「……女、俺は見ず知らずのお前達の命を助けた。これ以上何を望む」
薄暗い死山血河の街道で僅かな怒気を含んで追い縋る侍女にタイラントは問う。
通りすがりの成り行き、ほんの片手間、僅かに残った良心の呵責。
理由はともあれ、この二人が女性としての尊厳と命を失わずに済んだのは紛れもなくタイラントのおかげである。
感謝しろと、恩着せがましく言う気など毛頭ないがこれ以上何かをするつもりもない。
多少の怪我はあれど、自分で動くには何の問題は無い筈だ。
「そ、それは……こんな所に置いて行かれても困ります!」
「……歩けば良いだろう。その足は飾りか?」
「それが出来るならばそうします!でも私一人なら兎も角、お嬢様が……」
「……そうか、生憎俺にはどうにも出来ん相談だ」
困り果てる侍女に淡々とタイラントはそう答えた。
実際触るなと言われているし、別にわざわざ運んでやる義理もない。
これが仕事であれば話は別だが、そう言う訳でもない。
訳分からん奴、特に貴族との無用なトラブルなんて御免こうむるのだ。
「先程の私の無礼に立腹しているのならば謝罪いたします。ですが何卒、何卒お嬢様をせめて安全な所まで……」
頭を地面に擦りつける勢いで謝罪と懇願をする侍女を見て、タイラントは腕を組んで少し考える。
別に捨て置いても良いが、成り行きとは言え助けてしまった手前見捨てるのは少々バツが悪い。
放置して此処で死んでくれれば何の問題もないが、下手に生き残って悪評でも広められたら面倒である。
ましてや相手は貴族、変な圧力や捕縛とかされたら問答無用で殺しかねない。な
いきなり王都で凶状持ち、指名手配犯なんて洒落にもならん。
「……これ以上のタダ働きなど御免だ。どうしても言うなら金を払え」
藁をもすがる思いで懇願する侍女に容赦なく金を請求するタイラント。
この状況で少々無慈悲過ぎではないかと思うだろう。
だが、やりがいや感謝だけで生活など出来やしない。
労働に対する対価でもなければ、貴重な時間を割いてまで見ず知らずの赤の他人を助けられるか。
聖人君子でもなければ、ボランティア大好き人間でもお人好しでもない。
いや、そもそも人間ですらない化け物だ。
俺の行動の全ては、我等"アインズ・ウール・ゴウン"にとって利か損で行動している過ぎない。
誰が"人助け"を好き好んでやるかって話だ。
「お金は勿論払います!ですから早く!」
言葉とは裏腹に"金"と言うワードを聞いた侍女の嫌悪感をタイラントは見逃さなかった。
その心底は、女子供が困っているのだから助けるのが当たり前。
まして、此方は貴族なのだから平民は黙って助けろと言った所か。
貴族階級社会の弊害、此処に極まれりだな。
もっとも、俺も似たような考え方しているからドッコイなのだが。
「……契約成立だ、早くそっちの娘をこっちに寄越せ」
この段階で漸く右腕に巻かれたプレートを確認し、侍女はタイラントが冒険者だと気が付く。
異様な服装と不気味な仮面にばかりに目をとられて全く気がつかなかった。
暗くて等級までは判別出来ないが、間違いなく冒険者のプレートである。
「もっと丁重に!お嬢様が怪我でもしたら……」
「……喚くな女、さっさと移動するぞ。少々長居し過ぎた」
気絶している貴族の少女を肩に担ぐと、タイラントは足早に移動を開始した。
「ちょっと、待って……ひっ!」
素人でも分かる程の禍々しい気配が、いつの間にか辺り一帯を支配している。
何気なしに侍女は気配のする方を見ると、其処には幾つもの赤い目が暗闇から此方を睨んでいた。
それは群れ、魔物の群れである。
血の気が引き、背筋が氷付くとは正にこの事を言うのだろう。
慌てて、タイラントの後を追い、全力で走った。
間近に迫る死の恐怖で気絶しそうになるが、何とか正気を保ちながら追い縋る。
万が一、こんな所で気を失ったら一瞬で魔物の餌だ。
「死にたくない!死にたくない!」
死にもの狂いで走る、走る、走る。
こんな所で"死にたくない"と言うただ一点の思い、いや執念が侍女の身体を動かしていた。
「……俺から離れ過ぎるな、喰われるぞ」
酷く恐ろしい事をサラっと言われ、慌ててタイラントへ追従する。
そんな事を言われたら、意地でも後に付いて行くしかないではないか。
少なくとも、この男のそばに居る限り魔物に襲われる事は無いと言う事なのだから。
暗い街道を駆け足で進む、が魔物の気配は一向に消えない。
寧ろ、消えるどころか心なしか数が増えている気さえする。
盗賊に襲われた後に、魔物に襲われる。
一難去ってまた一難、泣きっ面に蜂の状況とはこの事か。
「はぁ、はぁ、はぁ」
侍女の心臓は"もう限界だ"と言わんばかりの速さで鼓動し、"死にたくない"と言う意思を破壊しにかかる。
正直呼吸をするのも辛く、出来る事ならこの場に座り込んで休憩をしたい。
もっとも、そんな事をすれば間違いなく魔物の餌になるだろうが。
「はぁ、はぁ、も、もう走れ……ない」
しかし、体力と言うものは残酷なまでに正直である。
自分の現状持っている体力以上の動きは出来ないのだから。
根性や執念で何とか出来る範囲にも、限度と言うがあるのだ。
「……止まるな。死にたくなければ、走れ」
後ろを走っていた女が、遂に前のめりに倒れた。
見るからに体力の限界を迎え、倒れたまま立ち上がる事すら出来ない程に疲弊している。
しかし、そんな此方の都合を魔物が考えてくれるなんて事は無い。
残酷な事だが、死にたくないなら走るしかないのだ。
「……群れを分けて挟撃する気か、小賢しい」
この狡猾な魔獣の群れに苛立ちを感じるタイラント。
一人ならば何の問題もない些細な事も、余計なお荷物があるとそうもいかない。
(……獣風情が、狩りを楽しんでやがるな)
業を煮やしたタイラントは、侍女に担いだ少女を預け、臨戦態勢をとる。
突出した群れの出鼻を叩き、思い上がった雑魚に身の程を教えてやる算段だ。
「……女、暫く待ってろ」
腕を鳴らしながら、魔物の群れの方に歩き出すタイラント。
!!
その強烈な殺気を感じた先頭の魔物は、すかさず距離を取る。
だが、後方や死角に居る魔物は逆にジリジリと距離を詰めて来た。
「……囲まれた、か」
ふと辺りをみ回すと、魔物の群れは三人を完全に取り囲んでいた。
お誂え向きの開けた場所でマゴマゴしていれば、こう取り囲まれても文句は言えない。
正に四面楚歌、非常に不味い状況と言えるだろう。
もっとも"人間"にとっては、だが。
「ちょ、ちょっと!貴方が居なくなったら私達食べられてしまいますよ!」
「……確かに、一理ある」
頭良いな、とタイラントは感心しながら侍女を褒めた。
「納得してないで、早く何とかしてくださいっ!」
最早、近接戦闘だけで対処出来る範疇の量を越えている。
この女の言うとおり、俺が離れたら間違いなくコイツ等は喰われるだろう。
なら銃を使えば良いのでは?と思うだろうが、あまり使いたくない。
この量を駆除するに最も適しているのは"機関銃"。
それも口径が大きく、弾が多いのが望ましい。
機関銃の圧倒的な火力があれば、こんな魔物程度一瞬でミンチに出来る。
だが、あまり堂々と近代的な銃器を使うのは望ましくない。
こんな取るに足らない人間一人に見られたから何だとも思うが、人の口に戸は立てられぬとも言う。
旧式の単純な銃器ならば誤魔化しようはあるが、近代火器はそうもいかない。
未だ見ぬ敵に、余計な情報を与えかねない物は出来るだけ使いたくないのだ。
非常に面倒ではあるが、ここは銃を使わずに対処せねばならん。
だが、この状況を銃も無しに打破する為には強力な範囲攻撃が必要。
ならば、タイラントに残された手段は一つしかない。
「……仕方ない、"コイツ"を使うか」
そう言うとタイラントは、腰のポーチから神々しい球体状の"何か"を取り出す。
「これは……一体」
「……何、只の"手榴弾"だ」
それは、手榴弾と言うには綺麗過ぎる彩飾がされた物だった。
特に玉の先端についた"十"クロスが神々しい。
「痛っ!頭に、何か……聞こえる」
主は言われた。
"聖なるピンを外し、3つ数えろ"
"以上でも以下でもなく3つ数えるのだ"
"数えるのは3つ"
"4でも2でもいけない。5はもってのほかである"
"3つまで数えた時点で、手投げ弾を敵に放り投げなさい"
"目障りな敵がくたばるであろう"
アーメン
その時、侍女は何か有難いお告げの様な物が聞こえた。
"4でもなければ2でもない"
"5はもってのほか"
一体、何を言われているか皆目見当がつかなかった。
だが、これが何かのお告げだと言うのであれば、必ず従うべきだと直感した。
「……よし、投げるぞ!1、2、……5!」
だと言うのにこの黒服の男ときたら数える数を間違えている。
侍女は、つい反射的に叫んでしまった。
「3!3ですっ!」
「……3!?」
その直後、黒服の男が"あーめん"と言う妙な呪文を叫びながら、魔物の群れに向かって玉を投げつけた。
!!!!!!!!!!!
とても、手榴弾が炸裂したとは思えない程の爆発の凄まじさ。
圧縮された聖なる力と、高性能爆薬の見事な融合。
神の神託通り、目障りな敵は残さず"くたばった"。
[聖なる手榴弾]
対聖属性値の高い装備をしていないアンデッド系のプレイヤーがその威力に引かれて迂闊に使えば、その使用者ごと蒸発しかねない危険な爆発物。
聖アッチェラが罪深き多数の敵と戦う為に考案した大量破壊兵器。
その桁外れの威力は、超高位モンスター"殺人うさぎ"ですら一撃で屠る。
かなり貴重な消耗品だが、アイテムと言う物は使うべき時に使わなければ意味がない。
実際、目障りな敵を一掃出来て非常に満足していた。
そして、コレがあれば大抵の敵は大丈夫だと言う確信も得た。
まぁ、今回の様な雑魚相手に使うには勿体無い代物ではあるが。
「……アーメン、ハレルヤ、スキヤキ、バンザイだ」
酷く雑なお祈りを爆砕された魔物にしてから、何事もなかったかの様に歩き出した。
目の前には極度の疲労で意識を失った侍女、未だ気絶したままの貴族の令嬢が倒れている。
このまま捨て置くか、と一瞬魔が差したが報酬も貰わずに死なれては困ると自分を律した。
「……もう帰りたい」
所謂、切り札。
誤字修正報告、ありがとうございます。
大変助かります。