自分が初めてブラックを飲んだのはいつだったろうか。
空にぷかりと浮かぶ太陽。踏みしめる大地は硬く、絶対に動かないぞという強固な意志を伝えてくる。海軍の街ならば潮の香りが消えることはないが、それでも「陸にいる」ということを自覚するには十分だ。
「~~♫ ~~♫」
はるにゃもゴキゲンなようで、一杯の珈琲から恋物語が始まるという楽しげなストーリーの歌を歌っている。信じられないかもしれないがこれ、日本が中国と奇妙な戦闘状態にあった昭和14年に作られた歌だ。当時の流行歌となれば、知っている人も多いだろう・・・当時なら。
残念ながら現在は昭和48年。丁度一世代分ほど昔の話である。もちろんはるにゃの付き添いで道をゆく一尉はその曲を知らない。
「はるにゃさんは楽しそうですね」
そう言えば、はるにゃはくるっと身体ごと振り返って黒髪をぐるりと振り回す。
「はいっ、はるにゃ初めての上陸です!」
もちろん、護衛艦になってから、という意味だろう。当然だ、彼女が宿っている(という表現が正しいのかは分からないが)ヘリ搭載護衛艦「はるな」はまだ就役したての最新鋭艦である。この母港へと戻ってきたのも片手で数えるほどの回数でしかない。
……きっと
さて、どうして一尉とはるにゃがこうして街を歩いているのか、それは少し前の出来事が関係していた……。
「いらっしゃらないのですか?」
「ああ、総監は今ちょっと出ている。小一時間で戻ると言っていたから、そのあと来てくれ」
地方総監からのはるにゃ呼び出し。同行することとなった艦長と一尉は、総監部の庁舎へと来ていた。
ところがそこで言われたのはまさかの総監不在。呼び出したのはそっちだぞと言いたいところだが、総監にだって事情がある。もしかしたら米軍に呼び出されたのかもしれない。
ともかく、時間が余った。「はるな」に帰るには中途半端な時間だ。
「……一尉、貴様はどうするつもりだ?」
「自分はここで待ちます」
何しに行っているかがわからない以上、総監がいつ帰ってくるかも分からない。一尉の考えはそうだったのだが、艦長の考えは違うようだ。
「お前なぁ……折角の上陸だぞ?」
「そうは言われましても、今は半ば仕事のようなものではありませんか」
そう言えば艦長は全く……と言わんばかりに頭を押さえた。それから。
「分かった、じゃあ命令だ。今から一時間ほど、はるにゃにこの街を案内してやってくれ」
「え……そんなことして、大丈夫なんですか?」
はるにゃは艦に宿る魂のようなもの、ここ総監部庁舎は艦からそこそこ近いが、これ以上艦から離れても大丈夫だろうか。
「大丈夫ですよ?」
へえ、大丈夫なんだ。知らなかった。
「しかし、案内でしたら艦長のほうがお詳しいでしょうに……」
「いいから行ってこい」
そう言われてしまえば仕方がない。
それにしても……だ。
「~~♫ ~~♫」
目の前を歩いているのは身長100ほどの小さな女の子、巫女服みたいなデザインの風変わりな服に長い黒髪、赤いスカート。極めつけは三毛の猫耳。
……その後ろにぴったりと付いてくる軍服姿の一尉。あとついでに私服姿の砲雷長。なんでも、「楽しそうだから」ついてきたとか。総監部に顔を出すために軍装だった一尉とは違い、気楽な私服で羨ましい。
まあとにかく、どう見ても変態である。
「……砲雷長」
「ん?」
「……これって、周りからはどういう風に見えているのでしょうか?」
砲雷長は考える素振りをする。
「さぁ、分からんが……恐らく見えていないんじゃないだろうか」
もちろん見えていないのははるにゃのことである。
「? なんでしょう?」
こちらの会話に気づいて振り返るはるにゃ、猫耳がまた揺れる。
「いや、何でもないよ」
「むぅ、ずるいです……はるなだけのけ者にして……」
上陸して気が緩んでいるのだろうか、はるにゃはぷくっと頬を膨らませた。
「いや、はるにゃの楽しそうな様子を、この街の人達はどう見てるのかな、と思いまして」
一尉は微妙にニュアンスを変えてはるにゃに説明する。流石にそのまま言う気にはなれなかった、自分たちのことだし。
「ええと……」
はるにゃは左手を顎に、その左腕を右手で支えて考えるポーズ。それから。
「たしか、自然に見えているはずですよ?」
「自然に?」
「はい、はるなは大勢の方からは認識されませんが、存在しないわけではありませんので」
なるほど、分からん。つまりどういうことだろうか、存在するけど認識されない。しかし『自然に見える』。街の人には違う「なにか」が見えているのだろうか……ダメだ、なんか怖くなってきた。こんなことを考えていてははるにゃに失礼である。そう考えなおした一尉はひとまず話題を変えようとする。
「はるにゃさんの歌には珈琲が出てくるようだけど……はるにゃさんは珈琲、飲むんですか?」
すかさず砲雷長が口を挟んだ。
「まさか、はるにゃに珈琲はまだ早いだろう」
確かに、はるにゃの見た目は小学生以下、実年齢(?)ならまだ赤子の域である。珈琲なんてオトナの飲みモノが飲めるはずがない。
「はるなだって、飲めます!」
飲めるはずがない、そんな決めつけに反抗してしまうのはお子ちゃまの証である。やはりはるにゃも見た目相応であったということだ。
「ほぉ? そりゃいい心意気だ」
砲雷長はやはりついて来て正解だったと口角を釣り上げた。
一言で言えば喫茶店である。午後の休憩時間を過ごしにきた社会人や優雅なご婦人。今にもナンパを始めそうでヒヤヒヤさせるイケメン米兵もいる。
しかし今、一尉は別の意味でヒヤヒヤしていた。
「珈琲をお持ちしました」
砲雷長とはるにゃの目の前に置かれるマグカップ。そこから湯気が立ち、珈琲の香りが漂う。エスプレッソでなくアメリカンを頼んだのは、砲雷長の一応の優しさか。
「は、はるにゃさん……別に珈琲ぐらい飲めなくても」
「大丈夫です。はるな、これでも直轄艦ですよ?」
直轄艦であることと珈琲は関係ないんだよなぁ、一尉はそう思うのだが、今のはるにゃにそれを言っても聞いてくれそうにない。
しかし・・・皆の為に頑張ってくれているはるにゃにも意外な側面があったものだ。上陸して羽を伸ばすのは乗組員だけではないということか。
「やはり珈琲はブラックに限る」
砲雷長はカップを持ち上げ、香りを楽しむ風を装う・・・間違いなくはるにゃを煽っている。
「砲雷長、もうよしましょうよ」
一尉はやんわり止めさせようとするが、砲雷長は一尉を見てニヤリと返すだけ。一尉はダメ元ではるにゃにも説得を試みる。
「はるにゃちゃんは砂糖入れてもいいんだよ?」
「大丈夫です。はるな、ブラックでも飲めます」
がっつぽーず。でも猫耳のほうは完全に警戒態勢である。分かりやすい。
「……」
「……」
無言で見つめ合う二人……何が始まるんです?
と、何が合図になったのか、二人同時にカップを口に運び――――
「熱っ」
「にゃう」
どっちも猫舌かよ、そして今の「にゃう」って何だよ、ホントに猫じゃん。しっぽが生えてこないのが不思議でたまらない。
「~~~~!」
嗚呼、可哀想なはるにゃ、砲雷長の罠にまんまとのせられて、そして酷い目にあってしまった。堪えるようにぎゅっと瞑られた目尻には今にも涙が浮かびそうだ……苦さ以前の問題である。まあ、砲雷長も熱い目に遭ったのはいい気味だが……。
と、そこにウェイトレスがもう一度現れる。一尉の前に『あるもの』を置く。
「お待たせしました。いちごパフェです」
いちごパフェ。
……いちごパフェを頼む
しかし当の一尉はドヤ顔である。
「……ぁ」
なにか言いたげに口を開こうとして、それからやっぱり口をきゅっと閉じるはるにゃ。
そして……一尉は何も言わずにパフェの置き場所を僅かにずらしたのである。
果たして一尉の目論見は当たり、はるにゃはほっぺたに生クリームをトッピングしながら気分を高揚させ、砲雷長は一尉を(変わり者として)見直したのであった。
はるな「一尉さんも食べますか?」
一尉「はるにゃさんのためのパフェですから」
はるな「で、ですが……」
一尉「じゃあ……一口もらっても、いいですか?」
はるな「はい!」
砲雷長(一尉のクセに……訴訟も辞さない)