忠義の士 完全版   作:康頼

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第二話

 「仁か……良き真名だな」

 

 私の真名を明かした時のことはよく覚えている。

 月明かりがやけに明るく、辺り全てが寝静まったように静かで、微かな風が吹くそんな夜だった。

 劉焉様は、噛み締めるように私の真名を呟くと、私の頭を優しく撫でてくれた。

 

 『仁』

 

 今亡き両親が残してくれた唯一の宝と言っていい。

 その真名の通り、他人を思いやることができる優しい人間になりなさい――そう願われてつけられた名だ。

 この地は飢餓に苦しみ、略奪の絶えない地である。

 生きるために、争い、奪い合う世界でそうであり続けることはとても難しいものだと幼い私でも理解をしていた。

 それでも両親は私にこの名前を与えてくれた。

 だからこそ、私は死んでいった家族の分まで生きてみようと思った。

 

 「はい、名に負けぬような生き方をしてみようと思います」

 

 私の想いを、覚悟を口にすると、酌を片手にちびちびと呑む劉焉様が何処か呆れたように溜め息をつく。

 

 「はぁ~、もう少し肩の力を抜いてみんか。 いつまでもそうしているわけにもいくまい」

 「ですが、私はこれから劉焉様に尽くす身です。 何も出来ぬ何も知らぬ非才の身故に、せめて在り方だけはと」

 「その発想が固いのだ。 まあ、酒の飲める齢になったら、その時に教えてやるわぃ」

 

 にかりと笑う劉焉様に、私も釣られて口を緩める。

 

 「はっ、その時を楽しみにしております」

 「桔梗の奴も混ぜてやらんとな。 後で拗ねてしまうまい」

 

 そう言って、劉焉様と二人で寒空の下の中、心温まる笑みを浮かべ合った。

 そして、私の忠節の日々が始まったのである。

 

 

 

 

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ 

 

 

 

 

 

 

 攻城戦が始まって三日ほど経った頃。

 劉備軍は、雒城攻略に手を焼いていた。

 幾ら、豪傑、知将、精鋭が揃う劉備軍と言えど、城攻めは容易なことではない。

 城攻めには三倍の兵力を要すると言われ、被害も激しいことから、最も難しい戦とされている。

 

 『趙』『張』の牙門旗を囲む軍勢に、雨のような無数の矢を放って、その歩みを止めると衝車や井蘭車などの攻城兵器に油と火矢を放って完膚なきまでに破壊する。

 向こうも盾を掲げ矢を放ってはくるが、弓の撃ち合いでは高所であるこちらの有利は揺るがない。

 冷静に、確実に相手の攻撃の芽を刈り取っていく。

 それが守戦の――籠城戦の基本だと私は思っている。

 囲まれるということに、精神的な負担は確かに存在するが、相手も自分自身の背丈よりも遥か巨大な城を見上げながら戦うことに強い圧迫感を感じているはずだ。

 故に、籠城をする際に必要なことは、まず冷静さを保つことが第一となっている。

 

 「張将軍、敵正面の軍勢後方へと下がりました」

 「わかりました。 では怪我人を城内へ入れて治療を行い、そして半数の兵士達には城内での休憩を取らしなさい。 この戦い長引きますよ」

 「はっ、承知いたしましたっ!!」

 

 何とか、今日も凌げそうだ。

 と言っても、まだ戦が始まって三日。

 この雒城は、益州一の難所と謂われている。

 傾斜のある荒れ地に山道が相手の進軍速度を緩め、左右に広がる森林という天然の防壁が相手の進軍を止める役割を担う。

 他にも幾つも点在する見張り台に、伏兵を隠すに適した溝、後方に存在する兵糧庫も、上手く木々により隠されているため、発見は容易ではないだろう。

 

 天然の要塞であり、人工的な囲地。

 益州随一の堅城に相応しいものだった。

 こちらが打つ手を間違えなければ、早々に落とされることはないだろう。

 

 劉備軍の攻勢は、現状完全に防ぎ切っていると言える。

 だが同時に、こちらも劉備軍の勢いを挫くことができない状況ということだ。

 籠城戦は、守るだけでは相手に打ち勝つことはできない。

 相手に何処かで致命傷を与えないと、いつまでもこの地で戦わなければいかなくなる。

 しかし、劉備軍の強さは並ではない。

 数さえ揃えば、あの列強な曹操軍と戦っても一歩も退かないほどの、大陸屈指の軍勢を誇る。

 戦慣れしていない劉璋軍が、奇襲の野戦を仕掛けても勝てる相手などではない。

 現時点でも数も向こうが上回っているが、劉備軍には荊州からの増援が来る可能性を考えると、悪戯に時間だけかけるのは悪手になりかねない。

 

 つまり、我々が劉備軍に打ち勝つには、益州から撤退を考えさせる何かが必要になってくる。

 通常なら補給路を断って、兵糧切れを待つというところだが、向こうに益州を知り尽くしている厳顔殿がいる時点で、補給路を断ちにかかるのはかなりの危険が伴うことになる。

 ならば、我々はどうするべきなのか?

 現状を打破できる方法はこれしかなかった。

 

 「全く……人任せの戦とは些か惨めのものですが、手段を選ぶ時間はありませんね」

 

 あまりの不甲斐なさに思わず、苦笑いをするしかない。

 私の目の前には、四つの書簡が並べられている。

 この状況を打破する方法、それは劉備軍の背後を脅かす存在が現れるということだ。

 送るべき場所は、全部で四つ。

 

 まず一つは、この中華の北半分を制する覇者、曹操に送るものだ。

 劉備軍と敵対関係にある曹操軍ならば、条件次第で背後を突いてくれる可能性が一番高いだろう。

 しかし、劉備軍にとっても一番警戒すべき存在であることには違いはないため、それに対する備えがあると考えると、曹操軍が動くことを祈るだけでは心許ない。

 

 ならばと、次に目をつけたのは孫策軍である。

 劉備軍と友好状態にある孫策軍だが、こちらも曹操軍と同様に条件次第だと思っている。

 単独で曹操と対抗できないために劉備軍と盟を結んでいる孫策軍に、こちらから同盟を仕掛けてみるのは悪くないだろう。

 うまくいけば、孫策軍は荊州を得ることができる利点もあり、荊州を得たかの軍勢ならば、曹操軍と単独で戦うこともできるはずだ。

 しかし、劉備との義を裏切るということになり、義を失った孫策軍が曹操軍に勝つことはできたとしても、のちの統治のことを考えるとこれは大きな欠点となるだろう

 

 三つ目は、漢中の張魯である。

 先の二つの軍勢から見ても劣る軍勢だが、かの軍勢の利点は本拠地の漢中から、成都までの距離の近さである。

 十日もあれば辿りつく援軍は、この状況下で有り難い。

 だが、同時に欠点も存在し、張魯は劉璋様のことをよく思っていないということだ。

 理由は、劉焉様の頃からの因縁もあり根深いもので、すぐに解消できるものではない。

 ただ、張魯軍の場合、条件次第でどうにでもなると思っている。

 その条件も読みやすく、今漢中では近年の不作から食料が全く足りていないという情報を得ている。

 曹操の中原や劉備の荊州に劣るかもしれないが、益州は大きな戦が今までなかったため、食料には余裕がある国だ。

 兵糧で国を救えるのなら安いものだろう。

 

 そして、四つ目。

 これがこの策の最も重要であり、益州の命運を担うと言っていい人物である。

 見聞などの噂でしか人柄を知ることができなかったが、その武勇は天下に轟くほどのものである。

 先の三つの書簡は、いわば囮の意味もあり、劉備軍の参謀を撹乱させるようなものだ。

 三つの書簡で注意を逸らし、確実に手渡すこの四つ目こそが、私の――益州の希望であると思っている。

 

 「さて、準備は整いました。 後はただ時を待ちましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 

 堅牢な雒城を遠見していた朱里の掌は、多量の汗で湿っていた。

 まさに手に汗握る一戦。

 この戦いこそが、これからの劉備軍の命運を左右するだろうと思っていた。

 

 周囲を囲もうとする劉備軍に対し、劉璋軍は雨のような大量な矢で応戦する。

 城壁に掛けられた梯子は、弓に怯んでいる間に全て叩き壊され、同時に劉備軍に火の雨を降らせる。

 

 ――中々崩すことは容易ではなさそうです。

 

 朱里は、雒城を守る将――張任の手強さを感じていた。

 劉備軍の両翼武将と謳われる愛紗と鈴々、神槍と謳われる星のような天下に轟く派手な武将ではなく、自分や親友の雛里のような軍師でもない。

 ただ基本に徹し、危険を冒さない判断能力。

 目立つことのない戦術だが、朱里はこの状況に危機感を感じていた。

 恐らくこのまま攻勢を続ければ、何れ雒城は落とせるだろう。

 だが、同時に時間と戦力を大きく削られることになる。

 そうなれば後に対峙することになる曹操軍への決戦に大きな爪痕を残すことになるだろう。

 

 ―――桔梗さんが言ってたことがよくわかりました。

 

 桃香の進む天道には、一人でも多くの有能な武将が必要だ。

 その道の先には、曹操という巨大な壁があるということを考えれば、戦慣れしていれば直のこと。

 そういう意味では、張任は軍師目線から見ると、最も優秀な人材と言ってよかった。

 我を出さず、冷静に策を忠実にこなす人材。

 それは愛紗でも鈴々でも星にもない性質である。

 

 それ故に捕縛は難しいだろうと、朱里は内心、微かな落胆を覚えていた。

 聞くところによると張任の強さ――それは誇りでもなく、武でもなく智でもない。

 主である劉璋への絶対忠義である。

 つまり、それは愛紗や鈴々に桃香を裏切れと言っているようなもので、張任を降すことは状況的に無理といってよかった。

 

 微かな罪悪感と同情、そして尊敬の意を雒城に向けた朱里だが、益州攻めの手を止めることはできない。

 益州、蜀の地を得ることは、曹操軍に対抗するために、そして桃香を天下人にする為に必要不可欠なことである。

 負けられない理由があるのはこちらも同じ。

 その理想の為に朱里は負けるわけにはいかなかった。

 

 ―――一度、退いてみましょうか?

 

 そんな考えが朱里の思考を駆ける。

 こちらの仕掛けた攻勢は全て防がれている。

 兵の被害は大きくなっていないが、これ以上の衝車と井蘭車の損失は避けなければならない。

 攻城兵器がない状態での城攻めは、被害が大きくするだけだ。

 なら一度、後方に引いて様子を見るべきだ———そう考えた朱里は、桃香に進言しようとその場から立ち上がったその時――前線からの伝令が朱里の元へ駆けこんできた。

 その伝令兵の慌てように、朱里が一抹の不安を抱いた。

 

 「報告っ!! 魏延様が一軍を率いて、雒城に向かいましたっ!」

 

 その報に、朱里は足元が崩れ去ったような気になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「行くぞっ!! 私についてこいっ!!」

 

 怒声とともに二千の騎兵を率いて焔耶は戦場を先陣を切って疾る。

 城攻めを開始して三日目、両軍は完全に硬直状態へと陥っていた。

 その状況を戦陣から遠く離れた本陣の端で、焔耶は苦々しく思っていた。

 

 何故、私を使わないのか、と。

 

 城攻めを行っている星や鈴々を侮るわけではないが、ここは益州。 

 焔耶達の本拠だった場所である。

 地の利に関しては、焔耶達、降将の方がわかっていた。

 だが、総指揮を取る朱里の言葉により、焔耶も桔梗も本陣で待機することとなった。

 

 そのことが焔耶にとって我慢できないものだ。

 無論、桃香への忠義を見せるために、自らの手で城を落としたいという下心も持っていたが、朱里が考えていたように時間がないことも焔耶に分かっている。

 張任が攻めてこないのは、援軍が来るのを待っているのだろう。

 

 ———なら、その前に城を落としてやるっ!

 

 そう意気込む焔耶は雒城へ———向かわずに少し逸れた場所の森林へと馬を奔らせる。

 隙間のない木々を掻い潜る危険な行為は、少なくない離脱者を出すことになるが、焔耶は森の中を迷うことなく駆け抜ける。

 ここには、雒城へと抜ける道がある。

 それは、この地で子供の頃からいた焔耶にしかわからない秘密の道だった。

 元々、兵糧などを運び込むための抜け道として利用していたため、城壁前の堅牢な作りでなく、平坦な細い道であったが、少数の焔耶の部隊が通り抜けることくらい容易である。

 何より好都合なのは現在、張任の――劉璋軍の眼は眼前の張飛軍と趙雲軍に向いている。

 いくら堅牢な城と言えど、気を抜けば容易に城を落とす程の力を両軍を前にして、誰も戦場から逸れる少数の焔耶達の行動を見ているものはいないだろう。

 

 「張任っ!! 待っていろっ!! すぐに桃香様の前に引きづり出してやる」

 

 懐かしき幼馴染の顔を思い浮かべ、焔耶は好戦的な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 「とか、考えているでしょうね」

 

 森へと向かう焔耶の姿を私は微かな呆れを覚えながら眺めていた。

 猪突猛進の性格は、子供の頃から変わっていない。

 私自身、その真っすぐな性格を羨んだことも、好ましいと思ったこともあるが、この局面でその性質は災いとなるだろう。

 この一手で戦場の流れを変えさせてもらおう。

 

 「猪が来ます。 網の準備をお願いします」

 

 罠の準備を急がせるように私が声をかけると、隣の副官がニヤリと笑う。

 

 「了解。 しかし、魏延様は相変わらずですな」

 「まあ、それが彼女の良さでしょうね」

 

 長く戦場を共にしたせいか、副官も焔耶のことをよく知っていた。

 その思いっきりの良さが欠点となることも。

 焔耶が取った行動、それは間違いなく悪手である。

 

 確かに益州出身の焔耶や桔梗なら、この地を知り尽くしているだろう。

 だが、それはこの地に生まれ育った私にも言えることであり、向こうがこちらの考えが読めるように、こちらも彼女達の動きは見通すことができる。

 

 「しかし、この状況。 仁の旦那は狙っていたのですかな?」

 「狙っていた……というほどではありませんよ、焔耶が降った時点で可能性の一つに考えていましたが」

 

 元々、焔耶には劉璋様への忠義はなかった。

 焔耶は忠義は、親代わりで師である桔梗様に向けられている。

 桔梗様への恩義のために、彼女は今まで劉璋軍にいた。

 その桔梗様が降ったということになると、必然的に焔耶も降ることになるだろう。

 

 「そうなると、焔耶のことです。 こう出るに違いないと考えてました」 

 

 降将は、一般的に信用をされないものである。

 当たり前だろう。

 主を裏切っているのだがら、降っても再び謀反を起こすのではないのかと疑われるからだ。

 そんな逆境の中で結果を出し、評価され、ようやく軍の一員として認められるようになるのだが、人の好さそうな劉備がすぐに信用しようとも、参謀陣がそれを認めるはずがない。

 そうなると焔耶が取る手段は一つである。 

 

 「弓兵、弓を引きなさい。 合図が出るまで敵を引きつけるのです」

 

 焔耶が駆けるその先は、絶壁となっている谷がある。

 騎馬はおろか歩兵すら思うように動きが取れないその地さえ抜ければ、この雒城の裏手へと出ることになる。

 その前に仕掛け、そして潰すのだ。

 

 「っ放て!!」

 

 天へと向けて放たれた矢は、弧を描きながらそのまま雨の如く焔耶達に降り注ぐ。

 悲鳴とともに呻き声が広がり、辺りには血の臭いが充満しているだろう。

 遠く離れたこの場所でも焔耶の怒声が響き渡り、そしてそれでも歩みを止めることをしない。

 その姿はまさに鬼そのもの。

 迫る矢を弾くその武才は、私ではとうに及ばないほどの輝かしいものである。

 だが、多勢に無勢。

 崖の上から降り注ぐ矢の雨は、確実に焔耶の兵を射抜いていく。

 徐々に数を減らす魏延軍の姿は、私の想定通りの結果で———未だに前進を止めない焔耶の姿は想像を超えた。

 

 千ほどの人数がいた部隊は、既に五十程度までに追い込まれ、生き残った者も傷を負い疲労困憊の憐れな姿を晒している。

 だが、それでも彼等は先頭を駆ける将を守るため、死力を振り絞っていた。

 そんな彼らの想いを受けて、焔耶は遂に死地から逃れると、私の喉元へと剣を立てるために、進軍を加速させた。

 その前方には私の指示で陣を構えた四百の歩兵が行く手を阻んでいたが、焔耶の一撃にその陣形は容易に崩れ去った。

 

 「凄まじいですなぁ。 いやはや、魏延様に厳顔様、それに仁の旦那が揃っていたら、益州は安泰だっただろうに」

 「そうですね。 ですが、すでに過ぎたこと、この場において彼女は唯の障害でしかありません」

 

 悲しいことだが、これが乱世なのだろう。

 今日の敵は明日の友、ならば、昨日の盟友は今日は仇敵ということにもなる。

 迫る焔耶の首を落とすため、私は馬に跨ると愛用の二対の刀剣を握る。

 

 「くれぐれも無理はなさらぬように」

 「無理ではありませんよ、少しばかり無茶はさせていただきますが」

 

 その場の指揮を副官に任せると、私は単騎で裏手の城門を潜る。

 その先の幼馴染を討つために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 

 

 

 

 

 

 自身の不甲斐なさに怒りが込み上げてくる。

 自分の考えなど、全て張任の掌の上だったことを焔耶はようやく理解した。

 だが、それでも焔耶は歩みを止めない。

 背に背負う戦友達の為に、出会うべくして出会った最愛の主の為に、――そして益州の人達のために。

 焔耶にとって、劉璋は忠に値しない存在だった。

 政を人に任せ、自身はただ贅を尽くす日々。

 馬鹿な側近共に煽られて、師であり益州の地盤を築き上げた功労者である桔梗すらも冷遇する始末。

 そんな馬鹿げた行いのせいで、餓える人達がいる。

 その行いは焔耶には許し難いことだった。

 

 そして、張任にも同様の怒りを覚えていた。

 幼少の頃から、桔梗の元へと通っていた焔耶と同様に、親交が深かった張任も桔梗の元をよく訪れていた。

 最初は、ただただ気に入らない奴だと思った。

 武に智の両方に優れ、何処か大人びた理性的な態度は、焔耶にとって見下されているような気がした。

 だが、亡き劉焉様といるときだけは、童のような無邪気な顔を浮かべている張任を見て、焔耶はこいつも私と同じなんだと親近感を覚えた。

 桔梗が可愛がっているのを見るのは面白くなかったが。

 

 だが、その劉焉様が病により倒れ、張任は変わってしまった。

 いや、一層のこと自分を磨くとともに益州の為を思い行動するその姿に、焔耶は少なくとも尊敬の意を覚えた。

 しかし、劉璋は兄のような存在である張任という忠臣ですら冷遇した。

 その光景を始めてみたとき、劉璋に対する怒りが込み上げたが、当の張任は変わらず、ただ今まで以上に忠を尽くし続けた。

 その光景を見続けて三年。

 最初はとても尊いものだと感じたその忠義は、いつしか焔耶とって、酷く気持ち悪く思えた。

 張任のその姿を見て、それこそ忠義だと人々は言った。

 だが、焔耶は違う。

 そんな悲しいものが忠義であってはならない、と。

 張任は劉璋を見ていなかった。

 ただ亡き劉焉をその姿に重ねていただけだと気づいた。

 

 「そんな偽りの忠義で、私を止められるかっ!!」

 

 迫る敵兵の頭を砕く。

 横腹を叩き、腸をぶちまける。

 血飛沫を浴びながら、ただ馬を走らせる。

 剣に槍が、矢が体中を掠めようとも、歩みを止めることはしない。

 

 そして、声を荒げた。

 

 「張任っ!!」

 「相変わらず、熱い人ですねっ!」

 

 金棒と双剣が、空中で火花を散らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 

 

 

 

 

 

 焔耶の大金棒―――鈍砕骨を正面から受けることをせずに、左右に捌きながら思う。

 ただ、強いと。

 焔耶はムラの激しい将であった。

 力があるのだが、気持ちが空回り戦果を出せないことは度々あったが、噛み合えさえすれば益州随一の剛将といってもいい。

 目の前の焔耶は、全身から血を流し疲労を隠せないでいたが、今まで見てきた中で一番強い姿だと、手に痺れを感じながら、目の前の強敵を睨みつけていた。

 

 「全く本当に骨が折れる……」

 「ならあたしが、ボキボキに全身の骨をへし折ってやるよっ!!」

 

 勢いが増す焔耶の連撃は、まさに轟風。

 一撃でも喰らえば、骨を折られるどころか、身体が二つに引き千切られるだろう。

 故にその猛攻を防戦することしかできずに、ただその時を来るのを待っていた。

 

 「相変わらず、攻撃が派手ですねっ!! ただ動きが単調、もう少し考えて振ってみたらどうですっ!!」

 「五月蠅いっ! お前に言われる筋合いはないっ!」

 

 焔耶の一撃を受けるたびに、乗っている馬ごと吹き飛ばされる。

 手は痺れ、段々と感覚がなくなってきた。

 完全に力負けしている私が一騎討ちで勝つには疾さと手数しかない。

 だが、疾さは同等、枷を外しつつある焔耶の連撃に優ることは不可能である。

 しかし、負けるつもりはなかった。 

 

 「一応、兄妹弟子になるんですがねっ!」

 「だまってろっ!!」

 

 焔耶が得物を振りかざした瞬間、私は右手の刃を滑らせる。

 共に鍛錬をした身、互いの癖は熟知していた。

 焔耶は、トドメの一撃を放つ際に、微かにだが鈍砕骨の重量のせいで、動きが遅れることがある。

 その一瞬の隙に、私の放った刺突が焔耶の肩を貫いた。

 

 「がぁっ……」

 「はぁぁぁぁっ!!」

 

 深深と刺さった傷口からは鮮血が吹き出し、焔耶の表情が激痛で歪む。

 得物を握る手が緩む焔耶の無防備な姿に、私は左手の刃を叩きつけた。

 幾ら力が優っていようともその状態では、私の一撃を止めることはできずに、焔耶は乗っている馬からその身を投げ出した。

 地面へと倒れる焔耶の姿に、残り僅かとなっていた魏延隊の脚が止まる。

 ようやく糸が切れた。

 先程まで猛威を振るっていた魏延隊の頭上に、雨のような矢が降り注ぐ。

 悲鳴を上げて、全身に矢を射られた魏延隊は、そのまま地面へと倒れ伏せた。

 これでここにいる敵は、焔耶ただ一人となった。

 

 「昔、言いませんでしたか? その癖を直した方がいいと」

 「がぁぁ」

 

 緊張の糸が切れてしまったのだろう。

 一瞬で覇気が消えうせた焔耶を馬上から見下ろしながら口を開く。

 この状態の焔耶を捕らえることは容易だろう。

 焔耶を捕らえることで、向こうにどういった波紋が広がるかはわからないが、捕らえることでこちらの軍の士気は上がり、向こうの士気が落ちることは間違いない。

 

 「捕らえなさい」

 

 背後の兵士達に指示を送ったその瞬間、背筋に突き刺さるような悪寒を覚えた。

 反射的にその場から後ろへと下がると、目の前を一陣の風が走る。

 頬を掠めたソレ――はそのまま私の配下の者の頭部へと突き刺さり絶命させた。

 頭部に刺さったソレは――一本の矢だ。

 

 「敵襲っ!! 敵襲だぁ!!」

 

 城壁の上の物見の声よりも早く、目にも止まらぬ速さの矢がこちらに向かって飛来する。

 飛来する矢を右手の刃で弾くと、向こうから矢の雨がこちらに向かって降り注ぐ。

 矢を放つのは、百にも満たない弓兵部隊と、台車に乗る紫色の長い髪の女性。

 その弓を引く姿は見覚えのあるものだった。

 

 「黄忠殿か」

 

 神弓の名に相応しい武人であり、厳顔様の親友である御方だった。

 亡き劉焉様の幼馴染の一人でもある。

 厳顔様と違い、二年前ほどにこの益州から出ていった黄忠殿は劉備軍に加わっているようだ。

 

 「お久しぶりです、黄忠殿。 このような形での再開となり残念に思います」

 「私もよ、仁君」

 

 私の合図で城壁の上の弓兵と向かい側の崖の弓兵が、一斉に黄忠殿に向けて弓を引く。

 だが、その間に黄忠殿は三人の弓兵の額を撃ち抜いていた。

 目にも止まらぬ早業に、劉璋軍の士気が乱れ始めると、そこに黄忠殿の部隊の矢が戦場に降り注ぐ。

 ―――ここは引くべきか。

 百と言えど、この状況で戦えば無意味な傷を負うことになる。

 長期戦になるこの状況で、一兵の価値は重い。

 できれば焔耶を捕縛しておきたかったが、少しの隙を見せれば私の額に風穴を開けられることになるだろう。

 

 「ここは引きますっ!! 弓兵、矢を放ちなさいっ! 騎兵隊は私と共に城に帰還するっ!!」

 

 黄忠殿という邪魔は入ったが、当の目標は既に達した。

 確実に劉備軍を動かすことができたことを実感しながら、私は雒城へと帰還した。

 

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