一話
通りを歩く二人――娘の顔を見に行くためと言って何度もエ・ランテルとどこかを往復しているモモンと、数週間ぶりに姿を現した彼の同行者バァルに視線が集まる。手を繋いで歩く姿は仲の良い親子関係を過不足なく伝え、街の者達は微笑ましい彼らに目を細めた。バァルが腹回りをぎゅっと帯で絞った服装をしているのはきっと産後のためだろう。出産と共に儚くなる者も多いのだが、父親に連れられ歩くバァル姿は元気そうだ、彼らは安堵のため息を吐いた。
モモンは伝説の英雄のように強いというのに驕らない。そこらの貴族よりも優雅で、そこらの戦士などと比べるべくもなく強く、神父のように寛容な彼はまさしく現代の英雄。
子供の頭を撫でてやってくれと願う親たちや握手してくれと頭を下げる冒険者たちに対し、嫌がる素振りなど全くなく鷹揚に頷く姿はみなの尊敬の的だ。孫が産まれてからはより一層優しくなった気もする。孫の性別を聞くと何故か口ごもるのは、もしやすると故郷を滅ぼした相手に情報が行くことを恐れているのではないだろうか?
国を追われ、守るべき民も既になく大陸を海をさ迷いこの地へたどり着いたのであろうモモンの安寧を守るためならば、エ・ランテルの民はみな口に鍵を掛けるとはいえ、危険を減らしたいと思う彼の気持ちは良くわかる。
菓子を頬張るバァルの顔の上半分はやはり仮面に覆われ、案外大きい口にひょいひょいと菓子が消えていく様子を子供が羨ましそうに見上げていた。しかしバァルはそれに気付くと菓子の袋を二つに分け、年嵩の女の子に手渡す。子供達から上がる礼の声に手を軽く振ってからモモンの元に飛ぶように戻っていくバァルと、立ち止まってそれを待つモモン。そして再び手を繋ぎ歩き出す二人の姿を街の誰もが暖かく見守る。
その日、赤く輝く真のポーションが、実在も疑わしい伝説から現実にあるものとし改めてその存在を示した。薬師らは悲鳴混じりの歓声を上げ、支配者らはその能力の有用性に身を乗り出す――そのバァルなる娘の力が本物ならば引き入れよ、なんとしても。
現在自転車操業なナザリック。出費に対し収入が追い付かない現状をどうにかせんがため、アッバルの作る
二人ははじめ薬屋へ連れ立って向かう予定であったが、予定は変わって着いたのはアインズがここのところずっと利用している宿の一室だ。扉が閉まり密室となったそこに響いたのはアッバルの低い声。
「ねえお爺ちゃん、私、詳しくお話聞きたいな」
「……はい」
ここまでの道すがらあちらこちらから掛けられた優しい声――その年じゃまだお乳の出が悪いだろう、栄養をつけるんだよ、お父さんに孫を抱かしてやれて良かったね云々。意味が分からないアドバイスと押し付けられた食材、これまでお爺ちゃんが黙っていた諸々について説明を求める。
お爺ちゃんはソファーに膝を揃えて座って小さくなり、仁王立ちの新米ママをおどおどと見上げる。
「こ、これには訳があるんです」
そして語られるお爺ちゃんの失言「娘が生まれそう!」と、次の日からの「おめでとうお爺ちゃん」という街の声。何がどうしてそんな噂が立ったのか分からず立ち尽くしている間に噂は公認のものとされ、もしやアレが原因かと思い至ったのはその日の晩のことだった。お爺ちゃんもわざとじゃなかったのじゃ、本当じゃよ。
新米ママもといアッバルは頭を押さえながらアインズの正面に腰かけた。体を投げ出すように座ったためかドサリと大きな音が響く。
「ワケは分かりました。……でもモモンガさん、孫なんていないのにどうするんですか? 乳児を誘拐してきて育てるなんて嫌ですよ私」
「私もそんなのは嫌ですよ!! 限りなく乳児に近い存在と言えばヴィクティムとかもいますけど、あれはちょっと……」
「乳児っていうより胎児ですもんね」
それにヴィクティムには翼が生え金環を頭上に掲げている。翼と金環付きの赤ん坊など奇異の目で見られるに違いない、と否定するアッバル。彼女は否定すべき点が一般常識から大きくずれていることに気付いていない、たとえ翼や金環がなかったところで異形は異形でしかないということに。枯れ枝を刺した肉塊のようなヴィクティムを抱き上げて微笑む少女の姿は、あまり一般に許容される図ではなかろう。
なるほど彼女もだいぶんナザリックに染められているようだ。
「でしょう? だからここはいっそ、アッバルさんが本当に子供を産んでしまえば良いのではないかと思うんです」
「恐ろしいことを言わないでください、って言うか誰の子を産めと言うんだ誰の子をよぉ……。それに幼児期って一目で月齢とか分かりますし、今すぐ産むなんて無理ですからどうにもなりませんよ」
子供の成長は速い。一月違うだけで猿顔が人になり、寝返りをし、ハイハイする。それを指摘したアッバルだが、アインズの方が一枚
「ああ、その点は問題ありませんよ。プレイヤー同士の結婚で使う、すぐに子供が生まれるアイテムがありますから」
「ぎょえっ……そういえばそんなのガチャで当たったことがあるような」
その自信に満ちた表情と声は心強いどころか恐怖しか感じないのだが、何故かアインズはやる気満々である。体から始まる恋愛はまだマシに見える、子供から始まる夫婦なんてものを我が身で体験させられそうなこの現状。処女懐胎とは聖母かな? アッバルから生まれる子は神の子などではなく
これを如何にして打破すべきか、アッバルの脳細胞が活発に働くものの……答えは出ない。
「本気です?」
「本気です」
アインズ曰く、孫が生まれたと噂が立つ前と立った後では街の人々からモモンに向けられる感情が違うという。子を持つ親からの信頼感が増したり、信愛の籠った挨拶をしてくる人が増えたり。より身近な存在として認識されたようだ、と。
これで子育ての話にちゃんと乗ることが出来れば、よりモモンへの信頼感は増すに違いない……のだが、残念ながらアインズが子供の世話をしたのは施設に引き取られていた間のみ。既に当時の記憶は薄れ、覚えているのはギャアギャア泣きわめく赤ん坊のせいで眠れなかった夜が数えきれないほどあった、という程度。彼らの話に相槌を打つには遠くあやふやすぎる思い出だ。
アインズは、他者とのより親密なコミュニケーションツールとして「孫」が欲しい。そして周囲の認識では「孫」の母親はバァルことアッバルだ。アッバルにも子供について話が振られることがあるだろうゆえ、アッバルは「母」の苦労を知る必要がある……らしい。アインズが必要だと言うからにはきっと必要なのだろう。
アッバルは考える。もしここでアッバルが産むのを断って、どこかの村で乳児誘拐事件が起きたとする。アッバルの腹は痛まないが、きっと母親役である彼女が主にその子の世話をすることになる。――果たして、ただの人間の子供がナザリックで生き延びることが出来るのか? 誰かがうっかり漏らした殺気で心臓発作、死ぬ。アインズとの子供を欲している
ただの赤ん坊にはどうしようもない死亡フラグ乱立のナザリックで、
もしアッバルがアイテムで子供を産んだとする。生まれるのは当然ながら異形種ゆえ人間と違ってそう簡単に死になどしないし、ナザリックの面々も身内の子として面倒を見てくれるだろう。アインズが孫だと言ったならば孫として扱われるはず――孫と言うからには、アインズは彼女に
パンドラならばアッバルをこれからも甘やかしてくれるに違いないし、面倒見も良い。親となれば積極的に子供の世話をしてくれそうだ。なんと心揺れることか。
「産むとしたら、私の相手ってナザリックのNPCですよね?」
「ですね。心配しないでください、アッバルさんのことをちゃんと考えてくれる奴に頼みます」
「それなら、まあ、しましょう。産みますよ」
アッバルには親が子に向ける愛というものがいまいち分からないけれど、女性が契約で子供を産む内容の漫画などもあったから、こういうのもアリなのだろう。たしか親の遺した借金返済の代わりに金貸しの男が持ちかけた契約に判を押し……といった展開だったと思うが、その漫画を読んだのは一年以上前だったため既に記憶の彼方だ。
契約で子供は産める。同様にして、いらなくても子供は勝手に産まれる。アッバルは漫画からそう学んだ。
――その日の夕方、ナザリックに帰ったアッバルを迎えたのは、ダチョウの卵のようなアイテムを抱えて微笑むデミウルゴスであった。
共に帰って来たアインズを見上げれば満面の笑み(を浮かべているような気がする)。引きずり込まれた部屋で両親認証したのち、アッバルはアルベドの元へ飛び込んだ。「双方の同意があれば子供が産まれるアイテムです! 私、妹が欲しいなァ!!」と彼女の手に
スキップでアインズの部屋へ向かうアルベドの背中に手を振り振り見送り、アッバルは意気揚々とアルベドのベッドに潜り込んだ。
迷惑メールのように何度となくアインズから届く〈伝言〉の着信音を聞きながら、アイテムが孵化するまでの十二時間、アッバルはアルベドの布団に潜り込み安穏とした時間を過ごした。むろんこれは優しいパパへのプレゼントだ、悪意などあろうはずもない。ないと言ったらない。
アインズにとり、アッバルは弁慶の泣き所やアキレス腱と言える存在だ。だが、弱点だからと言って除去することは出来ない。彼女の存在あってこそ彼は仲間の来ないユグドラシルを楽しくプレイし続けられたし、今も唯一地を出せる相手として、下らないことで笑い合える相手として側にいてくれている。ギルドメンバーに勝るとも劣らぬ大切な仲間の一人だ。
モモンガはリアルにて家族や友達といった
そこに現れた小さな友人は一回のプレイ時間こそ短いが、毎日のようにログインしてモモンガを喜ばせた。チャットログに残る彼女の「こんばんはー」「あれ、モモンガさんいない? 残念……」「そろそろ落ちます。おやすみなさい!」。たとえ会えなくとも、この三行が嬉しかった――既にギルチャは友人からのレスがつかぬまま数ヶ月過ぎることも多かったから。ひたすら続く『モモンガさんがログインしました』『モモンガさんがログアウトしました』の羅列、スクロールしてもスクロールしても同じ言葉の繰り返しでしかないギルチャを確認するのは五日に一回になり、七日に一回になり……。
エ・ランテルの住民たちの勘違いはアインズにとって渡りに船だった。アッバルに教えた住民とのより深い交流手段と言うのも間違いではないが、一番の目的は彼女をナザリックに引き留めることだ。もっともらしい言い訳をすれば案外チョロいアッバルは頷いてくれる。実際、「良く分からないけど分かった」と言わんばかりの顔で了承したのだから、アインズの目論見は半分成功した。もちろん残る半分はデミウルゴスへの永久就職の実現、数年内にはアイテム産ではない孫を見たい。
結婚アイテム産のNPCは総合レベルが1で固定かつ三歳児ほどの大きさと知能までしか得られないため、当然ながらナザリックで
アッバルは数十分前ナーベを伴にし、ポーションを卸すためギルドへ行った。室内は静かだ、屋外の喧騒が遠い。多くのことを任せたせいで忙しくしているであろうデミウルゴスに、アインズは〈伝言〉を送る。
忙しくしている中すまないが、今日の夕方に三十分で良い、時間を捻出してくれ、と。
『畏まりました。アインズ様のご予定に勝る用件などございません、なんなら一時間空けましょう』
『いや、そんなにはいらん。して欲しいことには三十分も必要ないのだ』
屑アイテム置き場で埃を被っているであろう巨大な卵。特にナザリックの面々には無用の長物であった結婚システムの専門アイテムであり、一組につき一つしか使えないイースター・エッグ。イースター・エッグと言う名からこの卵の中に何か良いアイテムが入っているのではと、これを割った者がいた。しかし卵から溢れ出たのはアイテムではなく――羊水と、まだ指に水掻きを持つ未熟な胎児。
この一部始終が動画共有サイトに流れたところイースター・エッグを使いたがる者は激減、結婚システムは利用され続けたものの、子供を作ろうと言うプレイヤーはほぼ消えた。運営はエロについては規制したが、グロについては寛容どころか自ら率先して発信していた節がある。
しかし、それでも使ってみようとする者はいる。彼らの証言と証拠画像によれば、卵からは『両親』の要素を受け継いだ赤ん坊が産まれる。金髪碧眼のエルフと黒髪赤眼の夜叉の間には黒髪碧眼の角が生えたエルフが出来たらしい。異形種が使うとどうなるのか、恐ろしいような気になるような。
夕方、地下墳墓へ戻ったアインズらを迎えたのは当然ながらデミウルゴスであった。イースター・エッグを抱える彼とアインズをキョロキョロと見比べるアッバルに笑みかけ、優しく背中を押す。デミウルゴスなら大丈夫だ。彼以上に忠誠心が強く信頼のおける男性NPCはいないし、彼のことだから
眼を真ん丸にして口をあんぐりと開けアインズを見つめ続けるアッバルはデミウルゴスに手を引かれていき、アインズはその背を見送ったのち自室に移動した。十二時間後が楽しみだ。
――イースター・エッグを手に迫るアルベドに、そのアイテムから産まれる子は三歳程度の大きさにまでしか育たないこと、レベルが一しか与えられないことを強調してなんとか説得し、アインズは「妹が欲しい」とかぬかした娘に〈伝言〉を発する。アッバルさん返事しなさい、お父さんは怒っています。
むろん自分のやったことは棚上げである、人とはそういうものだ。
エ・ランテル
みなさんA「あんなに強いし装備も立派なんだからきっと元々は領地持ちの貴族か王族だったに違いない!」
みなさんB「でもここにいるってことは国を滅ばされたとかしたんだ! きっと!」
みなさんC「追っ手もいるんだ、間違いない!」
アインズ様「うん(´・ω・`)?」
蛇「モモンガさん、私のことsageすぎ!」
骨「うん(´・ω・`)?」
蛇「えっ、無意識? 無意識?」