粗末な二人部屋に漸くたどり着いたタイラントは、一際大きなため息と共にベッドに腰掛けた。
少し出歩いただけで絡まれるとか正直所勘弁して欲しい。
まぁ、絡んだ奴を片っ端からぶち殺せたらこんな気苦労をしないのだが、そんな粗相をする訳にはいかない。
まず以て労力と時間の無駄であるし、何よりもこの段階でお尋ね者になっては今後の行動に支障をきたす。
だが、突発的な激しい破壊衝動を抑えこむのは中々容易ではないのだ。
なんせ軽く小突いただけでも重傷を負い、本気出して殴ろうものならば、恐らく原型を留めぬ肉塊に間違いなくなり果てるだろう。
殴るならば、極力怒りを抑え、なるべく気遣いながら殴らなくてならない。
しかし、そんな事本当に出来るのだろうか……。
(無理だな、絶対)
「……全く、度し難いな。人間と言う物は」
「仰る通り、です」
「……まぁ良い。有象無象に構っている暇など無い。今後の我々の行動について通達する、心して聞け」
「御意」
「……まず、我々はこのエ・ランテルから離脱し王都へ向かう。そこで貴様は一度ナザリックへ戻り補給と武器の整備を実施、別命あるまで通常業務をしながら待機しろ。俺は王都までの進路を確認、調査をしながら向かう。何か不明な点はあるか?」
「いえ、ありません」
一見シズの表情に変化は無い様に見えるが、タイラントはその細かな変化を見逃さなかった。
察するに"ナザリックに帰還するのが嫌そう"だ、と。
だが本当にそう思っているのか?と言うと、それを示す根拠はない。
別に他人の思考を読んだとか、エスパーや強化人間の真似ごとをしたと言う訳でもない。
では何故、そう感じたのかと言えば"昔取った杵柄"と言った所だろうか。
時を遡る事、大体30年程前……
深刻な環境汚染が渦巻く極東の島国、日本。
タイラントは、北関東と言われる地方に居を構える"的場家"の長男として生を受けた。
決して裕福な家庭ではなかったが、殊更貧乏と言う訳でもない普通の家庭であったと言う。
しかし物心付く頃には両親が失踪、只一人残された子供は行政に保護される。
否応なしに孤児施設に入れられ、中々酷い生活を強いられる事になった。
躾と言う名の殴る蹴るの折檻は当たり前、2~3日飯抜きだって日常茶飯事。
(どうして、僕は怒られているのだろう?)
厳しい折檻の中で自然と芽生えた、小さな疑問。
だが、その疑問の答えを親切に教えてくれる大人など居る筈もない。
何故、殴られなければならないのか。
何故、こんな辛い思いをしなければならないのか。
幼いながら考えた末、ある日一つの結論に達した。
「……よく見よう、アイツ等の事を」
その観察は、"大人を怒らせない為にはどうすれば良いのか"から始まった。
大人達の一挙手一投足を観察し、何が駄目で何が良いのかを探した。
折檻されている最中ですら、その職員の癖やパターンをひたすら観察する。
そんな生活を暫くしていると、職員のその日の機嫌や体調、仮初めの笑顔に隠された嘘が分かる様になっていった。
そんな子供には過酷過ぎる環境の中で培われた"観察眼"は歳を重ねる内に研ぎ澄まされていき、施設を卒業する頃には表情の微妙な変化すらも見逃さない程になった。
そして面白くも無い子供時代を経て、漸く自立出来る年齢になるとゴミでも捨てるが如く施設から出された。
最低限の教育と、最低限のお金を渡してくれたのは一応は政府が監督する施設だからだろうか。
まぁ、このご時世の孤児には勿体無い対応だと言えよう。
「しかし、働けと言われてもなぁ……」
身寄りのない若造が就職するには、この社会は厳し過ぎる。
ましてや、ギリギリ高等教育を受け終えた程度の学力では並の企業など望むことなど出来ない。
いきなりお先真っ暗である。
取り柄と言えば身体の頑丈さと要領の良さ位だろうか。
まぁ、伊達に過酷な環境で幼少期を過ごしちゃあいないのだから。
"急募、国防軍兵士求む!"
何の気無しに、電子掲示板の広告に出てきた国防軍の求人の広告。
読んで見れば、中々待遇が良いじゃないか。
身分は特別職国家公務員、衣食住完備の上に過去の経歴は問わないときた。
「戦地昇進有り、チャンスは自分次第か……」
今世界中で資源獲得紛争が勃発していると言う一抹の不安はあるものの、どうせ行き詰まっているのだからと入隊を即断。
だが、意外な事に軍隊の生活は性に合っていた様で、あっという間に一兵卒から下士官になり、気が付けば叩き上げで佐官まで登りつめていた。
正直な所、死にたくない、生き残りたい、只その一心でやっていただけなのだが。
知らずに貯まったお金で念願の高いゲームを買ってからと言うもの、休みの度に没頭していた。
程々にキツイ現実から逃避する為に買った、ファンタジー全開のゲームへと。
だが、どう言う訳かこの"ユグドラシル"と言うゲームは現実よりもシビアな環境だった。
単純にカッコいいからと異形種にしてみれば、人種差別主義者も真っ青な迫害を受ける。
辻斬り、通り魔、無差別殺人、只歩いていただけでも問答無用でPKされるではないか。
なまじゲームがリアルな分、余計に腹が立ったのを今も鮮明に思いだせる。
仮想空間だからこそ人殺しに対する罪悪感も躊躇もない。
異形種とは言え中身は人間である。
自身のエゴと殺人衝動を満足させる為だけの殺戮行為。
「所詮、血も涙も無い化け物は人間だと言う事か……」
それなりの地獄を見てきた筈だが、まさかゲームでそれを気付かされるとは思わなんだ。
しかし、弱ければ強者に淘汰されるのは必然。
弱者には生存する権利も糞もないと言う事は嫌と言う程理解している。
ならば、やるべき事は一つ。
あらゆる物を駆使し、己を強化する。そして全ての不条理を叩き潰す程の強さを手に入れる。
本当の地獄を知らぬ愚民に、鉄槌をぶちかます。
ゲームとは言え、これは最早"戦争"。
異形種の生存を懸けた、戦争だ。
そして、数多の現実と非現実の地獄の中で昇華された観察力と磨かれた直感は、異界の地で本当の"異形"と成り果てても尚、己の中に残っていたと言う訳である。
本当、不思議な事に。
「……何だ、不満そうだな。帰還するのは不服か?」
「そ、そんな事は……」
図星をつかれたシズは珍しく狼狽してしまう。
主人の命令に不満を感じていた事がバレる。
慌てない従者など居ない訳がない。
「……まぁ聞け、何もクビって訳ではないぞ。当初の予想よりも武器の消耗が激しいのは貴様とて理解はしているだろう?このデリケートな武器を扱えるのはナザリック広しと言えど俺とお前しか居ない。だからこそ任せる、解るか?」
「お、御方の仰せのままに……」
「……うむ、整備は俺の部屋の道具を使って構わん、念入りに頼む。それと重火器の倉庫からガトリング・ガンと弾薬を準備しておいてくれ。何時でも使用出来るように……な」
「御意」
「……出発は明朝0600、組合でランク更新後に各個に行動開始。ナザリックへのゲートはこのポイントに用意しておく。俺のゲートは派手だからな、くれぐれも人間に見られるなよ」
翌日、晴れてミスリルとなったタイラントは遠回しに引き止める組合を丁寧に一蹴し王都へと向かった。
乗り合い馬車等を使わず、気ままに徒歩で向かうつもりだ。
理由は特に無いが、強いて言えば気持ちが良かったから。
同志ブルー・プラネットが愛して止まなかった汚染されてない自然。
是非彼にこの自然を一目見せてやりたいものだ。
きっと、物凄く感激するだろう。
「……しかし、本当に美しい。これが自然の有るべき姿か」
整備がされているとは言い難い土の道路、新緑の草木、小鳥の囀ずり。
マスク越しで本当に感じているのかと自分でも疑問に思うが、プラシーボ効果も相まって気分が良い事は確かだった。
発展した技術は人間の利便性のみを追及して資源を食い潰し、自然を破壊し、挙げ句果てに残った資源をめぐって殺し合いを始め母なる大地を汚し続けた。
皮肉な事だが、人は人の手によって滅びるだろう。
自らが招いた闇に飲まれて。
「……いかんな、どうも」
豊かな自然に感心していた筈なのに、いつの間にか滅び行く世界の事を考えてしまっていた。
せっかくの一人旅なのだから、のんびり優雅に旅をせねばなるまい。
背負ったバックパックを背負い直すと再び歩き出す。
この簡素地図を見る限り、王都まではそこそこ距離がある。
タイラントは適当に辺りの物を調べながら、道を進んで行った。
「……何だ、これは?」
陽も暮れかけた街道に散乱する物と死体。
死体の状態を見るにさほど時間は経っていないと言える。
其なりの防具と馬の死体、頭や身体に刺さる無数の弓矢。
街道に面する森から襲撃された、それを結論付けるに容易な状態であった。
「……統一された装備に軍馬、何かの護衛か?」
そう遠くない範囲で、何か揉め事が起きているのは間違いないだろう。
盗賊、あるは武装したモンスターの類いか。
何にせよ、立ち塞がる障害ならば排除するだけの話だ。
タイラントは、少しだけ警戒をしながら街道を進んで行く。
すると、歩いて間もなく街道のど真ん中に倒れる上等な馬車とそれに群れる人だかりが見えてきた。
どう見てもノー・プロブレムな状況ではない。
見たら分かる、揉め事やん……って感じだ。
「我慢出来ねぇ!犯しちまおうぜ!」
ほれ見た事か、揉め事どころか完全に犯罪現場でした。
しかも、"犯す"とか凶悪なパワーワードまで聞こえてきました。
はてさて、どうしたものか……
「何だコイツは!」
「何処から出てきやがった!」
どうしようか考えていたら、盗賊の何人かに見つかってしまった。
まぁ、これだけ接近すれば見つかってもおかしくないのだが。
しかし、これで穏便に通りすぎると言う選択は出来なくなったぞ。
「お、お願いします!お嬢様を……!」
「うるせぇ!黙れこのアマ!」
人混みの中心には、服を乱暴に引き裂かれた女が二人。
その内の一人はまだ成人をしていない子供であった。
コイツ等マジでゴミ野郎だな、とナチュラルに思ったタイラント。
正直、見知らぬ奴が死のうが犯されようが知ったこったゃないが、年端もいかない子供が犯されるのを黙って見過ごすのは寝覚めが悪い。
此処は僅かに残った自分の良心に従うとしよう。
「……ゴミが群れて何をしているかと思えば、女子供を嬲っていたか」
やれやれ、とわざとらしく挑発する様に言ったタイラント。
その思惑通り、案の定盗賊達は激怒した。
なんと、単純な人種なのだろうか。
「なんだとぅ、どうやら死にてぇようだなテメェ」
各個に武器を取り出し、タイラントを囲む盗賊達。
下品な嘲笑をし、余裕綽々な盗賊の面々を見てタイラントは心底哀れみを感じた。
コイツ等、自分が今日死ぬだなんて微塵も思っていない。
自分達が、既に"地獄の釜の底"に居る事に気が付いていないのが非常に滑稽だったからだ。
「おい、仮面野郎!何か言い残す事はあるかぁ?」
一人の盗賊が、半笑いでタイラントに言った。
だが、その返答を聞く気などないのだろう。
直後に巻き起こった盗賊達の笑い声は、薄暮の空に響き渡っる。
だが、敢えてタイラントは答えた。
身震いする程の、低い声で。
「 そ う だ な 」
!!!!!!!!
背負ったバックパックを降ろした瞬間、言い様もない衝撃が盗賊達を突き抜けた。
殺気、いや殺気と言うには足りな過ぎる程の強烈な殺意。
枷を外された猛獣が、その剥き出しの牙で喉笛を食い千切ろうとしている。
無論、餌は自分達である。
そう確信してしまうと、自分の持つ武器が途端に頼りなくなった。
使い込まれた相棒とも言える自慢の剣が、今にも折れそうな脆い木の枝になった様に感じたのだ。
見るからに切れ味の良さそうな短刀を逆手に持ち、一歩また一歩と近付いて来る黒い男。
早く逃げなければ、と考えるもそれは無理だと本能が察した。
今、この黒い男から目を放したら死ぬ。
そもそも、身体が許容範囲を越えた恐怖で動かなかった。
「……小便は済ませたか?神様にお祈りは?地べたに這いつくばって命乞いする心の準備はOK?」
紅い目をした死神がゆっくりと近付いてくる。
自分達を断罪する為に、死神が近付いてくる……
いざ、王都へ
誤字修正報告ありがとうございます。
今後もよろしくお願いします。