なかなか筆がすすまず、日を跨いでしまいました。
おそらく誤字、脱字の嵐かと思われます。気づいた分は都度都度修正していきます。
「……ついにきちまったか」
見慣れたログハウスの扉を前に俺は呟く。
普段この扉の前に立つ時は決まって誰かと一緒にいたはずだが、今はそうじゃない。飄々とした態度で後ろを付いてく相棒も、ムードメーカーで賑やかなお隣さんもいない。考えてみれば、たった一人でこのログハウスに来るのは初めてかもしれない。そして付け加えると、ここまで重い気持ちでこの扉の前に立ったこともない。
「嘆いてても仕方ないし、さっさと済ませて帰ろう」
さっさと済ませられるような内容じゃないことももちろんわかっている。けど、だからといっていつものように気軽に扉を叩けるような気持ちじゃない。自分に言い聞かせるようにつぶやきながら、見慣れたログハウスのドアに近づき、友人夫婦の家の扉をノックした。
小気味良い木の音が響いてからしばらくして、ドア越しににパタパタと足音が近づいてくる。
ガチャリと音を立ててドアが開き、ドアの向こうから覗いてきたのは、長く透き通った栗色の髪だった。
「あれ、クレハ君? どうしたの急に?」
扉を開けたアスナは俺を見て不思議そうにしている。事前に行くってことも伝えられてなかったし、俺一人だけってところにも違和感を感じたんだろう。
「悪いな、急に押しかけて。キリトに、と言うよりは2人にちょっと話があってな」
「そうなんだ……。けど、今はちょっとタイミングが悪かったかも?」
「なんだ?これからなにかあるのか?」
これから用事がある、というようなアスナの発言に内心安心している自分がいるのが情けない。
夫婦水入らずのところを邪魔するのは申し訳ないが、やらなくちゃならないことがあるのは確かだ。時間を改めるにしろなんにしろ、一度2人と話をしておかなくちゃならないから、少しだけでも時間を貰いたいところなんだが。
「アスナ、来客は誰だったんだ?」
「あ、キリト君。クレハ君が私たちに用があるっていうんだけど……」
「クレハ!?それはちょうどいいな!」
「ん?」
後ろから顔を覗かせた家主、キリトがアスナの話を聞くと、期待したような目でこっちに近づいてきた。
それはそうと、なんかキリトとアスナの発言が噛み合ってなくないか?
アスナはタイミングが悪いって言ったのに、キリトはちょうどいいって言うのはおかしい気がするんだが……。
「キリト君のその反応、もしかしてクレハ君にも手伝って貰おうとしてる?」
「そのもしかしてだ。クレハだったら絶対に戦力になるはずだしな」
「おいちょっとまて、話が見えない。キリトは俺に何をさせようっていうんだ?」
よく見たら2人共外行きの服装だ。
『戦力になる』って言ってるからフィールドに出るのかとも思ったが、それにしては軽装すぎる。どちらかというと、ピクニックとか花見にでも行くような格好をしている。
「ああ悪い悪い。ちゃんと説明するよ……。いや、説明というよりは依頼だな」
「依頼?キリトが俺に?」
「うーんまあそうといえばそうなんだけど。俺も依頼されているようなものだからややこしいな……」
さっぱり分からん。
話をすればするほどややこしくなっていっている気がする。
「わかった。細かい説明は後で良いから、まずは結論だけ伝えてくれ。お前たち2人は俺に何を依頼したいんだ?」
俺の言葉を聞いたキリトとアスナが目を見合わせる。
ニンマリと、俺の相棒を思わせるような笑みを浮かべた2人は、勢いよく俺を見て依頼内容を言い放った。
「ヌシを釣り上げるのを手伝ってくれ!」
「ヌシを釣り上げるのを手伝って!」
「……………はぁ?」
結論を聞いても意味がわからなかった。
.
.
.
『ヌシを釣り上げる』
2人が言うところの『ヌシ』というのは、22層にある湖にいる魚のことらしい。
その湖でキリトが釣りをしているとき出会ったニシダというプレイヤーから聞いた話らしいが、かなりのデカさをした魚らしく、生産職のプレイヤーのSTRではまったく歯が立たず、竿を持っていかれるほどだという。
そこでキリトがニシダさんから受けた依頼というのが、『釣り竿のスイッチをしてくれないか』ということだ。釣りスキルの高いニシダさんがヌシをヒットさせる。STRではの高いキリトが竿を受け取って釣り上げる。単純だがかなり効果的な作戦だと言える。
キリトとアスナがそのヌシ釣りに向かおうとしたタイミングに、偶然俺が家を訪ねて来たってことのようだ。
まあ個人的にも湖のヌシには興味があるし、手伝ってやること自体は嫌じゃあないんだが…………
「こんなに人がいるなんて聞いてないぞ……」
デジャヴだ。ヒースクリフと戦う事になった時、闘技場に集まったプレイヤーの山を見て同じことを言ったような気がする。
この湖に来る途中で『ニシダさんと竿のスイッチをする』って話しかされてなかったから、俺・アスナ・キリト・ニシダさんの4人しかいないのかと思ったら、小規模なお祭りに集まったくらいには人がいる。ざっと見て50人位は。
「流石に闘技場の時よりはマシだが、どうにもなぁ」
「クレハ君は相変わらず注目を浴びるのが苦手なんだね」
「当たり前だ。最近やっと『剣影』がどうこうって騒がれなくなってきたって言うのにこれだ」
俺の横でこの湖の周りを眺めていたアスナだったが、俺の様子をみて、やれやれと小首をかしげている。そりゃあKoBの副団長ともなれば、人からの注目なんて気にもならないだろうけどな。
まあこれだけ人が集まっているところに『黒の剣士キリト』『閃光のアスナ』『剣影のクレハ』がそろっていても騒がれていないし、SAOの中でもそういうブームみたいなのは去ったってことなんだろう。ありがたいことだ。
「あのーすみません」
「はい?」
安心していると後ろから聞きなれない声が聞こえてきた。
振り返ると、キリトと初老の男性プレイヤーがいた。初老のプレイヤーは麦わら帽子をかぶり、縁の濃い眼鏡越しに優しい目をして俺を見ている。見るからに釣り師といった風貌だ。
「はじめまして、私はニシダと申します。キリトさんから話は聞いていますよ、なんでもヌシ釣りに協力してくださるとか」
「ああやっぱり、あなたがニシダさんですが。はじめまして、クレハです。とはいっても、何をすればいいやら分からないまま何ですけどね」
気さくに挨拶をしてくれたニシダさんと話しつつ、横目で俺をここに連れてきた張本人をジト目で見ながら言い放ってやった。こいつは基本的に説明が少なすぎるんだよ。状況から察するにも限度があるんだからな。
キリトは苦笑いで俺から目をそらしている。もっと言ってやりたかったが、空気を読んだニシダさんがきちんと説明を初めてくれた。
「いえいえ簡単なことですよ。私がキリトさんに竿を渡すタイミングを指示していただきたいんです」
「竿を渡すタイミング……?」
「ええ、なんせ釣り竿のスイッチなんてのは初めてなもんでしてね? ヌシが竿を引く力が弱まった瞬間を、第三者に見極めて欲しいんですよ」
「………なるほどね」
確かにニシダさんの言うとおりだ。
竿を引く力が強いときに竿の受け渡しなんかしたら、力が入っていない一瞬の隙に竿が持っていかれる。
「けどそういう力加減だったら、竿を持っているニシダさんのほうが分かるんじゃ……」
「それはそうなんですが、そもそも私のSTR値でヌシをヒットさせて耐えることができるのは、釣りスキルのおかげなんですよ。その私の感覚でキリトさんに竿を渡してしまっては、釣りスキルの低いキリトさんに掛かる負荷が予想できないという問題がありましてね」
「へー釣りスキルってそういうものなのか」
「…初めて知った」
感心している俺の目の前でキリトも同じように感心していた。
「いやいや、お前は一応釣りスキル持ってるんだから知らないとおかしいだろ」
「し、仕方ないだろ? 釣りスキル取ったの最近なんだし………」
先が思いやられるようなことを言ってくれるなこいつは。
まあつまりはこういうことか。釣りスキルはニシダさんのほうが圧倒的に高い。けど、STR値はキリトのほうが圧倒的に高い。
ニシダさんがヌシをヒットさせている間耐えられるのはスキルアシストのおかげであって、STR値のおかげじゃない。そのニシダさんの感覚でスキルアシストがほとんどないキリトに竿を渡したら、その負荷はすべてSTR値依存になってしまう。そうなったら、タイミングを間違うとキリトごと湖に引き釣りこまれかねない。
ニシダさん基準で竿を渡すとタイミングが悪い可能性があるから、第三者目線でそれを決めて欲しいってことか。
「分かりました。ヌシの力が弱まった瞬間を、竿の撓り具合とか糸の張り具合で判断して、タイミングを伝えればいいってことですか」
「そういうことです!いやあ理解していただけるのが早くて助かりますな」
そう言うとニシダさんは、心から嬉しそうに笑いかけてくれた。
釣りが好きっていうのもあるだろうが、本当にこのヌシ釣りを悲願としているんだろう。釣り師としての意地と言うか、目標というか、そういうものが伝わってくる。その結果が、これだけ集まったプレイヤーなのだろう。湖の周りには『頑張れニシダ』と書かれた大弾幕があったり、少しでも力になろうと既に湖の様子を観察し始めているプレイヤーも居る。
そういうのを見せられると、俺は弱いんだよなぁ…………。
正直なところ、さっさと終わらせて俺の本題に入りたかったという気持ちがあったが、これを知ってしまってはそうも行かない。全力で協力しよう。俺の用事はその後だ。
「喜んで協力させてもらいますよ。タイミングを見計らうのは得意ですからね」
「おお!そう言っていただけるとありがたいですな。釣り上げたヌシは皆さんで美味しくいただきましょう!醤油も頂いたことですし」
「醤油?」
「そうなんですよ。キリトさんの奥さんが作られたそうなんですが、これがまた現実世界の醤油の味にそっくりでね? 刺し身を醤油で食べるなんて2年振りでしたから感動しましたよ。クレハさんも分けて貰えるようお願いしてみては?」
「そ、そうですね……」
まさか『その奥さんに料理を教えていたのは俺です。』なんて言えないような雰囲気だ。
アスナも俺の横ですこしバツの悪そうな顔をしているし……。これはもう間違いなくそういうことだよな。
「おいキリト。ちょっとこっち来てくれ」
「わ、分かった………」
ニシダさんから少し離れた場所にキリトを呼び出し、とりあえず確認することにした。
「お前もしかして、自分が『黒の剣士』ってことを明かしてないのか?」
「だって俺とアスナは今休業中だし隠しておこうかと………」
「いやそりゃそうだけどな? 『キリト』だけだったら偶然同じ名前かーくらいで済むだろうが、そいつが『クレハ』を連れてきたってなると明らかに怪しまれるだろ!」
ツメが甘すぎるだろこいつ!隠すつもりならもっと徹底しろよ!それか俺に言っておけよ!
そうしたらニシダさんと挨拶するときも適当に偽名でも使ってごまかしてやったのに!
よくよく考えたらアスナがスカーフを顔に巻いて、若干だが顔を隠している段階で気がつくべきだった。アスナがキリトと結婚したっていうのは一部の攻略組の中だと周知の事実だが、一般プレイヤーには全く公開されていない。この件に関しては俺やキリトの記事みたいに面白おかしく公開して良いものでもないし、2人としてもあまり広まってほしいことではないのだろう。
そんな風に思っていると、案の定ニシダさんが記憶を探るように呟いているのが聞こえた。
「そういえば、クレハさん…ですか。どこかで聞き覚えがあるのですが、どこでしたかな?」
「あああ!!そういえば一体どこで釣りはじめるんですか!?」
「そうですよニシダさん!俺も竿がどんな感じなのか見てみたいですし!」
「そ、そうですな。ではそろそろ準備に取り掛かりましょう」
俺とキリトが慌ててニシダさんの思考を遮る。
キリトのツメの甘さはこの際仕方ないが、この場のこのタイミングでバレるのは流石にまずい。もうこのままごまかし続けて終わらせるしかない。
「……キリト。お前後で覚えてろよ」
「わ、悪かったって…………」
.
.
.
「それでは皆さん、そろそろ本日のメインイベントに取り掛かります!」
ニシダさんが声を上げると、その場にいた全員から歓喜の声が上がり始めた。
そのどれもがニシダさんを応援する声だ。慕われているということがすぐに分かる。
「それじゃあキリトさん、クレハさん。よろしくお願いしますね」
「「了解です」」
俺とキリトが返事をすると、ニシダさんは2m以上はありそうな大きな竿を担いで、釣り堀に少し近づいていった。とりあえずヒットするまでは俺達の仕事はないみたいだから、今はここで釣りをするさまを見物しておこう。
「ひぃっ!!」
「ん?どうしたアスナ?」
俺達の後ろで突然悲鳴を上げたアスナにキリトが声をかけた。アスナは顔をひきつらせ、アスナがニシダさんの方を指差している。よく分からんが、何か嫌なものでも見たらしい。アスナが指差す方向を見てみると、その答えは一瞬でわかった。
「……餌か」
「あれで釣るってどんだけデカいんだよ」
ニシダさんの右手には大きな竿が握られているが、左手にはヌシを釣る為の餌が握られていた。少し離れたこの距離からでもしっかり見える大きさの餌が。
生々しくニシダさんの手の中で暴れているのは爬虫類系のトカゲ型モンスターで、おそらく釣り用の餌として使えるよう設定されているものだろう。ニシダさんがしっかり握れるぐらいの大きさのトカゲだし、アスナが怯えるのも無理はない。
「いきますよおおお!!」
俺達の不安など露知らず、ニシダさんが大きな気合のこもった声を発して、釣り竿をしならせる。
大きな竿は山吹色に発光しながら力を竿から糸へと伝わせ、大きな餌をきれいに湖の中心近くまで運んでいった。
「おおー。釣りスキルってこんな感じなのか、初めて見たな」
「ホントに。スキルレベルを上げるとあんなに本格的なことまでできるようになるのね」
「もともとニシダさんが釣りをしてたって可能性もあるけどな。それがSAOの中でどれだけ補正になるかは分からんが」
「ソードスキルみたいに体が勝手に動くような感じなのかしら」
初めて見る釣りスキルに感動しながら、俺とアスナはそれぞれの考えを口にする。それにしても、VRMMO自体がSAOが初めてだっていうのに、初めて見るスキルに興味津々とは、アスナも立派なゲーマーになったもんだな。
ニシダさんが餌を投げ込んだ段階ではざわざわと賑やかに話しをしていたギャラリーだったが、ニシダさんの集中力が周りに伝わったのが、気がつくとあたりはシンと静まり返っていた。
俺とキリトは手伝いのためにニシダさんの横についている。何時ヒットしても良いように、俺も少し集中力を高めておこう。
そんなことを考えていると、ニシダさんの抱えている大きな竿の先端がピクリと反応した。俺とキリトは「おっ?」と声を上げたが、ニシダさんは集中した顔を全く崩さない。若干の不安感を抱えた俺は恐る恐るニシダさんに声をかけた。
「あの、ニシダさん?来たんじゃあ……」
「いいえ、まだです。クレハさんは竿の先端を見ていてください………」
それでも竿の反応は増している。ピクピクと先端が数回動き、糸も貼っているように見える。そう言うならと若干の不安を抱えたまま、俺は言われた通り竿の先を集中して見ておく。
「あの…ニシダさん?」
「なんの、まだまだ………」
今度はキリトが声をかけ、ニシダさんが答えた。その数秒後のことだった。
集中して見ていたから気づけたが、ほんの一瞬だけ今までより大きく竿が形を変え、糸が貼った。
「今です!!!」
ニシダさんが掛け声とともに思いっきり竿を引くと、投げ入れるときと同様に山吹色のライトエフェクトが竿を包み込んだ。竿はさっきまでのような小さな反応ではなく、これでもかというほどに撓り、糸はまっすぐ湖の奥へと引かれていた。まさしく大物の当たりが来た。
「掛かりましたああああ!!!」
「すげえな………」
ニシダさんの雄叫びを聞きながら、俺はただただ感心していた。釣りスキルはあくまでも当たりが来てから引き上げるまでに発動するものだ。まあ当たりがかかるまでの確率とか、魚の質とかにも影響はあるんだろうが、ともかく技術的アシストは引き始めてから発生するのがメインらしい。
だが今のはニシダさん個人の技術だ。最初の数回の反応で感覚を確認し、タイミングを見計らい、一瞬の変化を体に掛かる負荷だけで感じ取っていた。
「クレハさん!!タイミングを!!」
「え? ああはい!分かりました!」
感心してあっけにとられてしまっていたが、ニシダさんの一言でハッと我に返った。
そうだった。俺の仕事はこれからだった。竿の先端に意識を集中させ力の掛からない一瞬を判断しなくてはならない。
湖に引き寄せられっぱなしのように見えるが、集中してみていると、ほんの一瞬糸の張りが弱くなっている瞬間が確かにある。そのタイミングを見計らえってことか。なかなか難易度の高いことをさせてくれるもんだ。
1度、2度、糸の針が弱くなる瞬間を見た。明確な法則のようなものを見つける時間はないが、なんとなくタイミングが掴めてきた。自分の中でリズムを取りながら、次に力が弱まるタイミングを見計らう。あとはキリトの頑張り次第だな。
3、2、1…………
「今だ!スイッチ!!」
「はい!キリトさん!スイッチです!」
「す、スイッチ…?」
俺の声に素早く反応し、ニシダさんがキリトに竿を渡した。よく状況を分かっていないのか、キリトは呆けた様子で竿を受け取った…………その瞬間。
「うおおおおおおおおお!!?」
キリトはヌシの力に引き込まれ、湖のギリギリのところまで引きずられていった。
「キリトさん!頑張って!」
「うおおおおおおお!!このやろおおおおおおおおおおおおおお!!」
「おーすげえなあいつ」
正直そのまま引きずり込まれるんじゃないかとヒヤヒヤしたが、そこはやっぱり攻略組の意地なのか、こんどは竿を肩に担いで引きずられた分走って帰ってきた。キリトは釣り始めた位置にいた俺達を追い抜き、なおも走る。湖の方を見ると、たしかに大きな影がこちらに近づいてきているのが分かる。
「あ!見えてきたよ!」
見物客と一緒にいたアスナが声を上げると、みんながヌシを早く見ようと湖の縁まで走ってきた。もちろん俺もその1人。近づいてきたアスナの隣で湖を覗き込んで見る。
「すげえな。かなりの大物なんじゃないか?」
「ヌシっていうくらいだもの、かなり大きな………魚が………」
「大きな……………魚?」
おい、ちょっと待て。おかしくないか?
ヌシって言っても魚だろ?せいぜい2mとか3mとかの魚が釣り上げられるもんだと思っていたが、この湖に映る影って今水深何mのところにいる魚の影だ?すでに5mくらいの大きさの影が湖に写ってるんだが…………。
「うわあああああああ!!?」
見物客の誰かが声を上げると、その恐怖は全員に伝染し、みんなが一気に湖から離れていく。
俺やアスナも例外じゃない。もし釣り上げたとして、あんな至近距離にいたら潰されかねない上に、そもそもどんなやつが出てくるかもわからないんだ。あんな近くにいてたまるか!
全力で走って戻っていると、今だに必死に竿にしがみついているキリトとすれ違った。
「よし!もうすぐ釣り上げられるぞ!」
「おおキリト。頑張れよー」
すれ違いざまに声をかけてやるのを忘れない。多分この場所で、この大勢の中でヌシの危険性に気がついてないのはこいつだけだろうけど、面白そうだから黙っておこう。
「え?どうしたんだよみんな!? ってうわあああ!?」
何が何だか分からないと言った感じで俺達の方を見たキリトだったが、その瞬間にプツンと小気味の良い音が響き、キリトが尻もちをついて倒れ込んだ。釣り竿の糸が切れ、軽くなった竿を見たキリトが大慌てで湖向かって走っていく。
まあ当然だろう。キリトからしたら、やっと釣り上げられそうなヌシを目前にして糸が切れたんだ。取り逃したと思うに決まってる。けど多分、これは取り逃したんじゃない。
「おーいキリトくーん! 危ないよー!」
湖から距離を取ったアスナが、湖の縁に居るキリトに声を掛ける。
一見優しい言葉みたいだが、アスナもキリトを放おってここまでダッシュで逃げてるからなんとも言えないな。
未だに現状を把握しきれていないキリトだが、その疑問は一瞬で晴れることとなった。
突然、湖から爆発でも起きたのかと思うくらい大きな水しぶきが上がった。4mほどの水しぶきが広範囲に広がり、その中から異常に巨大な塊が姿を表した。橙色の肌にギョロリとした目玉をキリトに向け、陸地に4本の足でしっかりと立っている。足の生えた深海魚と言った表現が一番わかり易いだろう。
「水陸両用の魚ってのも新しいな」
「むしろ進化の過程的に考えたら、ありえない話じゃないんじゃない?」
「何のんきに話してるんだよ!ずるいぞ!2人して黙って逃げるのは!」
「おーあの一瞬でここまでダッシュで戻ってきたのか、さすがSTRとAGIに振ってるだけのことはあるな」
目があった瞬間にダッシュでこっちに向かってきたらしい。流石攻略組のトッププレイヤー様だな。
「3人共何を呑気な!早く逃げないと!」
「え?ああそうですね」
周りのみんなも本当に怯えているみたいだ。ニシダさん達からしたらあんなにでかいモンスターを見たのも初めてなんだろう。焦る気持ちもわかる。けど俺達からしたら、22層のフィールドボスなんて前線の雑魚モンスターより格下の相手だ。全くと言っていいほど緊張感を持てない。
まあともかく、さっさと倒してみんなを安心させてやらないと。
「とはいったもののな………」
俺、キリト、アスナ。全員戦い方に癖がありすぎて、戦う様子を見せたら一発でバレるんだよな。どうしたもんかね。
「もう、しかたないなぁ」
横でそう呟く声が聞こえたと思ったら、アスナが羽織っていた上着と、頭に巻いていたスカーフを勢いよく脱ぎ去り、レイピアを構え始めていた。アスナはもう腹を括ったらしい。となると、俺が黙ってみてるわけにもいかないか………。
「アスナ、手伝うよ」
「クレハ君?けど…いいの?」
「どうせアスナがバレたらなし崩しで3人共バレるんだ。だったら、俺もここの人達のために働かせてくれ」
「……うん。わかった」
俺もアスナの横に並び、愛刀をオブジェクト化し、左手に鞘、右手に刀を握りしめ、突進してくるヌシに向けて集中力を高める。
「アスナ。とりあえず俺が体制を崩すから、その間にソードスキルを打ち込んでくれ。多分すぐ終わるだろうけど、後ろの人達に被害を出す訳にはいかないからな」
「了解です。それじゃあよろしく、クレハ君」
そう言ってアスナが一歩下がり、ソードスキルを放つ体制をとった。
「キリトさん!奥さんとクレハさんが!早く助けないと!」
「大丈夫ですよ。きっと面白いものが見れますから、見ていてください」
「そ、それは一体…………」
後ろからキリトとニシダさんの会話が聞こえるが、まったくもってその通りかもしれない。目立つのが嫌だと言いながら、結局人前でパフォーマンスじみたことをしてしまっている自分に笑えてくるね。
「それにしても、この刀で魚と向き合うと刺身包丁みたいになるな」
「も、ものすごく緊張感がないね。クレハ君…………」
「集中しながらもリラックスはしておかないと、きれいに体制崩せないからな」
そうこう話しているうちに、ヌシとの距離はもう数mまで迫っている。
狙うならあの無駄に大きな足だろうな。前にこかせるより、横にこかせるほうがやりやすそうだ。
「…………っふ!!」
突進してきたヌシとすれ違う瞬間、足の下に潜り込み、鞘と刀を使って足の向きを斜めにずらしてやる。足を予想外の方向にずらされたヌシは体制を崩し、体がふらりと右側に傾いた。そのタイミングを逃さず、逆側面に回り込み、持ち上がっている左足の裏にめがけて………
「『弦月』!!」
ムーンサルトの要領蹴りを放ち、ヌシの足を蹴り上げ体制をさらに崩してやる。ヌシの巨体は完全に横倒れになり、地面で暴れ始めた。
「ありがと!クレハ君!」
アスナが俺に短く声をかけたかと思うと、目にも留まらぬスピードでヌシ目の前まで迫り……。
「はああああああ!!」
エメラルド色のライトエフェクトをまとったレイピアで、ヌシの体を貫いた。
言葉では言い表せないような悲鳴を上げ、ヌシはポリゴンの欠片となって四散した。システムウィンドウが強制的に開かれ、ドロップ品の素材が大量に手にはいった。
数秒間無言の時間が続いたが、誰かが声をあげ、それに釣られるように見物客から賞賛の声が上がる。
「うおおおおおおおおお!!」
「すげえ!何だ今の!」
「あんなに大きいモンスターを一撃だ!」
歓声を上げながら、俺とアスナの方へみんなが走ってくる。
少し照れくさいが、感謝される事自体は嬉しい。正直なところ大したことは全くしていないが、今この瞬間は、みんなからの賞賛を受け入れるのも悪くない。俺たちを囲んだみんなが口々に話しかけてくる。
「今の戦い方って『剣影のクレハ』さんですよね!?」
「そっちのお姉さんはもしかして『閃光のアスナ』さん!?」
「「……うっ」」
その言葉を聞いた瞬間。俺とアスナは察した。
「ああ、これは長くなるな」
.
.
.
「だあああ疲れたー」
「まったくだ………」
「お疲れ様、2人共。結構遅くなっちゃったね」
「アスナもお疲れだ」
結局、俺達が何者なのかが全員にバレたあと、見物客に囲まれた俺達は身動きがとれない状況になった。
ニシダさんがその場を収め、予定通りに釣り上げたヌシの素材から魚料理をつくってみんなで食べることにしたのだが、量があまりにも多かったんで、俺とアスナだけでは捌ききれなくなり、結局みんなで程々に素材を分けて、その場はお開きとなった。ニシダさんにはものすごく感謝をされ、お互いに挨拶を交わし、きっとまた釣りをしようと約束した。
そんなこんなで俺達3人がキリトとアスナのログハウスまで戻ってきたときには、もうすっかり暗くなったあとだった。
「そういえばクレハ君。忘れるところだったけど、私たちに用があってここに来たんじゃなかったっけ?」
「……………ああ、そうだったな」
アスナは何気なく口にしたのだろうが、俺にとってはそれは俺を一気に現実に引きずり戻す言葉だった。考えないよう考えないようとしていたが、そうも言っていられない。これは、俺の仕事なのだから。
「俺がここに来たのは他でもない。依頼を受けたからなんだよ」
「依頼?ここに来ることが?」
「なんで、私たちに会うことが依頼になるの?」
さっぱりわからない。といった顔を2人がしている。
それはさっきまで釣りをしていた2人と変わらない、純粋で安らいだ顔だ。その顔を俺は今から俺の手で壊すことになる。そう思うと胸が痛い。だが、一度引き受けたからには依頼を完遂しなくてはならない。それに、この依頼がどれだけ大切なのかも俺はわかっている。だから………伝える。
「俺が依頼を受けた相手はヒースクリフ。依頼内容は『お前達を連れ戻す』こと」
「……え?」
「何を…………」
これが、俺がここに来た理由。
「悪いなキリト、アスナ。戻ってきてもらうぞ」
というわけで第二十九話でした。
次回からシリアス編突入です。