「師匠、話しは全部聞いたのか?」
「一応ね。そっちは予想が付いたの?」
「情報が不足し過ぎてて大雑把にしか。師匠の見解が聞きたいね」
何事も無く近づいたシオンだが、霊夢と魔理沙からさり気なく距離を取られているのには気付いていた。しかもその様子をニヤニヤと見ている輝夜がいるのだが、それすらスルー。
「いくつか聞いて不審に思った点はいくつかあるけれど、誤差の範囲内で終わるのよ。あなたが見て聞いて感じたことも聞かせてほしいわね」
「ごもっとも。……そうだな。単純な疑問で言うと、何故鬼がああもあっさりと引いたのか。それが気になる」
「どういう意味よ?」
「文字通りの意味だ霊。ほとんど勘に近いが、少なくともアイツは戦闘狂の部類に入る。そんな奴が『面白そうな』戦闘をやらずに逃げるなんてありえない」
そこが一つ目の疑問。
「俺にわかるのはそこまで。鬼がどういった存在かなんて知らないからな。師匠は?」
「上からの命令、かしらね」
「……上からの命令で止まるような玉か? アイツ等」
「あら、一応鬼には鬼なりの社会があるのよ? 『力こそ全て』なんていう、物騒なルールしかないけれど」
「完全な縦社会、か」
何となく想像が付く。ある意味人間よりも明快で、だからこそ過酷な社会。強ければ上に立ち、ある程度の権限を持てる。だが弱ければ顎で使われ、運が悪ければ捨て駒にされる。
「だけど、ここで疑問が出てくるのよ」
「何がだ?」
「いくら上の鬼が下の鬼に命令を出していても、末端の事情は知りようも無いし、知っても些事にすらならないはず。それこそ死のうと『ああ、そうか』くらいだもの。あそこの死に対する価値観は」
それが二つ目の疑問。下の者がどこかでのたれ死のうが興味すら出さない上の鬼達。そしてそれをわかっている下の鬼達。例外として『他者と戦い死んだ』場合は興味を示すかもしれないが、それがわかるまではどうでもいいと切り捨てるだろう。
なのになぜ、鬼は下がったのか。
「……上から何らかの制約を受けている?」
「あるいは、『絶対に何かをしてはならない』と鬼よりも強大な力を持った存在に脅されているのか。まぁこっちは絶対にありえないでしょうけど」
そこから先は考えてもわからない。
鬼の存在を全く知らないシオンと、知っていても外を見ておらず、鬼の姿すら眼にしていない永琳では限界がある。事前情報が不足し過ぎているのだ。如何に天才と言えど、わからないことはわからない。
だから永琳は、他の誰かに聞いた。
「あなた達。その鬼、何か口走っていなかったかしら?」
「ええ? そんなこといきなり聞かれてもなぁ」
困ったように言うのは魔理沙。あの時は無我夢中だったし、そもそも何か言っていたのかすらほとんど覚えていない。
反対に霊夢は、何か考え込んでいるかのように視線を彷徨わせていた。
「『……久しぶりに里の外に居る人間』」
ボソリと、そんなことを呟いた。
「霊夢?」
「――! 何でも無いわ。私が覚えている中で疑問に思っているのはそこだけよ」
他に不審なところは何も無かった。いや、あると言えばあるかもしれない。
『外に出た』『楽しみを覚えるほどの強者との戦い』『また会う』そんな言葉。ついでとばかりに教えたが、少しだけ永琳の顔が強張ったのが、意外と言えば意外だった。
「なるほど、ね……流石に予想外だわ」
「師匠?」
どこかただならぬ様子の永琳に、誰もが声をかけられない。いつも余裕を持っているはずの永琳が、何かに苛立つ様を見るのは初めてだった。
「アリス、魔理沙に永遠亭の構造を教えてあげて」
「あ、はい。それで、霊夢は?」
「霊夢には残っていてもらうわ。少し聞きたい事もあるから」
「わかりました。行こ、魔理沙」
「あ、ああ……また後でな、霊夢」
腑に落ちないアリスと、名残惜しげに去る魔理沙に、霊夢は返答一つ、手振りすら返さない。だがそれは無視したのではなく、そうする余裕が無い程頭を回転させていたからだ。
が、どこまで行っても答えは出ない。そうこうする内に、永琳がシオンに向けて言った。
「まず『外に出た』という言葉。何故鬼は外に出た事をわざわざ口外したの?」
「……外に出るのが、珍しいから?」
「上からの命令で外に出るのを禁止されているか、それに近いところでしょうね。ただ、ここで『久しぶりに
「つまり鬼は、里の内部に侵入してはいけない決まりがあった?」
永琳の問いには霊夢が答えた。
「そして『楽しみを覚えるほどの強者との戦い』は、鬼の戦闘狂に近い部分の発露ね。つい零すほど、久しぶりの楽しい戦闘だったのでしょう」
「それで迷惑を被るのはこっちなんだがな……」
面倒くさそうに、げっそりと言うシオン。もう戦闘狂はコリゴリなんだが、と呟いている様子から察するに、何か嫌な事でもあったらしい。
「ただ最後の一つが一番重要で、一番面倒な部分」
「『また会おう』……か」
百面相のようにコロコロと表情を変えているが、シオンが渋面を浮かべているのは本心からだ。
「ここが迷いの竹林だというのは鬼も知っているだろうな。次に来る時は一人か、あるいは」
「鬼全体で来るか」
「師匠、鬼がここに辿り着ける可能性は?」
「……高い、わね」
迷いの竹林は天然の迷路だ。正確には鈴仙の手によって迷路の範囲は更に拡大されているため完全な天然とは言い難いが、それも元が無ければ意味が無い。そして偶然迷い込み、今も迷ったままでいる妖怪。これらは迷路と同じく天然のトラップだ。侵入したものを襲い、殺す罠。例え大人数で来たとしても、いずれはその数を減らし、いなくなる。
だがそれも全て『ただの人間』であればの話し。もし鬼が大人数で来ればどうなるかなど、想像に難くない。途中にある妖怪など鎧袖一触で蹴散らすだろう。そしてここが『出口のある』迷路である以上、踏破される可能性は相応にある。ここは、入口のみで出口が無い、などといった事ができる屋内では無いのだ。
「鬼は嘘を吐かない。いずれ必ず来るでしょうね」
「そう……か」
どことなくシオンの渋面が、悲しげなものに移り変わる。それは永琳達に迷惑をかけてしまうのを憂いているからかもしれない。
だがここ以外に行く場所はほとんど無い。そしてそれらは、シオンにとって迷惑をかけたくない場所ばかりだ。
「――なら、里に行けば?」
「え?」
そこに救いの手を差し伸べたのは、どこか呆れた様子の霊夢だ。
「里に行ってはいけない可能性が高いんでしょう? 鬼は。だったらあんたがそこに行けば、それであっちは手出しできなくなる。まぁ里の外に出た瞬間どうなるかはわからないけれど、少なくともここに迷惑はかからないわよ」
天啓、であるのかもしれない。元々シオンがここに来たのは偶然であり、本来なら里へ行くことが目的だったのだ。
シオンは視線を永琳に向けると、永琳は小さく頷いた。
(霊夢が言っているのは正しい、か)
わかっている。わかってはいるのだ。それでも教え導いてくれる師がいて。お互いを支え合う友人のようなアリスがいて。いつも自らを心配してくれるてゐがいて。同じ目線でゲームをする輝夜がいて。そして、危機感を忘れさせないでくれる鈴仙がいて。
ここは、居心地が良い。一定以上の事は全てどうでもいいと思っているシオンは、永遠亭で日々を過ごすのが、バカみたいに楽しい事に気付いていた。その日々を手放すのは、惜しい。
それでもシオンは決断する。
「なぁ霊夢。差し出がましいとは思うんだが」
彼女達に、不必要な迷惑をかけたくないから。
「――五日後、里まで案内してくれないか?」
「五日後? なんでそんな日数? 明日とかならわかるけれど」
霊夢が訝しむのも当然。精々が二日後、と言ったところだろうに、シオンは『五日後に』と言った。いや、そうでなくともわざわざ案内する必要など無いと霊夢は思っている。
「四日後に満月だからね。その日は約束があるから。それ以外にも、師匠の修行が一段落するのが五日後っていうのもあるんだけど――」
「そうね。本音を言えば後半月は欲しかったけれど、荒削りでいいなら五日で十分よ」
「――って事だからさ。案内が必要なのは理由があって」
そしてシオンは、ある意味バカバカしい話をした。
「――バッカじゃないの?」
聞き終えた霊夢の第一声がそれだった。永琳でさえどこか呆れた様子を見せている。
「里に行く気が太陽の畑に? そこから妖怪の山に行って? ここに辿り着いた? どんな変な道を辿ればそんな事になるのよ! アホじゃないの!?」
「よ、容赦無いなぁ……」
「当たり前でしょ! 里を中心にグルっと一周してる奴を擁護できる人がいるなら逆に見てみたいくらいよ! ていうか整備された道があるんだからそこ通ればいいじゃない!」
「いや、一応理由はあるんだが」
「どんな!?」
「妖怪に襲われ続けた」
「どれくらいの頻度で!」
「数分に一体毎?」
霊夢は一瞬固まり、息を吸い、そして
「――そんなのありえないわよッッ!!」
ゼーハーと息を荒げる霊夢だが、それ程までにおかしいのだ、シオンは。まず如何に幻想郷と言えどもそんな頻度で遭遇するほど妖怪はいない。というより、仮にいたとしたら里の内部に住んでいる人間は全滅している。
つまり、単純なまでにシオンの運が壊滅的に悪い、という事になる。しかし事実は事実であるため、シオンとしても「ああ、うん。そうなのか」としか言いようが無かった。
とはいえそんな生返事を返せば更なる爆発が目に見えているので、結局は無言を貫くしかなかったが。
しばらく「ありえない……」とか「何なのよコイツ……」とか呟いていたが、頭を振って正気を取り戻す。
「まぁ、その話は了承したわ。でもただ働きは御免よ。報酬をよこしなさい」
図々しい、と言ってしまえばそれまでだが、実際問題霊夢の生活はかなりキツい。それこそどんな場面でもガメついていかないと、飢え死にしそうなくらいには。
そしてその切実さを何となく感じ取ったシオンと永琳。ああ、この年で苦労してるんだな、と思わなかったとかなんとか。
「ああ、ありがとう。報酬って言うのもどうかと思うけど、四日後永遠亭に来て泊まって行ってくれ。料理は俺が振る舞うから」
「あんた、料理できるの?」
意外としか言えない、という表情でシオンを見つめる霊夢に苦笑を返す。
「それで、この報酬じゃ不十分か?」
「……十分ね。むしろもう少し軽くてもよかったんだけど、貰えるものは全部貰うわ」
ボソリと言われた本音だが、前言を撤回する気はシオンに無い。交渉成立だな、と言うと、ほいと手を差し出した。
「契約成立の握手」
「変なの。そんなの別にしなくてもいいじゃない」
そう言いつつ、霊夢は差し出された手を握り、そして驚いた。
――硬い。
剣ダコだろうモノと、他にも様々な事情で硬くなった手。それは同年代の少年少女とは比べ物にならない程で、霊夢を硬直させる。自分もそこそこ硬いだろう手を持っているとは思うが、流石にここまで行くほどではない。
一体どんな生き方をすればこうなるのか……そう思った霊夢だが、これ以上の質問をするほど仲良くないし、また仲良くする気も無かった。今は契約をした間柄、それだけだ。
「私はそろそろ帰るわ。時間が時間だし」
「え? ああ……そうか」
まだ四時頃、といった時間ではあるが、家に戻る――霊夢の場合神社だが――までにかかる時間を考えると、そろそろ帰った方が良い。そもそもここまで長居をする気など無かったのだが、予想外の出来事のせいで遅れた。
まぁ、そのおかげで一日分のお金が浮いたからいいか、と悲しい事を考えつつ、霊夢は立ち上がった。
「それじゃ、四日後」
「来る時は迎えに行くよ。その方が迷わなくてすむだろうし」
「そうしてくれる? 一人で来るとかなり面倒臭そうな感じがしたから」
さり気なく迷いの竹林の意味を看破しつつ、霊夢はそのまま帰った。後に魔理沙が来たので霊夢はもう帰ったと伝えると「お、置いていきやがった……」とか呻いたあと、待ちやがれてきな事を叫びながら走って行った。ちなみに去り際お礼の言葉をシオンとアリス、永琳に言っていたりするのだが、かなりおざなりだった。
「……何というか、個性的な二人だったな」
お前が言うなと返されそうな言葉をシオンは発し、だが何の反応も無い事に訝しむ。横目で永琳を見ると、顎に手を当てて何かを考えていた。
「『黒』は『受容』、『白』は『拒絶』……」
「何か言ったか?」
「――いえ、何でもないわ。戻りましょうか。そろそろ風呂にでも入りたいところね」
何かを誤魔化したとわかる永琳の態度。本当は聞こえていたシオンは、聞き方が悪かったと頭を掻く。本当なら『何か言ったか?』ではなく『今のはどういう意味だ?』と言った方がよかったのかもしれない。
だがどんな聞き方をしようと、永琳が話す事は無かっただろう。話しても良い事は大抵話してくれるのだから。そんな永琳が話さないということは、その気が無いという事になる。今は諦めるしかなかった。
五日後。それで、自分の今の生活が終わる。それが良い事なのか悪い事なのか、未来を見通せないシオンにはわからない。
だが。ここで暮らすのを許してくれた人達に、せめてもの感謝を送りたかった。そのための『五日間』なのだから――。
一日目。
まずは永遠亭の主である輝夜から、と思ったのだが。
「え、感謝? って言われても、別にする事なんて無いわよ?」
――情けない事に、一人目から終わっていた。
「そ、そうか? 何かして欲しい事とかは……」
自分の頬が引き攣っているのを何となく実感しつつ、それでもめげずに聞く。問われた輝夜は頭上を見上げて、困った様な声を出した。
「ん~……」
そして一言。
「『無い』わね」
キッパリと、そう断言した。
輝夜は別に嘘を言っている訳では無い。本当に、何も『無い』のだ。一通りの家事は鈴仙がいつもやっているし、迷いの竹林に侵入してきた者は大抵天然の迷路に数時間迷った挙句外に出るし、そうでない例外はてゐが相手をしている。屋敷の修繕については永琳が調べ、その結果を元にてゐが兎達に命じて直す。専門的な部分については、シオンではどうしようもないだろう。
しかしそう言われて困るのはシオンだ。何かを返したいのに、こうもあっさり言われるとどうしようもなくなる。無理に頼みごとを言わせて逆に困らせるのは本末転倒だ。
悩むシオンを前に、ここで輝夜は気付く。
「ねえ、シオン。もしかして感謝って、一人一人にやるつもりなの?」
「そうだけど? 霊夢が来るのは四日後で、里に行くのは『五日』後だから、その間にね」
永遠亭に住んでいる者は、シオンを除けば『五人』いる。とはいえ五日目は午前中しか時間は無いのだが、恐らく鈴仙はシオンに感謝されるのを拒むだろう。だから、別の形で――謝礼とは取られないように――するつもりだ。
鍛錬についても嘘では無い。夜にやればいいだけの話なのだから。その分シオンのスケジュールはベリーハードを超えるが、その点については問題無い。シオンの人生はほぼ常時ルナティックだからだ。
しかし輝夜は喜色満面の笑顔を浮かべてシオンに顔を近づける。
「それならシオン、私の部屋に来て!」
「え? あ、ああ……わかった」
何故かルンルンとでも言いそうなぐらい気分が良さそうな輝夜に地味に気圧され、シオンは一歩後ずさった。
「それじゃ行きましょ!」
返答を聞く事すら無く、輝夜はシオンの腕を引っ張って行く。半ば引きずられつつ、シオンは思った。
――アレ、何か地雷踏んだ?
結局のところ地雷では無かったが、精神的な疲労は溜まりに溜まった。
その主な原因は――
「さ、この大量の積みゲーにして詰みゲーを消化するわよ!」
「つ、積み? 消化?」
「一分一秒が惜しいわ! やるわよ!」
――そして、地獄の一日が始まる。
「おい、データトンだぞ! どうなってるんだこのゲーム!」
「そんなの当たり前じゃない。この程度でギャーギャー言ってると、後が面倒よ?」
――当然のように記録消失、最初からやり直し。
「……無理だろコレ。そもそも
「ああ、先に進められないと思ったら、そういう事だったの……」
――プログラムが作られていなくて、ラスボスすらいない。
「いくらなんでもこんなのありか!? 画面見えないぞ!?」
「勘で行くのよ! それで勝つる!」
――画面のグラフィックがぶっ壊れていて意味不明な画像になったり。
「何このマゾゲー。一撃喰らったら即死。カスっても即死。武器使った反動でも即死って」
「要するに回避オンリーゲーね。私が諦めた理由の一つよ」
――攻撃手段すら無く、なのに敵罠その他諸々無駄に豊富。まずゲームバランスから見直せ。
「い、一日かかってこれだけか……」
「むしろ一日だけでここまでできたことに私は驚きよ……」
クリアできたのは数本、絶対にクリアできないのが十数本。だが積んであるゲームはその数倍近く。正直に言おう。
(――デバッグ作業はきちんとやれ!)
ゲーム会社に殴り込みたくなるシオンだった。
(でも、まぁ)
チラリと輝夜を見る。
「ありがとね、シオン。お蔭で助かったわ」
『姫としての仮面』ぶったモノではなく、『輝夜自身』の笑顔は――とても、愛らしかった。一日付き合った苦労が報われる程に。
だから、つい言ってしまった。
「いつになるかはわからないけど、また付き合うよ」
「ホントに!? 楽しみにしてるから、絶対に破らないでよ!」
身を乗り出す輝夜を押さえつつ、少しだけ、早まったかなぁ、と思うシオンだった。
本当に一日丸々輝夜と一緒にゲームをしていたため――鍛錬する時間はほとんど無くなったが、感謝がメインなので気にしてはいない――もう陽も昇る時間。
二日目は、アリスの修行に付き合う事となった。アリスがそう望んだのだ。
「私はあまり魔力を放出的無いから、せめて魔力操作くらいは慣れておきたいの。だけどやっぱり、シオンに比べて扱える量が少ないから……」
「つまり、俺に魔力の操作を補助して欲しい、と?」
「うん。お願いできる?」
「それくらいなら簡単だよ。むしろ片手間にできる作業だけど……こんなのでいいのか?」
「私の魔法で回復できる速度は私の魔力量に依存してるから、少しでも扱える量を増やしたいんだ。もしも怪我をした人がたくさんいても、治せるように」
その志そのものがとても貴いモノだと、アリスは気付いていないだろう。その様は、まるで誰もを癒す聖女のようで。
シオン自身は彼女を崇めるつもりはない。言ってしまえばアリスは友人。お互いに支え合う、良き隣人。というより、あんな言葉だけでの喧嘩を――というには、シオンが一方的に言われ過ぎていたが――した相手を崇めるつもりなど、サラサラ無かった。
閑話休題。
シオンはアリスの背後に回ると、その体を抱きしめる。女性のような外見をしているとはいえ、シオンは男性。父親以外からの始めての抱擁に、アリスは緊張で体が強張るのを隠せなかった。
しかしこうしなければ危険なのだ。その理由は、すぐにわかる。
「アリス、魔力を体に流して」
「ッ、うん」
シオンの声が、吐息が、耳元のすぐ傍をくすぐる。そのこそばゆい感覚に背筋がゾクリと泡立つのを感じるが、そんな雑念はすぐに捨てる。
大きく息を吸い、吐く。そうして心身をリラックスさせると、魔力の循環を始めた。
魔力を内にのみ展開したのを確認したシオンは、自分の魔力を流し始める。その魔力はシオンの全身から手に集い、そこからアリスの心臓――胸に手が触れないよう気を付けてはいるので、大丈夫だろう――に魔力を送る。
「――」
唐突に増えた魔力の制御に四苦八苦しつつ、やはり無駄では無いと実感する。だが、片時も油断できない。もしも魔力が暴走して回復魔法が発動してしまえば、アリスは
その理由は、過剰回復が行き過ぎて、肉体が破裂するというモノ。
本来ならそれに怯えてしまうだろうに、今のアリスにそんな『余計なモノ』はなかった。そこにあるのは、シオンへの信頼。
(シオンなら、きっと私を助けてくれる――)
感じるのだ。そっと、アリスに気付かれないように気を遣いつつ、アリスが魔力を操作しやすいように流れを整え、促しているのを。だから不安などない。恐怖もない。ただ『やる』という意志を持ち続けるだけ。それだけの、簡単な話だ。
だがやはり、シオンの魔力はアリスのそれに比べて膨大。抑え切れずに徐々に溢れ出した魔力がアリスの魔力の色――光り輝く金色となって、辺りを照らす。
――その光景を、永琳と輝夜が遠目に見ていた。
「凄いわね、アレ。大部分がシオンの魔力なんでしょ? あんなに垂れ流してて、よく平気でいられるわね」
「シオンは魔力量だけなら人類最高峰に位置しているから、不思議ではないわ。それに、驚くべき場所は
「……そうね」
輝夜の眼が細まる。
あの光景は、魔法を齧ったことがある人間なら驚愕せしめられるものだ。
それは――魔力の同調。
本来それを行うには、卓越した技量か、あるいは道具を必要とする。考えてみて欲しい。魔力は宿したモノによって性質を変える、千差万別のモノ。
考えてみてほしい。赤色の絵の具に青色の絵の具をぶちこんで、同じ色を保っていられるのか? 答えは否だ。別の色になるに決まっている。
組み合わせ次第では最悪の結果にすらなる。それだけの危険性のあることを、あの二人は今、行っているのだ。
勿論輝夜は止めようとした。そんな彼女を止めたのは、永琳だった。必要無い、と。
「シオンが属性を伴った魔法を使えない理由は――
色が無ければ何もできない。ただし、それは自分で魔法を使う場合。今回のように他者の魔力と同調させる場合、それは途方も無い価値となる。余分な作業を必要とせず魔力を受け渡せるという事は、それだけ魔法を使い続けられるということ。しかも百万人分の魔力。魔力制御はまた別の話だが、『それだけの魔力がある』という事実は一定以上の効果を生む。狙われる理由は、十分にあった。
一つの色だけしか魔力を持たない人間はまずいない。青の中に赤が混じっていたり、あるいは複数の種類が混じりすぎて訳の分からない状態さえある。それらの難件を一瞬で解決できるのが、シオンである。
つまりは、
「トラブルメーカーの塊よね、シオンは」
「それを承知で、ここに住むのを了承したのに?」
「信用できるのはわかっていたもの。人を見る目には」
『かなりの自信がある』
敢えて二人は声をハモらせる。
幻想的な光景は、陽が無くなるまで続いた。
三日目は永琳――に、なる予定だったのだが、朝起きた時には既に永琳の研究室あるいは実験室の中にいた。
――両手両足を拘束された状態で。
「……どういう状況だコレは」
慌てず騒がないシオン。だがどことなく現実逃避をしているようなのは、果たして気のせいでは無いだろう。
バタン、と今まで閉じていた扉が開く。そして何かを大量に台の上に乗せた永琳は、そのいくつかを手に取った。
「――実験、開始」
その後の記憶は、シオンの中にない。
ガバッ、と布団を跳ね除け起き上がりシオン。体中に汗を流し、息を荒げるその姿は、悪い夢を見たすぐ後のようだ。
「な、なんか凄まじく嫌な夢を見ていたような……」
だが、今日は永琳の――とまで考えて、大丈夫、必要無い。だから今すぐその考えを捨てろじゃないと後悔するぞ! なんて幻聴が聞こえて来て、それはシオンの中にストンと収まった。
シオンは先程までの考えを捨てると、なぜか体に疲労感が溜まりまくっているのに気付いた。だが寝込んではいられない。やるべき事はやっておかなければ――。
そして夜。やるべき事をやって自室に戻り、後はずっと寝ていた。起きたのは太陽がなくなって一時間が過ぎてから、だろうか。――起きた時に今日が約束の日の前日だと気付いて愕然とさせられた。
すぐに行動を始める。あくまでサプライズ。何時もの行動の中にさり気なく別の事をして、てゐの眼を誤魔化すのだ。
まず風呂に入る。一日中寝ていたせいで汗がビッショリなのだ。流石にそんな状態で人前に出ると
それから鈴仙の料理の手伝いをする。どうやら霊夢は二時頃に永遠亭に着いていたらしいが、シオンが寝ていると聞いてそっとしていてくれたようだ。寝ていたせいで約束をほっぽり出しかけていたが、あらかじめ鈴仙に頼んでおいて正解だったらしい。
シオンとてゐの分を抜いた五人分を運んでいく鈴仙を見送り、シオンは縁側に移動した。
縁側に着くと、そこには既にてゐがいた。何時もの格好で、何時もの飄々として顔を浮かべて。足を投げ出し、後ろに傾けた上半身を支えるように両手を後ろについている。そんな彼女の視線の先には、見事な満月があった。
「今日は月が綺麗だね。……と、言えばいいのか?」
「最後のが無かったら完璧だと思うよ。でも、確かに今日は月が綺麗だよね。雲が出なくてよかった」
「まぁもし出ていたら雲をぶった切っていたが」
「フフッ、確かにシオンならできそうだね」
朗らかに笑いあいつつ、場を暖める。
シオンが隣に座ると、てゐは笑顔を収め、立ち上がる。何事かを呟いた。
そして――驚くべき光景が目に入る。
中庭は、既に鍛錬を終えたために永琳が元の形に戻っている。だが――だが、中庭を埋め尽くすように兎達がいるのは、驚くしかない。
「コレ、は……」
「へへーん、凄いでしょ! 今日のために竹林近くに住んでる兎以外も呼んでたんだ。……さ、餅を搗いて!」
ペッタン、ペッタンと餅を搗いていく兎達。息の合ったコンビネーションで、餅を搗く。
「兎は月で餅を搗いている、なんて話を本で見た事があるが……凄いな」
「本物の月の上でやるのは無理だけど、コレくらいはね。どう? 私のサプライズ」
「ああ。驚いたし、こんな光景、完全記憶能力が無くても、絶対に忘れない。……忘れられないよ、コレは」
素直な賞賛。だが瞳を輝かせているシオンの言葉に、嘘は無い。てゐは今日までの苦労が報われる程嬉しかった。
それを誤魔化すように、シオンに言う。
「そ、それで、シオンのサプライズは何かな? 生半可なモノだと勝負にもならないよー?」
「まぁ、考えていた事は同じ、とだけ言おうかな」
どこか茶化すような話し方は、てゐが人に悪戯する時のそれだ。しかしシオンは気にせず立ち上がると、てゐから見えない位置に会った台を持ってくる。
そこにあったのはいくつかの餅。それと、お雑煮、あんこ、きなこ。特性のレシピ――といっても咲夜のレシピだが――で作った醤油。他にも色々だ。
「月見でするとなると、やっぱり餅だって聞いたから。でもやっぱり、店で買ったのより搗き立ての方が美味しいから、そっちを食べようか」
「…………………………コレ、シオンが?」
「ん? そうだけど。あ、もしかして嫌いなモノがあったか? それなら無理して食べなくてもいいよ。色々あるから、どれか一つくらいは食えるだろうし」
「そういうわけじゃ、ないんだけど」
そう、そういう意味では無い。
それは女にしかわからないモノ。即ち――女の意地。その意地が告げている。――負けた、と。何についてかは言及しないが。
「でも、コレに使った材料はいつ用意したの?」
「ああ、それは鈴仙に頼んだ」
「鈴仙に? でも」
「そうだな。鈴仙は俺を信用してくれているかどうか、くらいに微妙な関係だ」
だからこそ頼んだのだが。シオンは、疲れた体に鞭打って鈴仙に頼んだ事を思い出す。
『――食材の買い出し、ですか?』
『そうだ。それを頼みたい』
『何故私がそのような事を? 理由はあるのでしょうか』
『ある。一つ目に、てゐのサプライズをするためには俺があまり下手な動きをしない方がいいこと。二つ目に、永遠亭に外に出て怪しまれない者であること。輝夜は外に出ないし、アリスもコレは同じだ。師匠はまだ里の検診に行く時期じゃない。てゐに頼むのは論外。俺が動くのは一つ目の理由から却下』
『それで白羽の矢が立ったのが私、ですか……』
『まぁな。それに、俺と仲が良くない相手に頼んだ方が、意表を点けるだろう?』
『――気付いていたのですか』
『むしろ気付かないはずが無いだろう。……今はそんな事どうだっていい。返事は?』
『流石に私にメリットが無いのはどうかと思いますが。その件についてどうするおつもりで?』
『――貸し、一つ』
『……え?』
『無期限で貸し一つ。俺にできる範囲内でなら何でもする。それでどうだ』
『正気ですか?』
『正気だよ。まぁ釣り合ってないのは承知の上だ。だけど、貴女はアリスを守りたいんじゃないのか? そのための手札を増やしたいなら、少しは貪欲になった方が良い』
『余計なお世話、ですね。ですが、その件は承ります。材料は何を?』
『コレに全部書いてある。高かったら買わなくていい。あり合わせで何とかするから』
コレが『鈴仙に対する感謝』である。素直に感謝したいと言っても受け取らないだろう彼女に、貸し一つ。それなら受け取ってくれるだろうと思って。
シオンは食べるための簡易な台の上に皿を置き、箸を並べる。液体などの零れやすい物は取りやすい位置に、逆に零れにくいモノは取りにくい位置に並べ――取りやすいのはあくまでてゐの位置からであって、シオンはまた別――直す。
ついでにかなり度の軽い酒を注ぐ。流石にコレは永琳が作った物だが、度の軽さはお墨付きだ。てゐを酔わすほど飲む気は無い。
熱い物は冷めないようにと工夫しつつ、餅が搗き終えるのを待っていたが、兎達は熟練のプロフェッショナル。意外にも早々に終わった。その間にシオンは余った醤油、あんこ、きなこなどを持ってきていた。餅の数が多すぎるので、てゐに聞いて兎が食えるのか聞いて、どうせなら皆で食おうと思ったからだ。
兎達は自分で搗いたモノながら、シオン特性のそれの味に驚く様子を見せた。
てゐも、
「お、美味し過ぎる……」
と、眼を見開きながらもぐもぐと食べていたので、シオンのサプライズも大成功と言えるだろう結果になった。とはいえ、てゐがどことなく落ち込んでいたのは気になったが。
兎達と、そして見目麗しい少女と共に、満月が煌々と照らす下で餅を食べる。それは、シオンが経験をした事の無い味と想いを、記憶に残した。
「準備はいい?」
「元から準備するモノなんて知れてるからな。いつでもいいぞ」
永遠亭の玄関前で、霊夢とシオンは互いの姿を確認し合う。
霊夢はいつもの巫女服姿。特筆すべき点はない。強いて言えば、胸元のリボンの色が何故か白を基調とし、ところどころに赤色をあしらったモノに変わったくらいか。
対するシオンも服装は幻想郷に来てからほとんど変わらぬモノだ。白いシャツにズボン、そして全身を覆うローブのような外套。軽装過ぎるほどの軽装だった。
「またいつでも来なさい。待ってるから」
そう言ったのは、永遠亭の主、輝夜。見送りに来たのは彼女と、シオンの師である永琳。友人のアリスの三人だ。
鈴仙は何時も通り家事をこなし、てゐは森で見まわっている。彼女達はそれぞれ複雑な思いを宿しつつ、変わらぬ日々を送ろうとしていた。
「今度はもっとアレなゲームをしましょうか」
「勘弁してくれ。アレはもう疲れた……」
嫌な事を思い出したと溜息を吐くシオンに、輝夜は腹を押さえて笑う。そして思う。そう言いつつも、また手伝ってくれるのだろうと。
「シオン、コレ」
「……? コレは?」
シオンが手渡されたのは、金色の長い布だった。
「何となく服についていたのを取って作り直したって感じがするけど」
ギクリ、とアリスの体が強張る。事実だからだ。アリスがこの世界に来た時着ていたあの服の一部を分解し、それを布にしてシオンに渡した。
その理由はお礼もあるが、何よりも。
「それ、私の魔力を滲み込ませてるから……多分、一回くらいなら致命傷でも治せる……かもしれない? だ、だけど髪を縛るのには使えるから」
自分で言いつつ自信を持って言い切れない。なにせ試したのは初めてなのだ。失敗している可能性の方が、むしろ高い。
だから敢えて長い布にしたのだ。シオンの長すぎる髪を括れるように。
「いや、ありがとう。大切にする」
だがシオンは髪を縛らず、左腕に布を巻いてしまった。一瞬何故、と眼で問うたのを敏感に察したシオンは、居心地の悪そうな顔をする。
「……いや、だってさ」
「………………………」
言い訳など許さないと、シオンを見る。
「――髪括ると、女っぽさが増すから……」
『あぁ――……』
ガックリと項垂れるシオンに、何とも言えない雰囲気。同時に、確かに男に送るのに布は無いだろう、とアリスは今更ながら気付いた。
「え、えっと……ごめん、ね?」
アリスの謝罪に軽く手を振って返す。
「シオン」
そして最後。自身の師が言った。
「あなたの持つ剣。それは
「……?」
何を今更、と言ったように訝しむシオンに、永琳は念を押す。
「絶対に、忘れないで」
完全記憶能力者に『忘れないで』とは、何とも言えない冗談だが、永琳は真剣だった。それを茶化すことなどできはしない。
シオンは頷き、霊夢の顔を見る。
「……行こうか」
「ええ。着いてきなさい」
空気を読んで何も言わなかった霊夢の後を追って、シオンは永遠亭を後にする。一度も、振り返ろうとはせず。
後に残るのは三人。内と外の境界を乗り越え、シオンの背が見えなくなるまで手を振り続けると言った様子のアリスを見つつ、輝夜が尋ねる。
「……さっきの言葉の意味は?」
「いくら輝夜にでも言えないわ。……だけど」
一度言葉を区切る。永琳の眼が細まり、どこか怒りの籠った声が出る。
「――人間は、『あなた達』の玩具では無いのよ」
その真意は、永琳にしかわからない。
ここの場面はずいぶんと前から練っていたのですが、最後の部分をド忘れしてしまったため、いつか変更する可能性があります。ご了承ください