この作品は、XBOX360専用ソフト「アラン・ウェイク」をオマージュした場面があります。
暁美 ほむら
……いや、正確には《何か》から必死に逃げているのだ。
ほむらの細い左腕は赤黒く血に染まり、彼女の《武器》である円盾は砕けて半分ほどの大きさになってしまっている。
同じく赤黒く染まった左脚は、一歩ごとに大腿部の傷口から赤い飛沫を上げ、ほむらから力を奪って行く。
傷の治りが、異常に遅い……
本来のほむら……魔法少女の治癒能力ならば、常人ならば即死しかねない重傷と言えども一瞬とはいかないまでも、すぐに癒す事の出来るはずだったのだ。
痛みだけでも鈍化させる事が出来たのは、不幸中の幸いだった。常人ならば身動き所か、痛みだけでも気絶しかねない重傷だ。
油断だった。
そう、ほむらは、してはならない油断していたのだ。
その夜、ほむらは《グリーフシード》の確保と自身の戦闘技術向上を図る為《魔女》を狩りに出た。
“事前知識”によって、その夜の標的の魔女の結界は、すぐに見つかった。
ほむらの“記憶”が正しければ標的である《宝石の魔女》は、手強い相手だが……“今の”ほむらならば一人でも倒せない相手では無い。
いや、倒せなければいけない相手……
そう、相手が何者であれ、“今の”ほむらは歯牙にもかけず勝利しなければならない。
《宝石の魔女》の結界である、夥しい数の宝石が乱雑に埋め込まれた仄暗い迷宮を進むほむら。
薄暗闇の中で不思議にキラキラ……と、宝石が空虚に光る迷宮を進むにつれて、ほむらは違和感を感じ始めた。
静か過ぎる……
魔女を護り、結界に侵入した者を狩りたてる《使い魔》達が現れない。
現れないどころか、気配すら感じることができない。
しばらくして、この結界の主が座しているであろう結界の中心部にたどり着いたほむらの瞳に、異様な光景が待ち構えていた。
それは、自身の築いた結界の中でならば“絶対者”であるはずの宝石の魔女が、悲痛な叫びを上げて逃げ惑っている光景。
確かに……魔女も、その配下の使い魔も、感情や知性を感じさせる仕草や行動をとる事が有るのは、ほむらは、何度も目の当たりにしていた。
しかし、そんな物は魔女にとっては“死後痙攣”に等しい虚ろな形骸。
使い魔にとっては、獲物に不快感と嫌悪感を与え判断力を奪う“武器”であり狡猾な罠である。
そう……、ほむらは思っていた。
しかしどうだろう、いま彼女の目の前で宝石の魔女は、自身よりも一回り、二回りも小さな《何か》に、ほぼ一方的に嬲られ追い詰められ、脅えて呻き泣き叫ぶ。
《何か》を、一言で言い表すならば、人型の豹。
獰猛な豹の頭を持ち、屈強な戦士の身体を持つ《怪人》だった。
怪人の顔立ちは、確かに豹の様だった。
しかし、ずらり……と並んだ牙は大型爬虫類を思わせる強靭な顎に縁取られ、その表皮もやはり爬虫類の様に細かな鱗に覆われて、のっぺり……としており体毛一つ無い。
まさに《怪人》である。
古代スパルタの戦士を思わせる真っ赤な外套、簡素な革帯に具足が、強靭な筋肉に鎧われた怪人の肉体を更に際立たせている。
宝石の魔女は、歪んだ銀細工の両手いっぱいに抱えた宝石と、不恰好な金細工の身体に埋め込まれた宝石を、惜しげも無く怪人めがけ撃ち出した。
四方八方から宝石の弾雨が、怪人に殺到する。
しかし、その弾雨を見た目通りの獣の瞬発力で怪人は、そのことごとくを躱し、一瞬よりも速く魔女との間合いを潰した。
怪人の豪腕が、耳障りな轟音を響かせて宝石の魔女の身体を、不気味に歪んだ迷宮の壁に叩き付けた。
見れば、その壁には迷宮の不自然な歪みが生み出した木の洞の様な大穴が、虚ろに口を開けていた。
怪人は、頭上に眩い光の輪を浮かべ、その怪力で魔女を洞に押し込もうとしている。
しかし、明らかに洞は魔女の身体よりも小さい。
めり……めり……と、壁の物なのか魔女の物なのか、判別しかねる湿った不気味な軋みと魔女の悲鳴にならないくぐもった耳障りな声が、魔法少女としての優れたほむらの聴覚を、否応なしに揺さぶる。
魔女は、怪人の拘束から逃れ様と手足をバタつかせるが、自身よりも細いはずの腕はビクともしない。
そして、魔女の身体は徐々に洞に飲み込まれていく。
ごきり……という、いささか陳腐だが生々しい湿った音がした。
すると、必死に洞の縁を掴んでいた魔女の歪んだ右手と、取り残された両足が、だらり……と弛緩し垂れ下がった。
宝石の魔女は、身を隠し、護ってくれるはずの、彼女自身の結界で殺された。
殺されてしまった。
それは、有ってはならない事だった。
“魔女が殺された”事がでは無い。
“魔女が魔法の力を伴わない攻撃で、ただ物理的に破壊されて殺された”事がである。
戦慄だった。
ほむらは、“繰り返す”事で、久しく忘れていた『未知への恐怖』を覚えた。
恐怖で、ほむらの思考が麻痺している僅かな内に、魔女の身体がインクが水に溶ける様にぼやけ霧散した。
洞から黒く濁った宝石《グリーフシード》が零れ落ちた。
宝石の魔女の魂……醜い彼女の最後の醜い宝石だった。
怪人の太い腕がグリーフシードに伸び拾いあげた。
しばし、それを見つめると突如、怪人は大口を開け石を放り込むなり飲み下した。
ごくり……、そんな音が、ほむらには聞こえた気がした。
宝石の迷宮が揺らぎ始めた。徐々にピントがズレる様に崩れて朽ちていく。
辺りは、瞬く間に無人の立体駐車場へと戻った。
怪人の顔が、ほむらに向かって酷くゆっくりとその巨体ごと向き直った。
仄暗い闇の中で、怪人の薄緑色に光るガラス玉の様な目が、ほむらを真っ直ぐに見つめている。
『……MAGIKA……』
獣の唸りの様な低い声が、牙の間から漏れる。
怪人は、再び頭上に眩い光の輪を浮かべると、右手の平を左鎖骨から鳩尾に滑らせると、その右手の甲に左人差し指と中指で数字の3を描く様に動かした。
その瞬間、圧倒的で冷徹な殺意が、ほむらの全身に突き刺さった。
殺意に晒された一瞬の刹那、ほむらは冷静さを取り戻した。すぐさま左腕の円盾を操作しつつ、今この場で使用出来て、もっとも殺傷力の優れたカービン銃《M300》取り出す。
それは、何時だったか暴力組織のアジトから拝借した品々の一つで、骨董品の部類に入る猟銃だが発射される7.62mm弾の威力と命中精度は確かな恐るべき凶器だった。
ほむらは、自身で作り出した自分だけが動ける“停滞した時間”の中で、しっかりと地を踏みしめ猟銃を構えると、怪人の顔面に標準を合わせ引き金に指をかける。
全弾を発砲するつもりで引き金を引こうとした瞬間、怪人の身体がさらに巨大化した。
いや、ただ怪人は驚異的な瞬発力を活かし一足で、ほむらとの間合いを詰めただけだった。
そう、ただそれだけ。
ただし、それは、ほむらだけが動き考える事を許された“停滞した時間の中で”である。
容赦なく振り下ろされた五つの鉤爪が、ほむらが咄嗟に身体の前に滑り込ませた猟銃を砕き、さらに彼女の左腕を円盾ごと切り裂き、そのまま左足大腿部を大きく穿った。
ほむらは、目の前を舞う赤い飛沫と体内を掻き回す苦痛を無視し、理路整然とした思考で刹那の内に砕けた円盾の裏から、衝撃攻撃手榴弾《Mk3A2》を取出し、左足を痛めつけるのも構わず後ろに飛び退いた。
そのまま、ほむらは轟音と爆風に身を任せ、暗闇に飛び込んで姿を隠した。
……そこまで思い出して、ほむらの身体を突然の衝撃が襲い、彼女を硬いコンクリートの地面に崩れ倒れた。
どうやら、ほんの僅かな段差に、動かない左足を引っ掛けてしまったらしかった。
(情けない……!)
今の自分はまさに、その一言に尽きる。と、ほむらは唇を噛みしめる。
“繰り返し”による“事前知識”と『魔法』という圧倒的と言って良いアドバンテージに、ほむらは無意識の内に、他者を見下していたのだ。
自分と同じような『魔法』を使う魔女や魔法少女も存在するであろう可能性を全く考えていなかった。
そもそも、何度も“繰り返し”ている事自体が、自分自身の『弱さ』の何よりの証明だというのに……。
ほむらは、手近な壁に身体を叩き付けるようにして、もたれ掛りなんとか立ち上がった。
立ち上がったほむらは、何者かの視線に気が付き顔を上げた。
暗闇に青白く浮かぶ巨大な双眸と目が合った。
(新手!?)
と、ほむらは、砕けた円盾の裏から一番使い慣れた自動拳銃《ベレッタM92F》を取出し、身体を壁で支え右手一つで構えた。
それは、生物ではなかった。赤と金色の流線型の装甲を持ったオートバイだった。巨大な双眸に見えた物は、オートバイのヘッドライトだった。
ほむらは、最初駐車場の利用客かと思った。しかし、すぐにそれを否定した。ここは、進んだ再開発で利便性が無くなり、人が寄り付かなくなって久しい廃墟と言って良い場所なのだ。
その青白い光の上に、二つの赤い光が僅かに見える。
「! ……誰!?」
オートバイには、一人の『戦士』が跨っていた。
黄金の冠の様な二本角、顔の大半を占める赤い複眼、鈍い金色の甲冑と具足を身にまとった黒い皮膜に覆われた身体の異形の『戦士』だった。
『戦士』は、銃口を向けられているにも関わらず、悠然とオートバイから降り立った。
ほむらは、拳銃の引き金に指を架け、『戦士』を注視する。
少なくとも、明確な敵意は感じられなかった。が、『戦士』から先程の怪人と同じ“何か”を感じた。
と、その時である。
ほむらのもたれ掛かる壁から、ぬぅ……と静かに唐突に鋭い刀のような突起が生えた。
その突起は、水面を行く鮫の背びれのように、ほむらの首目がけ真っ直ぐに走る。そして、彼女の首を挟み込むように同じ形の突起がもう一つ生えた。
(あ、ダメだ……)
酷く冷静な思考で、ほむらは自分の死を悟った。
コンクリートが砕ける音と、物凄い力と速さで身体を引き寄せられた衝撃で、ほむらは我に返った。
ほむらは、自分が社交ダンスのワンシーンような形で誰かに抱きかかえられているのに気が付いた。重力に従って垂れ下がる自分の髪が少し重い。
目の前には、大きな赤い複眼に、龍の牙を連想させる装飾の仮面があった。
それは、『戦士』に他ならなかった。
『戦士』の右足は、ほむらを抱きかかえながらも真っ直ぐに壁に突き刺さっている。
『戦士』は、ほむらを両手でしっかりと抱き上げると、大きく飛び退いた。
『戦士』は、壊れ物を扱うような手付きで、ほむらを床に座らせると彼女に背を向け、その場で両脚を大きく開き腰を落とし両手で円を描くように拳を硬く握り緊める。
柔から剛へ、動から静へ、隙のない美しい構えだった。
『……AGITΩ……』
穴の開いた壁の向こう側、闇の中から怒りを孕んだ唸り声が響く。
すると突如、壁に幾筋もの切れ目が入る。切れ目は亀裂に変わり、壁の向こう側から爆ぜ、粉々に砕けた。
完成した大穴から、先程の豹頭の怪人……
神なる輝きを纏う豹にして、
勇壮なる先陣、
豹のマラーク『パンテラス・ルテウス』
が姿を現した。
ルテウスは、両手に鎌のようなしなやかな反りを持つ短剣を握り、『戦士』に向き直る。
すでに、ほむらには一瞥さえくれない。
『……AGITΩ……!』
ルテウスは、再び『戦士』に向かって忌々しげに唸り声を上げた。
(アギト……?)
『戦士』の事だろうか?そんなほむらの疑問を余所に、ルテウスは両手の短剣《渇望の双剣》の刃を左右で研ぎ澄ますように擦り合わせると、文字通り獲物を狙う獣のように低く構えた。
アギトは、低く落とされた腰の高さはそのままに摺り足で、ほむらから距離を取り離れて行く。
アギトに続くルテウス。やはり、ほむらには目もくれない。
屈辱的だった。
だが、好機だとも思った。
今は、まだ意地を張る場面ではない。ほむらは、こんな所で倒れる訳にはいかないのだ。
(彼女のために……)
ほむらは、唇を噛み、拳を強く握り緊めた。
アギトとルテウス。二体の異形の戦いの火蓋が切って落とされた。
鋭い風切り音を伴い、無数の斬撃がアギトに迫る。
アギトは、それを悉く紙一重で躱す。
躱し続けていく。
ほむらの体格では、立っている事すらままならない刃風が逆巻いている事だろう。
そんな攻撃を躱し続けるアギトの体捌きもさる事ながら、その場に“足を止めて躱す”という選択をする『胆力』には脱帽するしかない。
アギトは、ルテウスの攻撃と攻撃の僅かな隙を……隙とも言えない“一拍”を見逃さず、火薬の炸裂のような踏み込みの音と共に腰の入った鋭い中段突きを、その腹部に叩き込んだ。
ルテウスは、体勢を崩して二歩三歩とタタラを踏んだ。
怪人はアギトの追撃を警戒し、崩れた体勢のまま無理矢理後ろへ飛び退いた。
しかし、アギトは追撃を掛けず、その場で悠然と構え直した。
同じく体勢を立て直したルテウスは、両腕を大きく広げ、左右の短剣の切っ先をアギトに向け、巨大な“鋏”を作り出した。
次の瞬間、ルテウスの足下の地面が砕けて弾ぜた。
アギトの命を裁ち切らんと、禍々しい神速の刃が迫る。
次の瞬間、ほむらには、アギトの右蹴り足が四本に分裂し、ルテウスを吹き飛ばしたように見えた。
アギトの特殊能力なのだろうか?と、ほむらは考える。
しかし、魔法少女としての冷静な思考が、それをすぐに否定する。
それは四連撃だった。そう、四連続の蹴りだった。
純粋に速い。本当に速い。そして強く巧み。それだけの攻撃だった。
爪先と踵で、それぞれ左右の短剣を蹴り払い、そのまま蹴り足を前蹴りに変化させ、ルテウスの鼻頭を蹴り上げ、それによってガラ空きになった喉元に足刀蹴りを突き刺したのだ。
文字通り、目にも止まらぬ早業でだ。
短剣を取り落とし、再びタタラを踏まされたルテウスだったが、なんとか転倒を踏み止まる。
『GWAAAAA!!』
ルテウスの雄叫びが、駐車場全体を揺すり震わせる。
ルテウスは、今まさに獲物に爪を突き立てんと身を低くする野獣のように、牙を剥き身構えた。
その気勢に応えるようにアギトの金色の二本角が、羽を広げるように扇状に三対……六本角に変化する。
それと同時に、彼の足下に、その六本角を模した金色の光の紋章が出現する。
光の紋章が、アギトの両脚に渦を巻くように吸い込まれて消える。
『ハァアアア……』
アギトは、右足を僅かに後ろに下げ、力を溜めるように腰を落とすと同時に、開手にした両手を刀を鞘に納めるような仕草で、右腰に添えた。
『ァアアア……』
あたかも、居合切りの構えを思わせる静かな構えだった。
睨み合う二体の異形。
先に動いたのは、ルテウスの方だった。
電光石火の突進で……
十本の鉤爪で……
純粋な暴力で……
アギトに迫る。
迫る……。
迫る。
迫る!
しかし、アギトは動かない。微動だにしない。
一足一刀。
アギトの蹴りの間合いにルテウスが入った一瞬の刹那。
アギトは、ついに一撃必殺の一刀の鯉口を切った。
『トォゥッ……アア!!』