東方狂界歴   作:シルヴィ

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来たる前兆

 吹き飛ばされた鬼がまず感じたのは、『腕に感覚を覚えない』ことだった。

 疑問を覚えつつも少し経つと、次第にそれが腕の感覚が麻痺している事実を理解した。それ程までの膂力あるいは脚力で殴られたことに驚きつつも、鬼の顔には笑みが広がるのみ。

 長き時を生きる存在にとって、何よりの大敵が退屈。

 では、それが『力こそ全て』という大雑把とも言える指標を持つ鬼達は、一体どうなるのか。

 ある程度までなら、仲間内で力を競い合えばいい。だが限られたコミュニティの間では、それも限界が来る。特に、彼等鬼のような、飲めや食えやのどんちゃん騒ぎの宴会とどっこいどっこいと言える喧嘩を、四六時中行っていればなおのこと。

 加えて仲間内での喧嘩を、長い時を生きる彼等が行っていないはずが無い。必然、酔いが醒めて素面に戻れば思うのだ。

 ――もうこの相手とはしばらく戦うまい、と。

 何故か。

 答えは単純だ。長い時を生きているとは、言い換えればそこに至るまでの間に様々な出来事があり、生じてそういった存在はどのようなモノであれ、大小の力を得る。

 鬼の場合は、その圧倒的なまでの戦闘能力。

 無論、長い時を生きたからと言ってそれ以上強くならない理由にはなるはずもないが、かといって彼等はわざわざ人間の格闘技術を学ぶ必要がある程弱くもない。

 イコール、それ以上の伸びしろを感じるのは難しいとなるわけだ。

 同じ相手と戦い続けても、余程実力が伯仲――それこそ生涯のライバルと言えるほど――でもなければ面白みなど感じない。

 かと言って頭打ちが見え始めた鬼が強くなるには相応の時間を伴う。

 となれば、外部に自分達と戦える相手を求めるしかないが、鬼とまともに戦える人間や妖怪などまずいない。幻想郷ではその『例外』はいくつかいるが、現時点で『純粋な人間』でありながら鬼と戦える存在は、まずいない。

 ちなみにその『例外』の一人にして『純粋な人間』である博麗の巫女がいるのだが、流石に何の装備も心の準備も無く鬼と遭遇したため、本来の力が出せなかった。

 そして暇潰し程度の娯楽が、自身と打ち合えるかもしれない人間と出会った。

 この時点で、鬼の標的が目の前にいる白髪の少年、あるいは少女に定まった。

 鬼が自身を見つめるのを感じて、シオンの目が細くなる。だが決してその場から動く事無く、ただ相手の初動を見極めようと注視するだけだ。

 そのまま睨み合いに発展するかと思いきや、突如鬼が前へ出る。

 荒々しく地を蹴り駆ける。まさしく『鬼』の名に相応しい迫力。あんなモノに追いかけられていたのかと傍から見ている魔理沙は震え、霊夢はそれを感じながら、ただその光景を眺める。

 鬼がシオンを殴る。だがそれは体を、ではなく、その手前にある、モヤのかかった足を、だ。

 その事実にシオンは細くしていた目を鬼の体全体ではなく、鬼の顔に向ける。

 鬼はただ、笑っていた。

 鬼がそれを殴って最初に感じたのは、『感触が無い』事だ。ただし、まるで山を殴ったかのような『感覚』はある。どれだけ殴ろうと果てが無く、終わりが見えない。その違和感を疎ましく思いつつ、その拳は止まらない。

 ただ殴る。

 その光景を言い表せば、その一言しか浮かばない。

 殴って殴って殴りつける。拳が霞んで見えるほどに、そして殴る時に踏みつけた地が、土が後方へ吹き飛ぶほどに。

 シオンはそれを黒いモヤを纏った足で受け続ける。

 鬼は殴り、シオンは足で受け止める。驚く事に、シオンはその間全く動いていない――ように、鬼には見えた。

 実際にそれを理解したのは霊夢くらいだろう。魔理沙はただ驚いているだけだ。ただしそれはシオンに対してでは無く、何故か足だけしか殴ろうとしない鬼に対して、だが。

 しかし霊夢にはわかった。

 鬼はシオンの体を殴ろうとしないのではなく、()()()()()()()()()()()()のだ。

 動いていないように見えたシオンは、右足の『踵』を右に左に捻って、鬼にはわからないように少しずつ、だが明確に体を鬼とは対角線になるように動かしている。

 よくよく見ればわかることだが、シオンの膝部分が少しだけよじれている。このままほったらかしにしていれば折れるだろうとわかるほどだ。

 だが、そこで疑問が生じる。なぜアイツは左足の角度を変えないのか、と。

 そんな事情はあるが、そこに鬼の思考は介在しない。ただ一つ、思った。

 ――なぜ、反撃してこないのか。

 攻撃する暇ならいくらでもあったはずだ。目の前にいる人間の顔に恐怖はなく、冷徹に観察している目だけがある。

 ならばわかったはずだ。自身の穴だらけの戦闘を。

 先ほどから鬼が盾となっている左足しか殴らず、またそれをやめようとしなかったのは、至極単純な理由からだ。

 何度も述べるが、鬼は『力こそ全て』だ。勘違いしてはいけないことは、ここでいう『力』はあくまで『直接的な戦闘』であり、『頭を使った学問』などではない事だ。

 つまり、鬼とは言ってしまえば()()()()()である――こんな言葉を彼等に投げつければ、良くて冗談だと笑ってくれるか、最悪侮蔑と受け取られて言った者の首を捻じ切られて終わるかだろう。

 どちらにしろ、この鬼にわざわざこの足を避けてシオンを殴るなんて考えは無く。

 ただ()()()()()()()――それだけが頭の中にあるのだ。

 「――もう、いいか」

 「!?」

 前兆など感じなかった。

 鬼はただ、一度拳を引いたその一瞬に、体に蹴りを叩きこまれたのを、叩き込まれた後に知覚した。

 当たったのは心臓のある場所。声すら漏れなかったのは、衝撃が体全体に走ったのと、声が喉元でとどまったせいだ。

 何とか足から地に着地するが、顔を上げると視界に影が過ぎる。それは人間の足で――それが何かわかった鬼は腕を上げて顔を庇う。

 黒く染まった足を、防御している鬼の腕に構わずぶち当てる。その威力は凄まじく、鬼の頑強さを持ってして骨が折れたかと感じるほど。だが実際には折れず、しかししばらくは腕が使えないとわかるほど痺れている。

 「鬼ってこれくらい硬いのが普通なのか? 今の一撃、腕をもぎ取ろうとやったんだが」

 「我らにとってこのような事は日常茶飯よ。だが、中々の威力だ。誇れ」

 鬼の発言に呆れの度合いを濃くし、少年は何かを悩むように手で首を押さえながらコキコキと鳴らす。

 「なあ、一度帰ってくれないか? 正直ここで戦うのはやめてほしいんだよ。お前と戦うと被害が大きくなるのは目に見えてるし」

 「断る。なぜこのような楽しみを自ら手放さなければならない?」

 「だよなぁ。お前って見たとこそんな感じ(戦闘狂)だし……」

 そう呟くと、悩んでいたことを吹っ切ったかに見えた少年が、足で地面をドンと叩く。不意打ちゴメン、と言いながら。

 「――!?」

 足を貫く黒い剣を、鬼は驚愕した眼で見つめる。何の予感も感じなかった。そもそもいつこんなモノを仕込んだのかさえわからなかった。

 しかも剣は一本だけではなく、鬼の頭、胸、鳩尾が前後左右に置かれている。鬼は内臓がある部分は人間となんら変わりないため、人体の構造上そこは急所となる場所。

 足を貫かれている今、鬼は動けない。避ける術は無かった。

 「チェック・メイト。つってもわからないか……。このままなら殺せる。逃げるかこのまま死ぬか、選んでくれないか?」

 終始変わらぬその眼で鬼を見つめる少年に、小さな笑みを浮かべる。

 この少年は、やると言ったらやるだろう。断ると、それを告げた時点で貫かれるのは必然だ。

 「ならば、なぜそうしない? わざわざ逃がして報復を受ける手間を考えれば、ここで殺しておくのが得策なはず」

 「俺は()()()()()()()()()気は無いよ」

 少年の言葉に笑みを深める鬼。この少年はわかっている、そう思ったのだ。

 鬼は強者に負けるのならそれも良しとする存在。だがそこに至るまで、例え瀕死の体だろうと決して『死んだ』と確定するまで戦うのをやめない。

 そして総じて、死にかけの相手と戦うのは愚行だ。後先考えずに突っ込んでくる相手程恐ろしいモノは無いと、わかっているからだ、この少年は。

 窮鼠猫を噛む、そんな言葉があるように。

 「それに――あの二人を巻き込みかねないし。このまま行くと」

 「……ふむ」

 あの二人、とは先程の少女達の事か、と記憶の中を思い出す。

 「いなければ戦った、と?」

 「当たり前。一度ここに来た以上、二度とここに来ないとは限らない。そんなお前のために彼女達の手を煩わせたいとは思わない。命を助けてくれた恩もあるからな。個人的にもお前みたいな奴と会わせたくないってのもあるが」

 身も蓋も無いが、それだけに本心であるとわかる言葉。嘘を嫌う鬼からすれば、その返答は好ましい。

 幾度か考え、仕方なしと諦めた。元々この鬼はこんな場所まで出てくるつもりはなかったのだ。まだ『契約』は続いているのだから。

 それさえなければ、と名残惜しい気持ちを抑えながら、鬼は告げた。

 「此度はここを去ろう。だが、人間。主の名は?」

 「シオン。『人外』だ」

 「そうか。では人外と名乗る人間の少年、シオンよ。また会おう」

 ズル、と足に突き刺さった剣を何の苦も無く抜き取ると、血が滴る足も気にせずそのまま駆け去って行く。

 その背を見送ってなお鋭い目で探索を続け、完全に鬼の気配が竹林から消えると、最低限の警戒を残して気を緩める。

 「俺はまた会いたいとは思わないんだけどなぁ」

 きっとまた会う。そんな予感を感じつつ言葉を漏らし、傷ついた猫のように睨みつける巫女姿の少女と、そんな少女を押さえる魔法使いの少女を見やる。

 シオンはトン、と足を踏み出し、彼女達の前に移動する。再度札を構える巫女に内心で溜息を洩らしつつ言った。

 「一度永遠亭に来た方が良い。怪我、治した方がいいだろう?」

 「永遠亭……あんた、そこに住んでるの? 月の賢者と?」

 「賢者が永琳って名前なら、まぁそうだ。正確には居候だがな」

 「そう。なら、信じてあげる」

 まだ警戒しつつも札を懐に仕舞う霊夢に、今度は魔理沙が突っかかった。

 「ちょ、おまバカか霊夢! 鬼とあんな戦闘できる奴に挑発まがいの行為をするなよ!」

 「だからこそ、よ。下手に出たって殺される時は殺されるわ。だったらまだこっちには余裕があるんだって見せた方が交渉しやすいじゃない」

 「時と場合はを考えろ!」

 「……それ、あんたが言う?」

 漫才染みたやり取りだが、本人達は至って本気だ。

 「――で、着いて来るのか来ないのか、どっちなんだ」

 『!!』

 今の今まで忘れられていたのか、とボヤきつつ、シオンは問う。

 「いいわ。着いて行ってあげるわよ」

 「頼む」

 あくまで上から目線の霊夢と、慣れてないかのようにぎこちなく頭を下げる魔理沙。どちらも対照的ではあるが、どちらが好印象か聞かれれば、やはり魔理沙だろう。

 それとも、霊夢は()()()それを狙っているのか。

 「……? 何よ。連れて行くんじゃなかったの?」

 「ああ。そうだな」

 彼女の真意は、彼女にしかわからないだろう。

 シオンが一歩近づくと、その姿がはっきりと霊夢と魔理沙の眼に映る。

 やはり、酷い外見だ。魔理沙なぞわかりやすく顔を引き攣らせている。特に、眼帯以外には目立った部分が無い顔と、どこを見ても傷だらけの体の対比が凄惨さを加速させる。が、シオン自身は特に思い入れが無いのか、霊夢や魔理沙の反応に無言を返す。

 「んじゃ、そっちの……そういや、名前なんだっけ?」

 間抜けすぎる問いに、ガクリ、と一気に脱力する二人。

 「えーと、私は霧雨魔理沙。見ての通り普通の魔法使い……と名乗りたいとこだが、まだ『魔法使い志望』の見習い以下って感じだ。で、こっちが」

 「博麗霊夢。巫女よ」

 一瞬、シオンがピクリと眉を動かしたが、フンと横を向いていた霊夢は当然、魔理沙も気付かなかった。

 「博麗……霊夢。それと霧雨魔理沙、ね。俺はシオン。苗字は無い。シオンでいい」

 「なら私も魔理沙でいいぜ? 変に『霧雨さん』とか呼ばれても背筋が痒くなるしな」

 「私も霊夢でいいわよ」

 「わかった。それじゃ今度こそ。魔理沙、背中に乗ってくれ」

 「……は?」

 シオンは背を向けると、わざわざ髪をかきあげて、それを肩に通して魔理沙の邪魔にならないようにしていた。

 本気なのか、と問うまでも無い。本気だ。

 魔理沙はしばし逡巡し、霊夢を見てジト目を返され、そこから更に数秒経って空気が悪くなり始めているのをその危機に対する本能で察し、この年でおんぶって……と、恥ずかしさから赤面しつつシオンの首を抱きしめ、背に乗った。

 「しっかり捕まってくれ」

 「お、おう」

 一度魔理沙の太腿の下を腕で持って、魔理沙が自分の背に乗り易くすると、腕を放す。

 「ちょ、シオン!?」

 「すまないけど、コレで我慢してくれ」

 今魔理沙が乗っている部分は背中のみ。首を抱きしめている事から何とかバランスは取れるが、あくまでそれだけ。この手を放せば落っこちる。

 文句を言おうとした魔理沙は、シオンが動き始めているのを察して顎をシオンの肩に乗せた。そうするとシオンが何をしようとしているのかがわかった。

 「……まさかと思うけど、あんた」

 「そのまさか、だと思うよ。よいしょ、と」

 わざわざ霊夢から見て左側に回り、彼女の背中と膝裏に手を通す。いわゆるお姫様抱っこの体勢なのだが、当の『お姫様』がかなり危ない表情をしていて、とても『可愛らしい』とは呼べなかった。

 「私は一人でも歩けるんだけど?」

 「無理はしない方が良い。疲れてるだろう」

 確かに疲れている。が、恥ずかしさがあるかないかでいえば、やはりある。

 もう一度シオンに物申そうかと口を開こうとした霊夢は、そうすることを叶えられなかった。

 「行くぞ。しっかりつかまってろ」

 「え?」

 「は?」

 また、あのトン、という軽い音がした。

 「きゃ!?」

 「うぉ!?」

 瞬間叩きつけられる強風。霊夢は咄嗟に顔をシオンの胸元に押し付け、魔理沙は帽子が吹き飛ばないかとヒヤヒヤしながら必死の形相で、全身でシオンにつかまった。まるでコアラのような体勢だが、彼女は羞恥心どうこうよりも安心感が欲しかった。

 そこで霊夢は気付く。魔理沙はそこそこ揺れているのに、自分は全く揺れを感じないことに。そして、自分の左腕は自分の体の上に置いてあって、負担がかからないようになっていることに。

 ――いつ、気付いたの?

 霊夢が目でそう言っているのに、片目だけのシオンは気付いた。

 元から霊夢は返事など期待していない。だが、それに反してシオンはその視線を霊夢の肩と、手に移動させた。

 たったそれだけで、霊夢はシオンが気付いた理由に勘付いた。

 霊夢は左腕の骨を折ってからずっとやせ我慢をしていた。それゆえ体は強張っている。特に、痛みの発する部分と接している左肩は不自然なくらいに。逆に手には全く力が入っていない。これだけでシオンは肩から手、その間のどこかを怪我していると見抜いたのだ。流石にその怪我が骨折なのか脱臼なのか、あるいはその他の何かかはわからないが。

 その後霊夢は顔を伏せたため、一体どんな表情をしていたのか、シオンにはわからない。ただ、何となく気まずくはあったため、走る速度をあげ、永遠亭に向かった。

 

 

 

 

 

 一分とかからず永遠亭に辿りついたが、本当ならもっと速く戻れたりする。そう、空中を歩く、という例のアレで。実はシオン、既に覚えていたりする。ただ、それをすると霊夢や魔理沙は必ず驚くだろうし、それが原因で落っこちたりすれば多少の怪我はするため、自重した。

 念のため、と救急箱を用意して縁側に座っていたアリスと、その横で腕を組み立っている永琳を見つけたシオンは、縁側にまで近付いて霊夢と魔理沙を下ろした。

 「来たのは鬼だった。この二人を追って来たんだろう」

 「鬼……珍しいこともあるものね」

 「一応殺してはいない。面倒事があるかもしれないし。アリス、二人の治療を頼む」

 「あ、はい。それではどちらから――」

 「魔理沙を先にお願い」

 アリスが二人を見ると、間髪入れず黒髪の少女に告げられる。だが、告げられたアリスは眉を顰めて霊夢を見た。

 やっぱり、と思う。どう見ても、そちらの方が怪我が大きい。

 ここ最近、アリスは過剰回復を使って自身のあらゆる場所を壊し、回復してきた。体のどこを、どんな風に回復させればいいのか知るために。その過程で、何となく他者の怪我、その深刻さを把握できるようになった。――ついでに生存本能を刺激され、警戒心が上がったのは果たしてよかったのかどうか。

 とにかくアリスはどうしようか悩み、ついシオンに視線で聞いてしまった。

 その意図を見抜いたシオンは、顔を逸らしつつ肩を竦める。言う通りにしてやれ、ということだろう。素直に聞き入れたアリスは、魔法使いの少女の傷を治すために近づく。

 「それでは怪我を治しますね」

 「お、おう……? そんなことができるのか?」

 「アリスだけは特別らしい。魔法の才が全部『回復』という一点に集中してるからこそできる芸当みたいだ」

 へぇ、と感嘆の息を漏らす魔理沙――シオンが永琳に二人の名前を告げたのを、アリスは横にいたため聞こえた――を治療する。やはり軽傷、これなら一分とかからず治療できそうだった。

 「ところでシオン。あなた、輝夜に呼ばれていたけど、何か用事?」

 「ああ……多分昨日した約束だろう。行ってくるよ」

 そのまま霊夢と魔理沙を置いてシオンは歩き出す。無責任にも程があるが、シオンの言い分としてはアリスと永琳なら信じられるから、が理由だった。

 ――一分後、魔理沙の傷を癒したアリス。

 「ありがとな、アリス!」

 「ううん、傷を治すのが私の仕事だから、気にしないで魔理沙」

 たった一分、されど一分。魔理沙の快活さに当てられ、いつの間にか両者は名前呼び捨てタメ口をきく中になっていた。

 「それじゃ、次は霊夢さんを」

 「……ええ、お願いするわ。でも、さん付けで呼ばないで。霊夢でいいわ。それにその口調もやめてちょうだい」

 「うん、わかった。――始めるね」

 不自然にならないよう左手をダランと下げている霊夢は、先程からずっと眼を瞑ったままだ。しかし額には汗が浮かんでおり、かなりの我慢をしているのが傍から見てわかる。

 「ところで、魔理沙、と言ったかしら。あなた達は鬼と何処で出会ったの?」

 「ん、と……確か里と妖怪の山の――」

 そこで、今の今まで黙っていた永琳が魔理沙に話しかけ、その視線を逸らす。霊夢が眉を顰めたように見えたのは、きっと気のせいでは無いだろう。

 アリスはなぜそこまで強がるのだろうか、と思った。その理由を恐らくシオンは知っているのだろうが――とまで考え、チラと視線を永琳に向けて悟った。

 一瞬。アリスが永琳を見たその一瞬で、永琳は目線を霊夢、魔理沙、また霊夢と戻したのだ。厳密に言うと少し違うのだが、アリスはそれで理解した

 (そっか……霊夢は、魔理沙に心配かけたくないんだ)

 多分、それで合っている。根拠も無くそう感じた。

 そしてアリスは霊夢の左腕にギリギリ触れるか触れないかというところで手を止める。

 「!」

 「大丈夫、当てないから。ジッとしてて。ね?」

 「……わかってるわよ」

 痛みに怯えてしまったのを恥じ入る様に顔を伏せる霊夢。だが耳まで赤くなったことまでは隠しようも無いのだが、霊夢に気付く様子は無かった。

 アリスは魔理沙とは少し違う方法で魔法を発動させる。自分自身に損傷を与えることでわかったのだが、傷によって回復のさせ方に若干の差異があるらしい。とはいえそう難しいと感じないし、今では手慣れたものだった。

 柔らかな光に包まれ、体中の痛みが引いていくのを霊夢は感じる。

 (……凄いわね)

 素直にそう感じる。捻くれていると思っている自分でもそう思うのだ。魔理沙がどう感じたかなど手に取るようにわかる。

 この魔法は、他者を思いやる、それこそ聖人にしか使えない魔法。だが、何故だろう。

 少しだけ感じる、小さな棘。まるで本来崇められるべき人間、その周囲の誰かが何か細工をしたかのような違和感。自身の勘がそう告げている。

 今はまだ大丈夫。だが、もしもアリスが『どこか』に戻れば――

 「――ッ――ん」

 「……今、何か声がしなかったかしら?」

 「え? 何が?」

 「よく、わからないけど……呻き声みたいな」

 何となく気になる、耳を澄ませる霊夢。自身の五感の鋭さには多少の自負がある。だから聞こえるはず――そして、霊夢はそうした事を後悔した。

 「そこ、そこは違うわ。ん、もうちょっと上に、ッ、そこ! そこもっと強く押して! ――ああ、良いわ! ッ、気持ち、いいわ。最高よ!」

 …………。

 「ちょ、変なところ触らないで! もう……ン、今更上手くしたって許さないわよ?」

 ……………………。

 「ァ、ダメ! 強く押し上げ過ぎ。――――――~~~~~~!?」

 ………………………………何を、しているのだろうか。

 「さ、さっきそこはダメって言ったじゃない! この変態! ……ぇ、でもそれは――し、仕方ないでしょ! 良いから黙ってやりなさい!」

 気付けば霊夢以外にアリスや魔理沙すら赤くなっていた。唯一素面を保っているのは永琳のみ。

 「え、と……」

 アリスが口籠るのがわかったが、霊夢としても何も言えない。

 「ン、アアアアァァァッ! ダ、ダメ! それ、以上やられたら、私、正気が、保てなくなっちゃうからァ!」

 ――その後。艶やかすぎる喘ぎ声が聞こえてきたのを、三人は必死に聞かないようにした。

 数分後、伸びをしながら気持ちよさそうに歩いてくる輝夜。その輝夜は四人の前で止まると、笑みを浮かべる。

 「で、その二人が怪我人? って、もうほとんど治ってるのね」

 二人は直感した。この人が、先程の声の主だと。

 一気に頬が熱くなる。それを見てどうして三人が顔を赤くしているのか理解した輝夜は、その笑みをどこかおっさんくさいものに変える。

 「あら、私の声で一体何を想像したのかしら? もしかして――男女の交わり、とか?」

 ボフン、という音はアリスから聞こえた。更に弄り倒そうとした輝夜だが、

 「――マッサージは気持ちよかった? 輝夜」

 「え――マ、ッサー……ジ?」

 「もう、バラすなんて酷いじゃない永琳。折角」

 「人が楽しんでいたのに? 趣味が悪いわよ」

 「いいじゃない、久しぶりの楽しみなんだから」

 ブツブツと呟きつつ、輝夜は永琳の質問に答える。

 「マッサージはかなり気持ちよかったわね。正直上手すぎて色々ヤバかったけれど。ていうかアレで初めてってすごすぎよ」

 「そう、なの。シオンに頼んで正解みたいだったみたいね」

 「もう一度頼みたいくらいね」

 不老不死である彼女達は、よっぽどの事でも無い限り体調を崩さない。だが精神的な疲れが溜まらない訳では無いのだ。

 そこでたまにお互いに、あるいは鈴仙に頼んでマッサージを頼んでリラックスをしたりするのだが、今回はそれをシオンに頼んだ、と言うわけだ。あの喘ぎ声もそれが原因である。

 『…………………………』

 思いっきり固まっている三人は、自分達が下世話な想像をしていたのを後悔した。

 「マセガキ」

 ボソリと呟かれた言葉に、先程とは違う意味で顔を赤らめる。

 「――カオスだな」

 その光景を、後から着いて来たシオンが見ながら呟いた。

 だが、霊夢と魔理沙がここに来たのは、一つの節目なのかもしれない。何かが変わる。その前兆を予感しながらシオンは――。

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