていなかったが──念の為に投げかけた。
「ねぇ、さっきまでの黒い人たち、今はどこにいるか分かったりする?」
「……。」
「……。」
こちらもやはり懸念通り。
急に居なくなるなんて、そんな都合のいいことがあるはずが無い。
辺りに、再び緊張が迸る。
三人の皇女たちは、突如周囲に湧き出た無数の人影を認識して、
「おいで、『
「現れなさい、『
「行くよ、『
それぞれが、『真祖』の血族の証明たる『眷獣』を呼び出した。
眷獣とは、不老不死の魔族『吸血鬼』の力の象徴。異界から召喚される魔力塊であるそれは、多くの場合獣や伝説上の生物など、人外の姿を持ち、絶大な威力を振るう。
しかしまた、召喚に必要な対価も大きい。眷獣の原動力は、生物の命そのもの。一度の召喚に、膨大な寿命を削る必要があるのだ。
故に眷獣は吸血鬼の固有技能と言うよりも、「無限の寿命を持つ吸血鬼たちにしか使えない」と言った方が正しいのかもしれなかった。
三人それぞれの元に、黄金の槍、五頭の翼竜、深紅の西洋鎧に身を包んだ騎士が現れる。
「どうする? また攻撃してもバラバラになって再生するでしょ、多分」
「……とにかく落ち着いて対処しよう。この辺りには少ないけど生徒も何人かいるはず。その子たちを避難させる。何をするにしてもまずそこからだよ」
「名案ね、奏麻。そうね……じゃあ、まずはこいつらをなんとかしなきゃ」
相変わらず身の毛のよだつ気配を醸し出している複数の黒影たちは、三人を囲うように展開されていた。じりじりと、少しずつ擦り寄り、包囲を小さくしていく。
最初に動いたのは零菜。
緊張で汗ばむ手で槍を強く握り、天に掲げる。途端に、黄金の穂先から雷撃が迸り、真っ白な閃光は次々に黒影を呑み込んで行った。
「私が陽動、続いてッ‼︎」
吸血鬼の強靭な膂力で民家の屋根を飛び移り、ものの数分で闇の結界の外周に到着した萌葱は、見事に的中してしまった『嫌な予感』に大きく舌打ちをした。
「やっぱり……。真っ黒で中が見通せないけど、この向こうは学園だったはず……」
屋根から路上に飛び降りて、結界に駆け寄る。勢いもそのままに底の厚いブーツで思い切り蹴り付けるが、衝撃は自分の身体に返ってくるばかりで、当の結界はビクともしていなかった。
「なんなのよ、もうッ‼︎」
無駄だとは分かっていても苛立ちを我慢出来ず、今度は握った拳で、重心を乗せた渾身のストレートを撃ち込む。ゴキン、と鈍い音が響いた。
「いったあ⁉︎」
やはり、生み出されたのは手の激痛だけであったらしい。
「ホントになんなのよぉ……! 零菜たちに電波は繋がらないし‼︎」
しかし直接肌で触れたことで、眼前の結界が固体化した魔力であることを確認した。
もしかしたら、物理的に突破するのは難しいのかも知れない。
そう思い至った萌葱は左拳を庇い涙目のまま、唯一持ち得た強行突破の手段、自身の『眷獣』を召喚した。
萌葱の背後から青い粒子を散らしながら、その輪郭が浮かび上がる。
人型の女性の姿。
身体に僅かな布を纏い、顔の上半分を仮面で隠したそれは、軽やかな動きで宙を舞い、結界に掌を押し当てた。
「ハッキングを開始しなさい。『
瞬間、膨大な量の情報が萌葱の脳に押し寄せる。『
他人の魔力の強制操作。
それこそがこの眷獣の真骨頂。
他に直接的な戦闘能力は備わっていない。
しかし、「それで十分だ」と萌葱は考えていた。
事実、彼女が母から受け継いだ、電子戦における天賦の才能を持ってすれば、ハッキングに必要な情報処理と操作など造作も無いことだ。
「中々やるわね……だけど!」
今までに無いほど堅牢に結びついている術者との回線を、無理矢理引き千切ろうと試み、並行して術者の正体についても情報を吸い上げていく。
魔力とは、その人にとっての血液のようなものである。血液に型があるように、糖分や塩分の濃度に個人差があるように、魔力もまたその持ち主の性質を体現するのだ。
しかし、ここで初めて萌葱は顔を顰めた。
術者のことが分からない。情報を読み取ることはできても、所々に靄がかかっているような感覚がして、断片的なことしか解析出来ない。
「どうなってるのよコレ、相手はホントにこの世の生き物でしょうね…⁉︎」
正体が掴めない、という薄ら寒い恐怖を内心から払拭するために、萌葱はヤケになって解析の手を更に速める。
そして、頭の片隅で考えた。
思えば何もかもがそうだ。
現状は何もかもが謎すぎる。
敵は零菜たちの居場所を知っていたのか。
何故襲ってきたのか。
目的は何なのか。
今もどこかで、様子を見ているのか。
「面白いことをしておるな、娘」
何かに弾かれたかのように振り返る。
背後から聞こえたその野太い声の主は、すぐ眼前。
見上げるほどの巨躯を誇る男が、白い異国の外套を目深く被り、鋭く尖った眼光をより一層細めて、興味深い物を見るかのような顔でじっと萌葱の瞳を覗き込んでいた。
「お前さん、己れと同じ『鬼』だな」
あまりの威圧感に、萌葱は一寸たりとも体が動かせない。
猛烈な死の予感が皮膚を叩く。
震える喉で、辛うじて何か言葉を紡ごうとした時、被せるようにして男は三度目の口を開いた。
「して、娘。お前己れと闘えるのか?」
娘たちの眷獣の説明は、次回以降本編でしっかりとやっていこうと思っています。
頑張って週二回ペースでは更新したいですけど、
したいんですけどねー……。