「道中話した通り、巻き戻ってる可能性が増してきたな……しかもこの結界。咲夜が意図して巻き戻してるって可能性も無くなった。
目の前にある結界。幻想郷を覆う大結界を管理・維持する一端を担う霊夢にも、その役目がなんとなくわかった。
「つまりこの結界がシオンの言う『巻き戻り』と、本来不可能なはずの事象を可能にした
「付け加えれば、この結界そのものを隠蔽する効果も付与されてたっぽいな。多分フランの言ってた『違和感』を破壊した時にそれごとぶっ壊れたんだろうが」
更にこの結界、通るのも出るのも自由だ。行き来するのを阻害されないから結界の存在自体に気づかないが、内部はイカれていてまともに移動できないため、すぐに外に出る。
しかも前例として迷いの竹林があるからあまり不自然に思われない。
「森を覆うようにしているけど、上空を飛んでいく分には問題ないみたいだしな」
「それじゃ飛んでいく? ここまで来れば早いでしょ」
「……やめた方がいいな。上から入ると、恐らく全く別の場所に出る。外見と中身が一致していない、って感じか」
「シオンならどうする? 私、こういう結界系はまだ習ってないからわからなくて」
眉を寄せたフランが聞いてくる。シオンの答えは、
「一番手っ取り早いのは、白夜で結界を叩き斬って消滅させ――」
「それはダメェーッ!!」
どこから取り出したのか、既に持っていた白夜を振りかぶっていたシオンをタックルして無理矢理止めさせる。
「シオンの白夜って、確か『絶対切断』だったよね!? 紅魔館ごと斬っちゃったらどうするつもりなの!?」
あたふたと取り乱し叫ぶフランに、だがシオンはきょとんとした様子で言う。
「手加減はちゃんとするぞ? 今出せる最大限もわかってるから、後は調整すれば」
「それって試したことないんだよね! 空からもそれもダメならここから行こう! うん、それがいいよ!?」
と、シオンの手を掴むとフランは足を前に出す。紅魔館を壊されてはたまらない、と全身で表現していた。
「ちょ、入るのはやめた方がいい! 危険だから――」
「シオンの考えの方がよっぽど危険!」
フランにはもうシオンの考えは届かない。説明する順番を間違えた、とシオンは顔を顰めるが、もう遅い。
「……シオンって、案外天然?」
一人残された霊夢はそう呟くと、肩を竦めながら二人の後を追った。
「絶対入るのはやめた方がいいんだがなぁ」
そうボヤくのは渋々フランの後ろを歩くシオン。そのフランはシオンの言葉を聞きつつも、当然のように無視していた。
「ところでシオン。紅魔館にいる人? 達って、どんな能力を持ってるの? あと戦い方」
霊夢はしょうがないと、この雰囲気を変えるためにシオンに話しかける。シオンは霊夢の方に顔を向けつつ、何故か視線は鋭く周囲に目を回したまま答えた。
「そうだな。まず一番強いのは、当然といえばレミリア。槍を扱う吸血鬼。能力は『運命を操る程度の能力』だな」
「私のお姉様で、尊敬する人」
「へぇ。聞く限りじゃ能力は扱いづらそうだけど、実際どうなの?」
「さぁ? 俺は彼女じゃないからな……どの能力も使い方次第だし」
「私もお姉様の能力はよくわからないかな。ただ、ある種の観点から見るとすっごい能力になるって事くらい? 自分で言っててよくわかんないけど」
二人の回答は随分あやふやなモノ。ただ、レミリアの能力は本当にわからないのだからしかたがない。
霊夢もそう思ったのだろう、内心で溜息を吐いた。
「……参考にはならなそうね。いいわ、私の眼で見て判断するから」
「そうしてくれ」
それから周囲の探索に注視する三人。こう深い森の中では、視界を頼りにすると奇襲されかねない。紅魔館にいる誰かが、あるいは迷い込んだ妖怪が……すぐそこにいて、隙を窺っているのかもしれないのだから。
だからこそ、気づくのが遅れた。
ピシリ、と、何の前触れもなく、フランの頬が裂かれたのが。
「……え?」
「フラン!」
咄嗟にシオンがフランの首の裾を掴み、自分の方へ寄せる。一瞬首が締まって息が詰まるが、視界の端に見えた木が音を立てて倒れたのを見ると、文句も言えない。
「ちょ、何よあれ!?」
「言ってる場合か、逃げるぞ!」
そう言われて足を回そうとするが――
「んな、シオンあんた、何してんのよ!」
「舌噛むぞ、黙ってろ!」
いきなりシオンが腕を腰に回すと、そのまま脇に抱えるようにして走り出したのだ。
「私達は荷物じゃないのよ!?」
「だったら貴女達は
顎を向けて方向を示す。
そちらを見たフランと霊夢は――絶句するしかなかった。
周囲の探索は続けている。にも関わらず、木々がバッサリと斬られていくのを、その力の前兆を全く感じられない。その事実が、二人を驚愕させ、動きを止める。
「っとぉ!」
『きゃあ!?』
いきなりスライディングするシオンに、二人は驚きの悲鳴をあげシオンを非難する。だがシオンがスライディングで通った瞬間陰ったのがわかって、文句を言えなくなってしまった。
視界の端に倒れ落ちる木を見ながら、それでも霊夢は文句を言った。
「足、地面にぶつけた。――あんた、どうして避けられるのよ?」
「あそこで動きを止める方が危険だ。……まぁ、予測できてたからな」
トン、トン、と小刻みに足を動かし、右、左、たまに動きを止め、と移動していく。
「予測? 正直空間系は把握できない側からすれば訳がわからないのよ。ちゃんと説明してくれるわよね?」
「わかってる。つっても、俺もそこまでわかってる訳じゃないけど……」
シオンは白夜を扱い、その力を振るっているが、扱いこなせているとは言い難い。前に別次元の計算を行ったが、正直もうやりたくないくらいだ。
二人と違う点があるとすれば、何度も白夜で空間を切り、繋げてきたことによって空間が震える前兆を察知できるくらいだ。
付け加えればこれは単なる『自然現象』でしかない。二人が察知できないのはそれが理由なのかもしれない。
「言ってしまえば、ここは中身が変化する迷路なんだよ。それが一定ごとなのか常に変わり続けているのか、それはわからない。だけど、フランはその一部を『壊した』んだ」
「それがどうしたのよ?」
「端的に言えば、欠けた材料を補おうとしている。その結果がコレだ」
「つまり……足りないものを補おうと継ぎ足していってるけど、無いものはどうしようもない。それが再現なく繰り返されてるせいで、無限ループ状態に陥ってるってこと?」
「そういう――ことだ!」
前後左右がいきなり空間に飲み込まれる。その場でジャンプ、空気を踏みしめて逃げるが、一歩遅ければ『飲まれて』いた。
「とにかくここから出る! しっかり捕まっ――」
加速しようとしたシオンは無理矢理急停止する。目の前が空間を切り裂いていくのを眺め、元に戻った瞬間を待とうとし、
「っそがぁ!」
いきなり斜めに急加速。だが一瞬後にはガクリ、と動きを止める。
「シオン!?」
フランは驚きの声を上げる。だがそれは非難によるものではない。どこからどう見ても今の動きは不自然だった。
だが脇に抱え込まれているせいで後ろが見えない。
しかしブチッ、ブチブチブチ、と『何か』が千切れるかのような音が聞こえてくる。それは布か何かが破れているようで――
「ッッ!!!」
シオンは歯を噛み締めると、一歩前に出す。すると、今まで動きを止めていたのが嘘のように加速する。
フランはシオンの腕に捕まって後ろを見る。見えたのは、ユラリと揺れる――白い、束。数本どころではない、大量の、『束』だ
(アレは――髪の、毛?)
それも、ついさっきまで見ていた誰かの髪。フランの視界には見えない。だが、わかる。それがシオンの髪だということが。
と、何か赤い液体がフランの頬を叩く。それが血だとわかってしまうフランは、シオンに声を掛けようとして――
「シ――」
霊夢に止められた。声には出されていない。だが足を蹴られて、そちらを向いて顔を横に振られたことでわかった。
だからフランは、話を変えた。
「外に出るまで大丈夫だと思う?」
「ん? まぁ足が千切れたりしなければ行けると思うが。でもちょっと予想外だったなぁ」
「予想外?」
「……。フランは気にしないでいいよ」
間を空けてシオンは答える。
本当に予想外だった。まさか空間の揺らぎが二種類あるなんて想像できなかった。
発動は遅く、だが刹那で『切断』する方と、発動が早く、段々と圧縮してくる『拘束』する方。その二つは全く性質が違うが、だからこそ恐ろしい。拘束されている時に切断されれば、最悪避けられもせずに即死する。
「出口まで後数分くらいだから、全力で行く」
最後の最後で油断したりはしない。
ただ全力で、シオンは走り抜けた。
(い、っつぅ……)
既に能力を使用して元に戻っている髪に触る。だが幻痛というのは予想以上に後を引くものだ。どうしても抜け落ち血が流れた部分を触ってしまう。
「命があるだけ儲けもん、か」
「何か言った? シオン」
「……ちょっとね。で、他に案は思いついたのか?」
「ぅ……」
思いっきり話を逸らしにかかるが、フランは言い返せない。シオンの案を没にした結果ああなって、それなのに時間を貰っているのだ。反論できる身分ではない。
「ところでシオン。あんたなんで入る前から危険だってわかってたのよ?」
そしてなぜかこのメンバーの
「半分勘。でもこの結界、能力の増幅、結界自体の隠蔽の他にも、絶対に攻略されないように内部を弄ってるみたいだから。それでフランが変に『破壊』したなら色々おかしくなってるんじゃないかって。まさかあそこまで酷いとは思わなかったけど」
「ならどうしてそれを言わなかったのよ? 言えばフランもわかってくれたと思うけど」
「通れればそれが一番よかったからさ。無理だったけど」
「……シオン、ヒントお願いできないかな?」
自分で考えるべきだとわかっている。わかってはいるが……シオンの頭の中身がさっぱり予想できない。
「ヒント、ねぇ。んじゃ、記憶が巻き戻っているレミリアは、フランが外に出ることを極端に厭んでいる。フランが外に出ればすぐに追ってくるくらいに。そのレミリアが追ってこない、というより
「……もしかして」
先に気づいたのはフラン。途中で答えに手が掴みかかっていたようだが、『来れない』という部分で完全に悟った。
多分、幽閉されていたフランだからこそ先にわかったのだろう。次いで霊夢が理解した。
「答え合わせ、いい?」
「どうぞ」
「この結界は内部を狂わせた結界。しかも私が一部を壊したせいで異常なまでに危険な空間になっている。それが私達をここで足止めしている堅牢な『砦』になっている。ここまではいい?」
「ああ。大体俺の予測通りだ」
「次は私ね。私達が通れないほど危険な『砦』。ってことは、逆に内部に居たまま出られないレミリア達にとっては、鍵のない『牢獄』になる」
入れず、出られない。それはある種の観点から見れば重要な要素だろう。だが、誰もが通りたいのに、外にいる誰かも中にいる誰かも通れないとなると、その要素は途端に逆転し、両者にとって邪魔にしかならない。
「で、シオンがやろうとしていたのは『白夜』を使ってこの邪魔くさい結界を根本から吹き飛ばそうとしていた――ってトコまではわかったわ」
霊夢としてはここから先があまり想像できない。身内がいない、そして『襲撃されたことが一度もない』霊夢にとって、想像の埒外なのだろう。
フランもそれは同様。外に出たは出たが、この結界のせいで外から紅魔館に来た人間はシオン以外皆無。そして霊夢よりも経験不足が祟って、こういうときの対処がよくわからない。
「襲撃されたと勘違いされる。――反撃にあうってことだよ」
もしもそのまま通れれば、こちらが紅魔館に来たことを悟られず、優位に事を進められる。逆に白夜で余計なモノを全て吹き飛ばして突き進めば、敵襲が来た上に自分達ではどうしようもなかった結界を吹き飛ばせるだけの力を持った『何か』が来たと思う。
「でも実際はこっちに敵意は一切ないから、殺してしまうような『全力』は出せない。あっちは死ぬかもしれないからと、それこそ文字通り死ぬ気でくるだろうけど……」
誤解を解くのも難しい。もし彼女達にこちらの言い分を通したければ、
「一回ぶん殴って冷静に――いや、拘束しないと無理だろう」
ちなみに頭に血が上って全く聞いてくれない可能性もあるのだが、それは割愛する。
「他に聞きたいことは?」
「一応、シオンの言い分は理解したわ。私はそれでいいけど」
即答するのは霊夢。彼女はシオンとフランの手助けをするために来ただけ。
残るはフラン。一瞬だけ納得していない顔をしたが、やがて小さく頷いてくれた。
「私は……お姉様たちと戦うのはイヤ。でも、この中を突破していくのは、私のわがままだってわかってる。だから、いいよ。一回戦う。お姉様たちと」
「そうか。――ありがとう」
実を言うと、もう一つだけ案がある。だがそれは危険すぎる。だからそちらだけは絶対に選びたくなかった。
「ここから強行突破だ。急いでいくぞ」
「うん、わかった」
「ま、そうするしかないわよね」
胸中の安堵を隠しつつ、シオンは白夜を持つと天上へ掲げる。
「じゃ、ちょっと余波が行くかもだから、地面を踏みしめていて」
え? と疑問を問う前に、シオンは力を使っていた。
何の前触れもなく光が溢れ、瞬時に白夜を照らし出す。その光が刀身に薄くぴったりと覆うようになると、そのまま片手で振り下ろした。
無音。
『絶対切断』の名の通り、音すらなく結界を破壊し、木々と地面を抉る。そしてその衝撃波が紅魔館に当たる――直前で、消え去った。
「よし、予想通り。んじゃ行くか――ってどうした?」
唖然として口を開いている二人に、シオンはなぜそうしているのかわからないというように首を傾げる。
力の放出、凝縮、収斂、そして解放。その一連の動作が淀みなく行われ、それでいてミスが全く無い。しかも調整自体が『はじめて』なのだ。いくらなんでもおかしい。絶対おかしい。
フランは今までの経験から、霊夢は持ち前の勘から、そう告げることはしなかったが。
(おかしい……絶対におかしい)
天才型の二人でも、そう思うしかない。シオンは天才というより天災だった。
「行こうか……霊夢」
「そうね、時間の無駄だし行きましょう……フラン」
「――え、あれ? 俺無視って酷くないか?」
自分を置いてさっさと走っていく二人を、複雑そうな表情をしながらついていく。
ちなみに二人の判断は正しい。仮にできたところでシオンは「できたんだからそれでいいじゃないか」としか返さないだろうし、ニュアンスを汲み取ってくれない。
二人はシオンがミスを『した』からおかしいと思ったのではなく、ミスを『しなかった』からおかしいと思ったなどとは……想像すらしないのだ。
(できないよりはできた方がいいだろうしなぁ)
失敗したら即死亡の人生を送ってきたシオンにとって、やはり誰かの常識というものがさっぱりわからなかった。
言葉は交わさず、だが各々の考えは理解しながら走る。全力疾走は愚行。周囲の探索が出来る程度に、疲れず、適度な速度で。
元々シオンの気配探知範囲はこの幻想郷でもかなりのモノ。ちなみに霊夢やフランとは違い、周囲の音などをあてにしているためあくまで素の能力でしかない。咲夜の場合は暗殺者特有の気配を覚えていただけ。相応の自信があった。
だから――油断していた、のかもしれない。無意識で。
「ぐぁ――!?」
真横から飛んできた――否、跳んできた、
「シオン!?」
「待ちなさいフラン!」
慌ててシオンを追おうとしたフランを咄嗟に押し飛ばす。そして押し飛ばした代わりにフランの居た場所に移動した霊夢は、何かが跳んできた方向とはまた違う場所から来たナイフに刺された。
「あ、あ……霊夢! 霊夢、大丈夫!」
やられた。フランはシオンを想っている。それが隙を生み出し、狙われたフランを庇った霊夢が攻撃を受けた。
自己嫌悪に襲われるフラン。だが、こんな時だからこそ、フランは霊夢を背負うと即座に移動を開始した。
(シオンなら……シオンなら、きっと大丈夫。だから、ごめんなさい!)
助けに行きたい。でも霊夢を見捨てられない。だから、フランは信じた。シオンの強さを。彼ならきっと、どうにかなると。
その選択が正しいのかどうか――フランは知らない。
「い、っつぅ……。腕はまぁ、大丈夫か」
吹き飛んだシオンは、全身――特に腕と背中の痛みに顔をしかめる。
(防御が遅れてたら死んでたぞ、完全に)
運が良かった、としか言えない。シオンの動体視力が高速で迫る弾丸を捉え、それ故両腕でガードしつつ後ろに跳び、しかし相手の勢いはそれ以上でそのまま吹き飛ばされた。背中が痛いのは、吹き飛ばされる道中木々を薙ぎ倒していっただけの話。
あの勢いなら背骨が折れても不思議ではないのだが、そこは黒陽の出番。ほぼ咄嗟に背中に壁を展開、背中を防護した。多少の衝撃はあったが、許容範囲だろう。
「黒剣技覚えといてよかった……」
ボヤきつつ、シオンは黒陽を剣の形にしつつ目の前に降り立つ彼女を睨む。
「随分とした挨拶じゃないか。なぁ――美鈴?」
「攻撃は斬撃。そしてあなたは剣を持っている……問答無用です。紅魔館に矢を放ったこと、後悔しながら死んでいただきます」
「話は通じない。当たり前か」
「ゴチャゴチャ呟いている暇でも?」
気を利用した気功波。美鈴の技術がイコール気功波の威力となるそれ。元々遠距離攻撃が苦手な彼女が唯一得意とする遠距離攻撃。
極々当然のように避けるシオンだが、美鈴とて牽制目的でしか放っていない。むしろ当たったら驚きだった。
避けて避けて避け続ける。単なる正拳突きだが、それを突き詰め続けた美鈴のそれは神速。マシンガンのような速さで、弾速はシオンの知るそれより遥かに上。美鈴が体と目の動きをアテにして動いているが――それがバレれば即座に対策を取られるだろう。期待しすぎるのはマズい。
「――こんなところでしょうか」
と、ある程度放ち続けた美鈴は唐突に動きを止める。訝しむシオンに、美鈴は朗らかに言った。
「さっきは狭すぎましたからね。これで少しはスッキリしたと思います」
美鈴を視界に収めつつ、シオンは納得する。まるでリングのようにある程度の広さができあがっている。先ほどの無駄に近い牽制はこれが目的だったのか。確かに先程まではかなり狭かった。それを考えればこうしたいのもわからなくもない。
(とはいえ、それはあんまり関係ないんだけど……)
どちらかというと、シオンに逃げられるのを厭んだのかもしれない。これくらいの距離なら彼女は絶対に見逃さないのだろうから。
そろそろ行くか、と体に力をこめる。そしてグッと足を踏み入れ、まずは軽く様子見の突きを入れ――美鈴が右に避けるのを見たシオンは即座に薙ぎ払いに移行する。
「――え?」
……やはり、油断が先行していたのかもしれない。
軽く入れた突きは、即座に軌道を修正できるようにしている。横に避けたら薙ぎ払い、しゃがめば振り下ろし、後ろに避けたら仕切り直し。だが――このような返しをしてくるとは、夢にも思っていなかった。
薙ぎ払う寸前、ほんの一瞬だけ速度が緩んだその刹那を、美鈴は捉えた。左手の二本の指で刀身をはさみ受け止め、瞬きすら許さぬ内に内側へ引っ張る。
自然体が前のめりに浮き、強制的に脱力されるシオンの右腕。そしてその腕に、美鈴は自身の右腕の肘を振り下ろし、右足の膝を打ち上げ――。
「うがあああああああああああああァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!?」
ゴキリ、という音が何重にも響き渡った。
「ハァ、ハァ、ハァ、ッ、ハァ――」
息を荒らげ、一瞬喉元にせり上がった違和感を飲み込み、また走る。
逃げ続けて既に数分。たったそれだけの時間で疲れるほど吸血鬼は柔じゃない。では何故これ程の疲労を負っているのか。それは、相手が問題だった。
(咲夜の能力――相手にすると、怖すぎるよ!!)
前方から来たかと思えばもう後ろから、次の瞬間右に、左に、挙句の果てには上から下からと、どこから投げているのか疑問に思う方向から飛んでくる。しかも一度は目の前にナイフがあったりしたこともあった。
どこから来るのかわからない攻撃。それが想像以上にフランの集中力を奪い、精神を疲弊させていく。
「これが……反対だったなら」
シオンの能力は咲夜に対して絶対的な効果を発揮する。しかも暗殺者との戦闘が得意だったシオンはそういった対処法を知っているはず。
逆にフランと霊夢はどちらかというと中衛、後衛であり、前衛はできるが前者に比べればお粗末だ。そして近接格闘が得意――というかそれしかできない、というべきか――な美鈴との相性は良すぎるくらいにいい。
が、理想は理想でしかなく、現実は非情だ。
「ぃ、ッ、ったいわ、ねぇ……」
グチャリ、という音が、背中から聞こえてきた。ついで暖かい、見知った温度。
「まさか、霊夢――」
「ええ。足手まといはゴメンよ。私だって戦えるんだから」
無理矢理ナイフを引き抜いたのだ。それがどれだけの痛みを発するか――想像に難くない。
「私はこれでも巫女よ? まともに修行してない不良巫女だけど……少しくらいなら、治療とかそういった関連も学んでいるのよ」
妖怪退治が本業な『博麗の巫女』ではあるが、妖怪によって傷ついた人を癒すために、最低限の応急処置ができるようにしている。
まさか自分にすることになるとは……と思っていると、何となくで霊夢は針をぶん投げた。
「霊夢?」
「……ッチ、外した。痛みの代償にしちゃ軽すぎね」
舌打ち一つ、体に走った激痛を我慢しながら呟く。
「え、えっと……咲夜の位置、わかるの?」
「わからないわよ? 単なる勘だし、アテにしないで」
「……あ、そうなんだ」
一時的に攻撃が止んだのを考えるに、当たらないにしても当たりかけたのだろうが、それがただの勘とは恐ろしい。
『博麗の巫女』もある意味人外だよね……と思い知らされた。
「っとと、危なかった」
動揺(したのだろうか?)が無くなったのか再開したナイフの群体。だが霊夢のおかげなのか適度にリラックスできたフランは軽く避ける。
「で、どうすればいいのかな?」
「とりあえず私の傷が癒えるまではこのまま乗らせてもらうわ。んで、今から言う事が重要なんだけど――なるべくここから動かないでもらえるかしら?」
最後の言葉だけは小さく、口の動きを隠すために痛みを堪えるような動作を見せて、フランに指示を出す。フランも心配するような動作をしながら、だがナイフだけは確実に避ける。
「大丈夫、霊夢? ――了解」
「心配してくれてありがと。――頼んだわよ、ハッ!」
さり気なくニンマリと笑みを浮かべると、霊夢は針を取り出し投げる。
(さぁて、と。フランにかなり負担をかける事になるんだし――私もミスしないよう、頑張らないとね)
まだ痛みはある。が、我慢できない程ではない。何とかなるだろう。
それよりも狙いを悟られてはならない。今はナイフの痛みのせいで激しく動かないようフランが気を遣っているように見せかけられるが、それも長くはない。
(時間との勝負……こういうのは結構苦手なのよね。ま、なんとかなるでしょ)
持ち前の勝負強さと勘の良さをここで発揮するとき。
霊夢は右手の指全ての間に針を挟み、そしてそれを投げる。半分は敵がいると勘が示す場所に、もう半分は全くの見当違いの場所に。
(ふぅ、相手はいつまで勘違いしてくれるかしらね)
『博麗の巫女』の勘も絶対ではない、と思ってくれれば上々。違和感を覚えたくらいならまだ大丈夫。ただ、ワザと外したと思われたら――終わり。
(加減って、私が一番苦手な事なのよね。できるかしら? ――できる)
一世一代の大芝居。外せば多分死ぬ、当てれば次に繋げられる。割に合わない大仕事だが、報酬はシオンからフッたくるしかないだろう。
(こんな面倒なことをさせるんだから、こっちも遠慮しないわよ? シオン)
……その時シオンが寒気を感じたのかどうかは――定かでない。