目が覚めた時に広がったのは青い空ではなく、古ぼけた茶色い天井だった。レミリアの紅魔館でも、輝夜の永遠亭でもない。記憶を探ってもアテはなかった。
「あら、やっと起きたのね。おはよう、ねぼすけさん」
真横から聞こえる涼やかな声。そちらに目を向けると、そこには彼女の美貌に似合わぬ変なモノクルをかけた師がいた。
「……ここは? 見覚えのない部屋だが」
「
「そう……」
古ぼけて見えるのは当然か。この家ができてから五年十年では済まないだろうから。彼女の家なら納得だ。
ふいに何かを覗き込まれるような違和感。ほぼ勘だが、あのモノクルが原因のような気がした。
「特に問題はなさそうね。シオン、何か変な感覚は残っていない?」
「いいや、何も。完全に治ってるから大丈夫だ」
「そう。その様子だと記憶もそのまま残っているのね」
「面倒くさいことに」
正直過去の自分なんて見せたくはない。極端に人形染みた頃の自分も、他人を寄せ付けず獣のように感情剥き出しの頃の自分も。
……一番嫌な時期の自分を見られなかっただけ、まだマシだと割り切った。
「ところで。あなたは自分の能力をきちんと理解できたの?」
「いいや、全く。魂に関することだとはわかったけど、思考する時間さえ貰えてないからな。流石にわからない」
「なら私の推察混じりの答えを聞いて、正答か否か、考えてちょうだい」
コホン、と永琳は一つ咳払い。
「あなたの能力は多分、あらゆる魂を受け容れる類のモノ。そうね――言い表すのなら、『魂を同一化する程度の能力』かしら」
「同一化……?」
「あなたには魔力を操る才能がない。にも関わらずその魔力量だけは飛び抜けている。その一端はその能力を使って、無意識の内に相手の魂を自身のそれに閉じ込めているから」
「確かに魔力量については自分でもおかしいとは思っていたが、だからそうなるのは極端なんじゃないか?」
「理由もないなら、そうね。でもシオン。あなた、私を一度殺した時に、何かを言わなかったかしら?」
言った。確かに、言っていた。『すまない。アンタの顔は忘れないよ』――と。だが、それが一体なんなのか。
「極論に近いけれど。その相手に対する心情が無意識で作用しているのではないかしら。相手の魂を全て奪うのではない。魂の極一部、あなたに対するなんらかの感情――例えば憎しみ。その部分だけを抜き取る、とか」
だからあなたが向けている、向けられている感情が大きければ大きいほど、宿す魂は大きいのではないかしら。
そう言われて思い出すのは、自分の内にいた、大切な姉の魂。『いなくならないでほしい』と心底から願った唯一の相手。
「あなたの魂が風船。奪った魂が水。あなたが殺した人数は知らないけれど、例え万人を殺してもほんの少し抜き取るくらいなら、シオンの負担は少ない。……ここまでで、間違いはある?」
「……多分、無い、と思う」
向けられているというのはよくわからないが、自分が向けているという部分は合っているとシオンは思う。
感情が向くというのは、よくも悪くも興味があるのとほぼ同義からだ。それが自身の能力に作用していたとしても、まぁ、わからなくもない。
ただ一つ疑問なのは、今の説明では自分が使っていた能力を何一つ説明できないところだ。
「俺は今まで自分の能力が『細胞を変質させる程度の能力』だと思っていたんだけど、それは勘違いだったのか?」
「近くて遠い。本質的には似通っている、といったところかしら?」
「……?」
「見解の相違、というやつね。目に見える結果としてはあなたの言うとおりで間違いない。でも本来ならもっと違う表現があったはず」
そう言うと、永琳はシオンの胸元を指さした。
「一度、能力を使ってちょうだい。それできっと、確信できる」
「わかった。それで確信が得られるのなら」
とりあえず、包帯を巻かれている左腕を元に戻す。我ながら無茶をしたなぁと思ったが、いつものことなので割り切る。魂に感じる激痛と、左腕が逆再生のように直っていく異常な感覚。自身の能力を自覚してから妙に鋭くなったような気がする。
表面上冷静に見えるからなおさら質が悪い。傍目から見ると何の代償もなく傷を治しているようにしか思えないからだ。
「なんというか。気持ち悪い、としか表現できないわね」
「ぶしつけだな。そこまで酷いか?」
「魂のようなモノがグニャグニャと変形しまくってるのが気持ち悪くない、と?」
「どれだけだったんだよ……」
「理解できないくらい?」
「……あ、そ」
彼女が理解できないというのはそれだけで珍しいのだが、今のシオンは何故だかジト目を向けてしまう。
「ゴ、ゴホン。わかったのは『やっぱり』だったということくらいかしら」
「……ふーん」
「お、恐らくあなたは一度肉体情報を魂という無形に戻し、それから再度欠損した部位に再構成しなおす、というものよ。1を0に、0を1に……といったところかしら」
「……で?」
「あ、あなたが感じる苦痛は一時的に増える情報量の増大と、それを変換する時の違和感。そして減る情報量――つまり魂をすり減らす擬似的な感覚を覚えるせいではないかしら」
「――過程は違うけど結果が同じって、それのこと」
「そうなるわね」
それも、本当なのだろう。先の感覚はまさしく永琳の言うとおりだ。つまり、この能力を正しく言い表すとすれば――
「『魂を変質させる程度の能力』、かしら。あなたの『魂の同一化』という能力から派生して生まれた、完全に『個』の力を追い求めた最終系――」
モノクルを外し静かに述べる永琳。
「その言い方、どこか引っかかるんだが」
まるで揶揄するような発言。彼女は何かと見比べている、のだろうか。あるとすれば多分。今脳裏に浮かんだあの子、か。
「あらゆる存在と『同調』し支え進ませるアリス。彼女が傍にいれば細胞の活性化によって決して死なない死兵となれる。親が子を抱きしめるように包めば老いない不老となれる」
圧倒的な『量』を持って外敵を打ち破る支配者。全てのモノを纏め上げ進ませるその姿はまさしく女王。
シオンが最初に受けた力は前者。今回は後者によって命を救われた。
「他者の力を奪い己のモノとし善も悪も『受容』するシオン。魂を奪えば奪うほどに増していく力は、けれどたった独りで完結しきった閉じた力」
圧倒的な『質』で他を殺し地にふせる殲滅者。自らだけを高め続け誰にも頼らぬその姿はまさしく尖兵。
けれどその力は、シオンが、彼一人が考えた力しか伸びていかなくなる。
「私は、あなたがアリスを呼んだのは偶然ではなく必然だと思ってる。コインの裏表でしかないあなた達だけれど、巡り巡れば
「つまり、俺とアリスは同じだと?」
「根本的な部分では同じ、というだけで人間的には全く別物よ。
けれど本質が似ている。
例えばシオンもアリスも、外見で人を判断しない。どんな苦手な事でも受け入れ努力できる。人を疑いはするが一度信じると決めたのなら殺されたとしても信じ抜く。
それは上辺だけを見て中身を見ないのは愚かだと知っているから。苦手だからと何の対策もしないのは自らの首を絞めると身を持って経験しているから。赤の他人を疑うのは当然で、でもだからこそ、信じたのなら裏切られても当然だと思い、信じ抜く。
もちろん間違いはする。彼も彼女も人間だ。だからこの二人はあくまでとてもよく似ていて、けれどそれだけ。
「なるほどね。俺はアリスのようにはなれない。彼女みたいに自分と他の誰かの息を合わせるくらいなら、自分で全て終わらせる方が早いと思う人間だし」
「それがアリスの美徳だもの。仕方がないわ」
個人で完結するシオンと、誰かと共に何かを為すアリス。どちらがいいかと言われれば、どちらとも言えないが答えとなるだろう。
「……雑談はここまでかしら。見て大丈夫、話して大丈夫。なら後は軽く動いて調子を把握すればいいわ。ただし。変質の方の能力の使用は厳禁。負担が大きすぎる。そうね……一度庭にでも出たらどうかしら。中々立派な庭だから」
言って立ち上がると、彼女は襖を開けて外へ出ていく。元々診察しにきただけで、能力云々はそのついで、といったところか。
「よし」
ダルい体で布団を押しのけ、シオンは庭へと向かった。
ギィギィと鳴る床を歩き、シオンは左目についていた眼帯をいじくる。寝ていたときは特に気にならなかったのだが、若干頭を締め付けられる感覚には違和感しか感じない。一応針で貫通された義眼は取り外されているようで、虚ろな空洞はこれによって外から見えない。
服装は何故か浴衣に変わっていた。丈があっていないからか袖は手を覆い隠し、裾はうまく調整しなければ転びそうな程長い。……誰が着替えさせたのかは努めて考えないようにする。
一見普通に歩けているが単なる痩せ我慢、実はけっこうシンドいシオンだったが、それを表に出せるのなら苦労はしない。結局呼べば来てくれるだろう永琳や、居るのなら同じく来てくれる可能性の高い藍を呼ばずに庭へ到達する。
「へぇ……確かに立派だ」
ほぼ同じ大きさで尖ったものを失くし怪我をさせないように工夫している石、生き生きとした鯉が飛び跳ねる池、木々を植え緑を増やし、だが一色だけに染まらぬよう各所に花を咲かせている。
大きな石がある場所に乗って移動すると、先程から聞こえたチョキン、チョキン、という音が段々と増していく。
しばし歩くと、フリフリと尻尾を揺らしながらフンフフ~ンと鼻歌を奏でつつ盆栽をしている少女の姿が。凄まじいミスマッチだが不思議と様になっている。まことに不思議である。
当の彼女はというと、シオンに気づかずいくつもある盆栽を眺めては余分なものを切り落としている。そうして満足をしたかと思えば大きくうんっ、と頷き、満足気にニッコリと満面の笑みを浮かべた。
服装に彼女の被っている帽子、それに妖怪としての気配と微かに感じる藍の妖力――総合的に見て彼女は藍、あるいは紫と関係があると見ていいだろう。
とはいえ彼女自身に大きな力はない。むしろ、弱い。
ガリガリと頭を掻いて荒れかけた心を静める。自分はまだこの世界に呼ばれたことを気にしているらしいと、意外と短気な自分に呆れ果てた。
そのため息で所在を気づかれたらしい。ビクリと肩を竦ませた彼女は恐る恐る振り向き、そして目があった。
「で」
「……で?」
「出たあぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁ―――――――ッッッ!??」
ズザザザザッッ、と後退り一気に逃げ出す彼女。一瞬頭に?を浮かばせたシオンは、ふいに自分の姿を思い出す。
白髪赤目、眼帯、病的なまでに白い肌。体調が悪いから多分いつもより青白い。そして丈の合わぬ無駄に大きな浴衣――まるっきりよくある幽霊である。
とはいえ。
「……妖怪に怯えられるっていうのも、なんというか」
アホみたいな話だった。
近づくたびに叫ばれて遠くに行かれるので、最終的に足を見せて幽霊ではないと証明するまで約四半刻。
――彼女は散々怯えた姿を見られた事に羞恥を感じて木陰に隠れていた。
膝を抱えてプルプルと震える姿は愛らしいという他ないが、このままでは自己紹介すらままならない。シオンはもう一度ため息を吐く出すと、彼女の頭をポンと叩いて横に座った。
何も言わず、身動ぎさえしないシオンに、やがて冷静さを取り戻したらしい彼女がおずおずと顔をあげる。一瞬怯えていた子猫が少しだけ擦り寄ってくるような感慨を覚えたのは、彼の心に秘めておく。
そしてその時やっと、シオンは彼女の顔をきちんと見れた。
恐らく緋色に近い赤みがかった髪と目。クリクリとしたその丸い目は好奇心の大きさを表しているようで、猫の妖怪か何からしい彼女にとても似合っていると思う。しかしそれはそれとして、先程からジロジロ眺められるのは少し居心地が悪い。
「俺の顔に、何かついてるのか?」
「え……あ、ごめんなさい。紫様が客人を連れてくるのは、珍しいので」
失礼の無いようにしなさい、そう言われていたのだと彼女は言う。それも既に無いも当然だったが、シオンは特に気にするような人間ではない。
「別にいきなり殺りにかかられた訳でもないし……」
「はい?」
「何でもない」
こと自分に関する事柄には寛容なシオンである。
「ところで、一番大事なことをずっと忘れてるんだが」
「なんでしょうか」
「――名前、何て言うんだ?」
「……」
――あ、と言って口を押さえたのは、きっと、忘れていたからではないと信じたい。
気を取り直して、二人は改めて自己紹介をする。
「
「シオンだ。見ての通り、ちょっとおかしな人外だ」
「苗字、無いのですか?」
「あるといえばある。無いといえば無い。そっちは?」
「私は八雲の性名を与えられておりませんので、単なる『橙』です」
妙なところで妙な共通点を見つけてしまった。
「なんで橙は庭で盆栽を?」
「ぁー……実はこの庭園を維持してるのって、私なんですよね」
「は?」
この見事な庭園を、彼女一人で?
「あまりに殺風景過ぎたので、つい。紫様に頼んで必要なモノを用意してもらって、数百年以上かけてここまでやれたんです」
「そこまで時間をかけていたのか」
ハー、と感嘆の息が漏れる。シオンには想像のつかない苦労の果てに成したであろうことを、純粋に凄いと思う。
「と、言っても自分としてはそこまで凄いとは思いませんが」
「なぜだ? 数百年も続けられるなんて、並大抵のことではないと思うが」
「自分のためにやっているからですよ。そう、ですね。シオンさんは妖怪によく見られる症状を知っていますか?」
「症状? なんかの病気か?」
「病気、というより慣習ですが……あまりに長く生きすぎると、色々
他を省みずただ自己欲求に従い行動する。それは確かに楽ではある。それでも、橙はそんなことをしたくなかった。
「私は化猫ですが――藍様から知性をもらいました。子供程度の知性ではありますが、欲求に従い生きる彼らは、まるで。……獣のようでした」
怖かった。あんな風に生きるのが。いつか自分もあんな醜い姿になるのか。
彼らがああなった理由も予想できる。壊れたのだろう、と。
「長く生き過ぎて生きる意味を見失う。その結果が思考放棄の欲求優先本能丸出し、獣染みた生き方なのでしょう」
「それは……鬼達よりも、酷そうだな」
「ですね。彼らも目先の欲求優先ではありますが、自分達で定めたルール、その最後の一線だけは決して越えようとはしませんから」
ここまでの話から、なんとなく見えてきた。
「つまり庭園の手入れとかは、そうならないための予防線……?」
「趣味があれば……自分がやるべき事があれば、きっと『ああ』はならない。なんて、わかりやすい思考からやってみようと思いまして」
結果としてここまでなったのだから、彼女の目論見は大成功と言えるだろう。卑下する必要はないはずだ。
「ま、まぁ個人的な問題ですので、余り気になさらず」
出会ったばかりの人間にここまで話してくれただけでもありがたい。そう思ってここは引き下がったほうがいいだろう。
ピクリと彼女の猫耳が微かに動く。それは注視していなければ分からない程で、橙が何かに気づいたのだろうと思わせる動きだった。
「私はそろそろ失礼しますね。無駄に荒らしたりしなければ適当に歩いて回っても構いませんので、どうぞごゆっくり」
去ろうとする彼女を止めるつもりはない。
が、一つだけ指摘しておいた方がいいだろう。でないと次も同じ態度をとられてしまいそうだ。
「
肩を震わせる橙。振り返りペコリと頭を下げるとそのまま早歩きで行ってしまった。謝ってもらいたいんじゃなかったけど、と思ったが、それを言ってもまた謝られるだけだろう。
「で、どーするかな」
今も少しずつ近づいてくる気配。
『彼女』と会うとなると、ちょっと気分が暗くなる。気付かなかったのは体調の悪さと、後は橙の話に注意しすぎていたのが原因だろう。それを狙っていたとしたら中々に策士だ。
ジャリ、と石を踏んでいく音が間近から聞こえてくる。
「やっと起きたんだね。三日も起きてないから心配しちゃった」
「……三日?」
なるほど。寝起きに永琳が『ねぼすけ』と言った理由がよくわかった。確かにねぼすけさんである。
そして、目の前で眉根を寄せたフランの顔を見てると、どうにも申し訳なく感じる。
「手に持ってるそれは?」
「お粥。色々工夫して栄養たっぷりになってる……はず。味見もしたけど、そこそこ美味しかったよ。咲夜みたいには、できないけど」
「その言い方からすると、それってもしかして」
「うん。私が作ったんだ」
言ってシオンの前に置き、蓋を取る。つい先程完成させたのか、湯気が大量に溢れてくる。湯気が眼に沁みてつい閉じてしまう。少しして目を開けると、心なし多めの野菜、芋、栄養価の高いもの……というより薬に近い、そのものな効能を持つものも入れてあった。
「ふ、不揃いでごめんなさい。まだうまく切れなくて……」
確かに大きさはまばらだが、気になるほどでもない。そこまで浮かない顔をする必要はないはずだ。
「だって、シオンはすぐにうまくできてたし」
「あー……それは」
原因は自分にあったらしい。だがある意味ズルをしていた身としては少し後ろめたい。
「『刃物には慣れている』――それだけじゃ説明できないくらい上達が速かった。そう咲夜は言ってたよ。どうしてそんなに上手く作れたの?」
「一応それも事実ではあるんだけどね。――ま、いいか。フランなら」
一瞬フランがキョトンとし、ついで赤くなってワタワタしているのを横目にお粥を一口。感想から言うと――薄い。全体的に味付けが薄いのだ。
恐らく体調の悪さを慮ってのことなのだろうが……薄すぎて辛い。
微妙な顔をしているとわかったのか、フランがおずおずと聞いてくる。
「えっと……美味しくない?」
「美味しいことは美味しいんだろうけど……味が、薄い」
「え、でもシオンって五感がすっごい鋭いんじゃ?」
「普段は常人程度に落としてるよ。いや、落としてるというか……」
何と言えばいいのか。異常を晒すだけなのでなるべくやめておきたいのだが。
「切り離してる、が正しいのかな」
「え? どういう? 全然意味がわからないんだけど」
「つまりなんだけど。自分の体を人形とかに見立てて腕がもげようがどうなろうが、『痛覚があっても何も思わない』状態を維持してるというか――感情と感覚の切り離し?」
「……」
「それを応用して五感の全部を閉じてる? というか、下手に一箇所だけ開いてるとその部分だけ過剰反応とかするから、気が狂う」
ちなみに触覚を閉じて味覚だけ上げていると味が過剰過ぎて飲み込むのも辛かったり。逆に触覚だけ上げていると何を食べても砂利を食べているようにしか――みなまで言うまい。
だから普段は五感を下げて、警戒時は多少、戦闘時はほぼ上げきっている。
と、いうようなことをツラツラ説明しつつ五感を微調整しつつ、ちょうどいい具合になったら止めてお粥を美味しく食べていると、フランが額を肩に当ててきた。
「シオンは……どんな生き方をしてきたの?」
「それは、俺が『オレ』と言っていた時のことか?」
「それもあるけど、アリスって子が言ってた『人形みたいだった』っていう頃のことも」
顔が歪むのを感じる。前者はともかく後者は知って欲しくなかった。
「……そっちは勘弁してくれ。もう一つなら話すから」
「わかった。我慢する」
「ありがと。――そーだな。あの頃はもう何も信じてなかった。精々が動物くらいで、意思を持ち知性を備えた人間が、俺には醜悪な獣にしか見えなかったんだ」
だから感情剥き出しにして威嚇することで、心を閉ざした。途中で食料不足故に多少の譲歩を覚えた頃の自分になったが、大差ない。
「ま、単にそれだけのしょーもない理由だよ」
「しょーもないって。じゃあ、シオンが『俺』って言うようになったのは?」
「姉さんに調きょ――もとい注意されてなった」
何でも『声が鋭すぎる』だと。
『いい? 『オレ』と『俺』だと後者のほうが柔らかく聞こえるでしょう? 最初から敵意を向けてるみたいな言い方だと余計な悪意を買うから、もうちょっと改善して。ね?』
「――とまあ紆余曲折あってこうなった」
「はぁ……お姉さんの苦労がしのばれるね」
ハァ、と息を吐くフランに、よし話を逸らせた、と思った瞬間。
「――で、どうしてそんなにうまく作れたのかな?」
――逸らせてなかった。
「『完全記憶能力』と『高速思考』があるから」
面倒くさいと感じたシオンは、『まぁ、フランならいっか』と割り切った。
「この世界の大半の物事は反復作業だ。何度も繰り返して覚えていく――なら完全記憶能力があれば? 自分がやった事を全て覚えているこの能力があれば、どこをどう間違えてどう改善すればいいのかが全部わかる」
そう――これがズル。その一つ目。
「そして高速思考で一度目にやった作業を思い返しながら二度目の作業をする。それでまぁ、大概うまくいくんだよ。見本があるなら尚更ね」
そして二つ目がこれだ。完全記憶能力だけでは単にイメージを固められるだけ。そこに高速思考があってはじめて『作業をしながら思い返す』ことができる。
シオンの物覚えがいいのは比喩ではない。文字通り完全なのだ。
「だから俺を杓子定規に当てはめると色々面倒くさいぞ。自分の速度でやったほうがいい」
全てを告げてもシオンは妬まれるだろうと自覚している。大半の人間は相手の持つ悩みを察せないものだ。シオンの姉でさえ、冗談だとわかっていても『ズルいズルい』とよく口にしていた。
「大変――だったんだね」
――だけど。
この優しい吸血鬼は、察してくれた。わかってくれた。
「いきなり何を?」
「『完全記憶』――か。便利なんだろうけど、それってつまり
「ああ、そうだな」
「じゃあ、シオンは――お姉さん、が、死んじゃった時のこと……」
本当に、怯えながら聞いてくるフラン。今は少しだけマシだが、かつては暴走するほどに
「忘れられない。どれだけ願っても、姉さんを殺した男の顔が忘れられない、んだ」
シオンは覚え続けている。体に帯びた苦痛を。殺した人間の顔を。全てを失う喪失感を。
「本で読んだんだ。人が『忘れる』のは自分の心を守るためだって。それでシオンがずっと精神を蝕まれてたのは、その能力があったせいなんだって、気づいたの」
「随分と、賢くなったな」
「ふふ、凄いでしょ? ――って言えたら、よかったんだけどね。八意永琳って人から、シオンが眠ってる間にこれでも読んでなさいって渡された本を読んだだけなんだ」
だからこう言えた。そうでもなければフランでさえ『ズルい』と言っていたかもしれない。
「結果論だけどさ。それでも嬉しいと思ってるよ。例え知識として知っていても経験に活かせるかは本人次第。俺がよく知ってることだから」
「私も地下にいた時の記憶があるから、よくわかるってだけだよ。ねぇ、シオン。一つだけ、お願いがしたいことがあるんだ」
「お願い? 何を?」
クスクスと笑って、フランは声を潜めるために口元を寄せてきた。
「うん、それはね――」