オーバーロード二次「+α」   作:千野 敏行

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五話

 異世界に転移して二日目のことだ。メイドたちに提供された朝食に舌鼓を打ったのち、アッバルはミニスカ巨乳で金髪縦ロールなメイドにナザリックを案内された。流石に宝物庫や永眠の危険がある第五階層、守護者らも入ることのない第八階層などは飛ばしたが、ナザリックのほぼ全ての場所を丸一日かけ、ソリュシャンの腕の中で観光した。寒冷地獄から灼熱地獄まで取りそろえているナザリックはまさしく死後の世界、罪に合わせておもてなししてくれそうだ。

 

 観光中、第七階層のデミウルゴスには下にも置かぬ歓迎を受け、アッバルは尻の座りが悪い思いをした。執務室を兼ねるモモンガの部屋ではちょうど書類を届けに来ていたというアルベドが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれ、気付けばアッバルは八本の脚全てにクッキーを抱えていた。

 理由は分らないが、アッバルはこの二人から多大なる信頼を寄せられているようだ。彼ら曰くアッバル様はとてもお優しいだとかなんだとか……。彼女は今のところ、他者に優しさを示した覚えもなければこれといった会話をした覚えもない。もしや持ち上げてから引きずり落とすつもりかとも考え、そんなことはないから褒めるのを止めて欲しいと頼んでみたが、ニッコリ笑顔で「御謙遜を」と流された。

 アッバルは自分を善人だと思っている。異世界転移などという非常事態のため今は下種いことを企んでいたりするし、自分の身を守るためなら友人も利用するつもりだが。身に覚えのない称賛は嬉しく思うよりも困惑してしまう。自分のどこが評価されたのだろうか。

 

 ――そんなアッバルはいま、モモンガがドレスルームで剣を持っては取り落とすという不思議な光景を見ていた。ドレスルームには武器、防具、装飾品などが所狭しと置かれており、もしこの部屋を鑑定のスキルを持った者が見れば、その数の多さのみならず付加効果やデザインの見事さに唖然とするに違いない。

 

『持てませんねー』

『ゲームでの設定が生きているみたいですね。……不気味だ』

 

 モモンガが骨の手を見下ろす姿を横目に、アッバルはその爬虫類の脚を振ってメイドを呼び寄せる。子供が寝る時間はとっくに過ぎていた。夕食を終えてからこちら、モモンガの実験結果はアッバルも知るべきものとして見学していたが、流石にもう眠気が我慢できなくなってきた。

 

『モモンガさーん、すみませんけど私、寝てきますー』

『ああ! こんな時間まで付き合わせてしまってすみません、アッバルさん』

 

 時計の短針はしばらく前に1を過ぎた。日の当たらぬ地下とはいえ昼夜の区別があるナザリックでは既に睡眠をとっている者もいる。アッバルは目をしぱしぱと瞬かせながら前足二本をメイドに差し出す。ベッドに連れていっての合図だ。

 

「モモンガさんおやすみなさい」

「おやすみなさいアッバルさん、良い夢を」

 

 アンデッドとなり眠ることが出来ないモモンガは、こうして眠ることができるアッバルをどう思っているのだろう。憎らしく思っているのだろうか。憎いとまではいかなくとも、羨ましく思っているのではないだろうか。アッバルはメイドの柔らかい胸部装甲に顔を埋め、眠気にぼんやりした頭で考える。アンデッドじゃなくて本当に良かった、と。

 

 アッバルのお布団は執務室の端に置かれた、守護者の一人が作った猫ちぐらだ。中には絶妙な硬さのクッションが詰められ、さあ快適にお休みくださいと言わんばかり。蛇に布団は必要なのかという疑問は当然あるだろうが、今までずっと布団で寝る生活を送って来た者に「布団じゃなくても寝られる体になったんだし、お前、布団無しな!」などと言うのはあまりにむごい所業である。布団で寝る心地良さを知っているアッバルは布団を求め、デミウルゴスが一晩でやってくれました。アッバルはこれからデミウルゴスに足を向けて眠れない。

 

 そして、アッバルが至福の眠りの世界へ発ったあと。猫ちぐらの周囲にはメイドが集っていた。モモンガがどこぞへ出たため執務室には後片付けのメイドらのみが残り、しかしその仕事とて二十分も三十分もかかるものではなかった。

 

「アッバル様、気持ち良さそうに眠っていらっしゃるわね」

「子供ですもの、寝る子は育つと言いますし」

 

 蛇に爬虫類、鶏の要素を詰め込んだバジリスクには瞼があり、眠るアッバルの目を薄い瞼という蓋が被っている。バジリスクは蛇と爬虫類と鶏の良いとこ取りの見た目なのだ、鳥だけに。だがコアな蛇萌え・爬虫類萌えの者らには不評な進化先であったことも確かで、バジリスクを選ぶ者は少なかった。

 

 wikiに書き込んでくれる親切な先達がいなかったためアッバルもサービス終了間際に知ったのだが、ユグドラシルにはエルダー・バジリスクという種があった。プレイ時間や種族レベルなどのいくつかの条件を満たすことで開かれる進化ツリーの先だったのだが、全ての条件を満たした時、既にサービスの終了が迫っていた。進化したとしてもレベラゲの時間もクリスタルの貯蔵もなかったため、アッバルはバジリスクで打ち止めにしたのだ。

 エルダーが年上ならば、エルダー・バジリスクという進化先があるバジリスクは幼生体から成体と言えるだろう。そしてその中でも小型の部類に入るアッバルは他者の目から見ればまだ子供……。良く食べて良く寝て早く大きくなれよ、と見守られていることをアッバルは知らない。

 

 メイドが猫ちぐらを抱え、第七階層、デミウルゴスの元へ運ばんと歩き出す。アンデッドばかりのナザリック大地下墳墓には気温調節などという親切な機能はない。アンデッド以外の者でもこの程度の寒さは平気な者ばかりなのも原因の一つだろう。比較的温かいのはダークエルフの双子が管理する第六階層くらいか。

 アッバルは太陽光で体を温めてから活動する変温動物ゆえ、二日目に執務室で昼寝した際はそのまま冬眠に入りかけた。いくら揺すっても目覚める様子の無いアッバルにモモンガが悲鳴を上げたことはソリュシャンしか知らない。

 そんな睡眠から冬眠まっしぐらなアッバルを平穏無事に目覚めさせるべく、選ばれたのが第七階層「溶岩」だった。うっかりすると八本足蛇の蒸し焼きになるため、第七階層内でも涼しい場所――デミウルゴスが控える執務スペースの奥、火山の一部をくり抜いて作った小さな部屋――に安置されることが決まった。目が覚める頃になると執務室にまた移されるのだ。

 

 猫ちぐらを手に第七階層へ上ったメイドだが、そこにデミウルゴスの姿はない。他の用事で出ているのだろう。デミウルゴスの親衛隊を呼ばい猫ちぐらを渡す。

 

「アッバル様の眠りを妨げることのないよう運んでください」

 

 承りました、と頷いた悪魔種の背中をしばらく見送ると、メイドは踵を返してその場を離れる。

 

 モモンガは甲斐甲斐しく世話をされたり付き従われたりするのを好まないようだ、と、メイドらはこの数日の間に学んだ。先ほども儀仗隊を厭い、付いてくるなと命令までして一人で外へ行ってしまった。しかしメイドらは仕えるべくして生まれた存在、奉仕することなく部屋の隅で埃を被っているなどどだい無理な話だ。

 モモンガに全力で仕えられないことは身を切られるほど悲しいが、モモンガの身代わりがいる。モモンガはアッバルの紹介をした際に「彼女への対応は私と同じようにせよ」と命じたという。つまりモモンガにしたくとも出来ないことをアッバルで解消すれば良いのだ。彼女が泣こうが嫌がろうが知ったことではない、何故なら彼女はまだ子供なのだから。一人になりたい・一人でやりたいなどという子供の駄々は「アーハイハイ」で流してしまえば良い。――異形種というものは欲望に忠実、自分の意思を押し通すためなら他人の都合など知らぬ。

 そう。アッバルにはメイドらに磨かれ、奉仕され、飾り立てられ、メイドらを連れて歩く義務がある。

 

 メイドはうふ、と女性らしく頬に手を当て唇の両端を上げた。ナザリックのNPCらしい笑みだった。

 同時刻。熱いはずの第七階層の一角でぶるりと背筋を震わせた八本足の蛇は……今は夢の中だ。

 

 

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを起動させ自室兼執務室へ戻ったモモンガは、先ほど部屋を出る前にはあった猫ちぐらの不存在に長嘆息した。猫ちぐらの置かれていた棚の上を撫でてみるも、ただ冷たい板の上を骨が滑るのみ。

 

 ――この世界は美しかった。ナザリックの誇る全ての宝石をぶちまけてもその百分の一も占めることが出来ないだろう、無限大数の星が輝く夜空。草や湿った土の匂い、夜の匂いを孕んだ風が頬を撫ぜる感触、月や星に照らされ暗く輝く葉の一枚一枚……この感動を共有できるだろう相手は今、第七階層で夢の世界を散歩しているところだ。

 

 文明の発展と共に自然の破壊が進んだ結果、星空をはじめ、色々な美しい自然を失った二十二世紀。鈴木悟は草原を踏みしめる感触を知らず、数多くの葉と葉が擦れて降雨に似た音を奏でることを知らず、月光に照らされた自然を知らぬ。彼が生まれ育った現代日本にはそのどれ一つとしてなかったのだ。

 ユグドラシルのナザリックは制限付きの存在で、サービスが終了してしまえばいくら願っても二度と訪れることのできない夢や霞でしかなかった。誰もが現実の生活を持っていて、その合間にユグドラシルという共有の夢を見ていた。偽物の空の下で遊ぶ、期限付きの夢だ。だが今はどうだ? 頭上に広がるのは本物の星空で、頬を殴ってみても夢から覚める様子が無い。夢ではない、現実なのだ。ナザリックは現実の物となり、NPCらには命が宿り、集めた武器や装飾品らはリアルな輝きを得た。

 現代を生きる地球人で、今のモモンガと同じ経験をした者はいるだろうか。月や星の輝きの下でひっそりと息をひそめる自然を見た者は。月に見守られている心地良さを知っている者は。空を失った人類が進むのは滅亡への一本道……。地球の生命力を吸い上げ肥大化した化け物(じんるい)は今に地球を食らい尽し、そして餓えて死ぬだろう。それがまだ遠い未来であれば良いのだが。

 

 現代日本に帰ったとして、アッバルは幸せになれるのだろうか。他人の幸せを決めつけてしまうのは傲慢に過ぎる行為であろうが、DMMO-RPGの中にしか自由のないあの世界で暮らすことが幸福とは、モモンガには到底思えない。

 もし、もしだ。モモンガがそう頼んだなら、アッバルはナザリックで生きていく道を選ぶだろうか。アインズ・ウール・ゴウンはモモンガさんとお友達の場所でしょう、とギルドへの参加を断り続けてくれた親切な彼女は、頷いてくれるだろうか。

 

「くそっ」

 

 手元――棚を殴れば、分厚い一枚板であるはずのそれは薄い合板の様に簡単に折れた。

 

 傲慢だ、とモモンガは自分を嗤う。どんなに綺麗事で包装したところで、モモンガの身勝手な希望でしかない。自分と同じ存在が欲しいのだ。今やモモンガが人間だったことを知っているのはアッバルだけだ。自分のルーツを証明してくれる相手はお互いだけだ。

 甘えだ。甘ったれている。弱いところを見せても絶対にモモンガを裏切ることのできない弱者を囲い込みたいのだ。ぶくぶく茶釜さんやペロロンチーノさんを何故か思い出させる彼女を手放したくないのだ。――昨日の昼など酷かった。ぴくりとも動かないアッバルに、彼女が死んでしまったのかと思った。蛇の心臓の場所など知らないから、ひたすら振り回すばかりだったが、きっと知っていれば全力で心臓マッサージをしただろう。無いはずの脈拍は強く速く、狂乱しかけては沈静化することを何度も繰り返した。歳の離れた妹のような子だ。同じ境遇の、これから共に冒険をする仲間だ。

 

 手放したくないのだ。普通のサラリーマンである鈴木悟はアッバルを、同郷の友・仲間として。ナザリックのギルドマスターたるモモンガはアッバルを、決して裏切らぬだろう幼い同胞として。

 手元が寂しい。柔らかく、しかし弾力があってひんやりと冷たい物が足りない。手を何度も開いては握り、モモンガは一言零す。

 

「あの腹部が恋しい……」

 

 

 第七階層の一角で、八本足の蛇がクシュンとくしゃみをした。とある親衛隊員は仲間に「ここって寒いか?」と訊ね、仲間は「どっちかって言えばクソ暑い」と真面目な顔で答える。そしてその後また聞こえたくしゃみに、親衛隊はアッバルへ手持ちのハンカチを捧げたのだった。


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