「幻想郷……?」
途中からどこかの世界に飛ばせられた可能性はわかっていた――シオンがいた場所自体が半ば異空間だったせいで、世界が複数ある事に関しては既に思い至っていた――が、ここが一体どんな名前なのかがわかっただけだ。
この世界がどういった存在を宿しているのかを考えると、頭が痛くなった。
そのままグルグルと悩んでいる途中、咲夜が聞いてくる。
「まさか、貴方は外来人……?」
「外来人?」
聞きなれない言葉に首を傾げるシオンに、咲夜は頷く。
「はい。この幻想郷は『どんな存在でも受け入れる』という世界です。そのため、たまに外からこの世界へと来る存在がいるのですよ。それらを総称して外来人と言うのです。シオン、貴方がこの世界に来た時に何か見えた、あるいはわかったことはありませんか?」
「見えた、あるいはわかったことは――」
そう呟くと、自らが落とされる前に話した女性を思い出す。自分勝手で、けれどどこかがおかしかった人を。
「いきなり周囲に目ができたかと思うと、紫色のドレスを着た、妖艶な人が目の前に現れたんだ。それで色々会話――というか、一方的に色々と言われた後に、ここの近くに落とされた。けど、どこかがおかしかったような気がするんだよね。俺とは違って人じゃない感じがしたし。そうだな、まるで妖怪みた――」
「……え?」
最後に茶化して終えようとする前に、裏返った声を出しながら驚く咲夜につられて、シオンも驚いてしまう。
「咲夜、どうかしたのか?」
「いえ、何でも。それよりも、その女性の外見をもっと詳しく教えてくれませんか?」
「え? まあ、いいけど」
腑に落ちない表情をしながら頷く。そして、シオンは自分が見たものをより正確に思い出そうとする。
「かなり大雑把なんだけど……他に見えたのは片手に傘を持ってることと、もう片方の手に扇子を持ってること。それと髪の色がとても綺麗な金色の髪をしていたってことくらいかな。後は言いたくは無いけど……体つきはかなりよかった。……今の言葉は忘れてくれ」
流石に最後は恥ずかしかったのか、シオンは先程の言葉を忘れるように頼む。けれど咲夜は、シオン自身に対しては何かを思うことは無かった。
「……いえ、十分です。その人物が誰なのか、わかりましたから」
声も表情も冷静そのものの様に涼しいものだったが、内心は愕然としていた。
(何故……何故彼女が……? 貴女は幻想郷に来る存在には基本的にあまり干渉しようとしないはずなのに……何故今回は干渉するどころか姿をさらし、その上ここに落としたのですか?)
彼女はたまにふざけてかどうかはわからないが、自分の判断で人や妖怪を落とす時もある。しかし、姿をさらす事は殆ど無いし、そもそも人間なら人里の近くに落とすのが普通なのだ。
「おい、咲夜? 結局俺が見た人? って誰なんだ?」
シオンの声に思考の海に溺れそうなところで我を取り戻す。
「え、あ……すみません。少し考え事をしていたので……」
「それは見てたからわかるよ。もう一度聞くが、誰なんだ?」
シオンの再度の質問に、咲夜は歯に物が詰まったように言った。
「多分、ですが……私の予想では彼女はスキマ妖怪八雲紫かと」
「何で予想なんだ? それにスキマ妖怪って?」
「予想と言ったのは、妖怪の中には幻を見せたり、姿を変えたりする事が出来る存在がいるからです。それに彼女は基本的にこの世界に来た、あるいは来る存在には不干渉が基本ですので、私にもよくわからないのです。そしてスキマ妖怪というのは、彼女の『境界を操る程度の能力』にも関係しているのですが、詳細は私にも知りません。私が知っているのはスキマ妖怪というのは種族名ではなく、一人一種族の妖怪、という意味だった、くらいですね」
咲夜の説明に納得してシオンは頷いた。そして、何か呟きながら考えを纏め始める。
「そういえばこの世界には妖怪がいるんだっけ。一旦あの世界で知った常識は全部捨てた方がいいのか? いや、そんなことより境界を操る……? この能力に一体何の意味が? 俺を落とした時みたいな使い方しか知らないし……世界の境界も渡れるとかそんなものか? そもそも『何の』境界を操れるんだ? これは直接本人に聞くしかないな。待てよ。それ以前に何で俺はこの世界が違う、別の世界だと思った? 境界? ……そうか、俺の……と同じ要領で結界を作れば……? でも、それにどれだけの力を使って――そもそも維持するだけでも洒落にならないはずなんだが、一体代償とかはどうやって補っているんだ……? だけどそれならあの世界との行き来は簡単とは言い切れないが可能にはなるし、世界を渡るよりも力を使わないで済むはず。それに咲夜の言っていた外来人にも説明がつく。作った本人なんだから簡単に渡れないはずが無いし……ああクソ! 情報が足りない!」
シオンが顔を顰めながら叫び出す。
普段のシオンならここまで取り乱すことは無かったし、考えるとしても頭の中だけで声に出すことは無い。しかしいきなり別の場所へと飛ばされた上に、今までの常識の埒外を加えられたことで極めて珍しいことに混乱してしまっていた。
そのせいで、咲夜に考える時間を与えてしまったし、そもそも咲夜が何かを考えていたことにすら気付いていなかった。そう、咲夜がシオンを異質な目で見ていたことに。そして、ほんの微かな期待を見せていたことにも。
(貴方は……シオンは『何』なのですか? 人でありながら美鈴に勝ち、そしてほんの少しの情報でここまで思い至る何て……本当に、ただの人間なのでしょうか?)
一を聞いて十を知るという言葉を体現したかの様なシオンに、咲夜は今目の前にいるものが人間なのかがわからなかった。
そもそも、美鈴は突出した能力は無いがその代わりに近接戦闘においては――代わりに突出した力が無い上に遠距離からの攻撃に弱い為、強いとは言い切れないが――他の追随を許さない程の強者であり、妖怪に共通している弱点くらいしか弱点と言えるようなものがない。妖怪同士での戦いではあまり強くは無いが、人間相手に負ける事はほぼありえない。
(まあ、あの博麗神社の巫女とかの一部の例外はありますが……)
それでも極少数であり、外来人が妖怪に――ハンデの様なものがあったとはいえ――勝ったなどという話は聞いた事が無い。
基本的に妖怪は人を見下し、ものによっては単なる餌にしか見ていない存在もいる。そして人間は妖怪を恐れ、最悪の場合は博麗の巫女や陰陽師に頼み込んで退治してもらう。だが、それでも人間の方が非力なのに変わりは無い。この幻想郷ではそれが当たり前の世界なのだ。
(私は美鈴との戦いは見ていません。けれど……)
シオンには怪我と呼べる様な傷が一切無い。そして、美鈴も気絶しているとはいえ、怪我を負っている様子は無い。自分が怪我をしないで相手を殺さずに無力化するのは、実はかなり難しい。手加減するというのはそれだけ危険な行為であり、余程の実力差が無ければ自分が殺される可能性の方が高いのだ。
更に付け加えれば、知らなかったとはいえ妖怪との戦闘で自分にも相手にも気を遣うなどというのは、自殺行為に等しい。それなのに、シオンに疲れた様子は無い。
(つまり、余裕で勝ったということでしょうか。それとも、何らかの能力を……?)
考えてもわからないと思った咲夜は頭を振って今思ったことを一旦忘れる。けれど、一つのことを思わずにはいられなかった。シオンになら、できるかもしれないと。
(シオン。貴方になら、あの子の狂気を止める事が出来ますか? 美鈴に勝ち、そしてここまで私を驚かせることが出来る貴方ならば、もしかしたら)
主に知られたら妄想だと思われるようなことを考えてしまう。それでも咲夜はその妄想を捨てることが出来なかった。
そして、その妄想を実現させる為の布石を打つことにした。
「シオンにお願いがあります。ここ紅魔館が主、レミリア・スカーレットお嬢様にお会いして欲しいのです」
「! あ、ああ。わかった」
いきなり声をかけられたシオンは、はっと顔を上げる。余りに集中し過ぎていたせいか、迂闊にも殆ど内容を確認せずに頷いてしまった。
かなり頭を使ったからなのか、シオンの顔は真赤に染まっている。その姿は、まるで恋する少女の様に見えた。
それに咲夜は少しだけ笑い、一礼した。
「それでは、お客様をご案内致します」
その礼は、メイドとして完璧なものだった。
「ハァ……暇ねぇ」
紅魔館のある一室に、十歳よりもやや幼い程度の少女がいた。青みがかった銀髪と血のような真紅の瞳。そしてピンクのナイトキャップを被っている。服装は帽子と同じくピンク色だ。両袖は短くふっくらとしており、袖口には赤いリボンを蝶々結びをしている。スカートは踝まで届いている。
そしてとても可愛らしい人形の様だ、と言っていい程に整った顔をしている。背中にある少女には不釣り合いな蝙蝠の翼に似た羽が無ければ、だが。
そんな少女は再度溜息を吐く。
「咲夜も侵入者とやらの対処に行っちゃったし、ずっと続いているこの霧じゃ外を出歩いても何も見えないし……。せっかく今日はとっても丸い、綺麗な満月が見れると思ったのだけれど」
そういって外を見る少女は苦笑した。そして、苦笑から一転して辛そうな顔をする。
「まあ、私はあの子に比べれば何倍もマシね。……それでも退屈は紛れないのだけれど」
最後の呟きで自分の感情を誤魔化す。そんな少女の口内に生えている歯の中に、鋭い牙があった。
そしてその少女が翼を背中にしまうと、部屋を見回した。その部屋はこの屋敷に似合わず余り物が無かった。質素な丸いテーブルと、幾つかの椅子があるだけで、他の家具は何も無い。
レミリアはその内の一つの椅子に座る。それから幾分か経った後に、扉がコン、コンとノックされた。
「お嬢様、私です」
「咲夜ね。入ってもいいわよ」
その言葉から一拍した後、再度声が聞こえる。
「失礼します」
そして扉が開く。そこには、自らに仕えている小さな従者と、奇妙な恰好をした見慣れない少年がいた。
時は少し遡り、廊下でシオンと咲夜の二人は色々なことを話していた。
「お嬢様のこと、ですか?」
「ああ。咲夜はレミリアに仕えているんだろう? なら、話しても大丈夫なものを聞かせてくれないか?」
「そうですか。わかりました」
そう言って、咲夜は考えを纏めながら歩く。それを察したシオンも黙り込む。
暫くの間、廊下には二人分の足音だけが響いた。
そして考えを纏め終えたのか、咲夜は少しずつ話し始める。
「お嬢様の種族は有名ですので、シオンも名前は知っていると思いますが、吸血鬼です。人間や妖怪達の間では『
「吸血鬼で、紅い悪魔、ねぇ」
シオンの声には恐怖の感情が全く籠っておらず、それに咲夜は声に出さず笑ってしまう。
そして、レミリアが紅い悪魔と呼ばれる様になった訳を話す。
「ちなみにお嬢様がそう呼ばれているのは、血を吸った人間の血がお嬢様の服について、それが人間達の恐怖を誘い、紅い悪魔と呼ばれる様になったのです」
「ふーん」
心底どうでもいい、という声を返すシオンに、咲夜はそちらが聞いてきたのに何故こんな反応をするのかと思ってしまった。それと同時に、これを言ったらどんな反応をするのか気になった咲夜は、つい主にとって不名誉な事を言う。
「まあ、血が零れて服に付いた理由が、血を飲み切れずに口から零れた、というものなのですけどね。……お嬢様、少食ですから」
「……は?」
咲夜の言った事が余程意外なのか、シオンは足を止めてしまう程に驚き、口を開きながら呆けた。だが、シオンの反応はあながち的外れでも無いだろう。吸血鬼と聞いて連想するものは全くいいイメージが出ないのだから、逆にそんな理由で大層な二つ名がついたのに驚いてしまう。
「……本当にそんな理由、なのか?」
「ええ、そうです」
「………………………………」
咲夜も足を止め、シオンの方へと体を向ける。
シオンの顔には信じられない、と書いてある様な気がした。
そしていきなり後ろを向いて体を震わせる。
「シオン……?」
何か嫌な事でも言ってしまったのかと少しだけ焦る。けれどそれは杞憂だった。
「クッ……フッ……ハ……ハハ……」
そして遂に堪えきれなかったのか、大きな声を出しながら笑い出す。それに咲夜は目を白黒とさせた。
「シオン、どうかしましたか?」
「だ、だってさ。そんな、クフッ、アホな理由で、何て……。駄目、無理、堪えられない」
そして、再度笑い出すシオン。何故笑う事が出来るのか、その理由が咲夜にはわからなかった。
「何故、そんな風に笑えるのですか? 相手は幻想郷中に名を知られる紅い悪魔……いえ、それを差し引いたとしても、吸血鬼ですよ? 血を吸われるのが怖くないのですか?」
その質問を聞いたシオンは、何とか息を整える。
「ケホッケホッ。久しぶりに笑いまくった。腹痛いわ。……それじゃ、真面目に言うかな」
そう言って真面目な顔で咲夜の顔を見る。
「俺は、嘘を吐きたくないから。だからこそ面白いと思ったから笑った。血を吸われるのも特に怖いとは思わない。まあ、吸われてる時に間違えて殺されるのだけは嫌だとは思うけど」
そう、シオンにとってはそんなのはどうでもいい。そもそもそんな
だが、シオンは自分で言った言葉が心に刺さっているのを感じた。
(けど、俺はずっと逃げてる。あの出来事から。あの時守れなかった、結果的に嘘になってしまった約束から。それに今は平気だけど、もしも……)
そこでシオンの思考は止まる。咲夜がまた聞いてきたからだ。
「それ以外に、何か理由は無いのですか?」
「まあ、そう思うのも仕方ないか。何の力も持たないただの人間が妖怪を怖いと思わないのはおかしいだろうしな。……逆に質問するのは失礼だと思うけど聞かせてもらうよ。人が睡眠を取るのは変だと思うか?」
咲夜にはその質問の意図がわからず首を傾げる。
「いえ、変どころか当たり前の行動ですね。これはある人から聞いた事ですが、人が眠らなければ脳が休む事が出来ず、集中する事が難しくなります。もしも私が料理をしている時に手元が狂ったらと思うとゾッとしますね。ですが、何故そんな事を聞いたのですか?」
「それと同じ理由だからだよ」
「……どういう意味ですか?」
咲夜にはシオンが何を言いたいのか、全くわからない。
そして咲夜は、月の賢者と呼ばれる彼女を思い出した。
(永琳なら、すぐにわかるのでしょうが……)
そんな事を思っている咲夜を横に、シオンは頭を掻く。
「んー何て言えばいいのかな。面倒だし単純でいいか。人が睡眠を取るのが普通の様に、吸血鬼が血を吸うのは生きる為にする事だ。当たり前の行動をするのに、怖がる必要があると思うか?俺は殺されるような状況にでもならない限りは怖いとは思わないよ。……まあ、どうしても生理的に受け付けないってときはあるだろうけど。それと、俺が知りたかったのはレミリアに関する逸話じゃなくって、レミリアの性格とかそういった、レミリア自身のことを聞きたかったんだよね」
シオンはレミリアの噂ではなく、レミリア個人のことを知りたかった。だからこそ吸血鬼であることや、『紅い悪魔』といった物の話に興味が出なかったのだ。
余りにもあっさりと言うシオンに、今度は咲夜が絶句する。まさか吸血鬼の吸血行動を「生きるためにしている当たり前のことなんだからどうでもいい」などと言うとは思わなかったのだ。
咲夜は、先程のシオンと同じように笑い始めた。
「フ、フフフッ。そんな事を普通に言いきる人に初めて会いました。本当に、シオンはおかしな人ですね」
笑う咲夜に、シオンは冷徹な声と表情で言う。
「おかしいのは俺じゃなくて、怯える人間の方だよ。……人は、妖怪よりも傲慢で、そして同時にどんな存在よりも化け物だ。ある意味においては、だけど」
「……それは、どういう意味ですか?」
シオンの態度につられたのか、咲夜もいつもの佇まいに戻す。そして二人は再度歩き始めながら話し始める。
「その前に一つ聞かせて。妖怪は、どうやって生まれるんだ?」
その質問の意図を理解しないまま、咲夜は答える。
「人の感情を元に生まれます。噂話が形となり、妖怪となる。大抵は『恐怖』から生じますが、時と場合によりますね」
「……なら、俺の考えはそのまま言えるかな」
咲夜は首を傾げつつ、シオン自身が考え、思っている言葉を待った。
「妖怪は人を襲うし、時には喰う。それを唯の悪戯だとふざけたことを言う奴もいるだろう。けれど、人を襲うのが当たり前の妖怪もいる。咲夜の主のレミリアが生きるために人を襲い、その血を吸うように。だからこそ、人は妖怪を恐れる。なにせ自分達の常識が一切通じないんだからな。知ってるか? 人は自分が『わからない』ものに対して恐怖し易いんだ。自分が『わからない』ということは『理解』出来ないから。だからこそ妖怪たちの当たり前を、自分達の当たり前に無理矢理合わせようとする。自分達で勝手に拡大解釈したり、噂で勘違いされたりしながらね」
「……ですが、それはそういった行動をしている妖怪たちにも問題があるのでは?」
咲夜の反論に顔を顰めたシオンは、それでも、と続けた。
「確かにそうだよ。だけどそれは一部の妖怪であって、全ての妖怪がそうと言う訳では無いんだろう? だけど、人間にとっては妖怪かそうでないか、それだけが判断基準だ。それに比べれば妖怪のがマシな部分もある。こっちの言い分を理解しようとする奴もいるだろうから」
「確かに、お嬢様もそう言った部分があります。ですが、それでも妖怪としての部分の方が強いのですが、そういったものはどうするのですか?」
「どうにもならない」
「……え?」
シオンの回答は咲夜の想像を超えていた。何せシオンが今言った言葉は、どうにもならないのだから諦めろ、と言っているようなものだからだ。一瞬固まってしまった咲夜を見て言葉が足りないと悟ったのか、シオンは続きを言い始めた。
「人も妖怪も、少しだけ似ている部分はあるよ。それは、自分の欲をどうするのかってところだろうね」
「自分の欲を……どうするのか?」
「そう。人は簡単に自分の欲を抑える何て事はできない。それでも人は欲を抑えて、何とか秩序を保っている。逆に妖怪はそれを抑えない。正確には、長い時を生きるせいで欲を抑える事が無意味に近いと悟っているから、かね」
そしてシオンは、まるで自分の事のように、そうしないと、つまらないじゃないか、と言った。その言葉に咲夜は、よく主が暇だと口癖のように言っているのを思い出した。
長すぎる時を生きるせいで大抵の事柄には慣れてしまう妖怪にとって、退屈が一番の敵だと咲夜は理解していたのだ。
けれど、咲夜はこう思わずにはいられなかった。何故人間であるシオンがそんな事を理解できているのか、ということに。何よりシオンはこの世界に来たばかりなのだ。理解している方がおかしい。
しかしシオンはそれに気付かず、ただ続けるだけだった。
「秩序を保とうとする人間と、秩序を乱す妖怪は相容れ難い。けど、人は妖怪にもまともな奴がいるのを理解しようともしない。根本的な部分が違うからどうにもならないこともあるだろうとは思うけど、それでも共存するのが不可能と言う訳じゃ無い。咲夜とレミリアだって一緒に生活できているんだからね。それを人間は理解しない……と言うよりできない、の方が正しいのかな? そういう珍しい行動をする奴もいるかもしれないが、本当に極少数だろう」
「……私とお嬢様を引き合いに出されてしまえば、否定できません。ですがそれは、私にも多少の力があるから言えることであって、普通の人間にはできませんよ」
「それはない」
咲夜の言葉に即答で否定する。そんなシオンに咲夜は呆れたように言った。
「シオンは妖怪と相対できるからこそ言えるのであって、力の無い人間では――」
「そんなのはありえないんだよ。死にもの狂いで戦えば、力が無かろうが人であろうとも妖怪に勝てる。生きるか死ぬかの殺し合いで、絶対なんて言葉はありえないんだから。例えそれが、何千何万以下の確率であったとしても」
その言葉は、力が無くても足掻いて一矢報いてみせろ、と言っているようだった。けれど実際にそんなことをするのは不可能に近い。
人は死に対する恐怖を克服し難いのだ。死に対する恐怖、何かを失う恐怖、大切な人と会えなくなる恐怖。他にも強大な存在に対しての恐れもある。それ故に体が硬直してしまい、何もできずに死ぬことが多い。
そもそも力の差がありすぎるのだ。始めから勝てないと思っているからこそ、大抵の人間は妖怪に襲われれば逃げるか、あるいは諦めて死を選ぶ。
それでもシオンは本当に一矢報いようとするだろう。と、ここで咲夜は、シオンに対して違和感を覚えた。
咲夜の顔が強張っているのに気付いていないシオンは、そのまま続けて言った。
「まあ、結局は人も妖怪もそこまで変わりないんだけどね。人も欲を抑えられないんだから」
「……人は、そういった生き物ですからね」
「そう、確かにそうだ。人も妖怪も欲を抑えられない。それでも人は妖怪を排斥する。弱者である人は、そのちっぽけな自尊心を守るために、強者から見下されるのを嫌がる。人は誰かを見下さなければ生きていけないんだから。例えその見下す対象が話もできない虫であろうと。結局俺が何を言いたいのかっていうと、人は底が見えないほどにどこまでも愚かで、そしてどんな生き物よりも化け物だってことだよ」
咲夜も誰かを見下してるんじゃないか?意識的にしろ、無意識的にしろ、ね。そう言って嗤うシオンに、咲夜は寒気を感じた。
自分とは価値観の違いの激し過ぎる存在に、本当に同じ人間なのかと疑いたくなってしまった。
「そ、それを言うならシオンもそうなのでは?」
これが咲夜にとっての精一杯の反論だった。けれどシオンはそれを否定するどころか受け入れた。そして、虚ろな目で小さく呟いた。
「まあ、ね……俺もアイツらと同じさ。否定するつもりはない」
それを聞いて咲夜はほんの少しだけシオンを理解した。シオンには
だからこそシオンは死に対する恐怖が殆ど存在していない。自分が死んでも何も残らないとわかってしまっているから。いや、むしろ今すぐに死んでも構わないと思っている節すらあると咲夜は感じた。
普通ならばそんなのはありえない、と切り捨てられるだろう。けれど咲夜はほんの少し接しただけだが、シオンは嘘を言わないとわかっていた。そうでなくては、他の誰かに聞かれれば狂っていると思われる言葉を言わないだろうから。
それ以前に、咲夜はシオンにある印象を感じているのだ。最初に見た時から、ずっと。接している今では、その印象がどんどん強くなっていっていた。
そう、シオンにはどこか寂しげな雰囲気を感じるのだ。まるで親とはぐれてしまい、途方に暮れた幼子のような、そんな感覚が。
それを理解してしまった咲夜は、少しだけでもシオンに歩み寄ろうとした。どこか自分に近い、この少年に。
恐らくシオンは同情などいらないと言うかもしれない。だから咲夜は、もしそれを言われても、これは自分のためだから同情では無い、という反論を用意してからシオンへと言った。
「……私が、いますよ」
「え?」
シオンは驚いて目を丸くしながら咲夜の顔を見る。咲夜は、とても優しい笑みを浮かべていた。
「一人じゃ、ありません。だから、もしシオンが困ったことになったら、私を頼ってください」
「……そう」
俯いて顔を隠すシオン。長過ぎる前髪や低過ぎる身長のせいで、その顔は全く見えなくなってしまっていた。その心中は、今どうなっているのだろうか。
やがて顔を前に戻すと、シオンは小さく呟いた。
「……ありがと」
「……! どう、いたしまして」
シオンから礼を言われたことに感動した咲夜は、とても嬉しそうに笑った。その表情は、先程見たものよりもとても可愛らしく見えた。
咲夜が笑いをおさめた後、シオンは軽く首を振ると言った。
「とは言え、これは俺の知っている人と妖怪の関係でしかない。実際にこの世界がどうやって周っているのかを俺は知らないから、単なる妄想とも言える」
「……大体は合っていますよ。ただ言えるのは、この世界の人たちは普通の人たちよりも妖怪に対して寛容です。実際に人里に妖怪が入る事も間々ありますし、人里に住んでいる妖怪もいますから。それでも人を襲う妖怪も居ますので、全ての人が妖怪を恐れていない訳ではありませんが」
「そう、か。……自分の考えているのを話すのは久しぶりだから、傲慢だと思われるかと思ったけど、咲夜はそう思わないのか? 表面上は嫌悪感が感じられないけど」
その言葉に咲夜はドキリとする。これではまるで、顔を見れば大雑把でも感情の動きがわかるかのようだ。
何故なら、咲夜は本当にシオンの意見に感心してはいても、嫌悪する感情が無かったからだ。
「わかるのですか?」
「顔の動きで大体ね。動体視力が良過ぎるせいだけど」
「……本当に、色々規格外ですね」
シオンにとってこの程度は初歩の初歩だった。相手の体の動きを先読みして回避する戦い方をするシオンからすれば、人の顔の動きを見るのは余計な集中力を使わなくても済む分だけ楽だった。
呆れた咲夜を横目に、シオンは脱線した話を戻した。
「とりあえず、話を戻そうか。俺が何故人を化け物と言ったかと言うと、人は求め続ける生き物だからさ。そのために他者を蹴落とし、犠牲にして、自らの糧にする。歴史が証明していることだ。あるものを知るためだけに、人体実験だって当たり前のようにやっている奴もいる。人が法律を決めようが何をしようが、人は必ずソレを破る。俺はいつも思うよ。何で人間は、同じ種族同士で殺し合うんだろうね? ……今の俺の説明だけを聞くと、人の方が傲慢で、化け物に見えるだろう?」
実際、シオンはそんな光景ばかりを生きてきた。だからこそこの言葉が言える。
(まあ、俺がここまで人という種族を貶すのは、あの出来事があったからだけど)
が、それだけの理由でここまで言えるわけもない。本当の本当のところ、シオンはもっと暗い、それこそ光すら見えない『闇』の中で生きて来たのだから。
そんなことを知らない咲夜は、本人すら知らずに無責任なことを言った。
「確かに、それだけ聞くとそう思えるから不思議です。……ですが、同じ種族である人間をよくそこまで貶せますね」
咲夜はシオンがどんな人生を送って来たのかは知らない。それでもその言葉に顔を顰めると、吐き捨てるかのように言った。
「俺としては『同じ』だとすら思われたくないね。赤の他人がどうなろうと知った事じゃない」
どす黒い何かが、その言葉にあった。
咲夜は自分の背筋がゾクリと泡立つのを感じた。少し前を歩いているシオンの顔は、いまどうなっているのだろうか。
そこでシオンは深呼吸する。それで落ち着いたのか、何の感情も見せない静かな声で言う。
「俺は人としての常識が欠けている。壊れたと言ってもいい。正確に言うと壊された、が正しいんだが……まあ、だからこそ人でも妖怪でもない赤の他人、傍観者として見る事ができる。……といっても、人間の評価は辛口だけどね」
「傍観者……。ですが、必ずしも他人として振る舞える訳では無いですよね? そう言った場合はどうするのですか?」
「ああ、言い方が悪かった。俺は人と妖怪が戦っている時の第三者、あるいは第三勢力的な立場にいるつもりだよ。俺は、俺が大切だと思う人しか守るつもりはない」
そして一旦区切り、咲夜の目を見る。咲夜もシオンの目を見返した。シオンが咲夜を見る目は、全てを見透かすようなものだった。
「そもそも、人でありながら妖怪に仕えているのに、それでもまだ人としての常識を持っているのか?」
「ッ!? 私が人だと、気付いていたのですか?」
「……別にそこまで驚く必要は無いと思うけど。まず咲夜は、『美鈴が中国の妖怪』とは言ってはいたけど、自分も妖怪だとは一言も言ってない。それに、さっき俺が『咲夜』とレミリアみたいにって言った時に不思議に思わなかったのか?俺は咲夜を『人』として見てた事に気付くと思うんだが。それ以前に、咲夜の気配は人間と同じだ。ここまでヒントが揃っていて気付かない方がおかしいと思うんだけどね」
「……そんな細かいことを……それに三つ目はともかくとして、一つ目と二つ目はヒントにするにしてもかなり解り難い、というよりもヒントにならない気がするのですが……まあ、初見で紫様が人とはどこかが違うと看破していたシオンですからね。聞くだけ野暮と言うものでしょう」
咲夜はそんなことを思いつく思考がおかしいとか、そもそも気配を読むのは妖怪でもかなり難しい事だとか色々思ったが、今更だと切り捨てる。
「シオンが普通ではない、というのは改めて再認識しました。ですが、言ってもいいのですか?」
「何が? ……ああ、そういうことか。別に気配を読む程度の技術なんて、学べば誰でも覚えられるだろう」
「そう、ですか」
咲夜はこう言ってはいるが、こうもあっさりと言い切ったことに驚いていた。
(能力の類かと思ったのですが……この反応では違うようですね)
そして、今通っている所が後少しでレミリアの居る所に着くと気付いた。
「もう少しでお嬢様のいる場所へ着きます」
「ああ、わかった。……それにしても、この屋敷ってこんなに広かったか? 外から見た時の大きさと違いすぎる。まあ、霧で殆ど見えなかったんだが――実際に中に入ってから探ってみたけど、その時よりも広さがおかしいような気がする」
シオンの疑問に咲夜はドキリとする。昔やってしまった事を思い出したからだ。
それを見逃すシオンではない。
「なるほど、咲夜は知っているのか。ああ、安心して。無理に聞くつもりはないよ。ただこれだけは聞かせて欲しい。俺達に何かしらの悪影響はあるのか?」
「……ありません。これは屋敷の中を見かけ以上の広さに変えているだけですので」
「そう、わかった」
咲夜は顔を伏せた。そして、顔は俯いているせいで見えないが、若干赤い耳が今の心情を物語っている。恐らく気遣われたのが恥ずかしいのだろう。
だが、シオンはなんとなく、咲夜は別の意味で恥ずかしがっていると感じた。それがなんなのかはよくわからなかったが。
「その、ありがとうございます」
「何が?」
「何も聞かないでいてくれることが、です」
「……別に気にしないでいいよ。俺にも聞かれたくない話はあるし。人の恥ずかしい過去を詮索するほど下種でもないし」
そして二人は一つの扉の前に辿り着く。その後、咲夜は扉をノックした。
「お嬢様、私です」
「咲夜ね、入っていいわよ」
それを聞いた咲夜はシオンを見て頷き、シオンもそれに頷き返す。
「失礼します」
扉を開けて室内に入った二人が見たのは、椅子に座るとても小さな少女だった。その少女は咲夜に笑いながら言う。
「お帰りなさい、咲夜。そして――」
そこで区切って、邪悪な微笑みをシオンへと向けた。
「――いらっしゃい。小さな侵入者さん」
言い終えると同時に、少女の背中から蝙蝠の様な翼が生えた。
レミリア様ご登場!
フランは後三話くらい後に?登場します。