東方狂界歴   作:シルヴィ

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……今回は、ちょっと載せるのに躊躇しました。


少女の決意

 シオンがフランの傷を癒してから半刻すら経たぬ時間。しかしそれだけでフランは目覚めていた。

 「う、んぅ……あれ……お姉様、ココは……?」

 ベッドに横になり、微かにボンヤリとしながらも、目の前にいる大切な姉の顔を見上げる。レミリアはホッと息を吐きながら答えた。

 「ここは空き部屋の一つよ。……何があったのか、覚えてないの?」

 その言葉に、フランは今の今まで思い出せなかったことを思い出した。シオンが暴走して、自分が切られて、そして――

 「――そうだ、お姉さま! シオンは、シオンは大丈夫なの!?」

 自分の心配よりも先にシオンの心配をするフラン。今にも布団を跳ね除けてシオンを探しに行きそうなフランの額をポンッと軽く叩く。

 「大丈夫、とは言い難いけれど、まあ大丈夫よ。フランの治らなかった傷を癒したのも、シオンなのだし」

 「え……シオンが……?」

 あそこまで憎悪に染まり切っていたシオンが自身の傷を癒している姿を想像できないのか、フランは目を丸くしていた。

 「……貴方のお蔭よ。フランがシオンを正気に戻したの」

 優しそうな微笑みを浮かべるレミリアを見て、それが真実なのだと悟る。

 「……そう……なら、よかった……」

 微かに笑みを浮かべる。そこで周囲を見回すと、この場にシオンがいないのに気付いた。

 「あれ、それならシオンは何でここにいないの?」

 「風に当たりたいから外に出る、と言ってたわね」

 どこか言い難そうにレミリアは答える。それを見逃すほどフランは耄碌してはいない。

 「……何があったの?」

 フランの鋭い眼差しにレミリアは折れ、一切誤魔化すことなく全てを伝えた。

 「そんな……そんなのって……!」

 手を握り締め、シーツを引き千切らんばかりの力を込める。しかしすぐに力を抜くと、自身の体にかかっていた布団を跳ね除けて立ち上がった。

 「フラン、何を!?」

 「シオンのところに行く!」

 簡潔に答えて歩き出す。そのまま部屋を出て行った。

 「待ちなさい、フラン!」

 「――着いて来ないで!!」

 「「「!?」」」

 フランの激しい剣幕に、レミリアだけでなく咲夜と美鈴も驚く。パチェリーも目を見開いていた。

 四人が一瞬体を硬直させた隙を突いて、フランはそのまま駆け出して行った。

 「――しまった! フラン、待ちなさい!!」

 レミリアもすぐに部屋を飛び出すが、もう遅い。フランの背中はもうなかった。

 「……お願いだから、シオンを刺激しないで。もしまた暴走すれば……今度こそ……」

 その呟きの最後の部分は、誰にも聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 フランは走っていた。シオンの元へと辿り着くために。だがフランはシオンがどこにいるのかという、肝心なところを知らなかった。

 (失敗しちゃった……お姉様にどこにいるのか、聞いてなかった……)

 しかし過ぎたことを悩んでもしかたがない。とりあえず虱潰しに探そうとして、いきなりガクリと足の力が抜けた。その場に転がりかけるが何とか手をついて受け身をとる。けれど足がガクガクとして力が入らない。

 「え……何で……?」

 だがフランの足の力が抜けたのは何も不思議なことではない。フランは先程まで大怪我を負っていた怪我人だ。しかも怪我が癒えなかったせいでダラダラと血を流していた。そのせいで、体の血液が足りないのだ。

 妖怪といえど血液がある以上、人間と似たような症状が起こることがある。今のフランの状態もそれと同じだ。血液には様々な役割があるのだが、その一つに吸った息を、血液を通じて全身に行き渡らせるという役割がある。しかし今のフランはその血液が減っているせいで、若干だが脳に酸素が行き渡っていない。

 そんな状態で走れば意識が朦朧とする上に集中力も切れやすい。それ以前に大怪我が治ってすぐに走り出すのが間違っているのだ。

 「それ、でも……」

 もちろんフランはそういった事情など知らない。しかし壁に手をついて無理矢理立ち上がると、フラフラとしながらも歩き出した。

 「私は、シオンのところに行かなきゃ……いけないの……!」

 意志の力だけで再び歩き出す。その後ろ姿を見ている人影があった。

 「……フラン」

 その人影はレミリアだった。しかしそれも当然のこと。病み上がりであるフランを放っておくほど無責任ではない。

 歯を噛みしめ、冷や汗を掻きながらも誰かのために行動しているフランの姿は、レミリアにとってとても誇らしく、同時に痛ましく見えた。

 

 

 

 

 

 シオンは紅魔館の玄関から外に出て、風にあたりながら夜空に浮かぶ月を見ていた。時間帯にすれば夜中の二時から三時の間、といったところだろうか。風は穏やかに吹きながらシオンの体を優しく撫でていて、夜空に浮かぶ月と星々が煌々と輝いている。月並みな感想だが、とても綺麗だとシオンは思った。

 しかしシオンは涼みに来たわけでも、ましてや美しい月を見にきたというものでもなく、単純にあのままあの場所にいれば、また暴走するかもしれないという恐怖からだ。

 (……レミリアたちは俺のことを凄いと思ってるけど、本当は違う……)

 ただそういった様子を見せてないだけだ。本来のシオンは他人と接することが苦手で、他人の悪意に敏感なだけの子供だ。

 シオンが自身の強さや博識なところを見せたのも、そういった部分を見せないためのカムフラージュであって、それ以上でもそれ以下でもない。

 それからしばらくの間何も考えずボーッとしていると、後ろから扉を開く音が聞こえた。

 ザクザクと土を踏む音が響く。その足音から、誰が近づいているのかを悟った。

 「……フラン」

 「……!」

 「……足音を聞けば、それが誰のものなのかは大体わかるよ」

 足音から自分だと察せられて驚いているフランに説明をしながら振り返る。そこにはシオンの予想通り、驚いているフランの姿があった。

 それと同時に、フランからもシオンの顔が見えた。

 そこにはレミリアたちに見せた感情の抜け落ちた無表情ではなく、とても哀しそうな眼をした顔があった。フランはショックを受けた。こんな、こんな弱々しい表情をしている人間は、シオンではないと。

 だが現実は残酷だ。先程の言葉から、これがシオンの偽者などではないということはバカでもわかる。

 「……何で、そんな表情を……?」

 まるで怖ろしい物を見るような眼でシオンを見詰める。それに耐え切れなくなったのか、シオンは視線を外しながら言った。

 「……もう、どうでもいいからさ」

 「どうでも、いい?」

 聞き直してきたフランに、微かに頷き返す。

 「……なあ、フラン。一つだけ、お願いがあるんだ」

 「な、何? 私に何かできることがあるの?」

 「…………………………………………」

 そのままフランの方に歩み寄ったシオンは、信じがたいことを言った。

 「――俺を、殺してくれないか?」

 「…………………………え?」

 少しの間だけ、フランにはその言葉の意味がまるで理解できなかった。いや、理解したくなかったのだ。

 だがすぐに言葉の意味が脳に染み渡る。今までのフランならば即座に激昂していただろう。それでもフランはなるべく冷静に言った。

 「え、と……冗談、だよ、ね? 嘘、何だよ……ね?」

 「……本当、だ」

 冷静になろうとしてもなりきれていないフランに、少しだけ顔を俯かせるシオン。ここで遂にフランは激昂した。

 「何で、何でそんなことを言うの!? 私を傷つけたことを気にしてるの? なら、そんな理由で死にたいなんて言わないで! 私は全然気にしてない! シオンが暴走したのにも何かの理由があるのも知ってる! だから――」

 「――何も知らないくせに、知ったような口を聞くな!」

 フランとの戦闘を除けば、今までただの一度も怒っている様子を見せなかったシオンが激昂している。どうしても抑えきれずに顔を怒りに歪ませながら、今にも爆発しそうな感情を制御しようとする。しかし、できなかった。もう抑え込むための気力すら残っていなかった。

 「もう、生きていたって意味がないんだ! 俺が生きてたって、何の意味もない! 生きているための目的もない。何も無い、空っぽな人形みたいなくせに、周りにいる誰かを傷つける憎悪を持った存在なんて、いない方がいい!」

 シオンは誰がとは言っていないが、わかってしまう。いや、わからないほうがおかしい。

 それと同時に、フランは過去の自分を殴りたくなった。自分は、本当に何もわかっていなかったのだと。自分が助かったことに浮かれきって、本当に助けを求めている人に気付くことができなかった。もっと、もっと早く知っていれば、こんなことにもならなかったのに、と。

 だが後悔するのは早い。シオンはまだ生きているのだ。本当に後悔するのは、シオンが死んでしまった後だ。

 「シオンは、本当にそう思ってるの?」

 「思っているさ。そもそも俺は、一年前のあの日からずっと、死にたかったんだからな! 姉さんは、あの地獄みたいな場所で始めてできた大切な人だった。泥沼のような闇の中で見つけた、たった一つだけの宝物だった」

 あの時の記憶は今でも鮮明に思い出せる。全てを遠ざけ、まるで水の中でもがいているような錯覚。闇の中にドロドロと沈んでいって、あがいてもなお引きずり込まれるような感覚。

 しかし、心はともかくとして体はもたなかった。それに屈しかけて、そんな中で見つけた光輝く人。それがシオンに幸せをくれた。だけど、それすら持つことは許されなかった。

 「――それなのに、姉さんが死んだ。本気で絶望したよ。俺にとっての太陽()は、もう二度と見ることができないんだって! あの笑顔を、もう二度と見れないんだって思ったら、心がバラバラになるほどに!」

 「なら、もう一度新しい光を見つければいいことでしょ!? なのに何で、何でそんなにあっさりと死を選ぶの!?」

 「黙れ!!」

 フランの言葉は、シオンの中にある琴線に触れてしまった。先程まで抑えていた憎悪というなの殺意が、フランだけに襲い掛かる。

 これだけの殺意ならば、ほんの少しでも周囲に漏れているのが当たり前だ。しかしシオンはその類稀なる制御能力で、全ての殺気をフランに叩きつけている。

 自分の中で最も大切な相手にそんなことをされたせいか、フランは何歩か後ずさった。それでもそれ以上は下がらないと足に力を込める。

 「姉さんのこと、何も知らないくせに。他人なんて信じようともしない俺が、どうして姉さんだけは信頼してたのかも理解できないくせに。それなのにごちゃごちゃと――」

 「――知らないのは、当たり前だよ!」

 フランがシオンの琴線に触れてしまったように、シオンもまたフランの中にある琴線に触れてしまった。

 「私がシオンと出会ったのは、たったの三日……ううん、四日前だよ!? シオンが寝ている時の時間を覗いたら、たったの一日にも満たない……それなのに、シオンの全てを知っているわけない! それに、私はシオンの姉さんのことを忘れて何て言ってないし、思ってもない。ただ、過去に囚われ続けずに、前を向いて歩いて欲しいだけなの!!」

 ずっと過去に囚われているようなシオン。その姿は何よりも痛ましく、それ以上にシオンは今目の前にいる人を見ていないようにフランは感じていた。

 「私だって自分の能力に怯えてた。壊して、全部消してしまうんじゃないかって。だけどシオンはそれを何とかしてくれて、私の光になってくれた。その時に私の世界は変わったの。今までは苦しくて、悲しくて、辛くて、寂しいだけだった世界が、もっとずっと楽しくて、嬉しいモノになってくれたの。だから、だからシオンも――」

 シオンにとっての光が姉のように、フランにとっての光がシオンだった。強く、強烈なまでに輝いているシオンに、フランは憧れた。

 全ての不安がなくなって、ずっと、無意識の内に感じていた重圧からも解放された。そのおかげか、見る物全てが何もかも変わって見えたのだ。光り輝く物に。

 それをシオンにも見て欲しかった。一緒に自分と同じ物を見て欲しいと、想いを共感してほしいと。

 フランの必死の想いに心打たれたのか、シオンの感情は平静に戻った。けれどシオンは頷けない。シオンが前を向けないのは、それだけではないのだから。だからだろうか、少し悲しそうに言った。

 「……その願いは嬉しい。だけど、俺はもう()()()()()()()()

 「え……? ッ、まさか!?」

 フランは気付いた。シオンが正気に戻っているのは一時的なものであり、未だに元に戻っている訳では無いのだと。

 事実、段々とシオンの眼には狂気が宿り始めていた。それも先程暴走していた時よりも比べ物にならないレベルで。

 フランはどうにかしようとするが、やはり解決策など思い浮かばない。そうする間に、シオンはすぐ目の前に立っていた。

 「……ごめん、な、さい……! 何も、できなくて……!」

 自身の無力さに嘆き、震えながらも謝る。何もできない自分に苛立ち、拳を握りしめた。

 そんなフランに、シオンは別にいいという意味をこめて頭を振った。

 「しかたがないよ。これは俺の問題で、本当だったら俺がなんとかしなきゃならないことなんだから。でも、どうしても何かしたいのなら――」

 シオンは、咲夜との訓練で結局使わずじまいになっていた紅の短剣を懐から取り出す。刃の部分を持ち、それの握りの部分をフランに向けた。

 「――これで、俺を殺して欲しい」

 「――ッッ!!!」

 フランの顔が大きく歪む。それを隠すように顔を俯かせると、小さく言った。

 「どう、して……どうして、自分でそれを刺さないの……?」

 本気で言っているわけではない。せめてもの抵抗にと言っただけだ。

 シオンは、かつて姉と交わした約束の一部を言った。

 「……姉さんと、約束したから。『シオンだけでも、生きて』って。だから俺は、自分の意志で自殺できない。それは姉さんとの約束を破ることになるから」

 今の今まで惨めに生き残っているのは、それだけが理由だった。

 自分が死んだあとどうなるのかを姉は予測していたのだろう。シオンを生かすためだけにこの約束をしたのだとしたら、姉は相当の策士だ。なにせ、この約束のせいでシオンは自分の意志では絶対に死ねないのだから。

 「俺は、死ねない。死にそうになっても、全力で抗って、抗って、抗って生き続けていかなきゃならない……そんなことをしてたからか、結局今この瞬間まで生き残ってる。死のうと思って、かなりの無茶をしてたのに、ね……」

 「そん、な……」

 残酷な真実。シオンがあんなにボロボロになって、それでもなお生き残ろうとしたのは、生きていたかったからではなかった。本当は死にたいのに、約束があるから生き残り続けてしまっているだけ。その事実が、フランには辛かった。

 「でも、それなら私がコレで殺そうとしても、シオンは避けるんじゃ……」

 恐る恐るといったように確認してくる。そろそろ話すのも辛くなってきているのを感じながら、シオンはその不安の解決方法を答えた。

 「もう少ししたら、俺に一瞬だけ隙ができる。この至近距離でなら必ず殺せるくらいの、致命的な隙が。その瞬間に、俺の心臓を刺して。心臓は、ここにあるから」

 フランが心臓という臓器の名前を知らない可能性は高い。念のために、シオンは自身の心臓のある場所を手で覆った。

 「ここを刺せば、一瞬で死ねる。それで、全部終わる。やっと、終わってくれる」

 嬉しそうに、心底安堵したように頬を緩ませながらも、生きることに疲れ切った老人のような言葉を紡ぐ。

 それでフランにはわかってしまった。シオンがここまで他人に心をひた隠しにするのは、そうしなければならなかったからだと。

 初見ではわかりにくいが、シオンは純粋だ。本心を隠し、誤魔化して相手に悟らせないようにしてはいるが、コレと一度決めたら絶対に曲げない。

 けれど周囲の環境が純粋でいるのを許さず、自分自身を変えなくてはならなくなった。純粋さを消し、相手を疑い、信用せずにいるようにと。

 たった一人の姉を除けば誰も信用できない。しかしその姉も死に、また独りになったシオンが心の均衡を保てなくなるのは必然だ。フランとて、似たような経験をしているのだから。

 「……ねぇ、フラン。もしも俺がこんな憎悪を持ってなくて、ただの人として出会えていたとしたら……友達になれていたのかな」

 「――ッ、シオン……」

 「いや、それは無理、か……俺がただの人だったら能力なんて持ってないし、フランを助けることもできない。結局、こんなクソみたいな人生を歩んでこなきゃ、ここにはいられない」

 どうにもならないというように投げ槍に言う。目を閉じていたシオンの顔を見ていたフランは、その眼から一粒の雫が流れるのを見た。その姿に、フランの心が軋んだ。

 (さっき、こんなのはシオンじゃないなんて思ってしまったなんて……私のバカ!)

 シオンとて心が弱い人間なのだ。非の打ちどころが全く無い存在など、絶対にありえないというのに。

 「本当に……どうしようもないよ」

 そう言って瞼を開けたシオンの眼には、どうにもならない狂気が宿っていた。シオンは()()()胸にある黒陽に近付けた。

 「……能力解放」

 ポツリと言い、右手ではなく左手に持った黒陽を剣ではなく黒い泥に変えた。

 「……制御放棄」

 制御の外れた黒い泥が、シオンの左手の中で歪に脈動し、動き始める。

 「……黒陽との同一を開始」

 その動きが一際大きくなった瞬間、シオンの左手から左腕、左肩を通って左半身を覆い始める。シオンの白磁のような肌が、黒く、闇よりも暗い色に染まっていくのを、フランはただ見つめていた。

 「……一時浸食停止。浸食範囲を左半身のみに固定。再度浸食開始」

 その言葉通り、シオンの右半身には一切影響が出ないまま、左半身のみが歪に作り変えられていく。

 「……手足及びその他の一部にイレギュラー発生。……形式の変更。左腕及び左足を常態ではなく()()を参考にして変化。左目を焔に変化。その他を前回と同じものに変化」

 左腕と左足が肥大し、全く別のものに変わっていく。左手と左足の指先が爪に変わっていくそのさまは、まるで獣のようだ。

 しばらくして左目が()()()炎に包まれ、大きく燃える。そして燃えた左目から、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 「――――――――――!!???」

 余りの出来事に息を呑む。体の変化までならまだ冷静でいられたが、左目が落ちるのまでは聞いていない。だが思い出す。シオンが自身の能力を説明していた時に向けられた左目から感じた無機質な感覚。それがこの義眼のせいだというのならば、納得できてしまう。

 フランが目を見開いていると、またシオンの姿に変化があった。

 側頭にあった髪の一部が黒色に染まり、まるで刃のようにピンと伸びる。腰にも変化が起きた。黒い棘のついた尻尾が三本生えてきたのだ。

 そこで異変が起こった。シオンが四つん這いになると、いきなり呻き始めたのだ。

 「ぅ、ぁ、ぐ……ぅぅぅぅ!!」

 獣のような鳴き声に近い声を出し、両手に力を込める。地面の土が少しだけ抉れた。その時に、フランはシオンの言う隙がこれなのだと知った。

 「で、でも……」

 できるはずがない。命の恩人の願いとはいえ、殺して欲しいなどという願いを叶えさせられるはずがなかった。

 しかしシオンの、全てがもう終わったと言わんばかりの安堵の表情が頭を過る。

 もうフランにはどうすればいいのかがわからなかった。殺したくない、でも殺さなければならない。どうにもならない二律背反に悩まされ、思考を停止したくなった。

 だが時間は無情にも過ぎ去っていく。今この一瞬の間にもシオンが暴走してしまえば、目の前にいるフランが最も危険なのは目に見えている。すぐにでも行動しなければならないはずなのに、体は動いてはくれない。

 (どうすれば……どうすればいいの……!?)

 頭の中がこんがらがる。もう全てを投げ出してしまいたいような気分に陥ってしまう。そんな時、シオンの左目に埋め込まれていた義眼が目に入った。

 「…………………………」

 何故かはわからないが、地面に膝をついてそれを手に取ってしまった。そしてほんの一瞬だけ、それもかなり軽く力を込め、義眼の外側を壊した。壊れた義眼から、キリッと何かがこすれる音が聞こえ、キラリと光る何かが見えた。

 「これ、指輪……?」

 特に何の装飾も無い白銀色の指輪。しかし、今のフランにはそれを見なければならないという強迫観念の様なモノが植え付けられていた。

 そのままその指輪を観察していると、輪の内側に名前が彫られていた。

 「『マリ、ア』……作った人は――『シオン』!?」

 そこらへんにでもあるような、特に何の変哲もない指輪を作ったのがシオンだというのが信じられなかった。今フランがつけている腕輪にはかなり凝った装飾が彫られ、一目見ただけでわかる芸術品であるせいだろう。

 だが、フランの内心は複雑だった。確かにコレは何の変哲もないただの指輪だ。しかし、例え価値が全くないとしても、()()()()()()()()

 フランは外に出てからシオンの治療をしている間に、知識を得るためにと、何冊かの本をパチェリーから借りていた。その中に、婚約指輪(エンゲージリング)の話があったのだ。

 自身にとってとても大切で、最も愛している人に贈るモノ。ずっと一緒にいたい、だから夫婦になろうという意味が籠められているモノ。

 つまり、シオンはコレを渡したいと思うほどにその人を愛していたのだろう。幼いとはいってもフランとて女。場違いだとわかってはいるが、少し嫉妬してしまった。

 そんな時だった、いきなり声が聞こえたのだ。

 (――誰か、彼を助けてください!)

 「!!? 誰!?」

 慌てて周囲を見回すが、誰もいない。この声は一体何だと思い悩んでいると、また声が聞こえてきた。

 (――お願いです、彼を助けてあげてください!』

 「……まさか」

 思い当たる理由としては一つしかない。指輪を拾ってからこの声が聞こえてきたのだ。ならば、この声を発しているのはおそらく、この指輪だろう。

 「けど、誰が……?」

 指輪に意志が宿ることを疑問には思わない。日本にはなんでもない物に付喪神といった神、あるいは妖怪が宿る話があるように、西洋にもそういった話はある。しかし、それが何故今になって叫び出しているのかが分からない。

 (――彼を――シオンを、助けてください! 私の――シオンの姉であるマリアの、一生のお願いです!!)

 「――ッ!!!」

 再度響いて来た声に驚愕する。何故ここでシオンの姉の声が聞こえるのかと。そこで一つのことを思い出した。

 (大切にしたものには、自分の想いが宿る。想いが宿った物には意志が宿り、本人ではないけれど、ほんの一欠片の魂が……)

 この指輪には、マリアという人物の意思が宿っている。それほどまでにこの指輪を大切に思いながら使っていたのだろう。

 (――ねえ、貴方は何がしたいの?)

 (!? あ、貴方は一体……?)

 (今聞きたいのは、そんなどうでもいいこと? 今はシオンの方が先じゃないの?)

 フランの言い分を聞いて、ハッとしたような気配を感じた。

 (そう、です。私は、彼を、シオンを助けたい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 (そのためだけ……それじゃ、本当なら貴方は生まれなかったはずなの?)

 (……はい。今の私は、本体である『マリア』という少女の、後悔の念から生まれた存在なのです)

 その言葉の端々から悔恨が滲んでいるような気がした。それほどまでに辛い出来事があったのだろうか。

 (何を後悔したの?)

 (……意志が伝わりにくい言葉で教えるよりは、見せる方が早いかと思われます。ただ、私はあくまでも後悔の念を宿しただけの存在。見せられるのは、ほんの少しだけです)

 (それでもいい! シオンの過去がほんの少しだけでも知れるなら、それを見せて!)

 (……わかりました。……貴方なら、もしかしたら――)

 (え?)

 途中で声が途切れる。しかし、そこで何かの映像が頭に叩き込まれた。

 (ぅ、ああ!? 何、コレ。頭が割れる!!??)

 (すいませんが、こうした方が手っ取り早いのです! もう、もう時間が――)

 謝罪しているのが聞こえてはいるが、そんなのが気にならないほどの激痛。片膝をつき、両手で頭を抱えてぶんぶんと振り回した。やがて激痛が途切れた瞬間、頭に映像が流れ込んだ。

 『何で、どうして! 何で姉さんが! 俺には姉さんしかいないのに! 些細な日常も! 少しの幸せすらも奪われる! こんな、こんなのってないよ!!』

 薄ぼんやりとした視界の片隅に、小さな少年が泣き叫んでいるのが見えた。

 世界の理不尽を、不条理を恨み、運命を呪っているかのように悲しい慟哭をあげている。その哀れな姿には見覚えがあった。――シオンだ。

 その姿は凄惨だった。全身の至るところが血に塗れている。特に両手が酷い。血は本来ならば赤色のはずなのに、どす黒く変色していた。その両手で顔に、髪に触れている。その触れた箇所までもがどす黒く染まり、その端整な顔立ちを汚した。

 やがて叫び終えると、シオンはガクリと顔を俯かせた。

 『……殺してやる』

 俯かせた顔が徐々に歪み始める。嘆き、憤怒、そして――憎悪へと。

 『殺してやる、殺してやる、殺してやる。生まれてきたことすら後悔するほどの痛みを与えてやる。精神が壊れても無理矢理元に戻して。それすら耐えられなくなったのなら生きたまま別のモノに変えてやる。泣き叫んでも許さない。絶対に――!』

 けれど、すぐにまた別の感情を宿した顔が歪む。

 『……姉さんがこんなのを望んでいなくても、俺にはもうこれしか残ってないんだ』

 シオンは他者の望みをよく理解している。自身に宿ったその力のせいなのだろうが、それでもそれを扱えるのはシオンくらいだろう。

 『俺をなじってもいい。だから――こんな愚かなことを選ぶ俺を、許して』

 もう姉の意識が無いとわかっていても、シオンは懺悔の言葉を言う。しかし、未だに――本当に微かに、マリアの意識はあったのだ。

 だが言葉を話せるだけの力は無かった。だから、心の中で思うしかなかった。

 (ごめ、ん、な、さ……――)

 薄れゆく意識の中で、それだけを思いながら――そこで映像が途切れた。

 (これって……)

 (……はい。私が生まれたわけ。本体であるマリアの唯一の心残り……それが、自身にとってとても大切なシオンなのです)

 (自分のことなのに……随分他人事なんだね)

 (私はしょせん、偽者ですから……私の記憶はここだけしか存在しません。どこまでいったとしても、私は『マリア』という人間の代わりにはなれない……そういうことでしょう)

 自嘲するように溜息を吐くのがわかった。マリアという人物が死んでから何年が経っているのかはわからない。しかしその間、殆どの記憶が存在せず、想いだけが先行する。そんな状況で、決して少なくない年月をシオンの間近で見つめ続けていたのは、どれほど辛かったのだろうか。フランには想像もできなかった。

 しかし、この少女の想いと記憶の残滓を見たことでで、フランの覚悟が完全に固まった。

 「本当はシオンの望み通りに、今ここでシオンを殺した方がいいのかもしれない。だけど、私はそんなことをしたくない! だから私の、私がやりたいと思うことをやる。コレは私の、私だけのエゴ! 貴方を助けたいと思ったからやるだけ! 責められても仕方ないこと。それでも私は後悔しない、したくない! だから――」

 例えシオンに恨まれることになろうと、シオンを殺す、コレだけは認められない。ならばどうすればいいのか。答えは一つだけだった。

 (――私は、シオンを救ってみせる。絶対に!!)

 その決意に息を呑んだ少女の息遣いが聞こえる。そして、すぐに声が飛んで来た。

 (お願いします。私の大切なシオンを――貴方の力で、救ってください!)

 二人のやり取りはほぼ一瞬だったらしく、未だにシオンの変化は終わりきっていない。

 一瞬シオンの左半身が一際輝くと、最後の変化を終えた。その変化は、シオンの黒に覆われた部分に白い線や、()()()()()()()()がついていた。その様々な紋様のようなものは、黒に反して白く輝いている。

 「……?」

 フランは訝しむが、コレを美鈴が見たら一部を除いて理解できただろう。シオンの体にある白い線が表すものは――剣で斬られた後に残る古傷だと。

 貫通したあとは、おそらく弾痕。だが驚くべきはそこではない。本当に驚くべきところは、シオンの()()()()()()()()()古傷があることだ。

 フランにはそれが理解できない。どのみち関係無かった。今のフランが思っていることは、たった一つのことだけなのだから。

 「前にシオンが言っていたことを、今度は私が言うよ。……私は、シオンを――」

 羽を大きく広げ、レーヴァテインを手元に呼ぶ。そして、叫んだ。

 「――助ける!」

 レーヴァテインを持ちながら後ろに飛び退り、構える。

 フランが睨みつけた先には、変化を終えた一匹の『獣』が、フランを睨み返していた。




…………ハイ、シオンの姿が中二的な考えですね。一応コレには理由があるのですが、その理由については次々回です。
だから中二病だとか思わないで!
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