執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第6話

「さて、っと」

 

 提督、と呼ばれる男は椅子から腰を上げ、背筋を伸ばした。

 

 ――朝ごはんも食べた。

 

 白露型駆逐艦娘達の合作であり、持って来たのは最近鎮守府に所属する事となった江風であった。

 

 ――秘書の初霜さんも、仕事に出た。

 

 大淀と長門の指示で第一艦隊に編成されたので、今頃は攻略海域だろう。

 

 ――書類もまぁ、昼までの分は終わった、かな?

 

 特に人の手を借りるような事もなかったので、提督一人でもどうにか出来たらしい。

 

 腰をぽんぽんと叩きながら、提督は自分に与えられた執務室を見回し、最後に壁にかけた時計を見る。昼の弁当当番が来るまで、つまり休憩時間まで随分と余裕のある状態だ。

 となれば。

 

 ――昨日大淀さんに貰ったインスタントラーメンか。

 

 昨夜遅くに大淀に頼んだそれは、その日のうちに大淀の手によって提督に届けられた。その後どこからか「んにゃ!? んにゃー!!」と猫の鳴き声が聞こえてきたが、発情期の猫が喧嘩でもしているのだろう、と提督は流した。

 

 提督はインスタントラーメンを昨夜片付けた執務机横の小棚から取り出そうとしたが、何事か突如動きを止めた。

 

「いや、待てよ……」

 

 深刻な顔で、一人呟く。提督は自身の腹を数度さすり、それから二度ほど腹を叩いた。

 

 ――あ、これあかんやつや。

 

 若干のぷるんぷるんとぽよんぽよんがあった。なるほどの結果であると、提督は頭を抱えた。

 見目麗しい艦娘達に用意してもらう三度三度の食事は、若い男の胃袋には大層魅力的であり、健啖家でもなかった提督でも箸の進む物であった。愛らしい少女の用意して貰う上に、更に食事が旨い場合もある訳である。食欲を抑えられる筈も無く、若い提督は自身の欲望に抗おうともせず半月過ごしたのであるから、幾ら若いといっても余分な脂肪が増えてしまうのも仕方ない事であった。

 

「手っ取り早いのは、まぁランニング、とかなんだろうけどなぁー……」

 

 恨めしげにドアを見て、提督はため息をつきながら首を横に振った。

 

「ダイエット目的で現状できる事と言えば、まぁ、少ないけど無いわけじゃ……」

 

 独り言も呟いていた提督は、その途中で口を閉ざし言葉を飲み込んだ。

 廊下から、「ヒェッ……」という言葉が、僅かに、だが確かに聞こえたからだ。提督の耳に届いたその小さな悲鳴は、間違いなく聞き覚えがある物であり、そうであれば――

 

 ドアがノックされる。

 控えめの音がいかにもらしい物で、提督は苦笑で応えた。

 

「開いているよー、神通さん」

 

 提督の言葉から十秒程空いて、扉は開かれた。そこから顔を出したのは、提督が予想し、口にしたその艦娘であった。

 

「あ、あの……失礼いたします」

 

 華の二水戦が誇る最強の旗艦、神通だ。

 彼女はなにやら驚いた様子で、おずおずと提督にお辞儀した後、

 

 「ど、どうして、私だと分かったんでしょうか?」

 

 そう提督に聞いた。提督にすれば、何でもなにも、おそらく廊下ですれ違っただろう山城の小さな悲鳴で理解しただけの事だ。まぁ、そのまま執務室を素通りしてしまう可能性もあったが、控えめなノックが神通らし過ぎて間違えようも無かったのである。

 

「神通さんは、何かと分かりやすい、からかなぁー……」

 

「そ、そんな」

 

 適当な提督の言葉に、頬を朱に染めて俯く姿は、可憐な乙女そのままだ。

 だがしかし、しつこいようだが……神通と呼ばれる艦娘は、華の二水戦の歴代旗艦の中でも最強と称される猛者である。

 

 ――らしいんだけどなぁ。

 

 執務室に篭っている提督には、神通の作戦行動中の姿など知りえない情報であるから、どうにも今眼前にある乙女然とした、羽黒に勝るとも劣らない"お嫁さんにしたい艦娘的姿"と、例えば、二水戦旗艦絶対参加訓練等に参加した二水戦最後の旗艦である初霜曰くの、殊戦闘や戦術行動となると次元が違う、という言葉が提督の中で結びつかない。

 

「あぁ、そういえば山城さんは?」

 

「そ、それも分かるんですか……? え、えっと、廊下ですれ違ったあと、すぐ別れましたから……また昔みたいに、一緒に訓練できたら、嬉しいんですけれど……」

 

 別れたというよりは、退いたの方が正しい。そうは思っても、指摘しない優しさが提督にはあった。あとトラウマっぽいから止めてあげような? と言うだけの強さは提督には無かった。

 

「んで……神通さんはどうしてここに?」

 

 基本、執務室から出ることが無い提督と顔をあわせるには、会いたいと思った方から執務室に行くしかない。休憩時間中や、就寝前の暇な時間となればそれなりの艦娘達が提督に会いに来る。

 しかし、今はまだ仕事中の時間だ。慣れと仕事量の少なさで手持ち無沙汰になってはいるが、本来なら、提督はまだ机にかじりついて書類と格闘中の筈である。

 

 ――なんというか、模範的というか、委員長的な神通さんが顔を出すような時間じゃないんだよねぇー。

 

 提督の疑問に答えようと、神通は顔を上げてか細い声で提督の耳を打った。

 

「その……初霜さんも出られたと聞いたので、お仕事で困っていないかと……」

 

「あー、まぁ、その、ありがたいのだけれどね。昼までに終わらせるべき仕事は、全部おわってるんだなぁ、これが」

 

「あ、そ、そうです、か……すいません」

 

 出来た娘であるが、神通は本日非番である。事実上の待機扱いとは言え、軽巡の層は厚いのだから、休めるときには休むべきではないだろうか。

 提督がそんな感じの事を口にしようした時、彼は神通の顔を見て一つ聞いてみたくなった。

 

「神通さん」

 

「は、はい?」

 

 提督は神通の瞳を覗き込み、神通もまたそれを真っ直ぐと受け止めた。あと少しで再び神通が俯く、といったところで提督は

 

「ルームランナーって持ってない?」

 

 そんな事を言った。

 

 

 

 

 

 

 

 結果を言うと。

 

「はっ、はっ、はっ……あ、これ、ちょっと、速度、落とさ、ないと……」

 

「が、頑張ってください、提督」

 

 持っていた。

 

「雨の日なんかは、グラウンドも使えませんし、屋根のある訓練室もあるにはあるんですが、狭いですから……」

 

 自室からマイルームランナーを持ってきた神通は、提督にはにかみながらそう言った。

 

「こういうのを、訓練室にも、置いた方が、いいかも、だね」

 

「ですね」

 

 トレーニングウェアに着替えた二人が、ルームランナー上を走っていく。

 ちなみに、神通も提督の隣でルームランナー中である。しかも設定してある速度は提督より上だ。男としては情けない事態かもしれないが、相手が艦娘、その中でもトップクラスである上に、提督はトップクラスのインドアである。勝負にならないのは当然であった。

 十分も持たず、提督はストップボタンを押して室内のソファーに倒れこんだ。

 

「あ、あぁー……、駄目だ、ソファーが、汗臭く、なる……でも、起きれ、ない……」

 

 息も絶え絶え、といった姿の提督に、神通は自身もルームランナーから離れ、これも持参してきたタオルとスポーツドリンクを手渡した。

 

「どうぞ」

 

「あー……ありがと、神通さん」

 

 提督は幽鬼の如く起き上がり、しばらくぼうっとしてから渡されたタオルで顔を拭い、髪を風呂上りのように乱暴に拭く。それからスポーツドリンクを嚥下し、自身の隣に立ったままの神通を見上げた。

 

「すごいね、神通さんは……僕なんて、すぐこれだ」

 

「私は、艦娘ですから」

 

「だとしても、だよ……インドアを自認する僕なんてのは、まぁこんな物でございと、情けなさも感じないのが、情けないけど」

 

「私は、これしかありませんから」

 

 提督の自虐に、神通は胸に手をあて、目を閉じる。

 

「私は、提督のお仕事は手伝えても、それその物を出来ません。艦娘は艦娘であって、提督の部品足り得ても、提督にはなれませんから」

 

「……僕は、あれだな」

 

 悲壮さを堪える様に目を閉ざした神通の、運動直後の上気した艶然に過ぎる貌を見上げたまま、提督は首を横に振った。

 

「冥利に尽きる、と言うべきなんだろうけど僕は――」

 

 瞼を開いた神通の、その奥にある深い茶色の双眸に、提督は見入った。

 見入らされたから、提督は肩をすくめた。

 

「……言わせない?」

 

「あの……」

 

「言わせたくない?」

 

「聞きたくは、無いと……思います」

 

 続くはずであった提督の言葉を遮った眼光は瞬時に消えうせ、今の神通の瞳は常の深く静かな物である。それを確かめてから、提督は自分の膝を叩いて立ち上がった。

 

「じゃあ、片付けようか。どうにも僕は、ダイエットでは走れても、趣味や訓練となると、やっぱり走れない物であるらしいや」

 

 

 

 

 

 

 

 提督が窓から見える夜空を眺めていると、ドアがノックされた。これもまた控えめな音であるが、提督の耳には昼のそれとはまた少しばかり違って聞こえた。

 

「はい、どうぞ」

 

 間を置かず扉は開かれ、提督が一番見慣れた少女が執務室に入ってきた。

 

「提督、ただいま帰還しました」

 

「ん、お帰り。怪我とか、そういうの、大丈夫ー?」

 

「その……翔鶴さんが中破で、今入渠中です」

 

「バケツ、使っていいよー」

 

「はい、それで戦況報告ですが」

 

「はいはい、お願い」

 

 海域の情報、問題点、敵の戦力、それらを一応聞いてから、提督は"らしく"頷いて見せた。

 

「お疲れ様だね」

 

「ご苦労、と言って下さい」

 

 目上として振舞え、と言外に語る初霜に提督は、ふふんと得意げな顔で

 

「僕はいつだって甘えるのさ。なんたってインドアだからねー」

 

 そう笑った。

 

「今日はまた一段と意味が分かりません……」

 

 困った顔で呟いた初霜は、なんとなく室内を眺め、そこに見慣れない物がある事に気づいた。

 

「あの、提督、あれは?」

 

 初霜の指さす先に在るそれを少しばかり意地悪げに見つめて、

 

「貰ったんだ。上手にお黙り出来たご褒美にってさー」

 

 提督は笑った。

 

 

 

 執務室の隅に、ルームランナーが一つ、ぽつんと在った。

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