シオンはしばらくの間何も言わなかったが、やがてその表情を変える。
「シ、シオン?」
その表情を正面から見てしまったパチュリーは焦る。それほどまでにシオンの表情は恐ろしかったのだ。
シオンは、ただ純粋に――怒っていた。全身に怒りを滾らせ、今にも爆発しそうな感情を抑えようとしているのが目に見えてわかる。
ガリッ、という音が響く。おそらく歯を噛み締めすぎて唇周辺の皮膚を噛み切ったのだ。
「ちょ、何をやっているのよ!?」
「……ごめん。しばらく一人にしてくれないか?」
その一言を言うのも辛そうなシオン。パチュリーの返事すら聞かずに図書館への外へと歩き出して行った。
「…………………………」
パチュリーは、その小さな背中に向けて――何も言えなかった。
シオンは何を考えることすらなく、ただ紅魔館の廊下を歩いていた。
「……ッ!!」
ギリギリと拳を握り締める。そうしなければ、筋違いだとはわかっていても何かにあたってしまいそうだからだ。
「どうして……」
世界は理不尽だ。どうしようもなく、ただ平等に不幸を与える。
「俺は、奪い、壊して、殺すだけの人外なのか……?」
それが恐ろしかった。シオンは誰かを救えた記憶が無い。何かを作って、誰かの笑顔を作れた記憶も、紅魔館に来る前は無いに等しい。
そんな自分が、どうしようもなく不安だ。
「シオン?」
いきなり声をかけられたシオンは、ゆっくりと顔をあげる。そこには、不安そうな表情をしている美鈴がいた。
「美、鈴……?」
「どうしたのですか? 顔色が悪いですよ?」
実際にシオンの顔色は、見ている方が不安になるほどに悪かった。青ざめているどころの話ではなく、今にも倒れてしまいそうだ。
美鈴は片膝を地面に着かせて目線をシオンと合わせる。
「……美鈴」
自分の肩を押さえて心配してくれている相手がいる。触れている温もりを与えてくれる。心配してくれることに温かさを感じる。この二つが、シオンは独りじゃないと、そう教えてくれるようだった。
だからだろうか。シオンは美鈴の肩に顎を乗せて、美鈴の体に体重をかけた。まるで、幼い子供が抱きしめられるような体勢だ。
「……怖い」
一言だけ。だがその一言に籠められた想いはどれほどのものか。
「……自分が、怖い。どうしようもないくらい、怖いんだ」
「…………………………」
小さく震える幼子。美鈴は、静かに抱きしめることくらいしかできなかった。
「……ありがとう」
俯きながら体を離すシオン。長い前髪に隠れてしまって見えにくいが、眼が充血していないのを見るに、泣いてはいないようだった。
(確か、少し前からパチュリー様の元で手伝いをしていたはず)
何があったのかは詳しく知らない。当事者でないのであれば知るはずもない。
「……一体、どうしたのですか?」
「ちょっと、思い出したくないことを思い出して」
美鈴が問うも、要点を得ない答えを返すシオン。ならば、と美鈴は話を変えた。
「では、一つ提案があるのですが」
「何?」
「――私と一緒に、稽古をしませんか? シオンならば、すぐに太極拳を極められると思うのですが」
露骨なまでに話が変わりすぎているが、コレもシオンのためなのだろう。シオンはさりげなく右手で左腕を押さえ、少しだけ力を込める。痛みは、ほとんど無かった。どうやら神獣化の代償はほぼ無くなったらしい。
コレなら、シオンが否定する理由も無い。
「わかった。一緒にやろう」
どこか上から目線な言い方だが、シオンにはその自覚が無い。美鈴も特に何も言わず、ただ苦笑を返すだけだった。
「――ハァ、ハァ、ハァ! きっつい……」
シオンは紅魔館の門前の地面に座り込んで荒い息を吐く。
「運動してなかったのはたった二週間、されど二週間、か。体力が大分落ちてるし、体の反応もどこかおかしくなってる」
「それでも十分だとは思いますが……。もう
そう、シオンは美鈴から太極拳の稽古の仕方を教わったあと、一回も休まずに――それこそ食事も睡眠も、水分を補給もせずに――体を動かし続けた。普通の人間がそんなことをすれば一週間も経たずに死ぬだろう無茶を通したのだ。
むしろ何故荒い息だけで済んでいるのか不思議だった。まあ、本来のシオンであれば、一ヶ月は続けていられただろうが。
この十日間、暇ができればフランや咲夜が止めに入りにきていたが、終ぞシオンが止める事は無かった。一応会話をすることはあっても、あくまでするだけ。ほとんど稽古の方に意識を向けていたため、生返事をする時もザラにあった。
そのせいで二人は何度かキレかけていたが、その度に急いで美鈴が止めに入っていたので事なきを得ていた。苦労人である。
美鈴は、どうしようもない、というふうに溜息を吐いた。
「まあ、シオンですから、の一言で済ませられますし、気にしないようにしましょう」
「……貴女は俺をなんだと思っているんだ?」
「聞きたい――」
「いやいい。聞きたくない」
何故か嫌な悪寒に包まれたシオンは、両手で耳を塞いで目線を地面に向ける。耳と手の隙間から美鈴の微かな笑い声が聞こえると、手を離した。
「それで? 実際のところはどうなんだ?」
主語は抜けているが、要点はわかる。
「真面目な話をしますと、シオンの今までの戦い方が原因ですね」
「我流がダメだった、そういうことか?」
「はい。シオンの技術は一見滅茶苦茶ですが、その実戦闘に特化したモノです。正確に言いますと、殺す事に特化した、という表現が正しいですね」
「なるほど。だから体を動かしにくかったのか。俺は『まとも』な戦闘技術を学びにくいってことなのかね」
「そうなります」
誰にも師事せず、またできるような状況ではなかったため、仕方なく戦場で最も自分にあった戦い方を作り上げた、その弊害。
そもそもシオンは何が『まとも』で、何が『おかしい』のかを理解できない。比較対象がいなかったせいだ。
「でもまぁ、太極拳の基礎は覚えられたし……今回はコレでいいか」
「私が教えたのは、本当に基礎の基礎と、『寸勁』に『鎧通し』、そして『震脚』の三つの技ですね。使い勝手はどうでしたか?」
「基礎はけっこうきつい。それと寸勁はともかく、鎧通しは扱いにくい。そもそも鎧を纏った相手と戦った事が一度も無いから、どうやればいいのかがわからないし。衝撃を全部相手の体に残す方法を使った方が楽だ」
「どちらかというと、そちらのが難しいと思うのですが……。まあ、私の場合、実際に騎士と戦った経験があるから簡単でしたが」
「数百年単位……それこそレミリアよりも生きてるからだろ? 俺はまだ九歳だし、何より現代で鎧纏って戦う人間なんていないよ。……絶対とは言いきれないから、人間は恐ろしいんだが」
自身も人間だというのに、しかめっ面で愚痴をこぼすシオン。
「でも震脚はやりやすいね」
「それはシオンに重力制御能力があるからだと思いますけど。実際に見て感じた私が本気で思ったほどです。アレはおかしすぎると」
「そりゃそうだろうね。筋力によって地面を揺らし、氣を爆発させて更に揺らす」
ここまでは美鈴がやっている工夫となんら変わりない。しかし、ここから先は酷すぎた。
「最後に重力制御で揺れている方向を複雑化し、それでも倒れなければ直接重力を叩きこませて地面に這いつくばらせる」
地面に立って戦う美鈴からすれば、このやり方は鬼門だ。美鈴の工夫だけでも十分恐ろしいというのに、重力制御でパターンを更にわかりにくくさせる。挙句の果てには、必死にバランスを取ろうとしている相手を嘲笑うかのように地面に膝どころか体全体を落とさせる。喰らった相手からすればたまったものじゃないだろう。
「浮かんでいる相手には一切効果が無いんだけどね。幻想郷じゃ使えるタイミングは少ないんじゃないか?」
「まあ、そうですが」
そもそも幻想郷で突出した力の持ち主は、そのほとんどが近接格闘など行わない。やる時にはやるが、基本的に氣、魔力、霊力、妖力で形成した弾幕をするのが普通だ。紅魔館にいる幾人かは接近して戦うが、それでもどちらかというと弾幕に傾いてしまう。美鈴だけは例外としてほぼ近接格闘のみだが。
「しかし、覚えておいて損はないでしょう?」
「……まあね。太極拳は円運動を元にしてるから、学ぶべきところは多いし」
シオンは座り込んでいた状態から立ち上がると、ズボンに付いた土と埃を落とす。
「そろそろ夕方になる頃だし、俺は風呂に入ってくる。流石に汗でベトベトだ」
「あれ、シオンは数年くらいであれば風呂に入らなくても平気なのでは?」
「平気ではあるけど、不快感は拭えないよ。それに、風呂に入って湯に浸かると気分がスッキリするから、風呂は好きなんだ。風呂のあとは久しぶりのご飯だ。楽しみだな」
小さく笑みを浮かべながら、シオンは紅魔館の中へと入っていく。それを見ながら、美鈴はポツリと呟いた。
「……基礎は基礎であるが故に重要であり、極める事が難しい」
だが、シオンは別だった。
「教えた技術をあっさりと覚えた。この十日間は、あくまで自分流にアレンジするための反復くらいしかしていない」
シオンが稽古をしている最中、さりげなくパチェリー元へと行き、話しを聞いてシオンの才能を知ったが、あまりにも極端すぎる。
「……一体、誰がシオンをあんな風に……」
異常の中の異常。だからこそ、シオンはあそこまで歪なのかもしれない。
シオンの才能は、美鈴からすれば羨ましいが、同時に憐れむべき才能だ。あの才能が示しているモノは、『過去』と『現在』だ。技術とは『現在』から生まれ、そして『過去』のモノとなっていく。コレが表すモノは、停滞を意味するのようなものなのかもしれない。
逆に創るとは、『未来』に何かを残すことだ。『現在』から作りだし、『未来』へ向かって完成させていく。
つまりシオンは、『過去』にしがみつけられ、『未来』へと、前へと進む事を許されないかもしれないという意味であの才能を持たされたのを、苛立っているのかもしれない。
嫌な暗示を表しているようだった。
「フラン様と接している時が、一番子供らしいのですが」
それでも限度がある。子供らしくいるよりも、ああいった極限まで自分を追い詰める姿こそがシオンの本性なのだろうか。美鈴にはわからない。
「……ままなりませんね、世の中というものは」
とっくの昔に知っていたことだ。それでも思わずにはいられなかった。願わずにはいられなかった。どうか、あの小さな少年に幸あれ、と。
シオンは風呂から出たあと、食堂へと向かうことなく図書館へと下りて行った。途中でフランや咲夜に会う事も無い。基本的に女性陣は食事の後に風呂に入るからだ。先に風呂に入ってから食堂に向かうシオンとはすれ違うはずも無かった。
そこそこ長い階段を下り、図書館の扉の前に立つシオン。そのままノックもせずに扉を開けると中に入る。
この中にはパチュリーがいるはずだ。パチュリーの生活サイクルは常時狂っている。いつ食事をするのか、いつ風呂に入るのかすらわからない。シオンでさえ、その生活サイクルを理解できなかった。常時狂っているのだから、把握するもクソもないのだが。
とにもかくにも、今日は運よくパチュリーは図書館にいた。
「パチュリー」
「……あら、シオン。私に何か用かしら?」
「ちょっとお願いがあって、さ」
いきなり出て行った手前、どこか歯切れ悪く答えるシオン。だがパチュリーはいつも通りに振る舞う。
パチュリーは思う。何か言い難い事なのだろうか。それとも、自分が簡易的な術式の構築を作れないかと試しているのを邪魔していると思っているからか。しかしパチュリーは、話しかけられたことはあまり気にしていなかった。
「用件があるのなら、早めに言ってちょうだい。時間は有限よ」
「……それもそうだな。あのさ、パチュリー」
その表情は迷いが明確に表れているが、言わないという意志は無いようだった。
「――俺に、魔法を教えてくれないか?」
「……何故かしら?」
パチュリーには理解できなかった。シオンの思考が、何をしたいのかが。
シオンは強い。パチュリーが全力で魔法を使え、戦えたとしても、それすら切り裂いてくるだろうというのがわかる。それほどに差があるのだ。
元々強いシオンが、これ以上の強さを求める理由がわからない。
「俺は、まだ弱いから」
「!?」
「まだ弱い。もっと強くなりたい。今度こそ、守りたいから」
理解した。シオンの歪みを。歪さを。
(守れなかった、反動……)
パチュリーは……否、紅魔館の全員が、言いたくなさそうだったフランから無理を通してもらって話を聞いていた。シオンには、かつて守れなかった姉がいる、と。そのせいで、あんな憎悪に囚われてしまったのだと。
その結果、目の前のシオンが形成された。自身にとって大切な人が、もうこれ以上目の前で死なないように、そのためだけに自分を追いつめる。相手がそれを望んでいなくても、シオンは止まってくれない。
だからこそ油断しない。だからこそ貪欲に強さを求める。
おそらく、シオンはありとあらゆる局面において不利になりたくないのだろう。シオンは確かに強い。だが、それはあくまで近接戦闘のみだ。しかも、現在のシオンでは、純粋にシオンよりも強い相手と戦った場合が全く想定されていないのだ。故に切り札を持とうと思ったに違いない。
もう一つ付け加えると、その大切な相手が人質にされる可能性もあるのだが……。
その時の事を、考えたくは無い。もしそうなった場合、シオンがどんな行動をするのか予測できないからだ。
パチュリーは一瞬断るかどうかを考えた。だが、ここでそれはできない。結果的にだが、シオンには等価交換で必要以上の物を要求してしまった。等価交換の法則で、余剰分は返さなければ対等ではない。そして、余剰分を返さないという選択は――そもそも考えることすらしない――パチュリーの魔法使いとしてのプライドが許さない。
「わかったわ」
「本当か!?」
だから、こう言うしかない。この返答にシオンは喜んでいるが、一つだけ付け加える。
「ただし、私がするのは魔力量と、属性に対する適正の調査だけよ。これ以上は等価交換の余剰分を超えてしまうから」
「まあ、少し教えてくれるならそれだけでも十分だけど、等価交換の余剰分……?」
「それは気にしないで。さ、早くそこに立って」
シオンの疑問を一蹴するパチュリー。教えるつもりが無いのではなく、魔法を扱うようになるのであれば自然と知ることになるから、教える必要が無いだけだ。
訝しみながらもシオンはパチュリーの言われた通りの場所に立つ。
「ここで何をしていれば?」
「立っていればそれで十分よ。ああ、無駄に動かないでちょうだい」
念のためにパチュリーはチョークを使って床に防御の術式を描く。本来パチュリーのほど実力があればいらないものだが、シオンのキャパシティを把握できていない以上、ある程度の保険をかけたくなったのだ。
実際、魔力量を調べる時に、相手の容量を把握できなかった魔法使いが、調べた相手の魔力を暴走させてしまい、両方死んだ、などという件もあるくらいだ。
「ついでに属性の適性を調べる魔法も入れておきましょうか」
何度も魔法を使えば、それだけで喘息になってしまう。一度でできるのなら、それで済ませたいのだ。
「準備ができたわ。早速始めましょうか」
「頼む」
パチュリーは既定通りの詠唱をする。とはいえ、コレははじめて使う魔法だ。なにせパチュリーは今まで自分以外の魔法使いを見たことはあっても、直接関わった事はほぼ皆無に近いからだ。そのため他者の魔力を測定する必要が無かったのだ。
しかしあっさりと魔法を発動させるパチュリー。はじめての割に全く戸惑う様子が全く見えないのは、もっと難しい魔法を使ってきたが故だろう。
けれど、ここで想定外の事態に遭遇する。
「う、っわ……!?」
シオンの体を中心に、膨大な魔力が吹き荒れる。その魔力はパチュリーが描いた防御の術式すらも食い破ってしまいそうだ。
「……まさか、そんな」
だがパチュリーはそんな事を気にしていられない。それを気にする余裕も無い。
結局何か対策を取るための魔法も唱えなかったことで魔法が破られ、膨大な魔力が周囲に吹き荒れる。暴走した魔力の中心点にいるシオンが、能力制御の応用で必死にそれらを抑えこもうと努力をしてみるが、あまりにも量が多すぎるのと、何よりはじめての感覚に戸惑ってしまい、そこまでの成果が出ない。
「おい、パチュリー!」
いまだに呆然としている目の前にいる魔法使いに叫ぶ。パチュリーが無事なのはシオンが魔力を必死にコントロールしているからだ。
パチュリーのいる場所を無理矢理台風の目にすることで難を逃れさせているのだ。代わりにシオンも暴風の真っ只中にいるのだが、重力制御で地面に足をつかせているので、問題はなかった。
「おい、しっかりしろ! コレを止められるのは貴女だけだろう!」
シオンには現状の把握ができない。そもそも今必死に操っているコレらが何なのかもわかっていないのだ。だからこそ、現状を打破できる存在に呼びかける。
その呼び声に、やっと我を取り戻したパチュリーは、すぐさま魔法を発動させるための詠唱をする。動揺して訳の分からないことを口走らない分、パチュリーは他の魔法使いよりも遥かに格上だろう。
実際には心の中で疑問と驚愕が渦を巻いているのだが、それを表に出していないだけだ。
それから魔力を抑え込む魔法を使うことで、魔力の暴走を終わらせる。
「ありがとう、パチュ……」
シオンは周囲を見て言葉を失う。とにかく酷い有様だった。シオンの魔力によって吹き荒らされた図書館は、棚が倒れ、本が崩れている。何十万冊という本が崩れる様は、まるで山が土砂崩れを起こしたようだった。
「……どうするんだ、コ――」
「シオン、今から言うことをよく聞きなさい」
半ば現実逃避しかけたシオンだが、パチュリーはそれを許さない。
「私が調べた結果、貴方には異常な量の魔力があるのが判明したわ」
「それのどこが悪いんだ?」
「いいから黙って聞いてちょうだい。……その量が多すぎるのよ。人一人分には絶対に収まらない量が。大妖怪程度なら納得できるけど、あの量はありえないの」
実際代々の博麗の巫女たちは大抵が大妖怪の上位、最低でも中位クラスの霊力を持った者が務めている。だからそこには疑問を持たない。パチュリー自身もそうだからだ。
だが、シオンの最大量は異常だった。
「だけど、
「……は? 冗談、だよな?」
「冗談だったらどれだけよかったか……。さっきあっさりと私の術式が破られたのも、おそらくはそれが理由よ。とはいえ、その大半を貴方が抑え込んだおかげで、
図書館が崩壊しているかのような惨状で『この程度』だとしたら、本当の暴走が起きたら一体どうなるのか。
「簡単よ。紅魔館どころかここのすぐ近くにある湖付近全て吹き飛ぶわ」
洒落になっていなかった。しかし、一〇〇万人分の魔力が暴走すれば、それ以上の被害が出てもおかしくはない。
実際、先程パチュリーが念のために用意した術式が無ければシオンが魔力を操作する暇など無かったし、シオンが魔力を操作しなければ被害はもっと大きくなった。最悪被害は出ずともシオンの四肢どころか体が破裂していただろう。
我知らずパチュリーに命を救われたシオン。しかし二人はそれに気付かない。それ以上の優先事項を目の前にしたせいで、気付く余裕が無い。
「……俺にどうしろと?」
いくら一〇〇万人分という膨大な魔力があっても、それを扱う術をシオンは持たない。コレでは宝の持ち腐れもいいところだ。
「何か属性の適性があるんだろ? それを教えてくれよ」
「無理ね」
「え?」
あっさりと断れたのに驚く。だが、断り方としては少しおかしい。ここで使う言葉で正しい表現は「嫌よ」という方があっているはずだ。なのに「無理ね」とは。
「……教えられない理由があるのか?」
「そうよ。……もったいぶるのも面倒だから、単刀直入に言わせてもらうわ」
どこか面倒くさそうに、パチュリーは言う。
「シオンには、属性の適性が無いの」
残酷なまでの、真実を。
魔力を持った人間は、絶対に一つか二つ程度は何らかの属性の適性を持つ。それが当たり前のことで、それ以外はありえない。
パチュリーのように七つもの適性を持つ者は極めて珍しいが、それでも歴史上では何度もいる程度だ。よほどのイレギュラーでも無い限り、四大属性やそれに準じたものから外れる事は無い。
だが、シオンがそのイレギュラーになってしまった。
『属性に適性が無い』
この言葉なら、そこまで問題にはならなかっただろう。
だが、違う。この世界の魔法は、そこまで優しくは無い。
「私たちが扱う魔法は、基本中の基本なら、例えどれだけ適性が無かったとしても扱えるモノなの。だけど、一つも属性に適性が無いシオンには、その基本中の基本でさえ対象外となってしまうのよ」
属性を持つことが当たり前のせいで、属性を持たない術式が一つも存在しない。そのせいでシオンは、魔力を別の属性に変えられない事で、その属性を起動させられない。
例えば、『火の矢』という単純で簡単な魔法。コレを作るためには『火』に対するある程度の適性と、ある程度の魔力があればいい。
だがシオンは『火』の属性の適性がゼロであるせいで、魔力を『矢』という形にはできたとしても、肝心の『火』を灯すことができない。
他の魔法も似たようなモノだ。
これらが示すモノは、シオンには、
「付け加えると、魔法使いは基本的に自分本位。だから、貴方を
歴史上ただ一人もいなかった、『属性に適性を持たない人間』。それがどれほどの価値を持っているのか。
「しかも、膨大な魔力を持っているのもやばいわね」
膨大な魔力を無理矢理引き摺り出せれば、それだけで今まで扱えなかった魔法を使えるようになる。それこそ大量破壊の魔法でさえ、だ。しかも何度でも使えるようになる。大量破壊魔法でなくとも、神話に出てくる特殊な武具、あるいは不可能がある程度まで、というくらいだが、天使や神などの簡単な使役くらいはできるようになるかもしれない。
つまり、シオンがもしそういった類の魔法使いに捕まってしまえば、非人道的な実験を受けさせられるか、あるいは一生ただの魔力タンクとして人形のように生きて行くことになる。
「今のシオンには魔法に対抗する魔法が無い。それだけで途轍もなく不利よ」
幻想郷には魔法使いが少ないが、それでも一定数は存在する。それら全て、とは行かなかったとしても、半分かそれに近い数がいれば、シオンとて負けるかもしれない。
確かにシオンは強い。だが、それでも遠距離攻撃に関しては弱いのだ。
シオンも遠距離攻撃ができないわけではない。しかし威力が強すぎる。シオンが扱う遠距離攻撃は、そのほぼ全てが核爆弾のようなものなのだ。何度も使えない、強力すぎて自分自身すら傷つけるような遠距離攻撃しか無ければ、一方的に嬲られるだけだ。
まともな遠距離攻撃を持たないが故の弊害だろう。
「とにかく、それだけの魔力を持っているのを隠さないといけないわ。いい?」
パチュリーは今まで逸らしていた視線を戻す。
視線を逸らしていたのは、嫌だったからだ。
先程もパチュリー自身が言っていたように、魔法使いになりたがる人間は、自身の欲を埋めるために自分勝手な者が多い。だからこそ、自分が手に入れられない、あるいは魔法を使えないとわかった時。どれだけ『何か』にあたるのかわかったものではない。
事実、それで何人もの人間を殺す殺人鬼や、物を盗む泥棒のような魔法使いがいる。もちろんそれだけではないが、相応にいるのもまた事実だ。
あるいは才能の無さに絶望するか。人間は挫折する生き物だ。幼い頃から思い描いて来た夢を叶えられないと悟った時、大抵の人間は全てを投げ出し、自棄になる。ほとんどの場合、表面上はいつも通りに振る舞うことが多いのだから、なおタチが悪い。落ち込んでいるとわかりにくいが故に励ましにくいからだ。
しかも、期待すれば期待していたほどに絶望も大きくなっていく。シオンは「守るために強くなりたい」と言っていた。やるせない思いを抱いていても仕方がない。
しかし、シオンはそのどれにも当てはまらなかった。
「……それだけか?」
「え?」
きょとんとしながら首を傾げるシオン。沈痛な表情をしていたパチュリーも、この反応は予想できなかった。
「それだけって……属性に適性が無いのよ? 魔法を一切使えないのよ? それなのに、どうしてそんなあっさりと受けいられるの!?」
まくしたてるように叫ぶパチェリー。だがシオンとしては、どうしてパチェリーがそんな反応をするのか不思議だった。
「だって、それだけが全てじゃないだろう?」
「それは……」
「魔法が使えなくても、大量の魔力がある。それにさっきパチェリー自身が言っていたじゃないか。『火の矢』では『火』は使えないけど、『矢』ならできるって」
「……それがどうなるの?」
「いや、膨大な魔力があるんだったら、相手が捌ききれないほどの大量の『矢』を作って撃てばいい。あるいは属性を持たない基本中の基本以下の魔法を覚えればいいし」
別に道は一つしか存在しないわけでは無い。属性に適性が無いのなら、属性を必要としない魔法を扱えばいいだけの話だ。
「……どうして、そんな風に考えられるの?」
普通の人間であれば、さっきのパチュリーの説明を聞けば心底から絶望して、何も考えられなくなるはずだ。なのにここまで柔軟な思考ができる事が、パチュリーは不思議でならなかった。
「一つの事に固執すれば、生き残れなかったから。忘れたのか? 俺は『戦争』の中で生き抜いて来たんだぞ」
例えば戦争の真っ只中で銃を撃つ事だけに固執すれば、すぐに殺される。銃はあくまで牽制であり、本命は別のモノを、そしてその本命と思わせたモノをカモフラージュに本当の本命を使い、そしてそれを囮にして普通に銃で撃ち殺す。こういった現在できる様々な可能性から思考し、今できる最善の策を叩きだす。それが日常だった。
しかもその最善の策を練り、実行するための度胸も無ければならない。どれだけ有効な策があったとしても、実行する人間が諦めていればどうしようもない。
つまり、シオンは事戦闘という部類に関しては、『諦める』という選択肢を持たない。
「それに、俺が魔法を覚えたいのは、強くなるための『手段』であって、『目的』なんかじゃない」
結局のところはそれに尽きる。例えほとんど魔力が無かったとしても、その『ほとんど無いに等しい魔力』でも扱える『何か』を探しただろう。
「まあ、そんなわけで、俺にとって魔力はあることに越したことはないけど、そこまで重要なわけでもないんだ」
「……フ、フフッ」
あまりに身も蓋も無いバカバカしい答え。あまりにもバカらしくて、心配していたのがアホらしくなってしまって、パチュリーは腹を抱えるほどに笑ってしまった。
「笑うって、酷いんじゃないか?」
「私を笑わせる方が悪いのよ!」
シオンには、いかにパチュリーは笑う、という状況が珍しいのかを知らない。一〇〇年以上もパチュリーの親友であるレミリアでも、そう多くは無いだろう。
そんなパチュリーの貴重な満面の笑顔をシオンは今見ているのだ。
しかし、シオンがそれに気付く事は無い。
「……あとで、図書館を整理するか」
パチュリーが笑っている横で、小悪魔の手伝いをしようと思うシオン。面倒臭そうだな、と思いながらも、パチュリーに釣られて笑ってしまった。その笑みは、パチュリーのような満面の笑顔では無く、ただの苦笑であったが。
前半の、太極拳の基礎の基礎と三つの技を覚えるのが早いのは、前の話に出てきた『既存の技術を学ぶ才能』があるが故です。流石に奥義とでも呼べる技は一〇日間では覚えられませんし。
後半部分は『ゼロの使い魔』に出てくるルイズを想像すればわかりやすいかと。
『虚無の担い手』であるせいで四大に適性が無く、それ故に魔法を爆発させてしまう。大量の魔力はあるのにも関わらず。シオンのそれと似たような感じです。まぁルイズと違って爆発すら起きないのですが。