榛名の視点。はるなの想い。
イチゴも生クリームも、アイスクリームもはるなは知っています。ですが……こんなの初めてです! 感激です! 組み合わせるとこんなにも美味しいのですね!
「しまった、もう一時間経ってる」
しかも一尉さんが奮発してくれたこのパフェ、まだまだ半分も残っています。今はちょっと小柄になってしまったので食べすぎには注意ですが……まだ食べられます!
「ん、なんか用事があったのか」
「はい、一時間ほどで戻ってこいと艦長が」
「なにそれ不味いじゃん、行かなくていいの?」
砲雷長さんと一尉さんが何やらお話しています。ですがこの苺ジャム……おいしいです! 苺ジャムだけでも贅沢なのに、それを苺やアイスクリームと組み合わせるなんて……素敵です!
「いや、まあ行かないと不味いんですけど……」
「あぁ、まあ……そうねぇ……」
なんでしょう? はるなに視線が集まります。
「?」
それから直ぐに、はるなは約束をすっかり忘れていたことに気づいたのです。
「走れっ」
「はいっ!」
時間がありません。一尉と一緒に街を走ります、護衛艦「はるな」の馬力は七万馬力、かけっこなら負ける気がしません!
あ、でも一尉は普通の人ですから、はるなだけが速く走っても駄目ですよね。合わせつつ走ります。
ちなみに砲雷長さんは「はるにゃちゃんと遊んでいたことがバレたら面倒だ」と言って何処かへ行ってしまいました。面倒、なのでしょうか……?
ともかく、あっという間に到着です。
艦長さんと一尉さんが会話をしている間。はるなはゆっくりと息を落ち着けます。
走って息が上がっているわけではありません。でも落ち着く時間が欲しいんです。
これから会う方は榛名にとって――――大事な人ですから。
「ほい、おにぎり」
亜細亜の諸国を植民地政策から開放する。そんな名目でおっぱじめられた戦争もいよいよ終わりが近づいていた。
当然ながら、この国の敗北として、である。
思えば今までが奇跡であったのだ。黒船来航から始まった開国要求。大陸の大国との戦い。植民地候補の一つに過ぎなかった極東の島々は島国となり、大陸の果て、太陽の昇る国とも呼ばれるまでに成長した。
しかし、所詮それはまやかし、農業人口が国民のほとんどを占めるこの国が、どうして先進国を名乗れたものだろうか。
しかし発展途上国に過ぎないこの国は欧州の
もしかすると、その時に運命は決まっていたのかもしれない。
「え、おにぎり……ですか」
しかしそんな身の丈に合わないことを考えても無駄である。大尉はそんなことを考えながらおにぎりを目の前の少女に差し出した。
「ああ、来るべき決戦に備え、榛名さんもしっかり蓄えておくんだ」
「あ、ありがとうございます……榛名、戦えますっ」
そう言いながらおにぎりを頬張る榛名……彼女は戦艦「榛名」の化身とも言える存在で、艦齢は既に三十ほどのはずだがまだまだ若く美しい姿を保っている。不思議だ。
「ですが……」
「どうした?」
「今の呉には榛名を動かすほどの燃料はありません」
確かにそうだ。南方との補給線を絶たれているのだから。もっとも、油があったところで空母がなければ戦艦「大和」の二の舞になるのだが……。
しかし、現在は事情が僅かに異なる。
「榛名さん。それは違いますよ」
「え……」
「燃料がないというのは遠方に赴くだけの燃料がない、という意味です。沖縄奪還の見込みが立たない今、戦艦部隊の役目は近海防衛でしかありません」
本当は尉官クラスには回ってこない情報であるのだが、なんでも敵国の上陸作戦が今年の暮れに実施されるらしい。冬を控えて敵前上陸を仕掛けるとはなかなか気合の入った連中だが、こちらにはまだ戦艦が四隻も残っている。上陸する前に海の底だ。
「……」
不安そうな顔であった。
大尉は榛名の浮かべる不安げな表情を拭うべく、そのまま言葉を続ける。
「それに、日本近海なら十二分な航空支援が出来ます。陸軍の連中も、流石に本土決戦となれば温存していた航空機を出すことでしょう……空母の不足は、地上航空隊で補えます」
「……そう、でしょうか」
「そうですよ、そのためにも、まずは英気を養って下さい」
そう言えば、榛名は既に半分ほどになったおにぎりに目を落とした。
「大尉さんは、優しいのですね……榛名にまで気を使ってくれて」
それは、違いますよ。
「もう自分の担当艦は、榛名さんしかいませんから」
「でも、こんな風に毎日会いに来てくれなくてもいいのですよ」
榛名は大尉から海へと視線を向ける。「榛名」側舷から見る内海の海は今日も穏やかで、真っ白な入道雲が映っているようにも見える。
「大尉の担当艦は榛名だけですが……多くの『艇』を担当しているじゃありませんか」
「……知っていたんですか」
「はい」
榛名がそう返せば、大尉も榛名と同じように海を見る。
「彼女たちは……あまりに思い入れが強すぎます。護国ではなく死が目的となってしまっている……」
艦娘には様々な性格が――――それこそ、人間のように――――あるが、その多くは乗員に影響を受けるとする説がある。『艇』達がそういう性格になっているのは、乗員たちが覚悟を持っているからなのかも知れない。彼らは護国の為に死ぬのであって、犬死のために海に出るのでは断じてないというのに!
それでも、話しかけることで僅かでも影響があるのなら――――そう信じる上官に従い、大尉は『艇』達にも声をかけ続ける。そう、既に艦娘が引き起こす誤差程度の奇跡にすら、この国は頼ろうとしているのである。
情けない話だ。
榛名は言葉の最後が沈み込んでしまった大尉の方を見る。榛名だって三十年生きてきたのだ。大尉の表情が沈み込んでいるのはよく分かった。
――――そう、だから……榛名は嘘を吐いてしまったんです。
「でも……大丈夫です」
「榛名さん……」
「榛名がこの国を御護りいたします……」
だから、大丈夫です。
――――その結果が、これです。
軍艦は沈むまで主砲が撃てるように設計されている。そして戦艦が簡単に沈むものか。帝国を三十年守護し続けた金剛型戦艦。その最後の生き残り「榛名」。
彼女は今、僅かに傾いていた。大破着底……というやつだ。
戦艦は確かに沈むまで砲が撃てるように設計されている。しかし困ったことに、重装甲と大火力を実現した戦艦主砲塔は、傾斜があれば使い物にならないのである。
そして、大破着底した旧式戦艦「榛名」を引き上げる余裕も、メリットもこの国にはない。
大尉の担当する艦は、全て沈んでしまった。
それなのに。
「すみません、今日の配給は人参だけでして……」
そう笑いながら大尉はやって来ました。流石に沈みかけの「榛名」に乗り込ませる訳にも行きませんので、適当な場所で落ち合っているのですが……。
「……」
「ん? どうしたんですか、榛名さん?」
「いえ……」
榛名は実質沈みました。艦の水平すら保てないために役立たずになった機銃は取り外され、機関科の皆さんもいなくなりました。胸に手を当てると分かるんです……もう、動いてないって。
でも、大尉さんはこうやって会いに来てくれています。もう榛名、お役に立てないのに……。
でもごめんなさい。榛名は思いたいんです。
――――『あの時』だけは、榛名がいたから大尉を救えたんだって……。
「またB29か……一機ということはどうせ偵察だろうが、警戒警報ぐらい……いや、どうせ誰も聞かないか」
――――エゴだってことは分かっています。
「ん、ん?! なんだあれ!?」
――――なんせ、榛名たちが負けなければ、こんなことにはならなかったのですから……。
榛名にだって御召艦の経験はあります。本当に久しぶりに賜った玉音は、榛名の胸にもすうっと吸い込まれていきました。
おかしいですよね、榛名、戦艦なのに。
そして、大尉がまたやって来てくれました。朝もお会いしたのに、顔つきが変わっていて……榛名も変わっていたのでしょうか。
そして大尉は、いつもと違い榛名の少し手前で足を止めました。そして、
「戦艦「榛名」……奉公、お疲れ様でした」
その時、終わったんです。榛名の中で、戦争が。
「……終わっちゃい、ましたね」
「はい……終わりました」
「大尉は、どうするんですか」
そう言えば、大尉は微笑みました。よく見せる微笑みです。ですが今日は、そこにはいつも以上の寂しさが宿っていました。
「自分は各地を回って書類を処分してきます……艦娘関連の書類なんて手記レベルでしか残ってませんし、一神教を信奉する彼らに艦娘を認識できるとは思えませんが……念のため」
ということは、行っちゃうんですね。
せめて、笑顔でお見送りしないと。
「大尉……」
え? なんで今更視界が歪むんですか、射撃式装置はとうの昔に使い物にならなくなったはず……。
――――涙?
その瞬間、榛名は飛び上がりそうになりました。胸が、止まってたはずの
頬を濁流となった涙が伝って、地面にしみを作ります。榛名は前が向けなくなって……そこでふと、気づきました。
大尉はどうして、何もしてくれないのでしょうか。
「榛名さん……どうしたんですか?」
あっあれ? 気づいてないんですか、榛名、泣いてるっていうのに……。
ああ、そっか。
泣いてるんじゃない。
幻想を見るなんて……金剛お姉様に顔向けできません。
艦として散ったお姉様と違い、榛名は今、自分が人間だったら、なんて思ってしまっています。
自分が人間だったら、今すぐにでもここから逃げ出します。幸い売るべき情報は山ほどありますし、大尉と榛名の身の安全と引換にするぐらいの価値はあるはずです。
榛名……酷いこと、考えられるんですね。
兵器なのに。
「いえ……榛名は」
大丈夫です。涙も流せない榛名があなたに贈れる言葉は、もうこれしかないんです。
「――――大丈夫じゃ、ないでしょう……!」
「え……」
大尉の顔は、どこから沸いたともしれない――――当然です、榛名が人の感情を理解できるわけがありません――――怒りで顔を歪め、榛名に掴みかかりました。
「大丈夫なわけがない、あなたは負けた、私も負けた、この国は負けたんです! 優生学を掲げる連中が黄色人種を平等に扱う心を持っているわけがなく、この国はこのまま植民地の仲間入りだ! 2600年の統一政権も、列島で育まれた民族意識も、全てここで終わりなんですよ!」
――――
そう言われたとき、
榛名の中で、何かが壊れた音がしたんです。
「……綺麗事、」
初めはうまく言葉がでなくて、ぼそりとした発音になってしまいました。大尉は榛名に掴みかかったまま、早口で言います。
「なんですか、はっきり言ってください榛名さん……」
国家。
民族。
敗北。
そんな言葉じゃありません。大尉は、そんなことを考えているような人間ではありません。榛名だって、伊達に乗員たちと何十年も暮らしてきた訳じゃないんです!
「綺麗事をっ、言うなぁあっ!」
何が国だ、何が民族だ!
――――
戦艦「榛名」は十三万馬力、いとも容易く大尉を押さえ込み、それから今まで黙っていたことをぶちまけてしまった事に今更気づきました。
そうです。大尉が初めて榛名のところへ赴任したとき、彼が乗っていたのは戦艦「金剛」だったのです。艦娘の観察とケアを行うという特殊すぎる職務に戸惑っていた彼を導いていたのが金剛御姉様であり、レイテまでの大尉は「金剛」に座乗していたのです。
「ほぉ……まさか大戦艦榛名様に押し倒されるとは……こりゃあ光栄なことだ!」
大尉は一瞬で上体を一息に仰け反らせて榛名に頭突きを一発、ひるんだ頬に強い衝撃が加えられました。殴られたのです。
その隙に大尉は起き上がり、また掴みかかろうとしてきて――――
榛名は反射で、大尉に体当たりを食らわしていました。
大尉は、五メートルは飛んだでしょうか。
でも、その時に気づいたんです。
――――大尉は怪我一つ負っていない。当然です。榛名は存在こそしますが、物理的な干渉ができるわけじゃない、大尉が吹き飛んだのは言わば共通幻想であり、実際には起きていない事象なのです。
でも、それなのに、戦艦が人を殴れないのと同じように、戦艦が人一人に殴られて痛いわけなんてないのに……。
――――なんで、
――――なんで、こんなに……
――――痛いんですか――――?
また
そのまま崩れ落ちても、説明できない気持ちに包まれるだけでした。
「……長く使われたものには魂が宿る……艦娘の存在はそんな誰が言ったともしれない言い伝えのようなもの」
榛名にハンカチが差し出されました。顔を上げると、怒りが消えて、でも顔を歪めたままの大尉が立っていました。
「……ですが、まさか涙を流すとは、思いませんでしたよ」
女性に意味もなくハンカチを渡す人なんていません――――榛名の涙は、大尉にも認識されたのですね。
そう思ったら、余計に涙が出てきてしまいました。もう大尉の顔も分かりません。
もうそしたら、物事を考える必要なんてない気がして……だから榛名は、思うままに大尉の胸に飛び込んだんです。
温かかった、です。冷たい
「榛名さん……」
ゆっくりと、でもしっかり。大尉の腕が榛名を包み込みます。
「榛名は……壊れちゃったみたいです」
艦娘は艦艇のより効率的な被害確認を行うための媒体。概念的な存在に過ぎないというのに。
「
「……不思議な話ですね」
感じられます。痛いほどに。大尉は、そう言ってくれました。
――――
榛名は、いけないことをしてしまいました。
――――
大尉は、その後何も言わずに去ってゆきました。書類を焼却処分するなら連合軍が進駐する前に片付けなければなりませんし、きっと忙しいのは本当なのでしょう。
ですが、榛名を避けている側面もあると思うんです。
榛名は解体処分、資源は復興に当てられるそうですが……多分その解体が始まるまでも、榛名はこの
なんだか、すっきりしたんです。全て。
大尉のおかげ、ですよね……。
そう考えれば……大尉は、最後まで「艦娘のケア」という仕事を全うしただけ、そんな気がしてきまして、榛名、今ではちょっと怒ってます。
でも、大尉が、大尉が榛名を爆発されてくれなかったら、解体された「榛名」の鉄くずには怨念が宿ってしまったかもしれません。
そんなこと、榛名は望みません。
だから、大尉は正しかったんです。
空に手をかざします。この国の航空機も、敵国の航空機もそこにはなくて。
何も知らない、綺麗な空がありました。
「……榛名の初恋は、失敗しちゃいました」
当然ですよね、榛名は兵器なんですから。榛名のは恋なんて呼んでもいいのか分からない代物だけど、なんとなく、確信しているのです。
そんな時ふと、金剛御姉様のことを思い出しました。御姉様は前世――――つまり、先代「金剛」の艦娘であった頃のことを覚えているのだと言うのです。
榛名山に因んだ軍艦「榛名」はまだ一代目。この国が滅びることを思えば、もう二度と生まれ変わることはないのかもしれません。
――――でも、もし生まれ変わったなら――――
……我々は結局、傷ついて倒れてゆく艦娘を観察することに終始した。結論から言えば、そういう風に艦娘を利用していたのだ。そして失敗した。
総監はそう締めくくろうとしています。横顔に自嘲的な笑みが浮かんでいるのははるなの気のせいではありません。
――――絶対に、違う。
「……違います」
はるなは立ち上がります。総監――――大尉と会うのは三十年ぶりです。今や彼の頭はすっかり白髪に包まれ、刻まれたシワが老いを訴えています。
きっと大尉は今でも戦ってるんです。いつまで経っても終わることのない、戦後を。
はるなは護衛艦です。ですが、戦艦だった頃は忘れない、忘れられるはずがないんです。
ここへ来てから機会を伺っていましたが……もう我慢の限界です。
「……」
一尉さんと艦長さんが驚いた様子でこちらを見ているのを感じます。でも、一番驚いているのは間違いなく目の前の総監でしょう。
「榛名……さん?」
「大尉……榛名は……一番大切なことを伝えられずにいました」
榛名は大丈夫。伝えるのはこれだけでいいと思っていたんです。
「あの時、本当にありがとうございました」
「……」
でも。
目の前にいるのが大切な人なら、護りたい人なら。
本当に伝えなきゃいけない言葉があったんです。
「総監は――――あの時からずっと……大丈夫です」
そう言いながら総監に腕を回します。そう、包み込むように。はるなは昔よりずっと小柄です。そんな事、はるなには出来ません……でも、今の
ギュッと、抱きしめたかったんです。護ってあげたかったんです。
大尉は老いのせいかあの時より僅かに小さくて、そして震えていました。
「だから、もう――――
そんな
「そして――――はるなを、見てください」
総監に精一杯の笑顔を披露します。
今のはるなだって、この国を護れるんです。それを見ていて欲しいんです。
はるな、最初のワガママです。
それは恋じゃない。
でも、人も艦も、その魂は人と触れ合うことで育まれる。
だから…触れ合うことぐらい、なら。