東方狂界歴   作:シルヴィ

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シオンの教育方針

 どことなく疲れた様子を滲ませているシオンに、慧音は声をかけられない。歩いているのも惰性か、あるいは気を紛らわせるためだろう。こうも弱っているシオンを見ると、あの暴走が嘘のように思えてしまう。……まぁ、それもシオンの一面ということだろう。

 「だ、大丈夫……か?」

 大丈夫ではないのはわかっているが、どうしても気になってしまう。やはり根本的に慧音は優しいのだろう。そしてそれがわかるからこそ、シオンはその心配を無碍にできない。

 「いや、大丈夫とは言い切れないけど……困っているだけだから。恋愛とか、ほとんど経験無いしなぁ」

 「ほとんど、とはつまり、一応あるんじゃないか?」

 「そうは言っても、おままごとに近いよ」

 実際、自覚すらしていなかった。それが恋心だなんて。

 「大切で大事な思い出ではあるけど、そこまで濃密って訳でもないし」

 だからシオンが言えるのは、たった一言だけだろう。

 「――せめて後悔しないように。想いを伝えるだけでもした方がいい。俺から言えるのは、それくらいだ」

 その言葉には、重みがあった。自覚せず、だから伝えることすらできず。そして結局、後悔してしまった恋。

 「俺は遅すぎた。伝えられても、それを育む時間が無かった。……それだけが、心残りだよ」

 苦笑して、その中に一抹の後悔を宿しながら、慧音を見る。

 慧音にはその感情がよくわからない。彼女は恋をしたことがないからだ。よく道端で恋の話をしている女の子や、知人からそれがどういったものかを聞くが、彼女自身はその感情を宿したことがないからだ。

 「恋とは、大変なのだな」

 「そうだね。とても大変で……辛くて、苦しい。でもだからこそ、綺麗で、結ばれた時の喜びは何にも代え難い。……いつか分かる時がくるよ。慧音にも」

 「そうか。……そうだと、いいのだがな」

 慧音はもう数百年生きている。人の部分と、妖怪の部分。両方を持つからこそ両方から疎まれてきた彼女は、その日々を生きることに必死すぎて、他の事に気を取られる余裕など無かった。

 だから、今初めて思う。

 ――恋をするのも、いいのかもしれないな、と。

 「ま、慧音の事だから俺と同じで自覚しないでいそうだけどね」

 「む、失礼な。自分の気持ちだ、必ず気づくさ」

 「どうかな~? 賭けてもいいよ、気づかないって」

 「ほう、言ったな? なら気づいたら相応の物を貰おうか」

 「自信満々だねぇ、そのときが楽しみだ」

 からかうようなシオンの笑みに、慧音はただ自信ありげな顔を見せる。とはいえシオンにも自信はある。というか、里の人間の誰に聞いても同じ言葉が返ってくるだろう。

 ――いや気づかないって。絶対。

 それくらい慧音は、恋心に鈍感なのだから。

 「私が恋をしたら、君に恋愛相談をしてくれと頼むかな?」

 「それは勘弁してくれ。悩みを受けられるほど、俺はできた人間じゃあない」

 そうだろうか、と慧音は思う。

 慧音は今まで何度か恋愛相談を受けた事があったが、大小の違いはあれ、本質は似通った部分が多かった。

 そもそも『恋愛』とは当人達のものであって、相談されたからと言って基本部外者である人間がどうこういうべきじゃない。本当に必要なのは、背中を押してくれる誰か。

 大丈夫だよと、背中を押してあげる、勇気を出すための存在。あるいはさっさと告白しろと蹴り出してくれる、発破をかけてくれる人。

 その観点で見るのなら、シオンは前者が適任だろう。彼は嘘を言わないと慧音にはわかる。だからこそ彼の言葉には重みがあるし、それを聞いた誰かに安心感を与えてくれる。

 なのにその本人がここまで拒むのは――なにか理由があるのだろうか。

 「ああ、話していたら寺子屋についたか」

 と、もうそれくらい歩いていたのか。シオンは先日一度だけ中に入った小屋を目に入れた。やはり子供達を預かる場、里の中でも一際大きな家、そして広い土地だった。

 「…………………………」

 「どうかしらのか? 眉間に皺を寄せて」

 「――何でもない」

 シオンが見ていた方を見る。背中だけしか見えないが、十三か十四程の、肩にかかるまで黒髪を伸ばした少女。その横には、恐らく彼女の妹と弟だろう存在と手をつないで歩いている。遠目には彼女らの両親が見えた。

 その光景に、なにか思うことがあったのだろうか。慧音にはわからない。既に寺子屋の中に入ってしまったシオンに聞くのもはばかられる。

 少しはマシになったと思ったら、また気分が悪くなったのか。何となく、思う。シオンは運がないな、と。

 一度慧音が授業の準備をする部屋、というか単純に私室だが――通常なら職員室、というのだろうが、慧音一人しかいないため、もう私室同然なのだ――に入った。

 そこでまず行ったのは、シオンの知識量の把握。そこで出たのは、ある意味驚愕すべきことだった。

 数学や科学、歴史といった、暗記科目とでも呼ぶべきものは完璧。というより、慧音よりも理解が深いかもしれない。逆に国語――特に『この人物の心情を文章から抜き出せ、あるいは想像して書け』といった問題には極端に正答率が悪い。前者はまだしも後者は完全に不正解だ。

 チラとシオンを一瞥するが、シオンはただ困ったような表情を浮かべるだけ。本人としても、これが全力でやった結果なのだろう。

 「なんというか……これだけができないというのも、凄まじいな」

 「心情を考えろっていうのがどうしてもできないんだよね。他人なんて気にかけてる暇が無かったから、いくら考えてもわからなくて」

 そう、他人の感情がいくらか読めても、それで相手が何を考えているのかわかるはずがなく。気配りはできてもその中身がわからないのだ。

 しかも人間の心というのは複雑怪奇。つい一秒前に考えていた事とは一八〇度変わることすらザラだ。それでもなんとかなっているのは、一重に慣れ、経験という積み重ねがあるからこそ。気配りや相手に合わせることを知っているからこそ。

 だが――シオンにはほとんどそれがない。

 相手に合わせようにも嘘をつけないから難しいし、相手の考えを察せられるほど経験を積んでもいない。そもそも心情なんてわからない。

 「なるほどな。となると、国語の授業だけは私が受け持つしかないか」

 流石に説明できない分野がある科目を担当させるわけにはいかない。それでは『先生』がいる意味がないのだから。

 それでも、だ。

 「他の科目は満点だ。国語以外は任せよう」

 「それじゃあ、合格と?」

 「ああ。合格だ」

 ふぅ、と息を吐くシオン。以下に紫からの支援を受けられたとは言え、それだけに頼りたくないのがシオンの本音だ。そもそも唐突に支援を打ち切られる可能性もあるので、なるべく他のアテが欲しかった、というのがある。

 「今日は顔合わせ程度にしようか。あとは授業のサポート……副担任、とでも言おうか。それをしてもらいたい」

 「わかった。といっても、俺のやり方は多分、慧音の想像してるものとは大分違うだろうけど」

 「……?」

 不思議そうにしている慧音に、シオンは微笑を浮かべる。

 さて、シオンがどんな授業をするのか。それは最初の授業で、あっさりとわかることとなる。

 時刻は八時。この時点で幾人かの子供――生徒がまばらにいる。教科書やノートを取り出しているのを見る限り、真面目な部類なのだろう。誰よりも早く来ていたシオンを見てどうしたんだろうと言うような表情を浮かべていたが、すぐに席についていた。

 逆に十五分を過ぎてから来た生徒は、シオンに話しかけてきた。好奇心旺盛、というのを表すかのように眼を爛々とさせている。この様子では、シオンがやったことをよく知らないのだろう。知っていても理解できるかどうかは怪しい限りだが。話している内容は他愛もないもので、知らないことはやはりあったが、少しは親しくなれただろうか。

 そして二十五分、もう遅刻寸前という時間になってようやく最後の数人が寺子屋に来た。汗をかいているのを見るに、本当に時間ギリギリ、全力疾走で間に合わせたようだ。席はそれで全員埋まる。遅刻者はいないらしい。

 と、全員が席についたところで――もちろんシオンは座っていないが――慧音が教室内に入ってきた。ギリギリで入ってきた生徒の顔が強張る。

 「――ハァ。今日は遅刻者は無し。……ギリギリだがな。次はもっと余裕を持ってきなさい」

 『はーい!』

 頭が痛い、というふうに即頭部を押さえる慧音の心情など露知らず、反省している様を見せない子供達。だが腕に隠れた慧音の顔には笑みがある。よっぽど子供達が好きなのだろう。手間がかかるかからないを問わず。

 「さて、今日も授業を始める――と、言いたいところだが、その前に。今日からここで私と共に働くこととなる者を紹介する」

 慧音の言葉に、ザワ、と教室が揺れる。中には慧音に直接質問する子もいた。

 「先生先生! それってどんな人ですか!」

 「ん……そうだな。とりあえず、真面目だ。聞けば、知っている範囲ではあるが、何でも答えてくれるだろう。苦手分野もあるみたいだが、私よりも頭がいい。後は……」

 つらつらと良い点と悪い点をあげていく慧音。それに面白そうにしているのは大半が女子達で、逆に男子達は面白くなさそうだ。

 「あ、私もいいですか! その人って――女性? それとも男性?」

 シーン、と教室の誰もが動きを止める。だがその内容は正反対。女子は黄色い悲鳴をあげる一歩手前、男子は純粋な悲鳴をあげる一歩手前の状態だ。しかし慧音は気づかない。これで気づくようなら恋心に鈍感などと呼ばれはしない。

 だから、ただ簡潔に告げた。

 「男だ」

 そして、歓声。

 男子は全てに絶望したかのように項垂れている。その反応は、まるで。シオンですらわかるほどにわかりやすい。

 (まぁ、慧音は魅力的だしな。年上に憧れる年頃だし、憧れに近い淡い想いくらい抱いても不思議はないが……慧音。少しは気づいてやれ)

 女子はもう本当に面白いことを見つけたとばかりに慧音に質問している。だがそこは流石慧音、というべきなのか。

 「さぁ、皆落ち着け! そろそろ時間も過ぎる。一時間目の授業まで潰すわけにはいかないからな、簡単な自己紹介をさせてやりたい。……さ、シオン。名前と年齢、それから趣味みたいなことを教えてくれ」

 「わかった。ま、質問がなければ一分で終わるだろ」

 え? という言葉は、誰が発したモノか。

 生徒達全員の視線が、先程から教室の隅で腕を組んでいたシオンに集中する。それを露程にも意に介さず、教卓の横へ移動する。

 「さて、紹介に預かったシオンだ。苗字は無い。シオンと呼び捨てにしてくれ。歳は九。この中にも年上はいるだろうが、一応教師として接し……なくてもいいか。趣味は鍛錬。質問は?」

 とはいったものの、誰も彼もが驚きで固まったままだ。予想したものとは随分と違うその姿に、硬直している。

 「質問は無いみたいだな。シオン、授業を始めようか。一時間目は歴史だから、私がやっても構わないか?」

 「ん? ああ、いいけど……」

 ――妙に嬉しそうだな、という言葉は言えなかった。

 それくらいに迫力があったのだ。ここでは慧音が一番上なのだから、わざわざ聞く必要もないだろうに。

 横目で今になって質問しようとして、でも慧音の様子を見て何も言えなくなっている男子生徒が哀れだった。

 ――授業は滞りなく進んだ――と言えたのなら、どれほどよかったか。困ったことに、歴史の授業で寝てしまう生徒が教室の約三分の一に上る。これが単純に生徒のせいなら、シオンとしても文句を付けられたのだろうが……。

 「さて、それでは次の内容に移る。経歴七九四年、この時代は――」

 つまらないのだ、物凄く。慧音の授業が。

 別に下手なわけではない。それどころか理路整然としてわかりやすく、理解しやすい。……が、それはあくまでシオンからの話。

 慧音の授業を簡潔に説明すると。一から十まで全ての内容を説明し、黒板に書き、そして次に行く。――わかっただろうか、このつまらなさ、そして何より大変さが。

 一から十まで説明する、それはいい。だがその大前提として――覚えなければならないのだ。その()()を。

 慧音がやる説明には抜かしていい場所がない。つまり()()()()()。一番覚えなければならない部分がない。だから全部覚えるしかない。

 それゆえ子供達は大別して三つに分かれている。眠気に負けて眠っている者。ここに区別されている者はどの授業でも同じ行動を取るだろう。先ほど言った三分の一、その半数を下回るくらいの人数がここに入る。

 次に、これが大半となるが、眠っている者と、起きてはいるがほとんど何も書いていない者。これは前者が全てを諦めていて、後者は()()()()()()()()()()()()書いているだけの者。やらないよりはマシ、くらいに考えているのだろう。シオンとしてもそれはしょうがない、とすら思う。

 最後に、シオンの見る限りでは数人程しかいないが、一生懸命頑張って、一から十まで全て書いている者。それでも全てを書くのは並外れたことではなく、書けなくて涙目になっている子までいる。

 (慧音、流石にこれは……無い)

 シオンが余裕でいられるのは、完全記憶能力があるからだ。それがなければこの授業、やる気など失せる可能性が高い。それ程までにつまらない。面白味がない。

 想像すればわかるだろう。ここからここまで全部覚えろ。覚えたらここからここまで。その繰り返しだ。……やる気が出るか? 普通は出ない。

 「では――と、その前に、眠った者を全員起こそうか」

 ピシリ、と教室中が、先ほどとはまた別の意味で凍りつく。その中には、今にも泣きそうになっている子までいた。シオンはこれをよく知っている。恐怖、という感情を。

 「慧音、待て」

 だからこそ、シオンは止めた。一言物申すために。

 「シオン? なぜ止める。私は寝ている子達全員を起こそうとしているだけなのだが」

 「……起こすためにここまで恐怖するか?」

 ボソリと呟いたが、慧音には聞こえなかったのだろう。どこか不機嫌そうにしている。

 「理由が無いのなら、授業妨害になる。いくらシオンといえども――」

 「つまらない」

 またしても、全員が固まった。今度は慧音を含めて。

 「学者に説明するんだったらいい。でも事前知識が全くない子供達相手にこんな説明しても無意味だ。というか理解すらできん。眠っても当然だろう。頑張ってる生徒にはわるいが……全部、無駄だ」

 何か見えない矢印が慧音に突き刺さっているような気もするが、気のせいだとシオンは断した。

 「まぁやるのは別にいい。知識があればわかりやすいしな。だがやるならせめて、ここは覚えておいたほうがいいとか、もっと直接的にここは試験に出す可能性が高い、とか伝えておけ。そうしないとノートを取る気すら失せるぞ。数人は自業自得だが、眠っている残りは慧音、貴女の授業内容に問題があるからだ」

 「わ、私は間違っていたのか? 何百年も、こんな事を……」

 ……少し、やり過ぎたか。慧音が落ち込んでいるように見える。フォローを入れておこう、と思ったのは、シオンの心境の変化か。常ならここで放っておくだろう。

 「歴史が好きなのはわかる。話したいのなら俺が付き合おう。だけど子供達には、もっと楽しく授業を受けさせてほしい。それも教師の役目だろう」

 「う……そう、だな。歴史を理解するには、正しい歴史を最初から学んでいく必要がある。そう思っていたから、こんな事を……」

 今更ながら思い返せば、歴史だけは妙にテストの点数が悪かった。その度にもう少し歴史の授業の時間を増やすか、と思って増やしたり、それでもダメなのに頭を捻って、もう少しわかりやすくしようと努力して……要するに、ドツボにハマっていたのだ、慧音は。

 「今回は俺が授業を受け持つ。それでいいか?」

 「ああ。私もここから変えるのは無理そうだ。アドリブは苦手でな」

 意外、というと失礼ではあるが、慧音はあっさりと引いてくれた。だがその横顔にはどこか憂いがあって――そして、それに見蕩れている数人の男子。

 ハァ、とシオンは溜息を吐く。それから全員を見渡し――パン、と手を叩いた。静かに響くその音。普通なら何も起こらないが――シオンが何の用意もなく手を叩いたはずはない。

 『氣』が込められたその音にほんの少しの殺意を加え、眠っている子供達の生存本能を揺らす。

まるで絶対的な死を与えてくる相手に出会ったかのような恐怖。だが目が覚めると、そこはいつもの教室で――そして他のクラスメイトが自分達を不思議そうに見ている事実。

 シオンが殺意を向けたのは、眠っている者達にのみ。それが原因で、起きていた子供達は突如として全員が一斉に飛び起きたのを不思議そうに見ているのだ。

 「それじゃ、これからは慧音に変わって俺が歴史の授業を進める。さ、ノートを開きな。まずはさっき慧音が進めていた部分で重要なところを教えようか」

 やはり、というべきか、シオンが進めていても眠ってしまう者はいた。それはしようがないことなのだろう。全員に『そうであれ』と強制するのは傲慢だ。だからシオンも放っておいた。

 授業が終わる寸前になると、シオンは教科書を閉じる。仮に無くても全ての内容は覚えてあるので問題ないが、やはり生徒達の手前、繕う必要はあった。

 もう一度眠っている全員を同じ方法で叩き起こす。二度目になると、それが何なのかわからずともどういった効果なのかはわかるらしい。どこか畏怖の視線を向けられているが、シオンは気にしない。

 「授業終わりになるけど、一つ伝えておくよ」

 そこで一度区切り、全員が聴いている事を確認する。

 「別に真面目に俺の授業を受ける必要はないよ」

 そんな、正気を疑う言葉をシオンは言う。畏怖の視線が今度は不可解なモノを見るような眼に変わっているが、全て無視。

 「今やっている授業、その全てが無駄とは言わない。でも大半は無駄だ。計算なんて四則演算ができればそれ以上を習う必要なんてほとんどないし、文字もある程度読み書きできれば覚える必要はない。歴史も過去の偉人がやったことであって、自分達には関係ない。その他の教科なんて言うに及ばずだ。だから、言わせてもらう。()()()()()()()()、と」

 実際、シオンは生きていく上でそれら全てを必要としていなかった。今ではこの場にいる全員より――慧音を相手にすると一部分が悪いが――も頭がいい。知識もある。

 が、それら全てを使うのかどうかと言われると――否定するしかない。

 「最低限を覚えておけば将来的には十分だ。それが理由。わかったか?」

 一瞬の静寂。だが一人二人と理解していくと、やがて拳を振り上げて喜ぶ男子が出てきた。明日は何をして遊ぶかと相談している女子もいた。

 それでもシオンは何も言わない。やがて静寂が一転して喧々轟々となる。

 「まあ――それで騙されて後悔しても、知らないけどね」

 冷水が飛んでくる。それはシオンの冷徹さを証明するようで、騒いでいた者全員の心胆まで寒からしめた。

 「ど、どういう意味だよ、シオン」

 と、そこで先ほど真っ先に拳を振り上げていた男子が質問してくる。

 (名前がわからない……そろそろ聞かないとマズそうだよなぁ。予定も狂ったし)

 シオンの本音としては、一時間目の授業で慧音が誰かに問題を答えてもらう、といったようなことをした時に覚えるつもりだったのが、まさか全員置いてけぼりで進めていくとは思いもよらなかったのだ。

 現時点ではそこまで覚えなくてもいいため、とりあえず今の質問に答えておく。

 「さっきも言っただろう。最低限覚えればそれでいい、と。だけどそれは、最低限のことにしか対応できないことになる。騙されたとしても、それがわからない可能性がある」

 シオンが騙されずに済んだのは、人と接さないでいたこともあるが、何より『嘘』を見抜く観察眼に長けていたことにある。同時にシオンは、普通の子供はここまでおかしくないことをよく知っている。だからこそ学び、知り、備え、生きていかなければならない。

 「お前達は今楽をして将来『かもしれない』未来を潰すか。あるいは今ある程度頑張ってこの先を生きるか。お前達が、自分で、決めろ。俺はやろうとしない奴に俺の時間を使うつもりは全くない。ここは学びたい者が来るべき場所だ。他は知らん」

 ――これが、シオンの教育方針。全てに平等に教えようとする慧音とは正反対の考え方。

 いや、そうでなくともこの考え方は異端だろう。それくらいは理解している。だがこの考えを曲げるつもりなど、サラサラなかった。

 「……シオン、流石に言い過ぎではないか? そのやり方では給料を払うどころか、最悪クビになりかねないぞ」

 「それならそれで仕方ないと諦めるさ。俺は波紋を生んだだけ。それに」

 「それに?」

 「いや……なんでもない」

 命を賭け金に学ぶよりはマシだろう、なんて言葉。慧音に言えるはずがなかった。

 その後も一応シオンが授業を受け持った。シオンもやはり天才の部類に入るのだろう。意欲はある、だがどうしてそうなるのかがわからない生徒の『わからない』部分を理解し、丁寧に、『その生徒にとって』わかりやすく教えている。

 逆に意欲がない生徒に関してはほぼ無視に近い。黒板と説明だけ聞いてろ、と態度で示しているのだ。そんな生徒には慧音が対応していた。

 一日が過ぎるのは早いもので、もう昼食時。どうやらこの寺子屋では弁当を持ってくるのが基本のようらしく、生徒達が各々の弁当を取り出し、食べていた。

 「シオン、私達は戻ろうか」

 慧音は教員らしく、自室で食べている。誘われれば一緒に食べもするが、やはり年齢差を意識してか遠慮がちだ。この日もそうだった。

 「あぁ……いや、その」

 しかし予想に反してシオンは苦虫を噛み潰したかのような顔を浮かべている。何かイレギュラーでもあったのだろうか。二人は並んで教室を出た。

 「実は……弁当を、持ってきてないんだ。個人だとは知らなくて。どこかで食べる場所は……あっても無理か」

 重い口を開いて出てきた言葉は、どうしようもないことだった。持ってきてない、それだけなら他にも手はあるだろうが、シオンの場合はそれすらままならない。一人で外出すれば、里の人達の恐怖心はパニックへと繋がるだろう。

 「……仕方ない。今日は諦めるよ。自業自得だしな」

 「そう、か。いや、それなら作るか? 幸い材料はある。一食くらいであれば構わないが」

 「いいのか? わざわざそんな」

 「構わない、と言っているだろう? それに一人の食事は味気ないものだ。話し相手になってくれると助かるのだが」

 「わかった。ありがとう、慧音」

 「そう手間取ることでもないさ。今度は君の料理でも振舞ってもらおうかな?」

 「そんなのでいいのなら、約束しよう。近いうちにな」

 「ふふ、それは楽しみだ。美味しいものを期待しているよ」

 慧音の料理は世辞抜きで美味しいものだった。つい心の中で、これはハードルが高いな、と思わせられた程だ。

 食事をしている途中、慧音が眉を寄せて言って来た。

 「シオン、やはりあの教育方針は間違っていると思うんだ。意欲があっても着いてこれない子には優しいが、やる気が無い子をあっさりと見捨てすぎだろう」

 「そこは理念の違いだろうな。俺はやる気が無ければ意味がないと思っている。ほら、よく言うだろう? やる気があればなんでもできる。あれは言い換えれば、やる気がなくては全て意味がないってことだからな」

 「それはいくらなんでも極端すぎる。やる気をだそうにもそれを奪われている子だっているんだぞ。そういった子はどうするんだ?」

 「多少、説得はするかもしれないが、それくらいだろうな。本人の意識が変わらなければ意味はないし」

 シオンは意欲があるのならどこまでも付き合うという意思があるし、それを実行できるだけの力を持っているつもりだ。

 だが根本的に意欲がない人間にどうこうするつもりは欠片もない。

 「俺は今まで見てきたよ。生きたいと願った人間も、死にたいと願った人間も。色々見続けてきた。腐るほどに。そして諦め続けた人間が――腐っていくサマを。努力した人間が折れて狂うサマを。俺は――ただ我武者羅に生き続けた人間だ」

 一人で努力した。共にいた人間もいたが、全員いなくなって。その中で知ったのは、簡単な事実だった。

 「()()()()()()()()()()()()。だったら俺にできるのは、精々()()()()()()()()()ことだけ。でも、伸ばそうとすらしない人間は……見ていて反吐が出る。それがどれだけ幸せなのか、知りもしないくせに」

 吐き捨てるように言うシオン。

 教えられることは、どれだけ恵まれているか。こんな暖かい人に教えられるのが、どれだけ幸せなことなのか。

 それを理解しないのが――そしてそれを理解できるだけの環境にいなかったことが、酷く羨ましく思えて、苛立ってしまう。

 それを何よりも望んでいた人達は、皆死んだから。

 「それでも――君の教育方針は、行き過ぎている」

 「努力している人は好き。努力してない人は嫌い。それだけのことだろう。だったら分けてしまえばいいだけだ」

 「分ける……? 何が言いたい」

 「俺が努力している人の背を伸ばして、慧音が努力していない人の尻を叩く。そうすれば、完璧だ」

 言いことを思いついた、というように笑うシオンに、慧音は肩の力が抜けてしまった。

 「シオン、まさかだとは思うが、はじめからそれが目的で……?」

 「さぁてどうなのかな。今言ったのは全部本音だよ。本当にあったことでもあるし。どう思うかは慧音次第だね」

 「やれやれ。こんな小さい子に手玉に取られるとは、私もまだまだか」

 「揺さぶりをかけられれば誰だってこうなるよ。俺でもね」

 と、シオンは食後のお茶を淹れる。茶葉が違うため多少苦労したが、その内容は霊夢のやり方を覚えている。

 「ほれ、お茶」

 「ああ、ありがとう。……ふむ、少し味が抜けているが、上手いな」

 「そりゃどうも。茶を淹れるのは初めてだから、緊張したよ」

 少しだけど、と言ってシオンは笑う。その言葉に驚いた慧音だが、その驚きを伝える前に時間になってしまった。

 グイッ、と一気に飲み干し、湯呑を流しに置く。そして急いで午後の準備をし、部屋を出た。

 「給金については様子見だ。覚悟しておけ」

 「……りょーかい」

 もう苦笑いしか浮かばない。

 自分のせいだとわかっていても、どうにかならないかな、と思うシオン。そんなシオンに、慧音はデコピンをおみまいしてやった。




次で戦闘にするつもりが長引きすぎて次々回? に。

よーやっと出せるよ。次回ラストに期待してください。
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