白一話 始まりの日
名前など、当の昔に忘れた。
少年にとって、名前とはただの記号に過ぎない。
両親は既に他界しており、少年を引き取ってくれた親類の機嫌を取りながらの生活に、気づけば『自分』を失っていた。
名前とは記号。
記号とはそれの名称。
結局のところ、少年にとって名前はただの自分を示す名称でしかないのだ。
記号、名称、音……
所詮、そんな曖昧で適当な認識でしかない。
「そうなのですか?」
隣で、大人しそうな少女が首を傾げる。
彼女はこの国の姫巫女。
神の妃にして、この国で二番目に強い発言力を持つ人間。
剣術、狙撃に秀でた少年は、その護衛を国王より仰せつかっていた。
生まれた時から神の妃として閉塞的な生活を送ってきた、この少女は正直自分の手には負えない程の世間知らず。
知識は本のみであり、事ある毎に外の話をせがまれる。
今日は市があった、今年は豊作だった、魚屋が猫と追いかけっこしていた……そんな他愛ない内容ではあったが、彼女は目を輝かせ、もっともっとと笑う。
この国の上に立つ人間とは思えない。
今日も、彼女のお守りと言う名の護衛任務。
正直、もう転職してしまいたい。
「私は、――様のお名前が好きです。騎士様をお呼びできるじゃないですか。私が――様とお呼びすれば、騎士様が私に会いに来て下さる。私にとって――様のお名前はとても大切なものです」
鈴を転がした様な凛とした可愛らしい声で、少女は少年に言う。
彼女は、自分にはないモノがある。
汚れ、這い蹲ってでも全てを消してきた少年とは、決定的に違うモノ。
だから……ではないが、彼女の言葉は自分によく響く。
彼女がそう言えば、そうだと思ってしまうし、彼女が拒絶すれば、自分もそれを排除しようとするのだろう。
少女の他愛ない言葉を聞きながら、少年はあぁ……と内心で思った。
自分は、この少女に恋をしているのだと。
そして、それは一生叶わない事もわかっていた。
もし、少年が彼女と夫婦になるのであれば、それは戦争を意味する。
彼女には、隣国との政略結婚が決まっていた。
絶対王政など、いつまでも続く筈がない。
長年、民の不満を抑えてきた兵は、もう疲弊しきっており、このまま権力を誇示するのであれば、別の兵力が必要となる。
それが、最近発展してきた隣国だ。
隣国の王は、この姫巫女を気に入っており、彼女が嫁ぐ事を条件に、多くの物資をこの国へと支援している。
神の妃と隔離され、外界から遮断され続けた彼女は、結局大人の道具として、隣国へ売られる。
それを、この国はおかしいとは思っていない。
それが当然なのだ。
彼女は国の所有物。
なら……それがおかしいと思う自分は異常だと思われるのだろうか。
「――様?」
「姫巫女……いや、
逃げたくはないのか……?
そう言えず、少年は言葉を詰まらせ唯首を横に振った。
国に仕える騎士として、これは禁句だ。
だが、この幼い少女を救えずに騎士だと胸を張れるのか?
この気持ちを……誤魔化して一生を終えられるのか?
顔を顰める少年に、少女は綺麗に微笑む。
「――様。私は幸せです。騎士様に会えて、一緒にお話出来て。私はこの幸せだけあれば、人形として隣国へ贈られても大丈夫です」
「咲良……」
「いつか、またお会い出来たなら……生まれ変われたなら、ずっと一緒にいて下さいますか?」
「……あぁ。俺の剣に、騎士道に、この命に誓う。未来永劫、どんなに生まれ変わろうとも、俺は咲良の幸せの為に生きよう。だから……生きてくれ」
「はい……――様」
少年の頬に、涙が伝う。
少女は泣かまいと必死に笑っているが、その瞳からは止めどなく涙が伝う。
もう、彼女を泣かせない。
絶対に……どんな困難があろうとも、彼女の幸せの為に生きよう。
この四肢が引き裂かれようとも、この身が血に穢れようとも……
◆◇◆
(……未練がましい夢だよなぁ)
少年……
姉に連れ添い、会議に出席したはいいが、正直アホらしくて聞くに堪えない。
今回の会議、それはある猫又の少女の処分についてだ。
少年の姉、
その為、こういった会議に出席することは多いが、ここまでくだらない内容を永遠と議論する会議は始めてだ。
事の発端は、とある悪魔の下僕だった猫又の姉が、その悪魔を私欲の為に殺し、逃走した事だ。
彼女は、妹を足手まといと思ったのか、その子を置いて、行方を眩ませた。
現在、捜索部隊が出ているが、既に2隊壊滅している。
こうなると、全ての罪をなすりつけられるのが残った妹猫だ。
現在、彼女はこの魔王城に幽閉されている。
「やはり、姉の様になる前に殺してしまわねば、次は我々が殺されるのでは?」
「そうだ!危ない芽は早々に摘んでしまいましょう!」
「今回、暴走してしまったのは彼女の姉です。妹猫に罪をなすりつけるなんて、そんな事あってはなりません!」
殺せ!殺せ!と騒ぐ老害に、彼方が食って掛かる。
姉の意見に此方も賛成だ。
例え、妹を殺したとしても、姉猫の暴走が止まらない以上、被害は広がる一方だろう。
それ以前に、危ないから殺すなどという安直な考えが此方には理解できない。
先程から、会議は一向に先へは進まない。
本来ならば、魔王ルシファーがこの会議に同席する予定だったが、別のスケジュールが押してしまっているらしく、到着まではまだかかるのだろう。
「……此方、大丈夫?」
「休憩か?彼方」
「うん。一旦、空気を入れ替えようって事になって。此方も疲れたでしょ?少しお城を歩いてきたら?私の護衛なら、ミリアがいるから、心配ないよ」
ミリアとは、彼方の『
確かに、このままここであの老害の議論を聞いていては、終いには取っ組み合いをしかねない。
今は、姉の意見に従っておくべきだろう。
「……じゃ、少し歩いてくるよ。議論開始までには戻る。」
「戻ってこなくてもいいのに……。何かあったら、連絡頂戴?此方は喧嘩っ早いんだから」
「了解。今日は大人しくしてまぁす」
軽くヒラヒラと手を振ると、会議室から出て、長い廊下を進む。
全面を上品な真紅で飾られているのは、現魔王ルシファーを象ってだ。
元は、もっとギンギラしていた、とミリアーナが苦笑しながら、説明してくれていた。
彼方に言われて外に出たはいいが、特にやることなどない。
適当にぶらついて、時間を見計らって戻るか……と、何気なく視線を窓に向ける。
ふと……此方の視界に、白が移る。
「ん?」
流石に気になる。
会議の為に、重役も集まっているのだ。
ここは恰好の的なのだ。
此方は窓を開け放ち、外へと体を乗り出す。
城を囲む様に茂る森の間に、僅かではあるが白い何かが走っている。
そして、それを追う様に何かが後ろを追っている事も確認できる。
此方の肌に、嫌な魔力がヒシヒシと伝わる。
「……たく!」
背に羽を広げると、窓から現地まで滑空する。
「もしもし、俺!此方だけど!」
『此方?どうしたの?今会議が再開されたんだけど……』
「森で何か見つけた!微かだったが、攻撃系魔力の気配も感じた!今、現地に向かってる!」
『了解。クゥちゃんにも向かってもらうね。私達も会議切り上げて現場に向かうから、あんまり派手にやったらダメだよ?』
「善処する!」
連絡を乱暴な手順で切り上げ、スピードを上げる。
垂直に近い角度で落下し、森の地面スレスレを飛び回る。
上空では地上から見て恰好の的だが、地上スレスレを飛ばれると、当てづらくなる。
しかし、これには難点があり、こういった森の様に障害物がある中では厳しい。
………これは一般論だが。
此方の目には、全体が止まって見える。
スピードに特化する様訓練した結果、目も自然に慣れたのだ。
気配を消し、あの白を探し………見つけた。
その白は、幼い少女だった。
薄汚れた服と、ぐちゃぐちゃになった髪、泣きはらした様に赤い目許。
それだけで、此方の中に苛立ちにも似た怒りを感じた。
「………来い!」
「っ!?」
突然掛けられた言葉に、少女の足が止まる。
その瞬間、その小さな体を此方が飛行しながら攫う。
「い、いや!!」
「大丈夫だ!今は暴れんな!」
追っ手と勘違いしたらしい少女が、此方から離れようと暴れたが、彼の一括に体を震わせる。
此方はチラリと彼女を見ると、内心舌打ちした後、優しく言葉を掛ける。
「大丈夫。別に、お前をどうこうするつもりはないよ。取り敢えず、後ろの奴ら振り切るから、少し大人しくしてくれ」
今度は伝わったらしく、少女が微かに頷く気配がした。
現在、彼女の処分方法について議論しているのだ。
どうせ処分されるんだから、とか早とちりした
そう推測出来れば、大体の現状は分かる。
殺そうとする悪魔から、彼女は逃げてきたのだろう。
(とはいってもな……)
逃げた事実があるだけでも、彼女には不利だ。
取り敢えず、クローディルと合流してから対策と考えるべきか、それとも彼方に連絡を取って弁解してもらうべきか、この二択だろう。
なら、と此方は連絡機を出す。
クローディルとの合流を優先していては、折角撒いてきた奴らに見つかる危険性が高い。
今、取るべき対策は姉に連絡することだろう。
何度目かの呼び出し音の後、出たのはミリアーナだった。
『此方さんですか?すみません、彼方さんはまだ……』
「そっか。えっと、森で追われてる猫を保護したんだ。」
『猫、ですか?』
「うん、猫。どうやら、早とちりしたバカ共に追われた様でさ。できれば、指示をほしいんだよ。ほら、この子守りながらの戦闘は……手加減できそうにないし」
『……ちょっとお待ち下さい』
電話の背後で何やら会話が聞こえる。
暫く待つと、お待たせしました、とミリアーナの声が聞こえた。
『そのまま保護をお願いします。今、ルシファー様が到着されまして、引き取り先の検討に入ったので。』
「了解。てか、彼方が引き取ればいいじゃん。眷属に空き、あるんだろ?」
『いえ……そういう問題ではないんです。もう少しすれば決定が出されます。それまで、あまり派手に壊さないように、と』
「善処する……とでも言っといて」
『分かりました』
では、と通信が遮断される。
会議は彼方が勝った様だ。
保護先が決まれば、彼女はその眷属として安全は保障されるだろう。
何より、現ルシファーはグレモリー家出身。
誰よりも、眷属への情愛の深い悪魔だ。
きっと、いい引き取り先を見つけてくれる。
さしあたっての問題は……
「………」
不安顔のこの少女だ。
上手く話せない訳ではないし、特に身体的問題は身長位なものだと……
ドゴッ
「のわっ」
「………」
強力な右ストレートが此方へと迫り、なんとかかわす。
どうやら、身長に関しては禁句らしい。
今までにない殺気を放ち、睨んでくる少女に此方は苦笑いを浮かべた。
因みに、避けた先にあった大木は彼女の右ストレートにより、根本から折れてしまった。
正直、当たっていたら命はなかったんじゃないか、と冷や汗が背に伝う。
「し、身長気にしてる?」
「………」
「悪かった。だから……だから!その構えた手を下してくれ!」
鋭く睨み、第二撃を放とうとする彼女に、此方は慌てて静止をかける。
こんな所で、喧嘩などしていては、絶対に撒いた奴らに気づかれる。
と、いうよりさっきの音でもうバレている可能性がある。
此方は彼女を宥めた後、その場から移動しようと辺りを見渡す。
気配はまだ遠い。
このまま、気配を消しながら遠回りして城に戻るルートを探す。
「いくぞ?」
差し出す手。
少女はじっと見つめた後、おずおずとその手に自分のを重ねる。
「はは、ネコちゃん。少しは俺を信用してくれた?」
「………」
冗談めかしく言ってみると、少女は小さく無言で頷く。
ちょっと意外な反応に此方は、暫し目を丸くしたが、すぐにその手を強く握ると歩き出した。
彼女も大人しくそれに従う。
静寂と小さな息遣い、そして繋いだ手の温かさだけが、今の二人の現実であり、彼女への身体的負担を減らす為にも、できるだけ歩きやすそうな道を歩く。
冥界の空は、人間界のモノよりも暗い色のせいか、森は暗く視認しづらい。
此方にとっては大したことない道でも、後ろを歩く猫又の少女には負担となる心配があるのだ。
それに……微かではあるが、繋いだ手から震えが此方の手に伝わってくる。
暫し、無言のまま黙々と森を歩いていると、微かに気配が近寄ってきている事に気づく。
さっきの奴らか、と警戒してみたが、その気配は慣れ親しんだモノであり、安堵から足を止めた。
「………」
ギュッと強く握られる手。
此方は安心させる様に、その頭を撫でた。
「あいつ等じゃないよ。俺の仲間の気配だ。ネコちゃんを保護しにきたんだ」
「………」
「此方――――――!!」
「クゥ!こっちだ!」
名前を叫ぶ親友に、此方も答える様に声を出す。
すると、ガサガサと茂みが揺れると、ヒョコッと誰かが顔を出した。
セミロングの黒髪と、ワインレッドの瞳がキョロキョロと見渡すと、半目で睨む。
「この暴走野郎。派手に森を爆破してないだろうな?」
「うるせぇよ、男の娘。ちゃんと地図通りの見た目だろうが。それより、追われてたのはこの子。」
「話は彼方から聞いてる。例の猫又だろう?引き取り先、ルシファー様の妹君になったってさ」
「グレモリー嬢?そりゃいい。グレモリーなら、ネコちゃんに嫌な思いはさせないだろうしな。」
「ネコちゃん?」
「この子の名前。全然喋らないし、呼ぶのに不便だから、俺が勝手に名づけた」
「……その子は白音ちゃん。資料に書いてあったの、読まなかったのかい?」
「………」
「黙るな、バカ」
クローディルの言葉に、明後日の方向を向く此方。
彼も予測できていたのか、呆れた表情で溜息をもらす。
……クス……クスクス……
「ん?」
「……笑った?」
「……ふふ」
突然聞こえた声に、二人が視線を向けると、先程まで黙っていた猫又の少女……白音が小さく笑っていた。
しかし、よっぽど二人の話が面白かったのだろう、彼女の尻尾はふわふわと揺れている。
此方は、彼女の頭を撫でると快活に笑った。
「なんだ、ネコちゃん。ちゃんと笑えるんじゃん!」
「君がバカすぎて、呆れてるだけだよ」
「ひどっ!………と、クゥ。俺ちょろっと用事があるんで、ネコちゃんよろしく」
「ネコちゃん定着かい。まぁいいよ。ところで、用事って?」
「ゴミ掃除!!」
んじゃ!と凄い速さで飛んでいく此方に、クローディルの表情が引き攣る。
その様子に、白音は首を傾げる。
「……仕方ない。彼方に連絡して、うちの『
この日、魔王城に森にクレーターが無数に出来た。
・
始めましての方、お久しぶりの方。
水無瀬久遠と申します。
にじファンが実質執筆不可になって、早数か月……漂流に漂流を重ね、やっと到着です(苦笑)
にじファンへ投稿していた時よりも、内容をいじいじして、出来るだけ皆さんに楽しんでいただける様、精進していくつもりですので、どうぞ宜しくお願いします。