ネタ、というか話の展開とかは思いつくんですけどね……
竹林を出てから数分後、鈴仙とアリスは川にいた。
「やっと、やっと体を洗えます。この臭いが落とせます!」
「ちょ、鈴仙待って! 髪と服に葉っぱとか付いちゃってるから!」
アリスは叫びながら鈴仙に駆け寄る。
本来なら竹林を出てすぐに会った、他と比べて多少整備された道を使うと思った。しかし予想に反して鈴仙はその道では無くすぐ横の森に入ったのだ。
慌てて追いかけるが、鈴仙は着いてきてくださいの一言を寄越すのみ。なんとか木の根や窪んだ土などに足を取られず、かつ木々に服を引っ掛けずに済んだが、代わりに手足に小さな切り傷などができた。
「鈴仙、いくらなんでも酷いよ……」
鈴仙がこんな事をした理由は今わかったが、だからと言って何の説明も無しにされては少々困る。
アリスの疲れた顔からそれを悟ったのか、鈴仙は即座に謝った。
「すいませんアリス。ですが、どうしてもこの不快な臭いをとりたくて……」
「そういえば、鈴仙って兎なんだっけ」
「ええ、まあ兎の特徴は耳なので鼻はあまり人間と変わりませんが、それでも利くと思います」
アリスからしても、多少時間が経ったのにまだ臭うと感じるのだ。鈴仙など言わずもがなであろう。
その証拠に、さっさと髪と服などに着いた葉っぱを払うと、あっさり服を脱いだ。
「――って鈴仙!? ここ外だよ!? なんであっさり脱いで!」
「……? あ、なるほど、そういう事ですか」
なぜアリスが慌てているのかわからない、というように小首を傾げていた鈴仙は、すぐに納得するように頷いた。
「アリス、大丈夫ですよ。幻想郷は人は基本的に里から出ませんし、妖怪とも早々出会いません」
「でも、さっき妖怪に出会ったし」
「この状況なら問題ありません。
どこか得意げに言いながら、鈴仙は服を川辺から少し離れた岩の上に置いた。
よくわからないが、『絶対』だと言い切れる理由はあるらしい。ここは彼女の言う通り、静かにしておこうと思ったアリスは、鈴仙が川に入るのをその場に立って見守った。
足の爪先から徐々に水の中へと浸していく。
その姿は鈴仙の外見も相まってどこか神聖で、だけど身近に感じた。
冷たい、と言って小さく笑う。まるで子供のような仕草。
「まだ五月だから、冷たいのもしょうがないよ」
「ですね。でも、慣れれば気持ちいいですよ?」
川の嵩はそこまでない。精々が鈴仙の膝より少し上くらいだ。
それでもあの臭いが落とせるからか、鈴仙は十分そうに頷いていた。
ふと、鈴仙がアリスの方を見る。名案を思いついた、というように。
「アリスも、足だけでも浸してみませんか? 気持ちいいですよ」
「私も? ん~、鈴仙が言うなら、うん。そうしてみる」
アリスは靴と靴下を脱ぎ、鈴仙の服がある岩の近くに置く。
「……あれ?」
その時、何かが見えた。
刹那にも満たない一瞬の時間。なのに、微かに見えたそれが、とても気になった。
どうしてなのかわからない。ただなんとなく、『アレは、私にとって――』そこまで思い至った時だ。
「アリス、どうかしました?」
鈴仙にそう話しかけられ、アリスはぼうっとしていた意識を取り戻す。
「ううん、なんでもない」
アリスはもう一度、あれが見えた方向を見る。
しかしそこには、もう何も無かった
「――ッ、冷たい」
爪先を水に入れた時の第一声がそれだった。
ひやりとする感覚に、つい漏れてしまったのだ。
「我慢してください。すぐに気持ちよくなりますから」
「冷たいものは冷たいの。鈴仙だって冷たいって言ったじゃない」
「ふふ、そうですね」
「もう」
余裕綽々、と言ったような笑みを浮かべる鈴仙に、アリスは頬を少し膨らませて無言の抗議を送る。
鈴仙はまだクスクスと笑っていたが、アリスとて本気で怒っているわけではない。すぐにバカらしくなり、小さな笑みをしてしまった。
さらさらと流れる川の水と、冷たい水がある場所だからだろう、涼しい風が二人を包んでいる。ついさっき妖怪に襲われた時の緊迫していた空気が嘘のようだ。
五分、十分と時は過ぎ去る。
そして、また十分と経った時だ。
「――ックシュ」
「鈴仙、大丈夫?」
「あはは……五月では、まだ少しだけ寒いようです。服、着ますね」
鈴仙は恥ずかしさからか、照れているのを誤魔化すように笑う。だが、確かに少し寒そうだ。
実際くしゃみをする時に身を震わせていたし、今も両腕で体を抱きしめている。
アリスは水から足を引きぬこうとして――ふと、気付いた。
「ねえ鈴仙。体を拭く物って――無いの?」
「え……。そういえば、ありません、でしたね」
忘れていた、というように歯切れ悪く答える鈴仙に、しかしアリスはすぐに自分の上の服を脱いで自分の足を拭く。
「ア、アリス!? いくら下着を着ているからって、そんなふうにしなくても!」
「鈴仙がさっき言ったでしょう? 今は『絶対に』誰にも見つからないって。だったら少しくらいは大丈夫」
「だからってですね……」
足を拭き終えたアリスは、鈴仙の抗議を無視して自分の靴を取りに行き、靴下は履かずに靴だけ履き、鈴仙の服を持って川辺に戻る。
「さ、早く上がって。風邪引いちゃう」
「うぅ……アリスって、少し強引ですよね」
鈴仙は諦めたように項垂れると、素直に川から片足を出し、アリスに任せる事にした。
まるで着せ替え人形のように――あるいは王族のようにアリスに体を拭かれ、服を着せられていく鈴仙。
髪を拭くとき、どことなくアリスは楽しそうだった。長い髪を弄って髪型を考えていたところを見るに、そこは確かに女性らしい。
「うん、これでよし。どこか拭けてないところはない? 鈴仙」
「私は大丈夫ですが……アリス、その服は」
「う~ん、永琳様には悪いけど、皺が残っちゃうかも。だって、こうするし」
アリスは水を吸って重くなった服を思いっきり絞る。
それを何度か繰り返して、最後に水がほとんど出なくなったのを確認すると、服の端を持って何回か振り、それからそれを着た。
「――つめたっ。でもこれで大丈夫!」
まだ五月の季節。流石に濡れた服を着るのは少々こたえる。それでもなんとか笑うと、鈴仙の手を取った。
「それじゃ、里に行こう? それまでには服も乾くだろうし。今度は寄り道はしないからね?」
「そう、ですね……ありがとうございます、アリス」
『ごめんなさい』と言いかけたが、それは間違いだと気付き、言い直す。アリスは謝罪を求めていない。
わかるのだ。アリスは、『妹として』鈴仙の、『姉の役に立ちたい』と思って、こんな事をしたのだと。
鈴仙は一度だけアリスの手を強く握り、それから里へと歩き出した。
それからどれくらい歩いただろうか。アリスの足が慣れない歩みに痛みを出し始めたころ、やっと里が見えてきた。
「さ、里に、着いた、の……?」
「え、ええ、そうですが。アリス、大丈夫ですか?」
「大丈、夫。ちょっと、こんなに、歩いた事、無かった、から、疲れただけ」
スゥ、ハァと何度も呼吸を繰り返し、座り込みそうになる足に力を入れる。
鈴仙は忘れかけていたが、アリスとて王族なのだ。如何に様々な人間から疎まれようとも、王族であるが故に
どこかに行くとしても、徒歩など以ての外。馬車などで移動するのが常だろう。それでは同年代の普通の少年少女に比べれば体力が少なくなるのも道理だ。
むしろよく頑張りましたね、と褒めたいくらいだった。ここまでアリスは弱音の一つも吐かず、必死に鈴仙についてきた。何度も休憩しましょうと提案する鈴仙に、まだ平気と言って歩き続けたのだ。
本当は無茶をさせずに休憩をとった方がよかったのだろうが、里の人間はあの程度の距離、子供でも歩ける。鈴仙はアリスが本当に限界だったら無理にでも休憩させるつもりだったのだが、結局ここまで来たのだった。
「とりあえず、里に入りましょう。里の中は安全ですし、途中甘味処で甘い物を食べるのもいいかもしれません」
「でも、時間は大丈夫なの? 妖怪と戦ったり、川で涼んだりしたから、結構時間が経ってると思うんだけど」
「師匠は事情を説明すればわかってくれる方ですし、それにアリスに里を案内すると言った時点で一日くらいは里に泊まっていく可能性も考えているはずです。なので、あまり気にする必要は無いと思いますよ」
「それならいいんだけど、まずはどこに?」
「もちろん甘味処です。まずは休憩しませんと、アリスが辛いでしょうから」
「あぅ……ありがとう」
立っているのも限界どころか、足がプルプルと震えているのを悟られていた。アリスは恥ずかしさから頬が紅潮するのを感じたが、無理をしているのは事実なので、小さくお礼を言うしかなかった。
ここが見栄っ張りな子供との違いだろうか、と鈴仙は思う。アリスは他の子供とは違ってかなり素直だ。
それがくすぐったくもあるが、少し心配でもある。今から考えても詮無い事ではあるのだが。
それはそれとして、だ。
アリスには、一つだけ注意してもらわなければならない事があった。
「今から言う事は絶対に守ってください、アリス」
「鈴仙?」
「私から離れてはいけません。これは心配というのもありますが、何よりアリスのためなのです」
いつになく真剣な様子に、アリスは戸惑いながらも頷いた。
アリスの顔が強張っているのを見て、鈴仙は不必要に緊張させすぎたと思い、その頬をさすって緊張を解した。
「歩きながら説明しますね」
アリスの手を握り、鈴仙は歩き出す。
「私の能力は『波長を操る程度の能力』……まあ波長と言っても色々あるのですが、私の場合はほぼ全ての波長を操れると思ってくれればわかりやすいかと。私が持っていたあの巨大な銃は、存在の波長を長くして銃その物の気配を希薄にし、誰にも気付かれないようにしたのです。……わかりませんよね、こんな事を言われても」
理解しようとしているのだろうが、やはりこの感覚は鈴仙以外にはわからない。想像はできても、実際はどんな感じなのかが経験できないからだ。
「とにかく、それを利用して私はある波長を操作しています」
「ある波長?」
「はい。それが『言語の波長』です。正確には、言語を理解するための脳波の波長ですが」
「……その波長を操って、何か変わるの?」
どうやらアリスは根本的な部分を忘れているらしい。鈴仙はつい苦笑してしまった。
「お忘れですか? 私とアリスは異なる世界に生きる存在です。
「あ……!」
そう、それこそが問題。
アリスはこの世界の言葉を知らないし、当然こちらの世界の誰かがアリスの世界の言葉を知っているはずがない。
故に、アリスが鈴仙と出会えたのは行幸だった。鈴仙はアリスが落ちて来る時に叫んでいた言葉で、自分が全く知らない言語を扱っているのを即座に理解したのだ。
だから鈴仙は、相手が異世界人だと知らぬままに自分と相手の脳波の波長をあわせて、お互い自分が知っている言葉で聞こえるように置き換えたのだ。世界一便利な自動翻訳である。
しかし、これにも問題はある。
鈴仙と離れすぎると、繋げている波長が途切れてしまうのだ。そして一度途切れた波長は再度鈴仙が繋ぎ直さない限り、絶対に戻らない。
つまりアリスは、一度鈴仙と離れれば、言葉もわからず、知り合いもいない場所に独り置き去りになってしまう。だからこその、この真剣な忠告。
鈴仙とは離れてはダメ、そう心に刻み込んでいる途中、ふいにアリスは気付いた。
「……あ、れ? でも、永琳様も鈴仙も、私に人里に住んだ方が安全って言ってたような……?」
「アリスがもしそちらを選んだら、こちらの言語を習得させる予定でした。アリスは物覚えが早そうですから、最低限の言葉を覚えるだけなら一週間くらいあればできると思いますし。後は里にある寺小屋――里の子供達が勉強するところで覚えれば生きていけます」
何も考え無しにアリスを放り出そうとしているわけではない。
自分の事を真剣に考えてくれているのに嬉しく思うアリスだが、同時に一つの事を決意する。
「鈴仙、里に帰ったらこの世界の言葉を教えて?」
「別に構いませんが……なぜ?」
「いつまでも鈴仙の力を頼ってばかりじゃダメかなって。ずっと使ってると、辛いと思うし」
「――……ッ」
そう、アリスの言う通りだ。実を言うと鈴仙は、脳波の波長を合わせるのを余りよしとしていない。
脳波と一口に言っても色々あるが、鈴仙はその全てを識別し、選別し、各々の波長に組み合わせているのではない。
だから下手をすると。例えば他の、その人物の感情そのものを相手に叩き付ける、といった事にもなりかねない。
それを察している訳では無いのだろうが、それでも自分から、一つの言語を学びたいと言うとは思わなかった。
人とは基本、怠惰な生き物なのだから。
「そう、ですね。言っておきますが、私は優しくありませんよ?」
「のぞむところ!」
アリスがぐっと手を握り締めるとほぼ同時、二人は里の中へ入る。
生まれて初めて『庶民の暮らし』というものを見れた――アリスの世界のそれと幻想郷でのそれはほとんど違うのだが――ので、それだけでも嬉しい。
「鈴仙、あれは何!?」
「ア、アリス、はしゃぎすぎです。店に出てる物は逃げないんですから――」
――多少、元気すぎたようだが。
甘味処では団子とお茶を頼んだ。
その時アリスが、
「私は鈴仙のお茶の方が好きかなぁ」
と言ってくれたのは、鈴仙としても嬉しかった。
八百屋、魚屋、肉屋、その他にも永琳に頼まれて必要な薬草など、色々な場所を見て回った。
店による途中民家に立ち寄り、置き薬の状況などを聞いて、それらのメモも取っておくのを忘れない。アリスも永琳のためにと、最近おかしな事は無いかと聞いたのだが、結果は芳しくなかった。
「ダメだなぁ、私……全然集まらない」
「……どこかおかしいですね」
「え?」
アリスが落ち込んでいるのに、珍しく鈴仙は慰めず、考え事をしているのか、ぼうっとしていた。
「普通なら噂話程度でも教えてくれるはずなのに、誰もが口を閉ざす……。まるで
「正解だ、鈴仙」
「この声――慧音さん!?」
唐突に後ろから届いた声に振り返ると、そこには腰までありそうな長い、青のメッシュが入った銀髪を持つ美女がいた。
アリスが感じた印象は、どことなく包み込まれるような温かさ。彼女自身の雰囲気がそう感じさせるのだろうが、緩い輪を描いている口元によってその印象はより深まる。
六面体と三角錐、その間に板を挟んだような青い帽子の頂には赤いリボン。胸元が大きく開き、恐らくは上下が一体になっている青い衣服。胸元にも帽子と同じく赤いリボンをあしらっており、スカートの部分には幾重にもある白いレースがある。
大人の妖艶さと、ところどころに垣間見える、リボンを付けるなどの子供のような可愛らしさ。
しかし、その声には確かな知性もあった。
「鈴仙の言う通り、里の者は皆話したくない事があるんだ」
「……そこまで酷い事なのですか? この魑魅魍魎が跋扈する、幻想郷で?」
「言うより見せる方が早い。着いてきて――鈴仙、この子は?」
背を向けて案内しようとして瞬間、慧音の目にアリスの姿が入った。
鈴仙も忘れていたのだろう、ハッとしたように体を震わせた。
「こ、この子はアリス。迷いの竹林に飛ばされた外来人で――今は永遠亭に住んでいます」
「永遠亭で? 里ではなく?」
「ああ、それは――」
「ねえ鈴仙、この人は?」
アリスが何故永遠亭にいるのかという理由を説明しようとした時、そのアリスが鈴仙の服の裾を軽く引っ張ってきた。恐らく仲間外れにされかけているのと、純粋に名前が知りたいという思いからこうしたのだろう。
なので鈴仙は彼女の紹介をしようとしたのだが、先に自分で言われてしまった。
「すまない、鈴仙の姿に注視して気付かなかったんだ。私は上白沢慧音。……半分人間半分妖怪なんだがな。よろしく、アリス」
「よ、よろしくお願いします、慧音様」
スッと自然に差し出された手を反射的に握り返すアリス。さり気なく妖怪だと言われたが、アリスは彼女が全く怖くなかった。
彼女の人柄が為せる技だろうか? そう思っていると、鈴仙が説明してくれた。
「アリス、先程この里には寺小屋があると言いましたよね? 彼女は、その寺小屋の先生なのです」
「それは本当なのですか!?」
「あ、ああ……恥ずかしながら、子供達に勉強を教えている。だが今は非番だ。そう畏まらないでくれ」
驚き目を見開くアリスに、慧音はどこか恥ずかしそうに頬を染めると、人差し指でその頬を掻いた。
「なるほど……最初に感じた誰かを包んでいるような温かさは、職業柄、というものなのですね」
「先生だからそうなるとは限りません。慧音さんだからこそ、ですよ」
「――そ、そういえば話が途切れてしまっていたな! 私に着いてきてくれ!」
朗らかに笑いながら自分を褒めてくる二人の言葉に耐えられなくなったのか、慧音は背を向けると 二人を待たずに歩き出す。
そんな照れ屋な先生に二人は小さな笑みを浮かべつつ、彼女に着いて行った。
「――それで、私は永遠亭にいる事を決めたのです」
「そうか……そういう事なら納得だ」
アリス、鈴仙、慧音の三人は、慧音に里の誰もが口を閉ざす原因があるという場所に案内されながら、暇潰しに近い雑談をしていた。
その内容は、里の近況から寺小屋に来る子供達の様子、永遠亭での出来事など多岐に渡り、とりとめのない話ばかりだ。
今は、なぜアリスが永遠亭にいるのかという話をしていた。
「意外ですね。慧音さんの事ですから、里の方が安全だと言いそうですのに」
「ん? ああ、まぁ確かに何の説明もせずに永遠亭に住まわせようと言うなら話は別だが……彼女は、自分でそうする事を選んだんだろう? だったら他人の私が口を出すべきじゃない」
アリスはまだ子供だから、多少の心配はするけどね、と口の中で小さく呟く。
おそらく慧音は、本質的に、そして根本的に優しいのだろう。どうしようもないくらいに『そう』なのだ。
その証左に、里に出会う人出会う人が皆慧音に挨拶していた。愛想などではない、本当の笑顔でもって。王族であるが故に虚飾と本物の区別が付く技術が、こんなところで役に立った。
「ところで慧音さん、もうかなり歩いていますが、後どれくらいで着きますか?」
「そうだな……里の中でも随分と端の方だから、後四半時、といったところか。アリスはまだ大丈夫か?」
「えっと、その……四半時、というのは?」
「すまない、ついクセでこっちの時刻を使ってしまうんだ。後二十分だ」
「それくらいなら大丈夫です」
「わかった。だが、無茶はするなよ? 時間は限られているが、今は急いでいるわけじゃないんだ。多少の休息も必要だろう」
こういった細やかな気遣いができるのも、教師故だろうか。
しかしアリスは本当に無茶をしている訳では無いので、笑顔を返しておいた。
途中、アリスが前を見ずに走っていた子供にぶつかられかけたりといったアクシデントはあったが、それ以外は概ね何事も無く問題の場所に辿り着いた。
「ここだ」
「……これ、は……」
「…………………………」
慧音に案内された場所、そこは本当に里の外れだった。
だが、だからこそ目立つ。
――平穏な里の中にある、禍々しい爪痕が。
幅は数メートル、というところだろうか。問題は、里を両断しかねないと思うほどにそれは大きく、広い事。真っ二つ、そんな印象を見る者に与えてくる。
茫然とするアリスとは反対に、鈴仙はどこか考え事をしながら、注意深くその穴の縁へと手を伸ばす。
そしてその斬撃の通った地面に触れると、途端に顔を歪めた。
「……あまりにも断面が綺麗過ぎます。衝撃波で吹き飛ばしたのでも、抉ったのでも無い。まさか、消失させた……?」
「やはりそう思うか。私も実際に見た訳では無いが、里の者が言う話では斬撃による風で石が飛んで来はしても、斬撃そのものが受けた石や土は消えたそうだ。正直、ゾッとするよ」
そして鈴仙は気付く。
「この斬撃――太陽の畑から!?」
よくよく見れば、この斬撃が通った場所にある小さな山を抉り取っている。
「幽香さんがこれを……? いえ、彼女は基本力任せのパワーファイター。こんな事はできないはずです。だったら誰が……?」
「その件については私にもわからない。ただ、つい先日太陽の畑で何らかの戦闘が行われていたのはほぼ確実だ。弾幕による閃光が時折見えたからな」
「つまり、問題となるのは幽香さんと戦っていた『誰か』ですね。わざとやったのか、それとも戦闘の余波か……どちらにしろ、これほどの事ができるのは幻想郷でもそうはいません。注意して然るべきでしょう」
「まあ、その注意すべき誰かが何なのかもわかってないんだがな。里の者も、何となくでもこれを行った者の力量を把握している。だからどこか暗いんだよ。何かが起こる前触れなのではないか、と思って、な」
二人の間にある雰囲気はどことなく暗い。
それもしかたないだろう。二人は確かに人とは違うが、それでも戦闘はそれほど得意では無い。精々が『戦う事は出来る』くらいだ。
もしこんな斬撃を当たり前のように飛ばしてくる相手と戦えば、勝てるビジョンなど見えない。
「ねえ鈴仙。この攻撃をした人って、そんなに強いの?」
そんなふうに落ち込んでいると、アリスが聞いてきた。
「単に斬撃を飛ばすだけならできる人は多いでしょう。ですが、こうも断面を綺麗にするには、相応の技術も必要となります。まあ、今回はそれプラス何らかの力を使っているようですが……どちらにせよ、まともな相手ではありません」
「加えて、これは単に攻撃の余波だ。本人が意図した物では無い以上、本気で狙われたら相応の結果を貰われるだろうな」
アリスは一度、この穴の端から端まで見てみる。
里の中まで侵入し、途切れている斬撃。そして、飛んで来た方は――
「……あれ?」
「どうしました、アリス?」
「あ、うん……もしかしてこの斬撃、空から出したモノなのかなって」
「あれ、アリスは知りませんでしたか? ある程度の強者になると、普通に空中でも戦いますよ?」
「そ、そうなんだ……」
そう呟くしかないアリス。
アリスの居た世界では、そんなあっさり空を飛べる者などいない。なのに、こちらでは普通に飛べる……またも世界観の違いを感じさせられた。
恐らく、地面で戦う、それ自体が枷になるだろうとは想像できる。だが、そこからどうするのかはわからないし、今は興味も出なかった。
「慧音さん、どうします? 一番簡単なのは幽香さんに聞く事ですが」
「やめた方が良いだろうな。下手に刺激して戦闘でも挑まれたら敵わない」
「ですよね……せめて彼女がもう少し友好的なら現実的な手になるんですが」
二人が愚痴を言い合っているが、ふとアリスは思う。
「……この攻撃をした人がもう移動してるとしたら、次はどこに行くんだろう?」
「「!?」」
アリスの指摘に、二人は今気付いたと言うように体を震わせる。
「肝心なところを忘れていましたね。そもそもとしてこの人物は一体何を目的としているのか。そのために何をするのか」
「その結果生まれる被害もわからん。……二人とも、私は万が一のために里の者に注意を呼びかける。だからここでお別れだ。里の案内ができなくてすまない」
「いえ、慧音さんは里の守護も仕事の内ですから、仕方がありませんよ」
「そう言ってくれると助かる。ではな」
どこか急ぎ足で去って行く慧音。
その背中に向けて鈴仙は手を振り、見えなくなるとアリスを見た。
「どうしますか? まだ里を見て回ります?」
と言われ、しばし考えるアリス。
その時、なぜだかここに来る途中の事を思い出した。
ほんの一瞬の出来事で、それがなんだったのかもよくわからない。しかし妙に落ち着かない気分になる、その感覚。
その感覚と、この地面に足を着けていられない浮ついた気持ち。これを手放してはいけないような気がした。
だから、
「……永遠亭に戻ろう? 鈴仙」
そう、言った。
鈴仙はしばし面食らった様子だったが、それでもアリスの様子から何かを感じ取ったらしい。
「お急ぎで?」
「うん。早くお願い」
「では」
それだけのやり取り。だが二人はたったそれだけで互いの思いを汲み取った。
素早く膝を曲げる鈴仙の背に飛び乗り、しっかりと捕まるアリス。
「しっかり捕まっててくださいね!」
アリスの返事すら聞かず、鈴仙は駆け出す。
それに抗議もせず、アリスはただ身の内に燻る予感に身を焦がした。