アッバルを狩りに連れ出して、せっかく溜めた養分を燃やさせるわけにはいかない。アッバルはおうちで暇人に、NPCはお外へ人狩りに出掛けた。待っていればごはんが届くとは宅配弁当のようだ。
人食い大鬼や小鬼以外のモンスターでも、アッバルのご飯に出来るものがあるのではないか。そう考えた親切なNPCの名も無き一体は、森で木の皮やきのこを食料としている猪型のモンスター・グリーンボアを狩ってきた。グリーンボアの気性は大人しく怖がり、しかし一度怒らせると地の果てまで追いかけてくるという執念深い性格をしている。だがあまり頭がよろしくないため罠を仕掛ければ簡単に捕まる。
とりあえず五頭ほど用意しました、と捧げられた猪肉はやはり一瞬で消え、アッバルの腹が妊娠六ヶ月から八ヶ月になった。あと二ヶ月でおめでたである、もう後戻りは出来ない。
「ん、いける」
アッバルの腹を見ては不安げにうろうろと手を動かすアインズのことなど知らず、アッバルは名もないNPC……普段は「溶岩」に暮らすデミウルゴスの部下の部下の部下に頷きを返す。おおよそ人とはほど遠い容姿の彼だが、アインズたちには彼の表情が手に取るように分かった。
「でも小鬼とか人食い大鬼のが合ってて良いみたい」
人間を狩るよりも動物型モンスターの方が手っ取り早いのは確かだが、アッバルにとっては人間や人型モンスターこそが主食であり栄養源。ご飯をパンと代えることはできても、キャベツは主食たりえないのだ。このような緊急時にならグリーンボアを摂取するのも仕方ないとはいえ、少しばかり腹が気持ちが悪い。空腹を紛らわすためにお茶をがぶ飲みした時の感覚に似ている。
食道まで広がる胸焼けを飲み込み、アッバルは血の気の引いた青い顔で微笑む。傍目には望まぬ子を宿した健気な小学生――誰がどう見ても犯罪だ。アインズは「お父さんがお前を大事にしてくれる相手をちゃんと見繕ってやったからな!」と拳を握る。お義父さん止めて。
主食ではなかったとはいえ、グリーンボア五頭はかなりの養分になった。アインズがエ・ランテルとナザリック地下大墳墓を往復している間に、アッバルは冒険者や人食い大鬼、小鬼を食べて必要な養分の七割を満たしている。今回のグリーンボアで九割と少し、あとは成人男性で三人もしくは人食い大鬼で一体といったところか。
と、ちょうどそこに現れたのはデミウルゴスである。ノックとアインズへの挨拶ののち室内に入ってきた彼は
「アッバル様、こちらで十分でしょうか?」
「あ、はい。有難うございますデミウルゴス、ちょうどこれほどで十分でしょう。流石ですね」
距離がやけに近い。視線の高さを合わせてくれるのは確かに有り難いのだが、アッバルはこのところ彼から妙に距離を詰められて困惑しきりである。アッバルには彼に何かした覚えは全くなく、好意を示されても理由が分からぬゆえ困る他ないのだ。アインズが後ろで「やれ、デミウルゴス! こませ!」と腕を振り回していることをアッバルは不運にも気付いていない。
助けを求めて視線をくれるアッバルに、気が早かったことを知ったアインズはエヘンと一つ咳をつく。デミウルゴスが「では失礼して」と立ち上がり一歩下がった。よく躾のできた部下である。
「今ここにはいない者たちを含め、皆の協力あってアッバルさんの進化の用意ができた。特にデミウルゴスら溶岩の者たちはよく働いてくれたと思う」
アインズの言葉にアッバルは首を傾げる。
コキュートスらは蜥蜴人との問題に掛かりきりでシャルティアは前回の騒動により外出を自粛し引きこもり、アルベドは「ママですよー」などと良く分からないことを言いながらアッバルへ鯖折りを仕掛け、アウラは地下大墳墓内はもちろん周辺の環境整備に精力を注いでいる。パンドラはマッサージ師として良い仕事をしてくれ、マーレは花をくれた。なるほど、この件に関して一番頑張ったのはデミウルゴスとその配下である。
「アッバルさん、進化したらやっぱりサイズが大きくなるんですか?」
「さあ……ギガントバジリスクは大きいって知ってますが、グレーターがどのくらいかはさっぱりです」
「ですよね」
だいたいバジリスクを選ぶプレイヤー自体が少なかったのだ。加えてwikiに親切に解説してくれる者などプレイヤーの中でもごく少数、ほとんどはギルメンのみ閲覧できるようにした鍵つきページや掲示板に情報を載せるばかり。バジリスクはもちろん、マイナー種族についてアインズらが持つ情報は限られている。
敵対モンスターとしてならばどうかと言えば、wikiにも載るギガントやエンシェントならばアインズらもうろ覚えながら記憶があるが、グレーターははっきり言って微妙の一言。目立つ他の仲間に埋もれてしまい目立たない、年の近い長男と長女に挟まれた次男のような可哀想な子がグレーターである。チョロさで経験値扱いのバジリスク、やはりチョロいエルダー、そんなのいたのかグレーター、デカくてウザいギガント、経験値の源なるかなエンシェント。
――どちらにせよ情報がない。もしここで卵に戻り、その卵の直径が十五メートルなんてものだったら? 邪魔になるならば〈転移〉させてしまえば良いだけの話ではあるのだが、この部屋や調度品が壊れるならまだしもバジリスクの卵が破壊されるのは困る。
デミウルゴスが発言の許可を求め、アインズがそれを許した。
「私の執務スペースであれば、高さや幅の心配をされることはないかと」
有り難い提案だが、実のところそれは双子のテアトルムやパンドラの控える武器庫の奥でも言えることだ。広く開けた場所であればぐりとぐらのホットケーキになる心配など無用、好きなだけ卵のまま転がっていて構わない。しかしアインズの推しはデミウルゴス、墳墓の前で転がっているなど許されるわけもなかった。
デミウルゴスの案を受け入れ、「溶岩」へ〈転移〉する。
第七階層は空気中の水分までもが燃えているように感じられる場所だ。紅く燃える空に焼き尽くされた墨色の大地、ドロリと粘度の高いマグマが赤や橙に輝く河はチカチカと目に五月蝿い。河の表面や端には、空気に冷やされて出来たのだろう生コンクリートのようにぼそぼそとした赤黒い塊が浮かんでいる。
河の元となるマグマはとある山から流れるそれだが、他にも火口があり、時おり間欠泉のように上空へ勢い良くマグマを噴き上げるものから血を流すように脈打ちマグマを垂らすものまで、多種多様な火口が揃っている。そのいつくもの火口から流れるそれが合流した大河には、奈落スライムである紅蓮が潜んでいる。
歩くのはもちろん飛んでも跳ねても泳いでも渡れない悪魔の大地、それがここ「溶岩」である。
異なる地点を直接に接続する〈転移〉で移動したため哀れ紅蓮はスルーされ、アッバルらはかつて善なる神々を祀っていた神殿へ足を向ける。頭部から腰にかけてを破壊された偶像や台のみ残る像の名残が並ぶ一角は民族同士の戦いに敗れた者たちの悲哀を含んでいるようで、床に転がった戦女神の首は通路を歩む彼らを睨み付けている。睨むしかできぬ敗者の悲劇、既に彼女に武器はない。
神殿の奥、他のデミウルゴスの部下らが最敬礼を捧げる姿を横目に先へ進むのはアッバルはもちろんアインズとデミウルゴスだ。グリーンボアを持ち帰った者はとうに一行から辞し通常の職務に戻っている。アインズの道に従うことができるほど彼の地位は高くなかった。
機能性とデザイン性のどちらも備えた執務机のある場所は開けており、たとえ直径二十メートルの卵が置かれたところで誰かの邪魔になりそうにない。
「前回と同じくらいの時間で孵化できるんですか?」
「さあ……」
アッバルにも分かりようのないことだ、首を傾げる他ない。
「最低でも三時間は掛かるんじゃないでしょうか。前回より上位種になりますし、そのぶん余計に掛かるとか」
「ああ、その可能性はありますね。起きそうになったらいつでも〈伝言〉して下さい。飛んできますから」
「了解です」
果たしてアッバルは卵になった。直径は八十センチほどの、楕円形の黒い卵である。
――ここまでわざわざ来た意味がなかったことが証明され、アインズは黙ってそれを執務室に持って帰った。デミウルゴスは懸命にも黙り、頭を深々と下げてそれを見送る。
何故だろう、執務室は眼球のないアインズの目にも眩しかった。
生まれそうとアインズにアッバルから〈伝言〉が届いたのは、なんと一日後のことだった。エ・ランテルに呼ばれてしまいナザリックを離れているアインズはアルベドとデミウルゴスにそれを伝えるように指示し、自身もさっさと街の用事を済ませようと動きを早める。
そんなに急いでどうなされました、というギルド受付嬢の質問にアインズが「娘が……産まれそうなんです!」と答えたことで、エ・ランテルのギルドでアッバルは妊娠していたという噂が立った。
一方〈伝言〉を受け取った彼ら……アルベドとデミウルゴスはアッバルの安置される、ほとんど使われないアインズの寝室へ入った。寝室は窓のない部屋であることを忘れるほど明るい。天蓋から垂れる重厚なカーテンは柱に纏められ、壁の灯火はベッドの上をもくまなく照らしている。睡眠が必要ないアインズがベッドを使うわけもない、いま彼のベッドを我が物と占領するのは黒い卵である。
「どのようなお姿になられるのかしら」
「どんな姿でもお可愛らしいのは確かでしょう」
「私の娘ですもの、当然よ」
懸命なデミウルゴスは口をつぐんだ。アルベドはまだ妻候補ですらないのだが、それを指摘して蛇を出すほど暇ではない。確かに彼女が
二人が見守る中、鶏のそれと異なり弾力的で柔らかい卵に切れ込みが一つ走る。そこから穴を広げるように突き出る白い腕、横へグジュリと粘着質な音をたて広がった穴から顔を出したのは、昨日までと同じ顔の子供だ。
――アッバルはこの進化の機会に、見た目の年齢をせめて十七程度にしようと考えていた。だがそんな彼女に予想外な壁が立ちはだかる……美術の成績だ。彼女は十七才になったときの顔を想像できなかったのだ。それに気づいたのは卵になってすぐ、残念ながら遅すぎた。顔は現状維持である。
卵を引き裂いて、アッバルはあまりの外界の眩しさに顔を覆う。ここまで明々と照らす必要はあったのか? 暗くても構わなかったのに。
「うっ……」
顔を伏せ、唸る。
「世界が……白過ぎる……」
サングラスを掛けたことのある者ならば経験のない者はいないだろう、薄茶色に慣れた視界に色付きレンズのない世界は白く明るすぎる。黒い膜に包まれ、薄暗い世界に微睡んでいたアッバルにとり、明るい室内は眩しかったのだ。
だがこの場にいる守護者二人にはその感覚が理解できない。なにしろ彼らはサングラスを掛けたことなどないし、一般的に暗い室内から明るい野外へ出ると眩しく感じられることは知っているが、それは当然の事象でありその原因について考えたこともない。
――そんな彼らに「サングラス外すと世界が白っぽく見えて眩しいね」と言って通じるだろうか。答えは否、残念だが通じるはずなどなかった。
アルベドは考えた。世界が白すぎるとはどういう意味なのか……それはもしやこの世界を憂えているのではないか、と。天上天下あまねく
好意的な解釈であることはアルベドも自覚している。しかしアッバルがアインズを慕って頼りにしていることは誰の目にも明らかであり、軽口で「パパ、お仕事頑張ってね!」「よーしパパ頑張っちゃうぞー」などというやり取りをしていることはメイドから聞いている。
だからアルベドはそう考えることにした。それに娘の躾は母親の役目、もし
デミウルゴスは愕然としていた。デミウルゴスに「眩しい」経験をした覚えはない。「溶岩」の守護者として生み出されてから彼は気の遠くなるほどの時間を過ごしてきたが、世界が眩しいと思ったことは一度としてない。それは生まれた瞬間からいままで、ずっとのことだ。
――だがそれはデミウルゴスだからだ。そうあれと生み出され、至高の御方々とは異なる生まれ方をしたからだ。彼は初めからレベルが100であり、様々なスキルを生まれながらに身に付けていた。だがアッバルにこれらの刺激を無効化するスキルはまだない。
至高の御方々と同じように弱くして生まれ地上を這いずり育ったアッバルの、「自らレベルを捨てる」という行為はどれほどの覚悟を要したのだろう。一人で生き、隠れて暮らすには向いているアッバルの職業……傷付けば自作のポーションで癒し、飢えれば採集し獲物を狩る。ストイックな生き方を満たすにはどの職業も重要で、必要だったろう。だが彼女はそれを捨てた。より高みに上るためとはいえ。
デミウルゴスは敬意を抱いた。強くなることに貪欲になれる者、目的のために何かを捨てられる者は美しい。覚悟の煌めきと呼ぶべきか、自然とその者は美しくなる。流石はアインズの養い子だ。
そして彼も決意する。この素晴らしい心を持つ養い子を決してアインズの手元から離れさせるわけにはいかない、じわじわと距離を詰め、それから。
聞けば困惑すること間違いなしな勘違いが深まっていることに、
最終破壊兵器・
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