慧音がそこに足を踏み入れた時、太陽は既に中天に差し掛かろうとしていた。それに反して、心なし慧音の顔色が悪い。
(思っていたよりも時間がかかってしまった。これでは肝心な時に間に合わないかもしれん)
それが慧音を急かせる理由。シオンはどこかへと行ったが、アレから早数時間。もう行動している可能性が高い。一刻でも早く動く必要があった。
だが、たった一つの、しかし深刻な問題がある。
それは道案内が無いこと。この『迷いの竹林』に
「虎穴に入らずんば虎児を得ず、か。……行くしかないのだろうな」
ここで下手に迷えば絶対に間に合わなくなる。そのリスクを侵してでも行くと、慧音は決めた。だが数分後、その選択を後悔することになる。
「……ここは、どこだ?」
結論から言えば、迷った。
前後左右を見渡しても、どこをどう行けばいいのかさっぱりわからない。やはりダメだったか、と歯噛みするも、意味はない。せめて最短距離でここの外に出るしかないだろう。運が良ければ一時間と経たずに出られるはず。
「慧音、あんたここで何してんのよ。授業はほっぽっていいの?」
「――てゐ?」
ツいている、とその声を聞いた瞬間思った。気まぐれな彼女が迷いの竹林にいて、しかもこうして目の前にいるなどと。
「何、ちょっと急用があってな。永琳は永遠亭に?」
「いるけど、珍しいね。動けない患者さんでもできたの?」
「どちらかというと個人的な所要だ。案内は頼めるか?」
「んー、まぁ慧音なら、いっか。ついてきて」
背を向け歩き出すてゐに置いてかれまいと慧音は駆け出す。
しかし、と思う。果たしてこれは偶然なのだろうか。一番急いでいる時に、一番必要な相手が現れて、更に案内までしてくれるなんて。
機嫌のいいてゐを見つつ、慧音はそこで思考放棄する。上手くいっているのならそれでいいじゃないか、と。
「あ、こっちはダメだった。この先はちょっと急な坂があるから注意してねー」
「わかった。忠告感謝する」
唐突に方向転換したてゐについていく。
てゐの言うとおり、坂というより崖に近いところを、半妖としての身体能力で踏破する。登りきったその時、ふと二人の人影が見えた。
「アレは――フランと、シオン?」
「え、あの二人を知って――るか。慧音は里の守護者なんだし」
「ああ。だがフランは大丈夫なのか? 吸血鬼なのだろう。太陽の光を浴びれば危険なんじゃないのか」
「それは大丈夫。あの辺りの竹を少しだけ傾けて、天然の傘にしてるから。多分、四時になるくらいまでなら陽の光はささないよ」
意外だ、という言葉を、賢明にも呑み込む。
(これが本当に、あのイタズラ好きのてゐなのか?)
自分の知っているてゐとはまるで違う。無論、真面目な時は至極真剣にやるのは知っているが、そんなのは稀だったはず。
二人を眺めるてゐの横顔には、どこか優しげな笑みが浮かんでいる。
変わった、のだろう。この短い期間で。こちらが戸惑うほどに。
程なくして永遠亭が見えてくる。てゐはクルリと反転すると、慧音に言った。
「私はちょっとやらなきゃいけない事があるから、慧音は勝手に入ってて。慧音なら下手に追い返されないと思うし」
「そう言ってもらえるとありがたい。多少猶予があるとわかったが、余裕はないからな」
「それ、もしかしてシオンのこと? それとも里のこと?」
唐突な問いに、戸惑いつつも答える。
「何故その二択なんだ?」
「トラブル体質のシオンと、里を大事に思ってる慧音の心が重なったような気がしたから……」
「後者はともかく、前者は妙に納得できるのが不思議だ」
ただし、自分からトラブルを招いている点も考えなければならないが。
「じゃ、またね。帰りに必要なら案内するけど」
「永琳を説得できれば問題ないさ。ありがとう、てゐ」
ならいっか、と呟いて、てゐは後ろ手を振りながら去っていく。
「――よし」
ギュッと拳に力を入れ、玄関を開ける。ガラガラという大きな音と共に、あの泰然とした声が飛んできた。
「いらっしゃい、慧音。何か飲み物はいるかしら?」
「……なら、
こういう風に言わないと、知らない内に薬を飲まされて実験台にされかねない。一応あらかじめ言っておけば入れないでくれるので、そこだけは――何も言わずとも入れないでくれるのが一番なのだが――ありがたかった。問答も情けも無用な
ところ変わって永琳の研究室。トン、と出されたお茶に異様な味はなく、普通に美味い。
永琳は何故か背を向けたまま、机の上にある器具を整理している。
「用件は、何かしら」
「シオンの力になりたい。その為に永琳の医療知識と技術が必要だ」
「そう。
「やっぱり、とはどういう意味だ」
「言葉通りの意味。一度、ここには鬼が来たから……それで何となく、予想しただけよ」
相変わらずの知識と知恵だと舌を巻く。この頭脳だけで、永琳は化物レベルだと慧音は即答できる。
知識だけでは活用できない。
それを扱う知恵があるからこそ、永琳は永琳として、人間として、恐ろしい力を発揮する。
「まずその用件に対して、だけれど。無理よ。私は余程の事がなければ動いてはいけない。私の目的、知っているでしょう?」
「……ああ」
彼女の目的。それは何を差し置いてでも蓬来山輝夜を守ること。それだけが、彼女の存在理由。他の事は暇つぶしか、主の意向によるもの。後は幻想郷にいるという対価――というより、慈善の行為くらい。
それ以外で例外を作ってはいけない。もし作ってしまえば、心無い誰かがわめきたてるから。
「話が変わるのだけれど、一つだけ、質問しても?」
「私に応えられる範囲でなら」
「それなら大丈夫ね。慧音。あなたはどうして――シオンを支えようとすることができるの?」
一瞬、彼女が何を聞こうとしているのか理解できなかった。
「言葉が足りなかったかしら。私の予想だと、多分シオンは紫に会って暴走したはず。アレは復讐の権化。それを妨げた紫を許すのは至難の技。最低でも一度は事を構えると思ったのだけれど」
「……シオンの事を、よく見ているのだな」
「一月も一緒に暮らしていれば、その人の人となりくらい大体わかるわ。それに彼は、人間としてはありえないくらいバカ正直だし」
「バカ正直……なのか?」
「煙に巻いたり相手を誤魔化そうと敢えて言葉を抜き取ったりするけれど、それを私が見抜けないと思う?」
まっっっっったく思わない。この擬似さとり妖怪。
などと面と向かって言えるはずもなく、
「擬似さとり妖怪とか思っていそうだけれど、これは単なる予測よ? ……精度には多少自信があるけれど」
看破されたが全て無視。
何故シオンを支えようとすることができるのか。これはシオンについてどう思っているのかから話す必要があるだろう。
「――子供だよ。それも何の道徳も持たぬ、真っ新とした子供。それが私の見解だ」
「……」
顎を下げ、無言で永琳は先を促す。
「彼は私の出した考えに、自分なりに真剣に答え、そして出した答えに向けて努力していた。あの理念というか、信念については――本人の環境のせい、なのだと思う」
本当に、頑張っていたのだ。才能がある。途方もない才能が。
それを鼻で嘲笑い、努力している人間をこそ尊んでいた。理由は知らない。極端過ぎたその考えに、賛同するとは言わない。
「ただ――羨ましいと、感じたんだ。何かに向けて、自分の全力を向けられる、その姿に」
だから、もっと見てみたいと思った。これから先、彼がどんな風に全力で駆け抜けていくのか。
「それに、私は『先生』だからな。子供を教え、導くのが使命だ。彼が変な道に進まないよう、見ていないとな」
だから『守り』、『支え』、『導く』のが慧音の役目。例え公には目に付かずとも、そっと背を押すのが、先生という名を持つものの正しき姿だと思うから。
ダラダラと御託を並べたが、結局のところ、全てはてゐに言った通り。
「――単なる、私のワガママだ」
永琳は答えない。手元に置いてある何かを弄り回し、作っていくだけ。カチコチと、妙に響く時計の音が気になる。
そろそろお暇しようかと思った頃に、作業を終えた永琳が呟く。
「今月は、まだだったはずよね」
それと同時に、研究室の扉が開いた。
そこに立つのは永琳の主にして永遠の体現者。微睡む姫君。
「永琳、命令よ。――勝手になさい。ただし、シオンを必ず助けること。彼のマッサージとゲーム技術を失うのは惜しいから」
どこまでも勝手気ままに、姫君は笑う。それは従者の行動を見逃す寛容さの象徴だった。
「……仰せのままに」
永琳は答え、去りゆく背中に礼を取る。唯一永琳を止める障害はない。これで、最強の頭脳の力を借りられる。
「永琳、すまないがさっそく準備してくれ。時間は無さそうなんだ」
「私の考えがあってるなら、後二時間くらいは大丈夫よ」
そして何かの整備を終えた永琳は、それを目にかける。それはモノクルだった。いつかアリスの魔力線を見たときに付けたものとそっくりな、だが決定的に違うモノを。
「それに、単純な外傷を癒すのなら私より彼女の方が得意よ。行くのならあの娘を誘ってからでも遅くはないわ」
という永琳の言に従って来てみれば、現れたのは見事な金髪を棚引かせる少女。ただし、年齢は恐らくシオンと一緒、だが。
「永琳、彼女には自衛の手段が無さそうに見えるが」
「後方支援に徹して敵の前に姿を現さなければいいだけよ」
「え、と……話が見えないのですが、永琳様」
「シオンが一歩間違えば死にそうな状況にある」
「行きます」
即答だった。どこまで危険なのか、一切聞かずに。だから、先生である慧音は尋ねた。
「いいのか。死ぬかもしれないのだぞ?」
「彼が怪我どころではなく、死にそうな状況にあると聞いた時点で、それはわかっています。いいんです。私は、今度こそ――友の力になると、誓ったのですから」
その眼に宿る意思は、子供だからと侮っていいものではない。最近出会う子供――シオンを始めとして、霊夢、魔理沙など――は、年齢に半比例して精神が成熟過ぎる。大人顔負けだ。
「私は上白沢慧音だ」
「! アリス、と申します。フルネームは訳あって省略させていただきます」
「――行くのですか?」
認められた、と喜ぶアリスに、その声は冷水だった。
「鈴仙……ダメ?」
「いえ、構いませんが」
「そうだよね、ダメだよね……え?」
「何ですか、その顔は。私はシオンの力を信用しています。それに、彼は自分の友人を守れないような愚かな人間ではありません。きっとアリスを守ってくれるでしょう」
未だに鈴仙はシオンという人間を認めていない。だが、その力だけは認めている。人の枠を超えて、血を吐き続けた果てに得たその能力を。
「強いて言えるとすれば……シオンを盾にしてでも生き残ってくださいね」
「なんか鈴仙が怖い……」
「シオンの影響は良くも悪くも酷過ぎるな……あの優しい鈴仙はどこに行った」
黒い。黒すぎる鈴仙に戦慄する二人。
それを横目に、永琳はただモノクル越しの光景を眺め続けた。
「ん、んん……フ、アァァ~~……」
眠りから覚めた時特有の倦怠感を自覚しながら起き上がる。既にお昼を過ぎかけているためか、暖かい。
――お昼を過ぎている?
「ヤバい、寝過ごした!?」
一気に意識を覚醒させる。思い出すのは昨日のコト。
――そうだ、私は神社に戻ってきて、風呂に入って、それで……
霊夢は未だ九歳。夜更かししすぎた反動で、体を清めてすぐに寝てしまった。体を清めたのは、多分乙女のプライド的な理由だと思う。単に汚れが酷くて気持ち悪かったというのもあるが。これが冬だったら風邪を引いていただろう。
同時、ググゥ……とお腹が鳴る。流石の霊夢も、誰も聞いてないとは言え微かに顔を赤らめてしまう。
「確か、シオンが用意したご飯があったはず……」
一応置いてあったが、冷蔵庫に入れもせず放って置いたため、多少しなびている。それでも無いよりはマシと割り切って食えてしまうのは、今までの食生活故だろう。シオンの分は冷蔵庫に戻しておいた。
魔理沙はどうしているだろうか、と思う。あの伝言がそのまま伝わったなら、恐らくもう自らの家に帰っているだろう。自分と同じように寝ていなければ里にもついているはずだ。
食べ終え食器を洗う。一人分の食器は手間もかからずすぐに終わった。少し物足りなく感じるのは何故だろう。
護符、御札、針、次いで頭につけるリボンを新しくする。願掛けのようなものだが、気分的には大分違う。
これでよし、と気合を入れ、霊夢は神社を飛び出す。
「里に着くまで、何分かかるのかしらね……」
やっと気分が収まり収束した二人の口喧嘩。それに誰よりホッとしたのはシオンと勇儀の二人だろう。大事な友人が口汚く罵り合ってる姿を好んで見たいと思うような性格はしていない。
「アンタが喚いてる間に私らが戦う事に決まったよ。大人しくしてな」
「アーッ! ズ、ズルイぞ勇儀!」
「萃香が他の事に気を取られてるからだろう。元々シオンは私をご指名してたみたいだし、約束だよ」
「ちぇ、つまんない。ま、言ったことは守るけどさ」
石を蹴って拗ねる萃香の頭を撫でながら、勇儀はシオンに聞く。
「あー……それで、ハンデはどうするんだ? 私とアンタじゃ握力に差がありすぎるから、手首掴んでも構わないよ?」
「あくまで勝負は公平に、と言っただろう。普通に手と手でいいよ」
「って言われてもねぇ」
シオンの手首を見る。細すぎるその手首は、鬼の勇儀どころか大の大人が強く握っただけで折れてしまいそうな程華奢だ。
「ああ……そういうこと」
それを察したのか、シオンは左手に力を込め――
「――ッフ!」
ビキリッ!! と腕全体に筋肉が盛り上がる。
「――いやいやいやいや! シオン、それ一体どうやったの!? おかしいよね色々と!」
「普段は筋肉を隠してるから……速度重視だし」
そういう問題ではないのだが、本当にできてしまっているから始末に負えない。これがシオンとただの人間の違い。筋肉の付き方どころか細胞の一つ一つが変わっている――作り替えられたシオンは、筋肉の『形』をある程度変えられる。
「まぁ、さっきよりはマシだろ?」
「驚いたねぇ。まさかそんな事ができるなんて。いいよ、わかった。ハンデはナシだ」
パンと手を叩いて褒め、次いで両手を挙げて降参の意を示す。頷き返したシオンは、一応勇儀に聞いた。
「ところで一つ聞きたいんだが、台から肘が離れたらどうする? 普通のルールなら反則負けになるが……」
「続行で構わないよ。どうせ私の力に耐えられる台なんて無いんだ。私が壊して反則負け、なんて萎える展開はゴメンだね」
「わかった。――術式再構成。必要魔力注入。結界生成、展開・維持」
念のため、孤児院が壊れないよう勇儀が壊した結界を作り直す。術式は既に作ってあるから魔力で文字を彫り直し、魔力を注入して作動させればそれで済む。簡単な作業だった。
「あの結界、シオンが作ったのかい? 多才だねぇ。こりゃ山に帰った後も退屈せずに済みそうだよ」
「――白夜」
それは言外の勝利宣言。ムッとするフランを尻目にシオンは白夜を手に握る。作るのは台と、孤児院周辺に張った結界とはまた別の結界を張る。こちらは完全に耐久性重視だ。とにかく『壊されない』事に注視した。
コンコン、と勇儀が見えない台を叩く。
「中々硬いね。全力で殴れば、あるいは――ってところかい。腕相撲の余波程度じゃ壊れなさそうだ」
「ご注文通りだろう? ま、壊れない保証なんてどこにもないけどな。――黒陽」
ネックレスを取り外し、まずは剣状に。
「剣を展開――
剣から黒球、黒球が左手から液体となって伝い、腕、肩、そして全身に浸されていく。白眼が黒く染まり、義眼である左目が零れ落ち、代わりに黒い炎が噴出する。髪はいくつも捻じれ出し、それは幾筋の角となる。そして液体が凝固し、腕や胴体、足が鱗に覆われ、両足が肥大化・巨大な爪を生やす。右手もそうなる――かと思いきや、ほとんど人の手と変わらぬ大きさのまま鱗に覆われている。最後に骨組みだけの翼が出てきた。空を飛べない、トベナイツバサが。
唯一変わらないのは、白夜を持つ左手から先だけだった。
さしもの勇儀もこれには驚かされた。人ではなく龍と相対するとは思ってもみなかったからだ。
「龍、かい。昔から虎と龍、鬼と龍は見比べられていたけど、実際に戦うのはこれがはじめてだよ」
「中身は人間だから期待はするな。言っただろ? 『
龍という名前に似合わぬ程の弱さ。何より龍にあるモノ全てが欠けた中身の存在しないただの模造品。比べる事すら烏滸がましい贋作。
「――さ、
言外に勇儀もそうなんだろう、と聞いてくるシオンに、獰猛な笑みで答える。確かに、耐えられなかった。
人間から化物に。
化物から黒龍に。
次は一体、何を見せてくれるのか。このビックリ玩具箱に、過度の期待を寄せている自分に、勇儀は気づいていた。
一度酒を呑み、自然体に戻る。それだけで凝り固まった体が解れ、リラックスされた体に適度な緊張感が戻る。
「鬼っていう種族自体がチートな気がする」
そうボヤいたのはシオン。誰にも聞かせないその呟きは、シオンの心情を強く語っていた。
――息を吸って吐くだけで最高状態とか、どんだけだよ。
漲る気合を纏う勇儀が、見えない椅子に座る。次いでシオンも座り、お互いの手を握り合う。誰に問うまでもなく決められた合図。勇儀は手に持つ石を、空高く放り投げる。
それを、萃香は空にプカプカ浮かびながら眺めていた。
一。――まだ石は頂点に達しない。
「勇儀、負けんじゃねぇぞ。負けたら思いっきりぶん殴ってやる」
二。――勢いが落ち、頂点に差し掛かる。
「そりゃ怖い。負ける訳にはいかなくなったねぇ」
三。――石の落下が始まる。
「シオン」
四。――石が風を切り裂く音が、シオンの耳に届いた。
「負けないで」
五。――カ
「――信じてる」
――ピシ、ドゥンッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!
――台から腕に体を伝っていったその衝撃は、地面を割った。砕けた岩が勇儀とシオンの両足を埋める。局地的な地震によって体を揺らされた全員は、決定的な瞬間を見逃した。
結果は――勇儀の腕が、台に着いている、というもの。鬼の嘆きと、フランの歓喜の感情が沸き起こる。
「シオンの勝――」
「まだだ!」
そんなフランの喜びを、萃香の叫びが止めた。唯一萃香だけが状況を見ている。最初から空中に浮かんでいた、彼女だけが。
ギシリ、という音が、どこからか聞こえてきた。それは骨の軋む音。
ただし、それは勇儀からではない。
「こ、の……大人しく負けを認めやがれ……!」
「いやいや、勝負はここからだろう? まだ全力どころか本気も出していないんだから、さ」
手の甲が台につく、その寸前。手首を捻って無理矢理負けを回避した勇儀が笑う。その笑顔は綺麗なのに、シオンにとっては死神のようにしか見えない。
「往生際の悪い鬼だなァ!」
「そうさ、私らみーんな諦めの悪いバカばっかりだ」
でもね、シオン。
「そうしなきゃ、勝ちなんて拾える訳が無いんだよ!」
冷や汗を流して押し込もと全体重をかける。それでも押し込めない。いや、むしろ――
(なんだこのパワー!? 本当にこれが、一個の生物が持てる力なのか……?)
これが鬼。
これが鬼の四天王。
「そういえば、ちゃんと名乗ってなかったかねぇ?」
グギリッ、と何かが折れるような音がした。同時、シオンの腕が上がっていく。それは勇儀の反逆の瞬間でもあった。
「鬼の四天王が一人、『力』の勇儀だ。精々足掻いてくれよ? じゃないとツマらないからさ」
最強の身体能力を持つ鬼は、容赦なく力を振るう。
聴覚を使って、ともすればフライングと捉えかねられない刹那を狙ったのに、押しきれなかったシオン。全体重を乗せるタイミングさえ計算した、技術の粋。
人類最高峰の人間という名を持った化物と、人間が生んだ化物を排斥した技術。それを使っても押しきれない、最強と呼ばれる鬼の一人。
「
「余計なお世話、だ!」
もうスタートの位置に戻りかけている二人の腕。咄嗟に力の方向を組み替えて強制的に肘を折り直す。
凄まじい音。折れた肘を折り直し、そのせいで出た悪影響を別の骨を折り、あるいは脱臼させることで排除する。
「無茶するねぇ」
「アハハ、俺も諦めが悪くてなァ……! ここであっさり負けを認めるようなら、とっくの昔に死んでるんだよォッ!!」
血反吐を吐くような叫びだった。それ程の想いが篭った咆哮だった。
だから。
「そうかい。なら、
――敬意を、表した。
石を投げる時以外は常に持っていた酒入りの盆を、放り投げる。酒を手放したその顔に浮かぶのは後悔でもなんでもなく、ただ純粋な想いを宿す真剣な顔。
「アンタに勝つ」
「――ッ!?」
単純な言葉。それを合図に、シオンの腕が耐え切れない程に倒れていく。
「
――負ける。
このまま何もせずにいれば、負ける。
(
嫌だった。その手段を使うのが。
外道になら外道の手段で戦える。だが、こんなにも。
こんなにも真っ直ぐに向かってきてくれる相手は、はじめてで――
「何か甘ったれた事を考えてないかい、シオン!」
「なッ!?」
「さっきも言っただろうッ、小細工上等だって! アンタはまだ勝てるかもしれない『何か』があるのに使わず負けるつもりかい!?」
それは、ありえないはずの激励だった。敵が、敵を叱咤する。
ハッと目を見開き驚くシオン。当の勇儀は笑っている。本当に、それすら踏み越えて勝つつもりなのだ。
――いいさ。なら、やってやる。
卑怯だなんだと罵られても。勝つためにならなんでも使うッ!!!
「コクヨオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォッッッッッッッッッ!!!!!!!」
――刹那。
世界の重力が、消え去った。
「何が――!?」
重力の楔が消え、シオンと勇儀の肘が台から浮かび上がる。
――それは本来なら反則負けになるはずのコト。
力を入れても、それを移動させるための始点が存在しない。
――台が壊れるかもしれないとだまくらかして、勇儀に頷かせて無くした条件。
それはシオンも同じ。だからこの方法は、やっても意味が無い事だった。……永琳の元で、修行しなければ。
――『人間』としてのシオンが考えた、真実の中に紛れさせた詐欺。
シオンは特殊な力が無くても空を跳べる。それは、本来足場には絶対できない原子を足場にしているから。
――壊れる可能性は本当にあったから、嘘に敏感な鬼が誰一人気付かなかった。萃香でさえ。
……なら、手で壁を殴るように反動を付ける事だって、できないはずがないだろう?
――ただの保険の、つもりだったんだけどな。
「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!」
「ッチィ、それならこっちにも手段はあるんだよ!」
一瞬反応が遅れたが、勇儀とてタダで負けるつもりはサラサラ無い。
妖力で肘に力場を展開。手の甲にしなかったのは、それが反則だとわかっていたから。反応速度は上々。だけど――もう遅い。
「黒陽ッ、もう一度――!」
無重力から、高重力圧ッ!
地球にかかっている重力。それを一瞬だけ、数百倍に――!
かけるのは自分の体にだけ。そのためだけに――重すぎる重力を軽減するためだけに、この仰々しい鎧を纏ったのだからッ!!!
唯一鎧を纏わない右肩から先が、粉々に押しつぶされる。
それでも、その代償を払ってでも――
「俺の、勝ちだ――ッッ!!!」
勇儀の拳を、台に叩きつけるッッ!
いやー何とかコンパクトに纏まりました。そして二話投稿の約束も完了。よかったです。
今回は結構な無茶をやらかしました。それくらいやらないと勝てないってことですね。ちなみに普通に生身で殴りあったら即死です。勝ち目なんてありません。能力値全部STR>>>AGI極振りの完全近接脳筋に、AGI極振りVITカスの超紙装甲が勝てる訳無いんです。一撃カスっただけで終わりなんです。
……まぁ無茶苦茶なのは承知の上です。批判上等ッ!
次回はまた別の展開のための布石です。バイちゃ!