執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第55話

 一人歩く。その長い廊下を一人歩く男の姿がある。

 彼はなんとなく立ち止まり、なんとなく窓を開けた。グラウンドで戦闘機を飛ばす二人の姿と、それを少しはなれたところで見つめる小さな人影に、彼の興味は惹かれた。

 と、そんな彼の耳に聞きなれない小さな音が響いた。

 どこだろうか、と彼が見回すと、グラウンドの横にあるそう大きくもない施設が目に入る。再びそこから響く小さな異音に、彼は一つ頷いた。

 

 

 

 

 

 

 たん、と音が一つ響いた。

 その音が鳴った場所を二人の少女達が見つめる。一人は肩を落とし、もう一人は目を細めた。

 

「もう一度、いきます」

 

「次はもう少し中央に近づけてね」

 

 手に在る弓を構え、もう一度矢を番えるのは正規空母雲龍型三番艦、葛城であり、そんな葛城を後ろから見つめるのは正規空母飛龍型一番艦、飛龍である。

 葛城が目を細めて狙い定める先には、白い円形の的があった。先ほど放った矢を含め、数本刺さった状態だ。ただし、その的の中央に描かれた赤い点には、どの矢も刺さっていなかった。

 

 弓を構えて的を射抜かんと睨みつける葛城は、背後からそれを見つめる飛龍からすれば、なっていない、という状態だ。弓の構え方であるとか、焦燥が透けて見えるなどと言った事ではない。

 二人が今身を置くのは、教育施設などにもある弓道場に良く似た場所であるが、鎮守府という軍施設にあるここで学ぶのは、弓道ではない。

 武道といった類の物は、その道を正しく歩み、自己の内面を極めんとする物である。対して、今彼女達がこの場で修めんとするものは、術を学ぶという事だけだ。

 艦載機を発艦させる際使用する弓矢を、もっと速く、もっと効率的に、と戦う事だけに尖って修得するだけの訓練場だ。

 

 構えなどどうであっても良く、焦燥など戦場では幾らでも沸きあがる物だ。想定された戦場など少なく、戦いの場はいつだって不確定要素をそこら中に撒き散らしている。

 彼女達に必要な道は、提督が歩む為の安全な道だけで、それを切り開く為には術こそが必要なのだ。卑怯であれ、卑劣であれ、提督が罵られない限り全ての術はその為だけにある。 

 

 たん、と再び音が響いた。結果は、肩を落とす葛城の姿が全てを物語っていた。

 葛城は背後にいる飛龍へと振り返り、縋るように見つめた。なにかアドバイスが欲しいのだろう。飛龍はそれに応じて口を開いた。

 

「私達が持っているのは弓だけれど、戦闘機を放つ気持ちでやってみて。矢を放つんじゃなくて、艦載機の翼が空を奔るのをイメージして」

 

 飛龍の言葉に、葛城は頷いた。が、その頷きは飛龍から見ても戸惑いを過分に含んだ物であった。

 その理由が分かるだけに、飛龍は苦笑いを零しそうになる。しかし、彼女はその苦笑いをかみ殺した。今この場で行われているのは葛城の為の訓練で、飛龍は指導艦だ。

 であれば、飛龍はこの場に限って言えば葛城の上官であり教師である。先輩でも同僚でもないのだ。

 

「イメージが湧かないのなら、誰かが艦載機を飛ばしている姿を想像してみて」

 

「……誰か、ですか?」

 

 構えも解かず、飛龍の言葉に葛城は首を傾げた。そんな葛城に飛龍は小さく頷いて続ける。

 

「それを、自分の理想的な姿に近づけて放つ。何度でも。出来るまでやりなさい」

 若干座った目で、それでも確りと言い放つ飛龍に葛城は唾を飲み込んで頷いた。そして、飛龍が言った通りに、誰か、の戦場での戦闘機発艦の姿を脳裏に鮮明に描いた。

 鮮明に、繊細に描いたのは勿論瑞鶴である。彼女にとって瑞鶴は尊敬に値する先輩であり、栄光ある帝国海軍を代表する空母であるのだ。

 

 そう、戦闘機の扱いにも未だ戸惑う葛城とは違うのだ。

 

 葛城、という正規空母が建造されたのは、既に敗戦の色濃い頃であった。空母としてこの世に鉄の体で生まれども、その身に置くべき戦闘機は少なく、更にその戦闘機を動かすパイロットにも窮していたのだ。空母の発着艦が出来る熟練パイロットなど、とうに泉下であったのだ。

 他にも、進水式には失敗、機関は駆逐艦の物を使用、とどうにも葛城という艦は恵まれていないのだ。

 その為だろう、艦娘として今ここに少女の体である葛城は、戦闘機の扱いに少々ぎこちなさがある。おまけに運動能力も艦時代の機関の問題のせいか、姉達に比べて少しばかり劣るのである。

 となれば、もう技術を向上させるしかないのだが、前述のとおり葛城は戦闘機の扱いが苦手なのである。

 

 ――私が、瑞鶴先輩みたいになれるのかな……

 

 脳裏に描かれた瑞鶴に比べて、葛城は自身の境遇はどうなのだ、と胸中でため息を零した。が、今彼女の後ろには指導の為に立つ飛龍がいる。葛城の迷いを見抜けないような飛龍ではない。

 結果、

 

「しっかりしなさい!」

 

「は、はい!!」

 

 怒鳴り声だ。

 常は朗らかで、誰にでも明るく接する先輩の張り詰めた気配を受けて、葛城は背を正した。それでも、的を睨みつけながら葛城は思うのだ。

 

 ――姉さん達も、今頃龍驤さんに怒られてるのかな……

 つい今しがた怒鳴られたばかりであるのに、そんな事を考えられる葛城はなかなかに図太い艦娘であろう。ただし、彼女の背後には、鬼だ蛇だと恐れられた戦艦のしごきさえぬるく見えた、と言われたほどに苛烈なしごきをやらかした人物の影響を色濃く受け継いだ艦娘がいるのである。

 であれば――

 

「ぼやっとしない!!」

 

「ひゃ、ひゃい!!」

 

 それは当然の帰結であった。

 

「ふぅ……」

 

 飛龍は矢を放つ葛城を見つめながら小さく息を吐いた。

 空を見上げると、もう紅い色に染まっている。あともう少しすれば夜の帳が下りるだろう。つい数ヶ月前までは、この夕焼けの時間が長かったことを思いながら、飛龍は弓道場から見えるグラウンドを見た。

 そこに、雲龍姉妹の上二人と龍驤の姿が見える。茜色の空を舞うのは、雲龍達の式神戦闘機だろう。龍驤のそれに比べれば、空を奔る姿の精度がまったく違うのだ。

 それを腕を組んでじっと見つめるのは、龍驤だ。

 彼女達は戦闘機の運用方法が葛城とは違うタイプなので、指導艦は龍驤などの式神タイプの艦娘になる。

 

 と、龍驤と飛龍の目があった。

 龍驤はバイザーを脱いでそれを振った。雲龍達も飛龍に気付き頭を下げる。飛龍はそれに一礼返して再び葛城の背に目を戻した。

 その細い肩がどこか寂しげに見えるのは、果たして飛龍の錯覚だろうか。

 一人、姉達から離れて弓を構える葛城を、飛龍は不憫に思い慌てて首を振った。

 

 飛龍からすれば、雲龍達は妹と呼べる存在である。改飛龍型とも称されえる雲龍達に、飛龍が思う事は実に多い。そうでなければ、葛城の指導を進んで担当してはいないだろう。

 弓を使う艦娘は多い。赤城をはじめ鳳翔達軽空母にも居るのだから誰でも良いのだ。

 それでも、飛龍は志願した。戦闘機を把握できず、どこか寂しげな葛城を放っておくなど彼女には出来なかったのだ。

 

 ――でも、もう嫌われてるかもしれないなぁー。

 

 訓練の度、飛龍は葛城にきつく当たっている。それを愛の鞭だ、と胸を張って言えるほど飛龍は厚顔無恥ではない。ただ、それでも厳しくあたらなければ葛城の為にならないのだから、飛龍は現在のスタンスを崩せないのだ。

 おもしろい物で、これは瑞鶴なども同じである。葛城の指導であるなら、まず彼女こそが一番相応しい筈であるのに、瑞鶴は一切関わらないのだ。

 

 ――私が訓練をつけたら、きっと甘くなります……それは葛城の為にならない。だから飛龍さん、お願いします。

 

 そう言って、二人だけの時に瑞鶴は飛龍に頭を下げたのだ。

 嫌われ役を押し付けたという事を、瑞鶴は頭を下げることでしか償えないと肩さえ震わせたのである。その想いが如何程の物であるか、飛龍には痛い程分かった。

 葛城達は、瑞鶴にとっても可愛い妹分なのだ。それも自身を慕う葛城などは、本当に瑞鶴からすれば妹同然だろう。

 

 この鎮守府は確かに自由度の高い平和な場所だ。

 主である提督に似たせいか、個性的な艦娘が多くそこに漂う空気はどこか緩く穏やかだ。それでも、艦娘は戦う為の存在である。

 穏やかで、緩やかで、甘くあって、それで誰もが強くなれるのならそれで良いだろうが、しかしそんな訳がない。

 戦場はどんな存在にも平等だ。一瞬の隙が命を奪い、僅かな甘さが誰かを傷つける。新兵も熟練兵もない。

 沈むときは、どんな存在であっても簡単に沈むのだから。

 

 故に、飛龍は訓練中だけは厳しく接した。偶に一緒に出る出撃でも、動きに過ちがあればすぐ口にし、一緒に出ない時でも山城や初霜、鳳翔龍驤に状況を聞いて、当人に報告さえさせた。

 

 ――ちょっと違うけど、加賀さんと瑞鶴みたいね。

 

 加賀は何かあればすぐ瑞鶴に小言を零す。ただ、瑞鶴はその小言にすぐ噛み付くので、その辺りが違う。しかし、加賀と瑞鶴は確かに誰の目から見ても反目しあっている存在であるが、あれはあれでお互いを信頼してる節があるので、その辺りも違うのだろうと飛龍は自嘲した。

 

 と、弓道場の扉がノックされた。

 教育施設にある弓道場よりも小さな物である。おまけに場の空気は実に静かだ。大きくもない音でも、葛城と飛龍の耳には確りと届くのである。

 

 さて、誰だろうか、と扉に向かおうとする飛龍より先に、葛城が動いていた。指導艦である飛龍が動くほどの事ではない、と考えたからだろう。彼女は飛龍に小さく頭を下げて扉へと近づいていく。そして扉の前に立つと、声を上げた。

 

「はい、どちら様でしょうか?」

 

「どうも、提督です」

 

「……本当に提督?」

 

「本当に提督です」

 

「プラーヴダ?」

 

「ダー」

 

 飛龍を置いて、葛城は扉の向こうにいる提督と会話を続ける。そして何故か最後のほうはロシア語であった。ちなみに、本当ですか? と聞いた葛城に提督が、はい、と答えたのである。

 頭を抱える飛龍をよそに、しかし会話はまだ続いていた。

 

「最初に上下逆さまに復元されて、最近では前後も逆じゃねこれ、って発表されたカンブリア紀中期後半のバージェス動物群の一種は?」

 

「ハルキゲニア・スパルサ」

 

「あ、提督!」

 

 葛城は笑顔で扉を開けた。入ってきたのは確かに提督であった。

 葛城という少女は、艦娘として確立するより先に、この鎮守府の色に染まるほうが早かったのかもしれない。そんな事を思う飛龍を、誰が責められるだろうか。

 

「飛龍さん、提督が見学に来たって」

 

「分かりました。じゃあ葛城、しっかりと弓を構えて」

 

「はい!」

 

 飛龍の言葉に葛城は敬礼で返して再び弓を構える。狙う先は、未だ中央に何も刺さらぬ的である。

 提督は静かに、邪魔しないようにと飛龍の隣に立った。飛龍が深々と、静かに頭を下げて提督もまた頭を下げた。

 そして、小さな、葛城の耳に届かないような声で提督が飛龍に話しかけた。

 

「葛城さんの調子は、どうですか?」

 

「まだまだ、としか」

 

 応じる飛龍の言葉は、どこか硬い。今の彼女は指導艦であり、葛城の同僚でも先輩でもない。まして相手はこの鎮守府の、そして自身達の主提督だ。些細な事でも偽れるわけがないのだ。

 それがこの鎮守府の戦力に関わる事であるなら、尚更だ。

 

 果たして、自身の応えに提督はどの様な相を浮かべるだろう、と飛龍は提督の顔を窺った。

 飛龍の目に映るのは、ただ葛城の細い肩を見つめる提督の透明な目だ。そこに、葛城の現状に不満があるようには飛龍には見えなかった。

 それでも、飛龍は今後の葛城に何かあってはと考えて口を開いた。

 

「私の指導不足です。全ては私の不手際で――」

 

 言い続けようとする飛龍に、提督が掌を見せた。不快にさせたか、と慌てて飛龍が顔を上げるも、やはりそこにある提督の顔は常の通りだ。いや、透明な双眸は更に深い色に染まり、穏やかな物になっていた。

 一瞬高鳴った胸を全神経を稼動して押さえ込み、飛龍は指導艦としての相を維持した。

 

「大丈夫だよ。葛城さんは」

 

「……え?」

 

 しかし、その相は脆くも崩れた。提督の一言で崩れるのは、強度が足りなかったせいか、それとも飛龍にとっては重い一言で在ったからか。

 提督は、的を外しても矢を番える葛城の背を見たまま、肩をすくめた。

 

「葛城さんがどんな艦か、僕は良く知っている……つもりだ。最後の最後、鳳翔さん達と一緒に頑張った彼女が、こんなところで躓くものかよ」

 

 言葉を紡ぐ提督の相貌は、まるで子供の様に無邪気だ。目には先ほどまであった穏やかよりも、きらきらとした輝きが強く宿っていた。

 本当に子供の様な顔だ。

 目を瞬かせ、提督の顔をまじまじと見つめる飛龍の耳に、提督の声はまだ続いていた。

 

「それに、姉に当たる様な飛龍さんがしっかり指導しているんだから、僕としては不手際なんて感じられないよ」

 

 飛龍と提督の目が、合った。

 提督の目は、まだ無邪気な少年の物であった。

 

 

 

 

 

 

 

「うん、おいしい、おいしい」

 

 ぱくぱく、と勢い良く料理を口に運ぶ彼女――飛龍の姿に、隣に座る蒼龍が顔を引き攣らせていた。飛龍が満面の笑みで口に運ぶ料理は、すでに常の量を大きく超えている。

 それでも飛龍に止まる気配がないのだから、ほぼ同型ともいえる蒼龍としては顔も引き攣ろうという物だ。

 

「……何かあったの、飛龍?」

 

 彼女達の前に座る加賀が、流石に常と違う飛龍を見て問いかけた。ただし、その声音に心配の色は見えない。満面の笑みで食事を摂る飛龍であるから、飽く迄加賀のそれは確認だ。

 

 葛城の訓練後であるから、飛龍も空腹だったのかと皆思うのだが、普段は訓練後の飛龍といえば沈んだ顔でいる事の方が多い。

 厳しい訓練に、また葛城に嫌われた、と一人勝手に落ち込むからである。その癖指導艦を降り様ともしないのが、如何にも飛龍らしくあった。

 そして、葛城から指導艦の交代願いがない事が何を意味するのかを気付けないのも、飛龍らしいところである。

 

 故の、どうしてそうも上機嫌なのか、という確認だ。

 問われた飛龍は、箸を止めてゆっくりと嚥下した。それから目を閉じ口を開こうとして――提督の言葉と無邪気な相を脳内で鮮明に描き、首を横に振った。

 

 妹分を誉められた。自分も誉められた。普段では見れない提督を見れた。

 言葉にすればたったそれだけの事だ。その、たったそれだけ、で飛龍の心は幸せで一杯だ。それを簡単に人にさらせるほど、彼女の乙女心は安くも軽くもないのだ。

 

「ううん、何もありませんよ?」

 

 笑み一色に染まった相で零れた飛龍の言葉を、信じる者などこの場には居なかった。




葛城は戦中での戦果こそありませんが、戦後の戦果は様々な武勲艦達に比べてもけっして劣らない物であると個人的には思っております。

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