執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第56話

「おいーっす」

 

 そう言って、女は扉を開けた。扉の向こうにあるのは、様々な商品が並べられた棚と、所狭しと置かれたアルコール類、それとつまみである。

 カウンター内で青葉の新聞を読んでいた明石は、自身のもう一つの城に入ってきた女――隼鷹に笑みを向けた。

 

「いらっしゃいませ、隼鷹さん。頼まれていたお酒、来ましたよ」

 

「おぉー、やっぱりかー。なんとなくそんな気がしてここに来たんだよー」

 

 明石の言葉に、隼鷹は相一杯に笑みを湛え足取りも軽くカウンターへと歩いていく。明石はそんな隼鷹に苦笑を零しつつ、奥に仕舞っておいたそれを取り出してカウンターの上に置いた。

 

 和紙に丁寧に包まれたそれを、隼鷹は目を輝かせて眺めていた。そんな隼鷹を見る明石の目は、どこか嬉しげである。

 今隼鷹が熱心に見つめる物は、そうそうお目にかかれない希少価値の高い日本酒だ。なかなか市場に出ないという代物を、明石がたまたまネットで見つけて確認した後取り寄せたのである。

 

「いやー……ありがとな、明石」

 

「いえいえ、こちらも商売ですから」

 

 隼鷹の心からの感謝に、明石はそう返したが笑みの質がまったく違っていた。少なくとも、そこに浮かぶ物は仕事としての責務を果たした、といった類の笑みではなく、仲間の役に立てたと喜ぶ少女の笑みだ。

 

 明石という艦娘は工作艦――移動する海軍工廠である。彼女は誰かを直し、誰かの為に何かを作る事が求められた存在だ。艦隊支援の為にと生まれ、パラオ大空襲で大破着底するその時までに為した彼女の功績は、移動する海軍工廠の名に恥じぬ物であった。

 誰かの為の自身、というスタンスは艦娘として女性の体を得た現在も変わらず、明石はこうして誰かの為に何かを行っている。

 さて、それにどうやって報うべきか、と悩む隼鷹の目にふと見慣れぬ物が映った。

 

「明石……あれは、何さ?」

 

「はい?」

 

 明石は首をひねるが、隼鷹が指差す先を辿って、あぁ、と頷いた。

 最近入荷した物で、売り上げもそう大きな物ではない。ではないのだが、今後、恐らくこの酒保で大きなウェイトを占める事になるだろう商品を見つつ、明石は頷いた。

 今彼女の店に居る艦娘、隼鷹はこう見えてお嬢様なところがあるので、恐らくこういった類の物を知らないのだろうと理解したからだ。

 であれば、と明石はその商品を一つ手にとって口を開いた。

 

「プラモデル、模型ですよ」

 

「……へぇ、これが模型、ねぇ?」

 

 明石の手にある模型の箱を珍しげに見て、隼鷹は、ほへー、と間抜けな声を上げた。

 彼女の瞳に映るのは、在りし日の艦姿の同僚達の絵だ。箱に描かれたそれを暫し眺めた後、隼鷹は明石に目を戻した。

 

「……で、これはどういう物?」

 

「これはですね」

 

 そう言って、明石は箱を開ける。中にある物見た隼鷹は、げ、と小さく呻いた。

 その姿に、明石は苦笑を漏らして肩をすくめる。隼鷹が何に対して呻いたか、明石には分かるのだろう。

 

「このランナーっていうところから各パーツを綺麗に取っていって、一つ一つ組み上げていくんですよ」

 

「うわぁ……面倒くさそう……」

 

 隼鷹の言葉に、あぁやっぱりそれか、と明石はまた肩をすくめた。隼鷹という女性からすれば、なんでそんな面倒なことを、という事なのだろう。艦娘としては、恐らく自身や姉妹、それに近い存在、または戦闘機の模型程度は組み立ててみようかと興味も惹かれるだろうが、その程度だ。

 進んで組み上げたい、と思う事はないのだろう。

 これは隼鷹だけではない。ここに来て、模型に気付いた艦娘達の殆どがこれである。明石としてもその辺はなんとなく分かる物なのだ。

 ただし、

 

「言っちゃ悪いけど、誰が買うの?」

 

「えー、ちゃんと居ますよ? 夕張とか大淀とか北上とか秋津州とか」

 

 しっかり買っている艦娘も居ないわけではない。

 少々偏りはある訳だが。

 

「北上と秋津州は工作艦経験があるからかねぇ?」

 

「なんとなく、手先を動かして何か作りたいって時があるみたいですよ?」

 

 ちなみに、そんな事を言っている明石も模型を確りと組み立てる艦娘の一人であった。工作艦の性か、彼女の一個人的な趣味であるのか、どうにも組み立てられる物があると、ついつい一つくらいは、とやってしまうのである。

 

「で……夕張……はまぁ分かるか。大淀がどうして模型を買ってるのさ?」

 

「凝り性ですから、大淀も」

 

「あー……」

 

 明石の応えに、隼鷹は納得と声を上げて頷いた。大淀という艦娘に、明石が言うような特徴があるのも事実であるが、実際は友人である夕張と明石が面白そうに組み立てている姿に影響を受けて、気付いたらそれなりにはまっていた、という状況だ。

 もっとも、明石などは放っておいてもいずれはまった事だろうと眼鏡が似合う友人の一人を思い浮かべるだけである。

 

「でも、たったそんだけしか購入してないなら、なんでそんなに場所をとってんのよ?」

 

 隼鷹は明石の手にある箱が先ほどまで置かれていた棚を見上げた。

 カウンター傍に置かれた、それなりに大きな棚に様々な艦の絵が描かれた箱が所狭しと並べられている。それはどう見ても、先ほど明石が口にした艦娘達の為に用意したにしては大仰に過ぎるのだ。

 まさか自身の趣味の為だけに並べたのか、と半眼で無言のまま訴える隼鷹に、明石はどうしたものかと腕を組んで俯いた。

 驚いたのは隼鷹だ。軽く突いてみたら、明石が本気で悩みだしたのである。これは何かあると悟った隼鷹は、周囲を見回した後声を潜めて明石に問うた。

 

「あぁいや、なんかヤバイならいいんだよ。私だって明石に無理に答えてほしいってモンじゃないしさぁー……」

 

 言葉遣いこそ普段のままだが、気遣いの色が過分に盛られた隼鷹の声に、明石は組んでいた腕を解いて小さく笑った。

 

「いえ、そういう訳じゃないんです。ただ、今は黙っていて欲しいと頼まれているもので」

 

「……へぇ。別に隠すような趣味じゃないのにねぇ」

 

 隼鷹自身は模型作りに興味を惹かれる事はなかったが、それでも隼鷹にとってこれは否定するような物ではない。少なくとも、部屋に遊びに行って模型が並んでいても、隼鷹はただ平然と受け入れるだけの物だ。

 

「随分と恥ずかしがり屋な奴が居るもんだねぇー」

 

「あ、あはははははー……」

 

 隼鷹の言葉にも、明石は愛想笑いで返すだけだ。これは相手に相当な弱みをつかまれているに違いない、と隼鷹は考えて、ポケットから財布を取り出して数枚の紙幣をカウンターに置いた。

 

「そいつが無茶言うなら、呼んでよね? 飲み会に連れて行って有耶無耶にしてやるから」

 

「どんな解決方法ですか……」

 

 しかも有耶無耶であるから実際には解決していないというおまけつきである。

 頼りになるのかならないのか、と胸中で零しつつ、明石は確りと会計を終えお釣りを隼鷹に渡した。

 ありがとうございまいました、と明石が言うより先に、再び酒保の扉が開かれた。

 入ってきたのは、この鎮守府の主提督だ。共に居ることが多い初霜の姿はない。恐らく、私的な時間なのだろう、と明石はあたりをつけて笑顔で挨拶の声をあげた。

 

「いらっしゃいませ、提督」

 

「おはよう、明石さん」

 

 互いに笑顔で一礼し、提督は次いでカウンター前に居る隼鷹にも声をかけた。

 

「おはよう隼鷹さん。この前は助かったよ。ありがとう」

 

「おはようさん、提督。……で、この前って何さ?」

 

 挨拶の次に来た提督の言葉に、隼鷹は首を傾げた。この前、と言われても彼女には思い当たる節がないのだ。さて、提督が何を話題にしているのか、と一瞬悩んだ隼鷹は、素直に問うことにしたのである。

 提督はそんな隼鷹にも特に気落ちした様子はなく、常のままの調子で返した。

 

「いやー、山城さんが胃が痛いって言ってたから、隼鷹さんお勧めの豆乳を紹介したら、ましになったって報告があってね?」

 

「いや……それ大分前じゃね?」

 

「うん、結構前です」

 

 具体的には、まだ提督が執務室に篭っていた頃――一ヶ月ほど前の話である。隼鷹としては、提督に言われるまで忘れていたような話だ。

 それでも、そんな話であっても確りと感謝の言葉を忘れない提督が、隼鷹にとってはこの上なく好ましいのである。

 

 隼鷹にとって、人の体を得ることでもっとも恩恵を得た事と言えば、姉達と同僚たちと酒と食事と、これだ。

 明石とも、提督とも、隼鷹は会話をすれば自然と笑みが零れる。勿論会話の内容如何によっては笑みの質も変われば、そもそも笑みも出ない事もあるのだが、大抵の会話によってもたらされるのは心が温かくなるようなひと時である。

 彼女にとって、それは何物にも代え難い宝物の一つであった。

 だから彼女は、手に在る日本酒を抱きかかえて提督達に背を見せた。

 

「あ、隼鷹さん」

 

 声をかけてくる明石に、隼鷹は僅かに振り返った。言うべき言葉はない。しかし、伝えるべき思いはある。

 

 ――ごゆっくり、ってな。

 

 にんまりと笑った隼鷹の、その意思が透けて見えたのだろうか。明石は口を閉ざして顔を真っ赤にした。隼鷹はそれを見届けてから空いている手をひらひらと振って酒保から出て行く。

 今度鳳翔の居酒屋で感謝がてらに奢って、提督が来たときの明石のあの嬉しそうな顔を少しばかりからかってやろうか、等と考えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

「行っちゃったねぇ」

 

「あ、は、はい、行っちゃいましたね」

 

 提督の言葉に、明石は少々詰まりながらもどうにか返した。隼鷹の気遣い、と言うよりは少々からかいの意味合いが濃いであろう気の回し方に、明石は少々乱されたのである。

 彼女はやたらと熱い頬を自身の両手で挟み、軽く叩いてから顔を上げた。

 顔を上げた明石の目に映るのは、きょとん、とした提督の顔だ。

 

 ――あら可愛い。

 

 などと思いつつも、それでも明石の体は提督を前にして確りと酒保の主らしく動いていた。

 手に在るのは、先ほど隼鷹に見せていた模型の箱である。

 

「こちら、新型の模型ですよ」

 

「ほほぅ……これはこれは」

 

 差し出されたそれを、提督は両手で受け取って興味深げに箱の絵を眺める。箱に描かれたのは駆逐艦だ。それから提督は、側面部分に書かれた文章に目を通し始めた。

 そこに書かれているのは大まかな艦歴である。これは大体の模型の箱に書かれている物で、ロボット物であればそのロボットの紹介、城であればどの時代の誰が作ったか、等が書かれている物である。

 普通の少年時代を過ごし、それなりに模型を作った提督からすれば見慣れた物であるが、しかしそこは平行世界である。少々違う部分があるのだ。

 

「へー……初雪さんって公にはそう説明されてるのか……」

 

 艦娘である現在の情報も、ある程度書かれているのだ。

 軍の機密である艦娘であるが、全てを隠す事は不可能である。隠そうとすればするほど、人はそれを暴きたがる物だ。その為、大本営が敢えて情報を流したのである。大本営発表、つまり公的な物として、だ。

 無論、例えばこの駆逐艦初雪の模型の側面に書かれた艦娘としての初雪の情報は、各初雪から出された平均的な初雪の情報である。所変われば品変わる。南橘北枳。といったもので、艦娘も例外ではない。

 総じて面倒くさがりではあるが、それだけが初雪の全てではないのだ。

 山城だってみんながみんな、五寸釘だの藁人形だの血糊だの白装束が似合うわけではないんじゃないだろうか多分。

 

「……面倒くさがりで引きこもりがち……いやぁ、これを公的に発表しちゃう方も方だけど、それでいいやって放置してる初雪さんも凄いなぁ……」

 

「まぁ、大抵の初雪は自分の仕事をしっかりやれば、あとの評価はどうでも……とか思っているのかもしれませんね」

 

「あぁ、それっぽいなぁ」

 

 提督は自身の初雪を思い浮かべて笑みを零した。

 

 この鎮守府にいる初雪は、確かに明石が言うようなところがある。その結果が駆逐艦のエースの一角であるのだから、明石の言は提督としては納得の物だ。

 模型の側面に書かれているような、面倒くさがりで引きこもりがち、と言った文は親しみを求めて書かれたものだろう、と提督は一人頷いた。

 少なくとも、眠たげな目のまま深海棲艦を葬り姫級相手でも一歩も引かない支援上手、などと模型の箱の側面に書かれるよりは、余程ましである。

 勿論、そんな初雪はこの鎮守府にしかいない非平凡的初雪であるし、そんな情報は提督の知らぬことである。

 

「うん、じゃあ今日は初雪を貰おうか」

 

「はい、今日もこの後港の倉庫で?」

 

「だね。まぁ、アレが今の僕の秘密基地だからねぇ」

 

 にこりと笑う提督に、明石も笑みを返した。

 提督がこの酒保で購入した模型を組み立て、保管するのは使われていない港の倉庫だ。空気が篭らないよう確りと調整、管理された場所である。

 提督はそこを、秘密基地、などと称したが秘密でもなんでもない。少なくとも、今こうして明石は口にしたし、一水戦の護衛メンバー、潜水艦達も知っている場所だ。

 それでも、そこは提督の秘密基地である。

 そこには提督以外誰も入ったことがなく、誰もその倉庫の中を知らないのだから、そこは誰がなんと言おうと提督の秘密基地だ。

 

 提督が模型を執務室で作らず、また口止めを頼んでいるのは、前に『いつもの』が流行ってしまった事が原因だ。彼としては、自然と流行した物であれば何もいう事は無いのだが、流石に自身の影響一つで艦娘達が動くことをよしと出来なかったのである。

 彼が愛した艦娘達は、そのままの艦娘達だ。そこに提督の色など必要ないのだ、彼からすれば。染められたい彼女達と、染めたくない彼のすれ違いはいっそ喜劇的ですらあるが、当人達は大真面目である。

 

「じゃあ、また来るよ」

 

「はい、ありがとうございました」

 

 購入した駆逐艦初雪の模型を胸に抱き、ジュース二本が入った袋を空いた手でぶら下げ提督が酒保から去っていく。

 明石は閉ざされた扉を暫しじっと見つめた後、大きく息を吐いた。

 そして、倉庫へと繋がる扉を見て、肩を落とした。明石が見た扉の向こう、倉庫には表には出せない在庫などが置かれている。それは常の事で、状況や季節に応じて出す物、仕舞う物を選んでいるだけだ。この平行世界に来る前から、提督にアイテム屋さんと呼ばれていた彼女の酒保での仕事は変わっていない。

 

 それでも、変わりつつある物がある。

 明石は模型の置かれた棚を見て、頬杖をついた。店主としては人に見せられないようなだらしない姿だ。そんなだらしない姿で思うのは、倉庫の奥に置いてある、とある模型の事であった。

 明石は、先ほど提督が口にした言葉を思い出した。

 

『初雪を貰おうか』

 

 たったそれだけだ。それだけなのに、明石はカウンターに突っ伏してじたばたともがき始めた。倉庫の奥にある模型――とある工作艦が酒保に並ぶのは、もう少し時間が掛かることなのだろう……きっと。

 ちなみに、扉を開けて酒保に入ろうとした大淀が、中を見た後そっと扉を閉じて出ていった事を明石が知るのは、もう少し後の事である。 




おまけ
隼鷹「明石ー……で、なんで提督来た時、あんないい笑顔だったんだよー? おねーさんにちょーっと言ってみ? 言ってみ?」
明石「……隼鷹さんだって、提督が来たときいい笑顔でしたよー?」ヒック
隼鷹「え、えー……そ、そりゃあ、ほら、久しぶりだったしさぁ……」
明石「……私、決めました」ヒック
隼鷹「え、どうしたの明石?」
明石「今度、明石を買って貰います」キリッ
隼鷹「ちょ」
明石「隅から隅まで、提督の指で染め上げてもらいます!」クワッ
隼鷹「え、ちょ、ひ、飛鷹ー!? 飛鷹ー!? 明石がなんか壊れたー!?」

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