この世界に、正しさなど存在しない。
それが青年の世界だった。
暗い闇、両親の骸、嘲笑う民衆。
全てを蔑にされ、全てを失った。
体に刻まれた烙印、終わらない
逃げる気力すら失い、ただただ死を待つだけの生活。
それが、青年の……奴隷となった生き物の末路だ。
朝もなく、夜もなく、飼い主の機嫌によって振り回され、休む暇すら与えられない。
終わらない恥辱、強姦、暴行。
もう、うんざりだ。
いつになれば、死の中で安らげるのだろうか。
それとも……これこそが、死なのだろうか。
青年には理解できない。
「汝、何を望む?」
それは、草臥れた老父だった。
全ての闇を固めた様な黒い瞳が、青年を射抜く。
彼……いや、『それ』はゆっくりと問いかける。
「汝、何を望む?」
「ぼくは………」
舌足らずの声に、老父は嗤う。
まるで、月の様だと青年はボンヤリ思った。
◇◆◇
「美猴、終わりましたか?」
『ばっちりだぜぃ。首尾は上々。オーフィスも待ち草臥れてんじゃねぇの?』
「そう思うなら、僕まで後始末に巻き込まないで下さい、この役立たず猿。」
『ひでぇ!!』
通信越しに、シクシクと泣き真似が聞こえる。
青年……ローウェンは、通信機を地面に叩き付けたい衝動に駆られたが、我慢した。
ローウェンは、自身が纏う執事服についた汚れを払い、辺りを見渡す。
彼の周りには、夥しい量の血痕と四肢を引き裂かれた生き物の肉塊が広がる。
この殺戮場を作った本人は、服に血の匂いがついていないか確認に余念がない。
今から主である少女の元へ帰還するのだ。
少しでも、見た目がいい方がいい。
取り敢えず、血の染みはついていない。
本当ならば、今は主の夕食を作っている時間だ。
それなのに、居候をしている孫悟空の孫、美猴に呼ばれ、使えなくなった悪魔の処分に駆り出された。
元々、テロ集団である『
ローウェンとしても、主……オーフィスの蛇を勝手に利用されるのは、虫唾が走る思いだった為、協力はしたが正直面倒である。
ローウェンは胸ポケットにある懐中時計で時間を確認すると、枝にかけておいたコートを着込み、フードで顔を隠す。
これだけ派手にやったのだから、見つければ面倒な戦闘になるだろう。
それなら、バレる前に逃げてしまうに限る。
森を進み、できるだけ人目のつかなそうな奥を目指す。
『道』はどこでも開けるが、できるなら人目を避けたい。
それは、オーフィスを外敵からも内敵からも守る、大事な手段だ。
暫し奥へと歩いていると、ふとローウェンは足を止め、顔を顰める。
微かではあるが、攻撃系魔力と血の匂いが彼に届く。
どうやら、この先で誰かが戦っているらしい。
一瞬美猴か?とも思ったが、彼と自分との距離は地球でいう所の北極点と南極点の距離。
どう考えても、『道』を使って館で落ち合った方が安全だ。
と、なると誰かが襲われている事になる。
本当ならば、無視して帰るのだがこの先には自分が行った殺戮場がある。
もし、発見され、彼らが自分の姿をチラリとでも記憶の片隅にあったなら、それは大問題だ。
それならいっそ、不安要素は全て殺してしまうに限る。
ローウェンは気配を消すと、ゆっくりその場を目指す。
茂みを揺らさぬよう注意し、死角からその様子を見る。
そこにいたのは、傷を負った女性と複数の憲兵だった。
どうやら、あの女性は『はぐれ悪魔』の様だ。
『はぐれ悪魔』とは、主である上級悪魔に逆らった転生悪魔の総称だ。
彼らは主より見放され、仲間である筈の悪魔からも、他勢力からも命を狙われるお尋ね者。
あの女性も、主に刃向ったが故に命を狙われているのだろう。
「はぐれ悪魔、黒歌!己が罪により、ここで処刑する!」
「ふん!やれるものなら、やってみるにゃ!」
威嚇する様に、低く唸る女性。
彼女が手を振るうと、無数の魔力弾が宙を飛び、憲兵を襲う。
しかし、数が多い。
どうみても満身創痍な彼女に、残り10数人の相手ができるとは思えない。
油汗を浮かべ、苦々しく顔を歪める。
「『我が力は風。大地を駆けし突風よ、我が道を阻むモノを狩れ』!!」
魔力が爆発し、鎌鼬を生む。
それは縦横無尽に走り回ると、憲兵を一瞬にして挽肉に変えてしまう。
憲兵の顔に緊張と驚愕が走る。
「な、何者だ!」
「名乗る程じゃない。ただ……怪我人相手に複数とは、憲兵も墜ちたものだな」
「貴様!我々を侮辱するのか!!?」
茂みから出ると、女性と憲兵との間に立つ。
声も魔力で変えているせいか、低く冷たいモノ。
氷山を思わせる殺気と、鋭い視線に、生き残った憲兵達が脅える。
「あんた……助けてくれるにゃ?」
「別に。あいつらを殺したら、次はお前だ。はぐれ悪魔」
吐き捨てる様に言うと、手を天空向けて上げる。
「やれ」
声と共に、風が疾走する。
逃げ惑う憲兵達が一人、また一人と風につかまり、断末魔すら掻き消され、挽肉へと変り果てる。
その光景に、ローウェンは淡く嗤う。
彼にとって、悪魔はこの世で一番嫌いな生き物だ。
その表情が歪み、恐怖に脅え惑い、なすすべなく死に逝く様は、彼にとってこの上ない快感と優越感を生み出す。
風が役目を終え、その形を潜めた頃、その場は悪夢と化していた。
辺りに散らばる肉片と血飛沫は、気の弱い者ならば失神しかねない程。
ローウェンは一息つくと、女性へと振り返る。
女性はぐったりと四肢と地面に広げ、苦しげに胸を上下させている。
傷口が黒く染まっている様子から、攻撃に毒が用いられていたのだろう。
このまま放っておいても、後数時間で死ぬだろう。
「しろ……ね……」
「?」
「おねえ……ちゃん……いま………迎えに…いく……から。ずっと……一緒に………白、音…………」
口から譫言が漏れる。
ローウェンは暫し彼女を見つめ………彼女を抱きかかえる。
「『我が前に道。狭間より出でるわ、霧に閉ざされし館』」
彼の『力ある言葉』に応え、空間にぽっかりと穴が開く。
ローウェンは辺りを一瞥した後、その穴へと潜っていった。
◇◆◇
「よし、毒抜けたぜぃ」
「ありがとうございます。こういう時しか役に立ちませんね、美猴」
「こういう時のみかい!?」
ローウェンのにこやかな毒舌に、美猴はブツブツと文句を言いながら、小瓶に女性から抜いた毒をしまう。
あの後、結局ローウェンは彼女を抱いたまま主の待つ狭間の館『幻霧の館』へと戻ってきた。
開いている部屋に彼女を寝かし、傷の手当をし、美猴の仙術で彼女を犯す毒を抜いてもらったのだ。
ヒョコッと興味深そうに、ゴスロリに身を包んだ少女が女性を見つめる。
「すみません、オーフィス。本来なら、殺すべきだったのですが。」
「我、構わない。ロウが連れ帰ってきた事に、我興味ある」
「確かに。こんな事初めてじゃねぇか?お前が殺さずに助けるなんてよぉ」
「……正直、驚いています。」
二人に言われ、ローウェンは口ごもる。
普段の自分なら、こんな事はしなかっただろう。
生き物を拾うなど、自分らしくはない。
しかも、相手は悪魔だ。
ローウェンは最も嫌う生き物を助け、更には手当までしている。
正直、自分でも戸惑っている。
「……んん……」
「起きた……?」
「ここ……」
寝ぼけ眼でボンヤリと見上げる女性。
しかし、すぐさま体を起こす。
「白音!?白音はどこ!?」
「落ち着きなさい。取り敢えず、順を追って説明しますので」
今にも館から飛び出してしまいそうな彼女を宥め、ローウェンはここまでの経緯を話す。
始めは狼狽している様子だったが、徐々に現状が呑み込めてきたらしく、冷静に話を理解していく彼女。
「……と、言う訳です。申し遅れましたが、僕はローウェン・ウロボリア。この幻霧の館で執事を務めております。こちらは我が主のオーフィス。
「無限を司る龍神は、有名にゃからね」
「俺っちは―――」
「彼は居候猿の美猴です。邪魔でしたら、いつでも叩き出して下さい。」
サラリと流される美猴。
ここまでくれば、いっそ哀れだ。
部屋の隅でいじける美猴は置いておき、彼女は苦笑した。
「助けてくれて、感謝にゃん♪私は黒歌よ、よろしくにゃん」
「それで、黒歌さん。どうして、憲兵に追われていたんですか?」
「……少し、聞いてくれる?」
女性……黒歌はどこか俯き加減で、今までの経緯を語り出す。
彼女と彼女の妹は猫又……その中でも珍しい猫魈の生き残りだった。
両親に先立たれ、頼れる大人もいないまま彼女達は必死に飢えを凌いでいた。
そんな時だった。
とある悪魔が猫魈の力に目をつけ、彼女達を勧誘してきたのだ。
彼女は妹を養う為、その誘いに応じ、彼の眷属悪魔となった。
これで妹と幸せに暮らせる……
そう思った矢先、彼女の主が暴走を始めた。
力に憑りつかれ、眷属へ無理な力の強要を始めると、それは眷属の身内へと飛び火していく。
このままでは、妹が未熟な力を暴走させて死んでしまうかもしれない。
彼女は、妹を守る為にその悪魔を殺した……
「私ははぐれ悪魔として、追われたわ。本当なら、妹を連れていきたかったけど、バカマスターを殺した後の私は満身創痍で、妹を守る力も残ってなかった。だから……」
沈黙が部屋を包む。
その妹が無事に生きている保障はない。
暗い顔で俯く彼女に、オーフィスが首を傾げた。
「黒歌、悪い事した?」
「さぁ?どうでしょうね、オーフィス。取り敢えず、今後はどうしますか?その体では、もう一度憲兵に見つかれば、妹さん共々処刑でしょうね」
「分かってるわ!分かってる……けど」
気持ちと頭は違う。
今すぐ妹の元へ戻りたい。
しかし、自分が現れたせいで殺される事になっては?
今、自分は妹を守れるのだろうか?
不安で、黒歌の表情が曇る。
「ロウ、黒歌ここに置く」
「……オーフィス?」
「我、興味ある。何故、ロウ助けたのか。黒歌、本当に悪いのか」
我、興味ある……とオーフィスがローウェンを見上げて言う。
それは、純粋な興味だろう。
ローウェンは小さく溜息をつき、オーフィスを撫でると、黒歌へと向き直る。
「僕達はここを拠点として活動している『禍の団』の一員です。三大勢力とも縁は薄く、全員が自由に動いています。……黒歌さん、貴女もここに所属するつもりはありませんか?」
「え?」
「基本、自由な集団です。このオーフィスを頂点とした、ですが。一応は組織ですので、時にはそういった仕事もありますが、それ以外は自由に行動する事を僕とオーフィスが保障しましょう。今は、ここで休養し、傷が癒えてから妹さんを探してはいかがですか?現魔王は無益な殺生は好まないと聞きますし、きっと妹さんは無事に生きているのでしょう」
「……いいの、にゃん?」
「オーフィスが許可しています。僕としても、オーフィスの傍に女性がいる事は心強く感じます。ここには、僕と美猴しかいません。……それに、組織派閥も面倒な事になってきましたので、オーフィスを守る人員が欲しかったところですし」
淡く微笑む彼からは、微かに殺気が漏れる。
ローウェンにとって、現在進行系に目障りなのは、オーフィスの力に群がる組織の
勿論、美猴を信用している訳ではないが、いないよりはマシだ。
黒歌は暫し考えた後、頷く。
「お願いするにゃん♪こう見えても、『
「なら、更に有り難いです。僕はオールラウンダーですが、美猴は接近戦を得意としてます。後方支援要員は、大事な戦力ですので」
「よろしくだぜぃ」
「よろしく…」
「こちらこそ、宜しくにゃん♪」
新たな仲間に、全員が歓迎する。
ローウェンは胸ポケットから、懐中時計を出すと、柔らかく微笑む。
「夕食に致しましょう。黒歌さん、食べられますか?」
「頂くにゃ。ずっと逃げてて、空腹にゃ~」
「我も」
キュルゥゥゥと、オーフィスから小さな腹の音が響く。
それにつられ、黒歌からも腹の音が響いた。
顔を赤くしてお腹を押さえる黒歌に、ローウェンはクスッと笑うと優しく髪を撫でる。
「今日は黒歌さんの歓迎も兼ねて、豪華に致しましょう。美猴、二人の案内を」
「分かったぜぃ」
では、とローウェンは一礼すると、部屋を出た。
今日のメニュー変更を頭で考えながら、淡く冷笑を浮かべて………
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