オーバーロード二次「+α」   作:千野 敏行

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四話・草原に墓穴二つ

 寄せては返す草の海。数日前降った雨に埃を落とした草は、青い光を放つ太陽の下、水飛沫に似て瞬くようなきらめきを放っている。帯状の風が強く吹いた。風上にいるのはモーゼ、神の力をもって草原を左右二つに分けんとしたのに、数瞬と待たずに草の海は凪へ戻る。

 女でも両手を使えば握れるほどの細い幹しかない、ひょろりと草原に点在する木のその一本――もたれかかるには不安の残るそれの横に腰かけたのは、思春期程度であろう黒髪の少女。そのすぐ隣に座り込むのは大きな頭陀袋のようなローブをまとった男で、深くかぶったフードに隠れて顔は見えない。

 

「ねーねーモモンガさん、周りに誰もいないんですからフードなんて取りません?」

「いませんが、太陽の下で堂々とリッチが日光浴しているというのは……」

 

 違和感が凄いでしょう、と上顎と下顎をカタカタと鳴らすローブの骨ことアインズに、黒髪の少女アッバルは緩く首を横に振る。

 

「こんなに天気が良いんです。骨だって日光浴したい時があっても良いでしょう」

 

 現状でも雨ざらし野ざらしの無念仏にしか見えないという本音を飲み込んで、アッバルは手を伸ばしアインズの頭陀袋ローブを引いた。残念だがローブを着ていたところで骨は骨でしかないのだ、この場にいる間くらいフードを下していても良いだろう。顔も足も一度隠すようになると露出するのが恥ずかしくなってくるもの、初回からこれではいけない。

 

 今日ばかりはデミウルゴスによるレベラゲ祭りは一旦休み、置き手紙一つ残して義理の親子二人は草原で三角座りしている。なんとも平和な光景だ、帰ったら守護者らにしがみつかれ泣かれるであろう未来が待っているが。バケーションと言うには短すぎる休みである。

 気紛れに強く吹いた風にアッバルの黒髪が揺れ、アインズのフードはバタバタと頭蓋骨を打つ。アインズは風から逃れるように顔を風下に背け、しかしアッバルがその後ろ頭からフードをもいだ。つるりと白い頭蓋骨が日光に輝く。見ているだけで気持ちが良いカルシウムの塊。

 

「ちょっ!?」

「パパ、隠せば隠すだけ恥ずかしさが募っていくものだそうだよ!」

「ハゲを気にしている訳じゃないですからね!?」

「え? 私、顔のこと言ったんですけど」

 

 一度止んだと思われていた風がまた吹いた。

 

「……やめましょうよ、この話」

「ええ。リッチは骨格がアイデンティティーですからね。髪なんて必要ないんです」

「ですね。肉も棒もリッチにはいりませんよね」

「そうですとも。……棒?」

「言い間違いです、気にしないでください」

 

 ザザザともゾゾゾとも聞こえる葉の擦れる音が響き、草原が波打つ。互いしかいない、ただ広い草原は静かだ。パッシブスキルに鎮静を持つアインズだが、スキルによる効果と自然に落ち着く感覚は違う。けしてアインズやアッバルから離れないナザリックNPCの視線はやはり、彼らの精神に少しの負担を強いていた。アインズの眼窩に灯る赤い光はちらちらと瞬いており、彼がリラックスしているのが窺える。

 

 ナザリックでは心休まらぬ。なにせあそこはアインズに粉骨砕身し仕えようという気概に満ち満ちた者ばかりなのだ、彼らは何か自分もアインズのために出来ることがないかと、アインズの一挙一動に神経を張っている。見られているアインズにはたまったものではなかろう、監視されているも同然なのだから。

 アッバルは知っている。NPCたちがアインズに狂信的な愛を捧げていることを。数多いる恋のライバルを蹴散らすため、呑み込んでしまった金魚を吐き出したり暴れ牛と相対したりするゲームではないが、彼らは主君(きみ)のためなら死ねる。

 はっきり言って愛が重い。コールタールか、もしくは鍋の底に貼り付いた黒焦げのカラメルソースか。アインズは持ち前の鈍感スキルでスルーしてしまっているが、第三者であるアッバルにはその煮詰め過ぎたどす黒い水飴の全貌が見えている。何事も観客ほど広い視点で見えるものだ。

 

 彼らがアインズに抱いている親愛や尊敬の念(スパイス)は、上手く調理すれば優しい愛(プリンテン)を生むだろうものだ。だが、それらをボウルに放り込みただ混ぜ合わせて焼いたところで、発生するのは重苦しいばかりの悲哀(ダークマター)ばかりなり。哀れ、愛の正しい調理法を知らぬNPCたちは、その自覚なくダークマター(アレンジりょうり)をアインズに捧げるのだ……肥料作りに失敗したコンポスト――吐き気をもよおす悪臭や蛆の湧いた生ゴミと、そのダークマター(どくぶつ)のどちらがよりおぞましいのか、結論は出ないに違いない。

 地下大墳墓という器に際限なく注がれていくコールタールから目を逸らし、一時の心の平穏を求めてアインズとアッバルはお外へ逃げた。パパ、ナザリックはいまごろ阿鼻叫喚だね。

 

「平和ですね」

「ですです」

 

 優しい人たちに囲まれ、美味しいご飯(リザードマン)を食べ、暖かく眠り、適度に運動し、ある程度の知識欲を満たして過ごす、そんな緩い生活はきっとまだまだ先だ。なにしろアインズはアインズ・ウール・ゴウンの名を広めるためにまだまだすべきことがたくさんあるし、アッバルもまたレベラゲや進化やらが待っている。平穏な毎日に手が届くのは一体いつになることやら。

 誰もが思い浮かべる第二の人生。現役からリタイアしたらあそこへ行きたいね、ゆっくりとした時間を過ごしたいねと語る――まるでそれこそが最大の幸福であるかのように。

 

 だが見よ、この平穏な草原を。この心休まる自然の姿を。遠く地上を見守る太陽の輝きを。幸せというものは、すぐ近くにあって、こんな風に手に入るものではないだろうか? 安い幸せにこそ価値があるのではなかろうか。

 青い鳥は鳥籠にはいない。何気ないときに、何気なく見つける心温まる何か。それを特筆すべき記憶と思わず、日常の一つと記憶の川に流してしまえる出来事や想い、それが幸せなのではないだろうか。寒い冬に温かいお茶で指先をぬくめるようにささやかで、いつものことこそが。

 

 大切に思う人と、同じ太陽の下で風の音を聴き草原の波しぶきを楽しむ、こんなことが。

 

 どうしてだろう、胸が熱く燃えるようだ。そんなささやかだが豊潤な幸せを初めて得た激情からだろうか。二十二世紀では既にない、人の手のない自然に囲まれた感動からだろうか。

 這いながらも自らの力で生きてきた男と、人にすがって生きてきた女。低学歴と高学歴、親無し子と祖父母までいる子、友達がいないアインズに友達に囲まれたアッバル。育った環境はこんなに違うのに、二人の心を温かくするものは同じだった。

 ――ああ、幸せとは、優しさとは、こんなにも柔らかく……暖かく、儚いのに心強い。

 

 草が揺れる。風上にいる誰かから風下にいるアインズたちに、優しい葉擦れの音楽を届けて。

 

 ナザリックに帰ったら、NPCたちに料理の仕方を教えよう。いや、一緒に料理をしよう。いまなら幸せのレシピをいくつだって思い付ける。アッバルは笑んだ。ギャルケーや乙女ゲーにはサポートキャラがいるのだ、ならばアッバルがすべきはNPCとアインズの橋渡し。円滑なコミュニケーションが取れるよう、互いへ相手の情報を流す仲人だ。

 ナザリックに帰ったら、デミウルゴスを焚き付けよう。アッバルを手放すつもりはない、たった一人の弱い同胞を守りつつ更に身内へと取り込むのだ。アインズの心の平穏のため、幸せのため、彼女自身のため。彼は可愛い我が子を谷に突き落としたり一人で旅をさせたりなどできないタイプだ。大事に守っていなければ、手のひらから零れ落ちてしまうから。

 

 そして。幸せのため、互いに思いやるがゆえ、アインズは童貞の危機を迎えアッバルは処女の危機を迎える。




 人生初気絶。興奮して眠れないしゅごい!

 お知らせ:インフルにかかりました。もうちょっと休むんじゃよ。

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