東方狂界歴   作:シルヴィ

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シオン、アリス、永琳、三人の一日

 あの後、結局数分程でシオンは目覚めた。

 気絶したと言っても精神的疲労が主な原因だろう。実際目覚めた当初多少ボンヤリしていたが、動く事自体は普通にやれていた。

 「てゐ? 何でそこにいるんだ?」

 「気絶したからって聞いて心配して。具合は良さそうだね。よかった」

 意外だったのは、てゐが横に居た事だろうか。シオンの体調が悪くないとわかってか、ニコニコと笑っている。シオンが起きようとした時に慌てて止めようとした時とは雲泥の差だ。

 「そう」

 意図せず表情を変えるシオン。その顔に浮かんでいるのは、果たして何だったのか。てゐには読み取れなかった。

 「あ、そうだ。永琳からの伝言ね。――『目覚めたら、一度食事を取って、それから研究室に来なさい』だって」

 「わかった。暇があったらそう伝えておいてくれ」

 「うん」

 頷くと、てゐは部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 一方、永琳は自室に戻り、鈴仙に詰め寄られていた。

 「師匠! 中庭がボロボロになっていますが、アレは二人の仕業ですよね!」

 「まぁ、そうね。でも直すのは簡単なのだから、別にいいでしょう」

 とはいえ永琳はどこ吹く風。淡々と対処し、何かを紙に書いていた。

 そして鈴仙は項垂れる。わかっていたのだ。永琳に文句を言っても仕方がない、と。

 元々この屋敷にある何もかもは永琳の用意した物で、それの大部分は輝夜が所有している。そして鈴仙は、アリスとなんら変わらない、ただ彼女よりも長く住んでいる居候に過ぎない。文句を言っても、それを受け入れてくれるほどの権利は、無い。

 しかもそれで放置しているだけなら泣き寝入りして終わりになるが、本当に永琳は直してしまうからなお性質が悪い。どうしようもないのだ。

 そういう事では無い、と伝えても、恐らく永琳は理解しないだろう。本質的に研究気質である永琳にとって、植物は薬の元でしかないのだ。

 「それに、壊れているのは地面だけよ。木や花、池はどこも壊れていないわ」

 「え?」

 ――そこに、思いもよらぬ答えが返ってくる。

 一瞬目を丸くし、永琳の言葉を理解し……そして否定した。

 「あ、ありえませんよそんなの! 師匠と彼は七時間も戦っていたんでしょう!? それなのに壊れていないなんて」

 「事実は事実。それにシオンは、ああ見えて優しいのよ? 信じられないのなら見てきたらどうかしら」

 そう言われれば、鈴仙は信じない訳にはいかなかった。

 永琳は即座にバレるような甘っちょろい嘘を言わない。嘘を言うのなら、内容を吟味し、周到に準備を重ね、時を計り、相手の精神を見定め、コレという瞬間に言う。それこそが『天才』が人を騙す時だ。

 無論咄嗟の嘘を吐く事もあるが、それは緊急時のみだ。普段は言わない。

 「……シオンが優しいとは、どういう意味ですか」

 だから、鈴仙は仏頂面でそう言うしかない。

 「簡単に言えば、常に周囲に気を配っていたってところ。驚いたけれど、彼は誰かがあの庭を美しくしていたのを察していたらしいわね。それが理由かしら」

 言いながら新しい紙を取り出し、また書き始める。

 「戦闘中、彼は怪我を負おうと、反射的に漏らした声を除けば一言も喋らなかった。たまに叫ぶ事はあっても、それだけしかしなかったわ。多分、無駄に体力を使わないためでしょう。実際彼は無駄な動きを極最小限に留めていたし、息も乱そうとはしなかった。加えて、周囲を確認し続けるだけの集中力」

 突如始まった永琳の独白。困惑する鈴仙だが、その内容はよくわかる。

 一見疲れないように見える、ただ『話す』という行為。コレは案外疲れる物だ。特に、全力、あるいはそれに近い状態でなら言うまでもない。

 偶に『叫ぶ』のは、体に力を入れるために、科学的にも有用だと証明されている物だ。シオンもそれを理解して使っているのだろう。本当に無駄なら無視しているはずだ。

 そして動きの無駄を省く。コレは技術的にまず無理だ。無駄だと理解しても無駄な動きをしてしまうのが意志ある生き物。もしできるのなら、それは生き物では無い。

 ――単なる機械だ。

 ただ作業をするように、淡々とそれを行う意識無き物。それが鈴仙の考えだ。

 「何よりそれらを支える強靭な精神。動作よりも、技術よりも、それを行おうとする集中力よりも。それらをするための大前提。コレが欠けていれば、どれも無意味に終わるわ」

 そう、全てに措いて驚くべきはシオンの精神。

 人の集中力はそこまで長く続かない。だが自身の精神状態如何でその長さは前後する。シオンの場合、最後の方は気力も振り絞っていたが、気力で保たせる集中力など知れたもの。

 つまり、シオンはそれだけ戦闘における精神の安定さが飛び抜けている。はっきり言って、鈴仙には理解不能な程に。

 だが鈴仙は特に不気味とは思わない。なにせ、目の前にその意味不明な(りかいできない)人間がいるからだ。

 「……師匠に比べればマシですね」

 「何か言ったかしら?」

 「いえ何でも」

 なぜか背筋が凍る鈴仙。

 永琳は一つ溜息を吐くと、クルリと椅子を回転させて鈴仙に向き直る。

 「鈴仙、シオンに対して敵対意識を持つのを止めろ、とまでは言わないわ。でも、それを殺意にまで昇華させてはダメよ。……殺されてしまうから」

 「――」

 鈴仙は永琳にバレていた事よりも、あっさりと殺されると言い切った事に驚いた。

 だってそれは、永琳がはっきりと『貴方の方がシオンよりも弱い』と言うのと同義なのだから。

 「シオンは、彼はそれほどまでに強いのですか?」

 「強いわ」

 断言。

 「少なくとも、現時点で全力の私を数十回は殺せる程度には。少なくとも『才能』という点だけなら、戦闘分野において私は彼より下ね」

 鈴仙は、永琳があっさりと自分が殺されると言ったよりも。

 生まれて初めて、

 「――彼は私と同等の『天才』よ」

 自分の『同類』を見つけたと、そう言い切った事に驚いた。

 「楽しみね。ああ、楽しみよ。私の想像通りなら、彼は絶対に――」

 怖気を感じるようなその声音と、その微笑みに、鈴仙は、思う。

 この方はもう、止められない、と――

 

 

 

 

 

 「あ――……怪我は、もう大丈夫、ですか?」

 シオン部屋を出て、昼食のおいてある台所へ寄ってから食卓のある部屋に行くと、そこには居心地の悪そうな顔で料理を食べているアリスの姿があった。恐らく一人で食べているのに違和感があるのだろう。

 「敬語とかはいらない。怪我はアリスが治してくれたんだろう? 全快してるよ、むしろ体調は良いくらいだ。ありがとう」

 「それならいいんだけど」

 シオンはアリスの対面に座ると、冷えた料理を食べ始める。

 シオンの中に、温めよう、という考えは無かった。むしろ、料理を温めなおす、という事すらシオンは知らない。

 それを知れるほど、恵まれた環境にはいなかった。

 「……………………………………………………」

 「……………………………………………………」

 二人の間に会話は無い。

 楽しく談笑できるほど、アリスとシオンに共通の話題は無かった。

 シオンはアリスの若干内気な性格と、回復魔法を使ったあの一件から、無理に話しかけようとは思わず。

 アリスはシオンの強さ、それを垣間見て自身との差を比べ、どこか遠い人の様に感じてしまい。

 結果、二人に話すという行為は生まれなかった。

 そんな中、スパンと後ろの襖が開けられる。

 「あら、今日は二人だけなのね。珍しい」

 本当に珍しげに、しげしげとシオンとアリスを見る、永遠亭の主。

 「……マナーが悪いんじゃないか、お姫様? 淑女としてどうかと思うよ」

 「どこか皮肉気ね。でもまぁ本当の事だし、素直に受け取っておくわ。いただきます」

 サラリと受け流した輝夜は、シオンの隣に座ると、先程の不作法はどこに行ったと思うほど洗練されたマナーで料理を食べ始める。

 王族であるアリスは元より、最低限のマナーができればそれでいいと思っているシオンでさえ、一瞬目を惹かれる程だった。

 そんな二人の視線を感じつつ――あっさりと、完璧な姫の仮面を崩した。

 姿勢を崩し、一気にダラける輝夜。そのあまりのギャップに、アリスはあんぐりと口を開け、シオンは目を瞑って頭を振った。

 「シオン、後で私の部屋に来て。頼みたい事があるの」

 「……永琳に呼ばれている。そっちが先約だから、その後でなら」

 「わかったわ。無理を言うつもりは無いから、無理だったら来なくていいわよ。時間はあるし、それこそ()()()()()

 その発言にシオンは一瞬反応したが、すぐに消えた。

 会話が途切れた事で、アリスは会話に混ざる暇を見つけられなかった。

 「ごちそうさま」

 結局二人が話したのは最初のアレだけで、言ってしまえば席を共にしただけの他人のように、シオンは皿を置きに行ってしまう。

 「ハァ……」

 料理を食べている途中だと言うのに溜息を吐いてしまう。それがわかっていても、自分の浅ましさに溜息が出るのを止められない。

 (バカみたい……もっと話したかった、なんて)

 もう一度、溜息を吐いて。

 アリスはまた、料理を食べ始める。

 どこかニヤニヤした表情で自分を見つめる輝夜(出歯亀)、その存在に気付かずに。

 

 

 

 

 

 「で、話しってなんだ、永琳」

 「ノックをして返答を聞いてから入室したのはいいけれど。普通、相手の顔を見て聞くものではないかしら」

 「気にしない相手にそう言われてもね」

 それもそうね、と軽く呟いた永琳はシオンの方へ振り向くと、ハイ、とシオンに紙を手渡す。

 シオンは知らないが、それは鈴仙との話の間に永琳が書いていたものだった。

 「コレは――?」

 「貴方の能力の応用、とでも言うべきものかしらね」

 ふーん、と永琳の言葉を聞き流し、紙に書かれた内容を見て――絶句した。

 その紙に書かれていた事は、シオンにとって知らない事ばかりだったからだ。

 「やっぱり、わからないのね」

 「え、あ――……」

 痛恨のミス。よりにもよって、最も知られてはいけない事の一つを、最も知られてはいけない人物の一人にバレた。

 ちなみに現在トップに座しているのは紫の名前を持っている者だが、そこは割愛する。

 「まぁ予想通りだから、そこまで驚きは無いのだけれど」

 「…………………………おい」

 一気に脱力するシオン。

 「なんでわかったんだ?」

 もう今更だな、とこの際開き直ったシオンは何故そう思ったのかと聞いてみる。

 「どうにもチグハグな感覚が拭えないのよ、シオンは」

 「チグハグ?」

 「ええ。シオンにはある程度の知識も、それを応用する知恵もある。けれど、どこか抜けていると言うか、何かが『欠けて』いるのよ」

 永琳は、シオンの常人が持つ『常識』とでも呼ぶべき物が圧倒的に欠落しているのを、初見から感じ取っていた。

 そして今、永琳が渡したレポートによって把握できた、という事だ。

 とはいえ、

 「このレポート、黒陽の能力についてかなり細かい部分まで書いてあるんだが……それについて驚いたとしたら、その時はどう弁明するつもりだったんだ?」

 「顔の動きでどんな反応をしたかはわかるわ」

 「もういい。何だか疲れてきた」

 いっそのこと溜息を吐きたいのを何とか堪え、目の前のレポートに集中する。何となく頭痛を感じていたが、気のせいだと割り切った。

 書かれているレポート見通す。いくつかは合っていて、いくつかは間違っていた。やはり実際に持って使っているシオンと、単純に見て考察しただけの永琳では、わかる事に差がある。それでもここまで解析できるのは、永琳だからこそだろう。

 「あの、鈴仙に言われてきましたけど――シオン?」

 「ん?」

 シオンがレポートを読み終えて顔を上げるのと同時に、アリスが部屋に入って来た。

 その時シオンは、こう思った。

 (……このタイミングの良さ。絶対に永琳が計ってたな)

 実際合っていた。

 昨夜でシオンの本を読むスピードはわかっている。難解な文字もある程度は読める。アリスの料理を食べる速さもわかる。特に今日出された料理を知っているのだから、なおのこと。

 ただし、それを『予想』よりも『予知』に近い形に整えられるのは、彼女にしかできない。少なくともシオンが知る限りでは、永琳が初めてだ。

 同時に疑問に思う。

 何故自分とアリスをここに読んだのか、その理由がわからない。

 だが、シオンは慌てない。

 「さて、二人をここに呼んだ理由なのだけれど」

 どうせすぐに、説明されるのだから。

 「二人とも、勉強をしましょうか」

 片方は困惑を。

 片方は喜色をそれぞれ宿し。

 「――は?」

 「――はい!」

 チグハグで歪な三人の、初めて共にする行動が始まった。

 

 

 

 

 

 「とりあえずアリスは国語、シオンは数学から始めましょうか。アリスはコレを見て、単純な言語から学びましょう。意味は後から、ね」

 「わかりました」

 アリスが渡されたのは、あいうえおの、幼少の子供がまず使うノートだった。この国の言語さえ知らないのだから、当然であるのだが。

 「それでシオン。四則演算はできるかしら」

 「え?」

 疑問を発したのは、シオンではなくアリスだった。

 「できないな。それ以前に、四則演算ってなんだ?」

 「えぇ――!?」

 何故そんな質問を、と言いたげな表情をしていたアリスは、大声を上げて驚く。

 「で、できないの?」

 「ああ。……必要も、無かったからな」

 そう、シオンの知識は、アリスや教養を受けた人間からしてみれば『なぜできないのか』と疑問を抱くような程度しかない。

 だが考えてみてほしい。アリスの居た世界でも、言葉はともかく文字を書けない人間は大多数であり、計算ができない人間は珍しくもなんともない。シオンの世界でも、スラムやそれに近い場所ではできない人間は多い。

 何故か。必要無いからだ。

 生きるためには知識や知恵も必要だろうが、彼等にとって何より重要なのは、まず『生き残る』こと。それに尽きる。

 食事を得るのに金が無ければ盗めばいい、そんな考えを持つ人間が五萬と居れば、『計算』なんて概念は必要ない。

 事実、物々交換が主流だった遥か古代において、本人達が納得すれば良いのだから、一つ一つを数えていければそれでよかった。

 物が溢れる時代になり、『物を速く数える』事が重要になってきたから、それに必要な概念が生まれただけなのだ。

 パチュリーに足し算の問題を問われて解けなかったのも、それが理由だ。

 (本当は紅魔館で覚えようとは思ってたんだがな)

 何故かあの図書館には、簡単な算数を書き記した本は無く、専門過ぎて理解できない数学しか置いてなかった。

 コレには一つの理由がある。レミリアのせいで、いやレミリアが()()()()()()()あの膨大な本が置いてある図書館から、自らの書斎へ移したのだ。

 フランは五〇〇年近くもの間地下牢に閉じ込められ続けたせいで、常識倫理観その他諸々が欠如している。知識もその一つだ。

 それを何とかするため、せめて四則演算くらいでも、と考えたレミリアが、図書館に教えるための本を探した。

 だが、あそこに置いてある本は膨大だ。その中から一々探していくのは、相応の時間がかかる。置いてある場所を覚えておいても、パチュリーは相手の都合に関係無く本を読み、適当に置いていってしまうため、次に訪れてみれば違う場所にある、なんて事はザラだった。

 それ故本自体を持って行ったのだ。……全て。

 レミリアが本を移動させたのは、シオンが来る数日前。その後色々なトラブルが何度も起こったので、レミリアもすっかりその事を忘れていた。

 シオンが紅魔館を掃除した事もあったが、あの時は咲夜に指示された場所、大概が空き部屋であったため、レミリアの書斎を掃除する事は無く、結果あそこに本がある事さえシオンが気付く事は無かった。

 そもそもレミリアも、フランも、咲耶も、パチュリーも、美鈴も、小悪魔も、シオンが四則演算をできない、などとは露程にも思っていない。シオンがある程度の教養を受けた人間だと誤解していたからだ。

 ちなみに紅魔館メンバーがその事実を知れば、絶対に嘘だと思い、シオンが知れば別に嘘も言ってないしブラフも使ってないんだが、と思うことだろう。

 「とりあえず、それを使って基本的な足す、引く、掛ける、割る、その四つをできるようにしておきなさい。応用問題……というより、外で言う小学生レベル……大体六年分の問題を、ある程度わかりやすく纏めてそこに置いておいたから、勝手にやってちょうだい」

 「永琳様、それは流石に無責任では?」

 「いいのよ。シオンだから勝手にやって勝手に終わらせるでしょうから。現に、ホラ」

 手で促されてそちらを見ると、既にシオンが本を開いてその内容を見ているところだった。

 「は、速い……」

 「ね? ……とにかく、アリスはこの世界の言語を覚えないと。いつまでも鈴仙の能力に頼りっぱなしだと、もしはぐれて一人になった時辛いわよ」

 「わ、わかりました」

 慌てて自分に割り当てられた五十音順の表を横に置き、そして。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 「い、いつのまに」

 アリスは、自分の頬が引き攣るのを理解した。

 王族としてあるまじき不作法だと自覚していたが、どうしてもそうなるのを止められなかったのだ。

 「アリスが鈴仙、輝夜と話している時……つまり、私に話しかけていない時、ね」

 「それだけで覚えたのですか!?」

 「言語なんてそんなものよ。単にそれに使われる名詞と言語独特の言い回しが違うだけで。それに私は相手の表情と手振りで何を伝えたいのか何となくわかるから。まぁ、流石に聞いてない名詞や文法はわからないけれど」

 それを聞いて、アリスはやっと理解する。

 シオンが、永琳が敵では無くてよかったと言った、その意味を。

 確かに、と思う。こんな人間が敵に居たら、自分がやる事為す事全てを看破され、対処法を敷かれ、何も出来ずに負ける、そんな未来しか浮かばない。

 もし見た目相応の年齢だった永琳なら、切り崩せるだろう。

 だが不老不死となり、気が遠くなるような年月を生き、様々な物と接し、知識と経験を溜めた彼女に、隙は無い。

 殺せず、罠に嵌めるのもほぼ不可能で、恐らく輝夜以外を人質にしても無駄。こんな人間(かいぶつ)、どう打倒すればいいのだ。

 とはいえアリスは永琳を怖いとは思わない。どこか冷たい印象はあるが、性根から腐っている人間は見ればわかる。

 永琳は、まともだ。同時に根っからの研究者であり。

 そして、()()()()が決まっている。

 彼女にとって、輝夜こそが一番なのだ。恐らく、自らが死ぬ状況でも輝夜を守るだろう。

 だからアリスは怖がらない。狂人ではないのだから。

 そんな考えを頭の片隅に浮かべつつ、アリスは目の前の文字を追い始めた。

 それからどれ程経っただろうか。

 本を捲る、文字を書く、紙を動かす、体を動かす、ペンの芯を出す、そんな些細な音が、永琳の部屋に響く。

 「――……ふぅ」

 そんなシオンの溜息と共に、パタン、と本を閉じる音がした。

 「?」

 アリスはシオンの行動に疑問を持ち、

 「……」

 永琳は、何となく察したかのように眉を寄せた。

 そんな二人に見つめられつつ、シオンは置いてある本全てを持ち上げると、

 「永琳、全て理解した。次のレベルの物を出してくれ」

 「ま、待って! 終わったって……さっき永琳様が六年分って言ってたのに? 本当の本当に、終わったの?」

 「ああ。ただ、コレが六年分とは言っても、正直簡単だった。永琳の教え方がわかりやすい、というのが最大の理由だろうが、あまり苦労しなかったぞ」

 ……確かに、ある程度の物事と分別を覚えた人間なら、それも可能かもしれない。

 しかし子供がそこまでの経験を積んでいる、それ自体が最早おかしい。

 けれど永琳は動じずに、いや予想していたかのように次の本を取り出した。

 「はい、シオン。中学レベル、大体三年分ね。小学生レベルよりも大分辛いから、あまり無理しない方がいいわよ?」

 基礎ができていないのを心配してか、永琳がそんな事を言う。

 だが、それはあまり当てにならない。

 「……そんな『できて当たり前』みたいな顔で言われても、な」

 そう、永琳は全く心配していなかった。

 「私が当時の貴方の時は、もう教授レベルの勉強をしていたわよ?」

 「言葉の意味は全くわからないが、規格外だというのはよくわかった。参考にしないでおくよ」

 「そう? シオンも私と同じとは言わなくても、下回るくらいにはできそうだけれど」

 「流石に無理だ。時間が無い」

 それは、逆を言えば時間があればできる、と言っているのと、ほぼ同義だった。

 何となくアリスはシオンに渡された中学レベルの問題とやらをパラパラと捲る。

 その内の問題、最初の方は理解できたが、後になればなるほどわからなくなっていく。恐らくアリスの数学レベルでは、中学の中盤辺りまでしかできないらしい。十分凄い、凄いが。

 (……この二人と比べると、どうしても……)

 比べる対象が、悪すぎた。

 本を渡されたシオンは黙ってそれを見ている。小学生レベルの本を読んでいた時よりも少しペースが落ちているのは、やはり難しいからだろうか。それに反して表情は固まっていないため、単に確認しながら読んでいるのかもしれない。

 永琳は相変わらず何を書いているのかわからない。常に背を向けているせいで、どういった物を書いているのかすら悟らせてくれないのだ。

 アリスは少しずつ単語を覚えているが、如何せん難しい。ひらがな、カタカナはまだどうにかなるが、やはり漢字の数が多く、それらの組み合わせによってできる様々な意味を理解するには、それなりの年月がかかるだろう。

 加えて発音も全く違う。今まで使わなかった喋り方で話すと、どうにも違和感が拭えない。それでも一言二言、単語を重ね、意味と無し、言葉を生む。

 拙いものだが、十分だった。『できる』という実感があるからだ。

 勉強会は、二時間程で終わった。夕食を食べ終え、少し休憩を挿んでから――大体九時から――勉強を始め、十一時に終わる。そして各自部屋に戻り、就寝、というルーチンになった。

 ちなみにシオンは自室に戻らずどこかへ寄っていたが、何をしていたのだろうか。アリスの疑問は尽きない。

 それからの数日間は、ほとんど変わらないものだった。

 朝起きる頃には既にシオンは永琳に言われた鍛錬をし、鈴仙は朝食の用意、永琳の何らかの実験をしているらしく、てゐについてはよくわからない。輝夜は料理ができる寸前か、できたすぐ後にやっと起きてくる。

 朝食を食べ終えたらすぐにまた鍛錬。永琳はシオンの歩方を見て、どこが悪いのか、どうしてそうなるのかを説明していた。シオンも素直に頷いている。

 アリスは縁側に座って魔力制御を中心に、徐々に体に魔力を慣らしていく。こうしていけば、微々たるものだが使える最大魔力量が増えるらしい。

 昼はシオンを除いた全員が食べる。どうやらシオンは朝と夜を大量に食べ、昼は食べない、という事にしたらしい。永琳曰く「分けるくらいなら一度に纏めた方が時間が増える」とのこと。真似したいとは思わないし、多分、できない。

 夕方になるとシオンは鍛錬をやめ、てゐと何か話をしている。内容は知らない。聞いていないからだ。だが、シオンもてゐも楽しそうなので、二人の仲は良好らしい。

 夕方は全員で食べる。この頃になると輝夜の遠慮は一切無くなり、人の食べ物を取っていくなんて事もあった。主な被害はアリス、鈴仙、てゐの三人で、シオンと永琳は自分の実力で奪わせなかった。

 ちなみにアリスが奪われた場合鈴仙が自分の分を渡している。成長期に食べないと身長が、というより体が成長しないのが理由だそうだ。

 そして夜。毎日二時間だけの勉強会。シオンはもう大学レベルの数学を終え、永琳と議論を交わすようになっていた。正直チンプンカンプンで、何を言っているのかすら謎だ。どうやら使っている言語も変えているらしい。シオンに何ヶ国語使えるのか聞いてみたところ「そもそも違いがわからないから区別ができない」らしく、シオン自身よくわからないのだそうだ。どうやって覚えたのか聞いてみたが、悲しい顔を向けられて、その後は何も言えなかった。

 そして毎回シオンは勉強会を終えた後もどこかに消えていく。アリスはわからなかったが、永琳は何か悟っているらしく、小さく溜め息を吐いていた。珍しい。

 ただ、決してその内容を口にする事は無かったが。

 小さく「言ったら絶対にイメージが壊れるから」と返されたが、一体何のイメージが壊れてしまうのか、気になるが聞けないアリスだった。

 三人の一日は概ねこのように過ぎ去っていくが、いつまでも変わらないはずが無い。

 明くる日の朝。

 「それじゃ、次の鍛錬を始めましょうか」

 永琳は、シオンに新しい修行内容を告げた。

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