そして、前の更新分と時系列が前後してしまいましたが、前の物は番外編なので……と考えて頂けたら幸いです。
週の始まり月曜日。
どんなに人生に悩んでいても
どんなに人生を楽しんでいても
誰にも平等に訪れる、憂鬱だけど爽やかな月曜日。
そして、そんな月曜日は、
先週金曜日に同級生の少女に“本人は解っていないけれど《恋》っぽい物”をして
“《変身ヒーロー》のような者”に変身して
“《怪人》としか表現できない者”を倒し
次の日 土曜日には、件の少女と“《ふたり》でお出かけ……すなわち《デート》かもよ”を人生で初めてして、
祖父母に厳命され、人生で初めて《携帯電話》に触れた少年のところにも当然やって来た。
いつもより、かなり早く目が覚めてしまった『中沢 元国
いつもより、かなり早く家を出て
いつもより、かなり早く学校にたどり着き
いつもより、かなり早く教室に着いてしまったのだった。
「おはよ……う」
当然ながら、教室には誰もいなかった。
眼に優しい淡い朝の光と爽やかな空気に満ちた教室に、中沢の空振りの挨拶が、虚しく響く。
なんとなく、ある席に視線を移す中沢。
そこは、彼女の席。あの夜、自分が戦う理由にしてしまった少女『鹿目 まどか
いつもそこで、彼女は授業をうけて、友人達と笑い合っている席だ。
確かめるまでもなく、今はまだ彼女の姿は無い。
「まだ7時半にもなってないし……当たり前だよね。アハハハ」
ふと中沢は、今まで特に意識しなかった“あたりまえのコト”を、なぜ改めて意識して考えているのか胸中で首を捻りつつ一人さびしく呟き、空席ばかりの教室で律儀に自分の席に「ぽつん……」と腰を下ろした。
早速、中沢は制服のポケットから携帯電話を取り出した。
そして続いて、ナップサックから分厚い携帯電話の取扱説明書を取り出す。
この、中沢の人生初の携帯電話は、まどかの携帯を修理に出すのに同行し、ついでに彼女に見繕って貰った物だった。
中沢本人としては、携帯は出来れば持ちたくなかったし、そもそも全ての機能を使いこなす自信もなかった。
しかし、祖父母から「持ちなさい……!」と厳命されてしまったのだから仕方がない。
物凄く心配させた上に、ワガママを言う度胸などチョロ沢に有るはずもなかった。
しかし今、中沢には心強い味方がいるのだ。
そう、この携帯を選ぶのも協力してくれた鹿目 まどか その人である。
中沢が携帯電話の機種を選ぶ際、「教えてあげやすいから、わたしと同じのとかどうかな……?」という助言の下、彼女の物と色違いの携帯を選んだのだ。
女性というか……まどかと“お揃い”である事を嬉しく思うべきか? 恥ずかしく思うべきか? 中沢には分らなかったが、心強い味方である事は確かだ。
しかし、彼女に“おんぶにだっこ”という情けない真似はできないし、したくない。
謎のカタカナ言葉が躍る文章と格闘する事数分という所で、教室の扉が開いた。
「あれ? やぁ、中沢じゃないか? 今日はずいぶん早いんだね?」
「上条か。おはよう」
扉を開けたのは、クラスメイトの『上条 恭介
恭介は、ここ見滝原中学校だけに止まらず、見滝原市全体で、《天才少年ウ゛ァイオリニスト》と知られ、将来を嘱望された有名人だった。
しかし恭介は、その才能や功績を鼻にかけない人柄からなのか、いたって平々凡々な中沢とも不思議と気が合った。
音楽と言えば
CDを購入し
プレイヤーに入れ
再生し
聴いて
毎回、決まって
「いい歌だぁ……うん、買って良かった。あ、またケースの袋もらうの忘れた……」
と、何の捻りも無い感想を言う事しかできない上、リコーダーはもちろんの事、鍵盤ハーモニカすらままならない中沢は、同い年ながら恭介を心から尊敬していた。
「おはよう、中沢。それにしても早いね? 先を越されたかぁ……悔しいなぁ。ハハハ」
恭介は自分の席にカバンを置くと、屈託の無いさわやかな微笑みを浮かべ中沢の席の横に立った。
「いつも早いな。上条は」
「誰もいない教室だと、何となく、音符が心に沁み込む易い……楽譜が憶え易い気がするんだ。ハハハ」
どこか照れくさそうにセピア色の髪を、さらり……と掻き上げる恭介。
そして、中沢の手元の携帯電話に気が付いた。
「あれ? ケータイ? ついに買ったんだね。『なんだか通信が傍受されそうで怖いし。そもそも電話自体、架けるのも架けられるのも苦手だ』って言ってたのに……。どういう心境の変化だい?」
「いやぁ、なんていうか。うん……まぁ、いろいろ思うトコロがあったんだ。使いこなす自信ないけどな……」
他愛のない気安い軽口を交わし合う中沢と恭介。
「ハハハ……。でも、なんだか嬉しいよ。なんとなく行き詰った時、気兼ねなく話せる相手って……ボクには、さやか くらいしかいなかったからさ……」
微笑を困った様な苦笑に換えた恭介は、さやか……彼の幼なじみである『美樹 さやか
「うれしいコト言ってくれるなぁ……。でも、その言い方じゃ美樹さんじゃイヤみたいじゃないか? ファン第一号は大切にしないとダメだ」
つられて苦笑する中沢だったが、親友の『友を軽んじる様な発言』をたしなめる。
「そういうわけじゃ……無いんだけど。なんて言うかな……その、ほら、男同士の方が話しやすい話題や悩みって有るじゃないか? さやか とは話しやすいけど、やっぱり彼女は女の子だからさ……」
「うーん、なるほど……そうだよな。ごめん、余計なコトだった」
お互いにバツが悪そうに笑い合う恭介と中沢。
「いや、でも他ならぬキミが、さやかの為に言ってくれたコトだ。謝るならボクの方さ……」
恭介は笑みを消し、真剣な眼差しと口調で中沢に頭を下げた。
「それで、その、物は相談なんだけど……。改めて、ケータイの番号とアドレス交換してくれないか?
頼むよ中沢」
再び爽やかな微笑み、制服のポケットから自身の携帯電話を取り出して見せる。
「ああ、もちろんだ」
「赤外線通信で出来るよ……」
「……赤外線? レーザーかい? あぁいや……ええと、待ってくれ。……これ? 天気予報が出てきた?」
中沢は取扱説明書を、しばしめくり携帯電話を操作する。
しかし、中沢の顔と頭の上は疑問符で埋め尽くされ、全く要領を得ない。
「あぁ中沢……、ボクがやろう。ハハハ……」
「う、うん。その、なんかごめん……」
「まぁ、慣れだよ。こういう物はさ」
バツが悪そうに苦笑し合う中沢と恭介。
恭介は、中沢の携帯電話を受け取り操作し始める。
「これで良し……と。はい、返すよ。中沢」
「あ、ああ……」
(中沢にとっては)未知のテクノロジーを、苦も無く操作した友人から携帯電話を受け取った中沢は、思わず彼を尊敬の眼差しで見詰てしまう。
「スゴイな。えぇと……ちゃんと、上条の名前が映ってるぞ。ほら!」
「別にスゴくは……あ いや、『町工場の底力』という観点から考えれば、とてつもなくスゴイ事なのかもしれないね。ハハハ」
無邪気に液晶画面を見せる中沢に苦笑しかけた恭介だったが、視点を換えて真面目に考察する彼もまたイイ奴だった。
と、そこで、ある事に気が付いた。
中沢の携帯電話のアドレス欄に、どちらかと言えば馴染みのある人物の名前が有った。
「まどか……?」
恐らくは、さやかの親友 鹿目 まどかのことであろう。
だが、アドレス交換の操作すらままならない上、中途半端に恥ずかしがり屋の中沢が何故、同級生の少女のアドレスを登録しているのだろうか。
恭介には見当もつかなかった。
「もしかして、鹿目さんのことかい?」
素朴かつ率直な疑問を、中沢にぶつける。
「あー……いや、これは その……なんて言うか……。鹿目さんがケータイを修理に出すコトになって! ついでに機種を選んでもらったみたいな? ハハ、ハハハ……」
珍しく取り繕う様な物言いの中沢に、流石の天才少年ヴァイオリニスト 上条 恭介も首を傾げずにはいられない。
そもそも、その言い訳(?)では
『なぜ、中沢が鹿目 まどかの携帯電話が壊れた事を知っていて』
なおかつ
『なぜ、二人一緒にケータイショップに行った』
のだろうか? という理由の説明になっていない。
(ん……? これは、つまり“そういうコト”なのか? でも、まぁ中沢はスゴくイイ奴だし。ぜんぜん不思議なコトじゃない? のかもしれない? たぶん?)
しかし、もし“そういうコト”だったとしても、他人のプライバシーをネホリハホリ聞く趣味の無い恭介は、これ以上の追及は控える事にした。
……のだが
「とりあえず、おめでとう。……かな? 中沢」
友人として、彼の状況を最低限、把握する為に“カマ”をかけてみる事にした。
「ありがとう……って、なにが? ケータイのコト?」
しらを切っている風でもない中沢。
そもそも、彼が嘘を吐くのが恐ろしくヘタクソなのは知っていた。
(なんだ、ちがうのか……)
「いや、ボクの勘違いだったみたいだ。忘れてくれ、ハハハ」
そんな、ぶきっちょな友人に、恭介は苦笑するしか無かった。
気の置けない男同士の、他愛のない話。
中沢は「帰ってきた……」と実感し、恭介は「なんか楽しい……」と曖昧に思う。
どこか退屈に感じるが、彼らにとっては大切な時間だ。
「それで? 今はどんな曲を弾いてるんだ? 前に聴かせてくれたのは……確か……も? も、モンテスキューだったけ?」
「モンテスキュー……たぶん、モーツァルトのことじゃないかな? それじゃフランスの社会思想家になっちゃうからね? まぁ今も、モーツァルトがお気に入りかな。それから、さやかのリクエストで最近の歌謡曲も、いろいろつまみ食い中ってカンジかな。ハハハ」
当初の目的である「譜面を覚える」はサボってしまった恭介だったが、友人と“こういう感じ”も悪くないと、心からそう思う。
そうこうしている内に、教室にクラスメイト達が一人、また一人と集まり始めた。
皆、口々に朝のあいさつや軽口の交わしあい、各々の席で鞄を置き一時限目の準備をしたり、もうひとねむりをしたりと、思い思いの日常が静かだった教室を一気に賑やかな物にした。
恭介との会話が途切れたふとした瞬間、何気なく彷徨わせた中沢の瞳が、あの綺麗な桜色の瞳と重なった。
鹿目 まどかに間違いなかった。
中沢の思考と身体が、一気に緊張で硬くなってしまう。
当の まどかも、何処かぎこちない笑顔で教室に入る。
ぎこちない笑顔のままクラスメイト達と挨拶を交わしながら、やはりぎこちない足取りで中沢と恭介に歩み寄ってくる。
「鹿目さん、おはよう」
「おは……おはよう、上条くん」
爽やかな恭介の挨拶にも、ぎこちない表情のまま応える まどか。
何故か中沢は、彼女から視線を逸らして顔を赤くしたり青くしたりと忙しい。
「えっ……とっ!」
一方、まどかは覚悟を決めた様に頷くと、勢いを付けて中沢に向き直り、彼の顔を真っ直ぐに見つめて口を開く。
「お、おはよう、中沢くん……。え、へへ……」
「や、やぁ鹿目さん。おは、おはよ……う。ハ、ハハハ……」
顔を上げた中沢。
そして彼を見つめる まどか。
二人の瞳が真っ直ぐに重なる……
ということは無く。
視線が重なりそうになると慌てて右に左に、上に下にと、示し合わせたかの様に息ぴったりに同じ方向に顔を逸らし合いながら挨拶を交わす まどか中沢。
「えと……その。じゃ、じゃあ……」
「え……? あ、うん。じゃあ……」
二人そろって硬くぎこちない動きで手を振ると、まどかは逃げる様にそそくさと自分の席へ行ってしまった。
そんな彼女の背中を気遣わしげに見送る中沢。
まどかが席に着き前を向いたと同時に、慌てて視線を前に戻した中沢は、ぐったり……と重々しい溜め息を吐いた。
(これは、なんというか……なかなか重症らしいなぁ)
一方、友人のじれったいが初々しい反応に、恭介は何やら微笑ましい気分になった。
が、すぐに音楽家としての瞳が光る。
(しかし、これが“恋”をするってことなのか……? なるほど勉強になるなぁ。あの曲は、もっとこの感じを表現するべきだったのか……)
そんな事を考えている恭介の背後に誰かが立った。
そして、そっと恭介の肩を叩いた。
このリズムで自分の肩を叩くのは、彼女しかいない。
恭介は振り返る前に口を開いた。
「さやか、おはよう」
はたして、振り向いた恭介の視線の先に、クラスメイトで幼なじみの『美樹 さやか
少し戸惑ったような顔が有った。
「……おはよっ、キョースケ。それにしても、相変わらず……後ろに目がついてんじゃないの? ってカンジだね。しびれるよ!」
さやかは、気を取り直して弾けるような笑顔で恭介の挨拶に応える。
「ハハハ、そうでも無いよ。まぁ、でも、さやか だったら多分100パーセントわかると思うけどね」
「へ!? え!? そ、そう?! それは、なんてーか……、あははは……!」
爽やかに微笑む恭介。
そんな彼の、そこはかとなく恥ずかしいセリフに照れた さやかは、努めて豪快に笑って誤魔化した。
「と、ところでさ。まどかの様子が朝からなんかヘンなんだけど……。キョースケなんか知らない?」
仕切り直す為に咳払い一つした さやかは、何処か落ち着かない様子で座っている親友を指差しつつ恭介に尋ねた。
「さやかでも解らないならボクじゃ見当もつかないよ……。」
まどかに向けられた さやかの人差し指を、優しくひっこめさせると微苦笑で彼女の質問に答える。
「あ、でも、いくら心配だからってムリヤリ聞き出す様なのはダメだからね? 親しき仲にも礼儀ありだよ」
が、すぐに真剣な面持ちで、真っ直ぐ過ぎて時として思慮を欠いた行動をとる所の有る幼なじみを嗜める。
「わ、わかってるって。こころの準備中ってヤツ? それくらいは待つよ。ワタシ、まどかの親友だしね! ってつもりなんだけど……」
「なんだけど……?」
さやかは友達思いの真剣な顔で頷くが、何事かを言いよどみ、眉をしかめて首を捻る。つられて恭介も首を捻る。
「うん……。物憂げな表情でため息をついたり、切なそうに儚く微笑んだり……かと思えば……顔を赤くして嬉しそうに微笑んだりしてさ……。そんな、カワイイまどかを朝から魅せ付けられる美樹 さやかちゃんの理性は脆くも陥落寸前ですよ! 今、ワタシは、あのコの全てに興奮してしまう自信が有る……! まどか、末恐ろしいコ……。流石はワタシの嫁!」
あたかも、悲劇の主人公を演じる舞台役者の様に頭を抱えて、大きくかぶりを振るい嘆く さやか。
「さやか、なに言ってんの? ワケが解らないよ? というか、女の子が教室で興奮とか言わないでよ」
恭介は、真剣な顔で可笑しな冗談ばかり言う幼なじみに苦笑いをするしかなかった。
一方、中沢は一連の幼なじみ同士の余人には侵し難いやり取りに気まずい気持ちになって言葉と口調を選ぶ。と同時に、なぜ女性とはいえ友人相手に緊張しているのか、自分でも解らなかった。
「ええと……。美樹さん、おは……おはよう」
考えた上で、なんの捻りも面白みも無い普通の挨拶になってしまった事に、中沢は自分のチョロい語彙に軽く絶望の様な物を覚えていた。
「おはよっス。中沢」
そんな中沢の本当にどうでもいい絶望感など知る由も無く、気さくな笑顔で挨拶を返す さやかだったが……
「……まさか中沢、アンタじゃないでしょうね?」
その笑顔をたちどころに厳しい眼差しに換えると、中沢を睨み続ける。
「え? な、な、なにが?」
「先週の金曜、アンタとあのコ保健委員の仕事だったよね……?」
ギクリ……と、中沢の只でさえぎこちない笑顔と思考が、さらに強張った。
「アンタ……、あのコとなんかあった? もしくは、なんかした?」
「な、な、なん、なんか……って?!」
素知らぬ顔で「なんにも無かったよ?」と、はぐらかせば良い物を、ついつい先を促してしまう嘘をつけない中沢は、チョロい良い奴だった。略してチョロ沢だった。
「なんていうか……例えば、アンタがあのコの三角定規盗んだとか……?」
細い指で頬を撫でつつ首をひねる さやか。
「もしくは、リコーダー……? 盗んだとか?」
「な……ん? ぬ、盗まないよぉ……」
ホッとしたら良いのか?
そういう事をするヤツだと思われている事を悲しむべきか?
中沢には判断出来なかったが、彼女が昨夜の“戦い”の件を感じとったわけでは無いらしい事は理解できた。
そして、さやかは さやかなりに、親友である まどかの事を心配している事も、ちゃんと理解でき嬉しくなった。
とその時、クラスメイトがまた一人、教室に入って来た。
「みなさん、おはようございます」
恭しく優しい声の挨拶と共に現れたのは、まどかとさやかの親友『志築 仁美
やや引っ込み思案な まどか
何事も即行動の さやか
思慮深く慎重な 仁美
……と、実にちぐはぐ、実にでこぼこ、な印象を受ける彼女達だが不思議と上手く帳尻が合っている……。
そんな、かけがえのない親友同士なのである。
「やぁ、志築さん。おはよう。さやかがゴメンね?」
「おはよう、志築さん」
ねぎらう様な口調で、仁美の挨拶に応える恭介と中沢。
「中沢君、おはようございます。上条君も、その……おはようございます……」
中沢に微笑み返し、何故か恭介にははにかんだ笑顔を向けて、再び二人に挨拶をする仁美。
しかし、そんな彼女の優しい笑顔は、親友 美樹 さやかに向けられた時には、少しばかり頬を膨らませた、見事な怒り顔に換わっていた。
「さやかさんも……まどかさんも……酷いですわ。お二人して私を置いて、どんどん行ってすまうんですもの……」
仁美が、本当に怒っているという雰囲気を出そうとしているのは明らかだが、持って生まれた優しい顔立ちはどうにもならず、むしろ可愛らしくなっているだけだった。
「あ、あー……うんうん、ごめんごめん。ほら、まどかが心配だったからさ。あははは……」
「そうでしたわ。それで、まどかさんのご様子は……」
さやかは、思わず笑い出してしまうそうな衝動を、何とか苦笑いに止めて、今朝から様子のおかしいもう一人の親友の話題にすり替えた。
そして、意外なほどあっさりと仁美は矛を納めて心配顔で教室を見回す。持つべき物は、まさに親友である。
「あんなカンジ……」
「まぁ……やっぱり、なんだかソワソワ落ち着かないようですわ……」
さやかの視線を追ったその先で、まどかは落ち着きなく身体を揺らしている。
「やっぱり、どこか身体の具合が悪いのではないでしょうか?」
心配そうに形の良い眉を曲げて、仁美はつぶやき首を捻る。
「うーん……。もし、そうだとしたら、まどかパパ……知久おじさんが見過ごすはず無いと思うんだけどなぁ」
かつて小学四年生の晩秋、皆勤賞を狙ってバリバリの発熱状態で両親をも欺き、登校を強行しようとし、まどかの父 知久に発熱状態を看破され皆勤賞の野望を脆くも打ち砕かれた過去を、思い出しつつ首を捻る さやか。
友達思いの二人に恭介は、心から感心しつつ考える。
もちろん、まどかを心配していないわけでは無い恭介だったが、さやか達が必要以上に根掘り葉掘り追及をして、せっかくの観察対象……もとい、友人の“恋”が潰えてしまうのは忍びない。
「特に……顔色が悪いようには見えないし、大丈夫なんじゃないかな。女性同士じゃないと解らないコトもあるだろうから、見ていてあげて欲しいんだ。さやかに志築さん。いざとなったらボクか、もう一人の保健委員に言ってよ。なんでもするからさ。な? 中沢」
「え? あ! ああ、もちろんだ」
真剣の面持ちで頷く中沢。そんな彼に、罪悪感を覚える恭介。
それらを、やり過ごす為に恭介は話題を逸らす様に口を開く。
「そういえば志築さん。ビデオ観てくれたかな?」
つい先日、何年か前のヴァイオリンの発表会の記録映像を仁美に貸した事を思い出した。
彼女の知る以前の恭介の演奏を聞いてみたい、との事だった。
せっかく、彼女が自分のヴァイオリンに関心を持ってくれた事を、誤魔化すのに利用する様で気が引けるがこの際、仕方がない。
「はい、もちろんですわ。とても素敵で、それになんだか可愛かったですわ。上条君……」
頬を少し朱に染めて微笑む仁美。
「ハハハ、思ったより恥ずかしいね? 昔の演奏を観てもらうのって……」
彼女の好感触に、恭介は嬉しそうに照れくさそうに微笑み返す。
「なに仁美? みずくさいなぁ。ワタシに言ってくれれば、ブルーレイで貸したのに。で、いつの演奏だったの?」
「す、すみません。ちょうど、上条君とお話ししている時に、そういう話題になったので……。それで、二年ほど前の市民ホールでの発表会の時の映像を。さやかさんは、やはり会場で?」
実に寂しそうな顔を作って仁美の肩を叩く さやかに、仁美はバツが悪そうに説明する。
「もち! 天才ヴァイオリニスト 上条 恭介 後援会会長の美樹 さやかちゃんが聴きに行かないワケ無いじゃない!」
しかし、当のさやかは特に気にしていない様だった。
「それにしても、あの時の恭介ときたら、真ん中あたりで“とちった”くせして、あたかも『そーゆーアレンジですけど。なにか?』みたいに立て直してたけど。観てるこっちが、寿命が縮んだよ。まったく……」
さやかは、子どものやんちゃを見る様な眼差しで苦笑して恭介の肩を肘で小突く。
「あれ、さやかにもバレてた? あの時は、我ながら上手く誤魔化せたと思ったんだけどなぁ……。うーん、さやかも誤魔化せないようなら、ボクも全然まだまだってことだね。あははは」
「うんうん。まだまだ、ゼンゼン! ゼンゼン! あはは……って、おい! それって、どうゆー意味?!」
気兼ねの無い心を許し合った笑顔で、言葉を交わし合う さやかと恭介。
二人のやり取りを見て清々しい気分になる中沢だったが、ふと目にした仁美の微笑みに僅かな陰りを感じた。
「違ってたらごめん……。志築さん、もしかして……なんていうか……その……元気ない? というか気分とか悪い?」
「え……? いいえ、べつに……。そう見えますか?」
気のせいだったのだろうか。中沢には、さやかと恭介のやり取りを見る仁美の顔が、どこか苦しそうにみえたのだが……
「うーん、別に……。ワタシには、いつもの仁美に見えるけど? ねぇ、キョースケ?」
「ん……うん。特に顔色が悪いワケじゃないみたいだしね」
仁美本人に続いて、さやかと恭介も首を傾げる。
「……なんともないんなら別にいいんだ。ごめん、志築さん」
「いいえ。お気遣い嬉しく思いますわ」
バツが悪そうに頭をかく中沢に、仁美は柔らかく微笑み返し首を横に振ると、彼の思いやりに感謝した。
「い、いやぁ……。あははは」
急に中沢は、照れくさくなってしまい視線を仁美から逸らす。
と、その逸らした視線の先で扉が開き、クラス担任である早乙女 和子教師が教室に現れた。
「わ、せんせー来た。早乙女せんせー、おはよーございまーす」
「おはよう美樹さん。みんなも、おはよう。さぁ皆さん席に着いて……」
早乙女先生は、穏やかではあるものの何時もと違い、何やら真剣で深刻な面持ちであった。
そんな何時もと違う彼女に、挨拶をした さやかは勿論の事、まどかと中沢、クラスメイト一同は内心で首を思わず捻った。
しばらく、ばたばた……がやがや……と、にぎやかだった教室は生徒達が席に着き終わり前を向くと、いまだ真剣な面持ちの早乙女先生に、皆一様に押し黙る。
沈黙が、朝の教室を包む。
「おはようございます!」
クラスメイト達の元気な声が重なる。
「おはようございます」
笑顔で返す早乙女先生。
しかし、そんな笑顔もすぐに真剣な顔に戻ってしまう。
少年少女たちの声で破られた沈黙も、再び戻ってくる。
「皆さん、大切なお話があります。よく聞いてください。今朝早く警察の方から連絡がありました……」
再びやって来た沈黙を破ったのは、吐き出す様に紡がれた弱々しい早乙女先生の言葉だった。
「三日前……金曜日の夜遅くの事です。この見滝原市内で《未確認生命体》による物と思われる事件が起きました」
さして大声だったわけでは無いはずの早乙女先生の声が、妙に響いて聞こえた。
ざわり……と、再び教室がにわかに騒がしくなる。
「そう言えば……G3ユニットのトラックが、いっぱい止まってた気がする……」
「あれは違うよ。あれはG3マイルドって言って、正確にはG3ユニットじゃなくて……」
「確かに、お巡りさんが妙にたくさん立ってた……」
「やだ……こわいよ……」
生徒達は、口々に不安げな言葉を囁きあっている。
「それで、皆には本当に悪いんだけど……。今日から当分は、放課後のクラブ活動は自粛……お休みして貰わなくちゃいけなくなったの」
早乙女先生は、本当に申し訳なさそうな顔で生徒達の顔を見回した。
「えー!? マジっすか?!」
「あぁ、もう、ただでさえ……弱いのに」
「朝練……する?」
「うーん……俺は無理」
「やった! 早く帰れるよ! みつ屋であんみつ食べよー!」
「アンタ、また太るよ?」
「内職の数……増やしてもらわなくちゃ」
悲喜こもごもの声が生徒達の間から上がる。
ほとんどの生徒の関心は“未確認の脅威”よりも放課後の“自分達の時間”に移ってしまった様だ。
早乙女先生は、軽く手を叩き生徒達の注目を再び促す。
「放課後は、家が近くの人同士で集まって集団下校をしてもらう事になりました。家が近所の人がいない人、委員会や、その他の用事で帰れない人は、先生たちでお家まで送ります。送迎バスだけどね……」
苦笑しつつ一息つくと続ける。
「はい、それじゃあ、何か質問は有りますか?」
優しい眼差しで、生徒達の顔を一人一人見つめる早乙女先生。
生徒達は、ぱらぱら……と遠慮がちに手を上げ、集団下校やクラブ活動自粛の期間を尋ねたり、未確認生命体による被害を尋ねるが
「まだまだ、先生達も解らない事だらけなの……。でも大丈夫、大人の人達が頑張ってくれています。きっと、すぐに安心してクラブを楽しめるようになるわ」
と曖昧だが、心からの優しい笑顔で頷いている。まるで自分に言い聞かせる様な、そんな色の表情が見え隠れしている。
一方、生徒達の反応は十人十色だった。しかし、やはり何処か《未確認生命体》への恐怖感は皆一様に、やや希薄な様だった。
彼らの生まれる前、あるいは生まれたばかりの頃の出来事だ。
無理もない事かもしれない
まどかと中沢の二人以外は……である。
いつもとさほど変わらない日常
暖かな日差し
爽やかな風
しかし、その裏側に
じっとり……
と確かに、そして常に付き纏う
閉塞感と恐怖感は、実際に体感した者にしか理解出来ないだろう。
ふと、中沢は背中に視線を感じた。
振り返ってみると、怯えて揺れる桜色の瞳……まどかの瞳と眼が合った。
中沢は努めて明るく微笑み、まどかに『サムズアップ』を贈る。
彼の気遣いに、まどかの表情の強張りが緩み微笑み返すことができた。
「さぁ、みんな。もうすぐ一時限目の時間です。準備してね」
早乙女先生は軽やかに手を叩きつつ、努めて優しい朗らかな笑顔でクラスを見回し言う。
「みんな……。不安や怖い想い、つらい想いは簡単には無くせないし、忘れるなんて出来ないだろうけどね……」
あたかも、過去を振り返るように瞳を閉じて、言葉を紡いでいく。
「でも、今はまだ……みんなは、ちゃんと勉強を頑張って、立派で素敵な大人になる事を考えてね……」
彼女は、ひとつひとつの言葉を選び、確かめる様にゆっくりと続ける。
「その間の、怖い想いや痛い想いは、先生達……大人が引き受けるから。みんなを護るから。……って、そう言う先生だって、そんな立派な大人かは自信無いんだけどね。うふふ」
途中で気恥ずかしくなってしまったのか、はにかんで微笑む早乙女先生。
「あ、護ると言えばね……」
はたと、何かに思い至った早乙女先生の眼鏡が、キラリ……と光る。
「先生の今の“彼氏”ね……。じつは、警察官……お巡りさんなの」
内緒話でもする様に声をひそめつつも、何処か得意気な顔だ。
恋する少女の様に頬を鮮やかな薔薇色に染めて、彼女は続ける。誰も聞いていないのに……
「彼ってば、まだ二十代で……先生の方が大分年上だから、ちょっと心配だったんだけれどね……。彼って、おしゃべりだけどスッゴく紳士的で、お金持ちだからガツガツして無くて、先生ってばステキだなぁってカンジでね! でもねでもね、彼ったら、プラモデルとかラジコンとか、おもちゃが大好きみたいで、ちょっと子供っぽくいんだけど……先生は、そんな所がカワイイなって思っちゃって、キュンってね。キュンってなちゃうの……。でもね、彼って背が高くてムキムキで逞しいの……。先生こまっちゃう! もおっ、ど~したらイイのぉ~!」
恥ずかしそうに両掌で顔を隠しながら、身体をくねらせる早乙女先生。
こまっちゃう! もおっ、ど~したらイイのぉ~! は、生徒達ののセリフだった。
「さて、先生はどうしたらイイでしょう? はい! 中沢君!!」
「え?! な? いや……」
突然の質問に息を飲む中沢
「な、なんでもイイじゃないかと。先生が、その人にしてあげたいと思う事をしてあげれば……。親しき仲にも礼儀有りとは言いますけど……な、なんて、アハハハ」
「なるほど、その通り! 女子の皆さん。くれぐれも“しつこい女”にならない様、注意しましょう。男子の皆さんは、そんな“しつこさ”を包み込む“懐の深さ”を持ってくださいね。先生の“彼氏”みたいに……うっふふふ~っ♪」
その後、朝から生徒達に少しばかり生々しい話を聞かせた早乙女 和子(34)の“おのろけ”は、一時限目 国語の担当教員 梅松 逸男(56)通称《鬼松先生》が教室に現れるまで続いたのだった。
とここまでが、彼らの日常が様変わりする少し前の出来事……