汚れた手だけが花を   作:Klotho

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今回から本格的にグロテスクな表現。


『うたがい』

 

カツカツと、懐かしい音が鼓膜を揺する。

 

「……」

 

「うー……」

 

 そしてその音を立てているのが自分なのだと自覚して自嘲。かつてZQNによって東京が壊滅した時には、もう見ることはないだろうと思っていた光景。もう生涯触らなかったかもしれないそれを使って、俺は手軽な文字列を黒板へと書き入れていった。

 

腕を動かすたびに揺れる、自分には似合わない白衣の裾。

 

「Al、Mg、Na、O、Fe……丈槍、読み方分かるか?」

 

「わかんないですっ!」

 

「追試」

 

 えぇっ!?と驚きの声を上げる丈槍を無視して黒板を振り返る。もしかしたら俺の字が汚いから彼女が読めないのかも知れない……ないか。

 

今度は教室へと視線を向けて、一人唸り声を上げる丈槍に近付いた。

 

「元素記号は聞いたことあるか?」

 

「……」

 

 どうやら俺が思っている以上に彼女の学力は危険らしい。沈黙したまま教科書を睨みつける彼女から視線を外し、割れた窓ガラスから覗く太陽を眺めて目を細める。

 

世界がZQNだらけになろうと、世界そのものが変わってしまっても――

 

太陽だけは何時も変わらない。

 

「せんせぇー、教えて下さいよー!」

 

「……」

 

 

いい天気だった。

 

 

 

若狭悠里(わかさ ゆうり)から見た男の第一印象は、『底が知れない』だった。

 

 

「……はぁ」

 

 既に男――二宮尊徳(にのみや たかのり)が居なくなった屋上の手摺に身体を預けて、彼女は街に沈んで行く夕陽を眺めていた。眼下に広がる校庭には、未だ彷徨っている彼等の姿。夜になってもあそこに居るのだろうか、そんな取り留めのない事を考えて溜息を吐く。

 

ガチャンと小さくノブの回る音がして、静かに扉が開かれた。

 

「どうした?二宮になんか言われたのか?」

 

振り返らなくても分かる、この一週間で親友と呼べる程に仲良くなった三年生。何時もシャベルを持ち歩いている彼女――胡桃は、私の横の手摺に両腕と顎を乗せた。

 

ただそれだけ。何があったかは聞かない。

 

「……何も言われなかったのよ」

 

「……そっか」

 

思い返すのは、先の男との会話。

 

 言われなかった。完膚なきまでに言われず、そして聞かれなかった。学園生活部が設立された本当の理由も、少しだけ話した『佐倉慈(さくら めぐみ)』という教師についても、丈槍由紀が()()()()()に居るという事さえ……二宮を語る男は、ただ何度かの相槌で済ませてしまった。

 

何故なのだろうか、それがどうしようも無く怖くなったのだ。

 

「なんだか、あの人は全く違う世界に立っているみたい。……私や胡桃とも、由紀とも違う。彼だけの世界が、彼には見えているような気がするのよ」

 

「……」

 

横に居た胡桃は黙って空を見上げた。何か心当たりがあるのか、その眼差しは何処か真剣で。

 

「……もしかしたら、違う世界から来たのかも知れない」

 

「――え?」

 

だから私は彼女の言葉を咄嗟に否定することが出来なかった。

 

胡桃は背中からシャベルを取って、カツンと床につける。

 

「だから、さ。あいつと初めて話した時、『何だかよく分からない何か』を感じたんだ。……違和感、って言えば良いのかな。何かが可笑しいって、そう感じたんだけど――」

 

うーんと頭を抱えて悩む胡桃を見て、私は先の男との会話を思い出す。

 

 

「……」

 

違和感、か。

 

 

 

 

ガチャンと強めにノブが回されて、ギィィという音と共に大きく扉が開かれる。

 

 

「失礼します――お、外から見た時よりも充実してるね」

 

 屋上に出てすぐに此方を見ず、学園生活部で育てている菜園の様子を見て呟く男。その全く緊張しない様子に少しだけ私は苛立ち、此方から近付いて男の横へと立った。

 

「それで、『二宮金次郎』の名前を語る貴方の目的は何?一体如何して此処に来たのかしら?」

 

『俺の名前は二宮尊徳。漢数字の二に宮殿の宮、尊敬の尊に人徳の徳だ。いい名前だろ?』

 

 先ほど部室でそう自己紹介をした男の名前を聞いて、私は即座にピンと来る者が居た。何処の小学校にも大抵置いてある二宮金次郎像……彼の本名は、尊徳という。無論それだけでは単なる偶然の一致というだけだが、その後の彼に問題があった。

 

『なー、尊徳』

 

『……』

 

『尊徳?』

 

『……ん、あぁ悪い。考え事をしていた』

 

 こんなやりとりが彼是数回。流石に耳が遠かったでは通らない。では、この男はどうして自分の名前を呼ばれていたのに反応することが出来なかったのか。

 

答えは単純。この男の名前ではないから。

 

「ふーむ、少し馬鹿にし過ぎたか?……いや、金次郎の本名を知っているなんて、今時の高校生にしちゃ随分と物知りというか――」

 

「お願いだから誤魔化さないで答えて頂戴。私としても、無理に貴方を追い出したい訳ではないのよ」

 

 この男が巡々丘学院の教師や何かだったらまだ信用出来た。生徒と言い張るのは無理があっても、用務員や外部講師と言われれば納得したかも知れない。だけど男は偽名を使った。偽名を使うということは、名前を知られると不味いという事だ。

 

そして私の義務は、あの人が残した学園生活部の維持と部員を守る事。

 

「だけど不安要素は取り除いて置きたい……分かるでしょう?」

 

「ふーむ……」

 

男は無精髭の生えた顎に手を当てて思考する。

 

 これだけ言っても煮え切らないという事は、やはりこの男――面倒くさいので二宮。二宮にも只ならぬ理由があるという事なのだろう。そう観察して判断を下す私の視線に気付いたのか、二宮はゆっくり肩を竦めた。

 

「……いや、別に本名を教えても構わない。実際問題、別に俺の名前が呪われてるとか、命を狙われているとかそんな事はない」

 

「じゃあ、何故?」

 

「その結果判明する『何か』が、少しだけ怖いんだ」

 

二宮は笑った。まるでこの死者に囲まれた地獄で、天国に居るかのように笑った。

 

「でも、二つ目の質問には答えよう。何をしに、どうして此処へ来たのか」

 

 二宮は一歩下がって片手を後ろに回し、背中に背負っていた鞄を私に見えるように置く。そうして開いた中身――パッと見で食料や電池などが入った鞄に腕を両方突っ込み、ゴソゴソと格闘した。

 

「……っと、これだ」

 

「ラジオ……ですか?」

 

彼が頷く。私が呟き混じりに答えた通り、それはどう見てもラジオだった。

 

「数時間前――えぇと、今からだと十二時間位前にかな、このラジオがある電波を受信した」

 

「……」

 

 言いながら電源をつける。二宮が様々な局番に合わせて軽く耳を澄ませていたが、私の耳に届いた限りだと全て雑音しか流れて来なかった。

 

「多分全文は『お願いです、どうか助けて下さい。私はなんちゃら、私の友達又は知り合いが何かの最上階に居ます』……こんな所だろう。兎に角その要請を受けて、俺達はこの放送の発信者を探すことにした」

 

 これで一つ、二宮についての疑問に納得がいった。どうして危険度の高い学校に来たのか、という事だ。つまり、彼の目的は元から高い建物の最上階を調べる事であり、彼が出て来たという駅前から近い建物が偶然此処だったという話なのだろう。

 

……が

 

「俺達、と言いましたか?」

 

「ん、まぁね。元々三人で動いてたんだけど、ちょっと失敗して俺が囮になった」

 

 ケロリとそう答えて『あいつらどうしてるかなー』などと呟く。その一般人の反応とは余りにもかけ離れた二宮の仕草に、私は少しだけ悪寒を覚えて後退さる。

 

「それで、別れ際に流れ解散になって、俺は折角だから捜索を続けようと思った訳」

 

可笑しい。それは余りにも、変だ。だって――

 

「此処に来ないで合流は出来なかったんですか?」

 

「あー……」

 

二宮はほんの少しだけ表情を変えた。薄ら笑いから、苦笑へと。

 

「それは俺も考えたんだけどさ」

 

 鞄にラジオを仕舞い、鞄を背負いなおして男は屋上の端へと向う。そこからは、夕陽に照らされた校庭とその反射した光に誘われて歩く彼等の姿が見える筈だ。

 

「多分、もう会えないんじゃないかな。奴等とは」

 

「――貴方は」

 

夕陽を背後に佇む二宮――男の顔は。

 

 

それでも楽しげに、微笑んでいた。

 

 

 

「変だな」

 

「変でしょう?」

 

 先の話を胡桃に話して、代わりに彼女と二宮が出会った階段での会話を少しだけ教えて貰った。何故か出会い頭の事だけは教えてくれなかったが、そこは大して重要じゃなさそうなので追求はしないで置く。

 

それよりも気になるのは――

 

「ぞきゅん……?」

 

「多分そう言ってた。外に居る奴等のことあいつがそう呼んでるんだろうな。でも、気になったのはその後だよ」

 

「変わったのはぞきゅんではなく俺自身……という所ね」

 

 このぞきゅんという言葉も、二宮が語るこの学校へ来た経路というのも、よくよく考えてみれば到底理解出来ない物だった。駅前に居る筈の、彼等の大群を見た後で平然と学校へ向かう、その精神はどう考えても異常だ。けれど――

 

「ラジオの放送、ねぇ」

 

「嘘ではないと思うわ。十二時間前に、その音声をラジオで聞いて来たらしいの」

 

 それについては信用しても良いと思う。まだ出会って間もないが、私もまた彼に危険性がない事は心の何処かで分かっているのかも知れない。

 

……戻ったら、彼に一度謝りにいこう。

 

そう思い、胡桃の肩に手を伸ばした。

 

「――あ」

 

しかしその手が届く前に胡桃は顔を上げて、ゆっくりと此方を向く。

 

その瞳には、恐怖。

 

「分かったかも知れない……違和感の正体」

 

「……」

 

彼女は震える両手をゆっくりと持ち上げて、自身の顔を隠した。

 

「あいつ、言ったんだ。私に、余り奴等を殺した事が無いだろうって。服装とか、感染予防が甘いって、平然と言ってたけどさっ」

 

思い出すのは、学園生活部に入る前の二宮の仕草。入る前に、必ず左右を確認する――

 

ゾッとした。

 

「だって、まだこうなってから()()()しか経ってないのに……学校に隠れて、外が怖いから手持ちの食料だけで何とかして、それだけで私達は過ごして来た……よな?」

 

彼女の指の隙間から覗く瞳は、不安げに揺れていて。

 

 校庭で彷徨う彼等を含めて、身体の一部が欠損したり腐っていたりする者達。同じ人間であった存在から底知れぬ恐怖を感じて、そうして胡桃は……

 

彼女は。

 

「ねぇ、戻ったら二宮さんに直接聞いてみましょう」

 

「……分かった」

 

彼女の背中に手を回して優しく撫でて、胡桃が愛用しているシャベルを持つ。

 

そして、私達は屋上を後にした。

 

 

「……」

 

あのよく分からない男が一体何を抱えて此処へ来たのか。それは少しだけ、私の好奇心を揺さぶって。

 

 

好奇心は猫を殺すという諺がある。

 

 

 

馴染んでいる。

 

 

戻って来た時の私……恐らくは胡桃も同じ事を考えていただろう。

 

「じゃあ二宮さんは遠い所から来たの?」

 

「そうそう、ちょっとこの辺りで流行ってる伝染病の調査にね。丈槍ちゃんは聞いた事ないかな?『多臓器不全及び反社会性人格障害』って言うんだけど」

 

 飄々とした態度で二宮が口にしたのは聞いた事もない長く難しい病気の名前。多臓器不全は分かるが……反社会性人格障害というのは、一体どういう病気なのだろうか。チラと二宮に視線を向けると、気配で気付いたらしい男が振り返って鼻先に右手の人差し指を立てる。……少し待てと、そういう事らしい。

 

二宮が視線を由紀に戻すのと一緒に私も由紀を見る。

 

「え、えーと……?たぞうきふ、ふぜん?」

 

「よしよし、それで充分だありがとう。佐倉先生はどうです?」

 

 二宮はまるでそこに誰かが居るように言葉を紡いだ。視線も動かさず、高さを丁度人の辺りに、少しの笑みを浮かべながら。

 

……やはり、この男はどこかおかしい。

 

「だよねー、めぐねえも聞いたことないよねー?」

 

「そうですか、有難う御座います」

 

二宮はそう言って少し考える素振りを見せ、不意に視線を上に向けた。

 

「――っと、もうこんな時間か。若狭さん、もし良ければ何処か空いている部屋を借りても?」

 

 どうやら時計を見ていたらしい。現在の時刻は七時半、外は既に暗く今から此処を出て行くのは危険だろう。私は椅子に座って静かに話を聞いていた胡桃と視線を交わし、彼女がコクリと頷いた事を確認して何もない場所に――佐倉先生に向き直る。

 

「先生、二宮さんを一晩泊めさせてあげては如何でしょうか?もう外も暗くなってしまいましたし、学園生活部の仮体験という事で」

 

「いやいや、本当に屋根だけあれば充分なんだけどね」

 

……。

 

暫くの沈黙の後、口を開いたのは由紀だった。

 

「やったー!じゃあ二宮さんも今日は学校に居るんだっ!」

 

 どうやら許可を貰えたらしい。思わず零れた笑みが零れるが、男がニヤニヤしながら此方を見ているのに気付いて慌てて隠す。理由はないが、この男に笑っている顔を見られるのは何故か気に食わなかった。

 

二宮は椅子から立ち上がり、鞄を背負って扉へと歩き出した。

 

「では、何処か眠れる場所を見つけてそこを借りるとしますよ。一応場所を決めたら、寝る前に此方へ挨拶に来ますので」

 

「おーい二宮、出来れば三階にしてくれよ」

 

胡桃の言葉に軽く頷いてそれでは、と頭を下げて出て行った。

 

「面白い人だったねー」

 

「……そうだな」

 

「……」

 

 私と胡桃が屋上で話していた間、二宮と由紀がどういう話をしたのかは分からない。けれど由紀の様子から見て、少なくとも男が上手に彼女の話に合わせたであろう事は分かった。

 

大した説明も聞かず、噛み合わない会話のまま男は由紀と話して見せたのだ。

 

「……それじゃあ、そろそろ寝る準備をしましょうか」

 

「うしっ、そうだな……ゆき!資料室戻って布団敷きに行くぞ!」

 

「あいさー!」

 

 ガタガタと動き始める二人を見て、私は一度ドアを開けてすっかり暗くなった廊下の先を見る。この生徒会室は当初鍵が掛かっていたから綺麗な状態で残っていたものの、他の部屋は全て壊滅的な状態。一体あの男が何処で寝るつもりなのか、私は少しだけそれが気になって――

 

「りーさん、外出ないの?」

 

背後から由紀の声。思考を中断して振り返る。

 

「……えぇ、御免なさい」

 

 

多分、あの男なら自分で何とかするのだろう。

 

 

 

 

『化学実験室を借りさせて頂きますね、佐倉先生』

 

 二宮がそう言って生徒会室へ戻って来たのは、丁度私達が消灯しようとする数十分程前だった。鞄をもうそこへ置いて来たのだろう身軽な格好の男は、軽く由紀と胡桃と言葉を交わしてから佐倉先生と――恐らく私に向けてそう言った。

 

その意味する所は、多分――

 

夜。

 

 

「すう……すう……」

 

 時刻は夜十一時。動いているのはどこの学校にもある音のならない時計と、端っこでゆっくり上下する由紀の寝袋だけ。寝息は、一つ。私は顔を廊下から隣の寝袋へと動かした。

 

「……寝てるかしら?」

 

「……あぁ、バッチリ」

 

隣の寝袋で寝ていた胡桃と共に静かに身体を起こす。

 

「さて、行きましょうか」

 

 目的地は男が居るであろう化学実験室。私と胡桃は立ち上がり、由紀を起こさないように静かに扉へと近付いて行く。

 

手を伸ばして扉を開こうとした私に代わり、胡桃の手が背後から伸びて扉に何かを仕掛けた。

 

「これ貼っとこうぜ」

 

「あら、良いわね」

 

『お手洗いに行ってきます。すぐ戻るよ!』と書かれた張り紙。胡桃と顔を合わせて笑い合い、私達は扉を開けて廊下へと出た。

 

カチリと私が懐中電灯を点け、胡桃が背中からシャベルを抜く。

 

「うーん、やっぱ不気味だよなぁ。夜の学校」

 

「お化けとか出るかもしれないわよ?」

 

「ちょ、やめてくれって本当に!」

 

 夜のバリケードチェックをしている時のような感覚で私達は廊下の向こうにある化学実験室を目指す。一つ違う点があるとすれば、これから確認しに行くのは人間の正体だという事くらいか。

 

そんな事を考えている内に、懐中電灯の灯は『化学実験室』の看板を照らして。

 

閉められた扉からは薄暗い灯が漏れていた。

 

「……開けるぞ」

 

「えぇ」

 

胡桃がシャベルを背中に戻して扉に手を掛け――

 

横に引いた。

 

「お……どうも若狭さん、恵飛須沢さん」

 

男、二宮尊徳は然程気にした様子もなくそこに居た。

 

 

化学実験室は滅茶苦茶のままだったが。

 

 

 

 

しかし、生徒会室以外に寝れる場所なんてあるのだろうか?

 

「ふーむ……」

 

 暗い廊下を歩きながら目に見えていく看板を確認して物色していく。放送室、LL室、音楽室……ドアの隙間から覗いた教室内は、何処も彼処も倒れた机と血痕やら埃やらでとても寝れる状態ではない。

 

――その先に、二つの看板を見つけた。

 

「化学実験室……もしかしたら、準備室は生きているか?」

 

 自分が高校生だった時の記憶を思い出す。基本的に、準備室と名のつく物は大抵鍵が閉まっているのが道理だ。特に先の教室達で気付いたが、直接教室と準備室が繋がっていないタイプはその可能性が高い。俺はとりあえず化学実験室の中を確認してから、準備室の扉に顔を近付ける。

 

『――……』

 

「……あちゃあ」

 

そっと顔を離して実験室の方へと入り、鞄を下ろす。此処も充分汚れているが、しかし本気で寝れば何とかなるだろう。机の上を拭いてそこで寝るのもアリだ。

 

とりあえず彼女達が来る前に片付けて置くべきか。

 

雑巾に手を伸ばした。

 

 

 

カラカラと扉が引く音に反応して見れば、そこには見知った少女達の姿。

 

「お……どうも若狭さん、恵飛須沢さん」

 

「「……」」

 

両者とも無言のまま此方へと近付き、机に座る俺の正面へと立つ。

 

「まぁ、聞きたいことも色々あるでしょう。とりあえず机に座って下さいよ」

 

 先ほど雑巾で念入りに拭いた反対側の机を示すと、彼女達は顔を見合わせてから渋々といった様子でそこへ座った。……いや、確かに机に座るというのは人間的に抵抗を覚える行為ではあるが、ガラスの破片が不規則に散らばる床よりはマシだろう。

 

二人は少しの間沈黙して、やがて口を開いた。

 

「聞きたい事があって来ました」

 

「出来る限りお答えしますよ」

 

 端的に答えて質問の許可を尋ねてきた若狭の言葉を待つ。彼女は一度自身の顎に手を置いて何かを考え、そして此方を見た。

 

「色々と聞きたい事はあるんですが……そうですね、貴方が此処へ来て分かった事を教えて貰えませんか?」

 

 ゴクリと、隣に座っていた恵飛須沢が息を呑む音が聞こえた。完全に黙っている辺り、彼女はあまりこういう駆け引きが得意ではないのだろうか。そんなどうでも良い事を考えながら、俺は若狭からされた質問を反芻する。

 

此処へ来て分かった事、か……。

 

「うん、良い質問だ。実に良い質問、聞きたい事を上手く纏めたね。お陰で、むしろこっちがどれから答えるか悩んでしまう位だけど――まぁ、そうだな」

 

しかし、最初に彼女達に伝えるとするならば。

 

 

「多分俺はこの世界の人間じゃあないんだろう」

 

「……っ!」

 

「……理由も、お聞かせ願えますか?」

 

 驚愕の表情を浮かべる恵飛須沢と、驚愕しつつもその先を求める若狭。俺自身頭の中で証拠を整理して、それを片っ端から口に出していった。

 

「最初に気になったのは巡々丘駅。俺はそれまで元居た場所の周囲は把握しているつもりだったが、そんな駅の名前は聞いたことが無い」

 

特に体力のない己にとって、地形把握と場所把握は非常に重要な生命線。

 

「次に、外に居る奴等の様子。俺が少し前まで追い掛けられてた奴とは様子が違った」

 

「……それって、見た感じで分かる物なのか?」

 

口を開いたのはずっと黙っていた恵飛須沢。……ゾンビになるとこっちの方が専門、という事か。

 

「症状が大分違うのさ。さっき丈槍さんにも聞いたけど、多臓器不全及び反社会性人格障害ってのは政府が発表した病気の……病気かは分からんが、感染症の名前だ。ZQNってのは病名じゃ長いからって、ネットの奴等が勝手にあいつ等につけた名前。聞いたことあるか?」

 

恵飛須沢と若狭が首を横に振ったのを確認して俺は続ける。

 

「具体的な症状としては、初期段階が風邪もどき。噛まれた場合はそれを通り越して急激な発症。段々発言が覚束なくなって呂律が回らなくなり、最終的に人に噛み付く。最大の特徴は走る事かな」

 

「……走るんですか?」

 

「あぁ、走る。それもかなりの速度で」

 

「うわぁ」

 

 少し驚いたように口に手を当てる若狭の隣で苦笑する恵飛須沢。無理もない、彼女達の知る彼等……ゾンビが走ってくるというのは、経験のない者にとっては衝撃以外の何者でもないのだろうから。

 

……もう一つの衝撃は、黙って置く事にする。

 

「此処で根拠二つ目。偶々入った雑貨店を抜けたらもうZQN……奴等は走って来なかった。反応も鈍いし、見た目からしてZQNとは別物だった」

 

「確かに、逃げ込んで抜けた場所から急に変化するなんて事は有り得ませんからね。……でも、そうするとどうして貴方は此処に辿り着いてしまったのかしら?」

 

「……いや、りーさんそれは」

 

分かったら苦労しないと。

 

俺は床に着地して置いてあった鞄をひっ掴んだ。

 

「考えられる理由……本当に推測だが、もしかしたらラジオで音を拾っちまったのが原因かも知れない。というかそれ以外は普段通りだった筈、なんだけどなぁ」

 

 此処へ来てから一度も役に立っていないラジオを恵飛須沢へと手渡す。彼女が興味津々といった様子で弄り回しているのを横目で見ながら、俺は若狭と向き合った。

 

確実に断言出来る証拠は、もう出尽くしてはいる。

 

「もう確定したから言っちゃうけど、多分俺の本名は日本国籍にないんじゃないかなぁ。同じ名前位はあるだろうけど、同年齢で見た目同じなんて都合の良い事もないだろうし……」

 

「話が本当なら、充分に有り得てしまう可能性ですね……」

 

日本ではある筈。彼女達は日本語を喋り、俺は日本語を喋っているから。

 

とはいえ、まだ可能性も捨て切れない自分が居る。

 

「――よし、証明しよう」

 

「……え?」

 

「……ん?」

 

 不思議な顔をする二人を無視して立ち上がり、机に置いた鞄から何時も口に巻いている布を取り出す。それを口に巻いて、ズボンの腿ポケットから包丁を取り出した所で漸く二人が慌てて立ち上がった。

 

そのまま数歩後退り、恵飛須沢が若狭を守るような形でシャベルを構える。

 

「……」

 

「……いや、別に君達を刺して確かめるなんて事はしないけど」

 

包丁を一旦机に置き、俺は黒板まで歩いて横の壁を叩いた。

 

「多分、準備室に一体居る」

 

「……っ!」

 

焦った表情を見せたのは恵飛須沢。

 

「その様子だと、三階を制圧したのはつい最近なのか?」

 

「……えぇ、まだ全ての準備室は見切れてないわ。鍵の所為で」

 

 そして答えるのは若狭、と。司令塔と突撃兵というのが適切だろう、良いコンビである。シャベルを置いて俺の傍まで駆け寄ってきた恵飛須沢と代わって、今度は俺が若狭の横に移動した。

 

「……ねぇ」

 

壁に耳を当てて沈黙する恵飛須沢を眺めていると、隣の若狭が声を発する。

 

「ん?」

 

「その、ごめんなさい。疑って悪かったわ」

 

見れば、そこには年相応の申し訳なさそうな少女の姿。

 

可愛かった。

 

「気にしてないさ。……それより、準備室の鍵は?」

 

「……職員室にはなかったから、多分誰かが持ったまま感染しちゃったんだと思う」

 

 生徒会室の正面に職員室があったのを思い出す。随分変な作りの学校だとは思ったが、今回ばかりは此処で暮らす少女達の為になった。これなら喜んで税金も支払ってあげるのだが――っと。

 

恵飛須沢が駆け寄って来た。

 

「くるみ、どうだった?」

 

「……声は聞こえなかったけど、物音はした」

 

「可能性が一番高いのは、噛まれたまま扉を閉めて発症……かね」

 

「だな、とりあえず倒せるなら倒しちゃいたいけど――」

 

彼女が詰まった理由も分かる。やはり、鍵だ。

 

「ちなみに御二人はピッキングは?」

 

「映画じゃないんだから出来ねえよ!……無理だよなりーさん?」

 

「出来るみたいに言わないで頂戴。残念ながら、私も未経験です」

 

まぁあったら犯罪だろう。勿論自身もやったことが無いのでどうにも出来ないのだが――

 

その為の道具なんかは少しだけある。

 

「つまようじとかじゃ厳しいかね?」

 

「「……」」

 

若干冷ややかな目で見られてしまった。

 

 

渾身のギャグだったのに。

 

 

 

ガチリ、という微かな音と共に準備室の鍵が外れる。

 

「……ふぅ」

 

「はぁ……はぁ…」

 

少し疲れたように額に腕を当てる胡桃と、息切れしている二宮。

 

 結局あの後二宮が鞄から取り出したドライバーやピンセットといったよく分からない道具を使って色々と試してみて、最終的に鍵自体を取り外してしまうという結論に至った。鍵穴を攻略するより鍵自体の攻略の方が楽だと猪突猛進コンビが言い出したのだ。

 

それでも中にいるであろう者を刺激しないように静かに、だが。

 

「……二人共、お疲れさま」

 

廊下に座り込んだ二人に向けて激励の言葉を向ける。振り返ったのは胡桃だった。

 

「おう……なんでお前はそんなに疲れてるんだよ」

 

 チラリと視線を彼女の隣に向ければ、仰向けになってゼイゼイ息をしているおっさんの姿。大人の筈の彼がどうして胡桃よりも疲れているのか――答えは男の口から漏れ出た。

 

「き、緊張したぁ……」

 

「格好良さの欠片もないよな、二宮」

 

それに対しても乾いた笑いを返す男。場が微妙な空気になった所で、二宮が立った。

 

「さ、さて……それじゃ開けるけど、此処でお願いだ」

 

男は片手に包丁を掴んだまま、その手を此方に向けずに振り返る。

 

「中は化学実験の準備室、多分色々薬品とかもあるだろうから、出来れば中で戦うことは避けたい」

 

「……確かに、どうする?」

 

言いつつも二人の視線は私に集中する。正確には、私は持っている懐中電灯に。

 

「……私が誘き寄せれば良いんでしょう?」

 

「いやっ、あの、俺が前に立つんで!」

 

 ムッとして一歩男に近寄ろうとすると、男は慌てて両手を振りながら下がる。普段は飄々としているこの男だが、どうやら女性に対する免疫はないらしい。……部室でも噛んでいたし。

 

そんな私達のやりとりを止めるように胡桃が私達の間に立つ。

 

「それで、私はどうすれば良い?」

 

「そうだなぁ……保険として、若狭さんの横に居てくれるとありがたい」

 

「分かった」

 

 胡桃は大人しく私の隣へと立った。この男を連れてくる事を選んだのも彼女だったし、もしかしたら二人にしか通じない何かがあったのだろうか。噛まれていないと、信用できる程の――

 

「……じゃ、開けますよ」

 

無駄な考えは押しやった。

 

カラカラと、戸を引く。

 

「はい、ライト」

 

「……えぇっ!」

 

 男の少し後ろに立って横から室内を照らす。まだ普通に学生をしていた頃は一度も入ったことがない部屋。沢山の薬品瓶やダンボールが詰まれた部屋の真ん中辺りに人の影――

 

人だった者の、影。

 

『ア、ァ……』

 

懐中電灯の光に反応して此方を向き、一歩歩みを進めて来る。

 

「よし、廊下を下がって行って」

 

「……分かったわ」

 

 開いているドアの下辺りを照らしながら男と共に段々と下がって行く。程なくして、入り口からズルリと音が聞こえそうな姿勢で奴等が出て来た。

 

――奴等……二体!

 

「なぁ、二体居るけど――」

 

「まぁ問題ないと思いたい……」

 

 ヒタヒタと廊下を一歩ずつ歩いてくる。二体の間は大体一メートル、下手をしたら一体を相手にしている最中にもう一体に襲われてしまう可能性もあるだろう。隣で構えていた胡桃が囁くも、二宮は微妙な反応しか見せない。

 

不意に、二宮がもう片方の腿ポケットを開いた。

 

「……くるみちゃん」

 

「お、おぉ、何だ……?」

 

男の顔は、後ろに居る所為で窺えない。

 

「もし噛まれたら、俺が奴等を抱きしめるから纏めてよろしく」

 

「――へっ、言われなくても首跳ね飛ばしてやるよ!」

 

いや、止めて欲しいのだけれど。

 

私の本音も虚しく、男は下がるのをやめてその場に立ち止まった。

 

 

「――」

 

ヒタリ、ヒタリと。

 

「――」

 

彼等との距離が、縮まって。

 

「――よっと」

 

キュっと、短い音が廊下に響いた。多分思い切り踏み込んだ音。

 

最初にライトで照らす事が出来たのは、男が右腕に持っていた包丁を水平に薙ぐ動き。

 

『ガ――』

 

ズブリと。

 

それは寸分違わず首を狙い、半分程まで刺さり込んだ。

 

「――ふっ」

 

そこから先は私の目には追えなかったので、胡桃から聞いた話を元にする。

 

 二宮は即座に刺さった包丁を手放し、若干その場で立ち止まって揺れた方の頭を『蹴り抜いた』。腐敗が進み、包丁が首の中間辺りまで刺さったソレは、簡単に宙を舞って廊下へと落ちる。その次の瞬間には、先ほど開けて置いたポケットから取り出したのであろうもう一本が吸い込まれるようにしてもう片方の首に刺さっていた。今度も男はそれをすぐに手放し、再び片足を軸にして――

 

蹴り飛ばした。

 

「ぐぁ!?」

 

 余った蹴りの力と床の血がまるで狙ったかのように、男の軸足を滑らせ頭を地面へと叩き付けた。ゴツンと、形容し難い鈍く重い音が廊下に響き渡る。

 

「……」

 

「……」

 

「いだだ、いった、いぃ……」

 

ゴロゴロと、頭を抑えて転がる格好悪い男。

 

それでも――

 

「……す、げ」

 

「……」

 

 

ザワザワと鳥肌が立つのを感じていた。きっと胡桃も同じ気持ちだったのだろう。

 

間違いなく、私達はこの男の強さに魅せられていた。

 

 

「うぐ、ぐぐ……」

 

……格好良いとは、思わないけれど。

 

 

 

そして現在に至り、俺は巡々丘学院高校の臨時講師となった。

 

「丈槍、そろそろ二階の工事が終わるんだ。それまでにこの元素記号全部覚えられたら貸切で連れてってやるぞー」

 

「本当にっ!?購買も使えるようになるのっ!?」

 

寝ていたと思った『由紀』がガバリと身体を起こして立ち上がる。……チョロい。

 

「図書室もいずれ、な……で、どうする?」

 

 丈槍があの元素記号を覚えるのに恐らく一週間は掛かるだろう。それだけ時間があれば、俺と『胡桃と悠里』とで何とか制圧出来るかも知れない。少し不確定な約束だが、まぁ良い目標になるだろう。

 

当然の如く、彼女は悩まなかった。

 

「やります!」

 

「良し」

 

「だから教えて下さいっ!」

 

 全く反省の色が見えない由紀を眺めて、肩を竦めてから彼女の机へと向かう。笑顔で此方を見上げる彼女のノートに、よく分からない下手糞なラクガキを発見して、それを突っ込もうとして――

 

「……はぁ」

 

諦めた。

 

「……?せんせー、疲れてます?」

 

 

高校時代の教師へ一言。

 

 

馬鹿やってごめんなさい。

 

 

 

 




一応私はアニメ版と原作両方を踏破しています、が。

 どちらの部分をどれ位持って来れるかは不明です。出来れば時系列の重なっていない部分は全部書いていきたいですが、太郎丸の話なんかは今後に大きく影響が出そう。

……どうしよう。


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