執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第11話

「第一艦隊、揃いました」

 

「あ、はい」

 

 背後から聞こえる大淀の声に、提督は隣に立つ初霜へ困惑の視線を向けた。

 だが、初霜は苦笑で提督に返すだけで口を開かない。提督は机の上においてあった帽子のつばをつかみ、適当に頭の上へと帽子を乗せた。

 

「提督、失礼します」

 

 提督が適当に乗せた帽子に不満でもあったのか。背後の大淀が帽子を調整し、前に回り込んでから一つ頷き、また背後に戻っていった。納得の出来だったのだろう。

 

「あぁ、ありがとう」

 

「いえ、申し訳ありません」

 

 提督の言葉に、大淀は一礼する。もっとも、前を向いたままの提督にはその姿が見えず、目にしたのは、今提督の前で横一列にならぶ第一艦隊の艦娘達だけだ。

 

 その艦娘達一人一人の顔を提督は見つめた。

 第一艦隊不動の元一航戦コンビ、艦隊の両目、龍驤と鳳翔。二人は提督と目が合うと、鳳翔は深々と頭を下げ、龍驤はにんまりと笑って小さく手を振った。

 その二人の隣は、特別海域の切り札、北上と大井である。この二人も、提督と視線がぶつかるとそれぞれの反応を見せた。北上は、にんまり、と笑い胸の前でピースをし、大井はすまし顔で腕を組みそっぽ向いた。

 

 それぞれの如何にも、といった返し方に提督は左手で帽子を脱いで、右手で頭をかいた。適当に頭に帽子を戻すと、また大淀がそれを直す。

 

「ありがとう。でも僕は大丈夫だよ母さん」

 

「いえ、申し訳ありません。あと私は提督の母親ではありません」

 

 今度は振り返り、大淀の顔を見ながら声を上げる提督に、大淀は綺麗な一礼と否定を返した。自身の首を軽く叩いて、提督は前に向き直る。そして、第一艦隊の残る二人へ目を向けた。

 

 第二水雷戦隊最強、夜を裂く華、神通。

 第一艦隊旗艦、山城。

 

 「……」

 

 提督は何も言葉にしなかった。

 数日前提督に見せた気弱げな相など欠片も見せず、兵士の顔で海軍式の敬礼をする不動の神通を目にして、提督は得心が行ったと頷く。かつて初霜が語った言葉の意味が、形となって今提督の目の前で片鱗を覗かせているからだ。

 感嘆のため息をもらした後、提督は盗み見る様に山城に目を移した。

 

 神通の隣で真っ直ぐ前だけを見てぷるぷると震える涙目の山城。提督に何かを言える訳も無かった。言う権利も無かった。

 なぜかと言えば、この編成を考えたのは、提督だからだ。

 

 ――昔の名残なんだろうなぁ……こんな事になるなんて思ってなかったから、こんな事やってたんだなー。僕は。平然と、残酷に。

 

 まだ提督になって日の浅かった昔日の自身を思い出しながら、彼はその能天気そうな脳裏の自身を数度殴っておいた。その程度の権利はあるだろうと考えながら。

 

 提督曰くの"昔の名残"だろうか。大淀や長門に編成を任せても、だいたい彼の好んだ編成で返ってくるのだ。この日も、そうであった。もちろん、提督がそれを拒む理由は無い。無いはずだが。

 

 ぷるぷると震える山城と、何ともいえない顔で立つ提督の目が合い、瞬間、二人の目に力がこもった。

 

 なんて事するのよなんて事するのよ。またこれなの? なんでまたこれなの? これ隣の人これあれよ、あれなのよ? 5500トン級の艦体で弩級戦艦に突っ込んでくる意味のわかんない、えーっと……あれなのよ? わかってるの、その頭には何がつまってるの? 脳みその変わりに別の物はいってるんでしょ? ばかなの? しぬの? っていうか私胃に穴空いてしぬわよ? あぁ……空はあんなに青いのに……。

 

 いやー、なんと言うかこの編成、僕にとっては艦隊の安定感半端ないのよなー。多少限定的なのは認めるけどあきらめて欲しいかなーって。あと神通さんはほら、山城さんを信頼してほら、あの、突っ込んでいっただけで、な、ほら? うん、あぁ、な? お、そうだな。あ、うん、明石の酒保に豆乳あるって隼鷹から聞いた事あるから、飲むと良いとおもうのよ、僕。あれ胃に優しいから。あとお姉さんのセリフとるのはやめようか?

 

 この間一秒。それぞれ山城の念と提督の念である。一切口は動かしていない。

 だと言うのに。

 

「それ本当?」

 

「胃に膜を張るから良いんだってさ。守ってくれるって訳かな」

 

「へぇー……姉様にもお勧めしておこうかしら」

 

 しっかりと通じ合っていた。

 突然口を開いて意味不明な会話を始めた提督と山城に、その場にいる全員が何も言わない。見慣れた光景だからだ。

 

 こほん。

 

 と小さく咳一咳し、提督は第一艦隊をもう一度見回して頷いた。

 

「皆の活躍と、無事を願うよ。よし、お互いお仕事始めようか」

 

 締まらない提督の言葉に、その場に居た全員が背を伸ばし海軍式の敬礼を提督に見せた。提督も慣れぬ様子で敬礼を返し、それを見届けてから第一艦隊の面子は執務室から一人、また一人と去っていく。そして最後、白い着物と赤く短い袴姿の背に、提督は声をかけた。

 

「山城さん」

 

「……なんですか、提督」

 

 幽鬼の如く。まさにそれ以外の例えが出ないほどのオーラと相で、ゆらりと山城は振り返った。青白い火の玉でも周囲に飛ばしていそうな山城の姿に、提督は

 

「いってらっしゃい」

 

 とだけ言った。

 山城は提督の顔をじっと見つめた後、小さく頷いて退室していった。続いて、大淀が提督に一礼して部屋から出て行く。これから、港で具体的な話をするためだろう。

 

「あぁー……こういうの、いるのかなー? いや、わかんだけどねぇ」

 

 椅子に座ると同時に、提督は執務机に体を預けた。初霜は提督の姿に苦笑で返す。

 

「出来れば、いつもやって欲しいんですが」

 

「無理、それやったら引きこもる」

 

「どこにですか」

 

 すでに執務室に引きこもっている提督である。これ以上どこに引きこもれるのかと初霜は純粋に疑問を抱いた。

 

「ここ」

 

 と提督は自身の寝そべる机を指差した。机の下に引きこもるという意味だろう。

 

「止めてください。そんな事したら、鳳翔さんと雷さんを呼びますよ」

 

「やめてくださいしんでしまいます」

 

 初霜が名を上げた二人は、大抵の鎮守府、警備府等の提督に愛される、または提督を愛してやまない艦娘であるのだが、初霜の所属する鎮守府の提督はこの二人に――と言うよりはこの二人にも――弱いらしく、机から身を起こして涙目になっていた。

 

「それにしても……山城さんは大丈夫なんかね、あれ」

 

 編成を許可しておきながら、提督は山城の姿を思い出しつつ首を叩いた。

 あれは普通、艦隊行動に支障が生じるレベルなのではないかと、今更ながら心配になってきたのである。昨日は大丈夫だった。その前も大丈夫だった。だから今日も大丈夫。

 といかないのが人であり仕事だ。

 

「大丈夫ですよ。山城さんは第一艦隊の旗艦なんですから」

 

「そうかい?」

 

「そうですよ。海に出れば、あの人は切り替えます」

 

 初霜の言葉に提督は、そんなものか、と納得したが、その話題でもう一つ思い出して呻いた。

 

「……やった方がいいんだろうけどねぇ、あれも」

 

 提督は窓から見える空を見上げながら、ぽつりと口にした。

 彼らが行った、第一艦隊の艦娘達の――そんな大それた物ではないだろうが、観艦式である。今日戦場へ行く者に、提督が声をかけるのは間違っていない。いや、間違っていないどころか、そうしてしかるべきだ。最終的な決定権は提督にあった以上、彼女達を海上に送り出したのは提督なのだから。

 

 しかし。それでも。

 

 ――違う。

 

 提督は大きく息を吐き、隣にいる初霜を見た。初霜は泰然とそこにたたずみ、提督を静かに見つめていた。

 

「……仕事といきましょう」

 

「はいはい。今日も一日頑張りましょうーっと」

 

 初霜の言葉に、提督はペンを取り、机の上にあった書類を一枚、手に取った。

 

 ――わがままだ。

 

 提督と初霜は、胸中で同時に呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 仕事を覚え慣れ始めた提督と、それを助ける秘書艦がいれば簡単に片付く事もある。早々に終えた書類を机の隅に追いやり、提督は時計を見上げる。まだ早い時間だ。となれば。

 

「はい、提督。お茶と羊羹です」

 

「あー、ありがとう初霜さん」

 

 いつの間に用意していたのか、初霜は提督の分を机に置き、自分は書類を纏めて扉へと向かっていく。

 

「では、終えた分、大淀さんに預けてきますね」

 

「はい、お願いします」

 

 初霜は一礼し、ドアを開けて退室する。

 

「大本営に送る、ねぇ」

 

 頬杖をつき、初霜が持っていった書類を思い出して提督は口元を歪めた。

 

 ――誰の物として、誰に送るんだ。

 

 提督は、大本営なるものを知らない。まったく、知らない。しかし、半月以上もそれで回ってしまっている。まるで問題など無いかの様に、当然歴然瞭然画然と回っている。

 

 ――割り込んだ? 奪った……? どうなんだ?

 

 顔を上げ、頭を乱暴にかく。そして、額を二度ほど手のひらで叩いて……初霜の用意してくれたお茶と羊羹を見た。

 

 疲れた頭が糖分を欲しがり、提督はお茶より先に羊羹を口に運ぶ。

 

 ――その程度か、僕の悩みは。

 

 口に含み、ん、と彼は首をかしげた。目を閉じ、味わう様に時間をかけて咀嚼してから嚥下し、提督は首を横に振って冷蔵庫を見た。

 提督は買い物にも行けない。ゆえに、彼の双眸に映る冷蔵庫の中身は、艦娘達が用意してくれた物だけが入っている。艦娘たちがいなければ、提督はこうやって甘い物も食べられないのだ。

 

 ――ご機嫌取りと判子とサインが仕事か。ご立派だぞ、僕。

 

 提督は首を横に振って、窓の向こうにある景色を見た。見慣れた風景だ。そして、窓硝子に仄かに映る自身の姿を見て、目をそらした。

 

「あぁ、昨日はよく寝られたのになぁ」

 

 何故だかは分からない。だが、その夜提督は久しぶりにゆっくりと眠る事が出来た。まるで誰かが傍で見守っていてくれたかのような、そんな温もりに包まれて眠る事が出来た。だと言うのに、そんな小さな幸せも窓に映った薄くぼんやりとした彼の姿が、提督から奪い去った。

 

「なぁ、僕は少佐か?」

 

 独り言にしては大きな声で提督は続ける。攻撃的な彩で瞳を染めて、乱暴に椅子の背もたれに寄りかかり、今度は小さく。

 

「なぁ、僕は新米の、着任したての提督だ。提督なんだ」

 

 大本営も知らず、何かに怯えて自分の階級章も目にしない提督は。

 

「まさか大将って事は無いだろう? だってそれは――」

 

 呟き、飲み込んだ。

 どこかで。遠い遠いどこかで。PCのディスプレイがひび割れた。


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