執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第22話

 机の上に置かれた書類の束から一枚取り、その内容を確かめてから提督は判をついた。手元にあった書類を隅にやり、また種類の束から提督は一枚取る。彼がそれを繰り返していると、ソファーに座っていた女性が声を上げた。

 

「大変そうですね」

 

 そう言って女性――山城は手元の本に目を戻した。大変、とは言っても、その余りの無関心さに提督は肩をすくめて山城に目を向けた。

 

「なら、手伝ってくれても良いんじゃないか? ここで本を読むより、余程有意義だ」

 

「提督の仕事でしょう……? 私は今、非番で待機中ですから」

 

 山城のその言葉に提督は少しばかり目を細め、山城は山城で、本から顔をあげ提督に常の相で目を合わせる。僅かな時間目を合わせ、二人は目を離してそれぞれの作業に戻った。

 提督は書類を確かめながら頭をかいた。

 

 ――そんなに嬉しいものかねぇ、ここで休憩なんて。

 

 判を押しながら、口をへの字に曲げる。おかしな物で、提督には山城の言いたい事が目を合わせただけではっきりと分かる。そしてそれは山城も同様だ。先ほどの二人の会話になっていない会話は、他者にはまったく理解できないが当人達には十分理解できていた。

 

『たまの非番じゃあないか。君も扶桑さんと一緒にどこかに行ったらどうだい?』

 

『姉様は伊勢と一緒に新入りの江風達を連れて航空戦艦運用演習に出ました……これ、提督の命令ですけれど?』

 

『あー……すまないね、申し訳ない』

 

『……いいえ。じゃあ、私は楽しい休憩に戻りますから』

 

 以上が、二人が目を合わせて声も出さずになした会話である。どういう理由による物か、はたまたただの神様の悪戯であるのか、この鎮守府で出会って以来、提督と山城はこの様な事になってしまっていた。それを山城はそういった物かと受け入れ、提督は仕方ないかと諦めていた。違いはそこだけである。

 提督は書類から離れ、頭の後ろで手を組み背伸びをした。

 

「んー……」

 

 そのまま提督は目を閉じ、肩を解して目頭を揉んだ。小さくため息をはき、彼は目を開けて書類仕事に戻ろうとして、自身に向けられた山城の目に気付いた。

 

『少し前までよく欠伸を零していましたけど……お疲れですか……提督?』

 

『いや、最近は良く眠れるようになったから、そうでもないよ』

 

 ここに来た当初から暫くの間、提督は睡眠不足に悩まされていた。状況が理解できても、体と心への負担は大きすぎたのだ。何か特別な訓練を受けた人間でもない、まったくの普通人間である提督にとって、状況の理解が進むほどに疲労は積もって行った。寝不足などもそれが原因だ。

 

 だが、いつ頃からか提督の睡眠不足は解消された。誰かが傍にいるような温もりが、提督に安らぎを与えたからだ。

 

『今は見逃して上げた方が良さそうね……あれも。今は……』

 

 提督が山城の目から読み取れた思考は、そこまでだ。山城は提督から目をそらし、ソファーから腰をあげ提督へ近づいていく。

 

「あー……何かな?」

 

 視線も合わず、ただ無言で近づいて来る山城に提督は戸惑いを過分に含んだ目で問うた。ただ、それも無意味だ。山城は俯いて提督に歩み寄ってきている。その目は誰にもぶつからない。

 山城は提督の横まで来ると、腰をかがめて提督の顔を見下ろした。

 

 ――ほら早霜さん、よくある事なんだよこれ。

 

 かつて、司令官を見下ろすなんて出来ないと言った少女に心中で呼びかけながら、提督はまた口をへの字に曲げた。

 

「顔色は良いのね……ご飯はちゃんと?」

 

「色々作って貰ってます」

 

「ちゃんと休んで?」

 

「程々に仕事して程々に休んでます」

 

「間食とかしてない?」

 

「昨夜大淀さんと夜食を少々」

 

「へー、そー、へーぇー……」

 

「やだこわい」

 

 山城の、久々に実家に戻ってきた息子を見る様な目が、最後の質問に返した提督の言葉で一気に濁った目へと変わった。

 

 山城はそっと提督に頬に手を添え、常の相でじっと佇んだ。提督はそんな山城の目を見ようとして――止めた。彼の仕事は判子とサインと艦娘達を誉める事、そして尻尾を振ることだ。

 個人だけに応えるのは、何か違うと彼は考えた。

 

「提督は、私達でなくても良いですからね……」

 

 唐突な、先ほどの言葉に比べてどこか冷たい山城の言葉に、提督は背に冷や汗をかいた。

 

「提督は、他の誰かの助けがあればそれでいいでしょう? それは別に、私達じゃなくても良い……けれども提督、私達は違うの」

 

 提督には山城が突然と声の温度を変えたことは判然と出来ないが、語る内容は判然と出来た。

 確かに、その通りだ。提督は我知らず胸中で零した。風呂やトイレをこの執務室に設置するのも、妖精、または時間は掛かるだろうが業者を呼べばよかった。食事も、持ってくる誰かが必要なだけで、艦娘達が絶対に必要というわけではなかった。提督には。

 

 提督、という肩書き以外に、彼が在る為に艦娘は必要ではなかった。提督という肩書きだけが、艦娘を彼の傍に置いていた。

 山城は提督の頬を撫でながら続ける。目を見開く提督とは、一切目をあわさずに。

 

「私達艦娘には、艦長も砲撃手も舵手も必要としない。けれども、私達は艦なの、提督……」

 

 空いていた山城の手が、空いていた提督の頬に添えられる。

 

「提督が、司令が、司令官がいない艦隊は無いの。艦を統べる貴方が居ない私達は、存在する理由も意味も無いの。在るのも、生きるのも。生み出し、見つけた貴方が居るからなんです」

 

 何が山城をこうも饒舌にさせるのか。提督は山城を見上げようとして、遮られた。

 

「やめて、嫌。許さないし許せない。ここで生きるために尻尾をふろうなんて貴方の目は見たくない。そんな目でもう一度私を見たら、沈めて、沈んでやる」

 

 目を見てわかる互いであれば、提督のこの執務室でのあり方など山城にはすぐ分かったのだろう。提督は頬に添えられた山城の両手の震えに、その手のひらの冷たさより痛みを感じた。

 

「それでも……」

 

 震える山城の声に、提督は一度執務室の扉をみつめてから、目を閉じて山城の手の上に自分の手を置いた。声同様に震えた山城の手を、提督は自身の手で包み込んだ。

 

「貴方が、こうして触れて……貴方と話し合えて、不確かじゃないから……ここでも良いと思って私達は」

 

 提督より先に、この世界を受け入れた。彼女達は、この世界で良いと判断した。何かが違っても、どこかが違っても、そこに提督が居るからだ。不確かでも、突如消えるでもない、執務室の一室に常に提督が居るからだ。

 だから彼女達は提督を確かめる。霞は傍にたって小言を口にし、浜風は誉めてもらおうと執務室に寄り、初風は一緒に在りたいと隣に座り、神通は温もりを求めて寄り添おうとした。大井は、長良は、早霜は、加賀は提督に触れ温もりを確かめ、そして山城は――

 

 提督は震える山城の左手を優しく握り、彼女の薬指にある金属質の冷たさを確かめてから目を開けた。そのまま、顔をあげ山城と目を合わせる。未だ尻尾を振っていれば、提督は山城に沈められる。そして山城は自身を沈めるだろう。

 二人は目を合わせるだけで、他には何も無い。山城はあいている手を提督の頬から離し、提督の男にしては細く首に手をかけることも無く、自身の口元に手をあてて俯いた。

 

「普段静かなタイプは、饒舌になると怖いねぇ」

 

「……うるさい、提督」

 

 提督の軽口に、山城は目を閉じて大きなため息を吐いた。そんな山城から視線を外し、提督は天井を見上げて肩をすくめる。

 

「君たちも、やっぱりおかしいとは思っていたんだ?」

 

「当たり前です……着任もなにも、私達の記憶には貴方との長い時間が在るんです」

 

 開放した海域。走り回ったイベント。増えていく仲間。とある艦娘強化アイテムからの騒動。それらはすべて彼女達のなかの記憶に、確りとある。

 

「僕はね、確証は今までなかった」

 

「そうなの……?」

 

 山城の言葉に、提督は素直に頷いた。

 

「だって僕が君達と会っていたのは、その……まぁ、そういうのでさ。その君達にそういった感情があるのは、僕からしたら十分ファンタジーなんだ」

 

 提督からすれば、そうなる。自身がPC上で触っていた世界のなかで、彼女達一人一人が生きて在り、そこに確固たる感情が宿っていたなど知る筈も無い、知る事もない筈の事であった。

 知りもせぬ鎮守府に、突如着任しなければ。

 提督にとってここはファンタジーの二重掛けだ。慎重にもなるし、疲労も負担も積もってかかるばかりであった。

 

「よく分からないわ……」

 

「多分、知ったらここに来た以上に驚くよ」

 

 提督は握ったままの山城の手を僅かに引いた。

 

「なんですか……?」

 

「多分、そういうのも含めて……君か初霜さんに真っ先に言うから、次からは」

 

「そ、そうですか……そうですよ、私は第一艦隊旗艦……提督の旗艦で、初霜は提督の秘書艦なんですから、そうしてください」

 

「うん、それにしても、皆先に納得済みかぁ……」

 

 気の抜けた顔で呟いた提督に、山城は弱弱しく首を横に振った。

 

「ちょっと違います……正確には、ここに来たのも、提督が出てこないのも仕方ないと納得している派と、ここに来たのは納得しているけれど、提督が出てこないのは嫌派、がいます」

 

「はい?」

 

 山城の言った内容を理解しようとする提督は、しかしその作業は中断を余儀なくされた。

 廊下から、音がする。そして、何か言い合う声も。

 

「……?」

 

「あぁ、このタイミングでぶつかるとか、流石初霜と青葉ね」

 

「は、はい?」

 

 提督は再び混乱に陥った。脳内で処理が終わらぬ作業があるというのに、また作業が増えたのだ。特に優秀というわけでもない彼のスペックでは、処理落ちで動作も鈍りつつある。

 なぜか、まったく落ち着いた様子で山城は提督にゆっくりと語りかける。

 

「つまり、提督がいてくれればそれでいいの派筆頭の初霜と、提督が出てこないのはじっとしてられないな派筆頭の青葉のぶつかり合いが、今そこの廊下で進行形です」

 

「――え?」

 

 山城が指差すそのドアの向こうから、何かが倒れるような音がした。




ちなみに、第一艦隊嫁艦さん以外には霞なんかも大分早くから提督の尻尾振りを理解していた模様。

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