汚れた手だけが花を   作:Klotho

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どちらかと言えば、現実的な話が主流になるかと思います。

当然の如く救済は考えておりません。


『がっこう』

 

 

『ゾンビ』

 

 

 普通に生きてきた人間ならば、大抵一度は耳にした事があるだろう。映画なんかも上映しているし、海外――主にアメリカなんかでは主流のホラーとして、その存在は大きく知られている。映画のコマーシャルなんかでも見掛けることもある。こんな話をして何を伝えたいのかといえば、つまり我々は彼等について想像や創作を多岐に渡って作り出して来たが、その実態は一度も解明されていないという事だ。

 

では、それを言う事で何を伝えたいのか?

 

 

一言で纏めるならば――『常識に囚われるな』

 

 

 

 

 

 

 

一人の男が商店街を走っていた。

 

「はっ……ひっ、はっ!」

 

 太陽は高く昇り真上に、本来ならば人々が往来しているこの時間帯。走る男の他に『人間』が居れば、彼の行動は勿論の如く奇怪な物に映ったであろう。

 

しかし男以外に誰も居ない。真昼の商店街には、()()の気配すらなかった。

 

「はぁっ!ひぃっ!」

 

その代わりといっては何だが、男の少し後ろを同じように駆ける者が居る。

 

「いぃら、しゃいま――ませ?」

 

「おぎゃく、ざまぁっ」

 

 片腕が肘からなくなっているのに、平然と疾走を続けるコンビニの店員。恐らくは書店の店員だったのだろう、エプロンと共に引き裂かれた内臓を見せながら走る女性。そして、平時は通行客だったのだろう主婦やおばさん。

 

常人ならば死んでいるような怪我を負って、彼等は男を追いかけていた。

 

「ふぅっ、はぁっ!――よっ!」

 

 商店街を抜けて、次に男が差し掛かったのは車が綺麗に並べられた一般道。当初は避難しようとしていた人々で混雑していた道路も、今は襲撃を受けて捨てられた車の列しか残っていない。

 

その手前の車に、男は容赦なく足を掛けた。

 

「失礼ぇ、しますっ!」

 

 一瞬車体が重さで沈み、それが戻る前に男は前の車へと跳躍する。そして次の車に跳躍、跳躍、跳躍して、一メートルと数十センチ先の車に思い切り跳躍した所で

 

「――」

 

男は一瞬だけ背後を振り返った。

 

「しょぉしょうおォまぢっ、くだ――あっ」

 

 先頭を走っていた店員が車に思い切り衝突して顔を車へと打ちつけ、その身体を踏み越えて来た別の通行客もその車と次の車の間に落ちる。それを踏み越えてまた進む……を繰り返している彼等は、何時の間にか男から大きく引き離されていた。

 

彼等に人間の知能があれば、そのまま脇道を通って男に追いつく事も考えただろう。

 

……が、彼等には思考能力という物がなかった。

 

 

――ゾンビ。

 

 誰だって一度くらい耳にした事があるだろう、死して尚動き続ける亡者の話である。今空中で背後を振り返ったこの男も、普通に人生を生き、故に何度かゾンビ映画を見てきたことのある人間だった。しかし彼を含めた人類は、それが現実に……しかも全く別の物になるとは考えてもいなかった筈だ。

 

例えば身体。腐敗が進むだけのそれが、何故か加えて血管が異様に浮き出て。

 

例えば発声。意味のない呻きではなく、彼等が生前よく使っていた言葉を口走り。

 

 例えば能力。生者に向けて意味無く両腕を伸ばしてノロノロと歩くのではなく、両手を――ない者も居るが振りながら全力疾走で。

 

 これらの現象が自分達が言う『ゾンビ化』だと気付いた者の内半数以上が喰われてしまった理由は、この身体能力にあった。

 

 

男は顔を背後から、正面へと戻して。

 

「――うっ」

 

 即座に漏れ出たのは後悔の声。男が視線を背後へとやる以前に見た、着地する予定だった車は赤いミニクーパーだった。問題は男の跳躍が少しばかり強過ぎた事。それも予め見ていれば足の位置を変える事位出来ただろうが、今の今まで男の視線は背後に向いていた訳だ。

 

男はボンネットに尻を着く形で着地した。

 

『ガシャン!』と、もう一つ前の車のリアガラスに片足を突っ込んで。

 

「あー……やっば」

 

 途端に周囲から聞こえ始める何者かの声。背後から追って来ていた者達ではなく――無論その声も聞こえるが、それ以上に聞こえた。

 

男はすぐに片足をリアガラスから引っこ抜き、今度は道路脇の路地へと駆け出す。

 

 

「や」

 

近くにあった二階建ての家から落下して、それでも動いて男を追う者。

 

 

「ば」

 

地面に転がっていたのが急に起き上がり、男の足を掴もうとする者。

 

 

「いっ」

 

車で引っ掛かった者達を踏みつけ、先程と同じように男を追いかける者。

 

 

「てぇっ!」

 

 男は路地に入るなりズボンの右ポケットに片手を突っ込んだ。そのままゴソゴソと漁り、たまに背後を確認して、男はやがてポケットから二つの物を取り出した。

 

爆竹とライター。

 

「どっか、隠れられる、場所っ!」

 

 既に通り過ぎた場所は無視して、男は路地の左右に見える鉄製の扉達に目を遣った。閉まっている場所は鍵が掛かっているリスクが高い、出来れば開いている事が確認出来る扉が好ましい。

 

数十メートル先にある開きかけの扉を視界に捉えた。

 

「――あそこっ、だっ!」

 

 もう背後を振り返る余裕はない。それでも背中越しに伝わる足音と何かが転ぶ音、そして彼等の吐息が感じられる距離にまで接近されている事は分かっている。

 

男は左手にライターを移して火を点けて、それを爆竹へと近付ける。

 

「あちっ!あっつ!――点いた!」

 

何度か自分の手を焼きながら、それでも男は足を止めずに導火線に火を点けた。

 

扉との距離は、後数メートル。

 

「――」

 

 息を止めて、今正に男の髪を掴もうとしていた腕をほんの少しだけ引き離す。男には当然分からなかったが、その掴む姿勢を崩した彼等の一人が転び、結果的に他の者達の足止めをしてくれた。

 

そして、男は爆竹を放り投げる。

 

 放り投げた右手はそのまま自分の背中――そこに背負われていたリュックの、本来なら水筒やペットボトルを入れる筈の場所へと伸びて。

 

「っ、っ!」

 

男はそれも両手で擦り合わせてから、爆竹と同じ方向へと投げた。

 

そして、横の扉に身を滑り込ませて

 

 

静かに、そして迅速に扉を閉めた。

 

「フー……フー……」

 

 口元を覆っていた布ごと両手で口を押さえつけて息を殺す。遅れて『パンパパン』と爆竹が炸裂する音と共に、扉越しにバタバタと通り過ぎていく彼等の足音がした。

 

「フー……ふぅ……はぁ」

 

 そっと両手を下ろして、男は扉に背中を預ける形で脱力する。鼓動はミシンのように早鐘を打ち、身体は真夏の外に居る時以上に熱かった。それもその筈、男は商店街と道路を全力疾走して来ているのだから。縺れて転ばなかっただけ奇跡だったのだろう。

 

完全に背後から音が聞こえなくなったことを確認して、男はポツリと呟く。

 

「……発炎筒と爆竹、役に立ったなぁ……」

 

 きっと投げた場所には物凄い数の『ZQN』が集まっているだろうが、それでも一時的な逃走手段としては申し分ない。それにどちらも比較的手軽に入手出来るという利点もある。男は背中のリュックを自身の正面へと回し、その中から懐中電灯を取り出した。

 

カチリと音を立ててスイッチを入れる。そして背後の扉を確認して、静かに鍵を掛けた。

 

「……更衣室、かな」

 

 並ぶロッカーと掛けてある何かの制服を見て男はそう判断する。更衣室であるならば何処かに別の通路がある筈で、それが何処に繋がっていようと此処から出なくていいのは有り難い。取りあえず警戒すべきは、その通路からZQN達が出て来るという悪夢だけか。

 

周囲を散策する為に立ち上がり、男は一応リュックから武器代わりの包丁を取り出した。

 

「よし」

 

 しかしどうやらその扉は、此方側から鍵を掛けられるようになっているらしい。懐中電灯を頼りにそれを確認した男は、軽くロッカーの中を照らしながら扉の前へと戻る。

 

 

そして、懐中電灯を点けたままゆっくりと目を閉じた。

 

その右手には、当たり前のように包丁が握られて。

 

 

 

『多臓器不全及び反社会性人格障害』……それが政府の発表した病気の名前だった。

 

 この病気が蔓延し始めたのが何時なのかは分からない。気付いたら、何時の間にか、そんな唐突さで、何処かで感染したのだろう人が人々を襲っていた。老若男女問わず、少しでも避難の遅れた者や『避難場所へと急いだ』者は余り余さずゾンビと成った。

 

 今の所確認出来ているのは直接噛まれた時にゾンビ化する――つまり彼等の体液が身体に侵入した際に起こる傷口感染のみ。

 

 

辛うじて繋がっているネットの掲示板では、彼等を『ZQN』と呼んでいるらしい。

 

 

 

「……ふが、ふぁ」

 

 彼等の主な特徴は、この男との遣り取りで大体出揃っている。まずは走ること、そして喋ること。尚且つその身体能力は高く、ある程度の落下などでは平然と動き続ける。光よりも音に反応し、ある程度は匂いを感じ取ることも出来る事が分かっていた。

 

その上で人間とは比べ物にならない足の速さ。本来ならば、生き残る事は出来ない。

 

けれど男には地の利に機転がきかせることが出来た。

 

 男が車を障害物として乗り越えたのに対して、ZQN達はそれらを障害物として認知していない。あまつさえ彼等はそこに倒れたZQNを踏みつけて追ってくる事もある。言うなれば、彼等の唯一とも言える欠点はその知能の低さにあった。

 

上り下りが上手に出来ない、扉を開く事は少ない、跳躍が苦手。

 

その発見が、男を地獄のような環境で数ヶ月間生かし続けた。

 

「さて、此処は一体何処に出るのか……」

 

男は点けっ放しだった懐中電灯の明るさを確認してから左手で取る。

 

 そんな男も、つい先日まではある建物の屋上で日々を過ごしていた。ZQNの動きを観察し、食料が危なくなったら夜中に街中を駆け回り、そうして明日へ自分の命を繋ぐ――そんな日々。

 

では、どうして男はこうして地上を走り回っているのか。

 

「そうだ、ラジオ」

 

ピタリと足を止めて一度リュックを降ろす。

 

男はリュックを漁り、自分が此処に訪れた理由でもあるソレの電源を入れた。

 

『お願――です!どうか――て下さい!私は――、私の――が――――の最上――に』

 

 突如としてラジオが拾った音声。まるで閉鎖された空間から発せられたような、ノイズ交じりの少女の声。それが少女の声だったから、というだけではない。男が使うこのラジオで拾える程度の距離に居るならば助けてあげたいとそう純粋に思った。

 

……少女の声だったから、というのも確かにあるが。

 

「……もう聞こえないなぁ」

 

軽く局を弄ってみて、雑音だけを確認して止める。

 

男はラジオをリュックに仕舞い、封鎖していたもう一つの扉を開いた。

 

「よし、いいぞ」

 

 コンビニではなかったがどうやら商店街のような個人経営の店らしい。周囲に陳列された食べ物類を照らし、男はシャッターが閉まっている事を確認して安全の確保を行う。トイレの中やレジの中、念入りにチェックをした上で男は食品に手を伸ばした。

 

「乾麺、栄養食、缶詰……お、電池。菓子類は……まぁ、軽い物だけ貰っていくか。飲料は重いから諦めるっと」

 

邪魔にならない程度にリュックに詰め込み、男は振り返ってレジへと進む。

 

此処に居る筈だった店主は、きっともう戻っては来ない。

 

それでも――

 

「……ありがとうございました!」

 

 男は頭を下げて背を向けた。誰にするでもなく、ただ何となく。だけどこうしないと、何時か罪悪感で自分が押し潰されてしまうような気がした。平時ならば、これは窃盗の類に含まれるのだから。

 

 

カルトンには、数枚のお札が置かれていた。

 

 

 

 

「よっと」

 

 少しだけ店のシャッターを上げて、その隙間から外を窺いZQNの足があるか確認――ゆっくりと上げて、男はすぐさま近くの電柱へと手を掛けた。

 

電柱はご丁寧に足場ボルトがついていて良い、とは男の持論である。

 

「ZQN……は見当たらないな。此処はどの辺りだ?――『巡々丘駅』?」

 

 はて、そんな駅がこの辺りにあっただろうか。いや、視認出来ている上にあれだけの大きさの建物なら確かに駅で間違いはない。問題は、男がこれから全く知らない場所で移動を開始しなければならないという事だった。

 

……屋根伝いに周囲の地形を把握して暫く過ごすか?

 

いや――

 

「駅は不味いなぁ……」

 

 ZQNが生前の行動をある程度真似する以上、夕方になる前に駅から離れておきたいのが本音だった。通勤ラッシュや帰宅ラッシュの最中に追われでもしたら、それこそ良い餌となってしまうだろう。

 

すると、移動か。

 

「とりあえず、高さのある建物を探さないと」

 

 経験上、建物の高さと安全性は同一である。高ければ高い程ZQNは来にくくなるし、それが屋上ともなれば出入り口が一つになっている場合が多いので警戒も楽だ。

 

「……明日は筋肉痛だなこれは」

 

 

既に痛みを訴えている足を無視して、男は直ぐ隣にあった建物へと腕を伸ばした。

 

 

 

これがゲームだったらそのまま屋根伝いに目的地まで辿り着いただろう。

 

 しかし男の快進撃はその数十分後に止まることになる。向かい側数メートル先に次の建物、その間には駐車場と……早い話が手詰まりだった。此処から先に進むには、下へ降りて移動する必要があるだろう。

 

男は立ち止まり、周囲を見回した。

 

「ふむ」

 

後ろには先ほども見た巡々丘駅。

 

かなり遠くに見える建物は、ショッピングモールか。

 

そして正面数百メートル先には学校があった。

 

「何処も彼処も、候補地が危険地帯ばっかりか」

 

 学校、駅、ショッピングモール。映画やなんかで出て来る有名な感染者の増殖源と言えば、これ等だろう。しかも巡々丘という場所は田舎なのか、他にそこまで高い建物が見当たらない。確実性を求めるならば、これらの内の一つを制圧してしまうのが手っ取り早いか。

 

空を見上げれば、既に段々と橙の光を放ち始めている太陽。

 

「学校しかないな、これは」

 

 駅には戻れない。モールには遠すぎる。ならば、向こうに見えている学校に避難するのが一番良い。陽が落ちてからの長期移動は、出来れば此方も避けたいのが本音だ。

 

「……うしっ、行くぞ!」

 

遠くにしかZQNが居ない事を確認して、男は近くの電信柱を伝って地面へ降りた。

 

 

 

 

可笑しい。

 

そう感じたのは、降りて数分移動し始めた時だった。

 

「アァ……アァー」

 

「ウゥゥ……」

 

「どうしてだ……?」

 

 振り返れば、ヨタヨタとぎこちない足取りで此方に手を伸ばすZQN。それも一体ではなく、今までに出会った三体全員に追われている状況。にも関わらず男はこうして、早歩きでZQNの前を歩くだけに留まっている。

 

『う、わああ――むぐぐ』

 

 勿論、曲がり角でバッタリ出会ってしまった時はこれでもかという位驚いた。声を出す訳にはいかないので自分で口元を押さえつけるという、なんとも奇妙な画にはなってしまったが。

 

そうして全力疾走して振り返ると、ZQNは二メートル程しか此方に近付いていなかった。

 

「……腐食は確かに酷い。でもそれだけでこんなに動かなくなるのか?」

 

 今背後を歩いている一人、恐らくはサラリーマンだったのだろうスーツ姿の男に目を向ける。血管は確認出来ず、顔や見える手足は腐食が進み、形容し難い匂いを放つ()()で何もしてこない。……いや、向こうは此方を喰おうと必死なのだろうが、少なくとも男には喰われそうな気配は微塵たりとも感じなかった。例えるならば、毒牙のついた芋虫に追われている気分……とでも言えば良いのだろうか。

 

かつてZQNを仲間と共に観察していた時にも、こんな兆候は見られなかった。

 

「あそこでZQNに追われていた場所から一キロとちょい……住処による性質変化だって、幾らなんでもこんなに激しくないだろう」

 

「ア、アァー」

 

「どうしてだ?」

 

 死人相手に問いかける人間というのは、傍から見れば狂人の沙汰のように映っただろう。しかし男は真面目に考えていて、真面目にZQNに対して問いかけたのだ。

 

けれどその答えも呻き声しか返って来ない事に肩を竦める。

 

「呟きもなし、か。生前の習性は残ってそうなんだけどな……」

 

 追って来ている内の一人はサラリーマンだったが、残りの二人は制服を着たZQNである。昔ながらのセーラー服に似た、とても可愛らしいデザインの制服を着た女子と、昔から変わり映えしない、格好良さの欠片もない制服の男子。

 

男のすぐ横には学校を囲う柵があり、その中にいるZQNにも色の違う制服を着ている者が居た。

 

――にしても、と。男は視線を学校へ映す。

 

「パッと見で太陽光発電と蓄電装置……本当に学校かどうかも怪しいな」

 

例えば此処が工業系だったとしても、一高校が持つには過ぎた技術が窺える。

 

逆に、あれらが使えるならば利点としていは大きい。

 

「まぁ、結局一晩はお世話になるしかな――いっ」

 

 背後から来ていたZQN達から一気に距離を離し、その助走で校門の脇にあった壁へとよじ登る。校庭を軽く見回しただけで、数十のZQNの姿が確認出来た。

 

ズリズリと身体を一回転させて、今度は自分の登っていた壁を見る。

 

「『巡々丘学院高校』……やばいな、聞いた事がない」

 

 先ほど引き離した三人の姿を捉えて男は慌てて壁を降りた。あの高さでは、多分手を伸ばしただけで簡単に引き摺り降ろされてしまうだろう。

 

男は校庭の端を思い切り走り抜けた。

 

「ふぅっ、ふぅっ」

 

途中校庭の中央側にいたZQN達が此方に気付いたが、やはり腕を伸ばすだけに終わって。

 

「ひぃー……ひぃー……」

 

 男が疲れ果てて走りを緩める頃には、既に誰も追って来ていなかった。実際大した距離も進んでいなかったのだが、それ以上にZQN達は進んでいない。亀と勝負した兎とまではいかないが、子供と駆けっこをする大人の気分にはなれた。

 

そして男は、視界の先に並ぶ車とガラスの割れた窓のついた校舎を見つける。

 

「……っ、車はっ、どうせ鍵がないんだっ」

 

 一瞬だけ車の方に足を進めようとして、諦めて校舎の方へと向かう。あれだけ状態が良ければバッテリー位生きているかも知れないが、結局鍵が無ければ意味のない行為だ。

 

大人しく諦めて男は手近な窓を横にスライドさせた。

 

「よっと……まぁ、そうだろうな」

 

両手を窓の端に掛けて跳躍、中に入って即座に左右を見渡す。

 

右側は駐車場側なので行き止まりだったが、左には奥まで続く廊下とその途中で揺れるZQNの姿。

 

……男は静かに包丁を取り出した。

 

「新品が四本、替えが三枚……声を出させないで殺せば、大丈夫か」

 

 この辺りのZQNが皆あんな感じだとするならば、多分数人程度は楽に殺せるだろう。もう一度だけ口元を覆っていた布を巻きなおして、男は包丁を片手に手近なZQNへと歩み寄って――

 

その左側に、血と割れたガラスで構成された階段を見た。

 

「――」

 

『お願――です!どうか――て下さい!私は――、私の――が――――の最上――に』

 

あの時のラジオ。助けを求めていた声は、不明瞭ながら微かに最上階と言っていた気がする。

 

「よし、そっち優先」

 

ZQNから視線を離さないままゆっくりと後退って、男は静かに階段を上がった。

 

そして二階へ。

 

「……間違いないな」

 

 三階へと続く階段、その前に築かれたバリケード。その下の部分に人が通る為の板がはめ込んであるのを見て、男は確信した。

 

この学校には――恐らく最上階に、生存者が居る。

 

「学校から発信していた……か?本人から聞いた方が早いか」

 

 男は築いてあったバリケードの板をそっと外し、その隙間に身を投じる。隙間のサイズは大人である彼には中々厳しい大きさの物ではあったが、しかし何とか身体を滑り込ませて同じように板で隙間を塞いだ。

 

今度はバリケード側から意識を完全に外して、上へと続く階段を上がる。

 

「出来れば女の子が良いなぁ…ZQN化してない」

 

生存者が居る、と言いつつも男は武器を構えたままだ。

 

「そして出来れば、暴徒じゃないことを祈る」

 

 男が武器を構えたままの理由は寧ろそっちにあった。バリケードに漏れがあってZQNが中に居るというのも脅威だが、それ以上に敵意を持った人間の方が脅威なのだ。彼等は扉を開けるし、上下移動も出来るし、跳躍も出来るから。その点では、男はZQNよりも人間を苦手としていた。

 

だけどやっぱり、男は女の子が好きだった。

 

「……女の子、女の子」

 

ブツブツと呟きながら階段を昇っていく姿は、出来ればお目に掛かりたくない程不気味で。

 

「女の子、女の――」

 

「……」

 

そして――

 

「……」

 

「……子」

 

 

包丁を持った男とスコップを持った少女は、そこで初めて出会った。

 

 

 

恵飛須沢 胡桃(えびすざわ くるみ)は巡々丘学園高校の三年生である。

 

 

「さって、夜になる前に見回り行って来るかなっ」

 

「えぇ、お願いね胡桃」

 

 

 最早相棒と言っても過言ではない程『使った』スコップを片手に、私は背後からの声を受けて扉を閉めた。窓から差し込む光を受けて扉の上の生徒会の――その上に貼られた『学園生活部』の文字を見て私は歩き始める。まずは一番近いバリケードから確認していって、必要ならば近くにいる奴等を片付けて、一応強度の確認もして置いた方が良いだろう。階段を下りながらそんな事を考えて、私は二階と三階を隔てるバリケードへと辿り着いた。

 

「……」

 

カシャリと一度、机と階段の手摺を繋いで雁字搦めにしているワイヤーに手を掛ける。

 

それは以前と殆ど変わり無い強度を私の手に伝えた。

 

「……よし。次は、と」

 

 クルリと背を向けて次のバリケードを確認する為に階段を上がる。この調子なら今日はスコップを抜くことはないだろう、そう判断したら少しだけ足取りが軽くなった。

 

 

結局その判断は、数分後には覆されるのだが。

 

それは、彼女の知る所ではない。

 

 

 

 

コツコツと、その慣れない音を耳にしたのは一番奥のバリケードがある階段だった。

 

「……まさか」

 

 言いつつゆっくりと音を立てないように背中からスコップを取って身構える。音からして、既に何らかの生物がこの三階へ続く階段を上って来ているのは明らかだった。

 

そして上履きでは、コツコツという音は鳴らない。

 

「……」

 

 元々駐車場側には余り奴等が来ないので、まさか此処でスコップを構えることになるとは思わなかった。もしも――確実だろうが相手が奴等なら、すぐに倒してバリケードの補修をしなければならない。

 

私は夕陽に照らされた踊り場に、音の主が出てくるのを待った。

 

『コツ』

 

音は段々と

 

『コツ』

 

大きくなって

 

『コツ』

 

次の一歩で、多分その姿が見える。

 

そして――

 

「女の子……女の……」

 

「……」

 

 現れたのは平均的な身長の男。顔は下半分が布に覆われている所為で窺う事が出来ないが、その目はしっかりと此方を捉えていた。背中には大きなリュックサック。何より私が目を奪ったのは、夕陽を受けて男の手の中で煌く――

 

包丁。

 

「……」

 

「……子」

 

 男は足を止めた。当然ことながら私も動けなかった。そのまま両者が動かない時間が暫くの間流れ、外から鴉の声が聞こえてきた拍子に慌てて男が両手を挙げた。

 

その手に持つ包丁を、そっと地面に置いて。

 

「ストップだお嬢さん、此方に敵意はない」

 

「……」

 

「本当だ、何ならこの包丁を君に渡しても良い」

 

「……女の子」

 

「うっ」

 

 男は苦しそうに一歩後退った。まさか聞かれていたとは思わなかっただろうが、此方は奴等だと思って耳を澄ませていたのだ。当然、階段を上がる足音と共に小さく『女の子』と連呼していたのも聞こえている。

 

……だから、まぁ。

 

「分かった。分かったけど、少しだけ質問して良いか?」

 

「ははぁ、何なりと」

 

 男の方に敵意はないと判断。見た目からも動きからも奴等の仲間には思えないし、言動や行動から危険人物の匂いはしなかった。

 

それでも、幾つか確認を取らなければいけない事はある。

 

「何処から来たんだ?」

 

「巡々丘駅という所で御座います。正確には、その近くの食品店」

 

駅から此処まで大体七百メートル……一日で移動してくる距離とするならば、不自然な所はない。

 

「どうやって来たんだ?」

 

「最初は屋根伝いに跳ね回り、そして全力で走りました」

 

 あの辺りにはそう都合よく連続した建物はない。恐らく移動手段は屋根上二割、路上八割といった所か。しかも校庭には奴等が待ち構えている筈で、校舎内も一階二階にはまだ残っている筈だ。

 

……どうやら中々の死線を潜り抜けて来たようだと、少しだけ警戒を緩めて男を観察する。

 

「……」

 

「え、えぇと何か……?」

 

 よくよく見てみれば男の服装からは態度に反して突き詰められた格好をしていた。上半身は軍人とかが着ていそうなポケットの多いベスト。ズボンは左右対称にポケットが幾つかついている何処にでもありそうな市販の物だが、靴は靴底だけ少し手製で厚くした痕跡が見える。

 

そしてそのポケットの全てが、不自然に膨らんでいる事を考えれば。

 

「アンタ、服のセンスないだろ」

 

「確かに、昔からそう言われてる」

 

男は困ったように苦笑した。

 

 実際に会話をして分かった通り、この男は危険人物ではないらしい。寧ろ、私達が知らないような情報を教えてくれる可能性もある。とりあえずは学園生活部の二人と引き合わせて、それから判断を下しても大丈夫だろう。

 

私はスコップを降ろして背中に背負った。

 

「さて「お嬢さん」――」

 

 質問は終わりだと、そう言う前に男が口を開いた。何事かと思って踊り場を見れば、そこにはまるで違う雰囲気を纏った男の姿。その布と髪の間から此方を覗く冷たい目に、私は思わず背中へ手を伸ばした。

 

「な、何だよ……」

 

「いや、そんなに警戒しなくても……あぁ、これの所為か」

 

男はアッサリと自分の頭の後ろに手を回し、自身の口元を覆っていた布を取る。

 

それを胸のポケットに閉まって、男は再び此方を向いた。

 

……無精髭のおっさん。

 

「なに、ひとつだけ此方からも質問をさせて欲しくてね」

 

「……分かった」

 

男はその右手で私を指差した。

 

 

「君は、あんまり奴等と戦ったことがないだろう?」

 

 

 

スコップを持った少女とは何とか打ち解ける事が出来た。

 

 

 第一印象は最悪。というか殺されても可笑しくはない台詞を連呼していた訳だが、話している内にどうやら此方を安全だと判断してくれたらしい。少女が廊下を歩くその隣を俺は歩いていた。

 

距離は……まぁ、第一印象並みの距離と言って置こう。

 

 それでも個人的には満足だった。こんな可愛いツインテールの女の子が隣を歩いているというだけでも、個人的には大満足だった。ボーイッシュな喋り方も膝当てやシャベル、八重歯なんかと相まってとても似合っている。これが初対面でなかったら、もうとっくに告白でもしたんだろうが――

 

基本的に女の子と話せない所為か、全く言葉が出て来なかった。

 

しかし――

 

「……で、さ」

 

「ん?」

 

 意外なことに口を開いてくれたのは少女の方だった。己の発言と最後の質問からして、多分相当嫌われていると思ったのに。チラと反対側にいる少女に視線を向ける。

 

少女はほんの少しだけ身体を前に倒して、背中のスコップを手に取った。

 

「どうして分かったんだ?アタシがあんまり奴等と戦ってないってこと」

 

彼女の返答。

 

 

『いや、まぁ……そうだけど、さ』

 

『……そうか、有難う。いやいや、とても参考になった。成る程そうか、()()()()()か。まさか変わったのがZQNじゃなくて俺の方だったなんて、誰が気付ける物か』

 

『ん……?ゾ……なんて?』

 

『あぁ、全然気にしないでくれ。独り言だよ』

 

 

それは、一つの可能性を示唆していて。

 

「意外と格好で分かるもんだよ」

 

「……格好?」

 

俺は首を傾げる少女の、その足元から頭まで指を動かした。

 

「外で活動する時には、まず感染リスクを最大限まで低くする。その点では、スカートや半袖ワイシャツなんてのは以ての外だ」

 

「あっ、そうか……」

 

「それに血液が粘膜に付着する事も避けたい。だから俺はさっきまで布を付けてた訳だが、君にはそれが無かった……防衛に専念するとしてもマスクぐらいはオススメするよ」

 

 一度ZQNについての話をし始めれば嫌でも口が動いた。……まぁ、彼女も満更ではなさそうなので良いが、普通なら引かれてしまう場面なのだと自責する。

 

っと、教室側を歩いていた少女が急に足を止めた。

 

「ほら、此処が私達の拠点だ」

 

「ふむ」

 

少女の視線を追いかけてそこを見る。

 

 一般的な教室のドアと同じ長方形の窓がついた扉。光が漏れているのは見えるが、中の様子を窺うことは出来ない。それは多分、此処が元々生徒会室を改造した物だからだろうが。

 

男は生徒会室の上に無理矢理貼られた『学園生活部』の張り紙を見てから、隣の少女を見た。

 

「説明は?」

 

「中でするよ――おーす、ただいま!」

 

少女がガラリと扉を引いて中へと入って行く。

 

男も周囲を見回してから――足を踏み入れた。

 

 

「あー!くるみちゃんおかえりー!」

 

「お帰りなさい、くるみ――あら、その人は?」

 

 

薄桃色の髪をした元気そうな少女。

 

こげ茶色のロングヘアでおっとり美人系の少女――雰囲気は女性。

 

 

二人しか居なかった。

 

「自力で此処まで来たオッサン」

 

「よ、よよ、よろしくおねがいしますっ!」

 

 

第一印象は多分最悪だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ZQN=ゾキュンと私は解釈しています。原作でも「ゾ……ZQNが」と言ってますし。

というかこんなマイナークロス需要あるのか。
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