執務室の新人提督   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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ン十年後の鎮守府のお話

 久々の自分の部屋に、青年は懐かしさを感じて頬を緩めた。

 本棚の上を軽くなで、掌を見る。彼の手のひらは微塵も汚れていない。それはつまり、この部屋を誰かが清潔に保っていたという事だ。

 

「あぁ、あとで母さんになんかお礼しなきゃなぁ」

 

 そう言って青年は頭をかいた。彼が今居る室内は、実家に在る一部屋である。彼がこの部屋に足を入れたのは、数年ぶりなのだ。父同様にある才能に恵まれた彼は、早い段階から軍に目をつけられ英才教育を施されてきた。

 そのまま、幼年学校から士官学校を経て鎮守府に着任し、父や伯父、親類達と同じ提督となったのだ。

 

 青年は久方ぶりの自身の部屋にある、小学生の時に買ってもらった学習机に近づいていく。この手の机は成長に合わせてサイズを調整できるので、そのままこの部屋を出るまで愛用していたのだ。

 机の棚にある本を一つ手に取り、適当にぱらぱらとめくる。赤いマーカーでチェック線を引いたところや、偉人の写真などにシャーペンで髭を書き足したものがあった。

 くすり、と一つ笑って青年はそれをまた棚に戻す。

 そして、愛用の学習机の上に置かれた写真たてのなかにある、親族集合の写真を見て目を細めた。

 

「じいちゃん、ばあちゃん達、お久しぶり」

 

 

 

 

 

 

 青年は、実に有名であった。軍部において、というだけではなく市井でも有名だ。

 事実、道を歩けば誰かが振り返る。地元で買い物をすれば常に声をかけられ、いつだっておまけがついた。それは久方ぶりの帰郷でも変わらない。

 

「おぉ、久しぶりだなぁ……ほら、りんご三つ持ってけ」

 

「あらまぁ、どうしたの? お嫁さんをご両親に紹介する為にもどったの?」

 

「おう、若様とこのボンかぁ……お前ますます爺さんに似てきたなぁ」

 

「若様の奥さんとぼっちゃん……どうです、今日はいいホタテがありますよ!」

 

 この調子だ。隣で歩く青年の母親は、皆の言葉に穏やかな相で会釈している。

 親として、こうして地元の人達に息子が愛されていることが嬉しいのだろう。隣で歩く息子に買い物の荷物を持たせる母親は、穏やかながらもどこか誇らしげに青年には見えた。

 そんな青年の目に、どこかぽかんとした顔が幾つか映った。青年が離れている間にこの土地に来た人達なのだろう。彼ら、彼女らの目には青年とその母親の姿は、スーパーの店主たちが口にする関係には見えなかったのだろう。

 

 ――そりゃそうだ。

 

 青年は隣の母親を一瞥してから頷いた。青年から見ても母は若い。いや、化粧でどうこうであるとか、整形でどうこうという若さではない。本当に若いのだ。こうして並べば、ただの夫婦か恋人、姉と弟に見えるほどに。

 

「あら……どうしたの?」

 

 隣の息子の様子を見て取ったのか、感じ取ったのか。休日である為に常の着物をぬいで、大人しめの私服に身を包んだ航空戦艦扶桑が首を傾げた。

 一児の、それも青年の様な大の男が居るような歳には到底見えない、若々しい姿である。

 

「いやいや、こりゃあ親父も大変だろうなあ、なんてとてもても僕には言えないですよ」

 

「もう……本当に義父さまに似てきたわ……あなた」

 

 頬に手をあて、困ったような顔でほぅ、と息を吐く母親の姿は、息子である青年から見ても十分過ぎるほどに艶っぽいものであった。

 これは本当に父親は大変だろう、案外また妹か弟が増えるのではないか、とまで考えて青年は溜息をついた。

 母親とはちっとも似ていない溜息をのつき方である。

 

「そう言えば、母さん」

 

「何かしら?」

 

「僕は、そんなにじいさんに似ているのでしょうかねぇ? 正直、あんまり覚えちゃあいないんですよ、僕は」

 

 青年のこの言葉に、母親は困った様に眉を八の字にして溜息をついた。

 青年を知り、更にその祖父を知る人々は、今彼の目の前に居る母親と同じような反応を見せる。青年ももう独り立ちした一海軍士官だ。それでも、地元と同じように軍部でさえ、祖父が、祖父が、と言われれば気にもなる。しかも似ているというおまけつきだ。

 

「そうね……義父さまは、とてもその……独特な人ではあったの」

 

「じゃあ、やっぱり僕とは似ても似つかないんじゃあないかな?」

 

「ううん、あなたそっくりよ?」

 

 断言する母親を軽く睨んで、青年は肩をすくめた。青年自身はいたって普通の青年であると自認しているのだ。であるから、祖父と似ている、というだけで、いいか変な事はするなよ、絶対するなよ、あと配下の艦娘に変な事教えたりするなよ、特に水雷戦隊に変な事覚えさすなよ! と上司に注意されている青年としては、いい迷惑ですらある。

 

 この前も、砲台が不調になった際にと青年が訓練させて置いた格闘術で特別海域を乗り切った際、大本営から呼び出しが掛かって随分と迷惑をかけられたのだ。青年の祖父の友人であるという高官達は笑っていたが、それ以外は泡を吹いていたらしい。あれの再来だとまで言われたのである、青年は。

 ちなみに、その後も艦娘達の自主性を重んじすぎた結果、なにやらフリーダムな鎮守府になってまた大本営から呼び出しを食らっている。流石に特別海域の合同連合艦隊で、隣の親戚の鎮守府と組んでドラム缶殴り倒し艦隊で出た事が原因である。しっかりと結果を残しているので、両者お咎めなしであったが、厳重注意は貰っていた。

 

「僕はいたって普通じゃないか。なんでもかんでも比べられたんじゃあ、たまったものじゃあないよ」

 

「気持ちはわかるけれど、貴方越しに義父さまを見る人が居るのは、仕方ないんじゃないかしら……」

 

 母としてはそう言うしかない。こうして愚痴る姿までそっくりなのだ。彼女の愛する夫にしても、あれはますます親父に似てきたな……頭が痛い……不幸だ。と零している現状である。

 夫は義父に似なかったのに、息子はそっくりになったという事に、扶桑は遺伝子の面白さと残酷さを感じていた。

 

「だいたい、あなた……似てるも似ていないも、趣味まで一緒じゃない……」

 

「……いや、これは僕が悪いんじゃない。僕が悪いんじゃない」

 

 母の言葉に、青年が首を横に振った。ただしどこかばつが悪い顔である。

 

「それに、僕はばあちゃんの若い頃なんて知らないんだから、そんな事は知ったことじゃあないさ」

 

「……そうねぇ。義母さまは義父さまに合わせて艤装を解体されたから……」

 

 艦娘にとって艤装こそが艦である証である。それを解体するという事は、艦娘で在る事をやめるという事だ。これを行った場合、その艦娘は普通の人間と殆ど変わらない存在になる。

 

 青年の祖父の艦娘達は、自身達の主であり夫である提督の老いを感じた時、皆艤装を解体した。共に逝く事を願ったからである。大本営は、色々とやらかしてくれた鎮守府でこそあるが、それを補って余りある恩恵を与えた鎮守府の、その守り手達が消えることを惜しんだが、艦娘達の意志は固く結局その意志を曲げる事は叶わなかった。

 すでに青年の祖父の子供達が新しい提督となり、新たな時代の幕開けを感じさせていた事も大本営を比較的大人しくさせたのだろう。

 

 だから、青年は祖母の若い頃をしらない。彼が辛うじて覚えているのは、優しい顔の祖母と、偶にスパナなどを眺めて、あのタワーは今もあるんだろうか、などと呟くボケ気味の祖父である。

 実は僕、おやかたさまでもあったんだ、とのたまう祖父をボケたとしか思えなかった青年に罪は一切ない。やたらと工事現場の工具や特殊車両に詳しかった祖父を、じいちゃんすげー、と目を輝かせていた青年であるが一切罪はない。

 あと日本刀にもやたら詳しかった祖父に、じいちゃんパネェー、と手を叩いていた青年に罪は一切ない。

 

「もっと詳しく義父さま達の事を知りたいなら、私じゃなくて文月義母さまに聞いて見たらどうかしら……?」

 

「……いや、文月ばあちゃん、僕が行くと凄い勢いでお菓子とか小遣いくれるから、行きにくくて……」

 

 青年ももういい大人である。であるから、祖母の一人である文月の孫可愛がりは分かるのだが、扱いには少々距離を取りたくもあった。孫であるのは事実であるし、愛らしい祖母だと思いもするのだが、青年自身がもう嫁を貰おうかという頃なのだから、尚更だ。

 

「で……母さん、大丈夫?」

 

「何が……?」

 

 ぽつりと呟いた青年に、母親はきょとんとした相で首を傾げた。

 青年は頭をかいた後、口をもごもごと動かして言い辛そうに問うた。

 

「その……うちの山城と、やっていけそうかな、と?」

 

 息子の言葉に、母親は口元を手で隠して上品に笑った。まさに嫣然とした物である。車の止めた駐車場までの道で、途中すれ違った幾人かがその笑顔に目を奪われていた。

 が、青年としては笑顔よりもはっきりとした返事が欲しかったのである。彼は手に在る荷物を持ち直して再び口を動かす。

 

「いや、やっぱり僕としてもその……妻になろうかって言う山城と、母さんの仲が悪いとなると、こう、自分の鎮守府に篭るしかないわけで……」

 

「あぁ……大丈夫よ」

 

 青年の疑問に、母親はさらっと応えた。本当にさらっと、だ。あまりの素っ気無さに、青年が眉をしかめるほどである。

 そんな青年を顔を見て、母親は艦娘――扶桑としての相で口を開いた。

 

「あなたの連れてきた山城が、義母さまと同じ山城ではないでしょう? 義母様さまは義母さま、あなたのつれてきた山城は、あなたの妻でしょう? あなたこそ大丈夫なの?」

 

「……何が?」

 

「私の妹の山城と、あなたの妻の山城、ちゃんと見分けられる?」

 

「山城叔母さんと山城は間違えないよ。僕の艦娘だ。絶対ないよ」

 

 息子の、男としての、提督としての応えに扶桑は大きく頷いた。それはそれとして、彼女には一つ考えるべきことがあった。

 

「で……あなた、どこで結婚式やるとか、ちゃんと考えているのかしら……?」

 

「……まぁ、いつものとこじゃないかなぁ、と?」

 

 頼りなげに返す青年に、彼女はため息をついた。いつもの場所、とは祖父がいた鎮守府――現在は彼の父が受け持つ鎮守府の一番大きな港である。

 基本的に、鎮守府というのは軍部の施設であるから、世襲という事はありえない。それでも彼の父が祖父の鎮守府を譲り受けたのは、それに相応しい戦果を持つことと、祖父の偉業故の特別な計らいだ。

 親族を呼んでの行事は、たいていそこだ。そこは様々な思い出があり、皆の出発地点であり、始まりだからだ。それ以外にもある理由としては、やはり親類縁者を呼ぶとえらいことになるからである。

 

「さて……続きは家で、しっかり話し合うとして……」

 

「へいへい」

 

 止めてあった車の鍵を開け、青年は後部座席に荷物を置き運転席へと腰を下ろした。助手席についた扶桑は、腕時計を見てため息をついた。

 

「早く帰らないと、二人とも不幸だ不幸だとため息ついていそうねぇ……」

 

「……」

 

 青年はその言葉に何も返さず、ただ早く帰ろうとだけ思う事にした。

 決して、母親の口にした光景が容易に想像できたからではない。決してない。




 
 おまけ 
 山城「あ、あの義父さま……お茶でも、お、お入れしましょうか?」
 父「あ、あぁ……お、お願いできますか……?」
 山城「は、はい……(ど、どうしましょう……間が持たないわ……)」
 父「……(息子よ……妻よ……何故二人だけで買い物にいったのだ……)」
 山城「……(不幸だわ……)」
 父「……(不幸だ……)」




 まずそこまで行かないという部分を、ぽんっと放り投げて見ました。未来のお話です。

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