誰かが言った"沈黙は金"であると。
ある者は言った"口は災いの元"であると。
故に、シズは目を閉じて自身に向けらる雑音の一切を遮断し、只々不毛な時間が過ぎ去るのを待っている。
まぁ、薄汚い野良犬の群れが一斉に自分に向かって只吠えているだけだと思えば、幾分か気休めになった。
そんな雑音に真面目に耳を傾ける必要など全く無いからだ。
そして、此方が反応しない限り相手の話題が0から進む事は無い。
仮に"沈黙"している事が原因でトラブルが起きても、相手が一方的に難癖付けてきたと堂々と言える。
"問題を起こすな、問題も起こさせるな"
主からナーベを頼んだぞと任されたからには、その命に従うのみ。
今も爆発しかけた短気な同僚の手の甲をつねる。
"それは駄目だ"と言う事を痛みと共に伝える為に。
特に人間と言う物に興味が無いシズにとって、絡まれる事はさしたる問題ではない。
だが、隣のナーベルガンマにとっては耐え難い苦痛なのだろう。
一体、どうしたものかと考えるが、妙案は浮かばない。
今の自分に出来る事と言えば、ナーベが爆発しない様に止めるだけ。
(私が、しっかり、しないと)
気持ちとは裏腹に、不気味なまでな沈黙した様子は正に"人形"と言うに相応しく、その沈黙する姿すらも美しく見えてしまう。
だからなのだろうか、何の反応もしていないのにも関わらず、懲りずにシズに喋り続ける者がいるのは。
「なぁ、君達の綺麗な声を聞かせてくれないか?」
「絶対に損させないって、な?だから俺達と組もうぜ?な!?」
見るからにチャラチャラした優男達が、シズとナーベを囲んで何かを喚いている。
聞く価値も無い雑音故、細かい事は省略するが要するにチームへの誘い、ちょっとお茶しない?である。
音量スイッチoffにしたシズは兎も角として、ナーベに関してはそろそろ限界に近付いていると言っても過言ではない。
不快極まりない人間達に囲まれているだけでも我慢ならんのに、更にはクソ煩いときている。
その無駄に開く口に魔法をぶちこみたくなる気持ちを、強靭な精神力で必死に抑えこみ、何とか耐えていた。
何故ならば、モモンから"問題を起こしたら従者クビ"と告げられているから尚の事。
"絶対に負けられない戦いが其処にはある"
喉元までこみ上がる呪詛の言葉を必死で飲み込み、漏れ出そうになる殺意を抑え、ゴミ虫達が過ぎ去るのを待つ。
だが、主達の帰還を前にそれは起きるべくして起きた。
「お、君のその弩凄いねぇ!ちょっと俺に見せてよ」
調子に乗ったチャラ男の一人が、シズの背中に担がれた強襲弩に無遠慮にも触れようとした事から始まった。
シズにとって、別に人間が何を喚こうがどうでも良い。
死のうが、生きていようが、全く関係ない。
だが……
「触るな」
だが、それは駄目だ。
それだけは、絶対に、看過出来ない。
底冷えする様な低い声に殺意を乗せ、シズはその沈黙を破る。
「へっ?」
チャラ男が弩に触れようと伸ばした手を掴み、即座に捻りあげると同時に床に引き摺り倒す。
そして、顔面を足で踏みつけながら腕を捻り、拘束した。
「あぐあぁ!」
「人の、物に、触れるな」
腕の関節を完全に極め、男を制圧するシズ。
接触から制圧までの一連の流れがあまりに唐突、あまりに速く、周囲に居た者は誰も反応出来なかった。
静まりかえる集会場に、関節を極められたチャラ男の情けないうめき声が響き渡る。
あとほんの少しシズが力を込めれば、この男の腕は折れるだろう。
だが、そう簡単には折らない。
シズは絶妙な力加減で、痛みを継続的にチャラ男に与えながら拘束をする。
馬鹿な人間に思い知らせる為に。
ストッパーであるシズの反撃をきっかけに、ナーベの中の"我慢の種"はパリーンと音を立て弾け、覚醒する。
「このゴミ虫めらが……」
ぶち殺す、捻り潰す、もはや塵芥も残さぬ位に。
握る拳には殺意を込めて、睨む目には侮蔑と嫌悪を乗せて、キレたナーベは立ち上がる。
この娘、完全に便乗して暴れるつもりだ……
流石は人間嫌い同盟のエース、ボコれる口実を得てから実行に移すまでがすこぶる速い。
「ナーベ、殺すのは、駄目」
「何故!?」
「正当防衛、殺すのは、やりすぎ」
「っく、でも……!」
「これ以上、問題起こすと、クビになる」
反撃出来る口実を得て、恐らくは手加減無しの反撃を行使しようとするナーベをシズは止める。
ナーベの拳の直撃を食らえば場合にもよるが、只の人間程度一溜まりもない。
顔面ならば頭蓋を砕き、胴体なら内臓破裂、よしんば防げても瀕死は免れないだろう。
無法者相手ならばまだしも、冒険者を白昼堂々半殺しにしてしまっては大問題になる事間違いなし。
それも冒険者ギルドの中でならば以ての外である。
完全な正論を前に退かざるを得なくなったナーベ。
寸での所で、大乱闘ぷれぷれプレアデス又はナーベラル無双は発生しなかった。
問題を起こすなと厳命された、が身に降りかかる火の粉は当然払うべきもの。
正当防衛での武力行使はシズの判断で行う事が出来る唯一の権利である。
もっとも必要に応じ"最小限"の反撃に止めると言う条件付きではあるが。
そもそも武器を扱う者が、己の武器を簡単に触らせる事など絶対に無い。
街の衛兵、侍、警察官、兵士、どんな職業であろうとも、不用意に武器に触れようとすればどうなるか、嘘だと思う者は是非とも試してみると良い。
その身を以て、自分の愚かさを知る筈だ。
「い、痛てぇ!痛てぇ!」
「喚くな、煩い」
腕をへし折る寸前で止めているのだから痛く無い訳がない。
相変わらずの無表情でギリギリと無慈悲に腕を締める様は、最早不気味と言う他言い表せない。
全ては男の迂闊さと無遠慮さが招いた自業自得なのだが、馬鹿な人間と言うのはその事を理解出来ない。
故に"馬鹿"と言うのだが。
「君、その手を放したまえ!今なら条件次第では許してやらなくもないぞ!」
尊大かつ傲慢、この愚か者の仲間は謝罪するどころか挑発してきている。
シズはこの人間達に対して、無関心の底から憎悪とも言える感情が沸々と湧きあがる、そんな気さえしてきていた。
「……あほくさ」
ボキャッ!!
「うがぁぁぁ!!」
限界まで締め上げられた腕は、豪快な音と同時に折れた。
捻りあげられていた肘は普段は絶対曲がらない方向に垂れ下がり、馬鹿な男の腕は見事に完全骨折していた。
「う、腕の骨が折れたっ……」
「人間には206本も骨があるのよ、一本位なによ」
激痛で顔を青くする男に対して、ナーベは呆れた顔でそう言ってのける。
確かに骨の数だけで言えば大した事ない様に聞こえるが、そんな事はない。
人間は指の骨一本折れただけでも大問題なのです。
人外にはそれが分からんのです。
「これで……後戻りは出来なくなったぞ!覚悟したまえ!」
「ホーストの腕折ったんだ!容赦しねぇぞ!」
「待ちなさい!ギルド内での戦闘行為は禁止ですよ!!」
「構うこたぁねぇや!やっちまえ!やっちまえ!」
「服を狙え!服!」
正に混沌、正に阿鼻叫喚、収集のつかない暴力的な熱気は一瞬でギルドの中を支配する。
娯楽に飢えた酔っ払いや、単純に騒動に引き寄せられた野次馬、果てはギルドの職員。
"問題よどうか起きるな"と言うタイラントの願いむなしく、起こってしまった大問題。
このままでは良くて乱闘か決闘か、悪けりゃギルドと戦争か。
大体、冒険者など言い方は聞こえは良いが元を辿れば血気盛んな荒くれ者と大差はない。
女に飢え、酒好きで、暴力を好む。
正に単純、故に脳筋。
まぁ、全ての冒険者がそうとは限らないがこの様子を見るに大体は合っているだろう。
「これ、どうするシズ?」
「解らない」
騒動の渦中の二人は、どこか他人事の様に飄々としていた。
「本当に、謝る気は無いのだな……?」
「煩いわねゴミ虫、口臭いから黙りなさい」
「もう、容赦しねぇ……!!」
短髪の剣士とおぼしき男が得物に手をかけ、剣を抜き放とうとした……その時。
「……何をしている」
それはそれは低く、そして邪悪な、どす黒い殺意をはらんだ声が聞こえた。
集会場の喧騒が一瞬で静まり、代わりに静寂が集会場を支配してしまう程に低い声が聞こえた。
コツ コツ コツ コツ
シンと静まりかえる集会場に規則的な足音が響き渡り、その殺意の塊とも言える者が姿を現す。
全身黒装束の大男で、顔に妙に大きい紅い目が特徴の仮面をした男が。
「……貴様等、俺の部下に何をしている」
それは、まるで殺意と怒りが可視化したかの様な感覚だと言うべきか。
この場に居た人間は皆思った事であろう。
コイツに関わったら、間違いなく"殺される"と。
近付くタイラントに対して、まるでモーゼの十戒の海原の如く、野次馬達の集団は左右に割れた。
次週、タイラント王都へ行く。
暫く、創作回が続きます。
おかしな点とか有ったら教えて下さい……
出来る限り早く修正します。