東方狂界歴   作:シルヴィ

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四人の協力者

 サク、サク、と土を踏んで歩く。博麗神社から里までの距離はかなりのモノ。どうしてこんな交通の便が悪い場所に神社を置いてあるのか――と思うが、ちゃんとした理由はあるのだろう。

 今はまだ五時を少し過ぎた頃。子供達が集まり授業を始めるのは八時半頃。勿論その前から子供達は寺小屋に来るので、八時前には全てを終わらせておきたい、と慧音から伝えられている。それだけならもう少し遅くなってもよかったのだが、シオンの場合は里で『やらかした』せいで、その件についての謝罪がある。だからこそこんな時間に神社を出たのだった。

 足取りは重い。相手に多少非があるのであればもう少し堂々と行けるが、今回は完全にシオンが悪い。

 別に誰かを殺したりしても、悪いとは思えどそれ以上思うところはない。罪悪感などという感情は、とうの昔に消えた。唯一の例外は動物くらい。シオンがかつて幽香と戦った時に山へ白夜による消滅の斬撃を飛ばしてしまった後悔は、それによるもの。

 にも関わらず、足取りが重くなっているのは――殺したのをどうとも思わなくとも、『喪う』ことに共感はできるからだ。

 姉を――大切な人を喪うあの感覚を、わかってしまうから。

 ハァ、と溜息を一つこぼす。考え事をしていたからか、もう里は近い。シオンの、それこそ妖怪の眼よりも高い視力は、里の姿を捉えていた。

 少し悩んだ後、シオンは全身を隠すためのフード付きの外套を脱いだ。これを着続けていると、不審者のような扱いを受けかねないし、相手に無用な警戒心を与えてしまう。それだったら最初から脱いでおいた方がいい。それから左腕に巻きつけていた、アリスから貰ったリボンを外し、左側の髪の毛を纏めると、リボンを使って一纏めにした。はっきり言って付けていてもいなくてもほとんど変わらない髪型だが、色の明るいリボンを髪に付けておけば、多少はこの鋭い眼から視線を反らせるだろうと思ったのだ。

 さて、これで準備は終わった、とシオンは里へ足を向ける。

 五分もせずに、シオンは慧音の姿を見つけた。あの特徴的な服を見間違えるはずがない。

 「慧音!」

 「ん、ああ、シオンか。時間より少し早いが、そこは好印しょ――」

 と、そこで慧音の言葉が止まる。何かに驚くように目を見開くと、その後まじまじとシオンの全身を、足のつま先から頭の天辺まで見やった。

 そして何度か頷くと、

 「君は女だったのか?」

 「んなわけあるか」

 ――何たわけたことを抜かしてやがる!?

 などと思ったシオンの心情など露知らず、慧音は困惑を表すように眉を寄せた。

 「いや、だが……どこからどう見ても、君の外見は女にしか見えないんだが」

 「この顔と背格好は母親譲りだ。髪と目の色は……流石に違うが」

 「そう、なのか? 女として負けた気分にさせられるくらい綺麗だ。もう一度だけ聞くが、本当に男なのか?」

 「男だよ。それに慧音が負けるとかどうとか言うのはどうかと思うんだが……」

 「……?」

 首を傾げる慧音に、これは絶対にわかってないな、と思わせられるシオン。思い返せば、一昨日里で昼食をしたときの店主の言葉にも冗談だと思っていた節がある。

 「知らぬは本人ばかり、か」

 「ん? 何か言ったか、シオン。言いたいことがあるのならはっきり言って欲しいんだが」

 「いいや、なんでも。少し思うところがあっただけだ」

 それよりここで話していてもいいのか、と言う。話を逸らしている自覚はあるが、実際時間は有限で、もう雑談をしてもいい分は過ぎている。慧音もそれを思い出したのだろう、すぐに頷いた。

 「それじゃまず。シオンには、ある人物に会ってもらう。その人さえ説得できれば、里内で過ごすことに文句を言われることはまず無いはずだ。内心ではどう思っていようと、な」

 「それはいいが、ある人物ってのは?」

 「悪いがそれは教えられない。会う条件にはそれも含まれているからな」

 「つまり、ぶっつけで会って何とか説得しろと。……そしてそれに文句を言えないんだから、俺もバカをしたもんだよ」

 「自覚があるだけまだマシさ。先があるんだからな」

 慰めかどうか、かなりわかりにくい言葉を言うと、慧音はシオンの肩を叩き、里へ入る。シオンも後に続いた。

 慧音が入ったときはよかった。だがシオンが里に入った途端、気のせいでなければ里がザワついた。

 そしてそれは、気のせいではなかった。

 「……シオン、あまり気にしないでくれ」

 「さっきも言ったろう? 自業自得だよ」

 里の人から向けられる、怒りと恐怖と憎しみ。シオンにとって、慣れ親しんだ視線。それに含まれる『化物』を見るような眼。まるで少し前に戻ったかのような気分だった。

 「ま、わかっていたことだ。これから変えるよ。あの眼の中身を」

 「シオンがそういうのなら、私がどうこう言える問題ではない、か……。何かあれば私を頼ってくれ。諌める程度ならできるはずだ」

 「……お人好し。でも、ありがと」

 あの時とは違う、味方がいる事実。それが少しだけ、重い気分を軽くしてくれる。だからシオンは、慧音の後ろではなく、隣を歩いた。

 今まで慧音のお陰で隠れられていたのを、そこから出たことによって一気に視線の量が増した。あの事を知らない人間も、事実を知る人間から事情を知って、シオンに向ける視線を同じモノへと変える。だがその眼には困惑も見て取れた。視線の先から慧音に向いているのを察したシオンは、なぜ慧音が化物(シオン)――少なくとも彼らはシオンを人間ではなく妖怪の類だと思っているだろう――と一緒にいるのか、と思っているのだろうと感じた。

 だが話しかけてくる人間はいない。好奇心猫を殺す。彼らの感情の比重は、好奇心よりも恐怖心が勝っているのだろう。だからシオンも視線を周囲へ向けず、ただ前だけを見据え続けた。

 「そういえば聞き忘れていたんだが、シオンは朝食は食べたのか?」

 「食べたよ。ただ神社の食材がほとんど尽きたから、買い出しに行って欲しいと言われたな」

 「金は預かって?」

 「……無いな」

 「やはりか。――仕方がない、面接に合学して、今日の授業内容しだいで前金として渡そう」

 「いいのか? そんな贔屓をして」

 「良いか悪いかで問われたら、悪いのだろうな。だが君は、多分嘘を吐かない人間だ。持ち逃げするような奴ではないだろう?」

 「それだけで信用するのもどうかと思うけど……慧音を裏切ればアテが無いからな。その信用を裏切らないようにしよう」

 「そうしてくれ。それと、訂正を一つ」

 ピシリ、と人差し指をシオンの目前に指す。

 「私は君を信用している。だが何より、『信頼』している。それを忘れないでくれ」

 クスッ、と小さく笑い、慧音は再度歩き出す。少し呆けていたシオンは、その言葉の意味を理解すると、苦笑した。

 「ホンットーに、このお人好しは」

 遅れないように駆け足で慧音を追う。

 もう周囲の視線は、気にならなかった。

 里をグルリと周り、今はある民家の一つの前に立っていた。周囲に点在する家よりも少しだけ立派な気がする。

 「ここは?」

 「シオンも知っている人の家族が住む家だ」

 珍しくシオンは困惑をあらわにする。だがそんなシオンを置いて、慧音は家の玄関の前へ立つとノックをし、叫んだ。

 「私だ、慧音だ! 誰かいないか!」

 それだけ言うと一歩下がり、慧音は腕を組んでその場に佇む。それから一分もせずに家の鍵が開いたような音がした。

 そして扉が開かれると、そこから出てきたのは貫禄を纏った大の男。常人なら気圧されるような雰囲気を纏ったそれを前に、シオンはへぇ……と感嘆の息を漏らした。

 「魔理沙の父親か」

 「わかるのか?」

 シオンは確かに魔理沙が連れて行かれたのを見ているが、それも背中を見ただけ。正面から顔を見たわけではないし、人の背中など、服を変えただけで印象が変わってしまう。

 「半ば勘に近いけど、なんとなく魔理沙と似たような感じがしたからね。うん、頑固そうなところとか?」

 けらけらと笑うシオンに、慧音は内心焦る。初対面でそんな失礼な言葉を、と思ったのだが、

 「……フッ。入れ、茶を淹れよう」

 何故か微かな笑みを浮かべると、そのまま中に入ってしまった。

 「わ、笑った? 『あの』厳が?」

 「どうかしたのか、慧音。というか厳って、あいつのことか?」

 「あ、ああいや……なんでもない。それと、そうだ。彼の名前は霧雨厳。里内で唯一様々な道具を扱う店で」

 一拍置き、なぜここにシオンを連れてきたのか。その理由を告げる。

 「――里の代表、その一人だ」

 家の中へと案内されたシオン達は、そのまま厳の部屋へと通された。厳が戻ってくるまでに、里のシステムの一部を説明された。

 この里は東西南北でそれぞれに代表を集い、そしてその四人の纏め役を一人、選出している。そして厳は東の代表者。

 ちなみに四人の纏め役を担っているのは慧音。かつては人間の代表が行っていたのだが、いつしか慧音がその役についていた。とはいえ纏め役というのも名ばかりのもの、特に異論はなかったようだ。

 説明を終えて数分後、盆に茶を乗せた厳が入る。

 出されたのは熱い茶。だがシオンも、慧音も文句は言わない。全員が一度喉を潤すと、厳が口を開いた。

 「今回の里の被害は、そう大きくはない。人的被害は皆無。家や道路に傷がついたりしたが、全てをあわせても、一月もせずに直せる。だが、目の前に自分を殺し損ねた攻撃によってトラウマを植えつけられた者は多い。君の姿を見れば錯乱するだろう」

 あらかじめ予想はしていたが、死者が出なかったのはよかったのだろう。だからといって安心できる内容ではないが、死者が出た出ないの差で、随分とハードルの高さは変わる。

 「里の修繕の手伝いはできる。木材が必要なら持ってこれるし、土が必要ならいくらでも用意しよう。トラウマについては――俺にはどうしようもないな」

 剣技を使えば木は斬れる。白夜を使えば空間に物を移動させればいくらでも運べる。だがそれらはあくまで物質にしか効果がない。心なんていうモノに干渉できるような、便利なモノではないのだ。

 だが、全面的に里への出入りを禁止されれば、もう打つ手は無くなる。

 「……頭を下げろと言われれば、いくらでも下げる。腕を切り落とせというのなら、その通りにしよう。奴隷にように働けというのなら、そうする」

 「――本気で言っているのか?」

 「本気だよ。別に誑かそうとかそういうつもりはないさ。変わらないよ、今までと」

 人間扱いすらされなかった人体実験をされていた頃。そこから逃げてからの逃亡生活。痛みに慣れ、虐げられるのに慣れ、殺すのにも慣れきった。だから今更少し待遇が悪くなったところで、どうとも思わない。

 強いて言えば、『ああ、またこれか』と思うぐらいか。

 「――嫌だとかそんな贅沢を言えるような、生温い人生は送ってないよ」

 ただそれだけの話だ。

 厳は瞑目する。顰められたその顔で何を思っているのかはわからない。どちらにしろこの提案を断られれば、シオンにはもう打つ手が無い。

 そして厳が眼を開ける。内心諦観を浮かべていたシオンは、座して厳の言葉を待った。

 「わ――」

 「――ちょっと、いいかしら?」

 『!?』

 その声は、女性のそれだった。だが慧音はシオンの後ろにいるし、何よりこの声は慧音のそれとは全く違う。

 声のした方向、真横を見る。まるで眼を開いたかのような形の歪みから、一人の女性が姿を現した。

 「八雲……紫!」

 歯を噛み締め敵意をあらわにするシオン。だがそれに何より驚いたのは紫だった。あの底なしの殺意が敵意にまで抑えられている、と。厳と慧音は困惑している。いきなり前触れもなく現れたのだから当然か。

 しかし紫は、その一切を無視した。

 「里の修繕は私が請け負うわ。トラウマについても何とかしましょう。私の能力を使えば、精神や記憶の境界に干渉できるから」

 シオンの体が停止する。それも一瞬で、すぐに紫を睨みつけた。

 「何が目的だ? 貸しでも作りたいのか?」

 「この世界に連れてきて、あなたのこれから先の生を歪ませた以上、これくらいの手伝いはするわよ。できないことはしないけれど、片手間くらいならなおさらね」

 そう言うと、紫は亜空間から封筒を落とす。それを手で受け止めると、軽い動作でシオンへと放り投げた。いくら軽いとはいっても、大妖怪の腕力での『軽い』だ。厳の眼では捉えることすらできないそれを、シオンは優しく受け止めた。封筒はズシリと重い。

 封筒の封を切ると、中身を出す。出てきたのは、一纏めにされた札束だった。これだけの額があれば、数ヶ月は何もせずとも暮らせるだろう。紫の意図が読めないシオンは、視線を向ける。

 「私はできる限りあなたの支援をすると決めただけよ。代わりと言ってはなんだけれど、シオンにはこの里や幻想郷に危機が迫ったら、それに対応して欲しい。ギブアンドテイク、というわけ」

 支援の詳しい内容はわからないが、紫の言う『できる限り』が生半可なモノではないことくらいはわかる。それだけ幻想郷を想っていることも。

 「それに、あなたが私を殺そうとした理由も、皆に伝えておくわ」

 そして――これを受けなければ、シオンの里でのイメージ回復も手伝わない、と言外に告げていることも。

 どうするのか、と紫の眼が問うている。受けるのか、受けないのか。

 「受ける」

 シオンはあっさりと頷いた。あまりの速さに、一度紫はまばたきしたほどだ。

 考えなしに受けたわけではない。里を守ることは里内の人達へのイメージアップに繋がるし、幻想郷の危機はフラン達の危機。言われずとも対処する可能性は高い。

 何より、後ろ盾があるなしでこれからの活動が随分と変わってくる。その点を考慮した結果だ。

 「憤りはある。わだかまりもな。それを差し置いてでもあなたの提案を受けると決めただけだ」

 「――そう。なら交渉成立ね」

 紫は手を差し伸べる。シオンも手を伸ばした。お互い力はこめない。ただ手を重ねるだけだ。

 ――シオンの中に燻ったままの殺意は、完全に消えることは、多分ない。そんな簡単に消えるようなら、初めから暴走などしていないのだから。

 それをおしてても協力すると、そう決めた。

 「つまり、私達はお払い箱ということか?」

 と、蚊帳の外に追いやられていた慧音が呆れたように口を挟む。紫は何か言葉を返そうとしたのだが、その前にシオンが言った。

 「いや、慧音に頼んだことと厳に言った条件はそのままにしてくれ」

 「なぜだ? 紫の手伝いがあれば、私達は必要無いと思うんだが」

 「――慧音。貴女は上の人間からいきなり『こうだったからこうしてくれ』と言われて、素直に納得できるのか?」

 「――――――――――」

 「その反応が答えだよ。確かに紫の言葉には一定以上の説得力がある。でも、それだけだ。それ以上にはなってくれない。でも、同じ立場の人間なら? 厳が大人達を説得して、慧音が子供達を納得させてくれれば。その方が、里の人達も信頼してくれるようになる」

 だから、さっきまでの話はそのままにしてくれ。

 その言葉に、紫は何度か頷き返した。

 「とりあえず、これ以上私がここにいても意味はないでしょう。明日には里にいる全員に伝えておくわ」

 それだけ言うと、紫は姿を消す。仕事仲間というだけの関係なら、これが正しい。シオンとしてもその方がありがたかった。下手に一緒にいても敵意が先行しすぎて、足並みを揃える、なんてことはできなさそうだから。

 紫が姿を消すと、慧音が口を開く。

 「考えなしに言ってすまなかった。寺子屋で、どうか働いてほしい」

 「最初に頼んだのは俺なんだから、その言い方はおかしいんだけど……よろしくお願いします」

 これで二人の味方――紫が味方かどうかは判別しづらいが――はできた。後は厳だけなのだが、当の厳はシオンを見つめていた。

 「シオン、と言ったな?」

 「……ああ。それがどうかしたのか、厳」

 お互いがお互いを呼び捨てにしている事すら気にもとめず、厳はシオンへと視線を向ける。その眼には、何やら憐憫のようなものが混ざっていて――それがどこか、気に障った。

 「私が言う条件は、一つだけだ。誰でもいい。里の人間と交流しろ」

 「……それだけか?」

 「ああ。お前はまず自分の価値観を変えろ。そうしなければ、いつまで経っても、どれだけの時間が経とうと、私達がシオンに向ける視線は変わらない。絶対にだ」

 厳は悟っていた。シオンは『危うい』と。ああもあっさりと自分を捨てられるシオンを、里の人達は異質に感じるだろう。

 自分を大切にしない。それがどれだけおかしな事か。それをまず理解して欲しい。

 そんな不器用な優しさ故に、厳はこんな提案をしたのだ。よほど人格的に問題がなければ最初から協力するつもりだったなどと、欠片も悟らせず。

 「……うん。やっぱり厳は、魔理沙の父親だ」

 なのに、シオンは苦笑していた。

 「頑固で、不器用で、だけど優しい――」

 先ほど感じた不快感は、もう消えている。

 「そんな、信頼できる人だ」

 この人は、裏切らない。そう直感した。

 「……そうか」

 厳は誰が見てもわかるほど、笑みを浮かべた。その笑顔の意味をシオンは知らない。この場でわかるのは慧音のみ。

 こうしてシオンは、里での協力者を得ることができた。

 寺子屋へ向かう前に、慧音は一度飲みきった茶を流しに置きに行っていた。シオンと厳は少しだけ話している。

 そして流しに置き、ついでに洗い終える。

 「久しぶり、慧音」

 「……理沙か」

 終わったのを確認したのだろう、いきなり理沙が抱きついてきた。今ではもうその面影がほとんど残っていないが、理沙は昔、魔理沙に負けず劣らずの腕白少女だった。誰かに抱きついてくるのもその一貫……と、いうより。

 「やめないか」

 「あー……もう、いけずぅ」

 胸を揉もうとしてきた理沙の手を叩き落す。ぶぅ、と頬を膨らませて拗ねる理沙に、相変わらずだな、と苦笑させられる。

 「話し合いは終わったの?」

 「ああ、なんとかな。説得に協力してくれてありがとう」

 実のところ、厳をあの話し合いにまで持ってこれたのは、理沙の尽力あってのものだ。慧音一人では厳しいものであったに違いない。感謝していた。

 「んー……」

 だというのに、理沙は困ったように笑っていた。

 「私が言わなくても、あの人は手伝ってくれたと思うわよ?」

 理沙は多分、唯一厳の不器用な優しさを、本当の意味で知っている。だから感謝されても背中がむず痒くなるだけだ。

 「そう、なのか? 私にはよくわからないんだが」

 「よっぽど人格的にダメな人じゃなきゃ、厳は助けてくれるかな。最悪ぶん殴ってでもとめるような人だし」

 「となると、シオンは合格なのか? あの厳が笑ったほどだし……」

 「――笑った? あの人が?」

 刹那、空気が凍ったような気がした。なぜだ。先程までは和気藹々、とまでは言わずとも、楽しく話し合えていたはずなのに。

 目の前にいる理沙の笑みが、怖い。

 「あ、ああ……シオンと話していたら、笑っていたな。二回ほど」

 「……二回?」

 言えば言うほど理沙の笑顔に気圧される。慧音の顔が抑えきれないほど引き攣り始める。本音を言えば、今すぐ逃げたい。

 「ねぇ、慧音。どんな話で厳は笑ったのかしら?」

 「あ、いや、そのだな……ちょっと落ち着いたらどうなんだ?」

 「私は十分落ち着いているわよ? だから話を逸らさないで? ね?」

 一歩、また一歩と迫る理沙に、一歩、二歩と慧音は後ずさる。だが流しのあるこの場所は、言うまでもなく狭い。すぐに腰を台にぶつけた。理沙の手が慧音の肩を掴む。

 もう、逃げられない。それを悟った慧音が観念した、その瞬間。

 「慧音、いつまで洗ってるんだ? そろそろ行かないとマズいんじゃ――」

 いつまで経っても来ない慧音を心配したシオンが来た。その姿を、なぜだか慧音には『――女神様!』と思えてしまった。

 「――誰? 魔理沙の母親?」

 だが慧音は知らない。理沙もわかっていない。今の二人の体勢、シオンから見れば。

 「……お邪魔だった?」

 『え?』

 シオンの言葉が理解できず、二人は状況を見直す。慧音は台に腰を乗せ、背中を後ろに倒し気味だ。そして理沙はそんな慧音の肩に手を乗せ、体は前に倒れていて――。

 つまり、まぁ。端的に言ってしまうと。

 ()()()()()()のような体勢、だった。

 「趣味嗜好は人それぞれだから何かを言うつもりはないけど……少し遅れるとか、それくらいは言って欲しかったかな」

 厳には少し遅れるって伝えておくよ、とだけ残すと、シオンは手を振って背中を向ける。数秒フリーズした二人が動き出したシオンを捕まえたのには、十秒とかからなかった。

 それから何とか誤解を解いた頃には、理沙のあの重圧が無くなっていた。それと比例して、慧音の疲労感が凄まじく増えていたが。ちなみにその時自己紹介は済ませてある。

 「――で、誤解なのはわかったんだけど、どうしてあんな体勢になったんだ?」

 「あ、うん。えっと、厳が笑ったのはどうしてか、その話を聞こうと思ったんだけど……」

 「私が口籠ってしまって、それでな」

 なぜそのことを気にするのか、シオンには少しわからなかった。そもそも『笑う』のになにか理由のがあるのかと思ったが、それについては後ででいいだろう。

 今わかったのは、理沙がどうしてそうしたのか、その根本だった。そしてその理由に、シオンは心当たりがあった。

 「……嫉妬?」

 「ッ!?」

 「???」

 ボソリと呟いた言葉に、理沙は過剰とすら言える程の反応をする。驚愕が狼狽に、狼狽が赤面に変わっていく様は、百面相を見ているようだった。慧音は理解してないようだが、彼女は恋をしたことがないのだろうか。

 「ああ、うん。なるほど。……よっぽどなんだねぇ」

 敢えて主語は抜いたが、理沙にはわかったのだろう。赤面を超えて煙が出るほど真っ赤になっていた。

 シオンの生暖かい眼が、理沙を縮こませる。

 「う、うう……だってぇ」

 顔を俯かせ、両手の指をツンツンとさせる理沙。

 「厳の笑顔は、私達だけのなんだから。……なのに、二回もだなんて」

 乙女だなぁ、とシオンは感じたが、わからなくもない。恋愛感情に独占欲は付き物だ。仕方がないだろう。それに付き合わされた慧音からすれば、たまったものではないだろうが。

 その慧音はといえば、ありえないモノを見るような眼をしていた。いつもの人を喰ったような態度ではない、女の子女の子した理沙を、慧音は見たことがない。

 「そりゃ、嬉しいことがあれば笑うよ? 厳だって。でも、やっぱり私と魔理沙にだけ笑顔を向けて欲しいなーって思うんだもん。……抑え、きれないんだもん」

 ――なんだろう、幼児退行している気がする。

 そう思った慧音だが、シオンの視線に含まれた『何も喋るな』というものに素直に従った。下手に話して自分に被害が合うのを恐れたのだ。

 「俺に嫉妬を向ける必要はないよ。厳は俺に笑いかけた訳じゃないし」

 「……そう、なの? でも、シオンは綺麗だし……そのリボンのお陰で、可愛く見えるし」

 「あ、そう……」

 つい、俺は男なんだけど、と返したくなったが、話の腰を折りそうだったので黙っておいた。

 「私ももうそろそろおばさんだから、やっぱりシオンみたいな若い子の方がいいのかなぁ……男の人って、シオンみたいな若くて綺麗で可愛い女の子の方が好きだって話だし」

 うん、無理。我慢できない。

 「俺、男なんだけど。こんな外見だけど、男だからね」

 「えぇ!? う、嘘。その容姿でッ?」

 「一応。母親譲りだよ、容姿は。……女扱いされるのは、宿命なのかなぁ」

 別に褒められる事自体はいい。母親譲りの容姿だ。マザコン、ではないが、一般的な家庭くらいには家族を愛しているシオンは、やはり親を褒められれば嬉しいと思う感情はある。シオンの容姿は母親譲り、イコール母さんを褒められている、というわけだ。

 「そんな心配する必要無いよ。断言する」

 「うぅ……そう?」

 何故か打ちひしがれた様子の理沙に首を傾げつつ、シオンは頷く。

 「厳が笑った時の状況を簡単に、端的に説明すると。――魔理沙に似てる。そう言った時だよ。二回ともね」

 なんとなくだが、わかる。家族を愛している、という点では同じだから。

 「魔理沙を褒められて嬉しかったんじゃない? 俺だって、母さんが褒められれば嬉しいと思うくらいだし」

 素直にそう言えないのは、ひねくれてしまったからだが。ただ、シオンにもわかることがある。それはとても簡単なこと。

 「厳は魔理沙のことも、貴女のことも。深く愛してるよ。きっとね」

 知らずシオンの顔に笑みが浮かぶ。それは誰かを安心させる慈愛の笑みで――それを見た理沙はいきなり起き上がると、ガシッ、とシオンの手を掴んだ。

 「し、師匠……!」

 「へ? し、しょう……って?」

 「あ、あの、悩み事があったら、また相談してもいいでしょうか!?」

 シオンの疑問すら無視して、理沙は身を乗り出す。その勢いに押されて、シオンはつい頷いてしまった。

 ああ……と慧音が額を押さえているのが視界の端に見える。

 「それと、里の人達の師匠へのイメージアップをしたいんですよね。私、協力しますよ! 母親達の――女の繋がりはかなりのものですからッ!!」

 ど、どうなってんの……? と戸惑うシオンに、慧音が口パクで伝える。それをシオンは読心術で読み取った。

 ――理沙は昔から奥手でな。しかも恋愛事にはからっきしで、弱気だ。それなのに弱い部分を見せるのを嫌うから相談することもできなくて……二人がくっついたのも、実は奇跡に近い。

 ――それは、つまり。まさか。いやでもありえないだろうそれ!?

 理沙の言う『師匠』とは。

 「あ、でも代わりに相談されちゃうかもしれません。()()()()! でもきっと大丈夫ですよ、師匠なら!」

 予感的中。

 「い、いや待ってくれ。敬語も師匠もいらない。だからそんな恋愛相談とかやめてくれ!?」

 「いいえ、やめません! 絶対に!」

 理沙のキラキラとした眼に、シオンは悟る。――あ、無理だこれ。

 ガックリと項垂れるシオンは、現実逃避するように玄関へと向かう。そしてシオンのただならぬ様子に声をかけようとした厳に何も言わぬまま外へ出る。さりげなく慧音が謝ってくれていたが、気づきもしなかった。

 「師匠ッ、私頑張りますので、また相談に乗ってくださいねー!」

 「あ、うん……わかった……」

 だが現実は非常だ。わざわざ玄関から身を乗り出して笑みを浮かべる理沙に、シオンは乾いた笑みしか返せない。

 そしてテンションが上がりに上がった理沙は、そのまま玄関先で厳にキスしていた。咄嗟に厳が玄関を閉めていたが、数人に見られたのは確実だ。明日どんな言葉をかけられるのか。正直シオンとしてはどうでもよかった。

 「俺……九歳だぞ……?」

 期せずして四人目の協力者を得られたシオン。だが最後の一人は、トラブルメイカーなのかもしれない……。

 「Don’t mindだ。シオン」

 これから先のことを想像して。シオンの苦労を思うと、涙が滲んで仕方ない慧音。唯一自分を慰めてくれる慧音に身を寄せ、シオンはただ、疲れたように息を吐いた。




ふざけすぎた。ふざけすぎました。本当は三人にするつもりだったのに、何故か四人になってしまった……。

もし言い訳をするのなら、紫は里全体に管理者として上から忠告し、厳は里の大人衆に、慧音はこれからの里の中心になる子供達に。

でも『女性達』に言える立場の人が誰もいないんですよね。だったらいっそ理沙にしちゃえば、と。
奥手で弱いところを見せるのが嫌いな(ここらへんは原作魔理沙の『努力しているところ=弱いところを見せない』部分から引っ張ってます。恋愛に奥手? そこらへんは知りません)『あの』理沙が相談する相手、となれば、相応に信用できるんじゃないか、と。
とはいえ女性心理はさっぱりわかりません。おかしな部分があれば提案してくれると大変嬉しいです。
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