今日は、シオンの姿が見えなかった。
アリスが起きたのは朝六時頃。何とか何時も通りの時間に起きれたが、たった三時間と少ししか眠れていない脳が、もっと寝かせろと騒ぎ立てる。それを気力で捻じ伏せて活動しているアリスだが、慣れない睡眠不足のせいでかなり辛いのが現状だった。
しかし、シオンはそんなアリスよりももっと睡眠時間が短い。それなのに全く眠たそうに見えないのだから凄まじい、とアリスは思う。
魔力操作の修行は難航した。どうにも集中しきれないのだ。コレなら朝はやめて朝食の時間になる少し前まで寝ていればよかった、と思うくらいの酷さだった。
そして、朝食の時間になる。居間にいたのは鈴仙のみで、他の四人の姿は無かった。輝夜とてゐについては特に疑問に思わない。輝夜は朝食を抜きに――というより、そもそも起きていないという方が正しい――する事が間々あるし、てゐの場合はよくわからない。輝夜、永琳、鈴仙の三人は把握しているようだが、少なくともアリスは知らない。
だが、シオンと永琳の二人が朝食を食べない、というのは、アリスの知る限り初めての事だ。
「鈴仙、シオンと永琳様は?」
「今朝師匠からは『私とシオンの分は作らなくていいわ』と伺いましたが、詳細までは知りません。何か用事でもあるのでしょうか?」
「そうなんだ。珍しいね」
珍しい、どころではないのだが、その点について鈴仙は黙殺した。と、そこで鈴仙は、なんとなく疑問に思っていた事をアリスに聞く。
「ところでアリス。昨夜は私が寝付くまでに戻ってきませんでしたが、結局いつ帰ってきて寝たのですか?」
「……昨日は輝夜様のところに行ってたの。シオンと輝夜様が二人で――えーと、『ゲーム?』っていうのをやってて、私もそれを教えてもらって一緒にやって……少ししてから戻った時には、鈴仙はもう寝てたかな」
少し間が空いたが、嘘はついていない。単に一部を誤魔化しているだけだ。とはいえこんな言葉で騙せるとも思っていない、のだが。
「まぁ、輝夜様はともかくシオンが一緒でしたら、大丈夫でしょう」
「え?」
鈴仙の言葉は、アリスにとって驚愕するしかないものだった。
アリスは知っているのだ。鈴仙は、シオンを嫌ってはいないが永遠亭に居る事を許容していないことに。
「鈴仙はシオンを疎んでいたよね? どうしてそう言えるの?」
「……別に、疎んでいる訳では無いのですが」
そう言う鈴仙の表情はかなり微妙だ。疎んでいる、というのが必ずしも否定できるものではないと、自分自身理解しているからだろう。
「単に私は、彼を警戒しているだけです。今はしていませんけどね」
「警戒? どうしてシオンを警戒する必要があるの?」
「勝てないから、ですよ」
「勝てない?」
小首を傾げるアリスに対し、微妙な表情のまま鈴仙は視線を逸らす。
「ええ。この永遠亭に居る人でシオンに勝てるのは、師匠くらいでしょう。てゐは戦えますがそもそも戦闘者ではありませんし、輝夜様は不老不死なので、負けはしませんが拘束されて終わるでしょう。二人より弱い私は、言わずもがなです」
「でも、シオンはそんな事しないよ? なのにどうして警戒していたの?」
「……今となっては私もそう思いますが、数日の間はそう思えませんでしたよ。どうしても」
鈴仙の脳裏に、料理を作る時や、家事で鈴仙の手が足りない時に手伝ってくれたシオンの姿を思い出す。何故か鈴仙が困っている時にそこに現れて手を貸してくれたシオンの顔に、そして鈴仙の能力にも、嫌だと思っている気配は無かった。
それが演技じゃないのはわかっていても、やはり警戒してしまうのを止められない。シオンはそれを、困ったように見ているだけだった。見抜かれていたのだ、鈴仙がシオンを信用していないのを。
だが、普段の鈴仙ならここまで警戒しなかった。いくら鈴仙であろうと、初対面の人間に警戒心剥き出しで接するのは失礼だとわかっているのだから。
鈴仙が警戒していた最大の理由、それは。
「――私では、アリスをシオンから守れないでしょうから」
「守、る?」
「はい。……私は妖力をまともに扱えない、妖怪としては『欠陥品』の、その上臆病者です」
自嘲気味な笑みを浮かべる鈴仙に、常の快活さは見当たらない。
「欠陥品って――!」
テーブルを叩いて身を乗り出したアリスを、鈴仙は手を前に出して制する。
「大丈夫ですよ。昔は気にしていましたが、今は師匠に諭されて大丈夫になりましたから」
「永琳様に?」
「昔ここに逃げて来た時に、師匠から『足りないと思うのなら他から持ってきて補いなさい。それでもダメなら他の方法を模索しなさい。時間はいくらでもあるの。諦めるのは、全て試してからでも遅くは無いでしょう?』――と」
そして永琳は、鈴仙のために色々と骨を折ってくれた。
妖力は全く扱えないが、その代わりなのか何なのか、身体能力は他のウサギよりも高い鈴仙に、月にあった銃よりも遥かに反動も威力も高い重火器を作ってくれた。――まぁ、やりすぎて一回使うだけで腕がダメになるアレなんかも作っていたが。
それでも確かに、永琳は手伝ってくれたのだ。彼女からしてみれば取るに足らない、一妖怪のために。
「私は、昔より強くなれたと断言できます。ですが、それでもシオンには勝てません。勝てなければ、もし彼と敵対した時に、私は元よりアリスは倒されるでしょう。あっさりと」
アリスの手前『殺される』という表現は避けたが、聡いアリスは一瞬で理解した。
「それじゃ、鈴仙は」
「……私は輝夜様のように気楽ではいられませんし、師匠のように相手がどんな人間かをすぐに察せる程賢くありません。てゐのように助けられた訳でも無い私は――彼を、信じられるほど甘くなれませんでした」
本当は、わかっていたのに。
「波長を感じ取ってわかりましたが、彼はここに来て、少なくとも私の知る限り
嘘を吐かないのは、人間としてありえないこと。
それをしていないのは、何故なのか。鈴仙にはわからないし、理由を知ろうとも思わない。が、少なくともシオンが即座に敵対するのは限りなく低い。
今ならわかる。なぜ鈴仙がそこまで警戒していたのか。単純にしてわかりやすく、そしてそうであるからこそ本人が気づきにくい感情。
それは――嫉妬。
異様、異常としか取れないほどシオンとアリスの距離は近くなっている。それに対し、鈴仙は嫉妬していた。よく考えてみればわかったが、もし気付いていなければ今でもシオンに警戒心を向け続けただろう。
が、気付いたからこそ鈴仙はそれをやめた。思ったのだ
――私は子供ですか、と。
シオンはまだ幼い。そんな相手に対し醜く汚い嫉妬を向けるなど、あまりに愚かしい。そして、それを悟ってしまえば鈴仙はもう、シオンに悪感情を向けられない。
知性あるものが何かに警戒するのは、悪感情故に。そしてそれを向けてしまえば、その対象が持つ『嫌な部分』を探してしまう。それを探して見つけてしまえば、もう終わりは無くなる。悪循環の完成だ。
そうなる前に理性を取り戻したのだから、鈴仙は十二分に大人だろう。
「……少なくとも今の私は、シオンの事を多少信用していますよ?」
「なら、いいんだけど」
信頼はしていないらしいが、そこまでは高望みにすぎるだろう、とアリスは思う。むしろ悪化し過ぎていないだけまだマシだ。
朝食のかなり複雑な会話を経ると、アリスはいつもの日常に戻る。だが、永琳はともかくシオンまでもがいないと、どうにも居心地が悪いと感じてしまう。接した時間は短くとも、その内容が濃密すぎたせいだろう。
結局シオンを見たのは日が沈んでから、だったのだが――。
「シ、シオン、どうしたの!? 顔色が悪いけど――っていうか真っ白!?」
青褪めるを通り過ぎて幽霊か何かかと思うほどに具合の悪そうなシオンを見つけて、アリスは悲鳴をあげてしまった。
不気味、と思ってしまったのは、アリスでなくともそう感じるので仕方がないだろう。
「え、あぁ、うん……ついさっきまで、永琳のスパルタ方式勉強を受けててね……ちょっと、辛いな」
どんなにキツい鍛錬であろうと弱音を吐かなかったシオンが辛いとこぼしたのに、アリスは戦慄させられた。一体どんな内容だったのか気になるが、同時に知ってしまったら後悔するかもしれないと思ってしまう。
フラフラと歩んでいくシオンの背を、アリスはただ見守るしか出来なかった。
翌朝、何とかいつもの顔色に戻ったのを見てアリスがどれ程安堵したのか、シオンにはわからないだろう。
ただ一つ――先日までとかなり鍛錬の仕方が変わっていたのが、不思議だった。
どちらかというと体を動かして技術を覚えるのが主流だった昨日までと違い、今日は黒陽を展開して周囲に重力を浮かべ続けている。ただし、一つが二つに、と加速度的に黒い塊が増えていくその光景は、圧巻であると同時にアリスに怖気を感じさせる。
――触れたら死ぬ。
そう理解させられてしまうから。
気付けば数時間も経っていたのに、アリスとても驚いた。無意識の内に魔力制御を行いながら、ずっとシオンを見ていたらしい。
「シ、シオン! そろそろ一回休憩しよう!」
一回、どころではなく、今日はもう終える時間だ。本来なら一時間から二時間に一度休憩にしようと思っていたし、事実シオンに『あの言葉』を言ってしまってからそうしてきた。今はそれさえできなくなってしまっているが。
シオンはアリスの言葉に反応すると、いつの間にか片膝を着いていた地面から離す。と同時にフラついてしまった。
「だ、大丈夫!?」
急いで駆け寄るアリスを手で制し、シオンは一息吐く。
「頭が、痛いな」
しかめっ面で頭を押さえながら、アリスの横を通ってシオンは縁側に座る。
「シオン、どうしていきなりこんな事を?」
「ん、ああ……とりあえず永琳に言われたのを自分なりに解釈してやってみたんだよ。とりあえずわかったのは、俺が今黒陽を全力で使えるのは二時間から三時間って事か。それを過ぎると一気に力が弱くなる」
「そうなの? 私はそう感じなかったけど」
「相手に自分の限界がバレないように力を振るうのも技術の一つだよ」
小さな笑みを浮かべながら――シオンは上半身を倒した。
「とりあえず、寝る」
「……?」
一瞬何を言われたのかわからなかったアリスは、シオンが気絶したかのように眠っているのを見て、何と言ったのか理解した。
「え? えぇぇ―――――――――――?」
シオンが鍛錬だけで気絶したのをアリスは初めて見る。
最終的に通りかかった鈴仙に頼んで部屋まで運んでもらって、その時は何とかなったが、朝までシオンは起きてこなかった。
翌日になっても、シオンは同じことをしていた。まるで取り憑かれたかのようだが、それにしては目的意識がはっきりしすぎているし、何より効率重視しすぎている。
そんな状況で、数日、経つ。その日は永琳が中庭を通りかかってきた。アリスが永琳を見たのも久しぶりだ。
「あら……まさかこんな無茶をしているとは思わなかったわね」
「無茶?」
シオンを見ていきなりそんな事を呟いた永琳にアリスは反応する。その速すぎる反応に永琳がクスクスと小さく笑ったのを見て、赤面してしまった。
「そう、無茶。でも無駄ではない方法。その内わかるわ」
「……? それだけ、ですか?」
「そうね、これだけよ。悪いけれど、私はあまり行き過ぎた語り部にはなりたくないの。これで勘弁してちょうだい」
そう言うと、永琳はアリスの体の一部を突いた。
「!? コレ、は」
「魔力を扱いやすくするツボを押したわ。まぁ、アリスが努力をしていなければその作用も小さいのだけれど――どうやら、その心配はなさそうね」
一気に活性化する魔力にアリスは四苦八苦しながら何とか制御しようとするが、やはりうまくいかない。その間に永琳は去ってしまっていた。
鍛錬の内容はより過酷に、より洗練されていく。基礎が、その発展系へ入っていった証だ。しかしそれに、シオンとアリスは耐えられるのか――。
暗い、暗い竹林の中。
「ハァ、ハァ、ハァ――さっさと走りなさい! 死ぬわよ!」
「わかってる、けど――相手が速すぎるぜ!」
片や黒髪を赤いリボンで纏め、残った髪を顔の両脇に垂らし、これまた赤い髪飾りでそれらを括っている少女。
服装は走るのには全く適しておらず、赤と白の巫女服を着ている。胸元にはその時々によって変わるリボンを付けているのだが、今日は青色だった。常のそれとは違い、彼女の巫女服はなぜか袖部分が乖離しており、脇が露出している。
そんな彼女だが、幼い顔立ちでありながら端整である。笑みを浮かべれば、それだけで誰かを和ませる花となるだろう。しかし今、その表情は苛立ちによって形作られている。
そしてその彼女に手を引かれ、後ろに付いて走っている、白いリボンのついた黒い三角帽――いわゆる魔女あるいは魔法使いが被るような帽子――を乗せ、これまた黒い服にスカート、そこに白いエプロンを着ている少女。傍から見て魔法使い然とした服装だ。
隣を走る少女と比べても遜色のない顔立ち、だがそちらと比べてこちらは明るさを宿した表情が似合うだろう。しかしこちらもその表情には必死さしかない。
どうしてこうなるの、と巫女服の少女は思う。チラと隣に居る少女を見やり、再度思う。今日こんなところに付き合わされなければ、と。
魔法使いの少女は思う。私のせいでこうなった、と。ならせめて、私が何とかしなければならない、と。
まるで『太陽と月』と言える彼女達だが、今が一体どういう状況なのか。それを説明するには少し前に遡らなければならない――。
数時間前。
魔法使いの少女が、とある神社にやってくる。
「霊夢――! 煎餅なんて齧ってないで外出ろよ、外!」
「あんたは相変わらずうっさいわね……なんでそんな元気なのよ?」
ダルそうに答える巫女こと霊夢。バリボリと横に寝ながら煎餅を食べているが、一切破片を散らかさない。一見綺麗好き、と思えるが、こぼしてしまった煎餅の破片を即座に拾って食べているのを見るに、単に食い意地が張っているだけだろう。
だが、それをツマラないと思うのが彼女が彼女たる所以だ。
「いいから行くぞ! そんなんじゃ将来太るぜ!」
「別に太ったら太ったでその時考え――ってこら魔理沙、引っ張らないで!」
ギャーギャーと喚きながら引っ張り引っ張られていく彼女達。そこには長年接した相手との気楽さが感じ取れる。……途中で弾丸を飛ばすのはやりすぎだろうが。
「それで、結局私に何の用事? しょうもない内容だったらぶっ飛ばすわよ」
「あ、相変わらず容赦無いな霊夢……ちょっとお願いがあるんだよ」
「お願い? 何の?」
「いや、さ。霊夢ってなんでそんな簡単に霊力が扱えるんだ? ちょっと教えて欲しいんだよ」
「扱い方、ねぇ……」
どことなく切羽詰った魔理沙を見て、あぁ、コレは何かあるなと自身の勘で見抜く。恐らく――実家と何かあった、か。
元々魔理沙は魔法使いになろうと努力しているが、実家は――というより、父親がそれを許していない。最終的に魔理沙が家を出、どこかの森に家を構えほぼ絶縁状態となった事で、一時的に何とかなっているが、それにもやはり限界がある。
魔理沙は努力家だ。それは霊夢も否定しないし、否定するつもりも無い。
だが、
「――そもそも『コレ』の扱い方なんて、意識した事無いわ」
「何、だと?」
「物心ついてすぐ霊力を使えるようになった私は、扱えるように努力した事なんて、ただの一度も無いのよ。だから……教えられないわ」
物憂げに応える霊夢。
霊夢が言ったのは、全て事実だ。今まで生きてきた中で霊夢が苦労したことなぞ、お金の、家計簿のやり繰りくらいのものだ。それも最近では適当になってきている。
努力しても報われることなどありはしない、と霊夢は思っている。それ以上の何かによって、それまでの努力はあっさりと無に帰すとわかっているからだ。それなら最初から何もしなくてもいいのではないか。その日その日を生きていけるだけで――。
「そうか。ならしょうがないな。答えてくれてありがとな、霊夢!」
だが、隣を歩く少女は、魔理沙はそう思わない。
努力が足りないのなら更なる努力を、それでも届かないなら誰かに頼んでも、その考えを、その道具を奪ってでも先へと進もうとする、努力の少女。
自分とは正反対の位置に居るこの少女を、霊夢は醒めた目で見る。同時に、自分自身を顧みる。
――努力をして輝いて見える少女と。
――全てを諦め色褪せている自分を。
――どうしてこんなにも違うのか。
――同じ人間であるはずなのに。
――なぜ、私達は。
そこまで考えて、霊夢は頭を振る。そして、魔理沙に聞いた。
「それだけならもういいでしょ? 私は帰らせてもらうわよ」
「え、何言ってんだ? まだあるに決まってるだろ」
「はぁ? 一体何をするって言うのよ」
「んなの決まってる――遊ぶぞ!」
「ちょ、ふざけてるの!? そんな面倒な事をどうしてしないといけないのよ!」
「いーからいーから。ほら行くぜ!」
思えば、こうやって無理矢理外に連れ出したのが原因なのか。
「――外に出てみれば、何と強い力を身に宿した少女が居るものだ。どれ、今一度試してみようではないか」
神社からも里からも遠く離れた場所。少し遠いが、それでも霊夢と魔理沙なら二十分とかからず辿り着ける妖怪の山。
そんな場所に訪れていた二人の目の前に、一つの妖怪が現れる。
簡素な服、としか言い表せない。下手をすると単なる布切れ。それに隠された体は見事の一言。だが何より目を引くのは――その頭の上にある、角。
「鬼――」
霊夢が呟く。
鬼、という存在は聞いているし知ってもいる。だが、実際に見たのは初めてだった。いや、そもそも八雲紫から言われ続けたのだ。
鬼と出会ったらすぐに逃げなさい――と。
それほどまでに鬼とは危険なのだ、と教えられ続けた。少なくとも、何の準備も無しに出会うものではないと。
「魔理沙、逃げるわよ」
小声で、相手に聞こえないように告げる。だが、反応が無い。訝しむ霊夢を余所に、声が聞こえていたのだろう、鬼が言う。
「ほぉ、逃げるか。かような詰まらぬ真似はしてほしくないものだが」
「ッ、冗談。あんたらみたいな相手と戦ったら命がいくつあっても足りないわ。逃げるのも戦略の一つよ」
「然り。確かにそうだ。しかし――隣にいる少女は、そうできるのか?」
「!?」
隙となる、とわかっていても、隣を見ずにはいられなかった。
そこに、ガタガタと震える魔理沙がいた。
「魔理沙――! 落ち着きなさい、深呼吸して!」
「ぅ、ぁ……ダメ、だ。死ぬ。勝てない。私じゃ、勝てない――!」
恐怖に怯える魔理沙に、いつもの快活さは無い。
額に冷や汗が出ている霊夢も、本当ならどうしてこうなったのと叫びたいのだ。だが、それも霊夢がこの鬼に対し対抗できるからこそ。ただの、力無い人間では、こうなってしまうのも仕方がない。
恐らく、魔理沙の父親はこうなるとわかっていたのかもしれない。ただの人間では、いずれ限界が来る。そしてそうなった時、死ぬしかないのだと。
時間は待ってくれない。鬼は、既に一歩目を踏み出していた。
「では、行くぞ」
「ああもう、このバカ――! いつもはバカみたいに真っ直ぐなのに、こんな時にそうできなくてどうするのよ!」
「霊夢!?」
魔理沙の手を掴み反転、加速する。霊力を使って身体能力を強化し、鬼と少しでも距離を取ろうと努力する。
それも儚いものだと、すぐにわかったが。
「撒けない!? ううん――むしろ近づいてきてる。嘘――身体能力だけでコレ!? じゃあ妖力を使われたらすぐに」
「どうしたんだ霊夢! おい!」
愕然とした顔で走る霊夢には、絶望が色濃く宿っている。
せめて、と霊夢は思う。
(これが私一人なら、まだ何とかなったのに――!)
だが、無理だ。魔理沙はまだ魔法が使えず、それ故に空を飛べない。せめて空を飛べれば霊夢が足止めして、少ししてから逃げる、という事もできるが、無い物ねだりをしてもしようがない。
霊夢が考え込んでいる間、未だに魔理沙は喚いている。
「いいから黙って走りなさい! 無駄に体力を使うわよ!?」
「ッ」
叫び、というよりも、最早悲鳴に近いそれに、魔理沙は息を呑む。
何分走ったのか、わからない。ただ魔理沙の体力は限界に近い。霊夢はまだ持ちそうだが、後数分で鬼が追い付いてくる。体力があろうがなかろうが、あまり関係無い。
いや、追い付いてくるだけなら今すぐに来てもおかしくはない。単に遊んでいるだけだろう。
何時の間にか景色は移り変わり、竹が眼に入ってくるようになってきた。
「迷いの竹林――魔理沙、ここに入るわよ!」
「――」
もう返事すらできない魔理沙の手を握り、更にスピードを上げる。面白い、というように後ろに迫る気配も大きくなる。
迷いの竹林。これも霊夢の中には知識しかない。一つ言えるのは、一度迷い込めば数時間はこの中に居続ける可能性が高いということ。二つは、この中には紫の、妖怪の賢者とは反対の、人の賢者がいるということ。
もし運が良ければ、前者の性質を利用して撒けるし、後者を利用すればその知識で鬼をどうにかできるかもしれない。
「運、なんて嫌いなのだけれど」
今は、コレに賭けるしかない――!
その決意を胸に、霊夢は竹林へと入って行った。
「――――――――――!」
「シオン? どうしたの?」
最早日常と化したシオンの黒陽の展開をなんとはなしに眺めていたアリスだが、唐突にそれをやめたシオンに疑問の目を向ける。
そんなアリスだが、彼女の服は
永琳が彼女に告げた内容は簡単――『過剰回復を使い続けなさい』だ。
過剰回復で体の破壊と再生を繰り返す。そうすることで早く魔力に慣れ、同時に痛みに慣れ、そしてシオンの感じているモノを少しでもわかろうとする。ちなみに配分は三と二と五だ。最後が一番多いのはもうご愛嬌、としか言えないだろう。
最初は驚いていたシオンも、内容を聞かされて――もちろん、一番最後の理由は聞かされていないのだが――そしてそれをやると言い切ったアリスの瞳を見て、何も言うまいと諦めた。
「――アリス。師匠を呼んできてくれないか?」
「何かあったの?」
シオンの言葉を聞くと同時に、アリスの視線が細く、鋭くなる。ここ最近アリスの危機意識の管理が飛躍的に伸びていた。自身の近くにその最たる存在、シオンと永琳の戦闘を見続けてきたからだろう。
「気のせい、とは言い切れないなぁ、この気配。竹林に面倒なモノが来た。それを外に追い出してくるよ」
「そう――気を付けて」
「ああ」
竹林に来た外敵の排除は基本てゐと鈴仙が行うのだが、『
それにしても、
「子供が二人――間に合うといいんだが」
追いかけられている二人が殺される前に、行かなければならないだろう。
竹林に入って、一体どれほど経ったのだろう。数時間にも思えるし、まだ数分しか経ってないようにも思える。どちらにしても自身の体感で時間を計るのは愚かだ。
それに――もう、遅い。
「ふむ。人間で言うところの『鬼ごっこ』は、もう終いか?」
「何、ふざけた事、言ってんのよ……いつでも、追い付いて来れた、クセに……!」
キッ、と睨みつける霊夢を、しかし鬼は涼しい顔を返す。
もう、無理だ、と表情に反して霊夢の中にあるモノは諦観だけだ。やはり努力は報われるものではなく、ただ無意味な時間を伸ばすだけしかない。これならあの場所で戦っていた方が、まだマシだったかもしれない。
悠々と近づいてくる鬼に、霊夢はスッと手に籠めていた力を緩め――
「では、精々足掻いてもらおうか」
拳を振りかぶる鬼を、ただ見つめ。
「霊夢ッ!」
その拳の目の前に姿を晒す魔理沙の背中を、視界に入れた。
「な、魔理――」
言い終える前に、体が動いていた。
魔理沙の前に体を捻じ込み、身体強化を腕のみに限定し、その腕を拳が振るわれる軌道に置いておく。
腕からどんな音が聞こえてきたのか、霊夢は覚えていない。覚えているのは、背中に居た魔理沙ごと吹き飛ばされた事だけだ。
「い、ッ……」
声が漏れる。それだけでも上々だ。だって、それはまだ、
「霊夢、おい霊夢!? しっかりしろ、おい!」
「うっさい、わねぇ。大丈夫、よ。揺らさないで、うざったいから」
霊夢の体を受け止めて、その上で背中を地面にぶつけたのだから、痛みは相当のはずだ。それを押し隠しているのだから、魔理沙の強がりも大したものだろう。
(まぁ――私も、強がってるんだけど――)
チラと鬼の一撃を受け止めた右腕を見る。おそらく、折れている。袖をさりげなく移動させて、その部分を魔理沙に見えないようにする。
「ほう、鬼の一撃を受け止める、か。なるほど大したものだ。将来が楽しみだが――今は、私と楽しんでもらおうか」
将来が楽しみ、と言いながら、その顔には強者と相対できた喜色しかない。
何となく、霊夢の脳裏に紫の――鬼は、力こそ全てという言葉が思い浮かぶ。
「……魔理沙、今すぐ逃げなさい」
「な、霊夢何言ってんだよ!? そんな事できるわけないだろうが!」
そんな言葉を吐き捨てた魔理沙に、ついに霊夢の堪忍袋の緒が切れた。
「いいから――」
魔理沙の胸元を掴みあげ、額に額をぶつける。
「さっさと、逃げろってのよこのバカ! あんたは、足手まといなのよ!」
「ッ!?」
「あんたがいたって良い事なんか何一つも無い! むしろ邪魔! だから――さっさと逃げなさいよ!」
「い、言わせておけば霊……おい、お前、まさか」
「何よ!?」
額を突き合わせているからこそ、霊夢の顔が、眼が、良く見える。だからこそ、わかってしまった。
「お前――
「話は終わったか」
『――』
霊夢は魔理沙の胸元から手を放し、数メートルとない距離にいる鬼へと相対する。そうしながら胸元に隠し持っていた札を取り出す。焼け石に水にしかならないが、無いよりはマシだ。
「魔理沙、あんたはさっさと逃げなさい。今ならまだ何とかなるはずよ」
またも何かを言おうとする魔理沙を背中で押し、制する。だがそれは、無駄だった。
「悪いが、そちらの子供を逃がすつもりは無い。久しぶりの、里の外にいる人間。今楽しまなくていつ楽しむのだ?」
鬼の笑みにあるのは、人間を見下す嘲笑。ジトリと、冷や汗が額と背中を伝う。
「さて、精々私を楽しませろ。何だったらまた逃げるのもありだが」
「そうか。なら今度はお前が逃げる番だ」
「な!?」
咄嗟に防御をしたのは、本能としか言えない。
吹っ飛ぶ鬼と、軽く地面に下り立つ少年。
その少年は、傷だらけだった。全身が刃物と、何らかのモノで貫かれた後。それらを覆うように左半身は大火傷。更に言えば左目に眼帯をしている。敵か、味方か。あるいはそのどちらでもないかもしれない。どちらにしても助かった、と魔理沙は体の強張りがとけたのを感じた。
だが、霊夢は鋭い目で札を構えながら少年を見やる。
「お、おい霊夢、落ち着け。今はコイツに敵意を見せても意味が無いだろう?」
「いいえ、あるわ。ここでコイツが敵じゃないってわかれば、少なくとも無駄に警戒せずに済むもの」
鬼を見つつ、全部聞こえてるんだけどなぁとボヤく少年に、魔理沙はビクつく。
「俺は貴女達がこっちに敵対行動を取らなければ何かをするつもりはないよ」
「そう――それじゃ『アレ』はどうするの?」
「決まってるよ」
何時の間にそんなものがあったのか。
左足を折り曲げ、膝を頭の上にまで持って来たそれには、黒いモヤが纏わりつく。
「アポイントメントを取らない、暴れるだけのお客様には――ご退場願おうか」
ただ逃げるだけなのは霊夢と魔理沙らしくないとは思いますが、霊夢は『魔理沙が居る事と、スペルカードルールの一つ殺してはならない』ので戦えず、魔理沙は単に『年齢のせいで未だに魔法を覚えきっていない』のが原因でこうなっています。
原作主人公達そのままだったら容赦無くボコってハイお終いですよ。