恐らく数秒の経過をも体験してはいないだろう。だが今の私―――今の状況はまるで時が止まったかのように思えた・・・
微細に光る銃口が向けられながらも、目前の人物を観察する。それは恐怖から導かれたものか、将又、"安心"から来たものなのか・・・今の私には分からないが、とにかく先程より冷静でいる事を自覚出来る。
身長は・・・高い・・・きっと同高度に立つとしても、私は顔を上げなければ彼の表情を見る事は出来ないだろう・・・170後半?体格は所謂普通だと思うが、高身長故か、幾何か細く見える。今となっては見慣れた大型の服装―――宇宙服では無く、黒地に白色の木の葉を写したようなつなぎ型の迷彩服。多分、月面地表に偽装する為の彩色・・・敵は月の都への直接侵攻も具体的且つ戦術的に計算していたのか・・・"外"の月での戦闘も惨劇ではあるが、ここでの戦闘もより血生臭いものとあるだろう・・・そんなぁ・・・
腰には銀の留め具が目立つ黒い
「っ・・・!」
改めて見た青年の顔は・・・相変わらずこちらを唯見つめるだけであった・・・だが先程との相違点として、前者には驚きが見えたのに対し、現在の彼の表情には驚きと言うよりは・・・無―――無機質な、何も考えることなど無いと言わんばかりの、その歳には見合わない、しかし洗練された冷徹な軍人の顔をしていた・・・
そう思うと共に現在の状況を自覚する・・・私は今・・・銃を向けられている・・・地上の兵士に・・・たとえ若いと言えど・・・いや、この"兵士"に殺される!
数秒に満たない一時の安泰は即座に崩れ、再び恐怖と焦りが生じる・・・死、死、死!!
「わ、私をどうするつもりっ!」
緊張が爆発したのかそう口走る。だがその声質は以外にも気丈であった。殺せるものなら殺してみろ・・・犯せるものなら犯してみろ―――辱めを受ける前に自らの手で死んでやる!極限になると人は心理的に強くなる状況も有り得る・・・今の私はまさにそれなのかもしれない。
その迫力に圧されたか、敵兵の顔に再び多少の驚きが生まれる。
だが気丈を張る時間もまた、瞬時に崩壊するのだと彼女は知る事となる・・・
PUSHUU PUSHUU PUSHUU PUSHUU ! ―――
「!!」
地形を揺らすような鋭い、しかしどこか繊細に聞こえる後音を残す効果音―――発射音が周辺を支配する。
き、来た・・・仲間たちを無残にも殺した悪魔の音が!時に爆発を起こすことで私たちを吹き飛ばし、時に上空へ退避した仲間の身体を貫く・・・
やめて・・・やめて、やめて、やめてぇぇぇぇぇ!! あの忌々しい"鳴き声"を聞かせないでぇ!
身体の筋力が消されたかのように身を震わせ膝を着く。これから起こるであろう事態を想像し、多量の汗を流しながら無残にも崩れる。
お願いだから・・・止めて・・・
「・・・Град」
「えっ・・・」
恐怖と混乱のスパイラルの最中、小さな呟きを確かに聞き取る。誰?生き残った仲間、無線・・・違う・・・
ガスッ !! ―――
「きゃっ!」
突然、目前の敵兵が軍服を掴み、私のいる塹壕の底へ叩き付ける様にして降ろした。何、何なの・・・こんな状況で陵辱しようって言うの!だがその様な態勢へ移行するようには見えない。寧ろどこか疑問を持つような・・・
DOOOM ! ―――
「!」
思わず頭を守る様に手で覆い隠す。早く・・・早く終わって・・・
しかし、恐怖から音に対し敏感であったか、ある疑問が生じる・・・今のは後方―――都側から爆発音が響いてきた。目標は私じゃない・・・
思わず後方を見ようと脚に力を入れるが
「Не стой.」
理解不能な言語で制止される―――どういう意味なの・・・『出たら撃つ』とでも言ってるの?こんな攻撃の最中、出れる訳ないじゃない・・・
自身の推定に対し反論しながらも、彼が武器を保持している事実を考慮に入れ、少し覗くように頭を上げようとするが、
「Нет・・・」
今度は肩に手を置き止められる―――『止めろ』と言わんように・・・
いずれにせよ、右手に光る拳銃を目撃しては指示に従う他なかった
PUSHUU PUSHUU PUSHUU PUSHUU ! ―――
間隔を空けながらも、無数のロケット弾が私たちの存在を無視するかの如く頭上を通過していく。
SHAAA SHAAA SHAAA SHAAA ! ―――
そして都側からも、同種の兵器がそれに応えるかのように飛んで行く。その砲火の底で、私と彼は"互いに立つべきの方向"へ身体を向け、座っている―――まるで両軍の相対を示すかのように・・・前線の真っ只中で・・・傍から見れば滑稽な絵面だ・・・ただ上空を飾る兵器群との差異として、片方が片方を監視するような―――優位が構築された状態ではあるが・・・
最前線に取り残された私・・・だがそれは目の前の敵兵にも該当するらしい。いや、こちらの攻撃により救援が不可能である可能性の方が高いか・・・そして、それは私にも該当する。
目標ではないと分かったからか、あるいは唯単に慣れてしまったのか、悪魔の音に対する異常な恐怖感は徐々に低下していくのをこの身に感じる。だが、
「・・・」
「・・・」
銃を向けられたこの無言の状況はどこか歯がゆく、どこか緊張し、どこか恐ろしさを感じる・・・
改めて現況について考える。私はこれからどうなる、何故こいつは私を殺さない・・・戦火の下で優越感に浸る事に快感でも覚えるの・・・だとしたら相当悪趣味ね・・・それとも捕虜として奴らの基地へ連れてくつもり・・・口を割らされ、犯され、そして・・・殺されるの・・・?
こんな事考えなければ良かった―――自身の行く末に関する想定を後悔する。自身のそのような姿を想像するのも身の毛がよだつが、何よりそのような事態になることはないとは言い切れないという事実が未来への恐怖を促進させる。
ふと目の前の敵を見る。かの敵は隣―――右側を見つめていた。自身もその視線につられ目線を移す。
「っ・・・」
そこには首より上が消失した仲間の屍・・・そうだ、彼女も"この空間"に居たんだった。その彼女を見る敵兵の視線はどこか悲しそうで、憐れみを感じているような、祈りを捧げているような・・・無機質な眼をしていた・・・
「・・・!」
私の視線に気付いたか多少の焦りを見せながらも、再度こちらを監視するような・・・いや、
「あっ・・・」
冷徹な眼にこちらを貫く徹甲弾のような迫力が付与され、改めて目の前の敵に対して恐れを生む。
再び死へのカウントダウンが脳内で開始され、少しづつ身体が震える・・・が、
グゥゥゥゥ ―――
「へっ?」
身体の震えも緊張も、自分の下腹部から発生した音により掻き消される。
は、腹鳴!?こんな時に!確かにご飯は時間が無くて食べられなかったけどよりによってこんな時に!
この腹鳴で敵を刺激―――なんて事にはならないわよね・・・今の状況では恥ずかしいと思うよりもこの現象が何らかの引き金とならないかと危惧する方に優越した。いや、この兵士なら特に何の反応も示さず見続けるだけだろうか・・・それはそれで恥ずかしいが・・・何かされるくらいなら恥ずかしさなど厭わない。
サッ、と相手の表情を覗こうと視線を上げるゆっくり、ゆっくりと―――流水が降りかかる滝頂を覗き上げる様に・・・
「・・・」
何の笑い声も聞こえないが・・・その口元は確かに小さく笑っていた。
それを確認すると今度は羞恥心が危機感を優越するという逆転状態へと発展した。敵である人物に少し笑われただけな筈なのに、なんだが仲間の皆から笑われたよ様な・・・
「わ、笑うな」
少し緊張状態が和らいだとはいえ、やはり怖い私は小さく小さく呟く。どうせ相手も意味は理解出来ないだろうし。
すると彼は腰部に付属する雑嚢より四角形状の小さな箱を取り出し、目の前―――"私と彼の前線上"にそれを置いた。その表面にはИРП?解読不明な言語が記載されているのみ・・・
蓋の加工部分を指で圧し、シールを剥ぎ取るように表面を取り去る。その中には、
「食べ物?」
いかにも軍用であると強調する濃緑に塗られた缶詰、そしてビニールに包まれたビスケット、同じく包まれた塩?のような白い調味料。それらがこの小さな箱に隙間を作らない程のすし詰め状態にて梱包されていた。
そしてビスケットの入った一袋を手に取り、渡すように私へとその手を伸ばす―――『食え』と言わんばかりに。本来あらば何か毒が含まれている等考慮すべきなのだろうが、自身の空腹、今の状況、そして・・・雰囲気が自分の右手を伸ばした。互いに腰を動かさず、腕を限界まで伸ばそうとするその姿は恰も、境界線にて最後に手を触れ合わそうとする引き離されるべく恋人たち、
パスッ ! ―――
手と手との間には余り感触が良いとは言えないであろう袋が存在したが・・・
袋を受け取り、再び観察する。大量生産の過程により作られたといった想像に至り易い外観を持つビスケットだが、何より地上人も我々と同じような物を食べるといった事実に何とも言えない親近感が湧き上がる。彼に視線を向ける・・・相変わらず銃口はこちらへ向けられたままだが、もう今となっては特に気になる事情とは認知しないものとなった。その彼は無表情を徹底しているが、視線に気付くと、小さく頷いた―――召し上がれと表すように。
一つを取り出し、口元へ近付ける。最終確認するかの如く再び彼を見るが、表情は変わらない。多少手を震わせながらも―――嫌いな料理を食すよう一気に口内へ入れ込む。
サクッ ―――
凡そ先の緊張状態を嘲笑うかの如く軽快な音が口元より発せられる。その音を実感すると共に、口の中を余り美味とは言えない―――予想通りの風味が寒霧のように拡散するのを体感した。その表現に沿うように、冷たく、どこか乾燥しているようにも感じるが、場に飲まれた今の自分には不思議な事に満足出来る物であった。
サクッ サクッ サクッ ―――
一つ目を食べ終わった後には、リミッターが途切れたかのように、何の遠慮もなく次々と残りを腹へと詰め込む―――自身の物ではなく他人、更には敵の物であるという事実を錯誤しているかの如く・・・
ふと気付く―――自身の暴食は監視されているのだと・・・先との変化は無く、時折下を向く事はあれど、基本はこちらを監視、いや、眺めるだけだ。しかし、控え目に言えど女性らしからぬ食事具合と他人の物を遠慮無しに食すのは、羞恥と申し訳なさを感じる・・・敵だけど・・・
しかし、私の手が止まる事は無い。それが遠慮から来たのか、他の食料も味わいたいと思ったか、薄暗く光る缶詰へと視線が注がれる。あと数㎝で触れる、その直前で手を止め、再度確認を促すように目を所有者へと向ける。先程のビクついた謙虚さではなく、『早く食べさせろ』と言うような、勢いを感じさせるような感覚を多少持ちながら・・・
だが彼の
そう諦めを決意していたが、意を決したかのように数秒目を閉じた彼は、蓋を開けるような仕草を空中で示した。再度缶詰へ手を伸ばすも、反対の意思は読み取れない。恐る恐る蓋の取手に触れるも特に変わりは無い。
好物なのだろうか―――半分まで開けた缶詰を彼に差し出すが、拒絶の意を示すかの如く手の平を張られる。何なのよ・・・気になるじゃない。
彼の否定的対応は関心を呼び起こすものだが、食べても問題がないのなら・・・今はこちらを優先する。そうして蓋を完全に引きち切る。その中より現れたのは・・・魚?容器に合うよう、小さくカットされた切り身魚がこちらも又ぎゅうぎゅう詰めにされていた。ビスケットと同じく、安物臭が絶えないが、現況に言わせれば宝物と称しても良い物かもしれない・・・ビスケットと同じく・・・
肯定的な予想を持ちつつ口元へ運ぶ・・・が、当初の予想は大きく外れることを数秒後、彼女は知る事となる。
「なっ!」
ま、不味い!何だこれ?本当に魚の切り身なの?なんか硬いし、じゃりじゃりしてるし・・・
身を悶えさせる自分の姿を目前の彼は・・・笑いながら見ていた―――相変わらず多少の笑いだが、先のものよりははっきりと笑っているのが読み取れる。
成程、彼の拒絶や何とも表し難い浮かない表情は『不味いから食べるべきではない』という意を持つ態度の表れだったのか!
不覚―――そう思いながらも残すべきでない、という心象に駆られ、再び口へ運んでいく。それを間近で見ることにより、彼がまたしても笑う。『不味いのに食べるのか?』と言わんばかりに。
徐々に緩む彼の表情に歳相応の―――純朴な青年らしさを見ることが出来、安心したのか・・・馬鹿をやってしまい、皆から笑われ、つられて自らが笑う様に・・・私も笑った。
ゴク ゴク ゴク ゴクッ ! ―――
史上最高の不味さと満足感が得られた食事を終え、味の悪さを流し込むように水筒の水 ―これも無論彼の物― を喉へと降ろす。ありがとう、と伝える様に小さく会釈をしながら返すと『4どういたしまして』と表すように小さな頷きをこちらへ返す彼。自分たちの身分や所属を忘れさせるような―――初対面の人と右往左往しながらも交流するかのような新鮮・・・と言えば良いのか、とにかくそのような雰囲気を私たちは互いに醸し出していた。
そう言えば―――頭上に首を上げる。先程までの発射と応射を繰り返していた兵器群は何時の間にか見えなくなっていた。それと共に、耳を澄ませる―――"悪魔の鳴き声"は・・・聞こえない。
全く気付かなかった・・・それ程まで私の意識は"こちら"へと集中していたのか・・・
だが、遠く澄ました聴覚は新たな脅威を感じ取る
BRRRRUUUM ! ―――
「!」
大地を荒々しく踏みつけ、無理矢理にでも前へ進もうとするような凶暴な―――怪物の"足音"・・・発声源は―――前方・・・私の向く方角・・・
驚いて立ち上がり、目の前を見る・・・そこには数量の"怪物"たち・・・敵!
そうだ・・・ここは戦場・・・目の前に広がるのは敵の機甲部隊、そして私の隣で同じように遠くを見渡す彼は、食料を渡してくれた彼は、冷血なようであどけない彼は・・・
敵
先程までの雰囲気が夢であったかの様に、"現実"へと意識が還る。隣には無残な姿となった仲間、反対には・・・敵・・・敵兵!
そっと立ち位置を敵兵の後方へと移す。雑嚢の右には・・・銃剣・・・これを奪えば、眼を見ずとも確実に・・・殺せる!
敵は気付いていない―――静かに、ゆっくりと得物に対し、手を近付ける。だがその最中、ある考えが脳内にて形成される。それは人の良心に従う人らしい―――戦場では支障をきたす様な"考え"・・・
殺せるの、私に・・・食料をくれた・・・心地よい環境に共に身を置いた・・・彼を・・・
伸びた腕がだらりと下がる―――何に対しても執着を見ることが出来なくなった哀れな人のように・・・すぐ傍に立つ敵兵は・・・再び銃口を向け、こちらを見る。その表情は初めて相対したあの時の顔つきであった。
これで殺されたら私はいい笑い者ね・・・自嘲気味に思いながら目を閉じる―――もうどうにでもなれ、そう自分を悲観するように・・・
ガサッ !―
何かが落ちた・・・私の足元に・・・目を開け確認する。これは、
「医療キット・・・」
カーキ色上の赤十字・・・どこからどう見ても軍用の医療装具。私はこんな物携行していない―――とすると、
落としたであろう相手に視線を向ける。厳つい表情を維持しつつも、その瞳には・・・自分では称せないような・・・優しさが浮かんでいた・・・
小銃を向けながらも慎重に後ずさる敵。塹壕から離れ私との間に距離が空く―――これまでの私たちの距離を壊すように・・・
十分距離が開いたのか、踵を返し、"怪物"たちへ向かい駆けようとする・・・が、
「待って!」
「ありがとう・・・」
踵を返したままの彼にそう伝える。それが・・・私の伝えるべき事だと思ったから・・・
「・・・Пожалуйста.」
何と言ったのか・・・その意味は分からない。だが・・・唯返事を返したという事実が・・・心の平静を保つに貢献してくれた。
ザッ ザッ ザッ ザッ ! ―――
一瞥せずに駆けだしていくその背中を見続け・・・私はそう思った。