誰もが例外なく寝転がっている。
死んでいるわけではない。ただ酒の飲み過ぎで、静かに胸を上下させているだけだ。夜に浮かぶ月がかろうじて明かりを降ろす中、紫苑は一人の少女に近づいた。
「――何の御用でしょうか」
足音一つ出さなかったはず。なのに少女は薄闇にたたずむ紫苑を見つめていた。まるで、自分の要求を既に悟っているかのように。
彼女の静謐な瞳はどんな光景も映さない。あるいはそれが、聞き知った彼女の能力を発動させない条件なのかもしれない。
「一つ聞きたい」
けれど紫苑にそんな事は関係ない。気になることは他にもあったが今回の件に関わらないし、今ある目的は一つのみ。
「幻想郷の外に出るための術式は、あるのか?」
内に入る時は結界に干渉したらしいが、ならば外に出る時はどうするつもりだったのか。蛍の目的は結界自体の破壊だったようだし、誰にも悟られず外に出るのは至難の技かもしれない。
破壊してしまえば、出る手段など考える必要は無いのだし。
こちらの意図を見抜こうとしたのか、初めて彼女は自分の姿をその目に映す。しかし、荒事に慣れているとは言えども紫苑とは年月が違う。人の顔を見て何かを察するには彼女はあまりに経験が足りなさ過ぎたし、逆に彼はそれを隠すのに慣れすぎた。
結局真意は、見抜けなかったようだ。素直に聞いてくる。
「目的は、なんなのでしょう。私ではなくとも、八雲紫に聞けばよろしいのでは」
「紫じゃダメだ。彼女はあくまで管理者で、『八雲』になった俺が不用意に外に出ることを許さないだろうから」
幻想郷の外は、紫が把握できる物事の範囲外に完全に出てしまう。よりにもよって『八雲』の紫苑を外に出し、万が一暴走すれば目も当てられない。内にいる者達の『八雲』に対する不信感を煽ることになるからだ。
かといって紫苑が自分の手で外に出るのもマズい。白夜はあくまで自分が行った場所にしか転移を許そうとしない。将来的には可能かもしれないが、少なくとも今は無理だ。
結界をぶち抜いていくのは論外。
つまり、『誰にも悟られず』外に出るには、第三者の手が必要だった。そしてそれを可能にするのは、紫苑の知る限り一人だけ。
「ここまでで質問は?」
「とくには。……ああいえ、一つだけ、お聞かせください」
ジッと紫苑を見る沙璃亜。どことなく似た風貌の人間に見られると、鏡を見ていると錯覚してしまいそうだ。
もちろんそれは錯覚だ。よく見れば細かな違いはあるし、何より性別の差は大きい。
感じたそれを誤魔化すように、紫苑は仕草で続きを示す。
「外に出て、一体何がしたいのですか?」
……確かに、それは彼女のわかりやすい疑問だろう。
少なくとも紫苑が外に出る理由はない。外敵たる蛍は倒し、現状目前に迫った脅威はない。紫苑がわざわざ変なリスクを背負う意味はないのだ。
――だから、これは単なるワガママ。
「殺す人間がいる。……それじゃダメか?」
一気に眉を寄せる沙璃亜。
けれどそれもすぐに解消される。頭の回転は悪くないらしい。ありえないようなものを見る目で見つめてくるのは少し傷ついたが、まぁ、わからなくもない。
「蛍の、代わりに?」
「ああ」
「見返りは?」
「あると思う?」
「……する、意味は?」
「自己満足」
理解できない、と困惑する彼女に、紫苑は更に近づき、顔を寄せる。お互いの目に映るのは、お互いの顔だけ。
「協力してくれるのか、しないのか。それだけ教えてくれ」
「……」
数秒か、数十秒か。沙璃亜は瞑目し、そして。
「――わかりました」
パシン! という音がすぐ傍から響く。
「協力致します。我が全霊を持って」
あっさりと
兵は拙速を尊ぶ。
その言に則り、紫苑と沙璃亜は迅速に移動を開始する。白夜で博麗神社に飛び、その更に先にある結界の縁に立つ。
そこからは沙璃亜の出番だ。術式を視る事に関しては最強の眼を持つ彼女は、かつてより改良されているはずの術式を看破し、影響を及ぼさずに外へ出る方法を編み出す。
張り巡らされた結界の穴を作り、外へ出る。その寸前、紫苑は聞いた。
「なあ、どうやって貴女は術式を使ってるんだ? 気も、魔力も、霊力もない。なにを代替にして動力源を確保して……」
「龍脈、あるいは霊脈と呼ばれるそれから拝借しています」
「へえ? ってことは、あの時の龍はもしかして」
「私が作ったものでしょうね。術式が発動しなかったのを見るに、防いだようですが」
言外に『アレを防ぐなんておかしい』と責められた気がしたけれど、言われなかったのでスルーしておく。
何故か溜め息を吐かれたが、気を取り直すように彼女は告げる。
「代わりに、私は脈が通じていない場所では無力です。辛うじて武器は扱えますが、その方面の専門的な分野に携わった人間では時間稼ぎしかできないでしょう」
「大丈夫だ。戦闘自体は俺がやる。貴女は俺が集めた情報を纏めてくれるだけでいい」
元より実行するのは紫苑一人だけだ。
「……というか、外に連れてってくれるだけで俺としては十分だ。逃げたいんだったらこのまま逃げてもいいんだぞ」
「逃げて、どこに行くのですか? 身分証明どころか金も住む家も無い私に帰る場所なんてどこにもありません。体を売るなんて反吐が出ます」
汚い言葉が飛び出すほど、紫苑の言葉は沙璃亜の逆鱗に触れたらしい。ある意味紫苑の言葉はブーメランだったのだが、彼女はそれに気付かなかった。
「……悪い。ならこれが終わったら、幻想郷で暮らせるように紫に言おうか?」
「彼女は私に相応の恨みを持っているのでは。無謀というものでしょう」
「紫が個人の感情を優先させることはほとんど無いだろうさ。幻想郷を守るために使えるものはゴミでも使う。沙璃亜が結界強化に協力するのなら、対価はちゃんとくれる」
無理矢理言うことを聞かせて壊すより、物を与えたほうが人は働く。そこまで言い切ると、沙璃亜は納得するように頷いた。
「なるほど、よくも悪くも為政者と。それならば理解できます」
「どちらにしろ、全部終わってからだ」
開いた穴に向けて、紫苑は足を出す。沙璃亜も紫苑の後へ続く。
――紫苑自身も、紫にとっては『使える道具』の一つでしかないことは、結局言わなかった。
外に出て真っ先に感じたのは、『汚い』だった。
空気も、空の色も、何もかも。ありとあらゆるものが、紫苑の五感に対して薄汚れていると告げてくる。
「幻想郷が綺麗すぎるのです。あそこには、科学的なものはほとんどありませんから」
紫苑に説明するというより、確認のために呟いたような言葉だった。
「それで、ここからどうするのですか。私は紫苑についていくだけのつもりですが」
「行動方針を決める前に、一つだけ。貴女達は幻想郷に来る前に、多少でも情報を集めたりしたのか?」
「ええ、もちろんしました。その結果『私達にはわからない』という事になり、世界に綻びを作るために幻想郷を壊そうとしたのですから」
「って事は、その『集めた情報』がある場所は存在するんだろうな。燃やして隠滅した?」
「……しては、いませんが」
「ならまずはそこに行くぞ」
あっさり決めた紫苑に、沙璃亜が慌てて告げる。
「ま、待ってくださいっ。隠れ家は別の国にあるんですよ。どうやって誰にもバレないように向かうのですか?」
金はない。パスポートもない。どころか戸籍さえ存在しない紫苑。色々なモノが不足している状況で、けれど紫苑は沙璃亜の想像を超える発言をする。
「……金なんて、いるのか?」
「は?」
本気で言っている紫苑に、一瞬沙璃亜は固まった。その隙をついて彼女を横抱き――いわゆる女性の憧れ『お姫様抱っこ』で持ち上げる。
ひょいっと軽く持ち上げる紫苑に、やっと再起動した沙璃亜は戸惑いの眼を向ける。
「一応、言っておきますが。空を飛んでいくのは下策ですよ。人工衛星や、そうでなくとも監視カメラが至るところにあります。
「要するにバレなきゃ問題ないんだろ。方角は?」
「……。あちら、です」
全てを諦めた沙璃亜が指で指し示す。
「よし。んじゃ、行こうか」
暗い暗い森の中、紫苑は疾走する。抱きかかえられた沙璃亜にかかる負担はない。どころか振動すら感じない。
道中散らばる小石や小枝、乱立する木々を避けるために右に左にと移動しているのに。沙璃亜はなんとなく、この辺りの技術的な差が蛍に勝ったのだろうかと思った。
トン、と紫苑は足を止める。
毒々しい光りがあたりを照らし、車や人が行き交う騒音が耳を叩く。
「それで、ここからどうやって移動するのですか」
紫苑も沙璃亜の格好も、目立つ。黒いフード付ローブで全身を隠す不審者と、それに抱えられる巫女。どう考えてもおかしい。
「ちょっと揺れるかもしれないから、気をつけて」
それを封殺して、紫苑は建物の上に降り立つ。音を立てる愚行はしない。そこからどうするかなんて、決まってる。
建物から建物を、飛んでいくだけだ。
眼球を忙しなく動かし、監視カメラを見つければそれらの死角を通る。一瞬人のいる頭上を過ぎるが、例え見つけたとしても気のせいで終わる。それが人という生き物だから。
轟々と吹き付ける風から顔を守るために目を閉じ紫苑に抱きつく。唯一の救いは揺れるかもと言いつつ揺れない事だろうか。これで揺れていたらパニックになって落ちていたかもしれない。
車が移動するよりも速く紫苑は駆ける。
「……、…………」
高所恐怖症ではないが、それだってあの速度で命綱無しは恐ろしすぎる。
「――おい、沙璃亜!」
「ひっ!?」
ビクッと体を震わせる彼女は、とても霊夢と競り合った巫女とは思えなかった。
数秒後。――真っ赤になって震える少女がそこにいたのは、言うまでもない。
それでも自分の役目を思い出したのか、我慢して言う。
「方向はこのままで合っています。海を渡った更に先ではありますが、少なくとも近づけば細かな指示は出せますので」
「……速度、落とせばよかったか?」
「人が必死に忘れようとしていることを思い出させないでくれます!?」
ご、ごめんと素直に謝る紫苑に、沙璃亜は怒り顔で迫ってくる。
「大体ですね、人は飛べないんですよッ。生身で飛べる幻想郷の人達がおかしいですから。それがあんな速度で移動するとか恐怖以外の何モノでもありませんから!!」
沙璃亜は確かに異能を宿してはいるが、それ以外はむしろ世間知らずの女の子にすぎない。非常識の塊である幻想郷は、少女の認識を大いに狂わせただろう。
手をあげて非難を受け入れた紫苑は、これからやる事も大差無いんだけどなぁ、と近い未来のことを憂いた。
怒られる時間も勿体無いと、沙璃亜を無理矢理背負うと、海へ向かって駆け出す。
「ちょっと、私濡れたくないんですが」「聞いてます?」「聞いてませんよね?」「少しくらい人の話を」「いいから止まって濡れ鼠なんてイヤですからぁぁぁぁぁっぁ!?」
なんて叫びが聞こえたが無視。どちらにしろ濡れないんだし。
ピチャチャプと水が微かに跳ねる音。必死にしがみつく沙璃亜は、ふと自分が全く濡れていないのに気づく。後ろを見やれば確かに遠ざかっていく街が見える。前を見ると無限にも思える暗闇があった。
なんとなく下を見て、沙璃亜の頬は引きつった。
極々当たり前のように水の上を走る紫苑。もうヤダこの非常識人……と、蛍よりも色々バグってる紫苑に(比較的)常識人の沙璃亜の目がキラリと光った。
水の上をただひた走る作業は単調だ。二人の間に会話はなく、つまるところ暇つぶしは存在しない。すると、特別な訓練も何も積んでいない沙璃亜を眠気が襲う。時刻にすると既に深夜に迫るくらいなのだ。限界だった。
「寝たいなら寝ていいぞ。寝心地は保証できないけどな」
その言葉を合図に、沙璃亜は張り詰めていた緊張を解いた。
背中で脱力しスースーと寝息をたてる少女を落とさないよう、背負いなおす。こういった単調作業、嫌いじゃない。同じことをしているだけでいいのならあまり考えなくてもいいし、これからの事に浸れる。
蛍の代わりの復讐は、多分そこまで時間はかからない。蛍と沙璃亜が集めた情報量次第だろう。その後は幻想郷に帰ることだがこれも白夜を使えば一発だ。問題は、勝手に外に出ていたのを見咎められるくらいか。
徐々に白み始める空。実際は移動のしすぎで時差が起こっただけだが、どうでもいい。どの道すぐに『暗くなる』のだ。
水の上を走っていた足を止める。必然紫苑と沙璃亜は水に沈むこととなるが、同時に黒陽の力を発動。全身を球体で包み込み、水を防ぐ。
もちろんこのままでいれば水の流れによって見当違いの方向へ行くことになる。その前に術式を展開して自分の周囲の水の流れだけに干渉し、進む。これなら人工衛星に見つかる可能性は低い。
問題点は星を見られないから自分の位置を確認できないことだが、勘で何とかする。
一体何時間経ったのか。一寸先も見えない暗闇では時間の把握が難しい。常人なら気が狂ってもおかしくないので、沙璃亜が寝ていたのは運が良かった。
気づけば陸が近づいている。人の気配もほとんどない。タイミングを測れば誰にも知られず上陸できるだろう。
数時間ぶりに外の空気を吸った紫苑は空を見上げる。緯度と経度が変わったからか、空が違うような気がした。
日陰へ移り、彼女の格好を隠すようにローブで包んで地面に横たえ、頭を膝の上に置く。ついでに風に乗って運ばれる潮風に髪がベタつかないように纏め背中に流す。そんなことをしていると、ふと早朝故に人の姿はないが、傍から見ると恋人同士に見られるかもしれないな、なんてどうでもいいことを考える。
実際のところは恋人なんて生易しい関係ではないが。
「う、ん……ん……?」
「起きたか」
寝呆け眼で紫苑を見上げる沙璃亜。頭が回転を始めると、自分の体勢を理解したのか紫苑を怒鳴ろうとし、けれどそれが自分を思いやってのことだと自制し、最終的に小さな声で、
「ありがとう、ございました……」
と、言ってきた。
「どういたしまして」
なんというか、と紫苑は思う。まるで子供を相手にしているみたいだ、と。
慣れない接し方をされているせいで戸惑いが強く現れている。反面今までの人生で培った冷静な思考がそれらを戒めている、ように見えた。
関係ない、と紫苑は考えるのをやめた。少なくとも、これからの事に私情を挟めばそれは不利になる。
沙璃亜が完全に起きたのを確認したら、もう一度背負って移動を始める。見つかるヘマ何て、する訳がなかった。
隠れ家はマンションの一室。木を隠すなら森とはよく言うが、極一般的なマンションに情報を隠すとは思ってもいなかった。
とはいえ沙璃亜は鍵を持ち合わせていない。仕方なしに紫苑が黒陽で鍵を作り扉を開ける。部屋の中は一目見てわかるほど埃だらけになっていた。
「きったな」
「三年ほったらかしにしていれば当然でしょう」
「むしろ契約切れてなかったのが驚きだよ」
「十年単位で契約しておきましたので」
値切るために、と手で丸を作る。世知辛い世の中だ、と返した。
「ここまで来れば大丈夫です。念のためある程度の資金をここに隠しておきましたので、無駄遣いしなければ問題無いでしょう」
パチンと沙璃亜が指を鳴らす。それだけで部屋に刻まれた術式が眩い光りを放ち、部屋を完全に綺麗にした。
「さ、これで問題はありません。情報を載せたパソコンはそこに。……使えます?」
「……多分?」
ちなみに普通に扱えた。
紫苑が情報を読み取る中、沙璃亜は着替えて買い物に出かけた。流石に三年も経っていては保存食を口に入れるのも不安なので、いっそのこと全部買い替えるつもりだ。
一方で紫苑は予想外の情報量に驚いた。これだけあれば十分だ、と。
なので家に残っていたお金を借り、家を出てこれまた紫苑も買い物に出かけた。
沙璃亜が家に戻ると、紫苑がカチャカチャと機械を弄っていた。
「……何してるんですか?」
「んーちょっとしたこと。気にしないでくれ、そのうちわかるし」
「はぁ……」
納得していないながらも沙璃亜は素直に引き下がり、調理し始める。久方ぶりの外の料理なので若干気分良く作れた。
会心の出来だと笑みを浮かべる。蛍も契約上の協力者も全然反応してくれなかったので紫苑は何か一言くれるだろうか――と思った瞬間、それが期待故だと理解しぶんぶんと頭を振る。
「料理、できましたが」
「わかった、今行く」
ちょうど紫苑も終わったところだったのか、機材を片付けていた。
と、そこで紫苑が沙璃亜に複雑そうな顔を向ける。小首をかしげると、紫苑は卓につきながら言った。
「……恨みとか、無いのか?」
「何に対する、恨みでしょう」
「蛍を殺した俺に」
ああ……と沙璃亜は納得する。先ほどの複雑そうな顔はそれでか、と。
「ありませんよ?」
沙璃亜は確かに蛍に救われたし、行動を共にしていた。仲間でもある。友でもあった。恋仲に発展するにはお互いをよく見ていなかったため無理だったけれど、だからこそわかることもある。
「蛍は復讐者でしたが……同時に、死に対する願望を持ち合わせていました」
復讐対象がわからない。だから世界を巻き込む事さえ躊躇がなかった。
けれどそれは、そうしたいのとイコールじゃない。巻き込まないですむならそうした。
「彼は……蛍は、自分じゃ止まれなかった」
「……」
「だから、きっと求めてたんです。自分を止めてくれる誰かを。殺してくれる
どこかで聞いたような話だった。それも、至極身近な。
「私はそれを聞いていたので、彼に対して恋愛感情を抱くことはありませんでした。私は『生きていたい』から、『死にたい』と願った彼を好くのは、あまりに接する時間が短すぎて」
命の恩人、蛍はそれ止まりだった。
だから沙璃亜が次に言う言葉は、きっと――
「ありがとうございます。恩人を、救ってくれて。彼を助けた人に、どれだけ誤っても顔向けできないような行為をさせないでくれて」
「……身近な人を殺して感謝されるのは、初めてだな」
怒り、憎しみ、悲しみ、恐れ、殺意、そういった感情を向けられたことはあっても感謝された覚えなどない。
沙璃亜もわかっているのだろう、私達は特殊ですから、と自嘲気味な笑みを浮かべた。
その笑みが、妙に紫苑の頭にこびり付いて離れなかった。
夜。太陽が沈んですぐの時間。
紫苑はローブを纏い、マンションの窓から外へ出る。
「気をつけてください。相手は国家権力に守られています。下手な殺人は自分の首を絞めることになりますよ」
そんなアドバイスを貰いつつ。
残った沙璃亜はパソコンに繋げられた機材を見つめる。それは紫苑が作った、紫苑が見たものを映す映像機器。
「一体どうやって映すのでしょうかね」
そうボヤきつつ、彼女はスイッチを押した。
駆ける。駆ける。ひたすらに。遠慮などなく。今、紫苑の背中には羽があった。艶やかな黒、烏の羽が。音速を軽々と超えるその速度を、紫苑は自在に使いこなす。
とはいえ時速何百キロで進むべきか。出しすぎて目標地点を飛び越えても意味がないため、途中速度を落とす必要がある。常に音速移動は下の下だ。
そもそも紫苑は今自分がどこにいてどこに向かっているのかすら知らない。その辺りは沙璃亜に一任した。彼女はオペレーターだ。携帯機器など使わなくとも術式を使えば色々代用できるので警察やらなんやらに盗聴される心配もない。油断はできないが。
『紫苑、速度を落としてください』
「了解」
徐々に速度を落としていった先で見えたのは、どこか寂れたように見える町だ。否、だからこそ隠れ家として使えたのかもしれない。
『紫苑、一体どうするつもりなのですか? 彼らは確かに暗殺などの汚れ仕事を請け負っていましたが、彼らは既に引退者です。数年前の出来事に関わっているとは思えません』
「だからだよ。汚れ仕事から足を洗ったからといって、その間起こった出来事とは無関係でいられない。『知りすぎた』彼らを殺すための刺客は絶対に存在する。そんな奴らから自分の命を守るには、どうすればいいと思う?」
『……蛇の道は蛇に。彼らは現役の暗殺者達から情報を受け取っている?』
「代わりに何を受け渡しているのかは知らないけどね。興味もない」
そう、紫苑が興味を持つのは――
「話してくれる必要なんてない。勝手にお前達の魂が教えてくれる」
蛍の恩人を殺すように依頼した人間。引いては実行者達の情報だ。最悪暗殺者全員の情報を引きずり出して、一人一人確認すればいい。
「尋問いらずって、ホント便利だよね?」
そう言い笑う紫苑は、確かに死神のような不気味さを携えていた。
殺さずにすむのなら事は簡単に終わる。そう思っていたのだが、ちょっと驚いた。
「……誰だ、テメェ」
わざわざ不器用な英語で対応してきた。しかもこの間に音を出して敵襲を知らせている。本当に驚かされる。流石に本業の暗殺者相手に奇襲は難しいと思い知らされた。
銃を向けられたにも関わらず横を見ている紫苑を理解できないように見てくる。
「奇襲するのはいいけどちゃんと狙ってね? 相討ちさせて『あげる』から」
クス、クスクスクスとあえて甲高い声で笑う。女の口調で、けれどどことなく男に見えるような態度で。
ジリジリと迫ってくる相手に、紫苑はただ一言、呟いた。
「眠って」
その言葉を合図に、彼らはその意識を閉ざした。
『何をしたのですか』
「黒陽で相手の頭をぶん殴っただけ。まぁ……」
紫苑の影がうねうねと蠢き、集まっていた暗殺者達の身柄を周囲に集めていく。
「ちょっと、やりすぎたかな?」
既にその顔に、優しさは欠片もなかった。
相手の心臓から魂に接続し、彼らが歩んだ道のり全てを見通す。幸福も不幸も全て等しく。同情はしない。感動もしない。あるがままに受け入れていく。
終わった者から順に元の家に戻していく。有用な情報は回収できた。問題は、その暗殺者が今どこにいるのかという事なのだが。
「足はあるんだし、ヒントもある。後は総当りになるかな」
さよならと告げて、痕跡も残さずその場を去る。
『次はどこに?』
「助け合わず自分の力だけで逃げる元暗殺者に会いに行きつつ現役を狙う」
先の彼らは力が足りないからこそ協力し合う者達だ。ならば逆に、力があればそんなことする必要はない。
そして総じて、そんな彼らはあらゆる面でうまい。
「死なない程度に、頑張りますかぁ」
フードを下げた紫苑の左目が、無機質な黒をギョロリと動かした。
あれから三日経った。紫苑も沙璃亜も力を惜しまず動き続けた結果、復讐対象はとある大金持ちだという事を知る。
『念には念を入れて』――それだけで、狙われたのだ。蛍と、蛍の恩人は。
確かに一理ある。だが、感情だけで納得はできない。特に、紫苑は。
「どこの世界も、無意味に持ちすぎた金持ちは腐ってる」
――そう言った時の紫苑の感情を、沙璃亜は怖いとしか思えなかった。
濁りきったその殺意を。
唯一の救いは、カメラが左目に埋め込まれた故に紫苑の顔を見なかったことだろう。もし見ていたら、沙璃亜はオペレーターをするのを拒否していたかもしれない。
『どうしますか。直接? それとも
なんかどっかで聞いたフレーズだなぁと思いながら、紫苑は言う。
「直接」
殺害自体はどうとでもなった。黒陽で心臓を止めればそれで終わり出し、白夜を使えば適当な山奥に放り込むことだって造作もない。紫苑が殺した証拠なんて、残さない。
ついでに机の上に汚職の証拠も適当に並べておく。さも『書類を隠す途中でした』なんて風にしておけば突発的に死んだという結果しか残らないだろう。薬物なんて使ってないのだし。
ふと気配を感じたそれが何なのかを察して、紫苑は今度こそ反吐が出そうだった。
「……下種が」
単なる自己満足にすぎないが、黒陽の力で『彼女』の鎖を外し、白夜で服を落とし、ついで声を飛ばす。
――逃げたきゃ逃げろ、と。
何があったのかなんて知らない。この先の選択も紫苑は関わらない。生きるか死ぬかは彼女次第だ。
「ホント、人間ってのは腐ってる奴ばっか」
自分も含めて、クソばっか。
沙璃亜はそれに、何の言葉も返そうとはしなかった。
復讐はあっさり終わった。これまでの三年は何だったのかと思うほどに、あっさりと。沙璃亜としては、最初から紫苑に頼めばとは思ったが、蛍達が幻想郷に来て異変を起こしたから紫苑が幻想郷に落ちてきたのだ。不可逆はありえない。
『世界は理不尽ばかりです。本当に』
「今更だ。……今更なんだよ」
人の復讐で。自分とは関係のないはずなのに。
何故だか虚しいとしか、思えなかった。
紫苑が白夜を使ってマンションに戻ると、沙璃亜は随分質素な食事を用意していた。
曰く「食べる気力なんて残ってないでしょう」と。実際残っていなかったのでありがたかった。
「紫苑、もう一つだけ聞かせてください」
「内容による」
「……何故、蛍の復讐にわざわざ手を汚すのを厭わなかったのですか? 他人、でしょう?」
「自己満足――って言っても納得しないか」
「当たり前です。そんなので誤魔化されるわけないんですから」
チン、と音を立ててスプーンを置く。それでもこちらを睨み続ける沙璃亜に、ついに紫苑は降参した。
「俺も、復讐者だからだよ」
「……え?」
「俺と蛍はよく似ている。境遇は知らないけど、恩人を失ったことを。その原因を作った相手に対する復讐心を。そして――死にたいと、願っていたことを」
「……」
「鏡合わせのようなんだ。鏡面を見ているようだった。アイツの記憶を見て、尚更そう思った」
もちろん俺とアイツは違う人間だけどね、と告げておく。
「だから、蛍の復讐を終えたなら。いつか俺の復讐も果たせるんじゃないか、なんていう、腐りきった願掛けさ。自己満足ってのはそういうこと」
「あなた、は……愚か者なのですね」
「今気づいたの?」
遅すぎるよ。そう言って紫苑は儚い笑みを浮かべた。
「ところで、沙璃亜。沙紗って名前――聞き覚え、ある?」
「――――――――――――――――――」
「そう、やっぱり。ってことはきっと、俺と沙璃亜は」
「――――――――――――」
「わかってる。この世界は俺にとって異世界だ。何をどうこうするつもりはないよ」
「――――――」
「いいって。うん、教えてくれて、ありがとう」
「―――――――――――――――」
「……戻ろうか。幻想郷に」
帰って第一声。紫苑は紫と永琳、加えてフランにそれはもう怒られた。しばらく外出禁止例を喰らったほどだ。
逆に沙璃亜との事はスムーズに決まった。この点は紫苑の予想通りと言えるだろう。
「あの家を、頼んだ」
「任されました」
沙璃亜は紫苑が作ったあの家の管理を任された。幸いと言っていいのかあの場所はどうやら脈の真上にあるようで、沙璃亜の力を最大限発揮できる。あのマンションのように。
こうして沙璃亜も幻想郷の一員になった。
二人の間に、小さな秘密と約束を交わして――。
ってわけでおまけ的なお話。蛍の復讐を代わりに果たしたりとか、紫苑はまだ復讐を諦めてないとか、色々と。
後もう1話小話を挟んだら次ですかね。東方の二次創作が完結できるのいつになるのか本人すらわからない現状です。