遠い夢の日   作:キサラギ職員

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 ―――夏。

 一人の少年は迷っていた。

 喘息持ちであることを知らせるかのように首に吸引器具を掲げていた。短パンにシャツに麦藁帽子。いっそのこと清清しいほどの夏の田舎の姿をしていた。色は白く、体格は決して恵まれているとは言えない。むしろ肉付きは悪く、平均身長を下回っていた。

 少年はきょろきょろとあたりを見回す。森、木々、草、蝉、カラス。さんさんと降り注ぐ太陽さえ葉に遮られ、雑木林特有の甘いような香りがただよっていた。熱せられた空気も森ではまるで息を潜めていた。

 

 「あれ……? どっちだったっけ? こっちかなあ?」

 

 少年は自分の記憶を辿り、元来た方角へと歩み始めた。

 きっかけはつい数時間前。

 夏休みで父方の田舎へと夏休みを利用して泊まりにきたのだ。もともと体が弱く喘息持ちだったこともあり、田舎にとまることでいい空気を吸ってもらおうという意図もあったことだろう。両親最大の誤算は少年の好奇心が平均よりも大きかったことである。いつもの道を通ってカブトムシを採取しにいく途中で獣道を見つけて探検を始めてしまったせいで迷ったのだ。

 少年は歩く。石を蹴飛ばして、へたくそな歌を紡ぎつつ、とんとんと、歩く。雑木林を越えて、小高い丘を乗り越えて、倒れた木の根っこを潜り抜けて。

 景色が開けた。

 山の中にぽっかり口を開いた空間があった。石畳があり、目線で追いかけると鳥居があった。鳥居にはからすがとまっており少年の方を見つめてきていた。

 少年にとってからすは恐怖の対象でしかなかったが、好奇心に足踏みさせる要因にはなりえなかった。

 大きく胸を張る。お前など怖くないのだといわんばかりに肩をいからせて鳥居を潜ろうとする。

 からすは怯えた様子で嘴を持ち上げると、地面を低く舐めるようにして森の木々の間をすり抜けていく。たくみな翼遣いはまるで空は自分の所有物であると主張しているかのようだった。

 

 「……おや。人か……久しいのう……このような僻地に何かお探しかな」

 

 少年は今しがたからすが飛び去っていった方角に突然として現れた一人の女性の姿を認めた。

 僻地の意味は良く分からなかった。

 ―――綺麗なひとだ。

 少年は思わず呼吸も忘れて魅入っていた。

 艶やかな黒い髪の毛を腰まで垂らした、年頃の娘が箒を片手に存在していた。立っているというよりも、あると感じ取った。まるで木が地面から生えているかのように。まるで風が空から降ってくるように。あって当然のように立っているというのに、その黒い双眸から月の明かりのように放たれる魔性の魅力が違和感をかもし出していた。

 からすの羽のように黒く艶のある髪はゆったりと腰まで垂らされており、風にふわふわと揺れている。よく整った顔立ちはどこか疲れと悩ましい影を潜めていたが、彼女の美しさを彩っていた。萌黄色の着物に包まれた体はほっそりと大地へと伸びており無駄にでっぱった箇所は一部たりとも見られない。

 着物を着込んだ女性が一人山奥にいることに対し、少年はさほどの疑問を感じなかった。田舎で着物を着込んだ女性はそう珍しいものではなかった。まして夏ならば祭りの参加者かもしれないからだ。

 彼女――少年には、高校生か大学生程の年頃の若い娘のように見えた――は、髪についているシンプルな髪飾りを手で触れると、箒片手に少年の前まで歩いてきた。

 

 「あ、あ、あ、あの……!」

 「どうやってはいった?」

 

 彼女の声が無機質に響く。少年を責め立てるような冷たい声で問いかける。宝石のような双眸はまるで墓石のような質感を伴い少年へと照準されている。

 少年が言葉を失っていると、彼女が箒を地面へと置き、両膝にかかる裾を払い腰を落とした。

 鋭利に見開かれた瞳と大理石に切れ込みをいれたような鼻先が僅かに笑みをたたえた。

 少年のおでこに彼女の手が置かれた。温かみのある、しかし皮の荒れたざらついた手であった。

 少年が身動きもできず固まっていると、彼女はふっと口元を崩し立ち上がった。

 

 「ふむん……貴重な才能を持っているようだの。ぬしのような人が稀におる。

  我々のように隠れ住む者たちのまじないを破って到達する才能を持つものがな……」

 「……えっと」

 「くっく……わからんだろうな。勉学に励み父上と母上に孝行せよ」

 「あ、あのね、お姉ちゃん。ここどこなの」

 「ここは山の奥でもあるし麓でもある。ここにあってどこにもない。安心せよ。彼岸にいるわけではないぞ」

 

 小学生の少年には難しすぎる単語が並ぶ。首を傾げていると、彼女はかすかな笑みを快活そうに広げてみせた。

 膝の埃を払うと、箒を右手に、左手を少年に差し出して。

 

 「迷ったのだろう? ならばふもとまで案内してやろう。代わりに掃除を手伝ってくれ」

 「えっ」

 

 少年は戸惑いの声をあげながらも、箒を受け取っていた。

 この女性は誰だろう。ここはどこだろう。家に帰れるのだろうか。さまざまな思いが渦巻いて足を拘束する。

 すると彼女は腰をとんとんと叩きつつへたくそなウィンクをした。目じりが引きつっている。

 

 「我が名を百合という。

  童よ。お前の名前はなんというのか」

 「悟………」

 「では悟よ。実はとても疲れてしまっていてな……見ての通り雑草は生えるわ葉っぱは落ちたままだわで掃除せねばならんのだが、どうも体の具合が悪い。手伝ってくれ」

 

 百合が頭を下げた。

 少年は年長者に頭を下げさせていることに罪悪感を覚え、思わず慌てて両手を振って、頷いていた。

 

 「いいよ! やる!」

 

 掃除は難航を極めた。

 まず雑草を引っこ抜く作業であるが少年の馬力ではとても引き抜ける代物ではなく、百合から鎌を貸してもらい根元をほじくってからの撤去である。

 しかし元は都会のもやしっ子である。刃物の扱いに長けているわけもなく、大きく振りかぶって根元を強引にねじ切ろうとする手つきは危なっかしいの一言。おまけに刃の行き着く先が自分の足か顔面かの軌道を描きかねない手つきに流石に百合が言葉をかけて鎌を取り上げた。

 

 「もうよい。妾がしようぞ。小僧は箒で庭を清めよ」

 「……」

 

 やらせてもらえないことにむっと頬を膨らませる少年であったが、素直に箒で掃除を始めた。

 百合が腰をとんとん。肩を揉み解しつつも屈んで作業をしている。外見こそ若いというのに、まるで農家のおばあちゃんのような仕草に流石に少年は違和感を覚え始めてはいたが、掃除を始めるとすぐに忘れてしまった。

 日が暮れかけた頃。

 神社の境内は綺麗になっていた。

 枯葉の山の傍らで百合が額の汗を拭っていた。

 

 「おお随分ときれいになったのう……小僧、感謝するぞ」

 「……ぼく、小僧じゃない。悟っていうんだ」

 「すまんすまん」

 

 小僧小僧。ひたすら呼ばれ続けてきたことで腹が立った。腕を組み、百合を見上げる。大人と子供の身長の差である。頭が疲れそうな角度に設定していた。

 小僧という単語もあまり聞き覚えがなくても何度も言われれば分かる。自分が小僧と呼ばれていることくらいには。

 悪気はなかったのだと百合はまたウィンクをするとどこからともなく飴を取り出した。

 油紙に包まれた形の歪な球体。透き通った茶色と黄色が特徴的な大玉だった。

 

 「悟。ありがとう。本当に助かった。約束通りに里まで返してやろうぞ。飴は妾のお手製ぞ。

  ふとしたひょうしに飲み込まんよう気をつけて召し上がれ」

 「ありがとう!」

 

 かろん。飴を口に入れると、歯とぶつかって涼しい音をあげた。

 甘いようなしょっぱいような味がした。一度も舐めたことのない未知の味だった。

 甘いだけが美味しいお菓子の条件ではないのだなと感じた瞬間だった。

 二人で手を繋いで歩いていく。石を乗り越えて木の根っこを潜って、歩く、歩く。

 夕暮れ時。どこかでヒグラシが鳴いている。わんわんと鳴き叫んでいる。森におおいかぶさってくる風が葉を擦り合わせて、ざわざわと拍手をしていた。

 

 獣道を出た。

 百合の手を離すと、自分の記憶にある道路に来たことに喜びを隠せない様子でガッツポーズをした。

 子供というものは未練を残さないものなのだ。

 百合に手を振ると、すぐに駆け出していく。

 

 「じゃあねおねえちゃん! また来るね!」

 

 すると百合は複雑そうな顔をして手を振り返した。

 

 「さらばだ人の子よ」

 

 翌日、悟は同じ道を辿っていった。

 開けた空間に出る。神社があった。百合が日傘を持って本堂の階段に腰を下ろし本を読んでいた。

 つい、と鋭利な瞳が持ち上がると蝶の羽ばたきのように瞬いた。口元にかすかな笑みが乗る。

 悟はどたばたとかけていくと、風が強く吹いた。

 百合が本をたたむと、目にかかる髪の毛を柔く掻き分けて目を閉じた。再び開いた瞳はかけてくる少年の若い姿を正面に捉えていた。姿はすぐに隣に移っていた。

 すぐ隣に座った少年が百合の手元を覗き込む。

 百合は傘を折りたたむと、傍らに置いた。

 

 「なんの本?」

 「ほう。文学に興味とは感心感心」

 

 いうなり百合が本を悟に渡した。

 悟が読もうとしたがさっそく首を捻る。見たことのない感じ。見たことのない表現。日本語ではあるのだが、日本語ではないような。それもそのはず。旧字体の入り混じった昔の本だからだ。表紙は既に擦り切れて褪せてしまっていた。

 百合は悟から本をとると、おもむろに悟の体を抱え込んで自分の膝の上に乗せた。

 ―――ふわり。

 甘い香りが悟の鼻をくすぐった。

 

 「それでは読み聞かせてやろうぞ。これはな、とても有名なお話だ。

  覚えておくように」

 

 まるで教師のような物言いに悟がげんなりした顔をした。

 

 「もー早く読んでよー!」

 「わかったわかった………」

 

 

 

 それは、遠い夏の日の思い出。

 

 「また会いに来るね!」

 「うむ……そうあることを願おう」

 

 記憶は思い出になり、記憶になり、いつしか追憶するのだ。

 

 

 

 「ふう」

 

 黒い髪の毛を短く切った人物がバス停でリュックサックを背負いなおしていた。

 身の丈は優に180cmは超えているだろうか。体格はよく、鍛えられていた。

 首から喘息用の吸引器具がぶら下がっていた。

 夏の日の思い出。

 少年は青年になっていた。あの日の思い出を探しにその土地を訪れたのであった。

 

 「百合……」

 

 まずは父方の祖父の家に向かわんと携帯端末を操作した。




思いついたので見切り発車してみました。たぶん5話くらいで終わるのではと
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