目が覚めてはじめて見えたのは、鮮やかな黄金だった。次いで蒼天。目を少し動かせば大量の木が生えた森が。
「……誰だ? それに……ここ、は」
掠れた声が喉の奥から漏れる。それが聞こえたのか聞こえていないのか、彼女は目を見開き隣にいた女性に慌てながら声をかけた。
その女性は少女を落ち着かせながら、だが顔のどこかに喜色と安堵を滲ませていた。
それを横目に上体を起こす。ふいにピシリ、と小さな痛み。
――状態の確認。
――記憶に混濁。睡眠に入った時と風景に多大な変化。
――可能性の一つとして、彼女らが移動させたことを提案。
――提案の破棄。触れられれば起きる。長時間触られた痕跡も無し。
――結論の保留。思考時間の無駄。
――肉体に小さな異常。
――左腕及び左足の反応速度に若干の遅れ。左側の視界が暗い。
――恐らく左半身全体に何らかの障害を負っているモノと思われる。
――それを前提に動かせば戦闘には支障無し。
――着た覚えの無い服装と装飾。
――気にする必要はないと判断。
――総合的な結論。
――
思考を止め、立ち上がる。だが微かな違和感に体がフラついた。ふいに視界の端に誰かが戦っているのが見えた。
が、どうでもいいと判断し、背を向ける。
「え、あ、どこ行くの?」
無視。しかし相手は急いで立ち上がると、手を握ってきた。
「あの子が戦ってるんだよ? あの子、シオンの友達じゃないの?」
指差す方向を見る。確かに戦っていた。
「あのさ、さっきから気になってたんだけど」
その顔を、見たことがなかった。
限りない無表情、行き過ぎたまでの棒読み。
「――『シオン』って、
「え、な、そんな、笑えない冗談を……」
「冗、談?」
コテン、と小首を傾げているのに、その動作はまるで人形のよう。機械染みた動作。その所以を知らない。知っているのは、もう一人。
いつの間に動いていたのか、彼女は真後ろから囁くような声で言った。
「アリス、さっきみたいな要領で能力を使いなさい。それで多少マシになるわ」
「もしや、永琳様は……いえ、わかりました」
今はまだ触れられている手に、力を込める。そして跳ね除けられる前に、能力を使うッ。
「……? ――なっ!?」
バッ、と手を離す。触れられていた部分をさするが、今は何ともない。
――何だったんだ、今の。
とても暖かくて、優しい……そう、まるで母に抱きしめられているかのような安心感。
「オイ、
それが、異常なまでの警戒心を生み出した。
先ほどまでとは打って変わって獣のように警戒心と闘争心。一体どういうことなのかと永琳に視線を向けようとすると、やっぱり……と言いたげに頭を押さえていた。
「モノクルで彼の魂を見なさい」
言われた通りに目を向ける。
人の魂はその人の在り方全てを映す。だから彼の意識が戻ってからは見ないようにと気をつけていた。
だから気付かなかった。
「え、なん……欠け、てる?」
彼の魂が、未だバラバラに砕けたままなのが。
正確には、今この瞬間にも少しずつ元に戻り始めている。だが彼を彼たらしめている根幹部分からはじまり少しずつ戻っていても、余りに遅い。
だからアリスの力で強制的にその速度を活性化させた。その結果が今の彼。
でも、ちょっと待って欲しい。
――さっきの人形みたいなシオンが過去の彼なら。
今ある魂の破片、それはかつての彼。たった数年の記憶。
――一体どんなことがあれば、あんな状態からこんな状態になるのだろうか……?
「ごちゃごちゃ話してないで答えてくれないか? なんなら骨の一本二本折ってもいいんだぜ。うまくやればそれだけでそこそこの拷問になるからな」
億劫そうに答えるが、爛々と光る目が本気だと伝えている。ジャリ、と足音が鳴り、今にでも動き出しそうだ。
「私達が何かした保証でも? あなたに何が起こったのかはよくわからないけれど、少なくとも私にはあなたがいきなり手を離したようにしか見えないわ」
「……。ッチ、屁理屈か。まぁそれならそれでいいさ。今回は見逃す。だけど、次はない」
――次は殺す。
そう言うと、さっさと背を向け歩き出そうとする。けれど、アリスと永琳にはそうできない理由があった。
「あ、あの! あそこにいる子――助けてあげて!」
「はぁ?」
その声音には、心底からの呆れが宿っていた。チラとまだ戦っている二人を見、そしてありえないなと肩を竦める。
「助ける理由がないな。少なくとも自分の命を賭けに出す程じゃない」
「そんな理由で……ッ」
「甘い」
ズカズカとアリスににじり寄ると、その額をグリグリと押した。
「いいか。他人を助けるなんていうのは、余裕が有る奴だけだ。余裕があるから他が見える。他に手を差し伸べる余地がある。――そうでないなら単なる自己犠牲か、あるいは自己満足に浸るバカだけだ」
要するに、見栄っぱりだけが誰かを助けようとする。体が勝手に動いたなんて言う奴は、頭のどこかがイカれている。
「油断すれば死ぬ。他所見をすれば死ぬ。ちょっと手を出したら腕ごと持ってかれる。だから手を出さない。オレが誰かを助けるなら、そうした理由を持っているからだな」
あくまで見返りを求める。貰えないのなら切り捨てる。
「で、テメェは俺を動かすだけの対価でも持ってるのか? 無いなら邪魔するな。あそこで戦ってる奴のどっちが生き残ろうが死のうがオレには何の関係もない」
言い返せない。彼女には差し出せるモノが何一つとしてないからだ。元々この世界に落ちてからはずっと永遠亭に居候させてもらっている身。持っているモノはなく、強いて言えば服についていた装飾品くらいだが、彼にとっては何の価値ももたない。
「はい、これ」
「……なんだこれ?」
そこに永琳が差し出したのは、茶色い棒のような食べ物。
「それは乾燥させたクッキーね。それ一つで一日分の栄養が補給できるように改ぞ……改良したから、それでどうかしら?」
「これ一つで命を賭けるとでも?」
「ならそれ一つで彼女達の戦闘の考察。それが終わったら数百個を追加するから、助けてあげてちょうだい」
「ふぅーん。いいよ、交渉成立。ちゃんと貰えるのなら別にいいさ。働かせてもらうよ」
クルッと背を向け戦っている二人を眺める。
そんな彼を見つつ、アリスは永琳に問うた。
「あの、何故シオンはあっさり受けたのでしょう……?」
「端的に言えば食糧不足が故の栄養不足、が理由でしょうね」
「? ……???」
「あなたは知らないでしょうけれど、地域によってはその日を生きることすら困難な人々もいるの。彼もその一人。だから、私が提案した事に乗ったのよ」
たった一度の戦闘で、数百日分の栄養価を貰えるのなら、安いモンだと計算して。
「命が……軽い。まさか、シオンの生に対する執着心の薄さは……」
「人はあっさり死ぬ。それをまざまざと見せつけられた結果でしょうね。痛みを許容できるのは単に『死ぬよりはマシ』と割り切っているから」
他にも色々理由はあるが、それをアリスに伝えるには余りに酷だ。そうこうしていると、彼は完結に纏めた言葉を述べた。
「――うん、多分もう少ししたら死ぬんじゃない? あの子」
それが考察した結果だった。どうあがいてもその結論は覆らない。
まず少女の戦闘方法は、巨大な
さて重要なのは、あの二人の有利不利な点。
少女は圧倒的な身体能力と大きなリーチ。だがそれは技術が足りず、ただ力任せに振るっているに過ぎない。
少年は少女に比べ一歩劣っているものの、類希な技術でもって攻撃を逸らし、小さな隙を的確に狙っている。実際先程から食らっているのは少女の方だけだ。まぁ少年が一度でもまともに攻撃を貰えば死ぬだけだが。
「あっちの女の子、たまーに
攻撃と防御の両立から、防御に比重を寄せて相手の隙を伺おうとしたり、逆に攻撃一辺倒になって防御なんて知ったことかと両手を振るったり。
だが防御し続けても反撃の隙が無く逆にダメージを貰い過ぎ、攻撃一辺倒になればできた隙を狙われて大きな傷を受けたりと、全くいい事がない。
まぁわからなくもない。ある意味彼女の行動は片手に剣を、片手に盾を構えていたようなもの。それを両方剣にしたり盾にしたりしても意味がない。
どちらにしろアレが一番安定している以上、よっぽどの事がない限りはこのままチマチマと削られて終わり……
「そもそも彼女のあの再生能力が無かったら出血多量でとっくに死んでるだろうね」
そしてここまで考え――同時に栄養補給だと先ほど貰ったクッキーを口に放り込みつつ、永琳の提案を断ろうかと思ってしまった。
「断る? どうして?」
「どうにも割に合わなそうなんだよね。アイツ、強いよ。オレ程じゃないけど、肉体的にも技術的にもかなりのレベルで完成してる。下手すりゃ負けるね」
死ねば終わり。それが今の根幹である以上、やりすぎはダメだ。だから、断ろうとして――ドクン、と心臓が鳴った。
ブツッと頭に再生される見覚えのない映像。
助けて、助けられた。支えて、支えられた。そんな、掠れて見えない記憶。さっきからよくわからないことばかりが起こって頭が混乱している。
「ぁー……やっぱいいや。なんかわからんけど、何もいらない」
「それは、つまり?」
「何もいらないけど、あの子を助ける。助けたい。それがオレの頭が喚いていることみたいだから」
わからない。わからない。わからないから思ったことに素直に従う。それで今まで何とかなってきたから。
自分の直感を、ただ信じる。
「助ける理由、できたっぽいね」
とりあえず、あの短剣を止めてこようか。
――勝てない。
予想はしていた。だが想像以上に食い下がれない。何度あの短剣が肌を掠めていったのかも覚えていない。
だけど引くことだけはしたくない。自らを見失うほどの狂気の愛ではなかった。日常で生まれた小さな恋心、それを少しずつ育んでいく事で生まれた愛。その感情が、フランを前へと進ませている。
――負けることは、もう決まってる。
だったら。
――死ぬ寸前に、コイツを道連れにするッ。
もう避けきれない。ならわざと心臓に貰う。そしてそのまま相手を抱きしめ殺す。
――こんな奴を抱きしめるなんて、それこそ
少なくとも、完全な負けではなくなる。
短剣が自分を貫いてすぐに行動しなければダメだ。腕を捻られれば内蔵をかき混ぜられる痛みに耐えられないだろうから。
――ああ、でも。もう一度くらいは、シオンの顔が見たかったなぁ。
死に顔でも構わない。彼の顔を見られるのなら。それだけで十分だった。
「なーんで誰も彼もオレのことをシオンって言うのかね? 名乗ったことあったっけ?」
この雰囲気に合わぬ軽快な声。短剣を指の合間に挟んで受け止め、貫手を腕で逸らす。攻撃が通らないと知るとバックステップで下がった少年の潔さ。
(オレが言うことじゃないけど、妙に戦い慣れしてるな)
「ほ、ホントにシオン……?」
「どーでもいいだろそんなコト。邪魔だしさっさと下がってくれないか? さっきの戦いぶりを見た限り、正直いらない」
武器はない。あればいいが、素手でも何とかなるだろう。最悪相手の持ってるあの短剣を奪えばいい。
後ろにいる少女はこの話し方から違和感を覚えたらしい。追求される前に手を振ってシッシと追い出す。何か言いたげだが、そんな余裕はない。
彼女が遠くに行ったのを知覚する。ならもう十分だろう。
言葉はいらない。交わす理由はない。だから足を前に出す。拳と短剣が交差する、その寸前でふと思った。
――あの羽、本物なのか?
ガキンッ! と短剣と肉体がぶつかったにはありえない音が響く。しかしそれを気にせず足を捌いて相手の股座に突き刺し捌く。だが相手は倒れないようにと足を回して逆に投げ飛ばそうと背負投げをしかけてきた。それを甘んじて受ける謂れはない。自身の胸と相手の背中が密着した瞬間その無防備な首筋目掛けて歯を剥き出しにする。
その攻撃を、咄嗟の直感でも発動したのか構えを解除して距離を取ってくる。このまま逃がすつもりはない。追いかけて軽いジャブ。短剣を合わせてきたから体を沈めてブローに変更。短剣を打ち上げ――同時に上体が浮いた相手の胸に手を添えて、衝撃。
吹き飛ぶ少年。が、手に入った反動はそこまで大きくない。後ろに飛ばれたのと、何かおかしな力で衝撃を分散された。それならそれで別にいいと割り切り次の一手、踵で足元の地面を砕いて適当な岩を作り、ぶん投げる。
いくつかを短剣で切り裂き、いくつかを拳で砕き、いくつかを避ける。当たっても問題ない岩と部位は受けていたが、大勢に影響はなし。単なるお遊びに近い。
結局のところ、決定打が無いのが痛かった。本気で殴ってもうまく避けられてしまっては意味がない。せめて尖ったモノがあれば脳とか喉とか心臓にでも突き刺してやれたのだが、無いモノ強請りをしてもしょうがない。技術的にはこちらが優っている。何かの隠しダネを持っているようだから油断はできないが、よっぽどでもない限り負けはない。勝ちもないが。
唯一の懸念は相手と自分の疲労度合。何故か体が重い。今は問題ないが、後三十分と経たずに限界が来る。体というより、もっと根本的な部分で限界が来てるような気も……。
とにかく止まる理由はない。動いて動いて動き続けろ。
五分、十分、それでもやはり似たような事の繰り返し。お互いにお互いを殺しきれない。だから少しだけ、
相手が短剣を振るう。先程から短剣に合わせてそれの腹を殴って逸らし続けたせいか、あまり大振りな攻撃はしてこなくなった。これではできない、だから。
合わせて踏み込み、相手の短剣を『腕』で受け止めた。
グシャリ、と肉と骨を貫かれる感覚。一瞬で相手は手を離して距離を取ろうとしたが、その前に相手の腕を掴んで逃がさない。そのまま相手の首をへし折ろうと手を伸ばし、だが相手は口をモゴモゴと動かした。
――口の中に吹き矢ッ!?
プッ、と飛ばされた小さな小さな針。首を折ろうと近づきすぎて彼我の距離は五十センチ程度しかない。
――避けきれない。
ふいに、左目に違和感。その原因を考える前に、体が勝手に動いていた。傾く顔。それでも針が顔に到達し貫く方が速い。けれど、針が貫くことはなかった。
正確には、穿った。左目の義眼を穿ち、だが貫けはしなかった。針の短さと距離の近さにより最高速度が出なかったせいだろう。
しかし動きは止められた。針が目を穿った衝撃は動きを止めるどころか顔が後ろに逸れてしまうほど。その間に相手は左腕に刺さった短剣を無理矢理引き抜き心臓を狙ってくる。
再度の避けきれない攻撃――ならば、それがまた通じないのもおかしくはない。
短剣を持つ手首に絡みつく『糸』が、手首ごと切断して攻撃を中断させる。ボトリと落ちていく手。それでも悲鳴を堪えて下がったのだから懸命だ。手を拾うような動作を見せたら首を持っていくつもりだった。
相手の顔は『どこからそんなモノを』と言いたげだが、答えるつもりはない。足元に落ちている手を拾い、短剣を回収。その後手をバラバラに引き裂く。折角の部位破損。最大限に利用させてもらう。
左目に刺さった針を抜き取り唾を拭う。瞬きできないのは中々に不愉快だった。それから短剣を左腕に突き刺し直してグリグリ抉り、骨の破片やらなんやらをほじくり出す。それから唾を拭った針に白い糸を巻きつけて適当に縫う。これで完璧。
その間まるでおかしなものを見るような目を向けられたが、何かおかしな事でもしただろうか。不思議だ。
「……ッチ」
ボタボタと垂れ落ちる血を抑えながら、相手は憎々しげに睨んでくると、足元に何らかの陣を展開。そのままどこかに消えていった。
「……最近の科学技術はここまで高くなってたっけ?」
なんとなく違うような気もするが、わからないからどうでもいいと判断。とりあえず相手の撃退はできた。義手やら何やらでも付けてくるだろうが、それはそれで不便だ。少しとはいえハンディを付けられただけマシだろう。
何とはなしに周囲を見渡す。まるで何かが暴れまわったかのように地面は陥没していた。少し空恐ろしく感じたが、逃げ回ればなんとかなるだろう。……多分。
背中に気配。それも三人。彼女達だろう。
「オレはそろそろ行かせてもらう。これ以上一緒にいる理由はないからな」
「シ、シオ――?」
「それは、どういう思考から来た答えかしら?」
「オレはあんたらの事を何一つ知らない。そんな奴と一緒に過ごすなんてゴメンだ。いつ寝首を掻かれるかわかったもんじゃない」
「わ、私はそんなことしません!」
「ああ、まぁあんたはそうだろうね。――目が綺麗すぎる。真っ直ぐすぎる。正直オレからすれば眩しいくらいだ。だから一緒にいたくないんだけどな」
でも、とクルリと振り向き永琳を、次いでフランを指差す。
「そこの二人。――特に銀髪の方。何故かオレの中で近づくなって警報鳴らしまくってるんだよね。アンタ一体何やらかした? んで金髪。こっちが言えた義理じゃないが、どんな残虐な方法で人を殺してきた? およそまともな方法じゃないだろ」
要するに、永琳とフランは過去『やらかした』せいで無意味に警戒心を刺激している。人を殺すどころか害した事さえほぼ皆無のアリスと、今は違うが過去狂人と呼ばれても詮無いことをやらかしたフランと永琳。どちらが信用するに足るかなど、考える必要すらないだろう。プロフィールだけ聞けば断然前者だ。
「ま、これは建前だけどね。単に人間が信用できないってだけ。誰かと一緒にいるくらいなら一人の方がいいんだ」
だからさっさとどこかに行こうとする。確かにフランを助けはしたが、だからといってそれ以上を共にする気はない。自分としては一種の気の迷い、程度に考えていた。
「それともう一人の金髪。『次はない』――そう言ったよね?」
少しだけ腰を落としていたアリスにピシャリと告げる。もう一度あのよくわからない感覚を浴びせられるのは勘弁だ。不快ではない。無いが、わからないことを受けるのは経験上よくないと判断していた。
冷たい殺意。それから庇うように永琳がアリスの前に手をかざしながら目の前に出てきた。
「いくらなんでも殺しをしたことがない子供相手にぶつけるようなモノじゃないわ」
「子供、ねぇ。ナイフ一本どころか少量の糸、針一つあれば人は死ぬ。さっきのあのよくわからない感覚で殺されないなんて保証はない」
だから殺す。子供とか大人なんて関係ない。殺されたくないから先に死なせる。ただそれだけ。
クルクルと短剣を弄ぶ。刃先を爪先で受け止めバランスを取ったりしてみる。飽きたので逆手に持ち直す。
ふいに永琳が耳元に口を寄せ、
「――あの研究は、よっぽどのモノだったのね」
「―――――――――――――――!?」
ほぼ反射で逆手に持った短剣で彼女の喉を切り裂いた。殺ってから気づく。永琳が喉元を押さえていて、そこから血が噴き出したのを。
「……その事を知っていいのは、もうオレ一人だけだ」
あの研究は、本当にクソだった。知ってはいけない。存在してはいけない。だから、知っているかもしれない相手は、全員殺す。
「すまない。アンタの顔は忘れないよ」
倒れる彼女の体を受け止めようと手を伸ばす。けれど、それは油断だった。
「その必要はないわ」
「――え?」
不意に頬を伝い、首元に添えられる白い指先。
――折られ。
後ろに飛ぶ。距離は稼げなくていい。とにかくあの指先から離れられればいい。幸い折られる事はなかった。
――後はこのまま逃、げ……?
ガクン、と足から力が抜ける。
おかしい、ありえない。一体何をされた。そんな纏まらない思考がグルグルと巡る。コツコツと靴音を鳴らしながら、眩い銀髪を揺らす美女が近づいてくる。それはきっと、男女の目を全て集めるほど優美なのだろう。
なのに、何故だか今の自分には死神の足音にしか聞こえない。彼女の姿に『死』しか感じられない。
「な、に……しやが、った」
確かに切り裂いた喉。その証拠に血がこびり付いている。
――なのに生きている。理不尽だと感じてしまうくらいだ。
「首は、脳へと血を運ぶための血管があり、同時に脳から体を動かすための命令を下す神経が宿っている部分でもある」
それはまるで、出来の悪い生徒に優しく教える教師のように滔々とした言葉。
「実際高齢者になると、
そっと片膝立ちになり、首筋に触れてくる。
「――こんなふうに」
「あッ、ガァ……!? や、め――?!!」
足は動かず、手が痺れ、いくつかの内蔵がまともに動かなくなって体が悲鳴をあげている。逃げられず、足掻くことさえできない。
まるで、まるで――かつての――
「薬は効かなくても、身体の構造上どう足掻いても逃げられないわ」
死刑宣告。彼女の瞳を、肉体の異常を覚えながら見てしまう。
「眠りなさい。起きたら全て、終わっているから」
――まるで、かつての研究者達が