執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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 これは実験的な話であり、公式記録(提督日誌)、専門家の分析(瑞鳳 能代 矢矧)、関係者(各艦娘達)の証言をもとに構成しています(メーデー風)


第64話

 明石の酒保から少しはなれた所にある休憩所のベンチで、その猫は一匹たそがれていた。

 常であれば、ここに居れば自身を見かけるとすぐよってくる駆逐艦娘なども多数居るのだが、現在は主要メンバーは哨戒、警邏、遠征にと出撃中であり、また多くの艦娘達は自主訓練に打ち込んでいるような時間帯である。

 

 このままでは、常の様に腕の中へと飛び込み暖を取ることも叶わないか、と思った猫は仕方なしに部屋に戻って飼い主にくっつくか、と顔を上げ。

 そして休憩所の前の道を歩む、自身と同じ白い帽子を被った男を見つけた。

 

 

 

 

 

 

「あぁ、ここかー」

 

 提督は腕の中でごろごろと鳴く猫の喉辺りを撫でていた。自動販売機の横にあるベンチに座る提督の腕の中には、提督と同じ帽子を被った猫がいた。

 撫でられて目を細める猫の様子に、提督は笑みを深めて今度は猫の後ろ首辺りを揉み始める。

 これもまた気持ちよいのか、猫はごろごろと鳴いて答えた。

 

「オスカーは人に馴れてるなぁー」

 

 と、提督は腕の中にいるオスカーを見ながら、半ば呆れ、半ば感心しながら肩をすくめる。いつぞや、雪風の腕の中にいたこのオスカーなる猫は、ドイツ艦娘達が住まう部屋で飼われているが、猫の性であるのか、それともこの猫の癖であるのか、どうにも一所にじっとしていられない様で様々な場所でその姿を見られた。

 そういった、じっとしていられない所が雪風とも合うらしく、この一人と一匹のコンビは最近の鎮守府では珍しいものではなかった。

 

 まぁ、見た状況によっては、夜道で山城に出会うより怖かったと言われる組み合わせでもある訳だが……。

 

 さて、そんなオスカーであるが、こういった猫は家猫と違って様々な人々とすれ違い、或いは関わりを持つためか人に馴れやすい。

 家だけで生活する猫などは、それこそ他人を見れば威嚇を始めることもあるのだが、人と接する機会の多いオスカーの様な猫はすぐ人に馴れる。

 

 この提督に見せるオスカーの相など、まさにそれだ。

 提督はオスカーを知っている。オスカーもなんとなく提督を知ってはいる。が、こうやって提督がオスカーを抱き上げたのはこれが初めてだ。

 だというのに、オスカーは完全にリラックスした姿である。無用心ではないか、と思う反面、これもまたオスカーの処世術、の様な物なのだろうと提督は感じ、自分と違って器用な物だと肩をすくめたのだ。

 

 誰とも穏便に付き合えるオスカーのあり方は、艦娘達の思いに未だ正面から答えられない提督からすれば眩しい物でもある。

 猫からすれば時期が来れば勝手にそうなるような物であろうが、提督としては大いに悩むべき物事であった。

 

 と、撫でる手が止まっていたからだろうか。

 オスカーが提督の腕の中から提督の顔を見上げた。問うような眼差しは愛らしいもので、であるから提督は苦笑を浮かべて頭をかいた。

 

「あぁ、悪いねぇ。猫じゃらしでもあれば、もっと一緒に遊べるんだろうけれど……」

 

 と言って、提督は自身の周囲を確かめた。

 残念ながら、確りと清掃され整えられたこの鎮守府の中とあっては、あぁいった雑草などの発見は極めて難しい。

 提督としては、自身の腕の中にいる猫提督の猫らしい姿をもっと見たかった訳であるが、これは仕方ないかと首を横に振った。

 が、猫じゃらしこそ見つからなかったが、別の存在が提督の双眸に飛び込んできた。

 

「……あら、提督。オスカーちゃんと一緒に、どうされたんですか?」

 

 明石の酒保で扱っている袋を手にした、この鎮守府の古参の軽空母であり、守り手の一人にして居酒屋を営む鳳翔である。

 彼女は提督の傍――三歩前まで歩み寄ると提督の影を踏まぬように気を使いながら、問う眼差しを提督に向けた。

 こういった視線であれば提督でも理解できる。提督は笑顔で頷き、鳳翔もまた笑顔で胸を撫で下ろし提督の隣に腰を下ろした。

 季節は冬だ。二人は共に黒い軍用の外套を羽織っており、それが幽かに触れ合った。

 鳳翔なりの、精一杯の冒険であったが、提督はそれには気付かぬようで、自身の腕の中にいる猫をあやしながら鳳翔の言葉に返した。

 

「いやぁ、僕もちょっと気分転換で散歩中で……」

 

「あぁ、なるほど……」

 

 提督の言葉に、鳳翔は口元を手で隠しながら笑った。と、その目が一瞬あらぬ方向を見て小さく頷いた。龍驤と同等の索敵能力を持つ鳳翔である。

 であるから、彼女には提督の護衛としてついてきた艦娘の姿もはっきりと見えていた。これが一水戦旗艦の阿武隈であれば完全に気配も姿も消すであろうし、長波や夕雲、初霜島風響といったキスカ組であればそれなりに隠れたであろうが、鳳翔が見る今回の護衛役は、まだまだ甘いようであった。

 

 それにしても、と鳳翔はオスカーの背を撫でる提督を見た。

 部屋を出られるようになっても、未だ提督が長くを過ごすのはあの執務室である。であるはずなのだが、最近ではこうやって提督が様々な場所で見かけられる事が多くなった。

 彼は彼なりに、自身の目でこの鎮守府と艦娘達を見て回っているのだろうか、と鳳翔は提督の横顔に笑みを深めた。

 

 そうであるのなら、自身達は提督が見るに足る存在であり続けなければ、と考える鳳翔に、しかし提督は偶然であろうか、一言零した。

 

「そのままでいい」

 

 猫をあやす提督の目は、変わらずオスカーに向けられ、鳳翔には向けられていない。だが、その言葉はあまりに、鳳翔の決意に対する提督らしい言葉であった。

 鳳翔は笑みを消し提督へ顔を寄せ、ただただ問うような目で提督を見つめた。互いの黒い軍用外套はいまやもう触れるどころか重なり合っている。

 触れ合った肩の温もりは冬の空の下では熱過ぎて、鳳翔は身を引こうとした。

 だが、

 

「そのままがいい」

 

 提督の言葉でそれも遮られた。

 あいも変わらず、提督はオスカーを撫で回してるだけで鳳翔と目をあわさない。それでも、これは鳳翔にとって間違いなく提督から、自身達に向けて零された物であると思えた。

 この提督は、確かに凡庸だ。どこまでも凡庸で、普通だ。

 

 戦術などよく理解もしてない。であるから初霜や大淀にまかせっきりだ。

 戦略などもっと理解していない。であるから、それも長門や大淀にまかせっきりだ。

 鎮守府の維持もよく理解していない。であるから、それも大淀や他の艦娘達にまかせっきりだ。

 

 ただ、自身の艦娘の事となれば、この提督は誰よりも何よりも深く理解していた。

 何も見返りなど無い不毛な、あまりに一方的な愛であったかもしれないが、提督は間違いなく彼女達を愛していたのだ。

 この鎮守府の艦娘達がそうであったように、提督もまた触れ合えない関係の中でも、ただ愛したのだ。

 

 何故に触れ合えなかったのかまでは鳳翔には分からない。それでも、共に過ごしたこれまでの、それこそここに来る前の時間でさえ、彼女は提督と共にあった。

 その時間の中で分かったのは、提督が提督足りうる存在であるという事だ。

 

 愛し愛される。想い想われる。

 提督は艦娘達の為の提督であり、艦娘達は提督の為の艦娘であった。

 

 そこに至るまでに少しばかり遠回りもあっただろうが、これだけは、たった一つのこれだけは、提督は決して凡庸な提督ではなかった。

 

 鳳翔は、何か返すべきだと口を動かそうとしたが、しかし何も形に出来なかった。

 語るべき言葉がなく、語るべき想いがありすぎて選べない。

 肩が触れ合うほど近いのに、どうしてこうも思いを告げる事が出来ないのだろうか、と鳳翔は悲しみに相を歪めた。その瞬間である。

 

 一陣。

 ただの一陣、風が凪いだ。

 

 鳳翔の髪をさらい、その香りを確かに提督に届けたそれは、たった一瞬の事であった。

 僅かに乱れた髪を手櫛で整えた鳳翔は、隣にいる提督に流れた髪がぶつかりでもしなかったか、と不安げな顔で目を向けた。

 と、鳳翔の目に映ったのはオスカーを撫でる手をとめ、なにやら顔をしかめる提督であった。

 

「て、提督……どうされましたか?」

 

 鳳翔の気遣うような問いに、提督は耳を掌で軽く叩きながら返した。

 

「あー……いや、これなんか……さっきの風で耳になんか入ったような……」

 

 かゆいところに手が届かない、といった相の提督に、鳳翔は目を丸めた。まぁいいか、と軽い調子で猫を撫でようとした提督を止めたのは、目を丸めていた筈の鳳翔であった。

 

「いけません、提督。些細なことで大きな事になる事もあります。さぁ、どうぞ」

 

 明石の酒保で扱っている袋から、耳かきを取り出して鳳翔は自身の膝をたたいた。提督からすれば、それが何を伝えたいのか分かるが、さてその手にある物は随分と準備が良いではないか、と問うてみたくもなるのである。

 

 提督同様、鳳翔にもこの程度なら言葉がなくとも分かるものである。彼女は口元を手の甲で隠しながら微笑んだ。

 

「さきほど、丁度明石の酒保で購入しておいたんです。ふふ、こういう事もあるんですね?」

 

 まったくの偶然なのだろう。鳳翔の言からは嘘は感じられず、であればそうなのだろうと提督はあっさりと信じた。が、流石に彼はすぐには動かなかった。

 それは分かる。理解もした。納得もした。

 だがしかし、それに頷いたとなれば、彼は鳳翔の膝に頭を置かねばならない事になるのだ。

 提督はじっと鳳翔の膝を見た後、目線を上げて鳳翔の顔を見た。

 

 そこにあるのは、ただ提督を待つ美しい女の相であった。含むものなど一切無く、ただただ提督に尽くそうとする古き良き佳人の香りがそこにある。

 果たしてそれは、自身が汚して良いものであるのか、と提督は悩み、だがすぐに思い直した。直された、と言うべきか。

 逡巡する提督に、鳳翔が僅かに眉を下げたのだ。それは鳳翔の微笑が悲しみに翳ろうかという兆候であり、それを目にした以上提督としてはもうすべき事は一つであった。

 

 提督は肩をすくめて頭をかいた後、少しばかり座る場所を調整し、腕の中に居たオスカーの胸中で謝りながらベンチに離し、そっと鳳翔の膝に頭を置いた。

 オスカーは二人の姿を不思議そうに眺め、そこから離れる気配は無い。

 鳳翔も、そんなオスカーに小さく頭を下げてから、提督の頭を優しく一撫でしてから耳に顔を近づけた。

 

「あら……提督の耳はお綺麗ですね?」

 

「まぁ、それなりに綿棒とかで清掃してますんでー……」

 

 鳳翔の言葉に提督は普段通りの調子で返したが、内心では大いに焦っても居た。

 耳に顔を近づけて囁く鳳翔の声は、余りに心地よすぎるのである。おまけに吐息までかかるものであるから、提督としては落ち着けないものであった。

 

 心底からの笑顔で、提督に膝枕をして耳かきをする鳳翔という艦娘は、提督にとって在る意味では天敵の一人と言っても良い存在であった。

 家庭用ゲーム機をぴこぴこ、と言い切ってしまえるほど独特な艦娘であるが、溢れんばかりの母性で提督を包み込もうとする慈愛に満ちた鳳翔の在り方は、提督にとって恐れるに足る物であったのだ。

 

 駄目になる、などとかつては提督も画面越しに口にしていたが、実際にその暖かさに包まれてみるとまた違った物が見えてくる。

 抵抗する為の心も心地よさにまったくふるわず、抗う為の気概も根元からぽっきりと折られる。安心しきった気の抜けた顔を一つさらす程度ではないか、と思われるかもしれないが、男も20を越えれば子供のままでもそれなりに一端のプライドをもつ様になる。

 社会に出れば尚更だ。

 小さくとも成し遂げたことがあり、それを共に誇れる同僚も得たのであれば、自身のだらしない姿が同僚や仲間たちをも下げてしまう物だと理解し始める。故に、そうそうだらしない姿を見せないようになっていくものだ。

 

 提督もその辺りは同じだ。

 だからこそ、彼は鳳翔ともう一人の、ここには居ない艦娘を大いに恐れるようになったのである。

 

 ――あぁ、鳳翔さんだけってのがせめてもの救いかぁ……

 

 と胸中で呟いた提督は、しかしすぐ絶望へと誘われる事になった。

 不幸な事であった。まったくもって不幸な事であった。彼の嫁ばりに不幸な事であった。

 提督には一水戦から常に護衛がつくようにされている。それはどんな事態でも、どんな時でも、だ。勿論、今この時にも提督には護衛がついていた。

 その護衛こそが――

 

「ずるいー! ずるいずるい鳳翔さん! 雷も司令官に頼ってもらいたいのに!」

 

「あらあら……」

 

 鳳翔は頬に手を当てて困った相で微笑むが、提督からすれば比叡カレーを前にして、更に比叡にスプーンであーんとされたような物である。何せ、鳳翔と共に居なくて良かった、と思い浮かべた相手が今目の前で頬を膨らませて提督を見下ろしているのだ。

 

 駆逐艦暁型三番艦雷、という艦娘は恐らく殆どの提督にとって感慨深い存在であろう。性能は普通の駆逐艦で、特に何か優遇された物がある訳でもないが、その個性が余りに中毒性が高いからだ。

 その中毒性というのが、鳳翔に勝るとも劣らない――いや、場合によっては勝る母性である。

 

 司令官優先、何事も司令官の為。そういった姿勢が一つ一つの言葉から垣間見れる、なんとも献身的な幼な妻――幼すぎる妻系艦娘なのだ。

 

 兎にも角にも、これまた提督にとっては生身で向かい合うにはなかなかに覚悟が必要な相手である。

 そんな相手が、よりにもよって二人揃って提督を見下ろしているというのが、提督の現状であった。

 まな板の上の鯉はこんな気持ちであったのか、と妙な理解をした提督は、一人そっと胸の前で十字を切った。ちなみに彼は基督教ではなく、日本人らしい無宗教である。

 

「雷も! 雷も提督に何かしてあげたい!」

 

「そうね……提督、どうされますか?」

 

 見下ろす鳳翔と雷の瞳は、慈愛に満ち溢れて目をそらしたくなるほど輝いていた。

 実際提督は二人から目を離し、遠くを見つめたまま頷いた。無垢に輝く瞳を相手に、駄目になるから嫌です、とは言えないというそれもまた、男のちっぽけなプライドであった。

 

 そして、鳳翔は提督の頭を撫でながら耳かきを続け、雷は提督の体をマッサージし始めた。

 おまけに、オスカーが雷を真似始め、提督の頬を前足で揉み始めた。

 提督に出来ることなどもう何もなかった。ありはしなかった。

 いや、一つだけあるとすれば。

 

「あー……駄目になるんじゃー」

 

 そんな事を呟く事だけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが、最近編纂され、それなりの艦娘達の間で読まれるようになった阿賀野の提督日誌の一部である。

 

 さて、どうでも良い話だろうが、この軽巡洋艦娘阿賀野が最近編纂し、阿賀野語の権威である瑞鳳によって翻訳化された提督日誌の中には、更に提督を駄目にした出来事が記されていた。

 ある日提督が食堂のカウンター席の角で小指を打ち、悶絶した姿を鳳翔、間宮、夕雲、古鷹、雷、瑞穂といった艦娘達に目撃され、そのまま布団に運ばれて寝かしつけられてしまい、雷などから提督の急な休みの理由を聞いたある者は艦娘用の高速修復材――通称バケツを持って来たとまで書かれていた。

 

 勿論、提督はただの人間であるからバケツが効くわけも無く、もっといえばバケツを必要とするような怪我ではなく、むしろ怪我ですらないのだが、この日一日だけは普段平和な鎮守府も慌しい物であった。

 

 まるで昔の、鉄底海峡のルンバ沖から先の様でした。

 とは秘書艦初霜の言である。

 

 本当にこの鎮守府は……まぁ、平和である。




 阿賀野日誌のあれを、少しばかり形にしてみました。
 まぁたまにはこんなのもどうかと。

 鉄底海峡のルンバ沖から先、とはサンタクロース諸島から始まる地獄の事です。

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