東方狂界歴   作:シルヴィ

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戸惑いの中の日常

 咲夜から料理を学び始めて六日目の午後六時ごろ。シオンと咲夜の二人は料理の下拵えを終え、完成まであと間近のところで話をしていた。

 六日間シオンと接していると、驚くべきこともわかった。なんとシオンは、風呂という概念を知らないらしかったのだ。

 「風呂? 何だソレ?」

 こう言われた時、その場にいた全員がドン引きしてすぐに離れた。そしてシオンに風呂という概念を教えると、ちょっと怒ったように言われた。

 「いくらなんでも体を拭かないとかありえないだろ。臭いもつくし、汚くもなる。不衛生だから健康にも悪い」

 「なら、どうしていたのですか?」

 「汚い泥水とかをろ過して使ってた。とはいっても限度はあるけどね」

 やはりシオンの知識は歪だ。というか、何故サバイバルで役に立つ知識などを覚えているのだろうか。

 そう聞くと、

 「姉さんが持ってた本に書いてあった」

 だそうだ。

 とはいえ、一つ忘れていたことも思い出した。

 「そういえば、私の知る限りでは、シオンはここに来てから一度も体を拭いていませんよね。つまり、今のシオンは、まさか……」

 一週間もの間風呂にも入らず、体を拭ってもいない。毎日体を清潔にしている咲夜からは想像もできないことだった。

 が、当の本人は全く気にしていない。その理由も驚愕するものだった。

 「姉さんが持ってたあの本でその知識を知る前は、三歳の時から五年間ずっと水で濡らした布で拭いもしなかったからね。一週間程度なら気にならないよ」

 五年。言葉にするのであれば簡単だが、実際にやれと言われたら絶対に拒否するだろう。

 「……今すぐ風呂に入ってきてください」

 「何で?」

 「いいから、今すぐ風呂に入ってきてください!」

 ……その時の咲夜の剣幕は、主であるレミリアですら思わず引いてしまうほどだったと後になってから聞いた。

 とにもかくにも、咲夜はシオンの才能には脱帽していた。

 「……シオンの腕前も、ずいぶんと上達しましたね」

 「そうか? まだまだだよ」

 たった六日。たったそれだけで、シオンの料理の腕は咲夜とほぼ同等になっていた。いくらシオンに才能があるとしても、ここまで行くともはや異常だ。今更の話かもしれないが。

 「ですが、食材の味の引き出し方などといった難しい技術もほぼ完璧になっています。それでもまだまだだと?」

 「だって、いくら味が引き出せたとしても、俺は料理のレパートリーが全然無いんだよ。こんなんじゃ朝昼夜の料理がワンパターンになっちゃうからね。だからもっと知りたい。もっと学びたいんだ」

 楽しそうに笑うシオン。今まで戦う事しか知らなかったシオンが、初めて何かを作る楽しさを知った。だからこそ、ここまで嬉しそうにしているのだろう。

 「……他人に嫉妬されないというのも、一つの才能なのでしょうね」

 「え、何? 咲夜」

 「いいえ、何でもありません」

 本当に、嫉妬する気が湧かない咲夜。シオンの人生の一部の酷さを知り、それでも笑っていられるのに強さを感じる。それに加えて、シオンが妥協をしないのも理由だろう。

 シオンは常に努力をする。どれだけ苦労しようとも、ただひた向きに。ありとあらゆる可能性を求め、それら全てを試そうとしている。実際に試してもいた。それを見てもなお嫉妬するなど、低劣の極みだ。

 「では、このスープをお願いします」

 「わかった」

 咲夜はシオンにお願いしておいたスープの味を引き出す作業を任せる。このスープのレシピはあらかじめシオンに渡しておいたので、あまり心配は無い。

 そして咲夜にお願いされたシオンは、二つ用意したスープに切り分けた材料を順番に、タイミングよく入れる。この作業は食材を入れるのが速すぎても遅すぎてもダメだ。特に今のスープは咲夜特製のレシピであり、最も難しいと言っても過言では無い物だ。

 「次はニンジン……次は……」

 頭の中にあるレシピを思い出しながら食材を放り込む。適当に見えるその動作も、よくよく見れば洗練されているのが窺える。

 「こっちは……うん。コレだな」

 もう一つの方は、また別の食材を別の順番で入れる。

 「上手くいくといいですね」

 「……だと、いいんだけど」

 どこか不安そうに言うシオン。やはり初めてやる事なので不安なのだろうか。

 そもそもとして、咲夜はサプライズにはフルコースを振る舞えばいいと言ったのだが、シオンが「自分一人で料理を作るのははじめてだし、何よりフルコースなんて作ったら、絶対にフランにバレる」と言ったので、フランにわかりにくいスープを選んだのだ。

 コレではフランに気付かれないと思ったのだが、シオンはバレたらその時はその時、バレなかったらそれはそれで……などと小心的なことを言ったので、流石の咲夜もこれ以上の強要はできなかった。

 だが、それも当然だった。今までのシオンはあくまで咲夜のサポートくらいしかやっていなかったのだ。プロが料理の初心者に、例え一品といえども任せられるはずが無い。そのため今回のスープが、正真正銘、シオンがはじめてたった一人で作る料理なのだ。

 それでも意外だった。あそこまで豪胆な精神力を持つシオンが、こんな些細な事でここまで慎重になるとは。

 「シオンでも、そう思うことがあるのですか?」

 「……一体咲夜は俺をなんだと思ってるんだ? 当たり前だよ。俺だって()()()()()()()()ただの人間なんだ。喜んでほしいし、こんな些細な事で嫌われたくないって思うよ」

 途中でさりげなく自分を貶しめるような発言をしながらも、どんどん不安そうになっていくシオン。その痛ましい姿を見ていられなくなった咲夜は、ほんの少しの間違いを訂正することにした。

 「……シオン、一つ伺いますが」

 「?」

 「もしもシオンが誰かから、心を籠めて送られてきた物があったとします。それがシオンの嫌いな物だったとしても、シオンはそれを受け取るのを拒否しますか?」

 「そんなことするわけない!」

 「そういうことです」

 断定的な口調で言われ、シオンも少し戸惑った。

 「そういう、って……」

 「シオンのサプライズは、きっと受け入れてくれる。そう言っているのですよ」

 シオンは悟る。おそらく、咲夜は自分を励ましてくれてるのだろう。六日前にシオンが不器用ながらもそうしたように。だが、それでもシオンは安心できない。

 「……それが誰にでも当てはまるわけじゃないだろう」

 人の心は千差万別。しかもたった一人の人間の心ですら複雑怪奇なのだ。人との触れ合いは極端に少ないシオンだが、数十万人という人数を斬り殺してきたからこそわかる。

 「心を持っている存在は……理解できない」

 素直に喜んでくれる者もいるだろうが、逆に照れ隠しとして怒る人間もいる。逆に表面上は喜んでいるだけで、内心では全く別の感情を出している人間もいる。

 「正直、今この紅魔館に住んでいる者たちがどう思っているのかもよくわからない。不意に、レミリアも内心では俺を排斥したがっているかもしれない、とか考えると、体が竦む。心が軋む。視界が揺れて真暗になって、何も見えなくなりそうになる」

 今のシオンは、とても不安定な状態だ。如何に感情の暴走が収まっていたとしても、爆発していた『憎悪』が抜け落ちたせいで、不安という感情が心の奥底から溢れて止まらない。それ故に何もできなくなりそうで、怖かった。

 「だから料理に没頭してるのかも、ね」

 何かに集中すれば、他の事は気にならなくなる。シオンの集中力は、たった一つだけの事柄に注ぎ込めるはずがないのだが、今回は本当に初めての事だったのでできたのだ。

 しかし、もう慣れてきてしまった。そのせいでまた不安の感情が漏れて来たのだろう。

 「何か、わざわざ教えてくれる咲夜に、申し訳ないな」

 「別に私を気にする必要はありませんよ。私も基礎を再確認できましたし」

 「そう? ならいいんだけど」

 またスープを作るのに集中し始めるシオン。今回の料理――特にスープに関しては今自分ができる最高の物にしたい、そう思っているシオンは、ゼロコンマ以下のタイミングを逃さないようにする。

 「……ここ」

 ある意味機械のような精密作業。だがところどころで瞳が揺れているのを見るに、やはり不安は抑えきれないらしい。

 「……最後に隠し味を入れて、と」

 咲夜にもその特別な『隠し味』は内緒にしてある。あらかじめ小瓶に詰めておいた『ソレ』を、何とかバレないようにそれを投下し、スープを完成させた。

 「……フゥ。完成っと」

 ようやく作業を終えると、シオンは額に浮いた汗を拭う。体の感覚が妖怪と比べても遥かに高いシオンでさえ、この作業は疲れるものだった。

 「後は食器によそえば終わりだね」

 「では、温かい内に速くやりましょう」

 手慣れた様子で料理を皿に移していく二人。量が多いとはいっても、二人が協力したおかげですぐに終わった。そして更にそれをワゴンに移す。

 「落とさないように注意してください。特にスープを」

 「わかってる」

 全ての準備を終えた二人は、そろそろと料理を運び始める。本来ならばここまで注意する必要は無いのだが、今回だけは特別だった。

 「うまくいくことを事を祈っています」

 「うん。ありがとう」

 そして、二人は食堂へと移動し始めた。

 

 

 

 

 

 「……なんというか、日に日に豪華になっていくわね」

 運ばれてきた豪勢な料理を見て、レミリアはしみじみと呟いた。その感想は他の者も思っていたらしく、顔を綻ばせながら小さく頷いていた。

 「それはシオンのおかげですよ。一人で作るよりも手間をかけられる分、料理の幅が広がりますので」

 「そう? 咲夜でもうまくやればいけるんじゃないか? 時間操作の力を完全に扱いこなせるようになれば、一つの物体だけじゃなく、複数できるようになるだろうし」

 「今はできませんからね。やれないことを喚いていても仕方がありません」

 咲夜はクールに返すと、料理をテーブルの上に乗せ始める。シオンもそれに倣って運び始めた。

 シオンはレミリアとフランを、咲夜は美鈴とパチェリーの分を運び、二人は席に座る。

 「では、シオン」

 「わかってる。――いただきます」

 「「「「「いただきます!」」」」」

 各々は自らが食べたい物から順番に食べ始める。レミリアだけは立場的に、ここにきちんとしたテーブルマナーを重要とするのだろうが、今はシオンを除き、他人と呼べるような物はいない。つまり、テーブルマナーを気にする必要は無い。

 そこで、何故か咲夜が口を開いた。

 「そういえばシオンの好物を聞いていませんでしたね。何かあるのですか?」

 「どうしたの、咲夜。いきなりそんな事を」

 レミリアが問うが、咲夜は今気付いたと言わんばかりに手を振る。

 「いえ、私はシオンの好物を何一つ知らないので、聞いておこうかと。シオンはいつも美味しいと言ってくれていますが、表情が動かないのでわかりにくいのですよね」

 そう、シオンは食事をしている時、何故か表情が動かない。正確に言うと微かに動いているのだが、ほんの少しであるせいでわかりにくい。

 シオンはフォークを置いてから言う。

 「特に好き嫌いは無い……と言いたいところだけど、やっぱり嫌いな物はあるよ」

 「ですが、一つも残したことはありませんよね?」

 「まあ、そうだけなんだど。でもやっぱりもったいないと思うからね。だから残そうとは思わないんだ。……それに不味いとは言っても、前の俺の食生活に比べれば遥かにマシだし」

 後半はどこか独り言を言うようにモゴモゴと呟く。だが、それが聞こえないほどやわな耳をしていない四人は、一体どんな食生活をしていたのだろう、と思った。

 そこでフランがスープを飲もうと手を伸ばした。その時、シオンの顔に、ほんの少しだけ緊張が走る。咲夜もどことなく不安そうに手が揺れていた。

 フランはそれらに全く気付く事無く皿を手元に寄せると、スプーンで掬って一口飲む。そのまま少しだけ首を傾げた。

 「……? いつもと、少しだけ味が違う。食感も。それに飲み込みやすい。だけど、美味しい」

 スープに入っていた野菜を食べる。それを食べると、やや下品だがガツガツと口の中にいれ始めた。

 「フラン、そんなに急いで食べると――」

 「~~~~~~~!!!」

 「――喉につまる……って、遅かったか」

 シオンは一つ溜息を吐いてから立ち上がっり、フランの後ろに回ると背伸びをして咳をしているフランの背中をさする。しばらくして落ち着いたのか、フランは飲み物に手を伸ばした。

 飲み終えたフランは、背中をさすってくれていたシオンに謝った。

 「ごめん、シオン。それとありがとう」

 「別にいい。これくらいなんでもないし」

 「でもこのスープ、いつもと違うよね。味が私の好みのものになってるし、なんか変なくらいに飲みやすいし、食べやすい。それに、コレって隠し味、なのかな。何かよく知ってる味がするし……コレって、血?」

 「――!」

 自分の席に戻ろうとしていたシオンの体がピクリと止まる。そこでやっと気付いたのか、フランが聞いてきた。

 「もしかして、これってシオンが……?」

 「いや、あの、それは……」

 「そうですよ、フラン様」

 「咲夜?」

 シオンの代わりに答えたのは、咲夜だった。その間にシオンはそそくさと席に戻る。

 「それはシオンからのサプライズです。まあ、血を入れているなどとは一切聞いていませんでしたが……」

 ジト目で睨む咲夜。しかし当のシオンは、自分は何も聞いていませんししていませんよ、と言いたげに自分の食事を再開しようとしていた。

 「? シオン、どういうこと?」

 フランはシオンの手を引っ張って、はぐらかさないようにする。

 シオンはしばらく止まっていたが。やがてポツリポツリと話し始めた。

 「フランに……感謝したかったから」

 「感謝? 何に対しての?」

 「助けてくれた事。あの時本気で絶望して、殺して欲しいと頼んだのに、それでも俺を引っ張り上げてくれた事」

 「そんなの、私は別に気にしてなんか……」

 「俺がしたかったんだ」

 否定しているフランに、シオンは体全体を向ける。それほどまでに思っているんだと伝えるために。

 「それで、自分に何ができるのかを考えた。けど何も思いつかなかった。今までただひたすらに殺してきただけの俺には、誰かのために何かをするというのがわからなかった。そんな時に咲夜とぶつかって、咲夜が床に落とした食材を見て、コレにしようと思った」

 シオンは、もうほとんど食べられたスープの皿に視線を向ける。それにつられてか、フランもそちらに視線を向けた。

 「その日から一生懸命料理を学んだ。それから失礼だとは思ったけど、フランが料理を食べている時に顔を盗み見て、表情の変化でどんな味で、どんな食感が好きなのかを調べた」

 「それじゃあ、シオンが料理を作るのに参加してから色々な物が出たのは……」

 「咲夜に頼んで、手伝ってもらった」

 「……申し訳ありません、フラン様」

 「ううん、それは別にいいんだけど……でも、どうして血なんかを?」

 「ここ最近、フランは血を飲んでいないように感じたから、一応入れただけ」

 「そうなんだ……」

 確かにここ最近――具体的には一週間くらい――フランは血を一滴も飲んでいない。吸血鬼である以上定期的に血を飲まねばならないのだが、その血を飲む人間がいなかったのも原因の一つだろう。

 そもそもフランは手加減というものができない。四九五年もの間閉じ込められ、その頃からずっと牢屋に放り込まれた人間を適当に殺して血を得ていたため、加減をするということができなくなってしまったのだ。

 だから今回のコレはありがたい。しかし、コレだけではダメだった。

 「でも、こんなに薄めた血だと、余り意味は無いんだけど……」

 ポツリと零れた独り言。だが、それにすぐさま反応した人物がいた。

 「そうか、わかった」

 その人物は自分のカップに入っていた飲み物をすぐに口に入れる。そしてカップの中身を空っぽにすると、ナイフを手首にあてて、全く躊躇することなく引いた。

 手首からこぼれる血。それをうまくカップの中に満タンになるまで入れると、それをフランに手渡した。手渡す前に清潔な布巾で手首を押さえるのも忘れない。

 「コレでいいか?」

 「シ、シオン……大丈夫なの?」

 「痛みには慣れてるし、多少血が無くなっても問題は無いよ。……ああ、そうだ、レミリアはいるのか?」

 「え?」

 フランが飲むのを確認する前に、唐突に話を振られて戸惑うレミリア。

 「少し前に咲夜から血を貰ったから平気なのだけれど……それでも貰えないかしら?」

 別に飲まなくても構わなかったのだが、やはり味は気になる。

 血の味はその人間によって複雑に変化する。同じ血を引いた家族であろうと全く別の味がするというのもあるのだから、人間は面白い。

 「わかった」

 シオンは一言だけ返すと、ワゴンに入れてあった予備のカップを持つと、手首に当てていた布巾をとる。そこからまた溢れ出す血をカップに入れると、レミリアに手渡した。

 「はい」

 「ありがとう」

 レミリアは手渡されたカップに入った血を躊躇なく飲む。それを見て、いまだに飲もうかどうか悩んでいたフランも、少しずつ血を飲み始めた。

 「「!?」」

 一口。たった一口飲んだだけで、二人は驚愕して目を見開いた。

 「ど、どしたんだ?」

 その反応にシオンが焦る。まさか自分の血はそこまで不味いのだろうか、と。咲夜と美鈴も訝しげにしている。

 「美味しい……」

 「ありえない、美味しすぎるわ……」

 「「「え?」」」

 二人の呆然とした呟きに、三人の声が重なる。シオンは二人の反応が理解できず、咲夜と美鈴はレミリアの言葉で、だ。

 シオンは知らないが、レミリアはアレで結構味にうるさい。特に血に関しては並々ならぬ情熱を注いでいるのだ。

 そのレミリアが『美味しすぎる』と言ったのだ。驚くのも無理は無い。

 「……まるで色んな年代物のワインをうまく掛け合わせて作り上げた最高の一品ね。一口飲むだけで今日の疲れ全てを癒してくれるような、味わい深くも優しく感じるわ」

 「私はそこまでわからないけど……でも、今まで飲んだ血の中で一番美味しいってことだけはわかるよ」

 二人の、一切の悪意無き賞賛。が、褒められた当の本人であるシオンは、少し複雑な表情をしていた。当たり前だ、血を褒められてたとしても、嬉しいなどと言いきれない。

 しかし、レミリアのある一言には反応した。

 「色んな年代物のワイン、ね」

 「? シオン、何かわかるのかしら?」

 「まあ、一応は。……うちの家系って、少し特殊でね。何故か先祖代々、色んな人種の人と結婚して子供を産んでたらしいんだ。ちなみに俺と妹の代で、世界中の人種の血が混ざりきったらしいよ。俺の能力が『体細胞変質能力』なのも、コレが理由なのかもね」

 シオンの両親は、シオンが覚えているのが正しければ父がその特殊な家系の末裔のようなものであり、母は純系の日本人だ。父の髪の色は茶色で、瞳は澄んだ海のような青色。母は日本人らしく普通に――それでもかなり綺麗な――艶やかな黒髪と、黒曜石のような黒目だった。

 本来であればシオンの髪と瞳も両親に似るのであろうが、隔世遺伝によるもなのか、父の母方の母方――つまりは曾祖母の白銀の髪と、父と同じ瞳を持って生まれた。妹の沙良は当然のように母と同じ黒髪黒目だ。当時その事を知らなかったシオンは、幼いながらに自分は養子なのではないかと思い悩んだこともあったりする。

 説明を聞いた二人はその言葉を聞いて――最後の方はともかくとして――納得する。そうでもなければ、この味には納得できない。

 「なるほどね……だからこんな味が」

 しみじみと呟くレミリア。チビチビと少しずつ血を飲んでいる様子から、おそらく飲むのをもったいないと思っているのかもしれない。逆にフランは一気に飲みほしていたが。

 シオンは思い悩んでいるレミリアを放置することを決めると、フランの方へと向き直った。

 「えっと……スープ、美味しかった?」

 咲夜の顔が緊張で強張る。このスープのレシピの一部は咲夜が提案したもので、そこからはシオンが独自に手を加えたものだ。気にもする。

 シオンもシオンで、我知らず眉が下がっていた。

 (不安……なのかな?)

 よくよく見れば、シオンの体はかすかに震えている。それが何を意味するのかわからないフランではない。

 「……ありがとう」

 「え……」

 「ありがとう、シオン。コレ、とっても美味しいよ。それと、おかわり」

 フランはわずかに残っていたスープを手で持って口につけて飲みこむと、今できる精一杯の笑顔を浮かべながら、その空になった皿をシオンに渡す。シオンはどこか呆けたように両手で皿を受け取った。

 やがてフランの言葉をきちんと飲み込めたのか、シオンの頬は徐々に緩んでいった。

 「……どういたしまして」

 その時シオンが浮かべた笑顔を、フランは一生忘れないだろうと思った。

 

 

 

 

 

 シオンは夕食を――レミリアとフランは朝食だが――食べ終えると、一人キッチンで皿を洗っていた。

 そこにまだ運び終えていなかった皿を咲夜が運んでくる。シオンは一旦スポンジを置いて手を洗う。そして足場にしていた台ごと一歩横にずれると、少しだけ隙間のできたそこに咲夜が入る。

 「シオン、一つだけ話があります」

 「ん?」

 二人はどんどん皿を洗いながらも話し出す。皿洗いはもはや作業と化している咲夜は淡々と行っているが、シオンは何が面白いのか、今にも鼻歌をしだしそうなほどに楽しそうにしていた。

 「料理に関しては、もう私が教えるべきことは、ありません」

 「……え?」

 シオンの体が彫像のように固まる。それでも皿を落とさないのだから、たいしたものだ。

 「ど、どうしてだ? 俺の腕はまだまだで――」

 「それが勘違いなのです」

 「……勘違い?」

 「はい。シオンは自分の腕前が拙いものだと思っていますが、プロであると自負している私と同等の実力を持つシオンの腕が拙いはずがありません」

 「プロって……」

 シオンは戸惑うが、コレに関しては誰もが認める事実だ。が、当の本人に問題があった。

 「シオンは、比較対象が少なすぎるのです」

 コレがその問題だ。シオンは事戦闘技術に関しては、紅魔館にいる者で比べられるのは美鈴くらいしかいないほどの猛者。その反面、それ以外の分野では誰よりも劣る。

 今まで生きてきた環境が環境だからこそ仕方がないと言えばそれまでなのだが、やはり自らの力量はきちんと把握していてほしいと思ってしまうのだ。

 「私を『普通』だと、基準点だと思わないでください。私たちはただの人間から見れば、やはり『異常』に見えてしまうのですから」

 「『異常』……」

 シオンは自分のことをよく『人外』だと思うが、それは戦闘の件だけだと思っていた。しかし、違う。シオンは戦闘以外でも『人外』なのだ。

 「……俺って、やっぱりおかしいのかな?」

 一枚の皿を手に持ったままシオンが俯く。その横顔は長すぎる髪によって見えないが、悲しんでいるのはわかる。

 「おかしいですね」

 しかし咲夜は否定しない。ここで否定しても意味など無いし、何よりシオンのためにならないからだ。

 「ですが……私はシオンが努力をしているのは知っています。単純に、シオンの腕が私と同じになったからもう教える意味が無くなってしまったのと、あとは自分で研鑽してほしいという意味を込めて、終わりだといったのです」

 シオンはハッと顔をあげる。その目に映ったのは、笑顔を浮かべている咲夜だった。

 「……ありがとう」

 再び顔を俯かせてしまうシオン。その時、頭を揺らしたことで微かに見えた横顔は、赤く染まっていた。

 「いいえ。これくらい、どうということはありません」

 皿を洗うのを再開する二人。会話は無かったが、沈黙が辛いとは思わなかった。

 皿洗いを終えた二人は、レミリアとフランの昼食を用意してからそれぞれの部屋に戻り、明日のために眠りについた。

 

 

 

 

 

 「シオン、待って!」

 「待って下さい、シオン!」

 「待てるか! って、ちょ、まっ!死ぬ死ぬ死ぬ、マジで死ぬ! 本当に死ぬから! だから今すぐ攻撃を止めてくれえええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 ――翌日の午後。何故かシオンは、巨大な炎の海と、大量のナイフによって作られた壁に追われていた。

 (死ぬ、洒落とか冗談じゃなくて、マジで死んじまうぞ! こんなのが『ごっこ』なんて生易しいものなのか!?)

 そう思うが、それでこの状況が改善するわけではない。とにかくシオンは後ろから迫りくる悪鬼二人から逃げるしかなかった。

 ――こうなってしまった原因は、数時間ほど前まで遡る。

 廊下を歩いていたシオンは、何故かまだ起きていたフランにせがまれていた。

 「シオン、遊ばない?」

 「え? まあ、別にいいけど、その前に一つ聞かせてくれないか。なんでフランはまだ起きているんだ?」

 「だって、そうしないzと絶対シオンと遊べないんだもん。シオンはいっつも十時くらいには寝ちゃうし」

 そういえば、とシオンは思い出す。フランが起きてくるのは、大体午後七時から午後八時の間くらいだ。それから朝食を食べたりといったことをする。

 それだけでも十分時間をとられるのだが、シオンは咲夜の手伝いとして皿洗いやレミリアとフランの昼食の用意などといったこともするため、さらに時間をとられる。

 「じゃあ、最近フランの生活サイクルがなんかおかしかったのは」

 「シオンと遊ぶために、わざと崩したの!」

 ここ最近のフランは、何故か遅寝早起きを繰り返していた。そして徐々に日が出てる時間帯で起きる時間が長くなり、逆に日が沈んでる時間帯は多く寝ていた。簡単に言えば、昼夜逆転してしまった夜型人間改め、昼型吸血鬼といったところだろうか。

 「……アホか?」

 基本的に女性を罵倒しない――正確にはできないように姉に()()された――シオンだが、それでもつい口からこぼれてしまった。

 「シオンと遊ぶにはこれしかなかったの! だからコレでいいの!」

 フランはシオンにそう言いきると、周りを見渡し始めた。その視線の先を辿ると、銀色の髪が見えた。

 「あ、咲夜! おーい、こっちこっち!」

 「? ……フラン様、と、シオンですか」

 咲夜は呼ばれた方を向くと、まず自身に手を振っているフランを見つけ、次にその横で呆れているシオンを見つけた。

 そのままそちらに向かって歩く。そして二人の元へ辿り着くと、咲夜はどうしてかフランではなく、その横にいたシオンに聞いた。

 「何かご用でしょうか?」

 「なんで俺に……まあいいけど。用件は、フランが遊ぼう、だって」

 「遊ぶ? 私はあまり暇ではないのですが……」

 困惑する咲夜。が、その反応は当然だ。今の咲夜の両手には雑巾やらの掃除道具を持っており、その姿から掃除中なのだと察せられる。

 しかし、それで納得するフランなどでは無い。

 「一日くらいは平気だよ! 最悪シオンが手伝ってくれるし!」

 「俺任せかよ。……咲夜には恩があるから、手伝って欲しいと言われたなら手伝うのはいいんだけどさ」

 「じゃあ、決まりだね!」

 「「俺(私)たちに拒否権は無しか(無しですか)!」」

 若干の抗議を入れる二人の言葉を無視して、フランは言う。

 「それじゃまずは、『鬼ごっこ』から!」

 「『鬼ごっこ』、ですか……」

 「……?」

 咲夜は今更子供の遊びをするのか――咲夜はいまだに九歳の子供なのだが――と思い、シオンは純粋に『鬼ごっこ』の意味がわからず首を傾げる。

 「なあ、その『鬼ごっこ』ってなんだ?」

 「「え”……」」

 「言葉のニュアンスから、なんとなくなんかのごっこ遊びってことなのは想像できるんだけどさ。……もしかして、鬼になった人が鬼じゃない人を追いかけて――」

 「うん、それ!」

 「――追いかけて捕まえた人を殺す、でいいのか?」

 固まる二人。しかし、シオンの人生ならそれもしかたないと諦める。

 「シオン、どうしてそう思ったの……?」

 「いや、結構前に小さな子供が大人からパンを奪い取って逃げたあと、まあ当然だけど追われたんだが……結局は捕まえられて殴り殺されたから、そう思っただけ」

 当然のようにあっさりと言っているが、その内容は凄惨だ。ただ単純に殺すのではなく、殴ることで苦痛を延ばそうとしているところが特に酷い。

 「……シオン、それじゃごっごじゃなくて、本当の鬼だよ」

 「シオン、『鬼ごっこ』というのはですね、まず――」

 そうして説明された内容に、シオンは自分の想像が如何に間違っていたのかを懇切丁寧に言われた。そこまで丁寧にしなければ伝わらないと思ったのだろうか。

 「――なるほど、鬼がそうじゃない人を追って、追われた人はタッチされたら交代、攻守逆転、と。これでいいのか? ああ、なるほど。だから『ごっこ』なのか」

 「はい、そうです。フラン様、基本的なルール説明をお願いします」

 「わかってる。それじゃ、鬼ごっこのルールを言うね! まずコレは当たり前の事だけど、能力は全部禁止だよ。収拾つかなくなっちゃうから。あと紅魔館の廊下と玄関しか入っちゃダメ。言うまでもないけど紅魔館は広すぎるから、一つ一つ部屋を確認するだけで日が暮れちゃうし」

 「一理ありますね。つまり、部屋に入れば反則で強制的に鬼、と?」

 「うん。ルールはこれだけ。それ以外は何でもアリ。端的に言っちゃえば、能力使用と部屋に入るって事以外は何でもオーケーってこと。それじゃ、最初はグー!」

 「「ジャンケン」」

 「え? ジャンケン? ちょ、俺それ知らな――」

 「「ポン!」」

 ルールを知らないシオンは手を出せず、結果として強制負けが決まってしまった。

 「……酷くないか?」

 シオンは鬼になったのをフランから言い渡され、一〇〇秒ほど数えたら初めてほしいと言われたのだ。

 「しかたない、始めるか。……いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお――」

 少しバカバカしいと思いながらもシオンは数え始める。

 「きゅーじゅーきゅーう、ひゃーく! ……意外と長かったな」

 律儀に間延びした声で一〇〇秒数え終えたシオンは、キョロキョロと周囲を見ると、溜息を吐いた。

 「……始めてから言うのもなんだが、能力を使えないのは痛いな」

 そしてシオンは、『鬼』として『逃走者』を追跡し始める。その視線と足取りには全く迷いが無く、本気でやっていることが窺える。

 ……『鬼ごっこ』を『遊び』ではなく『殺し合い』か何かと勘違いしているのだろうか、シオンは。

 それから数分、シオンはあっさりとフランを見つけていた。

 「……壺の中に入るって、バカだろ」

 「ア、アハハ……」

 またも珍しく罵倒したシオンに、フランは苦笑いしか返せない。

 「じゃ、次はフランが鬼な」

 「うん、わかってる」

 流石に壺の中にいる状況でシオンから逃れられるとまでは思っていなかったらしい。賢明な判断だった。

 「そうか。……もし逃げたなら、逃げた事を後悔させようと思ったんだが」

 「ッヒ!」

 シオンの言葉が冗談に思えなかったフランの顔が恐怖で引き攣る。フランは体勢はそのままに、そろそろと後退し始めた。

 「じゃ、じゃあ続きをしよ! 順番的に今度は咲夜が鬼をやる番だと思うから、咲夜を探してくるね~!」

 「おい、フラン」

 早口で告げると、フランはそのままあっさりと去って行った。

 「……二回目からは数えなくていいのか?」

 シオンはフランが逃げたのはシオンに恐怖したのすら気付かないまま、間違った知識を得てしまった。

 それから鬼ではなくなったシオンは、とりあえず移動を開始した。その間にも考察はし続ける。

 (このゲームで重要なのは、まず見つからないこと。見つからなければ追いかけられることもないし、余計な体力を使う必要が無い。じゃあ、次に隠れられる場所は……)

 考えるが、紅魔館の廊下には隠れられる場所が無い。先程廊下の途中にある壺にフランが隠れていたが、アレはすぐにバレる。というか、あの壺を当たり前のように掃除してきた咲夜とシオンなら気付けるのだ。

 (つまり、壺は使えない。……使うつもりもないけど。バカっぽいし)

 シオンは再度周囲を見渡し、そして気付いた。

 「あ。……これなら、いけるかも」

 そしてシオンは行動する。

 ――数時間後。もはや昼飯時になったにも関わらず、二人はシオンを探していた。今はフランが鬼をやっているのだが、二人で交互に鬼を交代している時に気付いたのだ。

 「「――シオンは、どこに?」」

 そう、二人だけしか追いかけっこをしていないのだ。シオンの姿が一切見当たらない。

 だからこそ二人はシオンを探し始めたのだが――すぐに見つかった。

 「「な……」」

 シオンは、午前中は廊下の陰になっていたであろう場所で、自身の黒いローブのようなモノに包まれて、気持ちよさそうに眠っていた。その寝顔は、まさしく天使のようだと言えるだろう。普段のシオンの眼はこちらを睨んでいるのかと思うほど鋭い。だが今はそれがなく、ただの幼子のような幼いものだった。

 今まで二人が気付けなかったのは、シオンが廊下の陰に隠れて黒いローブのようなモノを被っていたのと、追いかけっこをしていたせいで周囲を見渡す暇が無かったからだ。しかもダメ押しとして気配を周囲と同化させている。コレでは気付けるはずもなかった。

 それでも二人がシオンの姿を見れたのは、単純に数時間が経過したせいで太陽の位置が変わってしまい、陰になっていたはずの廊下が光で照らされたせいだ。

 しかし、それがわかっていても苛立つのは止められない。こちらが一息吐く間もなく追いかけあっていたのに、たった一人だけ休まれていれば頭にくるのは当然だ。数時間もそうされていれば、なおさら。

 「……ん……」

 微かに身動ぎしたシオンだが、再度すやすやと眠りにつく。そこで二人の限界がきた。頭の中から本来聞こえてはいけない、ブチッと何かが切れる音が響く。

 「……ねえ、咲夜」

 「……はい、なんでしょうか」

 「……今回のルールって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 「……言っていませんね」

 「……じゃあ――」

 フランは限りなく薄めた妖力で少しずつレーヴァテインを呼び出す。咲夜も大量のナイフを周囲の空中に配置し始めた。

 「――やっちゃっても、いいよね?」

 フランは巨大な炎を、咲夜は大量のナイフをシオンに飛ばす。

 「!?」

 眠っていたシオンは、ゾクリと背が震えたことで目を覚ます。そして何故そう感じたのかも確認せず、受け身すらとれないような不恰好な姿勢で横に転がる。

 「な、何が……」

 先程まで自身がいた場所を見るシオン。そこには火の海と、その熱に炙られて若干融けた大量のナイフがあった。その二つには見覚えがある。

 「フラン? 咲夜?」

 紅魔館でこんな攻撃ができるのは、この二人だけだ。そこでやっとシオンは気付いた。

 (太陽の位置が……!)

 どうやら気付かぬうちに数時間も経過していたらしい。

 (気を抜きすぎだ、俺のバカが!)

 今更嘆いたところでもう遅い。同時に何故攻撃されたのか、その理由を悟った。数時間も隠れていれば、いくら温厚な者でも怒る。物凄い勢いでぶちギレるに決まっている。

 再度炎とナイフが飛んでくる。シオンは咄嗟に避けたが、最悪な事にここは逃げ場がなかった。

 (角過ぎたのが仇になったか)

 紅魔館の位置と太陽の位置を綿密に計算し、最も長く陰になる場所を選んだのだが、それが仇となったらしい。背中と真横は壁があり、目の前はフランと咲夜。どこに行けばいいのかさっぱりわからなかった。

 (逃げる方法は、一つくらいしかない)

 シオンはタイミングを計る。今からやるのは針を刺すような、そんな微妙なタイミングでやらなければならない。

 そして、その時が来た。

 「……!」

 逃げられるたった一つの方法。それは、二人が攻撃して来た瞬間だ。攻撃する瞬間は誰であろうとも一瞬無防備になる。シオンでさえ例外ではない。シオンとて限りなく隙を埋めているだけであり、必ず隙ができる瞬間はある。

 シオンは前に跳びだし、上体をほぼ倒して移動するやり方で攻撃を避ける。炎は完全に避けられるように移動したせいか、何本かのナイフはシオンの体を掠めた。

 あと一瞬でもタイミングが狂えば、容赦なく死んでいたであろう攻撃。まさかフランと咲夜に殺されるのか、と思うほどだった。

 とにかく逃げるしかないと考えたシオンは駆け出す。だがそれだけで逃げられるほど、二人の執念は甘くない。

 「待って、シオン!」

 「待ってくれるのであれば、()()痛めつけるだけですよ!」

 「その()()ってどれくらいなんだよ!?」

 咲夜の言葉が全く当てにならない。しかたないと諦めたシオンはそのまま逃げだす。

 シオンは逃げ出したあと、後ろから追いかけてくる二人の姿を一切見ずに攻撃を避ける。元々こういった見ないで回避するのはシオンが得意とするモノだ。

 そしてシオンは紅魔館の廊下を同じ場所をグルグルと回るように駆ける。コレにはいくつか理由があるが、まず最初に廊下の突き当たりに出ないためだ。またあんな状況になってしまえば、如何にシオンといえど二度目は無いだろう。

 次に、廊下を回っていた方が効率がいいからだ。追ってくるのが複数ならば人海戦術で待ち伏せなどが使えるだろうが、二人ではそれができない。一応一ヵ所に隠れ続けるという手もあるのだが、『部屋には入れない』というルールのせいでその手は使えない。

 が、パターンを変えたとはいえ、数時間もの間何度も何度も同じことを繰り返していたせいか、そろそろ学習されたらしい。数度危うい場面に会った。

 顔を苦渋に歪めたシオンは、しかたなく今できる手札の内の一つを切ることにした。

 「感覚最大化」

 その言葉と共に、シオンの感覚が異常に広がる。

 (……右)

 右側からナイフが飛んで来るのを、()()()()()()()()()()()()で察する。

 左に曲がったシオンは、後ろから咲夜が息を呑んだと思われる音を聞く。だがそれを気にする間もなく、前方から炎が燃えている音と、空気が焼けるような臭いを感じる。同時にシオンは瞼を閉じた。

 「シオン、そろそろ喰らってよ!」

 「そんなの御免だね!」

 翼がはばたく音と、腕を振りかぶる音、炎の勢いが増大するような音を聞いたシオンはフランが空中に浮かんでいると気付き、とりあえずスライディングを使って足元を潜りぬける形で避けた。

 「じゃあね!」

 「ッ、まだだよ!」

 フランが炎を放ってくるが、遅すぎる。シオンは縮地を使おうとして――止めた。そのまま自分の足の速さで逃げる。

 (マズいな)

 感覚最大化の悪影響が出始めている。

 実を言うと、この感覚最大化はあまり便利なモノではない。シオンのやり方はかなり無茶な代物のせいか、かなり面倒なデメリットがあるのだ。

 まず、感覚最大化は全ての感覚がどんな動物よりもあがってしまう。それこそ、小さな事柄すら異常なまでに跳ね上がるのだ。先程シオンが瞼を閉じたのも、それが理由だ。暗闇に住む生き物がいきなり強烈な光を浴びると気絶するように、あの炎を目の前から見ればシオンの目が焼けてしまう。ただの光ならばなんとかなるが、閃光のような一瞬だけ強烈な光を放つモノとは相性が悪い。

 だがコレはデメリットの一端にすぎない。本当のデメリットは、触覚の最大化――それに伴う痛覚の増大だ。

 例えば今のシオンがほんの小さな、それこそ普段なら気にする必要も無いような傷を負ったとして。そうなった場合、シオンは鋭い刃物で常に斬りつけられているかのような激痛を浴びることになる。小さな傷でそれなのだ。ここに来てから負った大怪我をもし最大化の状態で喰らえば、いくらシオンといえど発狂するかもしれない。

 先程縮地を使わなかったのもそのせいだ。縮地は足に相応の負担をかける。感覚最大化の状態で下手をすれば、その場で転がってしまうほどの激痛を全身に走らせるほどに。

 痛覚を下げればいいだろうと思う者は多いだろうが、実のところそれはできない。無茶な感覚操作の代償か、常に感覚を一定にしなければ、その他の感覚が狂ってしまうのだ。

 例えば嗅覚のみを増大させると、視覚と味覚が無くなったりする。例えば視覚と聴覚だけを増大させると、痛覚だけが限界を振り切ってしまい、動けなくなった時もある。しかもパターンが一定というわけでもなく、色々と複雑に変化するのだ。

 シオンも、寝る前や暇な時間に何度も試してみたのだが、ゼロコンマ以下の単位でも変化するのだ。圧倒的に時間が足りないと判断したシオンは、結局諦めるしかなかった。

 だから今のシオンができる設定は五つのみ。感覚最小化、感覚鈍化、感覚常態化、感覚鋭敏化、感覚最大化の五つだ。感覚最小化は、ほぼ何も見えない聞こえないにおわない味がしない感じないとデメリットしか存在しないため、あまり使うことはない。逆の理由で感覚最大化も余程の状況でしか使えない。

 それ故に、シオンが使うのは、周囲を探るための感覚鋭敏化と、痛覚を抑えるための感覚鈍化、そして常人とあわせるためにわざわざ設定した感覚常態化だけだ。

 それでも注意が必要なのに変わりない。あくまでシオンの体は()()()()()()()()()であるため、下手に集中力を切らすと即座に戦えないような状態になる。

 実際、シオンはここに来てから一度、勝手に最大化になった時があった。咲夜が淹れた紅茶を始めて飲んだ時だ。感情を封じ込んでいた時に懐かしい味を飲んでしまい、悲しみが抑えきれず、涙が溢れてしまった。そのせいで集中力が途切れてしまい、感覚が最大化に戻ってしまった。とにかく制限が多すぎるのだ。

 それでも今回感覚最大化を使ったのは、鋭敏化よりも精度が高く周囲を探れるからだ。今だけはかなりの精度を誇るレーダーのような感覚を持たねば、冗談でもなんでもなく死んでしまう可能性が高い。

 (防御ができないのは辛い……!)

 普段ならば黒陽と、つい最近借りた――もらった、あるいは奪ったのではなく、あくまでシオンは『借りた』と言い張る――ばかりの白夜がある。アレを使えれば、炎は難しいがナイフはどうにかできるのだ。しかし黒陽は『形態変化』という能力を、白夜は『空間固定化』を使う必要があるため、『能力使用禁止』がある現状では使えない。

 というより、このルールはシオンが不利すぎる。この世界においてのシオンの強さの大部分は能力によって支えられているのであり、それ以外の技術と経験はあまり役に立たない。

 せめて剣があればいいのだが、用意できない。正確には剣というより刃物はあるのだが、流石にあのナイフの群れの中に突っ込んで奪ってくる気力は湧かない。それ以前に、一回でも当たれば体が止まってしまい、そのまま圧倒的な物量によって即死してしまうと予想できるのだから、できるはずもない。

 しかもフランと咲夜は何を勘違いしているのか、何故か容赦が無かった。

 シオンは知らないが、二人はシオンの異常な回復力を見ている。だから「身体が吹き飛ぶ程度なら問題ないだろう」と考えているのだ。

 しかし事実は違う。確かにシオンの回復能力は常人離れしている。だが吹き飛んで無くなった手足や内臓を完全に復元できるほどではないし、致命傷を負えばそのまま死ぬ。体細胞変質能力を使えば復元くらいは可能だが、材料となる髪がほとんど無い今、下手に攻撃を受ければ治せない可能性すらある。だからシオンは逃げるしかない。

 (あっちはほぼ全力でやれるにも関わらず、こっちは強さの大部分である能力を制限されてるとか無い。……いや、待てよ。()()()()?)

 一瞬だけ考え、それが間違っていないのを確認すると、()()を使う決心をした。

 シオンは少し前に覚えたばかりの氣の操作を始める。だが、予想外の出来事が起こった。

 「耐久度が……上昇しない!?」

 シオンが今求めたのは、体の耐久力の上昇だった。身体能力は中級妖怪程度のモノがあれば事足りる。しかし耐久度だけはどうしても人間の域を超えないシオンは、どうしてもそれを上げる必要があった。

 だが、結果は期待外れ。使う必要があったのかと疑問に思うほどだ。

 「コレでどうしろと……?」

 歯軋りしても、どうにもならないものはどうにもならない。潔く諦めたシオンは、その場に止まる。前方と後ろから二人が迫っているのを察したからだ。

 「どうすりゃいいんだよ」

 自分より強い相手が二人。複数人の格上相手の戦闘には慣れているが、それでも限度というものがある。

 「感覚常態化」

 二人が前後から近づいてくるのがわかっている以上、わざわざ最大化にしておく必要は無い。というより、デメリットしか存在しないのに、使う理由が無い。

 感覚を元に戻すと同時にすぐ近くまで迫って来た二人は、もう何も言わずに炎とナイフを放り投げてくる。一々喋っていては逃げられると思ったのだろう。

 シオンはどうやって逃げられるかを考え、即座に決めてナイフの大群に向かって跳ぶ。ナイフの中でも先行している部分を見つけ、その切先を踏み台にし、三角跳びの要領で更に跳び上がる。その途中で魔力では無く実体化しているナイフを二本だけ借りておく。

 シオンは後ろにフワリと跳びながら体を捻って天井に足をつけると一気に跳び、勢いをつけて床に下り立つ。今度は廊下を埋め作るほどの量がある炎の方へと体を向けた。両手にナイフを持ったシオンは、片手を思いっきり振りかぶってからから振り下ろし、炎を()()()

 「え!?」

 正確に言うと、シオンはナイフで炎を斬ったわけではない。精密な操作で、腕を振った時に風が動く方向を操り、突風で吹き飛ばした、というのが正解だ。

 (しょせん炎は気体だ。それ相応の風圧があれば、それで吹き飛ばせる)

 それでも限度は存在する。そもそも炎――火というものは、人の最も原始的な本能に作用しやすい物質だ。

 確かに人はその知性を持ってして火を扱うことはできる。だが、今回のような自分自身の扱いきれない炎には、どうやっても恐怖するのだ。生きたまま焼かれる恐怖を。

 しかしシオンは恐れない。シオンにとって、火は恐れるに値しない物だからだ。

 仮にフランが炎で攻撃するのなら、単純に炎を当てるのではなく、炎の熱量を上げることで周囲を熱風状態か何かにして、温度を上昇させた方がよかったのだ。あくまでシオンが吹き飛ばしたのは、目の前にある炎だけであり左右にある炎はそのままなのだから。

 もしフランが熱量を上げていれば、炎を吹き飛ばされても、左右の炎から来る熱風によって足止めくらいはできた。あるいは、炎をシオンの周囲に配置することで逃げられなくし、熱を上昇させて蒸し焼きにすることもできた。おそらくは廊下の壁を焼き尽くさないように注意していたのだろうが、甘すぎる。

 まあ、炎を吹き飛ばせた代わりに、レーヴァテインの炎によってナイフも融け落ちたてしまったが。贋物とはいえ腐っても神器。ただのナイフでどうにかできるような、そんな生易しい炎では無いらしい。

 だが殺す気でやらねば、少しの間でもシオンを足止めすることなどできはしない。

 しかしフランはそういった小細工を知らない。知識面に圧倒的な不足があるからこそ、そういったことができないのだ。

 そしてそれは、シオンにもわかっている。

 とはいえ今は戦っているわけではない。しかもどっちが鬼かもわからない上に、鬼になってしまうかもしれないから下手に攻撃できないシオンは、そのまま逃げだした。

 シオンは、一つ勘違いをしていたのだ。『タッチされたら鬼になる』のに、シオンは『触ってしまえば鬼になる』と。ルールをあまり知らないが故の弊害だ。

 とにかくその場を逃げ出したが、時間稼ぎにしかならない。ついに紅魔館の玄関ホールまで逃げたシオンだが、そろそろ逃げるのに疲れてしまった。流石のシオンといえど、数時間の間に何百、あるいは千にも届かんといわんばかりの回数を死にかけたのと、こちらからは一切反撃できない状態では少し辛かったのである。

 「…………………………」

 そこで、数時間も耐えきっていたシオンの頑丈な堪忍袋がキレた。ほぼ同時に、背後からフランと咲夜が現れる。

 「シオン、コレでお終いだよ!」

 「大人しくお縄についてください」

 シオンは答えない。そのまま無視して偶然にも横にあったそこそこ大きな、そしてかなり高級そうな壺を手に取った。

 「ねえ、二人とも」

 「……何、シオン?」

 シオンの雰囲気がどこかおかしいのに気付いたフランが、ジリジリと後ずさる。

 「知ってるか? 壺って、意外と攻撃方法として有効なんだよ」

 壺を手に持ったまま縮地でフランの真横に移動する。そのままある程度加減しながら壺を振り下ろし、その頭に叩き付けた。

 「ふぎゅ!」

 変な声を出してフランが気絶する。

 「シ、シオン、何を……」

 「ああ、安心して。手加減したから傷は無いよ。気絶しただけ」

 動揺した咲夜の声に、シオンは何か見当違いの言葉を返す。

 「だから、そうではなく――!」

 「次は咲夜の番だから」

 咲夜の言い分を一切聞く事無く、シオンは縮地で移動し、その脳天に壺を叩きつけた。

 

 

 

 

 

 「……どういう状況なの、コレは?」

 レミリアが起きると、何故か周囲が騒がしかった。すぐに着替えると廊下に出て探り出したのだが、あれ程までに騒がしかったのがいきなりピタリと収まった。

 流石に訝しんだレミリアがそのまま探索を続けて玄関ホールに来ると、もう何がどうなったのかさっぱりわからない状況になっていた。

 フランと咲夜は折り重なるように倒れていて、シオンは壁に体を預けて息を荒げている。まるで何時間も休むことを許されずに何かをされていたような感じだ。その横には、何故か玄関ホールに飾ってあったはずの壺があった。

 そこでやっとシオンがレミリアの存在に気付いた。

 「……レミリア、か」

 シオンは玄関ホールにある時計で時間を確認すると、もうこんな時間か、と呟いた。

 「ところで、コレは一体どうなっているのかしら?」

 「鬼ごっこの結果」

 「は? 鬼ごっこ?」

 鬼ごっこでどうやればこんな事態になるの……と思うレミリアだったが、次の言葉で固まってしまう。

 「数時間も反撃無しで、しかも一撃でも喰らえば即死とか……」

 シオンは無自覚に言ったが、コレが事実であればどれだけおかしいのか。通常人間は、というより例え妖怪であろうと、数時間もの間即死である攻撃を避けられるような便利な集中力は持ち合わせていない。

 だがシオンはそれをやりきった。例え極限状態であろうと、ここまではもたないだろうと想像できるようなことを。

 「だからそこまで疲れているの?」

 「半分はそうだけど、もう半分は別。どちらかというと後者の方が割合は上だが」

 「……?」

 シオンの言うことは抽象的すぎて、レミリアには理解できない。どのみちシオンも話す気は無いのだろう、顔を伏せて体力の回復に努めていた。

 「う、んぅ……」

 そこでフランの上で気絶していた咲夜が、片手に頭を当てながら目を覚ます。

 「私は、一体……。あれ、お嬢様?」

 目を覚ますと、目前には敬愛する主が。一瞬訳が分からなくなるが、すぐに我に返ると即座に状況判断。息を荒げているシオンを見て、自分が何をしていたのかを悟った。

 怒りに身を支配されたとはいえ、してもいいこととしてはいけないことの分別くらいはわからなければならない。それなのに、怒りに身を任せてシオンを追いつめてしまった。シオンが反撃してこないのをいいことに。

 「す、すいません! シオン、大丈夫ですか! 私が言えるようなことではないかもしれませんが……」

 咲夜は謝るも、ここまでシオンを追いつめたのは自分とフランであるのには変わりないと思い直す。

 「別にいい。気にしてないし」

 対するシオンは全く気にしていない。毎日が死と隣り合わせだったせいで、生き死にに関する価値観が狂い過ぎているのだ。たった数時間反撃できずに殺されかける程度であれば、ほとんど問題は無かった。

 「それより、そろそろご飯の準備をしないと間に合わないんじゃないか? もう遅いかもしれないが」

 「え……あ! すいませんお嬢様、私はすぐにご飯の準備に取り掛かりますので、これで失礼します!」

 時計を確認した咲夜は、かなりマズい状況にあるのに気付く。コレでは料理の味を引き出すのに大切な下拵えをする時間が無いかもと思いながらも走り去って行った。

 「……別に気にする必要は無いのだけれど」

 「まあ、理由が理由だからだと思うよ。はあ……本気で疲れた」

 結果的には助かったが、一瞬でも判断を狂わせれば死ぬという状況は、お世辞にもいい状況だとは言えないし思えない。いい状況だと本気で言えるような相手には精神科か何かに行った方がいいと思うくらいだ。

 「意外ね」

 「ん、何がだ?」

 「貴方は戦争に慣れていると言っていたでしょう。だから、これくらいなら平気だと思っていたのよ」

 「本当の戦争と今回のは主旨が違い過ぎる。反撃アリなら殺し尽くせる戦闘とは違って、今回は反撃不可能な上に防御も不可、相手に触って発射のタイミングをズラすとかそういった小細工もできなきゃ、疲れもするよ」

 「……触るのがダメ? 何故かしら?」

 「え。触ったら鬼になるんだろう?」

 「……そんなルールは聞いたことがないのだけれど」

 「……まさか、俺の勘違い?」

 「……そうなるんじゃないかしら」

 「…………………………ハァ」

 今までした中で一番大きいのではないかと思うほどにでかい溜息だ。

 その気持ちはよくわかる。触ってはいけないと思って行動してきたのに、それら全てが徒労に終わるのだ。一気に疲れることだろう。

 だが、一つ疑問が残る。

 「でも、貴方の力なら、別に触らなくても無力化はできるんじゃないの?」

 「今回はルールが面倒だったんだよ。『能力の使用禁止』、コレがあったせいで一気に不利になってね」

 「ああ……」

 確かに、その制限ではシオンが圧倒的に不利だ。フランは元から能力を制限しているからあまり関係は無いし、咲夜は魔力によるナイフでの物量作戦が使える。しかしシオンだけはその強さの大部分を能力によってカバーしているのだから、当然の結果だろう。

 「とりあえず、食堂に移動しようか」

 「大丈夫なの?」

 「歩くのも辛いくらい、と言えばわかりやすいかな。でもまあこんなフラフラの状態になるのも当たり前の状況にいたし、問題は無いよ」

 相変わらず異常な経験をしていると思ったレミリアだが、顔には出さない。ゆったりとした動作で壺を元の場所に戻し、かなり遅い速度で歩き出したシオンを見送りながら、気絶して床に倒れているフランを背負い、その小さな背中を追った。

 

 

 

 

 

 シオンとレミリア、そして途中で目を覚ましたフランが食堂に辿り着くと、そこにはいつも以上にグッタリとした様子の咲夜がいた。その横には、隠しきれずに思わず浮かべてしまったというような苦笑いを浮かべている美鈴もいる。

 「美鈴、咲夜はどうしたのかしら?」

 「あ、お嬢様。咲夜なら、時間短縮のために何度も時間加速を繰り返したせいで、かなりの魔力を使ってしまったらしく……」

 「魔力の使いすぎで気持ち悪くなった、と。まあ、使えば使うほど精神に直接関わってくる魔力を一瞬で大量に使えば、そうなるのも当然なのかしら」

 「……別に多少の時間なら待っててもよかったんだけどね」

 「多分、そういう性格なんだと思うよ」

 「そんなもんなのか?」

 「そんなもんなんだよ」

 レミリアと美鈴が話している横で、シオンとフランも何かを言っている。しかし、当の咲夜には話す余裕も無い。それでも伝えることがあった。

 「シオン、すいませんが、料理を並べるのは任せます。ああ、シオンは疲れていると思いましたので、なるべく食べやすい物を作っておきましたので、わかると思います」

 またグッタリとテーブルに突っ伏す咲夜。今にも吐いてしまいそうだ。

 「まさかあの状況で作る料理を変えるとか。プロ根性って凄いな」

 シオンも必ずやらなければいけない状況ならばやれるが、今のような急ぐ必要も無い状況でやれるかどうかはかなり微妙だ。

 咲夜の代わりに、どこか誇らしげなレミリアが言う。

 「まあ、それが咲夜なのだから、しかたがないわ」

 「そうか」

 そう言うと、シオンはテーブルの横にあるワゴンに移動して料理を運ぶ。その動作はテキパキと手慣れたもので、たった数日間だけ学んで覚えた素人とは思えない。そしてシオンはものの数十秒で並べ終える。コレにはレミリアたちも感心するしかない。

 「……咲夜は?」

 シオンは一応聞いてみたが、咲夜は手を横に振り、手を下ろした。自分のことは気にしないでいい、と言いたかったらしい。

 「なら、いいか。……いただきます」

 それを合図に、咲夜を除いた全員が食前の挨拶をする。それぞれが好きな料理を手に取って食べ始めるが、どことなく空気が重い。

 その発生源は咲夜と――どことなく申し訳なさそうにしている、フランだった。

 表情がコロコロと移り変わっているフランだが、それらは全て『不安』という感情から来るものだ。そんな表情を見ていれば、レミリアたちの気分もおのずと沈んでしまう。

 だが理由もわかる。いくらシオンが遊びの途中で寝ていたとはいっても、それだけで殺しかける理由にはならない。それ故にフランは謝りたい、だけど謝るきっかけが無い、という状況になっているのだ。

 「ごちそうさま」

 真先に食べ終えたのはシオンだった。咲夜が食べやすい物を作ったからが故に最初に食べ終えたのだが、フランからすれば少々マズい。

 咄嗟に謝ろうと思ったフランだが、その前にシオンは立ち上がってしまった。

 「レミリア、俺はもう寝る。風呂はいいから」

 「え、ちょ、シオン!?」

 レミリアが返事をする前にシオンは食堂から出て行く。その不自然な様子が気になったレミリアも立ち上がった。

 「ちょっとシオンの様子を見てくるわ。フランたちはそのまま食べていて」

 こう言われては、フランたちも一緒に行くのは難しい。

 レミリアは後ろを確認することなく、食堂を出て行った。

 

 

 

 

 

 レミリアが追って来ていることを知らないシオンは、レミリアから貸し与えられていた自室へ向かわず、トイレのある場所へ向かっていた。紅魔館のトイレは一室に一つなどというホテルのようなモノではない。一定の間隔でトイレがあるのだ。コレは単純に、水道管などの配置の問題にある。それには一つ理由があった。

 この世界の技術のほぼ全ては妖怪のある種族、河童によって支えられている。だがその河童の総数は決して多い訳では無いし、全ての河童が科学技術を学ぶことを選んでいるわけでもない。そのため河童が学んでいる技術は各々によっては差があり過ぎるのだ。

 しかも外の人間の科学技術は古すぎて興味を示す部分が無いせいか、生活に役立つ類のモノをあまり学んでいない。電気と水道に関してはどうにかなっているが、その他の部分は疎かになっているところも多い。

 逆に本当に一部の天才は突出しすぎていて、何に使うのかもわからない完全なステルス機能を持った光学迷彩などを作りあげたりしているのだから、何がしたいのか理解出来なかったりする。それ以前に、『幻想』郷であるここには『科学』はミスマッチなはずなのだが……。

 だが今はどうでもいい。重要なのは、電気や水道の配置がどうにかなっているだけで、決して外の技術を学んでいる河童のレベルが高いわけではない、ということだ。

 つまり、あまりにも複雑な配置をしてしまうと、その河童がどうやれば水道管などを配置できるのか、理解できなくなってしまう。

 そういった理由があるせいで、紅魔館は一定間隔でトイレを配置するしかなくなったのだ。

 それはさておき、別にシオンは眠るつもりが無い訳では無い。単純に、トイレに寄ってから眠ろうとしているだけだ。

 しかし、トイレに寄ったのはある理由からだ。シオンは周囲の気配の確認すらせずにトイレに入ると、その場に膝を着いて――()()()

 シオンの口から吐瀉物が吐き出される。

 「――ッ! ガハッ、ハッ……せっかく作ってもらったのに、ご飯、もったいなかったな。残して明日食べるとかにすれば……いや、それだと不審に思われるし」

 吐瀉物を流すと、しばらくの間その場で息を整える。左腕と左足が酷く痛んだ。

 シオンの小さな口から、か細い悲鳴が漏れる。

 「やっぱり……激しい運動は、まだ痛むか」

 シオンがあの場から逃げ出したのは、あまりの気持ち悪さに今にも吐いてしまいそうだったからだ。

 実のところ、シオンはいまだに神獣化の代償によって傷ついた体――正確には、その痛覚が収まっていなかった。

 「一回目は、すぐに収まったけど……力を使ってる時間が長ければ長いほど、後遺症が長くなるのか?」

 そもそも神獣化における代償があんなにあっさりと収まるはずもない。シオンだから生き残ってはいるが、本来ならば死ぬのが当然、必然なのだ。

 また吐き気をもよおしたシオンは、再び液体と固体の中間になった物を吐く。そしてすぐに流して、臭いを残さないようにしておく。

 「……しばらく、激しい運動はやめておこう」

 簡単な運動――例えば日常生活における歩く、走るくらいならば問題は無い。そうでなければ咲夜から料理を習うことなどできないのだから当たり前なのだが。逆に体を酷使する戦闘などはできない。しかも今回は感覚を最大化にしてしまった。そのせいで左半身にかかる痛覚が増大し、その結果、こんな状況になった。

 「……寝よ」

 シオンはフラフラの体でトイレから出る。壁に体を預けてなんとか部屋まで戻ると、扉をあけて中に入る。

 シオンはベッドに入る手間すら惜しいというように体を投げ捨てる。

 ボフンという音を立ててシオンの体を受け止めたベッドが小さく軋むが、それを気にせずに眠りについた。

 意識が落ちる寸前、シオンは一つのことを思った。

 (……少しだけ、楽しかったな)

 最後にシオンが遊んだのは、もうほとんど覚えていない三歳の頃のみ。だから、少しだけとはいえ、久しぶりに誰かと遊べたのが、我知らず楽しかった。結果としてはこんな状況になってしまったが、それでもよかった。

 シオンは少しだけ幸せな気持ちで、その意識を手放した。

 その姿を見ている影があるとも知らずに。そして、レミリアは闇の中から現れる。

 「………………」

 闇は吸血鬼にとって自身の庭も当然。だからこそシオンにも気付かれなかったのだが、そんな小細工をしなくてもシオンには気付けなかっただろう。

 「……まさか、まだ代償が続いていたなんて」

 コレはフランたちには伝えられない情報だ。もし仮に伝えれば、あの二人はかなり気にすることになる。それだけは避けたかった。

 「どのみち、シオンも伝えたくないから黙っていたのでしょうし」

 本当に嫌なら、体を酷使する運動である鬼ごっこなどしなかっただろう。つまりは、そういうことになる。実際この考えは合っている。シオンは二人に心配をかけるつもりなどさらさらなかったし、ましてやこんな()()()()で疎遠になるなど考えられなかった。だからこそ伝えなかったのだ。

 期せずして重なる二人の考え。レミリアはシオンの想いを断片的にだが汲み取り、フランと咲夜に心配ないと伝えることに決めてから、食堂へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 フランは料理を食べ終えてからも食堂に残っていた。だがここに残っているのはフランだけではなく、いまだにあまりの気持ち悪さでグッタリしている咲夜と、その姿を見て心配している美鈴もいた。

 だからだろうか。食堂に戻ってきたレミリアに逸早く気付いたのは、フランだった。

 「お姉様! シオンはどうだったの!」

 よほど気になっていたらしく、フランはその場で待たずに椅子を蹴り捨てるように一気に立ち上がると、そのままレミリアの元に走る。

 レミリアは片手をあげてフランの勢いを制すると、少し溜息を吐いた。

 「大丈夫よ。()()()()疲れていたようだけれど、今はグッスリ寝ているわ」

 「……よかったぁ」

 フランは安心したように安堵の息を吐く。咲夜も張りつめていた気を解いたようだ。だが美鈴の顔顔だけがどこか強張っている。おそらく、レミリアの言い回しがどこかおかしいのに気付いたのだろう。長年一緒に居たが故の弊害だ。こういった隠し事がお互いにできないのだ。

 レミリアはフランにバレないように頭を振る。それで何を言いたいのか理解したらしく、美鈴は何も言わなかった。

 「……私は、風呂の準備をしてきます」

 心配事が減ったからか、フラフラと体を揺らしながらいきなり立ち上がる。

 「ちょ、咲夜、まだ安静にしていなさい。もっと辛くなるわよ」

 「大丈夫ですお嬢様。風呂の準備をしたらそのまま寝ますので。それに、これ以上美鈴を待たせるのも悪いですから」

 そう、咲夜が風呂の準備をすると強硬に言うのは、美鈴のためだった。

 今日はシオンがダウンしているうえに、咲夜も今日だけはどうしても入る気になれない。フランとレミリアは基本的に夜では無く朝に――現在昼夜逆転しかけているフランは夜に入る事になりそうだが――入るため、風呂を使うのは美鈴だけだ。

 「別に、私なら大丈夫ですよ咲夜」

 「いえ。今日も門番として外に出ていましたし、汗や砂、埃も体に付着してあるはずです。本当は気持ち悪いのですよね?」

 「それは……」

 美鈴は否定できない。今の季節はまだ春だが、幻想郷は冬に吹雪が出るほどに寒くなる代わりなのか、春になるとすぐに暖かくなる。夏と同じではないが、やはりかなりの汗を掻くことになるのは変わりない。実際、今の美鈴は汗で体中がベトベトで気持ちが悪い。

 普段ならば料理を食べる前に風呂に入っておくのだが、今回は咲夜がダウンしたためできなかった。

 「もう一度言いますが、私は大丈夫です。では」

 もう誰の制止も聞かず、咲夜は食堂を出て行く。美鈴はどこか心配そうにしながらも、どこか嬉しそうにしている。咲夜の体調の心配と、風呂に入れる嬉しさが半々、といったところだろうか。武術家とはいえ、やはり美鈴も女。多少の身嗜みはしたいようだ。

 「フラン、貴方も寝なさい」

 「え?」

 「貴方の生活サイクルがシオンに合わせるために昼夜逆転をしているのは知っているわ。もう眠いのでしょう?」

 「うん、まあ、一応」

 隠していたことがバレたからか、フランの視線が泳ぐ。

 レミリアはそれをわざと無視して告げる。

 「私は別に気にしてないから、早く寝なさい」

 「はーい。お休みなさい、お姉様」

 「おやすみなさい」

 フランはレミリアに手を振ると、さっさと食堂を出て行った。

 コレでここに残ったのは、レミリアと美鈴だけになる。

 さり気なく周囲の気配を探り、誰もいないのを知った美鈴が言う。

 「……お嬢様、シオンの本当の体調は」

 「おそらく神獣化による代償ね。痛覚がいまだに収まっていなさそうよ」

 「あの痛覚が、ですか!? 普通、正気でいられるとは思いませんが……」

 「でも事実、そうなっているわ。明日確認するつもりだから、美鈴もあまり気にしないようにしてちょうだい。二人に悟られると、かなり面倒なことになるわよ」

 「……畏まりました」

 美鈴はかなり不服そうだが、それでも従うしかない。不用意に面倒な事を引き起こしたいとは思わないし、何よりレミリアを信頼しているというのもある。

 結局二人は、それから何も話さずに解散となった。

 

 

 

 

 

 シオンの目覚めは、決して心地良い物では無かった。なにせ、体中に走った激痛のせいで無理矢理意識を引き摺り出された、というようなものなのだから。

 「ッ……!」

 自身の顔が激痛で歪むのを感じながら、シオンは体を起こす。今日もやるべき事がたくさんあるからだ。

 そこで、この部屋に誰かがいるのに気付く。

 「誰だ!」

 シオンが叫ぶのと同時に、その誰かは姿を見せた。

 「目が覚めたのかしら?」

 「レミリア……!?」

 目を見開いて驚くシオンだが、即座に気付く。

 「……さっきのを」

 見てたのか、と言おうとしたが、その前にレミリアに遮られた。

 「貴方が激痛で顔を歪めるところを見てたのか、と言いたいのかしら」

 「……そうだ」

 「なら、貴方にとっては残念なことに、見ていたわ。……隠していたのね?」

 レミリアの眼には、嘘は許さないという意志があった。いくらシオンといえども、それを誤魔化すのはできなかった。

 「ああ、そうだ。レミリアやパチェリーならあまり気にしないだろうが、フランと咲夜は気にするだろうし。……美鈴はわからない。彼女の性格がよくわからないから」

 確かにシオンが見た美鈴の性格は「よくわからない」の一言に尽きるだろう。温厚で優しいかと思えば戦闘狂としての側面を見せたのだから、シオンとしては美鈴の性格が把握しにくいに違いない。本人が聞けば激しく落ち込むだろうが。

 「……そんな状態で命のやり取り、ね。貴方、バカじゃないの」

 「否定はしない」

 思わずレミリアは呆れてしまうが、シオンは気にも留めていないようだ。コレでは何を言っても無駄だろう。

 だが、一つだけ聞きたいことがあった。

 「シオン、一つだけ聞かせてちょうだい」

 「何だ?」

 「貴方は、今、何を思っているのかしら?」

 「…………………………」

 シオンは黙る。しかし、思っているのは一つのことだけだ。

 「幸せ、かな」

 「幸せ?」

 「ああ。……俺は今まで、こんなふうに遊ぶ余裕も無ければ、遊ぶ相手すらいなかった。だからなのかな。今は楽しくて、幸せだ。戸惑うことも多いし、わからないこともある。だけど、それでも、嬉しいんだ。誰かとただ笑っていられる、そんな日常が」

 激痛に苛まされながら、それでもシオンはただ笑っていた。何の邪気も無い、ただただ快活な笑顔を。

 「……そう。なら、私は気にしないわ。それと安心してちょうだい。二人には、貴方の体調について何も言わないでおくから」

 「ありがとう」

 「別にかまわないわ。こちらとしても、二人には心配をかけさせたくないのだから」

 この約束は、どちらかというとシオンの方にしか負担がかからない。

 そてでもシオンは本当に嬉しそうに笑っている。

 それに対してレミリアは呆れながらも、最後まで自身も笑っているのに気付かなかった。




コメディなんて無かった。

ハイ、私に笑い系のお話何て無理です。

……それは置いときまして、今回もクッソ長いです。
また28000文字です。途中に鬼ごっこを入れたせいで長くなりました。
鬼ごっこを入れたのは、単にシオンの体の異常さを書きたかったからです。
羨ましいと思える力を持つシオン。しかし本当は途方もない努力という支えがあるからこそなんとかなっているだけ。実際は想像もつかないデメリットを抱えています。

それともう一つ、いや、二つほど連絡を。
23000文字超えたら一話分休載させていただきます。流石に長すぎるんです。
なので次回は6/6に掲載です。

次回『シオンの才能』
タイトル通り、シオンの持つ才能に関したお話です。
ではではノシシ
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