今度は勝つと宣戦布告をして花畑を出たシオンは、すぐに入った道の中で、
「道が…………………………わからない………………!」
先程までの威勢はどこに行ったのか、盛大に項垂れていた。
現状がこうなったのはいくつかの要因が重なったせいだ。
まず、幽香に道を教わらなかった事。聞こうとした時に、つまり幽香と別れるあの場所に行く前
に聞こうとしたのだが、その瞬間なぜか弁当を渡され、言う暇を与えられなかった事。驚いてそのまま聞き忘れてしまった事。
更には現在地を確認しても目印が無い事。そもそも方角が分からないので、どこに行けばいいの
かもわからない。
コレが、シオンが道に迷った理由の数々だった。
「……ま、いいか。こんな状況慣れてるし。これよりひどい状況もあったからな」
しかし慣れたもので、あっさり立ち直る。こういう突発的な出来事には滅法強いシオンは、この
程度では慌てない。
「とりあえず、適当に進むか。最悪飛べばなんか見えるだろうし」
こうして楽観視できるのも、ちゃんと考えがあるからだ。流石に何も無しに行動したいとは思わ
ない。
行動指針を決めたので、なんとはなしに歩き始めるシオン。……が、行く先々になぜか出るわ出
るわ妖怪の数々。
何時もの事だとスルーして戦い、妖怪を切り伏せていく。常人ならば絶望して然るべき状況の中でも、シオンとしてはまだまだ甘い、というレベルだった。
今ここにいる妖怪は全て討滅したが、代わりに妖怪の血を浴びて真っ赤になっていた体。このま
までは、誰かと会っても怯えて逃げられるだけだ。
「せめて血を洗い流さないと、道を聞く前に逃げられるだろうな……」
人の心の機微には疎いシオンだが、流石にこれくらいはわかる。
一旦リミッターを外す。葉がこすれ合うわざめきさえ、まるで耳元で叫ばれるような状態になり
ながらも、微かな水の流れを捉えられるよう、集中する。
「……こっちか」
どうやら近いところにあるらしく、すぐに聞こえた。
そちらに足を向けながら、再度感覚を常人並みに落とす。
だから両者とも気付けなかった。
シオンは感覚を落とす時に、無意識の内に気配を消し。もう一人は、川で涼むのに夢中で、周囲
に気を配っていなかった。
「……ん?」
「……へ?」
「「…………………………え?」」
こうして、河童と(勝手な思い込みで)その盟友(扱いされている)である人間は邂逅した。
「な、なんで……確かにセンサーを設置したはずなのに!」
余りの驚きからか、口から思考がだだ漏れである。
「と言われても……センサーってあれだろ? 多分、無意識で避けた。ああいうのは無意識でも
避けられるようになってるから」
シオンが指差す方には、木に何かが着いており、見えない透明な線が張り巡らされている。
口をパクパクとさせている目の前の少女は、外見から判断すれば人間としか思えない。
川岸に腰を下ろしている少女は、青い髪をウェーブがかった外ハネにし、赤い珠のアクセサリーでツーサイドアップにしている。
服装は白いブラウスに肩の部分にポケットがある水色の上着。裾にも大量のポケット――その内の一つから何かの機材が見える――が付いた、これまた青いスカート。靴は長靴に似た何か、胸元には紐で固定された鍵がある。水辺から少し離れた場所には青いリュックもあった。
唯一緑のキャスケットを頭に被っていなければ、全身青々しかない事になる。
だが、シオンはそんな少女から一歩後ずさる。彼女と目を合わせた時に交差した青色の瞳から、どことなく嫌な予感がしたのだ。
「へえ。まさかそんな人間がいるとはね。ふ~ん……面白い」
先程までの驚愕の表情から一転し、不敵な笑みを浮かべている少女。
「ああ、名乗り忘れてた。私はにとり。河城にとり。河童だ。よろしく、盟友」
手を差し伸べてくるにとりの手を、しかしシオンは取らない。というより――取りたくない、と思わされる?
「その手、何か仕込んでるのか?」
「え?」
疑問ではなく、なぜ気付いたのか、という声音。
やはり、と確信するシオン。
「若干だけど電磁波が漏れてる。俺の何かを調べたいのか?」
にとりは驚いた様子だったが、すぐに笑った。
「これは小細工なんかせずに直接言った方がいいかもね。そうだよ。私はシオンの生体電流を知りたかったんだ」
「生体電流って……そんな物を調べてどうするんだ?」
「ちょっとね。言うより見せた方が早いかな」
横に手を伸ばすと、にとりはリュックをごそごそと漁り、そこからコードの繋がった手袋と、そのコードの先に着いた機材を取り出した。
それを自身の手に着けると、機材に触る。
「ここをこうして……こうすれば、と」
しばらくの間は何も無かった。しかし、
「――消えた?」
そう、にとりの手が見えなくなったのだ。
(この手袋、周囲の景色と同化するようになってるのか?)
だが、シオンはそれを即座に否定した。
「コレは――光を捻じ曲げて……いや、透過させてる?」
「正解だよ。まさか一発で見抜かれるとはね」
「まあ、半信半疑だが……よくできたな」
「最初に言った光を捻じ曲げる云々は、流石に技術よりもエネルギー的な方向で無理だったんだけどね。それにこれも試作段階。本当ならこんな機材はいらないし――それに、ほら」
にとりは手をシオンの前に差し出す。
シオンは、にとりの言いたい事を瞬時に察知した。
「動かす時に景色がブレたな」
「そ。どうやっても反応しちゃうんだよね、私の生体電流に」
この手袋にはかなりの技術が使われている。
反面、その精密すぎる事が仇となり、微かな電流――そこから発生する、全くと言っていいほど存在しない電磁波が、光学迷彩を不完全にする。
動かさないなら反応しない。
しかしそれでは意味が無い。
そもそも全身を欺けなければ光学迷彩は完成しない。そうにとりは思っている。
「なるほど、それで俺のデータを取って自分のとの差異を比べようとしたのか」
「大体そんなところ。バレちゃったからもう無理なんだけど」
「いや、最初から説明してくれれば協力したけど」
「……え? いいの?」
「代わりと言っちゃなんだけど、俺が困った時があったら協力してくれ」
「なるほど、コネと言うわけだね。うん、わかった。いずれ君に借りは返すよ」
ギブアンドテイクは常識だしね、とにとりは言い、今度こそ二人はその手を合わせた。
「それで、俺はどうすればいいんだ?」
「とりあえずコレを貼って欲しいんだ。付けるのは私がやるから」
にとりがスカートに大量に付けているポケットの、その内一つからシールのような物を複数取り出した。
「コレ、さっき俺にしようとした細工とは違う物……だよな?」
「なんで見てないのにそうズバズバと見抜けるのさ……。まあそうだよ。さっきのは確実性よりも隠密性を重視したものなんだ」
それなのになんでバレたんだか……と呟きながら、にとりは続ける。
「だからこっちのが良いの。わざわざ協力してくれると言ったんだから、不確実な物を使う理由は無いだろう?」
「まあ、それもそうか」
シオンは頷くと、にとりの言う通りに全身を覆う外套を畳んで傍に置き、それの横に座る。にとりはシオンから少し離れた場所に機材を置くと、外套がある反対側に座った。
「それじゃ、腕を出して」
「心臓とかそういった器官の近くじゃなくていいのか?」
「河童の技術力を舐めるな! と言っておこうかな。腕でも十分データが取れるから大丈夫」
「ならいいんだけど」
シオンの、ある意味余計な心配をにとりは一蹴する。その顔には自信が満ち溢れており、先程の言葉が嘘では無いと察せた。
にとりはシオンが出した腕に、三ヶ所、シールを貼った。とはいえベタリ、ではなくペタリ、という感じなので、剥がすのに苦労しなさそうだ。
「今から計測するから、深呼吸でもして気持ちを落ち着けて。多少なら平気なんだけど、動悸とかが大きすぎると生体電流が乱れて上手く計れないから」
「気持ちを落ち着かせるのは得意だから大丈夫」
嘘では無い。シオンはその程度の事は四歳半ばの時には既にできるようになっていた。
「なら、始めるね。――計測開始」
機材にあるいくつかのキーを操作するにとり。その顔は真剣であり、本気で取り組んでいるのが見て取れる。
それからしばらく、おおよそ十分程度だろうか。顔を上げたにとりは、シオンの腕に貼っていたシールを取った。
「うん、これなら平気かな。……でも、これってやっぱり――」
その先の言葉を飲み込むと、にとりは立ち上がった。
「ねえシオン。これからうちに来ない? ここは下流だからそこそこ登らないといけないんだけど、文とか椛と会えると思うし。二人とも所属してるところは違うし、地位が上とかそういうわけじゃないんだけど、ある程度の交流を持っておいて損は無いと思うよ」
「……。それじゃ、お言葉に甘えようかな」
シオンが一瞬言葉に詰まったのは、にとりの考えがなんとなく読めてきたからだ。いや、より正確に言えば、
(物事の勘定が常に入っている。典型的な守銭奴、か? 技術者どうこう以前に、どことなく腹黒さも見えるし……)
にとりには聞こえないからと、けっこう酷い事を思うシオン。
「よし決まり! 遅れないように私に着いてきて」
それには気付かず、にとりは笑うのだった。
上流へと昇って行ってしばらく、にとりはそこそこの速度で歩いていた。しかし、それはあくまでも『妖怪にとって』そこそこであり、人間であるシオンはすぐ音を上げる、そう思っていたのだが……。
(音を上げるどころか、かなり余裕がありそうなんだけど)
すいすいとにとりに着いてくるシオン。デコボコしている足場でも体勢を崩さず、それどころか足音も聞こえない。
(休憩を挿む必要が無いから楽なんだけど、気になるなぁ)
しかし聞けるはずもなく、結果二人の間には会話ができなかった。
そして後少しで妖怪の山、その入り口に着くところで、横から声が響いた。
「――あれ、にとり? 人間を連れてどうしたの?」
「……うん? ああ、雛か。ちょっとうちに招待しようかと思ってね。今はその案内中」
にとりがそちらを見て見ると、緑と赤、そして白の目立つ少女がいた。
年は十代後半だろうか。髪と目が緑色をサイドにし、そこから全てを胸元で一つに纏めているようで、服は赤と少しだけ白、ほぼ完全に分かれている。とはいえ多少濃淡はあり、ワンピースの上が濃く、下は鮮やかな感じだ。スカートの真ん中横部分には、なぜか『厄』という字を崩した文字が刻まれている。裾には白いフリルも付いていた。
他にも頭部に暗い赤色のリボンで結んだヘッドドレス、胸元にもリボンをあしらっている。なぜか左腕に頭に付けているのと同じだろうリボンを軽く巻いて手首のところで垂らしていた。
しかしその少女はどこか遠慮がちな表情で近付こうとせず、にとりもまた彼女に近づこうとはしなかった。
「……」
シオンは少し逡巡した後、少女の元へ歩きだし、その前で立ち止まった。
「俺の名前はシオンって言うんだけど……貴女は?」
「私は鍵山雛、だけど。それより、私から離れて。今すぐに」
「どうして?」
「それは……」
「彼女は妖怪の一部だけど、同時に厄を溜めこむ厄神様なんだよ。だから雛に近づくと、人間妖怪問わず不幸になる。それを危惧して離れてって言ってるんだ」
言い淀んだ雛の代わりに応えたのは、にとりだった。
(厄神様……? ……あれ、これってもしかしてマズイ状況じゃ――)
シオンがそう思い至った瞬間。
空から、そしてシオン達がいるのとは反対方向、つまり対岸から、更には川の中からと、大量の妖怪が現れた。
「…………………………は?」
「こ、これ、私のせい……?」
「いや、多分雛の厄とやらが俺の運の悪さと混ざってこうなったんじゃないかな……」
下級妖怪が大半だが、チラホラと中級程度の強さを持った人に獣の部分がくっ付いた妖怪、あるいは完全に獣の形をした妖怪もいる。
だが問題はそれではなく、河童は戦闘が苦手だという事と、雛はそもそも戦闘をする機会自体が無かった事で戦い方がわからない事にある。
河童はあくまで技術者で、戦う事は稀だ。にとりは例外的に戦えるが、流石にこの数を相手にはできない。
雛は厄神様であるという事が影響している。彼女は不運を溜めこんでいる事で、結果的に幸運となっている。代わりに周囲にいる人間妖怪は不幸になるので、彼女に近づこうとしない。誰だって不幸にはなりたくないからだ。
「コレ、逃げるってのも無理そうだよね」
「そもそも逃げるってどうやれば……?」
にとりは冷や汗を掻きながら、雛は泣きそうな顔で呟く。
そこで、二人の横から冷静な声音が飛んできた。
「面倒だし、殲滅でいいかな」
二人が疑問に思いながらシオンの方を向くと、不敵に笑って、右腕を前に突き出しているシオンがいた。
更にその後方には、凝縮された魔力によって形作られた剣、槍などの魔弾があった。
妖怪達はまだ様子を見ているのか、襲い掛かってこない。その隙を突いて、シオンはもっと、大量の魔力を今ある魔弾に籠める。
魔法陣を使わず、魔力をその場に留める。これは、幽香と戦った時に覚えたものだ。魔法陣に魔力を溜めると、どうしても一部が無駄になる。
しかし直接体外に放出したのを留めれば、無駄になるのは極僅かだ。
むろんデメリットはある。これをするには、無駄に集中しなければならないのだ。魔法陣はそれを維持していればそれだけですむが、こちらはそうもいかない。
要練習、としか言えないだろう。
「まだ……まだ足りない……!」
一つ一つに凶悪とすら言える魔力が宿っているのに、それでもシオンは注ぐのをやめない。
しかし、妖怪達はもう待ってはくれない。
天地海、それぞれの場所でこそ最も強さを発揮できる妖怪が、三人に向けて飛びだしてきた。
「やっぱ待っててくれないか。でもコレで十分」
いつの間にか自分の後ろに移動している二人の気配を感じつつ、シオンは叫んだ。
「全部、吹き飛べ!」
射出される魔弾。
それらはただ前へと進むだけだが、それだけで驚異的な被害をもたらした。
妖怪達の腕を、足を、胴体を、頭を貫き、消滅させていく。むろん、相手の数が多すぎるせいで全てを倒せるわけではない。
だが、十分だった。
「後は残りを殺しきればそれで終わりだ」
おどけた調子で剣を取り出したシオンは、運よく、いや運悪く生き残った妖怪を殺すために、前へと飛びだす。
そして、未だに数が多い妖怪達に無双するシオンを見て、にとりは哀れに思った。
「シオンの相手にすらなってないね。というか、パッと見でも身体強化を使ってないのがわかるんだけど……」
「……人間って、あそこまで強いものでしたっけ?」
「多分彼だけが特別っぽい。……その理由はなんとなくわかるけど、これが本当なら正直まともだと思えない。だから、今は言えない。確信も無いしね」
困惑したような、苦りきったような、あるいはどこか憐みを含んだ――そんな、顔。雛とにとりにはやはりある程度の距離があったが、それでもその表情はよく見えた。
それもすぐに消え失せ、にとりはいつもの顔に戻る。
「勝手なデータは取れないから検証もできないし、今さっき出会ったばかりの人間をどうこうするつもりもない。どうしようもないね」
にとりが言い切るのと同時、シオンは全ての妖怪を斬り伏せていた。
戻ってきたシオンに、にとりは一言告げた。
「お疲れ」
「こんなの準備運動にもなってないよ」
二人のそんなやり取りを見て、雛も一言声をかけようとしたが、すぐに自分は厄神様なのだだと思い出す。近くにいるのも危険なのに、声をかけたら絶対に不幸が降りかかる。それを思い出したのだ。
だが、シオンは雛の心配りを無視した。
「そういえば、さっきは妖怪達が来たせいで途中だったね」
「え?」
雛は、目の前に差し出された物を見て絶句する。
シオンの、手。
それが雛のすぐ目の前にある。
「あの、これは……」
「特に理由は無いけど、握手をと思ってね」
「だけど、私は厄神様で」
「俺は気にしない。それよりも、さっきから手が寂しいんだけどな」
ひらひらと右手を振るシオン。しかし、雛は動けない。
厄神様は、その存在を見続けただけで、同じ道を歩いているだけで、言葉にするだけで、大なり小なり不幸となる。
なら、触ればどうなるか。
答えは、一つしかないだろう。
なのに、なぜ雛の腕は、少しずつ動いているのだろうか。
なぜ――
「ああもう、まどろっこしいな」
「あ――」
ほんの少しだけ持ち上がっていた雛の手を、シオンは握り締める。
「な、なんでこんな。近くにいただけでさっきあれだけの妖怪に襲われたのに。触ればどうなるのかなんて、わかるでしょう」
「俺とにとりのやり取りを羨ましそうに見てたり、差し出した手を物欲しそうに見たりしたのは雛だろうに」
「あう……」
がっくりと項垂れる雛と、心底から呆れたシオンを交互に見るにとり。
「誰だって不幸になんてなりたくないから、貴女の近くにいたくない。そんなのは俺でも想像できる。だけど俺は気にしない。見かけたら話しかけていいし、行き先が同じなら一緒に行こうと言ってきていい。触りたければベタベタ触ればいい。わかった?」
「……不幸になりますよ?」
「元から俺は不幸だ」
「死んじゃうかもしれません」
「むしろ好都ご……いや、その時はその時だ」
一瞬本音が漏れそうになったが、とっさに飲み込む。雛の顔を覗いてみるが、気付いている様子も無かった。
安堵したシオンは、ダメ押しに言った。
「いいから黙って俺に迷惑かければいいんだよ!」
雛は肩を震わせると、シオンの手をはたいて、山の中へと駆け上がって行った。
「……どこか間違えた?」
どうやらシオンは何も理解していないらしい。
「逆だよ、逆」
「逆?」
先程までシオンが浮かべていた呆れを、今度はにとりがしていた。
「厄神様に対してあんな態度、普通はできないよ。彼女は人に不幸がいかないようにその身に厄を溜めこんでるけど、その本人は人に感謝されない。というより、できない。感謝しようとすれば感謝しようとした人間が不幸になるからね。私は運が良い方だから彼女と多少なら話しても平気だけど、触ろうとは思わないし」
「つまり、俺はそれを思いっきり無視したと」
「まあ、さっきの強さを間近で見たせいで驚いて感情の制御ができなかったのと、シオンが幼い子供だったから油断でもしたんじゃない? 普段は触るどころか近づかせようとすらさせないからね、雛は」
やるねえ、シオン。にとりはそう笑った。
「雛の一友人としてありがとうと礼を言わせてもらうけど、どうしてわかったんだい? 彼女が誰かとの触れ合いに飢えてるって」
「……さっきも言ったけど、特に理由は無いかな」
だけど、とシオンは続ける。
「ある時期から俺は、この人は、今こうしてほしいと思ってる、そんなのが何となくわかるようになったんだ。さっきのは、それに従った結果だよ」
この言葉を聞いて、ある意味でやばいな、とにとりは思った。
(チート? チートなのかこれ? 他人がしてほしいと思ってる事がわかるとか、交渉事で絶対有利になる。さっきの雛みたいに悩んでる女の子に使えば――
にとりはそこまで考えて、ギロチンを落としたように思考を止めた。
(まずい。まずいまずいまずい。さっきのシオンの行動力から鑑みて、絶対シオンは将来女殺しになる――!)
全てが上手くいくとは限らないし、言い方も悪いが、十人にやって一人に成功すれば、どうなるか?
(絶対やばい事になるって! 幻想郷での強者は大概女性! しかもシオンは鈍感そうだし! もしシオンがその内の何人かに恋されたら……!)
取り合いになるという名の修羅場になる――! そしてにとりは、名も知らぬ女性が幻想郷で暴れる姿を想像して、背筋を震わせた。
にとりは少し考え、
(……荷物は纏めておいた方がいいかな。文とか椛にもそれとなく伝えておこう)
そして、諦めた。
シオンのこの行動力を止められるはずが無いと理解したのだ。
(シオンの外見は精々三歳か四歳程度。余程特殊な趣味で無い限り恋愛感情を持つのはありえないし、しばらくは大丈夫)
……実はもう手遅れだったりするのだが、にとりにはわからない。
フランとしても大変遺憾だろう。好きになった事が『特殊な趣味』呼ばわりなのだから。
「――シオン、そろそろ行こう」
「ああ、わかった」
雛も、将来やばそうだなあと思いつつ、にとりはシオンを連れて歩き出した。
その後二人は、
「……なあ、にとり?」
「……何だい?」
「……俺、確か厄神様に触ったんだよな?」
「……それで? どういう意味?」
「……厄神様に触ると不幸になる。なのに何も起こってない。つまり、これは――」
「……あ、やっぱり言わなくていいよ。嫌な予感が止まらなくなってるから」
「――……ここで、何か起こるんじゃないか?」
「言わなくていいって言ったじゃないかああああああああああああああああああアアアアアアアアアアァァァァァァァァァッッッ!!」
遂に両手で頭を押さえ、絶叫するにとり。
しかし、シオンも少し怖かったりする。
(元々不幸な人間が厄神様に近づいただけであんな量の妖怪に襲われた。じゃあ、触ったら一体どうなるんだ?)
思わず息を吐いて気を緩めた、その瞬間。
「そこにいる方どいてくださいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい――――ッッッッ!!!!」
『!?』
にとりが振り返った刹那、大きな音と共にシオンの姿が掻き消えた。
「――え?」
周囲を見渡しても何の影も見えない。だが、先程の声と、少しだけ見えた『黒い翼』
「鴉天狗であの速さって……まさか……!」
にとりはリュックを置くと、声が聞こえた方とは逆の方へと走り出す。
ほどなくして、消えたシオンと、黒い翼を持ち、目を回しながらお姫様抱っこされている少女が見えた。
だが安堵している暇は無い。シオンの体の一部から血が流れているのだ。
にとりは小走りでシオンに近づいて聞いた。
「……一体さっき何が起こったんだい?」
「え、ああ、にとりか……」
シオンは少しぼうっとしていたようだが、にとりの声で我を取り戻す。
「さっき――」
そして、先程起こった事を思い出した。
まず、声が聞こえたのはにとりにもわかるだろう。
だがシオンは声と、そして『風の音』が釣り合ってないのに気付いた。
(声よりも風を切り裂く音の方が速い! まさか音速を超えて――!?)
更に運の悪い事に、おそらくこの声の主がこのまま進めば、シオンとぶつかる。
そこまで考えたシオンは、ほぼ無意識の内に体勢を整え――た瞬間、黒い翼を持った少女が目の前に現れた。
(速すぎ――!?)
シオンは少女を受け止めようとして、すぐにまずいと気付いた。
(
急遽シオンは前に突き出していた腕の速さを上げ、『衝撃波を掴んで』粉々にした。
その後すぐに腕を移動させ、少女の腋の下から腕を通し、背中のところで両手を組ませる。しかしシオンの腕の長さは、身長と同じく短い。なので上半身を少しだけ仰け反らせ、少女の頭を胸で受け止めるようにしておく。
これで少女の頭と上半身はどうにかなる。
だが、音速でぶつかってくる相手を受け止めようとすれば、こちらが吹き飛ばされるのが道理。シオンはそれをなんとかするために、頭と上半身を止めた時にその衝撃を後ろに出していた片足を使って受け流す。
むろん音速の衝撃を受ける地面は無事では済まない。ドガッ! という音を立てて割れた。
(これでこの人? の上半身の部分はどうにかなる! だけどまだ――)
そう、足などの部分はまだ止まっていない。このまま放置すれば止まっている上半身と動いている下半身の速度差で体が千切れる。
それをどうにかするために、シオンは無理矢理な動きで後方に回転しながら跳んだ。
シオンと少女の上半身は下に、下半身は上へと移動する。
無理な体勢で跳んだせいで、あまり高度が無い。空中にいられるのはもって数秒。
その数秒でシオンは自分だけが回転し、まず少女を横抱きにするような形にする。それから片方の腕を少女の背中に置いた。
落下はそろそろ終わる。そして当たり前だが、後方宙返りをしていたシオンと少女は真上に居る時は頭を下にするが、着地する時は――シオンはその回転の方向を変えていたため、そうはならないが――必然、足は下向きに移動する。
つまり、少女の足は、音速で下向きに移動する。――シオンが置いた、もう片方の腕へと向かって。
空中で音速を受け止めたシオンは、衝撃の大部分を逃したものの、音速によって発生した衝撃波は受け流せず、腕と体の一部を切り裂かれる。
それでもシオンは体勢を崩さず、なんとか地面に着地。少女は怪我をせずに済んだ。
「――で、にとりが追いかけてきて、今に至る」
「……色々言いたい事はあるけど、文を助けてくれてありがとう」
「文?」
「その鴉天狗の名前だよ。また速度の加減を間違えたみたいだけど……」
にとりは目をグルグルと回している文をジト目で見る。
「とりあえずうちに入って。治療するから」
「わかった」
腕の短さ故にシオンは文をうまくお姫様抱っこでできずに四苦八苦したが、なんとかにとりの家の中に運べた。
家に入ると、にとりは物がゴチャゴチャと散乱している部屋があった。そんな部屋を、にとりは手と足で物を蹴飛ばし、整理? していく。
そして寝室に入ると、やはり部屋は整頓されていなかった。
にとりはベッドの上に置いてある機材を適当に落とすと、
「とりあえずここに横にしといて。後は勝手に目を覚ますでしょ」
「あ、ああ……わかった」
文の扱いが酷い事に慄くシオン。
それを察したのか、にとりは肩を竦めた。
「文のコレはいつもの事だからね。それよりもう一つだけ手伝って欲しいんだけど」
「手伝い?」
「そ。まあ着いてきて」
部屋を出たにとりは、シオンを置いてどこかに移動する。
置いてかれまいと急いで追いかけるシオンは、着いて行った先を見て驚きに口を開いた。
「な――これ、って……」
「ふふ、ようこそ私の
手を大きく広げて笑うにとり。その背後には、時代錯誤と言えるほどに古い物があれば、異常なまでに発達した科学と言える、『行き過ぎた科学』もあった。
「私達河童は興味のあるなしで発達する技術に大きな差が出るからね。まぁそんなのはどうでもいいんだ。さ、そこに立って」
シオンの背中を押して強制的に移動させる。
「おい、ちょ待、何する気なんだ!?」
「大丈夫大丈夫。怪我とかはしないから」
「逆に不安になるんだけど――!」
慌てたシオンが抗議するが、にとりは一切取り合わず、シオンの手足を『拘束』する。
「それに、逃げ出そうと思えば逃げられるでしょ?」
「う……まあ、そうだけど……」
そう、シオンは抗議はしたが抵抗はしなかった。
「だったらいいよね。それじゃ、しばらく『お休み』」
「お――」
もう一度文句を言おうしたシオンは、しかしその前に意識を失った。
「はいっ!」
「!?」
唐突な大声に、気絶していたシオンは起こされた。
目を開けた瞬間に見えたのは、顔をジロジロと見ているにとりだった。
次に感じたのは、体中に貼りつけられた『何か』。
「……なあ、一体俺の何を調べたんだ?」
「ん? ……悪いけど、秘密にさせてもらうよ」
「……はぁ」
はぐらかしてくるにとりに、シオンはつい溜息が漏れてしまう。と同時に、それでどうなろうと気にもならなかった。
あくまで気になったから尋ねただけなのだ。調べた物が何に利用されようと、シオンとしてはどうでもいい。
「おや、目覚めたんですか?」
「そうだね。意識は正常。体調も万全。今なら話もできると思うよ?」
そんな事を思っていると、研究室に鴉天狗の少女、文とやらが入って来た。
シオンと同じ赤い瞳を持ち、黒髪のボブ、その頭の上に山伏風の帽子がのっている。
服装は、シオンほどではないがかなりシンプルで、白い半そでシャツと黒いフリルの付いたミニスカート。靴は赤く、底が下駄のように高い。
そんな文とやらはシオンの前に来ると、にとりと同じくジロジロとシオンを見ていた。
「にとり、早く解放してあげないんですか? 傍目から見るとかなり危ない感じですよ?」
「あ、忘れてた。ごめんシオン」
にとりはパパッといくつかの操作をする。手足の拘束が外れ、全身に付いていた何かも剥がれて行った。
やっと自由になったシオンは、まず手足をグルグルと回し――ふいに、気付く。
「あれ、怪我が……」
「シオンが寝てる間に治しておいたよ」
「治したのは私なんですけどねぇ」
文は小さく笑うと、その笑みをどこか苦くする。
「ぶつかってしまって申し訳ありません。全てこちらのせいです」
「えっと……誰?」
「ああ、またバカな事を。私は
「文、ズレてるズレてる」
「またやってしまった!? 最近ネタ不足でつい……」
ガックリと項垂れる文に、シオンがフォローを入れる。
「い、一応名乗らせてもらうけど、俺はシオン。それとぶつかった事は別に気にしてないよ。あれで一応速度落としてたのはわかったし」
「え、アレで落としてたの!?」
「音速を超えてはいたけど、最高速度はもっと速いと思う。それがどれくらいかはわかんないけどね」
「……文、コレ本当?」
「本当ですが、あの一瞬でよくそこまで把握できましたね」
シオンの慧眼に、文は感心する。
それと同時に、にとりから聞いた話も真実なのだろうと思い始めた。
「あの、すいません。取材、させてもらってもよろしいでしょうか?」
思い立ったが吉日、文は早速行動した。
シオンは突然の申し出に、だが理解できない事があった。
「取、材? 何それ?」
「まあ簡単に言えば、私の質問に答えてもらう、ただそれだけですよ」
しばし悩むシオンだが、条件付きで受け入れる事にした。
「……言いたくない事は言わない。それでいいなら、受ける」
「本当ですか!? ありがとうございます。あ、報酬などはどうしますか?」
「それはいずれ貰うよ。かなり後になるかもしれないけど、平気?」
「わかりました、大丈夫です!」
断られると思っていたのか、文は飛び上がらんばかりに喜んだ。
そこに、にとりが若干呆れたように口を挿んだ。
「迷惑かけた人に対して遠慮ないね」
「それとこれとは話が別です。申し訳なく思っているのは本当ですが、取材はできる時にしておかなければ。それで、ですね。とりあえずは戦歴から教えてください」
「戦歴って、シオンはそこまで戦ってないと思――」
頭を振るにとりは、そこで気付く。
(――あれ? もしかしてシオンって、かなり変な戦歴だったりして……)
そしてそれは、事実だった。
「幻想郷に来る前は答えられないけど、こっちに来てからは吸血鬼の妹、時間操作能力を持つ人間の少女、ある流派を極めた格闘家、吸血鬼の姉と戦って勝った。まぁ格闘家はどこか手加減してたけどね。それと、ある理由で暴走してた時にさっきの四人に加えた七つの属性を操る魔法使いの五人と『同時に』戦って、ギリギリで負ける。彼女達と別れた後は花畑に行って、花を愛する妖怪と戦って、負けた。片腕を持って行くのが限界だったな。下級妖怪とかと戦ったのはどうでもいいから割愛させてもらう」
「……うわぁ、なんかおかしなところが一杯ありましたけど、一つ聞いてもいいでしょうか?」
「何?」
「花を愛する妖怪って、風見幽香、ですよね?」
「そうだけど、それがどうかした?」
シオンが答えた瞬間、文とにとりは目を合わせた。
――どうして彼は風見幽香と戦って生きてるんですか!?
――そんなのこっちが聞きたいよ!
刹那のアイコンタクトはそれで終わり、文は質問を再開した。
「えっと、先程シオンは幻想郷に来る前は、と言っていましたが、いつここに――」
色々とてんやわんやの大騒ぎになったが、文とシオンの取材は滞りなく進んで行った。
文が聞き、シオンが答え、にとりが口を挿む。そのような感じで話し、ついに終わりが近づいてきた。
「――最後に、シオンさんはこれからどうしようと?」
「ん……とりあえず、強くなろうと思う」
「現時点でも十分強いと思われますが、まだ強くなりたい、と?」
「まぁね。俺は自分が持ってる力を完全に扱えるわけじゃない。こんな不安定な力、いつか暴走させてしまうかもしれない。それに――負けられないんだ、俺は」
文は、シオンの瞳にこめられた意志に、少し気圧された。
「そう――ですか。これで取材は終わりです。ありがとうございました」
「お疲れ様」
シオンはにとりが用意していた椅子から立ち上がり、伸びをする。
それから、ああ、それと、と言い、
「別にその情報をどうしようと構わないけど、変な誇張はしないでほしいかな」
「そこは心配いりません。私は真実しか書きませんから」
「それならいいんだけど」
安堵したように小さく笑うと、そこに途中で抜けたにとりが入って来た。
「二人とも、取材お疲れ。はい、お茶」
「お、ありがと」
「ありがとうございます。実は喉乾いてたんですよね~」
にとりからお茶を受け取ると、二人はそのまま一気に飲んだ。
二人が飲み終わったのを見計らって、にとりが言う。
「それで、二人はどうするんだ? 椛は今日は来ないっぽいけど、どうする? 彼女に会うために今日は泊まってく?」
「あ、椛と会いたいなら数日以上かかりますよ。よく知りませんが、仕事が忙しいそうです」
「タイミング悪かった、って事か。それじゃあ俺はお暇するよ。ずっとここにいるわけにもいかないからね」
「そうかい? まぁ仕方ないか」
着いてきて、と二人を玄関へと案内するにとり。
三人がにとりの家の外へ出ると、もう辺りは暗くなりはじめていた。
「もうこんな時間か……」
「取材が長くなり過ぎましたからね。シオンさん」
「ん?」
「私はシオンさんに二つ借りができました。これはいずれ返します」
「いつかはわからないけど、期待して待ってる」
「ええ、期待しててください。……にとり、また来ます」
「楽しみにしてるよ」
簡潔なやり取りの後、あっさりと文は飛んで行った。
「私もシオンに借りがあるから、いずれ返しに行かせてもらうよ」
「……なんというか、今日だけで関係を持った方がいい二人と仲良くなれた気がする」
「へえ、その心は?」
「河童は技術者なんだろう? ならその伝手で、いつか便利な物でも作ってもらおうかと思ってね。鴉天狗の文は情報収集をしてる。だったら聞きたい事を教えてもらえる。ほら、損得勘定を入れても仲良くなった方が良いだろ?」
「なるほど、道理だね」
にとりは納得したように頷く。
「でも、ま」
「ん?」
どことなく逡巡しながら、それでもシオンは言った。
「二人とは仲良くなれると思う。個人的に、だけど」
「……ほんと、シオンはよくそんな事を言えるよね」
「それが俺だから。……言わなきゃ、いつか後悔する。それを知ってるから言えるだけだよ」
ほんの少しだけ顔を赤くするにとりに、シオンはふわりと優しい、しかしどこか寂しげな笑顔を浮かべる。
「……じゃ、また。いつかはわからないけど、どこかで」
「それまでには光学迷彩を完成させてみせるよ。あっ、と驚かせるからね!」
夕日を背に、シオンは一度も振り返らずに山を下りて行く。
その背が見えなくなると、にとりは小さく呟いた。
「さっさと光学迷彩を完成させたら、二人が驚く物でも作ろう!」
腕まくりして、にとりは自身の研究室に戻って行った。
段々東方キャラの口調がわからなくなってきました……!
そして今回予想以上に長くなったのと、本来全く想定していなかった話のため、書くのがかなり辛かったです……。