執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第3話

 ――これはなんだ。

 

 未だ陽も差さぬ暗闇の中で、息苦しさに目を開け、手のひらを広げて見つめる。

 

 ――これはなんだ。

 

 窓に目をやり、そこに仄かに映る誰かの顔を見て、自身の顔を掌で覆う。

 

 ――これは、自分だろうか?

 

 分からない。

 

 ――これが、自分だったろうか?

 

 分からない。

 ぐるぐると視界は回り、目は閉ざされる。

 

 ――自分なのに、自分が分からない。

 

 何もかもが、シャットアウトされた。

 

 

 

 

「ふ……あぁ」

 

 意識せず漏れた欠伸を、初霜は噛み殺し周囲を見回す。昼時を幾らか過ぎた頃である為か、今初霜が佇む食堂は、閑散としたものだ。彼女は誰も今の欠伸を見ていない事を確かめ、ほっとため息をついた。

 

 ――こういう日は、背骨が痛むわ。

 

 目覚めの悪い日は、いつもそうだ。彼女の前――前世と言うべき艦時代の最後による物だろうか、どうにも、傷む事がある。

 なんとなく初霜は背を気にしながら、今度は重いため息を吐いた。

 

 そんな初霜に、近づいて来る影があった。その影はそっと初霜の背後に回ると、ぽん、と軽く肩をたたいた。

 

「おはよう、初霜」

 

「あぁ、もう、吃驚したじゃないですか、時雨さん」

 

「ごめんごめん」

 

 時雨と呼ばれた黒セーラー服姿の、横で小さく跳ねた髪がどこか犬を髣髴とさせる駆逐艦娘である。時雨は初霜の隣の椅子を引き、それに座ってテーブルに置かれたメニュー表を手に取る。

 

「時雨さんも今からお昼ですか?」

 

「そうなんだ。演習でちょっと手間取ってね」

 

「なるほど、じゃあ他の人達もそろそろ来ますね」

 

 初霜がそう言ったと同時に、扉が勢い良く開かれ、閑散としていた食堂に声と数人の姿が入ってきた。

 

「おなかへったっぽーい!」

 

「そうですねー」

 

「あの、扉はもう少しゆっくり開けたほうがいいかも……」

 

「……もう、帰りたい」

 

「来たばかりですよ」

 

 演習は、通常一艦隊六隻対一艦隊六隻の同数によって行われる。となれば、先ほど来た時雨を別にすれば、五人が新しく食堂に入ってきた訳である。そしてその五人が、先にいた時雨、更にはその前に居た初霜を含めて、濃い。どれくらい濃いかと言うと、食堂に残っていた数名の艦娘と食堂の主間宮が一斉に目を剥いた程度に濃い。

 

「間宮さん間宮さーん、夕立いつものスタミナ定食大盛りっぽーい」

 

 時雨の横に座って、早速注文する夕立。

 

「綾波、肉じゃが定食ですー」

 

 初霜と時雨に微笑みながら会釈してから、マイペースに席に着く綾波。

 

「うーん――うーん、と、今日は何にしようかなぁー」

 

 メニュー表を片手に、うんうんと唸る高波。

 

「なんでもいい……浜風、任せた……」

 

 テーブルに突っ伏し、そのまま寝てしまいそうな初雪。

 

「初雪さん……自分の分は自分で頼むべきですよ?」

 

 ため息を吐きながら、結局初雪の分は何を頼むべきかと悩みだす浜風。

 

 その五人が、挨拶もそこそこに初霜と時雨の居たテーブルに固まった。

 もう一度言うが、濃い。性格、という面もあるが、実際には――

 

「特Ⅰ型、特Ⅱ型、初春型に白露型に夕雲型の幸運、武勲、功労と揃い踏みだ……」

 

 誰かが零した小さな言葉が、七人の耳を打ち、彼女達はそれぞれ同じテーブルにつく少女達の顔を見回して、

 

「ぷっ」

 

 と小さく誰かが吹いた。それを期に肩を震わせる者、腹を抱える者、テーブルを叩く者等などと七人七色の喜色を表した。

 なるほど、そうである。

 くすくすと微笑んでいた初霜は、周りの少女達を見て改めて思う。時雨は言うまでもなく、夕立、綾波は駆逐艦の枠を越えた武勲艦であり、高波は短い艦歴ではあるが、その最後は眩しく、普段だらけて見える初雪にしても意外や意外、隠れることなき武勲艦である。浜風も駆逐艦の仕事をまっとうした正統派の功労艦であるし、

 

 ――私も、まぁ、一応……かな?

 

 純粋に、武勲艦とは言えないだろうが、功労艦であり幸運艦ではあるだろう。一人頷いて、初霜は今日は何を食べようかと考え始めた。

 

 女三人寄ればなんとやら、だが、七人も揃うともう大層なものだ。今日の演習はどうだった、昨日の護衛任務はこうだった、昨日のマリカはああだった、等と情報を交換しながら、彼女達は少しばかりの平穏な時間と、間宮の料理を楽しんだ。

 

 楽しい時間と言うのは、あっと言う間に過ぎ去る。御多分に洩れず、少女達の昼食兼お茶会も、そろそろ閉会が近くなってきた。

 

「で、初霜」

 

 どこか目を細めた時雨が口を開かなければ、自然と解散したであろうそれが

 

「提督は、どうしているのかな?」

 

 その言葉で延長戦に入った。

 

 夕立はカウンター向こうの間宮に持って行こうとしていたトレイをテーブルに戻し、上げかけていた腰を椅子に戻す。

 綾波は無言で湯飲みを手にし、口をつけるでもなく前を見つめている。

 高波は普段の気弱さなど鳴りを潜め、作戦行動中の神通と良く似た目で初霜を注視していた。

 初雪は背を正し、目を閉じ次のアクションを待っている。

 浜風は豊かな胸部に手を当て、おろおろしながらそんな彼女達を心配げに見回す。

 

 常と変わらぬ相で、初霜は泰然自若としたまま湯飲みに残ったお茶で喉を潤してから、応じた。

 

「いつも通り。来られてから――ここに着任されてから、今まで通り、執務室で元気にされてますよ」

 

「それは良かったよ。で、どうなってるかな?」

 

 真剣、としか伝えようもない相で時雨は初霜に続きを促した。

 

「提督はどうも……そうですね、高速戦艦ネームシップさんみたいなタイプは、ちょっと苦手みたいですよ?」

 

「私も、苦手……」

 

「えー、夕立は好きっぽいけどなー」

 

「十人十色さ。で……逆に、どういうタイプは提督から苦手に思われてないのかな?」

 

「そうですね……」

 

 初霜は腕を組んで、むー、っと唸りながら考え込んでから、あぁ、とつぶやいて組んでいた手を解いた。

 

「曙さん、満潮さん、霞さんに……大井さんと比叡さん……かな?」

 

「司令官はMなんでしょうか?」

 

「高波、がんばるかもッ」

 

「やめて下さい」

 

 常識人の浜風はすでに一杯一杯であった。

 

 ――あぁ、姉さん達。姉さん達。この無力な浜風に力を!

 

 そんな事を浜風が思った際に脳裏をよぎった顔は、ひまわりの種を満足そうにかじる雪風であった。

 

 ――チェンジで。

 

 早かった。そして仕方のない事であった。

 

「あくまで、苦手かそうでないか、の基準で見た場合です。情となればまた人は複雑でしょうから、半月程度ではなんとも言えませんよ?」

 

 初霜の言葉に、皆は、浜風さえもふむと頷いた。と、何かに気づいたのだろう。高波がおずおずと手を上げて、自信なさげに声を上げた。

 

「あの……今日のお昼当番って、金剛型の皆さん……だったかもですよね……?」

 

「おぉう、タイムリーっぽい」

 

「何が好都合なんだい?」

 

 妹の言葉のニュアンスを正確に捉えた時雨の言葉に、夕立はにやりと笑って返した。

 

「我等が提督の秘書艦殿に、その辺りをきっちり聞いて貰うチャンスっぽい」

 

「なるほど……状況次第では長門さんに報告して修正案募ろうか?」

 

 呟いた初雪に、初霜は苦笑を浮かべて首を横に振った。

 

「たぶん、提督の事ですから――」

 

 

 

 

 

 

 

「いや、嫌いじゃないんだよ」

 

 ほら、やっぱり、と初霜は胸中で呟いた。

 つい先刻まで金剛型戦艦達との昼食兼お茶会が開催されていた執務室で、提督は机にへばりついて書類にサインをし、或いは判子を押し、初霜の質問に答える。

 

「ただほら、僕はこういう……インドア人間じゃないか? 金剛さんとか長良さんとかは、人間としての平仄が合わないというかなー」

 

「お嫌いですか?」

 

「だから、それはない」

 

 提督は疲れた顔で書類から顔を上げ、顔の前で掌をひらひらと動かす。

 

「だいたい、好きだ嫌いだで人を選んで、仕事をやろうって話じゃないだろう、ここはさー」

 

「まぁ、そうですね」

 

「あー……でもなぁー……」

 

 疲れた顔で天井を仰ぎ見る提督に、初霜は疑問符の透けてみえる相で小首をかしげた。

 

「金剛型って、お弁当の四分の二がアウトかデッドなんだよねー」

 

 英国料理は暗黒面(アウト)であり、二番艦は……あれ(デッド)である。

 

「あの……その、今日の夜ご飯は……?」

 

「鳳翔さんと龍驤さんのご安心コースだよー……」

 

「あぁ、よかったです」

 

 元一航戦組の安心感は半端なかった。

 

「とは、言えね。あれだよ、あれ」

 

「わかりません」

 

「ですよねー。あー……自分の為に、和食を習ってくれてるってのは、まぁ、嬉しくもあったりするわけで」

 

「……金剛さんが?」

 

「ですです」

 

 あぁ、と初霜は頷いた。なるほど、と思えど意外と思う事はない。この鎮守府における、実質的なナンバー2といえば、間違いなく彼女――金剛だ。面倒見がよく、わけ隔てなく接する姿は、ナンバー1である長門とはまた違った安心感がある。おまけに、誰知らぬ者とてない、提督love勢筆頭――自他共に認める――だ。聡い金剛が、提督に苦手と思われている事に気づけていない訳がない。

 ならば欠点を埋めて距離を詰めるべく能動的に動くのは当然の事ではないか。この場合、提督にとって苦手意識となる金剛の長所を伸ばせないのだから、戦術的にはそう動くしかないとも言えるが。

 

「スキンシップとか、そういうの僕は苦手だけどね。でも、好かれて嫌える訳もないし、わがままなんだけどねー」

 

「誰だってわがままですよ」

 

「そりゃあ、人間だもの」

 

 にこりと笑ってから、提督は気の抜けた顔で欠伸を零した。

 

「お疲れですか? 何か甘いものでも……」

 

「いや、いいよ。お昼と紅茶で、もうおなかぱんぱんだしねー」

 

 苦笑を相にのせ、自分の腹をぽんぽんと叩く提督の姿は、暢気な物である。

 実に平和な午後であった。初霜は窓から見える太陽を仰ぎ見て、目を細め、声に出さず何かを呟いた。

 

 飛行機雲が、空を奔った。


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