オーバーロード二次「+α」   作:千野 敏行

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九話

 戦士長ガゼフ・ストロノーフを名乗る男とアインズが自己紹介しあっている中、アッバルは大人たちが子供を守るため作った円陣の内部、子供の腕の中にいた。

 

「うう……お腹すいた……」

「バルちゃんシーだよ、シー!」

「うん……」

 

 欲が中途半端に満たされたアッバルは肉に飢え、腹の虫がギーコギーコと下手なヴァイオリンを奏でている。二本目の腕をもらう前ももらった後も、騎士の死体をじっと見つめてぼんやりしていることが頻繁にあった。今のアッバルには足りなかったのだ。

 肉が、胴体が欲しい、もし胴体が駄目なら腕が欲しい。腕も駄目なら指で我慢する。もし指も駄目だと言うならば干し肉や塩漬け肉でも良い。肉が欲しい。そうしたら……そうなれば、ずっと口に含んでいよう。口に何か含んでさえいれば我慢できるかもしれないから。このぐつぐつと煮えたぎるような食欲を、脳味噌を騙せるだろう。アッバルの口は乾上がっていく。

 干し肉や塩漬け肉というものは新鮮さこそないものの、味が凝縮されジューシーで独特の歯応えがあり、持ち運びに良いためいつでもどこでも食べられるという長所がある。アッバルはスパイスを練り込んだものが特に好きだ。ここで、アッバルは喉の乾きに気付いた。普段の彼女ならビールを求めただろう。がぶ飲みしたいわけではないからキルシュビールあたりか。フルーティで呑みやすく、ゆっくり呑むのにぴったりなビールだ。細く背の高いビールグラスをちびちびと傾けてつまむザワークラウトやサラミは最高である。

 

 アッバルは酒が好きだ。つまみも好きだ。未成年の頃から既にグリューワインやホットビールを風邪薬と称してガブガブ呑んでいたし、父親のちょっと高いカマンベール入りチーズたらをかっぱらっては食べていた。元々彼女は飲食物に関してはかなり五月蝿いタイプの人間だった。しかし、今の彼女はそんな嗜好など忘れ、ただひたすら求めていた。喰らい尽くしてもかまわない人間(もの)を、肉を、と。

 アインズとアルベドの積み上げた騎士たちの死体はとうの昔にナザリックに送られ、コキュートスの元で冷凍保存されている。始めこそアッバル自身も楽しく子供と遊んでいたが、次第にそれも疲れてしまった――体力ではなく精神的な疲れだ。アッバルは中途半端な量がゆえの食事に対する飢餓感と、子供の遊び相手という慣れない仕事による疲労感に苛まれていた。やっとナザリックに帰ることが出来ると思った矢先の襲撃、もといガゼフ・ストロノーフの来訪だ。全く美味しそうな名前ではないか、肉料理を思い出す。

 

 だんだんと、疲れつつも世話を見ていた子供たちが美味しそうな肉の塊に見えてくる。まだ乳臭い餓鬼の柔らかい肉が腕の下に、腹の前に、無防備に……無邪気に、回されている。アッバルの思考が乱れ始める。これは肉だ、いや違う、子供だ。アインズが交流しつつ情報を手に入れるようにと言った、食べてはいけないものだ。

 アッバルの本能は仕方がない。本人は気付いていないものの、バジリスクの肉体は食い溜めを求めていた。養分を、肉を摂取せよと本能が叫んでいるのだ。腕を二本食べたではないか?――否。バジリクスの胃袋にとって、あれは間食でしかない。元々アッバルは食べることが好きな性分。本能はその食欲を猛烈に強調し、食いまくれと囁いている。背中に当たるその柔らかい感触はなんだ、腹に回るその柔らかい感触はなんだ、鼻をくすぐる甘い匂いはなんの匂いだ?

 だいぶ西に傾いた太陽は朱く世界を染める。常であれば赤に染まった自然に感動し、震えていたであろうアッバルだが、その赤を血の赤と見た。肉を焼く炎の赤と見た。真っ赤な炎の玉が空に浮かんで、肉を焼こうと赤色光線を振り撒いている。思考が千々に乱れる。さっき何を考えていたんだっけな。

 

 それからどれほどの時間が過ぎたのか。室内へ移動してしばらくじっとしていたと思えば、突然少年――アッバルを抱えた子供だ――が走り、体が激しく上下に揺られた。アッバルは慌てて腹に回された肉にしがみつく。何があってもこの肉は手放さないとばかりにぎゅうぎゅうと。

 

「アインズ様のおじちゃん!」

「……ああ、なんだね」

 

 不思議な呼ばれ方に戸惑ったのか、一拍おいた応えが返された。アッバルはただひたすら肉にしがみつく。この肉は私のものだ。

 

「バルちゃんさっきから元気ないんだ。お腹すいてるんじゃないかな、ご飯あげてくれる?」

「ほう。教えに来てくれたのか、良い子だ」

 

 アインズが子供の頭を撫でれば、子供の口から照れた笑い声があがる。その間アインズからアッバルへ〈伝言〉が入るも、彼女にはそれが何なのかも、言われている言葉の意味も分からない。ただ考えるのは、食べなくてはということ、それだけだった。

 

『アッバルさん、アッバルさーん。あれ、アッバルさんどうしたんですか? 返事してください、アッバルさん。なんなんだ一体……アッバルさん! 返事をしてください! こういう時に限って面倒事がバッティングするんだよな。……本当に空腹なのか? 空腹ってだけでこうなるとは思えないけど……アッバルさん、返事をして下さい。後で幾らでも食べさせてあげますから』

『……食べ? 食べ物?』

『嘘だろ、本当に空腹が原因かよ』

『あ、モモンガさんどうしたんですか?』

『いえ……』

 

 空腹でぼんやりしていただけかと安堵しかけたアインズだったが、先ほどのアッバルの様子は尋常ではない。もしや、ただの空腹ではないのではなかろうか。本能や種族としての特性に関わる何かがあるのではないか。アンデッドになったアインズが眠気も食欲もなくなったように、暴食のようなバッドステータスがあってもおかしくない。

 

「アインズ様のおじちゃん?」

「……いや、なんでもないとも。ほら、アッバルさん、私の手に」

 

 もぞもぞとアインズの手の中に移動したアッバルを無意識のうちに揉みながら、アインズは顎に指を添え考えに没頭する。――目の前に獲物(こども)がいて、またその獲物を捕えるのは簡単。肉は柔らかいし骨も軟らかく消化しやすいだろう。今すぐ少年に飛びかかってもおかしくないほどに本能は栄養を求めている。だが、アッバルは大人しい。圧倒的強者に握られているためだ。負の波動などなくとも、種族として彼女はアインズの足元を這う虫、逆らうなど馬鹿の所業だ。もしアインズとアッバルが同じ第五位階の魔法を放ったところで、悲しいかな、その威力は天と地。ミミズが象に挑むほど愚かと言える。

 それだけ種族差というものは大きいのだ。ホーンラビットがオーガに勝てるだろうか? いくら武装したところで、コボルトがドラゴンに勝てる確率は? 答えは「不可能」、試そうなどとは馬鹿の所業。勝率など計算する必要が無い。同様にして、ただのバジリスク、毒蛇から少しばかり階が上がっただけの種族は、旧支配者たるオーバーロードの前では無力。より本能の強まった状態である現在のアッバルがアインズに逆らうわけなどなかった。――デミウルゴスがアッバルを弱い癖にと考えたのも当然の話、本当に弱いのだ。そして、だからこそその勇気と優しさを称えた。

 

 何故これほどアッバルの本能が剥き出しになっているのだろう。きちんと原因があった――ナザリックと共に異世界へ転移したこの三日間に。

 一つ目の原因は環境の変化だ。ナザリック大地下墳墓の面々はアインズにとって、無表情なそれではあったが見慣れた顔。彼らの性格を知った時のショックも、例えば写真やテレビで見続けてきた芸能人の素を知った、程度のショックでしかない。しかしアッバルにとって彼らは全くの初対面、それも種族としてバジリスクは彼らの足元を這う程度――威圧されないわけがなかった。加え、既にコミュニティの形成された環境に飛び込む形になったことで自分の居場所のなさを感じる。よって、アッバルの安心できる場所はアインズの近くしかなかった。彼は保護者として振る舞っていたし、そういう雰囲気をアッバルの本能も感じ取っていた。だが、精神異常耐性を身に着けていないアッバルのストレスが煙のように消えてくれるわけでもない。彼女の中にはストレスが蓄積していた。

 二つ目はナザリックの温度だ。異常気象になる前、日本において蛇が冬眠するのは十一月頃。その一ヶ月ほど前から食い溜めを始め、養分を溜め込むのが通常だ。ナザリック大地下墳墓第五から第七階層を除く階層の室温は十度前後であり、この室温であれば、例えばアオダイショウなどはとっくに冬眠の用意をしているか、既に冬眠している。アッバルは一度冬眠しかけたため、その晩から「溶岩」にて睡眠を摂るようになったが、普段の生活圏内が寒過ぎた。一時的に「溶岩」の一角で暖められても、それ以上の時間を寒い場所で過ごす生活……この寒暖の差の大きさに蛇の本能が混乱した。冬眠すべきか? それともすべきではないのか?

 

 個としての命に関わる問題によって、本能は理性を上回る。命の存続のためには食べねばならない。食べることは強くなること、食べることは冬を乗り越えられること。

 

 ――そして。アッバルの理性は、恐怖に脂汗を流した騎士らを前に崩壊する。

 

 

 陽光聖典の騎士が放った礫を抱く鉄のスリングはアインズを掠ることがなかった。アルベドがそれを防いだためだ。スリングを当の騎士へ打ち返した彼女の技巧、転移かと見紛う速度を生み出した脚力、バルディッシュを振るう様子はまさに神速。アルベドが蹴った地面はまるで、植えたばかりで根づいていない芝生のように捲れている。あまりにもあっけなく、また当然のことのように行われたそれに、陽光聖典らは吐くはずの息を飲み込んだ。

 

 脳味噌を散らし死んだ仲間、その死因のあまりの荒唐無稽さが信じられず、ニグンは監視の権天使をアインズに向かわせ、ようとした。

 

 ――アルベドはアインズへの攻撃を撥ね返すとき、腕の中に抱えていたあるモノを放り出していた。それは八本足の蛇。長ずれば石化の魔眼を身に着け、歩けば毒の川を作るというバジリスク。その幼生、アッバルだ。

 アッバルは食糧を求めていた。漂う血の匂いにクラクラしていた。恐怖の汗の臭いに酔っていた。アッバルを捕えていた怖い物(アルベド)は彼女を放り出した。全てが彼女に囁いていた。さあ、ご飯の用意ができましたよ。

 

「ば、バジリスクッ!?」

 

 幼生とはいえバジリスクはバジリスク。単なる人間が勝てる存在ではない。バジリスクは騎士達が事前の用意を入念にし、鏡の盾とよく研がれた剣をもってこそ倒せる怪物なのだ。

 バジリスクは目を見開いて、騎士を――頭を砕かれた仲間を確認していた騎士を見つめた。石化はしない。幼いこれにそこまでの能力はまだない。だが麻痺状態に置くことは出来る。アッバルはユグラドシルにおいて麻痺耐性のない上位モンスターを麻痺させ、ちまちまと倒すプレイを好んでいた。ただの人間の動きを止めるなど造作もない。

 蛇は我が身と同じ直径のマウスを飲み込むことができる。自らの直径以上の動物も飲み込める。蛇の体は案外伸びる。

 

 蛇の口が開き、二人の騎士が消えた。一瞬のことだった。

 

「か、かかれぇぇぇぇ!!!!」

 

 監視の権天使がニグンの掠れた指示に従う。天使らは監視と呼ぶよりは襲撃と冠すべき姿だ。全身鎧にメイス、円盤型の盾、足先まで覆い隠す直垂――その持つ固有能力を知らなければ奇妙な名付けだが、監視の天使は視認する味方陣営の防御能力を上げる、言わば視界を武器とするバフ職。名付けに間違いはなかった。

 

 ――蛇に食われるのが先か、仮面の男に殺されるのが先か。陽光聖典の騎士等に与えられた選択肢はそれだけだった。幾人か半死半生で捕らえられたが、彼らを待つのが死であることに変わりはない。陽光聖典らとの戦いはユグラドシルでのゴブリン狩りよりは愉快ではあったが、その後アルベドの質問に気持ちの余裕をもって答えられるほど「つまらない」ものだった。

 五六人ほど食べたと思えばスイッチが切れるように寝入ってしまった腕の中のアッバルを見下ろし、アインズはこの暴食の蛇(バキュームカー)をどうすべきか考える。人肉に理性を失う種族特性ではない、それならばカルネ村で暴走していたはずだ。ナザリックでの食事が足りなかったわけでもない、お代わりは自由だったのだから。原因が何なのか……本人が起きてから共に検証しようと決め、アインズはアッバルをアルベドへ渡す。

 

「くふーっ! そうよね、子供の面倒は妻がみるのよ……」

 

 何故か悶え始めたアルベドを見なかったことにして、アインズは村へ歩きだす。地平線の向こうへ沈んだ日光が雲に忘れ香のように射し、朱色の雲がぼんやりと西の空に浮かんでいる。闇色の東の空には星々が輝き、東から西へ、西から東へと視線を走らせれば空には美しいグラデーションが重ねられている。

 空のカンヴァスは忙しいようだ、見る間に闇色が西の空を侵食して行く。――そして、闇になった。

 

 村の灯りはもう近い。


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