オーバーロード二次「+α」   作:千野 敏行

6 / 31
六話

 モモンガが鏡を前に手で円を描いたり指先を横にスライドさせたりしている横、装飾過多なテーブルの上で、アッバルは分厚くカットされたベーコンと瑞々しいレタスやトマトのBLTサンドを四本の足で抱え込むようにして食べていた。あの猫ちぐらには温魔法か何かが掛けられているのかもしれない、アッバルの今日の目覚めもスッキリであった。デミウルゴスに何か礼をせねばなるまいと考えるものの、アッバルがデミウルゴスにしてやれることなど思い付かない。

 大きく口を開けてあーん、むしゃむしゃと素敵な朝食を楽しんでいるアッバルだが、モモンガは鏡――〈遠隔視の鏡〉というアイテムらしいが、アッバルはユグドラシルで見たことも使ったこともなかった――を前に困っている様子だ。

 

『モモンガさん、さっきから何をされてるんですか?』

『ああ、あのですね……』

 

 訊ねたアッバルに対し、モモンガは苦笑を滲ませた声で「この鏡の使い方の解明が今行き詰っているんです」と伝言を送って来た。なるほど、さきほどから右へ移動したり左へ移動したり、空を見上げたり地を見下ろしたりはしているが、拡大と縮小がなかったのはやり方が分らないためだったようだ。

 〈遠隔視の鏡〉の表面には当然ながら、鏡の前に座るモモンガではなく草原が映っている。朝日に照らされて輝く緑の野原……。アッバルもテレビ番組や動画サイトでそのような映像を見たことがあるが、残念ながら彼女の知る「原っぱ」には土がむき出しの砂漠モドキしかなかった。いま鏡面に映る、風にそよぐ草原でさえアッバルにとっては見慣れぬ光景だ。

 

『私も使ってみたいです。ちょっと急いで食べるんで待っててください』

 

 アッバルはBLTの残りを頬に詰め込んだ。元が蛇であるからして、彼女は量を腹に詰め込むのは大の得意だ。しかし皿を見下ろせば悲しいかな……パン屑や零れた野菜、ベーコンの欠片が皿やランチョンマットに落ちている。零れやすい物を食べるのはまだ難しく、今の体で食べることに慣れるまでは今の様にボロボロ零すだろう。

 アッバルが恐る恐る給仕であるメイドを見上げれば、大きくなるにはご飯を残してはいけませんよ、と注意を受けた。食べ方が汚いと怒られるのではないかと心配したのであって、残したいと思ったわけではない。

 

「あ、でも大きくなりたいわけでもないな」

「屁理屈をこねてはいけません」

 

 アッバルは「ちゃうねん、そうとちゃうねん」とテレビで学んだ関西弁を漏らす。視線を感じてモモンガを見やれば何故か、微笑ましいものを見るような目を向けられていた。明らかにアッバルを子供扱いしている。この食べ方の汚さや先ほどの彼女の言い訳にもならない台詞からその気持ちも分らないではないが。

 

『ダイエットは体に悪いですよ。それにアッバルさんはもう少し食べて肉を付けた方が魅力的だと思いますし』

『ダイエットでも駄々でもありませんからね? 分って言ってらっしゃるでしょう。――で、その魅力って握り心地のことだったりします?』

 

 目覚めて早々に腹を握られたのはアッバルの記憶に新しい。何やらモモンガが凹んでいる様子であったので好きにニギニギさせてやったが、ニギニギはモモンガの持つ権利ではなくアッバルの親切心なのだ。それを取り違えてはいけない。

 モモンガがギクリと肩を揺らし手を上げる仕草はわざとらしく、じっとりと睨むアッバルに彼は愉快だと言わんばかりの笑みを浮かべている。モモンガの見た目は骨のため、笑っているように思えるのはアッバルの勘に過ぎないが。

 

「おっ!」

 

 モモンガが歓声を上げた。レタスを拾うため視線を落としていたアッバルが顔を向けた、当のモモンガの視線の先には――鏡面に映る映像が拡大されていた。モモンガの動作で拡大と縮小が繰り返されるのを見るに、どうやら先ほどの両手を上げる動作が拡大であったらしい。モモンガはセバスに褒められ照れている。

 先ほどまでとは違い楽しそうに画面を動かし始めたモモンガの姿を横目に、アッバルは食べ落としを口に詰め込んで行く。今の彼女には目の前の朝食の後処理の方が重要、斜め後ろに立つメイドに再びトンチキな方向の注意を受ける前に、さっさと片付けてしまわねばならない。残るパン屑を手に貼りつけては舐め、貼りつけては舐める。時間の余裕がある暇人しかできない後処理だ、普通ならこんなチマチマと食べることはない。

 

「……祭りか?」

 

 モモンガの言葉にアッバルも鏡面を見上げた。鏡面に映る小さな人影が忙しなくあっちへ行ったりこっちへ行ったりする様子は、祭りの準備と言われれば納得してしまいそうだ。

 

「いえ、これは違います」

 

 セバスがモモンガの横に立ち、鋭い視線を鏡面に向ける。セバスの表情を見たモモンガが映像を拡大すれば、そこには一方的な殺戮があった。対抗する術を持たない、見るからに貧しいと知れる者たちと、彼らを屠る全身鎧の集団。騎士の振るう剣が一閃する毎に一人死んでいく。

 子供を抱き込んだ姿で事切れた親、その腕の中で泣いているその子の頭が、今、サックリと割られた。重力で切れ味が増しているのか、脳や骨が砕け飛び散るようなことはなく、滑らかな断面から小さな血の噴水があがった。

 アッバルは手を舐める。パン屑しか付いていない。

 

 アッバルの家庭は蛇を飼育していた。アオダイショウだ。性格は温厚。大人しくハンドリング(爬虫類を手にとること)させてくれる良い子で、アッバルにとっては弟のような存在だった。アッバルがユグドラシルにおいて蛇の異形種を選択したのもそのアオダイショウが理由、蛇になりきってみたいという考えからだ。

 蛇の捕食は気持ちが良い。自分の胴体と変わらぬ直径のマウスを悠々飲み込む姿は爽快の一言に尽き、この蛇のように自分も命を食らって生きているのだと思うと、彼女の背筋はいつもゾクゾクした。――だというのに、あの騎士達ときたらなんだ。食べもしない癖にあんなに次々と殺すなんて、勿体ない限りではないか。蛇は腹持ちが良く、一匹のアダルトマウスで一週間もつ。アッバルもまたしかり……子供一体(あのサイズ)で十日は活動できそうだ。あの村人たちなら何週間、いや何ヵ月分になるだろう? コキュートスに冷凍を頼めば腐らせず保存できるだろうし、死体の山をパッと見た限りでも一年は満足して過ごせそうではないか。

 鏡面の向こうで本来の食料が生産されているというのに、こんなBLT(もの)で腹を満たすなど馬鹿馬鹿しい。この朝食はアッバルにとって、菓子や飲み物で腹を満たせと言っているようなもの。急速に消化が進んだ腹がひきつる様な悲鳴を上げ……アッバルを空腹感が襲う。

 

 はて、と彼女は首を傾げた。いま、自分は人を食べ物として見てはいなかっただろうか。自分も人間なのに、まるでこれでは人間を食料と見ている生き物ではないか。アッバルの顔から音を立てて血が引いていく。

 室内にモモンガの舌打ちが響いた。掌を脂汗で濡らし震えるアッバルの心など知らず、モモンガの声にはただ期待が外れたという不快感しか含まれていない。モモンガはそんな冷徹な人間だっただろうか。もっと繊細で心優しい男ではなかったか。アッバルの知る彼は他人の痛みに顔を曇らすことのできる人だったはずだ。実は寂しがり屋でチキンで子供っぽくて……見上げたアッバルの目に映ったのは、冷静な表情で鏡面を観察するモモンガの顔だった。

 

 アッバルはモモンガを恐れて良いはずだ。アッバルはモモンガを見下げ果てても良いはずだ。だというのに、何故なのか。アッバルは「それで当然だな」と納得して、モモンガに同感していた。人間を躊躇いなく見捨てたモモンガの言葉に同意していた。そして、モモンガが言葉を覆し助けにいくと言い出したことを不思議に思ってしまった。

 

  どうして意見を変えたのか分からず、またもしかすると人を食べられるかもしれないという期待も抱きながら、アッバルは急いでモモンガの背中に飛び付く。

 

「私も!」

 

 アッバルはスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを取り出し転移門を開いたモモンガの背にしがみつき、モモンガの付属品として遠隔地への移動を果たした。食人を期待することは人間の思考としておかしい、と考えたこともすっかり忘れて。

 

 

 

 さて、時を遡ること三日と少し。第六階層の円形劇場にてモモンガへ忠誠を捧げに集まった守護者たちであったが、既にナザリックの主人はどこぞへ転移してしまった後だ。アルベドとシャルティアが睨み合う横、女子会ならぬ男子会が始まった。

 

「偉大なる支配者の後継はあるべきだろう? モモンガ様は最後まで残られた。だが、もしかすると我々に興味を失い、他の方々と同じ場所へ行かれるかもしれない。その場合、我々が忠義を尽くすべきお方を残していただければとね」

 

 デミウルゴスはマーレ、コキュートスを相手にそう語る。アルベドやシャルティアが寵を得る・得ないという問題は、モモンガが他の至高の41人と同じようにナザリックを捨てて去ってしまったとき、彼の後継者を用意できるかできないかに繋がっている。至高の41人に作られた守護者らの地位はアルベドを除けば横並びであり、誰が突出して偉いというものではない。

 もしモモンガもがナザリックを去ってしまったならばどうなるか……守護者らは自死を選ぶ。復活が可能ではないかって? その復活させるのは誰だ。復活のさせ方を知っているのは誰だ。モモンガだ。至高の御方が再びナザリックへ戻るまで、彼らは死という停止を受けるのだ。だが、守護者もNPCも絶えた廃墟に誰が帰りたいと思うだろう。誰かがナザリックを保たねばならず、そしてそれは一人で十分。自死する権利を争う戦いが起こることは間違いない。デミウルゴスはその戦いに勝つ自信があった。

 だが、モモンガが子を残したならその子こそがナザリックの次の主となる。守護者らは忠誠をその子へ捧げ、彼らを生み出した至高の41人を心の宝石箱に大切に保管して、それからも生きていく。至高の41人の作り上げたナザリックは不滅でなければならないのだから。

 

「えっと、そ、それはどちらかがモモンガ様のお世継ぎを?」

 

 世継ぎの作り方など知らぬ様子のマーレはおどおどとそう口にする。もし知っていれば声に照れが混じっただろう。

 

「ソレハ不敬ナ考エヤモシレナイゾ? ソウナラナイヨウモモンガ様ニ忠義ヲ尽クシ、ココニ残ッテ頂ケルヨウ努力スルノガ守護者デアリ創ラレタ者ノ責務ダ」

 

 しかしコキュートスは悪魔の甘言に乗せられる。

 

 コキュートスが守護する氷の世界を駆ける、幼児サイズの骨。その向かう先はもちろんコキュートスで、その固い甲殻に飛び込むや、馬になれ爺、と笑顔を浮かべる。コキュートスは喜んで馬になり、馬のごとく嘶いた。次。ナザリックの玉座に掛けるモモンガを見上げる少年サイズの骨。彼は決意で拳を握りしめ、私もいつか父上のような死の支配者になるのだ、修行に付き合ってくれ爺、と凛々しく宣言する。爺は何度も頷いて、いそいそと剣と防具を取り出した。次。華美な装いに身を包み、剣の腹でコキュートスの肩を叩いた成人サイズの骨。成人して久しい彼は骨格標本のように美しい嫁を連れてきて、父上の次に爺に紹介したかったのだ、と照れる。爺は、爺は胸を喜びで詰まらせながら祝福した。

 コキュートスは甘い夢に浸る。素晴らしい、なんと素晴らしい。果ては赤ん坊サイズの骨を抱き、息子は爺に頼みたい、と命じる骨まで幻視して、コキュートスは泣いた。虫なので涙は出ないが。

 

 そんなコキュートスには見て見ぬ振りをし、デミウルゴスはだが、と続ける。

 

「急ぐ必要はないだろうね。モモンガ様がご紹介なさったアッバル様、彼女はまだ子供だ。もしモモンガ様が去ろうと思われるにしても彼女の成長を待ってからになさるだろうし……百年かそこらは大丈夫だと思うよ」

「は、はい。アッバル様はまだバジリスクですしね」

「見たところ、生まれてからまだ数年といった個体だ……。モモンガ様はアッバル様をどこで拾ってこられたのだろうね。蛮勇の一種かもしれないが、目上に意見できる勇気とシモベに対する寛容を持ち合わせた方だよ」

 

 あの絶望のオーラを誰よりも近くで受けながら、守護者らを守ろうとしたあの姿勢。モモンガの深謀遠慮を理解するには幼いためにモモンガを止めたのだろう。あのようなただの(・・・)バジリスクが。アウラやマーレに吹き飛ばされそうな弱い個体が。守護者らを守ろうとモモンガのマントを必死に引いたのだ。なんという優しさだろう。

 あんなに弱いのに。

 

 その日、守護者たちはアッバルを見守ることを決めた。せめてエルダーに。いや、エンシェントにまで育ってほしい。エンシェントへの道は長い、エルダーから二回進化をせねばならないのだ。だがギガントなどというデカブツにはさせないぞ、あれはエルダーバジリスクが巨大化しただけではないか。無駄に大きいだけの馬鹿に育ててどうする。

 アッバルの望み(ペット化)は本人の知らぬ間にダストシュートへ投げ捨てられた。今はナザリックが転移したばかりで忙しいが、時間を取れるようになれば守護者らによるアッバル育成ゲームが始まるだろう。夢はでっかくエンシェント、が彼らの標語であることをアッバルは知るよしもない。

 

 

 ストレス解消揉みぬいぐるみになれば良かったとアッバルが後悔するまで、あともう少しかかるだろう。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。