しかしこれからもどうなるかわかりませんので期待せずお待ちください。
「ありがとうございました。」
二十分ほどの演奏を終え、礼をする俺にいくらかの拍手が向けられる。
一年たっても変わることのないこの雰囲気に懐かしさを覚える。心地のよい空気。
自分もそれを作ることに一役買っていると思うと、無性にうれしく思う。
「和也君じゃないか。いつの間に帰ってきてたんだい?」
「あっ。どうもお久しぶりです。聞いてくれていたんですね。ありがとうございます。」
演奏を終えた俺の所に来てくれたのは人のよさそうな笑顔を浮かべたおじいさん。
この店の常連の方だ。俺のことを覚えていてくれたことに驚きながらも非常にうれしく思う。
「わしはしばらく和也君の演奏が聞けなくて寂しかったんじゃぞ?」
「すみません。ですがそういっていただけることはとてもうれしいです。」
お茶目に笑いながら一杯煽るおじいさん。
「ここバーですよ?何でビールなんて飲んでるんですか。」
「家から持ってきたに決まっておろう。」
「まったく・・・そんな風に飲んじゃって大丈夫なんですか?もうお年ですのに。」
「わしを侮るんじゃない。今でもわしは酒豪じゃい。」
鼻を鳴らしそう言いながらジョッキに残っていたビールを一気に飲む。
「それでもです。くれぐれもアル中で亡くなったとかは止めてくださいね。
嫁さんにこの店が恨まれそうなんで。」
「ハッハッハ!そりゃいかんなぁ!」
俺のちょっとした冗談を豪快に笑い飛ばすおじいさん。何だかんだで人のよい御仁だ。
「では。仕事に戻りますので、失礼しますね。ごゆっくりどうぞ。」
軽く頭を下げその場を去る。一年経っても自分を覚えていてくれたことが純粋にうれしい。
そんなことを考え自然に表情をほころばせているとタカヒロさんが手招きしていることに気付く。
「どうしましたか?」
「いや、お疲れ様とね、相変わらずいい演奏だったよ。」
「ありがとうございます。」
タカヒロさんにほめられ誇らしく思う。やはりこういうところはまだまだ自分は子供だと思う瞬間だ。
「しかし君の演奏は・・・」
「え?」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ。そんなことより留学の成果を見せてくれ。」
そうだった。外国で師事してた先生には決定的に「足りないもの」があると言われ、
予定より早く一時帰国することになったのだった。ここでタカヒロさんと仕事を共にさせてもらってその足りないものが何かを見つけなければならない。
「はい!では、お願いします。」
カウンターの奥へ入り、器具や豆を用意する。
一つ一つの工程は手馴れたものであるが決しておざなりにしてよいものでもない。
丁寧に豆を挽き、珈琲を用意する。
「できました。」
「わかった。頂くよ。」
「お願いします。」
ゆっくりと優雅な所作でカップを口に運ぶタカヒロさん。
その行動の一つ一つを目で追ってしまう。いったい何て言われるか・・・・
「・・・・・なるほど。」
少しの間目を閉じ、考えるような仕草を見せた後重々しく口を開きく。
「どうでしたか・・・?」
「・・・・・・・わかった。君は明日から昼の喫茶店で働きなさい。」
「え?」
話の流れに脈絡がなく理解が遅れる。
「君に足りないものはわかったが・・・それは人に言われてどうにかなるようなものでもないような気がしてね。」
困ったように肩をすくめ、そう告げる。
「昼の喫茶店って・・・智乃ちゃん達と働けということですか?」
「そうだね。申し訳ないがこの件についてこれ以上俺が手助けしてやれることはない。」
腑に落ちないがタカヒロさんがそういうのだったらそうすべきなのだろう。
「・・・わかりました。では明日からは日中働かせてもらいます。」
「ああ。そうするといい。智乃と一緒に働いてた二人には智乃に紹介するよう言っておく。」
「ありがとうございます。ともかく今日はこのまま働かせてもらい・・・」
「いや。帰国したところで疲れているだろう。今日はもう休むといい。」
あっという間に話が進み、いつの間にかこれで仕事を上がることになってしまった。
「わ、わかりました。失礼しますね。」
「あぁ。おやすみ。」
「おやすみなさい。」
挨拶をし、店から立ち去る。
◇◇◇
「のう・・・」
「何だよ親父。」
「あやつの部屋は今ココアが使ってたはずじゃが。」
「・・・・まあ大丈夫だろう。」
「おい。」
◇◇◇
香風家に入った。別に特別珍しいつくりをしている訳では無いし、同じような間取りの家なら向こうで見ることもたまにあった。それでも懐かしさを感じずにはいられない。この家特有の雰囲気というのだろうか。どこからか香る珈琲の匂いもその雰囲気を助長させている。
「ただいま。」
誰に言うでもなく口にする。当然リビングには人影一つなく返事が返ってくることも無い。そんなことは気にせずリビングの隅に飾ってある写真立てに近づく。
「ただいま戻りました。天国で元気にやっていますか?今日久しぶりに智乃ちゃんと会ってびっくりしましたよ。
あの年の女の子って言うのはあっという間に成長してしまうんですね。」
写真立てに向かって語りかける。やはり返事は無い。
「他にも智乃ちゃんに新しくお友達もできたみたいで・・・ってきっとずっと見守り続けていましたよね。
とりあえずはこの辺にして・・・またしばらくお世話になります。よろしくお願いしますね。」
言い終えるとどこからか頬と髪を撫で付けるような風が吹いたように感じた。