執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第23話

 大淀に書類を渡し終えて執務室へと戻る初霜は、自身が今しがた声を交わした大淀の上機嫌な様子に首をかしげながら、ゆっくりと歩いていた。

 提督と山城――トップとその旗艦の逢瀬である。直ぐにそれを終わらせてしまうのは悪いのではないか、と考えた初霜なりの気遣いだ。ならそもそも執務室に戻らなければいいではないか、と思われるかも知れないが、執務室にいる提督にはまだ仕事が残っている。それを手伝うのは、初霜の仕事だ。妥協すれば、時間を延ばすしかないのである。

 

 初霜はゆっくりと階段を登り、廊下を歩いた。そして、彼女の目に青葉の姿が映り込み……彼女は駆けた。執務室の前を足音も立てず静かに通り過ぎ、ただ歩いているだけの青葉に近づいていく。その初霜に気付いたのだろう。青葉は常の相で笑いながら、手を上げた。

 

「どうもー初霜さん。どうしたんですかー?」

 

 やはり常通りの声で青葉は声を上げる。ただ、だからこそ初霜は立ち止まり身構えた。

 

「え、なんですか?」

 

 自身に向かって身構えた初霜に、青葉は目を剥いて驚く。そんな様子の青葉を無視して、初霜は口を開いた。

 

「何をするつもりですか?」

 

「……何が、ですか?」

 

「何を、するつもりですか?」

 

「……」

 

 初霜の言葉に、青葉は一度は応じたが二度目は黙った。青葉は廊下の窓から見える青い空を、ぼうっと見た後、興味深げに初霜へ視線を移した。

 

「どうして、分かったんでしょうか? 後学の為にお願いできますか?」

 

 心底、といった相で青葉は初霜に問い、初霜は青葉から目を離さず小さく首を横に振った。

 

「第一水雷戦隊の直感、としか言いようがありません」

 

 初霜の言葉に、嘘は無い。階段からあがり、廊下を歩き、向かいからやってくる青葉を見た瞬間、あぁ、今日このタイミングで執務室に行くのだ、と理解した。青葉が執務室で何を言うつもりなのかも、初霜には予想できていた。初霜にも、青葉の気持ちは理解できる。共感も出来る。しかしそれでも。

 提督の為にある小さな盾は、それらを看過できなかった。

 

「本当に、駆逐艦は怖い」

 

 赤い瞳が鈍く光る、陸の上では滅多に見せない初霜の凶相に青葉は軽口で応じた。だが、その青葉の相は口から出た言葉とは違い軽くは無かった。初霜同様の海上作戦中にだけ見せる、戦士の顔だ。腰を落とし、足を肩幅に広げる。退くも往くも、仕掛けるも迎えるも出来る構えだ。

 海上とは違い、艤装をまとわない事で軽くなった体を持て余しながら、二人はにらみ合う。

 互いに喋らず、目を逸らさず、微動だにせず。そして突如動いた。まったくの同時に、二人が。

 

 仕掛けたのは青葉で、受けたのは初霜だ。真っ直ぐに繰り出した青葉の拳を、初霜は受けずにかわした。艤装からのサポートを受けられない彼女の現在の身は、通常の人間程度でしかない。それは青葉も同じであるが、そうなると単純な事で勝敗が決して来る。

 

 体重差だ。

 

 青葉の体格は平均的な女性のそれであり、初霜の体格は幼い少女のそれだ。みたまま、そのままが如実に結果として出てしまう。ゆえに、初霜はよけた。受ける事自体が負けへと続くからだ。

 身を翻す勢いを利用し、初霜は伸びきった青葉の腕を掴んで極め様とした。が、青葉は腕を曲げて肘を初霜の頬に叩き込もうとする。させじ、と初霜は身を翻して青葉から距離をとった。

 

 再び、ソロモンの狼と坊の岬の小さな勇者がにらみ合う。

 二人は息も乱さぬ互いを見て、何故こうなったのだと同時に考えた。だから、二人は口を開いて声を上げる。

 

「私は……青葉は! あの人と一緒に笑いたい! あの部屋だけじゃなくて、もっと、もっとたくさん、色んな場所で、笑って……! あの人の笑顔が見たい!」

 

「私は……私は、あの人を守りたい。扉を見るたび、辛そうなあの人の心を、間違っていたとしても守りたい」

 

 言葉は終わり、青葉は駆けた。距離を一瞬で詰め、足が床から離れた瞬間から放たれた拳が初霜を穿とうと唸りを上げる。威力が高い事で知られるジョルトブローだ。ただ、そのパンチは隙が多い事でも知られている。初霜は放たれた拳を身を屈めてやり過ごし、がら空きにあった青葉の脇の下に掌打を打ち込もうとし――青葉に組み付かれた。

 

「青葉……さんっ!」

 

「あんなテレホンパンチ、本気では打ちませんよ」

 

 懐におびき出すための餌であったらしい。青葉はこのまま初霜を締め落とそうと顎の下に腕を入れようとしたが、初霜は空いている足を使って全力で壁を蹴った。

 

「こ、この……!」

 

 バランスを崩した二人は転倒し、初霜は青葉の腕から逃げようとする。が、それを逃がすような青葉ではない。逃すまいとする青葉と、逃げようとする初霜は組み合ったまま転がり、もどかしさから叫んだ。

 

「初霜さんだって! 提督と一緒にどこかに行きたいでしょう! もっと色んな場所で笑いあいたいでしょう!? 貴方だけじゃない、皆そう思ってる! 思っていても、みんな動かないから! 私が動くしかなかった! みんなの意識を確かめた上で動けば、提督だって出てきます!」

 

「それは!」

 

「それはなんだと言うんですか……? わがままだとしても押し通します! あの人は居るんです! そこに! もう笑ってもらうだけじゃないんです! 私達が、あの人を笑わせて上げられるんです!」

 

「青葉さんは! あなたは……!」

 

 悲痛な青葉の声に、初霜はそれ以上の悲痛さを秘めた叫びを上げた。

 

「突然に与えられたのなら、突然に奪われると思わなかったのですか!!」

 

 青葉は腕から力を抜き、自身の下で鋭い双眸のまま荒い息を吐く初霜を、呆然と見つめた。彼女の言った言葉の意味が、上手く青葉の中に入ってこないからだ。

 青葉は小さく笑い、首を横に振った。

 

「何を言っているんですか、初霜さん……提督は、提督はだって居ますよ?」

 

「……出てこられない状況です」

 

「ちゃ、着任だってして、この鎮守府の提督として、ここに居ますよ?」

 

「出られないという一つの不都合がある以上、その着任も提督にとって不都合だった可能性があります」

 

 青葉は、首を振った。分かっていた事が、理解させられていく。提督は出てこない。執務室から出てこない。誰にも悟られず、誰にも知られず、突如執務室に現れた提督は、執務室から出てこない。

 

 ――違う。

 

 出られない。

 

 半月、そろそろ一ヶ月の時間、提督は執務室から出てこなかった。それを青葉は出てこないと思った。信じた。信じ切って、信じ続けて、今になって悟った。嘘だと。

 呆然とした青葉の相を見上げて、初霜は息を整えて続ける。

 

「あの人の言葉で、提督の言葉で、はっきりと私達にここに在ると明言されない限り、私達は待つべきです」

 

「それは、いつですか……」

 

 青葉の濁りだした声に、初霜は瞼を閉じて静かに応えた。

 

「わかりません」

 

「いつ……! いつになったら、あの人があそこから出て! 私達の傍に、あの人から来てくれるんですか!!」

 

「わかりません」

 

 目を閉じたまま、自身の頬を打つ暖かい青葉の涙を受けながら、初霜は手を伸ばした。青葉の頭を優しく抱え、そのまま自身の胸にその顔を運ぶ。

 

「は、初めて出来た重巡だと言ってくれたんです! 嬉しいと……嬉しいといってくれたし、私だって嬉しかったんです……! だから、だから……っ」

 

 初霜に、もう言うべき言葉はなかった。ただ、泣き続ける青葉を優しく撫で、ただ提督が青葉達とここに共に在ると明言しくれる時を待った。初霜には、彼女にはもう何も出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 扉の向こうから聞こえてくる声が、泣き声が、提督の胸を抉った。何度も聞いた艦娘の声は、まったく違う響きと彩で提督の耳へ届き、木霊する。扉へ近づき、ドアノブを手にして……ドアを叩いた。

 無慈悲だ。ドアはやはり開かない。

 山城は提督の手元を見ながら、目を丸くした。

 

「実際に見ると、不思議ね……それ、開けようとしているんですよね、提督?」

 

「暢気に言っている場合かい……山城さん」

 

 提督は冷静そうな山城に振り返り、後悔した。目があえば山城と提督は互いに分かる。山城の目から、提督は冷静さを感じられなかったからだ。

 それでも、今提督にはやるべき事がある。ドアノブを指差し、提督は山城を呼ぶ。

 

「すまない、開けてくれ」

 

 その言葉に、山城はドアを開けた。開かれたドアの直ぐ傍には、倒れた初霜と青葉が居た。だが、嗚咽を漏らす青葉とそれを撫でる初霜から、提督に気付いたような気配は無い。彼女達は提督を認識できていないようだ。この執務室自体が、提督の転移の際に可笑しくなった可能性がある。風呂などを設置できた以上、空間自体は狂っていないはずだが、無機物と生物では違いがあるのかも知れない。そんな事を思い浮かべ、提督は自身の額を叩いた。

 今提督にそんな事を考察している暇は無い。提督は山城に横に退くように頼むと、三歩ほど下がって……勢い良くドアの開いたそこショルダータックルをかまして――ぶつかり、倒れかけた。

 

 言葉では説明できない不可思議な現象を前に、山城は目を点にする。ただ、提督だけが悔しげに舌打ちしていた。

 

「やっぱり、またか」

 

 既に実行済みだったのだろう。半月も居ればその程度は終えているらしい。提督は何が足りないのかと考えるより先に、何をしてないのかと考えた。ここが違う世界で、ここが鎮守府で、ここが提督の在る事を許した場所なら、何が足りないのかと考えて、廊下の窓から覗く空を見た。

 

 提督、と呼ばれる彼は、それをただの暇つぶしで始めた。始めてみれば驚くほどはまり、直ぐに課金して入渠ドックをあけ母港を拡張した。増えていく艦娘に飽きないイベント。それらが彼をずっとそこに繋ぎ止めた。その世界の中で、自身が愛され、求められているなど知りもせずに。

 かつて建造し、その誕生を喜んだ彼の初めての重巡が泣いた。

 かつて最初の海域で最初にドロップした駆逐艦が受け入れ様としていた。

 知った以上、理解した以上、そこで泣いている彼の大事な艦娘が居る以上、提督には今すべき事がある。だというのに、執務室がそれを許さない。

 

 なんで出られないと、何故鎮守府を歩けないと、今になって提督は心底から焦燥し、極楽トンボを決め込んでいた先ほどまでの自分を許せそうにないと憤っていた。

 

 窓から見える穏やかな景色に苛立ちをぶつけ、提督はそれをじっとねめつけた。だが、そこに仄かに映る自身の姿を認めると、反射的にまた目を逸らそうとして、提督は動きを止めた。

 提督は窓をじっと見つめ、狂ったように見つめ、自分の服の襟をただただ見つめ、山城に顔を向けた。

 

「山城さん、この階級章の階級は!?」

 

「しょ、少佐ですけど……?」

 

 常ならぬ相の、場違いな問いに山城は目を瞬かせながら答え、その言葉に提督は力強く頷いた。 提督は既に開いているドアに足の裏を向ける。そのまま、蹴破るかのように足を落とした。

 

 ――ここに着任した新人少佐様だ! 大将でも偶に中将でもない! 何か問題があるかこの野郎! 

 

 轟音。そうとしか例えられない音が廊下を、鎮守府を揺らした。

 山城は呆然と、廊下に出た提督に目を向けた。初霜は突如轟音と共に現れた提督に驚愕の相を向け、初霜に守られるように頭を抱えられた青葉は、狭い視界の中で真っ赤になった目を見開いて提督に見入っていた。

 

 執務室の外に居る、提督を。

 

 三人のそれぞれの目に見つめられる提督は、襟を正し、帽子を確りと被り、咳一咳しておもむろに背を伸ばして声を上げた。

 先ほどの轟音以上の、提督からすれば今後もう無い様な大声で叫んだ。

 

「提督が鎮守府に着任しました! これより艦隊の指揮に入ります!!」

 

 提督は小さく息を吐き、どこかぼんやりとした三人を見回してから、少し恥ずかしげに肩をすくめた。




お前が言うんかい。そんなオチ。

あとがきは活動報告にて。

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