執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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実験


第10話

 その影は、ただ一人暗い廊下を歩いていく。

 明かりは無い。廊下の窓から見える空は黒く、淡く仄かに輝く月の光だけが影の行き先を僅かに照らしてた。しかし、その光も消え去った。影は立ち止まり、窓へと近づき空を見上げる。

 

 雲が月を覆っていた。風の無い夜である。影はこの闇は長く続くのかと嘆息を漏らした。

 影はまた窓から離れ、廊下を一人歩いてく。

 

 周囲には影の足音と手に持った袋から鳴る音以外何一つ無く、深海の奥に迷い込んだような深蒼の夜は、見るものに死後の世界を錯覚させる。だが、影はゆっくりと歩くだけだ。

 まるでその世界の王――否。

 

「あら、意外と早くに雲が動いたのね」

 

 女王の様に。

 雲の払われた夜空は再び月の明かりを取り戻し、その幽雅な灯りは影を照らした。元軽巡洋艦、現在は兵装交換によって艦種変更し、重雷装巡洋艦となった大井である。

 特別海域の切り札。と多くの提督達から信頼を寄せられる3人しか居ない重雷装巡洋艦娘の一人だ。この鎮守府でも多分にもれず、大井という艦娘は要の作戦行動となると殆ど第一艦隊、または連合艦隊に参加していた。

 最近では準重雷装巡洋艦娘とも言うべき軽巡洋艦娘の登場により、少しばかり出番は減ったが、それでも提督にとっての準レギュラーメンバーである。

 

「ふふふふ……」

 

 大井は何かを思い出したのか、口元に手を当てて淑やかに微笑んだ。見る者が居たら、さぞ驚いただろう。そしてさぞ慄いただろう。その相は淑やかでありながら、穏やかでありながら、目に強烈な情がこもり過ぎていたからだ。

 

 ――あぁ、楽しい。

 

 楽しくは、無かった筈だ。彼女の"前"は、楽しくなど無かった。軽巡洋艦としては凡庸で、練習艦として未来在る少年達を死地に送り込んだだけだ。そして大井自身もまた――

 

 それでも、大井は今微笑んでいた。

 窓からさしこむ柔らかい光が照らす、その廊下に、大井の影と僅かな音、そして音楽が加えられた。奏でたのは、もちろん大井だ。彼女は鼻歌を奏でて歩いていく。ただ、ただ歩いていく。脳裏に過日を思い出しながら。

 

 彼女、大井は艦娘になっても、やはり平凡な軽巡洋艦娘でしかなかった。姉妹艦達、そして戦友達と再び見えた事は喜べたが、それだけだ。ネームシップの姉が戦場で活躍し、他の仲間達が戦果を挙げるたび、大井の胸は喜びと苦しみで乱れた。

 

 もう一度与えられた命である。しかも、何の因果か人型で。今度こそ、今こそ何かが出来るのだと大井は信じていた。それを仲間達は証明し、彼女は証明できなかった。その嬉しさと苦しさは混ざり砕け乱れ溶けて、やがて狂った色で鈍く光る一振りのナイフに形を変え、大井という艦の古傷をえぐり、大井という少女の心を削った。

 

 だから、彼女は北上に依存した。マイペースで、大井を拒まない、最も近い存在である北上の存在だけが、大井の居場所になれた。大井が、その居場所以外を拒んだのだから。大井だけが傷を舐めてもらう不毛な日々は、しかし突如失せた。

 

 提督が、大井と北上を第一艦隊に編入したからだ。

 当然、大井は混乱もし、反発もした。居場所を決めてしまった彼女に、今更他の場所は必要なかったのだ。何もかもが弱い大井には、特に。

 

 ――北上さんに手を引かれて、嫌々出撃してたな、あの頃は。

 

 挙句、出撃早々大破もした。中破など何回やったか大井はもう覚えていない。いたいいたいと、イタイイタイと零して鎮守府に帰り、何度提督に毒を吐いたのか。それももう大井には分からない。 

 北上という存在が大井の傍に居なかったら、大井は提督に何事かをやってしまっていただろう。それが例えその当時不可能であったとしても。

 提督に命令されたのなら、艦娘達は従わなければならない。理解していても、積もっていく痛みと出撃回数だけが嵩んで行く日々は大井にとって理不尽な時間でしかなかった。いつになったらこの時間は終わるのだと、何度嘆いただろう。だが、不思議と、この日は無理だ、と彼女が思う時だけは提督も彼女達を動かさなかった。

 

 弱い彼女は弱いなりに、平凡な軽巡洋艦娘として海上を駆り、火線走る砲雷音楽の世界を無様に回り続けた。危うい立ち回りも、第一艦隊の両目に助けられた。

 そんな彼女に変化があったのは、いつ頃であったのか。

 

 ――北上さんが活躍しはじめて、MVPとったり……私も、そうよね。

 

 北上のMVPに顔に大輪の花を咲かせた。そして、その頃から大井もまた戦場の主役足りえる存在になった。

 仲間達と戦い、共に帰還する。まだ守られる事の多い北上と大井であったが、そんな日々も大井は受けいれていった。かつて大井を傷つけていた不気味なナイフは、もう無かった。

 

 そして、またその日々は変化する。始まりは、やはり提督だ。

 珍しく出撃を早めに切り上げたその日、提督は二人を工廠へと呼び出し――世界は、大井の世界は塗り替えられた。

 新しい世界の色に誰よりも驚いたのは、北上であり大井であった。

 平凡な軽巡洋艦娘は、その日からたった二人の重雷装巡洋艦娘になった。

 

 守られる側から、守る側へ。怯える者から、追う者へ。変わっていく大井の中で、一番変わったのは……北上と提督、両者への距離だろう。艦娘として、また少女として一人の足で立った時、大井は過去の自分が危うい状態であったと正確に理解できた。

 大井は北上に傷を舐めてもらう事をやめ、対等な者になろうと距離をとったのだ。それは、提督との接し方にも変化を表した。

 

 ――手探り、だったけど。

 

 あの苦しかった時間も、この為に合ったのだと理解した大井は、提督に礼がしたかった。

 大井は思う。北上に依存していたあの頃を終わらせたのは、間違いなく提督だ。あのままあり続けていれば、自分は狂愛的な人格を作り上げ自壊して居ただろう。第一艦隊の仲間達を与えてくれたのは、提督だ。あの狂った光沢で自分を刺していたナイフを砕いたのも、提督だ。と。

 

 されど大井には分からなかった。艦娘としての大井の容は造れたが、少女としての大井を大井自身が分かっていなかった。

 大破、中破で帰還した際、提督に毒を吐いていたのは大井自身の意思だ。そこに嘘は無い。

 無いからこそ、わからない。どうすれば、どうやれば、提督へ確りと自分の想いを告げられるのか。それは、今も変わらない。

 

 ――手探り中、だけど。

 

 大井は鼻で笑った。自身に向かって、である。

 

 どれだけ臆病なのよ。もうあれからどれくらい時間流れてると思っているんだ私。しかも今妹まで重雷装巡洋艦娘になってるじゃない。別に提督の事とかどうで良いし、良くないし、最近提督インスタントラーメン買ったって本当? 駄目ですよそんなのばかり食べてたら体壊しますよ? 今度一緒に北上さんとお弁当つくって持って行きますからね。だってたった二人だけの重雷装巡洋艦ですものあと近頃第一艦隊に編入されないから開幕魚雷そのへんの改長良型の阿武隈型軽巡洋艦娘阿武隈とかいう? なんかそんな人? にぶちこんでもいいですか? あとそろそろ阿武隈さんうざい。あとあとそろそろ138枚目の提督の写真が欲しいのでまた撮りにいきますよ。

 

 以上、大井が自身を鼻で笑った際、頭にあった言葉全部である。

 阿武隈に関しては、大井達の出番を少々奪った事に対してのライバル意識である。あと北上との距離に少々思う事があるらしい。

 

 大井は明かり一つ無い廊下を歩み続け。そっと足を止めた。

 大井が夜歩いた、その理由が、今大井の目の前にある。彼女は目の前のそれ――扉のドアノブをつかんで、回した。小さな音が廊下に響き、大井は周囲を見回す。誰も居ない事を確かめてから、彼女はそっと室内に入った。

 

「誰も危害を加えないからって、無用心じゃないですか……」

 

 と口にする大井だが、もし鍵をつけられたら一番困るのは彼女である。

 

「ねぇ、提督」

 

 大井がじっと見つめるその先には、彼女達に司令、或いは提督と呼ばれる男が布団に包まって眠っていた。大井はその姿を眺めてから、執務室の冷蔵庫に近づいていく。冷蔵庫をあけ、膝を床につき袋の中から羊羹、お茶などの取り出すとそれを冷蔵庫におさめていく。

 

「んー……この前に買って来た羊羹、あんまり口にされてませんよね。お口にあわなかったのかしら。次からは別のにしますね?」

 

 大井は眠っている提督に笑みを向け、冷蔵庫のふたを閉じると今度はクローゼットに向かった。目の前のそれを静かに開け、吊るされている提督の服を一つ一つ確かめていく。

 

「うーん……これは初霜、これは初風……こっちは……あぁ、球磨姉さんね」

 

 アイロンをかけた艦娘の名前だろう。それぞれの癖を見取った大井は、これならよしと頷いてクローゼットを閉じた。

 ちなみに、駄目だしが出た場合、大井がその場でアイロンをかけ直す。嫁としての能力は意外と高い大井のだ。ただし嫁としての人格は保障しない。

 

 その後も、大井は箪笥の中を確かめ、箪笥の中の提督のシャツの匂いを確かめ、箪笥の中の提督のハンカチの匂いを確かめ、箪笥の中の提督のタオルの匂いを確かめ、重労働によって額に流れた汗を手の甲で拭って、ふぅ、と息を吐いた。

 

「さて……と」

 

 呟き、大井は提督の枕元へ音も無く歩いていく。未だ何事にも気づかず、否、今回もやはり気づかず、提督は眠り続けていた。

 

「……」

 

 大井は無言のまま、枕元に正座をして提督の顔を覗き込んだ。語らず、動かず、本当にただじぃっと。

 やがて、満足したのだろうか。大井は袋からデジカメを取り出し、それを提督の寝顔へ向けた。シャッターを切ろうとした瞬間――彼女はそれを止めた。

 それまで穏やかだった提督の寝顔に変化が生じたからだ。デジカメを投げ捨て、大井は提督の顔をあわてて覗き込んだ。提督の相にあったのは、かつて大井にあった何かだった。それは大井の勘違いで、思い込みかもしれない。だが、大井はそう感じた。

 

 ――居場所が無かった頃? 提督?

 

 大井は目を見開いた。そうではないか。提督には皆が居る。艦娘達が居て、その中心には絶対提督がいるのだ。だというのに、大井の目に提督の貌は昔日の自分を見せたのだ。

 大井は戸惑うように手を伸ばし、提督の頬を撫でた。温もりで癒せる物であれば、そう思っての事だ。それまで、決して提督には触れなかった大井が、初めて提督に触れた夜でもあった。

 

 ――大丈夫、大丈夫……

 

 起きそうにない提督の額に手を当て、大井は提督の寝顔を覗き込んだ。すこしばかり苦しそうな提督の相は、まだ晴れない。

 

「ここにいますよ。ここに、居ます。私が、居ます」

 

 小さな呟きは、誰も知らない。

 雲に覆われた月夜の世界は、執務室を深海の底へと誘っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 その影は、ただ二人廊下を歩いていく。

 廊下の窓から見える空は青く、燦々と輝く陽の光があらゆる物を照らしていた。

 

「あー……大井っちー、私ら最近暇だねー」

 

「平和な証拠ですね、北上さん」

 

「だねー」

 

 飴でも口に含んでいるのだろう。北上は頭の後ろで手を組みながら、口をもごもごと動かして歩いていく。その隣に、大井がいた。彼女は北上の隣を歩き、幸せそうに笑っていた。

 

「んあ」

 

 と北上は間抜けな声を上げて立ち止まった。そうなると、隣に居る大井も立ち止まる事になる。

 

「どうかしましたか?」

 

「んあー……提督、いるねー」

 

「あぁ、いますね」

 

 北上は首だけ動かし、その扉を見つめる。中から聞こえてくるのは、初霜と提督の声だ。北上は隣に居る相棒に振り返り

 

「お邪魔する? どうよー、大井っちー?」

 

 と聞いた。その言葉を聴いた大井は、ふるふると首を横に振った。

 

「あの人の邪魔は……したくないの」

 

 そう言って、大井は北上を置いて歩いていく。徐々に小さくなっていく大井の背を、珍しく呆然とした相で眺めていた北上は、暫しの間を置いてから頬を真っ赤に染めて零した。

 

「い、いやいや、いやいや大井っち……あんたなんて顔で言うのよ」




大井、山城はいいと思います。いいと思います。
早霜? あのこはなんていうか、クーデレ寄りだとぼかぁおもうんだなぁ
あと多いと大井がゲシュタルト崩壊しました

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